シネマコンプレックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新宿にあるシネマコンプレックステナントビルの一例

シネマコンプレックスとは、同一の施設に複数のスクリーンがある映画館のことである。シネコン複合映画館とも呼ばれる。

目次

[編集] 概要

モデルは北米発祥のマルチプレックス (multiplex) またはシネプレックス (cineplex) と呼ばれる映画館である。劇場構造はそれに準じた作りになっており、ロビー、チケット売場、売店、映写室等の設備を複数のスクリーンで共有している。

世界的に見ると20スクリーン以上の例もあるが、日本国内の場合7〜12スクリーン程度を1つの映画館内に集約していることが多い。これは日本ではメジャーな配給チェーンが12しかないため、メジャー作品は13作品以上同時に配給されない事情によるものである。

各スクリーンの客席数は80〜500席程度で、大小組み合わせることが多く、集客力の見込める作品は客席数の多いスクリーンで上映し、封切りから時間の経った作品や、集客力の落ちた作品は客席数の少ないスクリーンで上映する方式をとる。作品を抱き合わせた2〜3本立てでの興行は通常は行われず、完全入替制を採用しているため、単一または複数の作品を退場せずに連続して見ることはできない。

大抵の場合、ショッピングセンターテナントとして運営されているか、スーパーマーケットなどが併設されている。これは、ショッピングセンターとシネマコンプレックスの双方の集客効果を狙ったものである。また、ショッピングセンターの駐車場が利用出来るため、シネマコンプレックスは車で来場する客層の取り込みに成功した。一方で、シネマコンプレックスの利用者はショッピングセンターでの購買率が低いとの調査結果もあり、相乗効果を疑問視する声もある。

日本に現代型のシネマコンプレックスが登場した1990年代は、郊外に設置されることが多かったが、2000年代に入ってからは従来のロードショー館を置き換える形で繁華街に作られることも多くなってきた。シネマコンプレックスの登場に伴い、1億2千万人前後で推移していた日本の映画人口は1億6千万人以上にまで回復した。一方で、2001年以降はシネマコンプレックスが増加しているにもかかわらず、映画人口は横ばいとなっているため、飽和状態になっているとも言われている。

なお、本項では慣例に基づき映画館(施設)内に設置された上映室を「スクリーン」と記述する。また、単一または複数のスクリーンを包括する映画館を「サイト」と記述する。

[編集] 特徴

[編集] 定義

シネマコンプレックスについて法令等での明確な定義はなく、統計や書籍によって条件が異なっている。

例えば、通商産業省が1998年にまとめた映像産業活性化研究会報告書では「1)6以上のスクリーンを有する、2)3以上のスクリーンを共有する映写室がある、3)チケット販売窓口やロビー等を共有する、4)総入れ替え制を採用して立ち見なし」と定義されている[1]。また、日本映画製作者連盟が毎年1月に発表する日本映画産業統計[2]では、「同一運営組織が同一所在地に5スクリーン以上集積して名称の統一性(1、2、3…、A、B、C…等)をもって運営している映画館」とされている。

このように様々な定義があるが、おおよそ共通する条件として下記のようなものが挙げられる。

  1. 複数のスクリーン(5以上)を同一の施設内に集約していること。
  2. ロビーや売店、チケット売場、入口(もぎり)、映写室等を複数のスクリーンで共有していること。
  3. 映画館としての名称は1つであるか、もしくは複数のスクリーンで統一性を持っていること。
  4. 完全入替制を採用し、定員制か全席指定席制を併用することで立ち見がないこと。

なお、シネマコンプレックスという言葉自体は1980年代から使用されており[3][4]、1990年代前半までは複数のスクリーンを持つことだけを条件にシネマコンプレックスとしていた[5][6]。1990年代後半以降、マルチプレックスと同義とみなされるようになり、前述のような定義で使われること[7]が多くなってきている。そのため、本項でも歴史的な記述を除きそれに従って述べる。

[編集] 従来館との相違点

シネマコンプレックスは前述の定義以外にも従来の劇場と比べて次のように異なる点がある。ただし、以下に挙げる事項は全てのシネマコンプレックスに当てはまるものではない。逆に、従来館でもこれらの特徴を取り入れた例もある。

劇場構造 
従来館に比べて劇場の床の傾斜が大きいスタジアムシートを採用していることが多い。
また、従来館では劇場の扉を二重扉にして遮光をすることが多かったが、シネマコンプレックスでは扉の前に壁を設けたり、扉をスクリーンに対して垂直に設置したりして遮光をしている。二重扉の場合、2つの扉が同時に開くとスクリーンに余計な光が入ることがあるが、シネマコンプレックスの構造だとどのような場合でもスクリーンに余計な光が届くことがない。
これらの構造を採用することにより、シネマコンプレックスでは快適性を謳っている。なお、地域の火災予防条例やバリアフリー関連の制約により異なる構造のシネマコンプレックスもある。
収益構造 
従来館の場合、入場料収入を主な収入源としているが、シネマコンプレックスは入場料だけでなく飲食物にも収入源としてのウェイトを置いている。具体的には飲食物の客単価が従来館は152円程度である一方、シネマコンプレックスは250円程度と1.6倍以上に見積もっている[8]。そのため、従来館では市販の菓子類を販売し、飲食物の持ち込み制限も緩やかな場合が多かったが、シネマコンプレックスではできたてのポップコーンチュロスなど市販の菓子とは差別化できる物を販売しており、飲食物の持ち込み制限も比較的厳格である。また、座席にカップホルダーを設置し売り上げ向上を図っている。
上映設備 
シネマコンプレックスで多いノンリワインド映写機の例
従来の映画館は映写機2台を自動で切り替える全自動映写機を採用することが多かった。
それに対し、シネマコンプレックスは映写機1台で上映を行うノンリワインド映写機を採用する場合が多い。シネマコンプレックスの場合、立ち見を許していないため、1スクリーンの座席数以上の集客が見込める上映作品では入場できない観客が出る恐れがある。そこで、複数スクリーンで1つのフィルムを同時上映する「インターロック」と呼ばれる仕組みが採用された。インターロック上映に対応しているのがノンリワインド映写機だったため、シネマコンプレックスでの採用が多くなったと考えられる。
現在では従来館でノンリワインド映写機を採用する事例も増えてきた。
上映スケジュール 
レイトショーは従来、週末や特別興行のみに行われていたが、シネマコンプレックスでは年中行っている場合が多い。
従来館の場合、駐車場が設けられていないこともしばしばあった上に、繁華街に建設されることが多かった。そのため、終電など公共交通機関の運行時間帯を超える上映スケジュールを編成しづらい環境であった。しかし、シネマコンプレックスはショッピングセンターとしての駐車場が併設されており、また、郊外にあり利用客の住居に近い立地でもある。そこで、終電などの時間に縛られない上映時間の設定を行うようになった。

