豊橋市

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とよはしし
豊橋市
Flag of Toyohashi, Aichi.svg
豊橋市旗
Symbol of Toyohashi Aichi.svg
豊橋市章
1963年昭和38年)7月1日制定
1909年明治42年)6月6日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23201-7
面積 261.35km²
総人口 373,263
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 1,430人/km²
隣接自治体 豊川市新城市田原市
静岡県浜松市湖西市
市の木 くすのき
市の花 つつじ
市の歌 豊橋市歌、躍進
豊橋音頭、ちぎり音頭
豊橋市役所
所在地 440-8501
愛知県豊橋市今橋町1番地
北緯34度46分9秒東経137度23分29.5秒座標: 北緯34度46分9秒 東経137度23分29.5秒
豊橋市役所
外部リンク 豊橋市 公式サイト (日本語)

豊橋市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市東三河地区の中心都市であり、同地区の人口の約半数を占める。中核市に指定されている。

目次

概要[編集]

中世から江戸時代まで市の中心部は吉田(よしだ)と呼ばれていた(吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった)。

吉田は豊川朝倉川の合流地点であり、渥美郡宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩城下町吉田宿宿場町豊川水運で栄えた湊町であった。明治2年6月(1869年)の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。

市徽章は、江戸時代末、吉田城に8代君臨した長沢・松平大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた馬印を横から見た形の千切(ちぎり)である。

市民は、「豊橋」を「とはし」と発音することが多い。またしばしば音が落ちて、「とあし」と発音されることもある。

東三河の人口の過半数を占める中核市であり、国勢調査推計人口2013年9月1日現在愛知県第4位。2013年(平成25年)9月1日に発表した外国人登録人口は1万4108人。昼夜間人口比率は99.6%と100%を切っている。

三河港と豊川用水を擁し、貿易港と農業を主軸とする。16世紀の今橋城(のち吉田城と改称)建築以来、東三河の中心に台頭し、江戸時代は特に、三州吉田藩の城下町、東海道53次の吉田宿・二川宿があり、幕末には7万石と岡崎藩・西尾藩を超え、旧三河国内では最大の勢力であったもよう。

市名の由来[編集]

吉田と今橋[編集]

伊勢神宮の神領の一覧表である神鳳鈔に、吉田御園と記載があり、神宮雑書にも、建久3神領注文、外宮領、承平年間宣下、長寛1免租。神宮雑書・建久3神領注文 = 吉田御園、外 = 給主故少納言重綱(藤原ヵ)所由 = 件御園、雑(新ヵ)神戸内往古神領也、承平以後官符宣旨重畳之上、長寛元年重被下奉免宣旨也 = 供祭物、上分米3石、雑用料17石、件上分米近年不究済之・神鳳鈔 = 吉田御園 = 外宮上分3石菓子、雑用20石・諸国御厨御園帳 = 吉田御園 = 3石、菓子、栗6篭。このことから、平安時代には、吉田の地名が確認できる。

今橋の初見は、応永5年11月21日の足利義満御判御教書の今橋御厨である。

牧野氏による吉田城築城のくだり(牛窪記)や、天文年中の牧野氏・今川氏の書状に見え、今橋跡職、名字之知にて御座候間、という今川氏への訴状。藩翰譜の牧野氏の項目に、今橋城が吉田城と改名されたという解説。天文年中の今川氏の書状で三州吉田という用語が見え、今橋が使用されなくなっている事実などから、牧野氏が治めていた時代には今橋が使用されていたが、今川氏が直轄支配の時代になると、吉田がもっぱら使われ、今橋は使用されなくなる。

徳川家の史料である三河物語や家忠日記では一貫して吉田となっており、伊勢神宮の史料でも吉田御園であり、今川氏による三河国領土化・吉田城の取得以後、一貫して吉田と呼称され、今橋が廃号となっていることなどからも、今橋が吉田に改称されたとは言い切れないだろう。

遊囊賸記には、今橋ハ渡津ノ今道ヘカケタル故ノ名ナルベシ、という記述があり、東関紀行の文中にある、渡津の今道、という文言に今橋は由来するという。

明治維新により豊橋と改名[編集]

前述の通り明治新政府は当時の三河国吉田藩の藩名が伊予国吉田藩(宇和島藩の支藩)(旧愛媛県北宇和郡吉田町、現愛媛県宇和島市)に似て紛らわしいとのことで藩名変更の命を下した。その命を受け藩主は「豊橋、関屋、今橋」の3つの名を選んだ。新政府はその一番目の「豊橋」を採用して、正式に「豊橋藩」という藩名とすることを命じた。その後廃藩置県の後も豊橋の名が使われる。

豊橋(とよばし:吉田大橋)[編集]

『三州吉田記』の記述にあるように、酒井忠次の吉田川(豊川)への架橋以前に、橋は存在しておらず、鎌倉時代の史書(『東関紀行』・『海道記』・阿仏尼の『うたたねの記』および『十六夜日記』)にも、川の浅瀬を渡っていることが記述されている。 徳川氏の武将の酒井忠次が、1570年元亀元年)、関屋口から下地にかけて吉田川(豊川)に吉田大橋(土橋)を架ける土木工事を実施した。その後、池田輝政が、船町を整備し前城主・酒井忠次が吉田川に架けた土橋の吉田大橋を木橋に架け替え、その位置も整備した下流の船町に移動させた。『三州吉田記』に「元亀元年、関屋之渡口始メテ土橋ヲ架ス」とあり、1591年天正19年)にこの土橋を船町へ移すと記す。江戸時代には、江戸幕府が整備、管理する長さ120間の大橋であった。

この船町の吉田大橋(吉田橋)は、明治時代に架け替えた時、とよばし(豊橋:濁音)と名称を変更した。さらに、昭和に入ってから国道1号を整備した際、その上流(関屋口から下地)に新たに掛けられた橋を、以前の船町で呼称していた吉田大橋(よしだおおはし)と、再び名付けた。この国道整備により、かつての東海道は愛知県道496号白鳥豊橋線として県道になり、正式にはもともと架かっていた県道の大橋(西側の橋)の名を豊橋(とよばし)とするようになった。

豊川(とよかわ)・豊川(とよがわ)の違い[編集]

混同して記載される資料も多いため、以下詳細に記す。

豊川(とよわ)というのは、古代律令制の三河国宝飯郡豊川郷から由来する。平城宮出土木簡に「参河国寶飯郡豊川郷」。長岡京出土木簡に、「延暦10年豊川里」。鎌倉時代になって、鎌倉街道が整備されると、豊川宿として機能した。鎌倉時代の史書では、『海道記』に豊河の宿。『東関紀行』に「豊川といふ宿」。と記載される。そして、現在の愛知県豊川市に至る。

豊川(とよわ)は、古代律令制では飽海川(あくみがわ)と呼んだ。この飽海(あくみ)というのは、渥美郡のことで、7世紀までは、飽海(あくみ)と書いたことが835年承和5年)の木簡(太政官符)から確認されている。その後、中世になって、室町時代から江戸時代まで吉田川と呼称したことが『三河国聞書』から確認できる。1622年元和8年)成立の『三河物語』においても、吉田河と記載されている。1849年嘉永2年)の『徳川実紀』においても、吉田川と記載されている。愛知県図書館所蔵の