[編集] 現状

2006年にはスクリーン数においてシネマコンプレックスが日本国内の映画館の7割以上を占めるまでになった。これに示されるように、1990年代において新しい手法であったシネマコンプレックスはもはや一般的なものとなっている。2001年以降、映画人口は1億6千万から7千万人程度でほぼ横這いの状態が続いている一方で、シネマコンプレックスは2001年に1259スクリーンだったものが、2007年には2454スクリーンにまでほぼ倍増した[9]。この状況の中、集客を得るために差別化を図るなど、様々な動きが出ている。

[編集] 劇場数・スクリーン数

日本で最も多くの映画館を運営する興行会社は、関係会社の整理統合を行ったTOHOシネマズ株式会社であるが、これは従来館も含めた数字であり、同一ブランドのシネマコンプレックスとしてはワーナー・マイカル・シネマズの方が多い。

スクリーン数が最多なのは、豊橋市ホリデイスクエア内にあるユナイテッド・シネマ豊橋18(旧AMCホリディ・スクエア18)で、18スクリーンを有する。また、2003年から2006年まで川崎市チネチッタが年間観客動員数日本一であったが、2007年は観客動員数はMOVIXさいたま、興行収入はTOHOシネマズ六本木ヒルズが日本一になっている。

各社の劇場数・スクリーン数(2009年1月13日現在)
シネマコンプレックス名称 運営企業 劇場数 スクリーン数 備考
ワーナー・マイカル・シネマズ 株式会社ワーナー・マイカル 60サイト 493スクリーン
TOHOシネマズ TOHOシネマズ株式会社、他 43サイト 415スクリーン 東宝系。
(TOHOシネマズ以外) TOHOシネマズ株式会社、他 9サイト 79スクリーン 東宝系興行会社運営の「TOHOシネマズ」以外のサイト[脚注 1]
MOVIX 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ、他 23サイト 230スクリーン 松竹系。同一ブランドの姉妹シアターを含む。
(MOVIX以外) 松竹株式会社、他 2サイト 21スクリーン 松竹系。同社運営主幹の共同事業のサイトを含む[脚注 2]
ユナイテッド・シネマ ユナイテッド・シネマ株式会社 21サイト 218スクリーン 住友商事傘下。
コロナシネマワールド 株式会社コロナ、他 17サイト 164スクリーン 改装中のサイトを含む。
109シネマズ 株式会社東急レクリエーション 15サイト 141スクリーン 東急系。同社運営のムービルを除く。
T・ジョイ 株式会社ティ・ジョイ 13サイト 119スクリーン[脚注 3] 東映系。同社運営主幹の共同事業のサイトを含む。
シネプレックス 角川シネプレックス株式会社 12サイト 106スクリーン 角川映画系。
シネマサンシャイン 佐々木興業株式会社、他 12サイト 81スクリーン
イオンシネマ イオンシネマズ株式会社 11サイト 92スクリーン

[編集] 運営・経営

札幌ステラプレイス内にある札幌シネマフロンティア

国内参入当初は多くの外資系のシネマコンプレックスが存在していたが、大半は撤退した。現在も外資系との資本関連がある興行会社は、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズが資本参加しているワーナー・マイカルのみである。現在では完全に国内各社が主役となった。

最近では、札幌シネマフロンティア(TOHOシネマズ、松竹、ティ・ジョイの共同経営)や、大阪の梅田ブルク7、なんばパークスシネマ(松竹、ティ・ジョイの共同経営)等、かつては競合だった国内大手映画会社系列による、呉越同舟型の共同経営も増えてきた。一方で横浜桜木町で計画されていた共同運営の劇場開発からTOHOシネマズが撤退する事例も見られるなど、完全に足並みがそろっているわけではない[10]

前述のように観客数が横ばいでありながら各社の出店が続いていること、映画ソフトのレンタルやテレビでの放映までの期間が近年では短くなってきていること、インターネットによるオンデマンド配信も増えていることなど、シネマコンプレックスの経営は年々厳しくなってきている。また、後述する競合他社との差別化のための設備投資の結果、1998年頃は平均座席占有率[脚注 4]が10.2%で経営が成り立っていたものが、2004年には14.7%まで上昇してきている。結果的に、興行収入からの営業利益は4.3%しか得られていない。従来館を含めると既に3000スクリーンを突破しているが、3000スクリーンの経営を成立させるには1億8千万人の映画人口が必要との試算もある[11]。今後は、入場者の安定確保と共に飲食物など売店収入の増加などが鍵となると見られている[12]

[編集] サービス・設備

近年はシネマコンプレックス間での差別化を図るため、サービスや設備の個性化が進んでいる。

コンテンツの差別化という点では、近年はチェーンによる独占上映が行われはじめている。2007年4月9日にユナイテッド・シネマと東急レクリエーションが独自の番組編成を目的に提携したことを発表[13]し、『アドレナリン』など複数の作品が2社の劇場を中心に上映された。2007年12月20日にはティ・ジョイ、東急レクリエーション、ユナイテッド・シネマ、ワーナー・マイカル4社に拡大した「オープン・コラボレーション」という提携を発表[14]し、『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』などが4社で独占上映されることになった。

顧客サービス面の差別化ではTOHOシネマズの「ママズ クラブ シアター」などが挙げられる。小さな子供を持つ親を優先にした上映回を設定し、周りの観客に気兼ねなく鑑賞できるようにした。

また、設備のデジタル化により、上映コンテンツ自体の変化も現れている。DLPシネマをはじめとするデジタルシネマの普及に伴い、映画以外のコンテンツを上映することも増えてきた。TOHOシネマズやティ・ジョイではパブリックビューイングや舞台演劇の上映が行われている。REAL Dなどのデジタル3D映画の上映も増えてきた。ワーナー・マイカルやティ・ジョイを中心に設備の導入が進んでいる。2008年10月25日には全国上映としては日本初のフル3D実写映画『センター・オブ・ジ・アース』が公開された。

サービス面の向上を図った結果、各地のシネマコンプレックスで導入されたサービスもある。例としてインターネット予約は大手各社のほとんどが導入した。ただし、中小のシネマコンプレックスではまだ導入していないところもある。また、ポイントサービスはTOHOシネマズのシネマイレージをはじめ、各社とも導入を行っている。一般にポイントサービスはヘビーユーザー向けの物だが、ワーナー・マイカルは「ティーポイント」と提携し、劇場であまり見ない層の集客を図っていた。しかし、2009年6月27日にこのサービスは終了している[15]

座席幅が広かったりサイドテーブルが付いていたりする付加価値の高い座席も導入するところも増えた。TOHOシネマズでは「プレミアスクリーン」として、1スクリーンを全て高付加価値のシートとしているほか、新宿ピカデリーではプライベートルーム型で3万円の「プラチナルーム」を設置している。他にもワーナー・マイカル・シネマズの「ゴールドクラス」、109シネマズの「エグゼクティブシート」、シネマメディアージュの「スーパープレミアシート」などが挙げられる。一方で、改装時に高付加価値のスクリーンを撤去する動きもある。

[編集] 立地と商圏

[編集] 商圏の変化

シネマコンプレックスが国内に参入した当初は映画館の存在しない地域での設置が多かった。しかし、1997年頃から地方都市の駅前立地型が増え始め、2001年頃からは大都市ロードショー館の置き換えとしてシネマコンプレックスが設置されるようになった。

「映画館数は商圏人口に比例する」と1950年代から言われており、シネマコンプレックスも例外ではない。シネマコンプレックスが併設されることが多いショッピングセンターは、およそ20〜30kmが商圏と言われている[16]。シネマコンプレックス自体の商圏はかつてはそれより広い50km程度と言われていた時期もあった[17]が、現在ではショッピングセンターより狭く、車で30分程度とすることが多くなった。また、商圏人口もかつては50万人程度必要と言われていたが、現在では40万人程度にまで下げ、かつてより狭い商圏での開発が行われている[18]

シネマコンプレックスの売り上げはショッピングセンターの売り上げの5%程度であり[19]、集客力もあることから、ショッピングセンターでは破格のテナント料で誘致されてきた。結果的に出店競争が過熱化し、競合する商圏内での設置が増えていった[17]

[編集] 各地の状況

競合商圏内での出店が増えたため、再編、閉館などの動きが出ている。以下、同一商圏内に複数のシネマコンプレックスがある地域の状況について述べる。

大阪府高槻市 
約2km程度の距離にジョイプラザ運営の「高槻シネマルート170」(2000年7月21日開館)とTOHOシネマズ運営の「TOHOシネマズ高槻」(2004年2月21日開館)の2サイトが存在した。2007年6月28日をもって「TOHOシネマズ高槻」が閉館し、営業譲渡されたジョイプラザが同一施設で同年6月30日から「高槻ロコ9シネマ」として運営している。また、同日に「シネマルート170」は閉館し、同地域のシネマコンプレックスは1館に再編された。
同地域に東宝の出店予定はなかったが、買収したヴァージンシネマズの出店計画が進んでおり出店せざるを得なかった。無駄な競合を避けるため、TOHOシネマズ高槻の開館後に再編がされた[20]とされる。
大阪府岸和田市 
閉館した「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」
(2007年7月23日撮影)
1993年4月29日「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」が開館した。そこに、1999年10月1日「ユナイテッド・シネマ岸和田」が開館し、2サイトとなった。岸和田市は高槻市より商圏人口で劣りながらも共存していたが、「ワーナー・マイカル・シネマズ東岸和田」が老巧化を理由に2008年2月3日をもって閉館した。これは、国内初のシネマコンプレックスの閉館とされる[21]
奈良県橿原市 
総人口12万5千人程度の都市でありながら、中心部の近鉄大和八木駅を中心に半径約2km圏内に「橿原シネマアーク」(1999年7月24日開館、5スクリーン)「MOVIX橿原」(2001年6月開館、9スクリーン)「TOHOシネマズ橿原」(2004年4月1日開館、9スクリーン)の3サイトが存在したが、シネマアークはMOVIXとTOHOシネマズに押され2009年4月30日をもって閉館となった。
神奈川県海老名市 
1993年4月24日に「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」が開業した9年後、2002年4月19日に「ヴァージンシネマズ海老名」(現TOHOシネマズ海老名)が開業した。双方の映画館はわずか400mしか離れていない。しかし、この状況を逆手にとって、2002年から海老名商工会議所が中心となり、「海老名プレミアム映画祭」を開催し、海老名市を「シネマコンプレックス発祥の地」としてアピールしている[22]
埼玉県熊谷市鴻巣市 
2000年11月16日に「ワーナー・マイカル・シネマズ熊谷」が開業した。従来館の「シネプラザ21」を運営していた鷹の羽興業は2003年9月30日に同館を閉館させ、2004年11月20日にシネマコンプレックスの「シネティアラ21」を開業させた。熊谷市の人口は20万人程度であるが、それぞれの立地(ワーナー・マイカルはショッピングセンター併設型、鷹の羽興業は駅前立地型)を活かし、現在も共存している。
隣接する鴻巣市ではelumiこうのす内にシネマコンプレックスの出店が計画され、2008年5月23日に入居する施設の一部はオープンした。しかし、運営予定だったワーナー・マイカルが親会社の意向で撤退した[23]ためシネマコンプレックスの開館は延期された。同社に代わり千葉興行が運営し2009年7月15日に開館予定である。

[編集] 歴史

マルチプレックスの発祥である北米では主に1960年代から複数スクリーン化の傾向が見られた。日本でも映画館の複数スクリーン化傾向は古くからある。当初はこれらの映画館をシネマコンプレックスと呼んでいたため、いくつかの映画館が日本初のシネマコンプレックスを名乗っている。

以下、シネマコンプレックスとマルチプレックスの歴史について記述する。

[編集] 戦後〜1992年

[編集] 日本におけるシネマコンプレックスの発祥

渋谷東急文化会館
(2003年6月25日撮影)

日本では戦後しばらくは、地域により映画街として複数の映画館が並んでいることなどはあったが、基本的には「1つの映画館(施設)に、スクリーンは1つ」であった。

しかし、1950年代から映画館の建て替えや移転に伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。

これらの映画館の運営システムは従来館そのものである。入替制は導入しておらず、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ、配給チェーンとスクリーンが固定化されており、「複数の映画館が1つの建物の中にある」状態だった。

そんな中、1984年3月30日に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する[24]。同館は、流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。一方で、スクリーン数が3と少ないこと、ロードショー名画座、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めていることなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。また、現在は上映作品の傾向からミニシアターと認識されることが多い。

この時期から同館と同様に郊外ショッピングセンターに、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた。また、シネマコンプレックスという言葉も使われはじめるようになる。

複数スクリーンを持つ映画館の例
施設名称 開館日 所在地 スクリーン数[脚注 5] 備考
名宝会館 1955年12月23日[25]
(改装日)
愛知県名古屋市 4スクリーン
(改装後)
1935年11月3日開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。1972年5月に再改装し、以降3スクリーン[26]
横浜東宝会館 1956年3月27日 神奈川県横浜市 4スクリーン 「映画のデパート」[27]と称す。1980年に改装し、以降5スクリーン。
渋谷東急文化会館 1956年12月1日 東京都渋谷区 4スクリーン 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。
相鉄ムービル 1971年3月5日 神奈川県横浜市 5スクリーン 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」[28]と称す。
梅田松竹会館 1980年3月15日 大阪府大阪市 4スクリーン 開館時の劇場名は梅田ピカデリー1、2、梅田松竹、梅田ロキシー。後に梅田ピカデリー1〜4に改称。
小牧コロナ会館 1981年7月11日[脚注 6][29] 愛知県小牧市 3スクリーン[29] 「どこよりも先駆けて、シネコンスタイルで愛知県小牧市に「小牧コロナ会館」を設立」[30][16]と称す。1997年7月12日に小牧コロナシネマワールドへ改装。
キネカ大森 1984年3月30日 東京都品川区 3スクリーン 大森西友内に設置。「シネマコンプレックス日本初登場」[24][31]と銘打って開館。
池袋シネマサンシャイン 1985年7月6日 東京都豊島区 5スクリーン 1994年12月に改装し、以降6スクリーン。
チネチッタ 1987年7月25日 神奈川県川崎市 5スクリーン
スクリーン数は「チネグランデ」を除く。「日本初のシネマ・コンプレックス」[32]と称す。
シネシックス[33] 1988年3月25日 千葉県船橋市 6スクリーン 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされた[33]ららぽーと船橋ショッピングセンター内に設置。2004年7月にTOHOシネマズ船橋ららぽーとへ改装。

他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。

小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと[34]、入替制が導入されていないこと[35]などが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。なお、同館を運営するコロナグループはこの時期に同様の劇場を愛知県江南市[脚注 7]春日井市(1983年3月19日開館)、半田市(1986年7月26日開館)、豊川市(1989年7月15日開館)にも展開している[36]

チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディア[37][38]には紹介されている。やはり入替制が導入されていないこと[39]、複数フロアに渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。しかし、1996年ごろから同社の企業沿革や地元自治体の広報誌[40]などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初のシネマ・コンプレックス」とする記述が見られるようになった。

また、池袋シネマサンシャインについても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており[4]、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる[6]

いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に流入する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。ただ、現在のような爆発的な普及は起こらなかった。

その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる[41]。また、別の要因として興行場法建築基準法消防法の3法とそれに付随する条例が現在より厳しく、スクリーンの増設がコスト的に難しかったことも挙げられる。そこで、全国興行環境衛生同業組合連合会が1990年頃からこれらの規制緩和を求め各法の所管省庁に対して働きかけを行った[42]。その結果、1992年に規制緩和の方針が決定し、先行して1993年7月1日から東京都では建築安全条例と火災予防条例が改正されている[43][44]。だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックスの時代ではなく、後述のマルチプレックスの普及に一役買うことになるという皮肉な結果となった。

[編集] 北米におけるマルチプレックスの発祥

エルジンシアター
(2005年10月30日撮影)

一方、北米初の2スクリーンを持つ映画館は、1947年、カナダの首都オタワに開館した。

ナット・テイラーが築20年の施設を拡張したエルジンシアターである。他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーンの映画館が開館している。1965年、ジョージア州イーストポイントに開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。ナット・テイラーは、マルチプレックスの発明者とされる。後の1979年4月19日にシネプレックス・オデオンを設立し、同年中に、当時世界最大であった18スクリーンのトロント・イートン・センター・シネプレックス(2001年3月閉館)を開館している。

1963年にマルチプレックスの先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上映開始時間を慎重に管理し複数スクリーンを数名で運営する方法を確立した。1960年代はテレビの普及に伴い、アメリカであっても映画人口は減少気味であった。しかし、1970年代これらマルチプレックスがショッピングセンターに併設される形で各地に展開されたことで、再び上昇に転じた。マルチプレックスがショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンターを認知させる効果があると認められ、コア施設の扱いを受けた[45][46]

以来、複数スクリーンの映画館が北米では当たり前のものになり、多くの従来館は複数のスクリーンに改装されていった。複数スクリーンが1つのロビーを共有する形態であった。1スクリーンの映画館(従来館)は市場からほとんど撤退した。残った従来館は一般に、アート系映画や小規模製作の映画、映画祭などの上映に使用されている。(例:カリフォルニア州サクラメントの市街地にあるクレストシアター)

定義により異なるが、通常、20スクリーン以上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる。 一般的に、世界初のメガプレックスは1988年ベルギーブリュッセルに開館したキネポリスブリュッセル(25スクリーン、7,500席)であると考えられる。 アメリカ初のメガプレックスは1988年に改装したミシガン州グランドラピッズスタジオ28(20スクリーン、6,000席)である。なお、スタジオ28は2008年11月23日をもって閉館した [47]

1983年イギリスではユナイテッド・シネマ・インターナショナルが設立。1985年にマルチプレックスに参入し、5年間で約1200スクリーンから1.5倍に増加させた。世界規模で展開する興業会社が次に参入を考えたのが日本市場であった。1991年10月8日、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズはニチイと合弁で日本にワーナー・マイカルを設立する。

[編集] 1993年〜2002年

[編集] 日本市場への各社の参入

ワーナー・マイカル・シネマズ海老名
(2008年11月23日撮影)

1993年4月24日神奈川県海老名市に日本初の本格的マルチプレックスであるワーナー・マイカル・シネマズ海老名が開館した。同社は北米やイギリスと同様にマルチプレックスという用語を用いていたが、日本市場では以前から存在する複数スクリーンの映画館と同様に、シネマコンプレックスと呼ばれた。そして、シネマコンプレックスの定義自体が後にマルチプレックスのことを指すようになる。そのため、現在では同館を日本初のシネマコンプレックスとすることが多い。日本国内のスクリーン数は減少傾向であったが、この1993年を底に増加に転じた。

ワーナー・マイカルの進出当初は業界内では失敗するものと思われていた。従来館が既に撤退していた海老名には大きすぎる映画館だと考えられていたからである[48]。その後開館した同社のサイトについても同様であった。しかしながら、ワーナー・マイカルは主要他社が参入する1996年までに7サイトを開館し、年商は44億円以上、1スクリーン当たりの興行収入も当時の全国平均を上回る9200万円という成功を収めた[5]

この成功を機に外資の参入が相次ぎ、国内各社もシネマコンプレックスの建設に取りかかる。

外資系のAMCエンターテインメントとユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン(以下、UCIジャパン)は1996年、東宝と松竹は1997年、東急レクリエーションは1998年にそれぞれ自社系列のシネマコンプレックスを開館させた。1999年にはさらにヴァージンシネマズ・ジャパンが参入し外資系シネマコンプレックスは4社に増えている。

興行各社のシネマコンプレックス第1号店
サイト名称 運営企業 開館日 所在地 スクリーン数 備考
ワーナー・マイカル・シネマズ海老名 株式会社ワーナー・マイカル 1993年4月24日 神奈川県海老名市 7スクリーン
シネマシティ シネマシティ株式会社 1994年10月8日 東京都立川市 6スクリーン
AMCキャナルシティ13
(現ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13)
AMCエンターテインメント 1996年4月20日 福岡県福岡市 13スクリーン
マイカル松竹シネマズ本牧
(現MOVIX本牧)
株式会社マイカル松竹 1996年6月29日 神奈川県横浜市 7スクリーン マイカル (90%)、松竹 (10%) の合弁。
OTSU7シネマ
(現ユナイテッド・シネマ大津)
ユナイテッド・シネマ ・インターナショナル・ジャパン株式会社 1996年11月2日 滋賀県大津市 7スクリーン
天神東宝 九州東宝株式会社 1997年3月15日 福岡県福岡市 6スクリーン
MOVIX六甲 株式会社松竹マルチプレックスシアターズ 1997年3月20日 兵庫県神戸市 7スクリーン シネマーク・シアターズとの合弁。
109シネマズ港北 株式会社東急レクリエーション 1998年4月25日 神奈川県横浜市 7スクリーン
ヴァージンシネマズトリアス久山
(現TOHOシネマズトリアス久山)
ヴァージンシネマズ・ジャパン株式会社 1999年4月23日 福岡県久山町 7スクリーン
イオンシネマ久御山 イオンシネマズ株式会社 1999年6月29日 京都府久御山町 7スクリーン

各社の出店戦略は様々であった。

AMCエンターテインメントは当初九大都市ロードショー地域を中心にメガプレックスを計画していたが、後に地方都市の郊外型ショッピングセンターにも出店するようになった。UCIジャパンは地方の県庁所在地クラスの都市を中心に出店を計画していった[5][41]。また、ワーナー・マイカルは親会社マイカルのショッピングセンターに併設する形で計画を進め、九大都市ロードショー地域である本牧の出店はマイカル松竹に譲り大手映画会社との摩擦を避けた[49]。後に親会社自体が駅前再開発に参画していった[50]ため駅前立地型も増えていく。

東宝系の興行各社や松竹マルチプレックスシアターズは新設される地方のショッピングセンターを中心に展開していった。当時各地で開発していたイオン系のショッピングセンターも出店計画に多く含まれた。

逆に、ヴァージンシネマズ・ジャパンは初期に計画された名古屋ベイシティを除き、イオン系のショッピングセンターへの出店計画は行っていない。ジャスコ久御山ショッピングセンターの出店決定が目前と思われていたにも関わらず、同社と同一のコンセプトで子会社のイオンシネマズを出店させたからとされる。また、後に関東、関西の駅ビルを中心に出店計画を行っていくようになった[51]。一方、イオンシネマズは親会社のショッピングセンターに併設する形で計画を進めていった。

1999年UCIは住友商事、角川書店と合弁で新法人ユナイテッド・シネマ株式会社を設立し、1999年10月1日開館のユナイテッド・シネマ岸和田以降に開館したサイトはUCIジャパンではなく同法人での運営とした。住友商事は1985年にアスミックの設立にも参画しているため、この合弁で製作・配給から興行まで関わる企業となっている。また、AMCエンターテインメントは1999年7月に日本法人の株式会社日本AMCシアターズを設立し、劇場運営を移管している。

[編集] 日本での急増とアメリカでの破綻

アメリカでの元ロウズ社の劇場
(AMC Loews 600 North Michigan 9)

1999年から2001年1月の間にシネマコンプレックスは急増する。この2年1ヶ月の間に主な興行会社だけで、ワーナー・マイカルが24サイト、ユナイテッド・シネマが7サイト、松竹マルチプレックスシアターズが7サイト、東宝および東宝系の六部興行が6サイト、ヴァージンシネマズ・ジャパンが5サイトの出店をしている。これは、1998年に「大規模小売店舗立地法」が成立したため、旧法である「大規模小売店舗法」の基準で計画されたショッピングセンターが旧法の期限である2001年1月までに駆け込み出店したためである。ショッピングセンターに併設されるシネマコンプレックスは結果的に急増する形になった。

2001年1月18日にはロウズ・シネプレックス・エンターテインメント (Loews Cineplex Entertainment) が京都市二条の二条駅周辺区画整理事業用地内(現BiVi二条[脚注 8]に出店することが京都市より発表された[52]。外資系シネマコンプレックスとして5社目の参入だったが、同年2月15日に同社は日本の民事再生法にあたる連邦倒産法第11章を申請し破綻[53]。参入は実現しなかった。

アメリカで連邦倒産法第11章を申請したのはロウズ社だけではなかった。アメリカでは1990年代にシェア獲得のためメガプレックスの出店競争が加熱した一方、年間観客数は14億人程度と横ばいであったため、採算性が悪化していた。各社とも不採算スクリーンの閉鎖を行ったが、出店の資金負担に耐えられず1999年から2001年の間に相次いで連邦倒産法第11章を申請することになった。日本でも前述の通りシネマコンプレックスが急増していたため、先行きが不安視されるようになる[11]

連邦倒産法第11章を申請した主な米興行会社
興行会社 申請日 備考
マン・シアターズ
(Mann Theatres)
1999年9月17日 後にコロラド・シネマズとカーマイク・シネマズに買収される。
カーマイク・シネマズ
(Carmike Cinemas)
2000年8月8日 再建後独自ブランドを維持。
エドワーズ・シネマズ
(Edwards Cinemas)
2000年8月28日 後にリーガル・エンタテインメント (Regal Entertainment Group) 傘下に統合。
ユナイテッド・アーティスツ・シアターズ
(United Artists Theatre Circuit)
2000年9月6日 後にリーガル・エンタテインメント傘下に統合。
ゼネラル・シネマ
(General Cinema Corporation)
2000年10月11日 後にAMCシアターズ (AMC Theatres) 傘下に統合。
ロウズ・シネプレックス・エンターテインメント
(Loews Cineplex Entertainment)
2001年2月15日 後にAMCシアターズ傘下に統合。

しかしながら、日本での急増の流れは一旦歯止めがかかる。AMCエンタテインメントはアメリカでの厳しい状況に対応するため、アメリカ国内への投資に集中させた。そのため、日本での出店は2000年7月8日に開館したAMCイクスピアリ16以降、全く行われなくなった[54]。また、2001年9月14日にマイカルが民事再生法を申請、同年11月22日には会社更生法へと申請を切り替えた。この影響での神奈川県の川崎駅北口地区第3西街区(現川崎DICE)への出店など、子会社ワーナー・マイカルの複数の出店計画が白紙撤回された。このため、これ以降約3年間、同社は移転を除き新規出店を行うことはなかった。他の各社も大規模小売店舗立地法が施行されショッピングセンターの開発が減少したため、特に郊外型の出店数は落ち着くようになった。

これら郊外型に代わり、2001年以降になると大都市のロードショー館が続々シネマコンプレックスのスタイルへ変化していくことになった。京都四条河原町では京都松竹座、SY松竹京映、京都ピカデリーが2001年11月22日に閉館し、翌日MOVIX京都が開館。東京有楽町では日本劇場、日劇東宝、日劇プラザが2002年3月2日に日劇PLEX(現TOHOシネマズ日劇)に、大阪梅田の北野劇場、梅田スカラ座、梅田劇場は2002年11月23日にナビオTOHOプレックス(現TOHOシネマズ梅田)に生まれ変わっていった。

[編集] 各地の状況

シネマコンプレックスが各地に展開していくにあたり、従来その地方で興行を行っていた企業の反発を招いたり、シネマコンプレックス間での競争が発生したりしはじめた。

青森県弘前市 
ワーナー・マイカルの進出にあたって従来館からの激しい反発があった。地元の興行団体だけでなく全国興行環境衛生同業組合連合会まで反対運動を行ったが、1994年9月23日にワーナー・マイカル・シネマズ弘前は開館した。結果的に、開館当時8館あった従来館のうち6館が1996年までに閉館するだけでなく、ワーナー・マイカルも興行的に苦戦を強いられた[5][55]。ワーナー・マイカルは開館後、青森ねぶたへ参加するなど、地域に根付くための活動を行っている。
福島県福島市 
1996年9月に福島フォーラムが1998年に進出予定のワーナー・マイカルにスクリーン数の削減を申し入れた。1997年4月にはフォーラム側は3万人以上の市民の署名も集めている。また、新聞にはフォーラムの閉館を危ぶむ声が投書されるなど、映画館同士としての問題だけでなく地元住民の反発まで招いた[56][57]分野調整法に基づき両者間の調整が行われたが、福島フォーラムは1997年4月12日にフォーラム5、6を増設、ワーナー・マイカルは1998年3月1日にワーナー・マイカル・シネマズ福島を予定通りのスクリーン数で開館させ、物別れにおわった。しかしながら、両者とも興行的には共存している。
神奈川県横浜市 
前述の通り1996年6月29日の本牧へのシネマコンプレックスの出店はマイカル松竹が行い、マイカルは大手映画会社との摩擦を避けた。しかし、3年後の1999年9月10日、みなとみらい地区への出店はワーナー・マイカルが行った。この地域では馬車道周辺の従来館が優先的に新作配給を受けたため、ワーナー・マイカル・シネマズみなとみらいの開館時には旧作ばかりが上映される事態となった。しかし、同年12月11日にソニー・ピクチャーズが『ジャンヌ・ダルク』や『ランダム・ハーツ』を封切りと同時に配給し、これを機に同館には順次各社から新作の配給がされるようになった。なお、これらの作品を自社チェーンで上映していた松竹、東宝はソニー・ピクチャーズに対する制裁措置とも言われる数週間での打ち切りやムーブオーバーを行っている[55]
滋賀県大津市 
1996年11月2日に開館したUCIジャパンのOTSU7シネマと1998年4月23日に開館した東宝直営の浜大津アーカスシネマ(現大津アレックスシネマ)は直線距離で1.2kmしか離れていない。外資系と国内大手の初の直接対決として注目された。同地域では配給会社によってどちらの劇場に配給するかが別れた。ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ配給作品はOTSU7シネマを優先に、東宝邦画系作品は浜大津アーカスシネマを優先に配給された。結果的にそれ以外の上映権を巡って両劇場で争うことになった[58]
福岡県福岡市 
1996年4月20日にAMCエンターテインメントが九大都市ロードショー地域である福岡県福岡市にAMCキャナルシティ13(現ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13)を開館した。上映作品や料金設定など具体的な内容を開館直前まで発表せず、地元興行会社からはその手法から黒船と恐れられた[59]。これに対抗して松竹マルチプレックスシアターズが同地域に進出する報道もあった[60]が、最終的には断念した。九州東宝は同地域の映画館を再編し、東宝系初のシネマコンプレックス天神東宝を1997年3月15日に開館させている。なお、当初AMCキャナルシティ13には邦画系を中心に配給されないことが懸念されたが、結果的には配給が行われた。

当時は大津市や横浜市の例に見られるように、配給会社から配給を受ける上映権を得るために争うことが多かった。

[編集] 設備とサービスの変遷

[編集] 予約システム

シネマコンプレックスの場合、定員制をとっているため、見たい映画が完売して見られないと言うリスクが利用客にある。そのため、インターネット普及以前はワーナー・マイカルの一部などいくつかのシネマコンプレックスで電話予約が行われていた[61]。しかし、映画館側の運用が煩雑で、需要が高い繁忙期に対応しきれない問題があった。このため、1997年頃までに電話予約は廃止された[62]。代わって2002年にヴァージンシネマズがインターネットチケット販売システムVitを導入したのを皮切りに、インターネットでの販売が主流になっていった。

[編集] 座席指定

ワーナー・マイカルやAMCエンターテインメントは座席指定を行わない定員入替制を採用していた。また、一部を指定席にし一般料金より高めの料金設定をする劇場も見られた。しかし、1996年11月にUCIジャパンが開館したOTSU7シネマは全席指定制を採用した。そのため、1998年9月26日公開の『プライベート・ライアン』からワーナー・マイカルは全席指定制を部分採用する形に切り替えた。これ以降、シネマコンプレックスでは全席指定制が主流になっていった。さらに、1999年4月23日に開館したヴァージンシネマズトリアス久山はプレミアスクリーンとして座席幅を広くし、サイドテーブルのあるシートを採用した高付加価値のスクリーンを設置した。これにより単なる全席指定制では差別化が図れなくなり、各社とも特徴のあるサービスを行うようになっていった。

[編集] 2003年〜

[編集] 業界再編

2003年以降になると外資系シネマコンプレックスの撤退を引き金に業界再編がはじまる。

2003年4月4日ヴァージンシネマズ・ジャパンは、東宝に売却されTOHOシネマズになった[63]。東宝は同社系列の興行会社をこれ以降再編していく。2006年10月1日に東宝直営館をTOHOシネマズに移管し、続いて2008年3月1日に東宝東日本興行、中部東宝、東宝関西興行、九州東宝をTOHOシネマズに吸収合併させた[64]。各興行会社が運営していたTOHOプレックスをはじめとするシネマコンプレックスは、改装しTOHOシネマズのブランドに変わりつつある。また、TOHOシネマズ高槻、浜大津アーカスシネマ、鯖江シネマ7と言った地方のサイトの一部は独立系の興行会社に事業譲渡された。

2004年4月22日にはマイカルと松竹の合弁であったマイカル松竹シネマズ本牧が松竹ニューセレクトに事業譲渡されることが発表された[65]。同年4月30日以降、同サイトは改装しMOVIX本牧として運営されている。

また、2004年9月にUCIが撤退し、同社保有分のユナイテッド・シネマの株式を住友商事と角川グループに売却した。さらに、2005年にはAMCエンターテインメントが撤退をする。AMCイクスピアリ16を除いた4サイトと日本法人の日本AMCシアターズが7月1日にユナイテッド・シネマに売却された[54]。AMCイクスピアリ16は東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドと家賃を巡って係争中であったが、9月1日にそのオリエンタルランドに事業譲渡された[66]。同サイトはデジタル3D映画システムの導入などを行い、2006年3月1日に同社の直営のシネマイクスピアリとなっている。

[編集] 再度の急増

大規模小売店舗法の下での駆け込み出店が行われた影響もあり、大規模小売店舗立地法が施行された後、しばらくは郊外型シネマコンプレックスの出店ペースは落ち着いていた。前述の通り、大都市ロードショー館のシネマコンプレックス化はあったが、従来館の置き換えであるため、スクリーン全体としては微増であった。2000年に2524スクリーンだったものが2003年末までに2681スクリーンになっただけで、157スクリーンしか増えていない[9]

しかし、大規模小売店舗立地法自体が郊外型ショッピングセンターの出店を行いやすい法体系であったため、2004年以降、増加傾向に拍車がかかった。さらに、2006年にまちづくり3法が改正され、郊外型ショッピングセンター新設に抑制がかけられたため、再び駆け込み出店が行われることになった。結果的に2006年には従来館も含めると3000スクリーンを突破し、2007年には3221スクリーンとなった[9]。これは1970年頃のスクリーン数とほぼ同じである。当時の映画人口は2億5千万人程度であったが、2007年は1億6千万人足らずであり、現在は飽和状態になっているとも言われる。

[編集] 各社シネマコンプレックス

[編集] 大手中堅興行会社・映画会社系列

MOVIX倉敷

[編集] 小規模興行会社・独立系

[編集] 脚注

  1. ^ TOHOシネマズ株式会社運営のサイトの他、恵庭・東宝シネマ8を含む。
  2. ^ 新宿ピカデリー、なんばパークスシネマの2サイトを計上。
  3. ^ エクスワイジー・シネマズ蘇我のXYZerスクリーンを除く。
  4. ^ 上映1回当たりの平均入場者数を全座席数で除した割合。
  5. ^ 特別な記述がない限り開館当時のスクリーン数。
  6. ^ 施設のオープン日ではなく、施設内に映画館がオープンした日。
  7. ^ 1926年に開館した新盛座(後に新盛館に改称)を起源に1977年に2スクリーン、1985年に4スクリーン、1994年に6スクリーンと増設している。
  8. ^ この予定地は、当初松竹マルチプレックスシアターズの進出が計画されていたが、2001年にロウズ社に変更となった。なお、ロウズ社の破綻後、ヴァージンシネマズ・ジャパンに計画変更。後にヴァージンシネマズ・ジャパンが東宝に買収され、最終的には2005年にTOHOシネマズ二条が開館している。

[編集] 出典

  1. ^ 木村隆雄 「「映像産業活性化研究会」報告書にみる映画館産業の現状と将来展望」 『月刊レジャー産業資料』1998年8月号、総合ユニコム、1998年、119-123頁
  2. ^全国スクリーン数」 社団法人日本映画製作者連盟、2008年11月11日閲覧
  3. ^ 「第7回ぴあフィルムフェスティバル特別座談会」、『ぴあ』第13巻第9号、ぴあ株式会社、1984年4月、32-36頁。
  4. ^ a b 立川健次郎「1985年日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1986年2月下旬決算特別号、キネマ旬報社、1986年、122-137頁など
  5. ^ a b c d 「映画館/斜陽から成長産業へ 複合映画館時代到来で外資参入」 『週刊東洋経済』1996年4月27日-5月4日合併号、東洋経済新報社、1996年、40-41頁
  6. ^ a b 万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第3回 シネコン開発を模索する国内興行各社」 『月刊レジャー産業資料』1998年11月号、綜合ユニコム、1998年、157-166頁
  7. ^ 白川一郎 「DATA FOCUS 映画館興隆の背景」 『週刊ダイヤモンド』1998年2月28日号、ダイヤモンド社、1998年、5頁
  8. ^ 村上世彰・小川典文 『日本映画産業最前線』 角川書店、1999年、42頁 ISBN:4-04-883576-9
  9. ^ a b c過去データ一覧表」 社団法人日本映画製作者連盟、2008年11月2日閲覧
  10. ^ "東宝が横浜・桜木町のシネコン開発から撤退". バラエティ・ジャパン (2009-2-3). 2009-2-9 閲覧。
  11. ^ a b 万場栄一 「新局面を迎えたシネマコンプレックス開発 急激な開業ラッシュで早くも“飽和期”か」 『月刊レジャー産業資料』2001年3月号、綜合ユニコム、2001年、103-112頁
  12. ^ 伊藤雄介「シネマコンプレックスの現状と課題〜転換期にさしかかったシネコン経営〜」 (PDF) 、『三井トラスト・ホールディングス 調査レポート』2007年夏 No.58、三井トラスト・ホールディングス、2007年、29-37頁、2008-11-27 閲覧。
  13. ^ユナイテッド・シネマとの映画興行事業提携について」 東急レクリエーション、2007年4月9日
  14. ^ティ・ジョイ、東レク、UC、WMのシネコン4社が提携」 文化通信.com、2007年12月21日
  15. ^ "シックスワンダフリー" (日本語). ワーナー・マイカル (2008-12-26). 2009-06-25 閲覧。
  16. ^ a b 浅田和幸 「特集 激戦、シネコンの地方展開 年内に1000スクリーン突破、総数の4割へ 大都市・中心市街地型立地も」 『日経地域情報』2000年11月6日354号、日経産業消費研究所、2000年、1-12頁
  17. ^ a b 田邊豊 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 最終回 映画館産業の展望と既存館の行方」 『月刊レジャー産業資料』1998年12月号、綜合ユニコム、1998年、161-165頁
  18. ^ 山下博樹 野口麻美 「近畿地方における映画館の立地変化とその影響 -中心市街地衰退化の一断面として-」 『地域学論集』第2巻、第1号、鳥取大学地域学部、2005年、29-39頁
  19. ^ 山本マーク豪 『ポップコーンはいかがですか?』 新潮社、2003年、115-116頁 ISBN:4-10-464301-7
  20. ^TOHOシネマズ高槻、営業権譲渡の理由」 文化通信.com、2007年6月4日
  21. ^ "国内初、シネコン閉館へ" (日本語). バラエティ・ジャパン (2007-12-10). 2008年11月11日 閲覧。
  22. ^ "映画祭とは?". 海老名商工会議所 (2008-7-22). 2008年11月26日 閲覧。
  23. ^ 「街にシネコンできるの? 鴻巣駅前再開発の娯楽施設ビル」 『埼玉新聞』(県北・県西版)2008年3月14日付朝刊、第14面
  24. ^ a b 「キネカ大森開館時の広告」、『ぴあ』第13巻第7号、ぴあ株式会社、1984年3月、38頁。
  25. ^ 「映画・演劇」欄 『中部日本新聞』(市民版)1955年12月23日付朝刊、第4面
  26. ^ 柴田勝 『中京名古屋映画興行の変遷(明治三十年より昭和四十九年迄)』 1974年
  27. ^ 「ハマは"映画館ブーム" 県下の半数を独占」 『神奈川新聞』1956年3月27日付朝刊、第5面など
  28. ^沿革」 相鉄ローゼン、2008年11月1日閲覧
  29. ^ a b 「広告 小牧シネマ映画案内 7月11日3館同時オープン」 『中日新聞』(尾張版)1981年7月8日付朝刊、第15面
  30. ^施設紹介」(携帯電話向け) コロナグループ、2008年11月23日閲覧より引用
  31. ^キネカ大森」 港町キネマ通り、2001年10月
  32. ^ラ チッタデッラ【川崎】 〜 ラ チッタデッラのヒストリー」 チッタエンタテイメント、2008年11月1日閲覧
  33. ^ a b 福島一三、小泉直久 「ららぽーと2 変貌するショッピングセンター」 『新建築』1988年7月号、新建築社、1988年、225-229頁
  34. ^ 1997年の改装まで「小牧シネマ1〜3」「小牧ロマン」「小牧コロナ1〜3」等の名称で運営されていた。 「映画・演劇」欄 『中日新聞』(市民版)1997年1月19日付朝刊、第22面
  35. ^ 1997年の改装時に入替制を導入。 「映画・演劇」欄 『中日新聞』(市民版)1997年7月12日付朝刊、第20面
  36. ^ 「愛知県・コロナグループ大塚定光社長インタビュー 企業は活火山。人はその炎火をつくる」 『AVジャーナル』1995年7月号、文化通信社、1995年、22-27頁
  37. ^ 「日伊映画人迎え前夜祭 チネチッタきょう開館」 『神奈川新聞』1987年7月25日付朝刊、第18面
  38. ^ 「「チネチッタ川崎」オープン 1000人が詰め駆け早速、名画を鑑賞」 『神奈川新聞』1987年7月26日付朝刊、第19面
  39. ^ 2002年11月23日の改装時に入替制を導入した。「インフォメーション」 チネチッタ、2002年11月19日
  40. ^ 川崎市市民局広報課 『市民グラフ「ひろば」46号 1996年特別号』 神奈川新聞社出版局、1996年、6頁
  41. ^ a b 万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第1回 積極展開をみせる外資系企業」 『月刊レジャー産業資料』1998年9月号、綜合ユニコム、1998年、121-127頁
  42. ^ 川端康男、斉藤守彦 「1990年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1991年2月下旬号、キネマ旬報社、1991年、139-154頁
  43. ^ 川端康男、久保田弘明、竹入栄二郎、村野健一郎 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1993年2月下旬号、キネマ旬報社、1993年、151-166頁
  44. ^ 川端康男、中川聡 「1993年度日本映画・外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」 『キネマ旬報』1994年2月下旬号、キネマ旬報社、1994年、139-154頁
  45. ^ 篠崎彰彦 「外資系企業の参入で変わる日本の消費市場 対日直接投資の現状と外資系企業のもたらすインパクト」 『月刊レジャー産業資料』1997年7月号、綜合ユニコム、1997年、45-57頁
  46. ^ 「アメリカ型ショッピング・センター その沿革・本質・問題点について」 『調査月報』昭和46年2・3月、日本長期信用銀行調査部、1971年、1-44頁
  47. ^ Ross, Peter (2008-11-14). "Studio 28 closing November 23rd" (英語). wzzm13.com. 2008年11月18日 閲覧。
  48. ^ 鈴木啓代 「財界レポート ヴァージングループなど外資系が続々参入するシネマコンプレックスの急成長」 『財界』1998年10月13日号、財界研究所、1998年、49-51頁
  49. ^ 宇田川日出雄 「松竹・マイカル複合映画館の挑戦」 『週刊東洋経済』1996年7月27日号、東洋経済新報社、1996年、53頁
  50. ^ 「記者の耳 大店立地法を逆手に自治体を巻きこんで駅前を再開発」 『週刊ダイヤモンド』1998年9月12日号、ダイヤモンド社、1998年、18頁
  51. ^ 山本マーク豪 『ポップコーンはいかがですか?』 新潮社、2003年、165-167,208-209頁 ISBN:4-10-464301-7
  52. ^ 「二条駅地区シネコン ざん新外観地域象徴に 米興行大手日本に初進出」 『京都新聞』2001年1月18日付夕刊、第7版、第1面
  53. ^ 「京シネコン運営予定 米映画興行会社が破産」 『京都新聞』2001年1月16日付夕刊、第7版、第1面
  54. ^ a b 「話題の焦点 ユナイテッドC、AMCを買収へ 住商・角川で30サイト実現にメド」、『AVジャーナル』第45巻第7号、文化通信社、2005年7月、6-7頁。
  55. ^ a b 掛尾良夫 「短期集中連載 映画興行は面白い 第2回 シネコン篇」 『キネマ旬報』2000年7月上旬号、キネマ旬報社、2000年、152-155頁
  56. ^ 「ふれあいサロン モズと映画館」 『福島民報』(県北版)1997年4月4日付朝刊、第17面
  57. ^ 「県都の映画の灯消させない フォーラム新館きょうオープン」 『福島民報』(福島版)1997年4月12日付朝刊、第16面
  58. ^ 万場栄一 「台頭するシネマコンプレックスと映画館産業の行方 第2回 邦画大手3社のシネコンも始動」 『月刊レジャー産業資料』1998年10月号、綜合ユニコム、1998年、137-141頁
  59. ^ 「ドラマチックシティ 変わる福博7 黒船見ゆ 外資に揺れる映画街」 『西日本新聞』1996年4月10日付朝刊、第27面
  60. ^ 「福岡舞台に日米映画決戦 松竹が複合娯楽施設」 『西日本新聞』1996年4月10日付朝刊、第1面
  61. ^ 当時の広告に電話予約を行っている旨が確認出来る。「広告 「ワーナー・マイカル・シネマズ7・海老名」がオープン!」 『神奈川新聞』1993年4月23日付朝刊、第19面
  62. ^ 1997年頃まで弘前や茅ヶ崎では電話予約を行っている旨の記述が確認出来る。劇場案内 ワーナー・マイカル・シネマズ弘前 - インターネット・アーカイブ劇場案内 ワーナー・マイカル・シネマズ茅ヶ崎 - インターネット・アーカイブ
  63. ^ "東宝・ヴァージン共同記者会見(要旨)" (日本語). 東宝株式会社 (2003-2-26). 2008年12月10日 閲覧。
  64. ^ "連結子会社の吸収合併と会社分割に関するお知らせPDF" (日本語). 東宝株式会社 (2007-9-25). 2008年12月10日 閲覧。
  65. ^ "新会社「株式会社 松竹ニューセレクト」設立、及び「MOVIX本牧」営業開始" (日本語). 松竹株式会社 (2004-4-22). 2008年12月10日 閲覧。
  66. ^ 「映像最前線 オリエンタルランド、シネコンに興味津々まずAMCを直営化、新規出店の可能性も」、『AVジャーナル』第45巻第10号、文化通信社、2005年10月、23 頁。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク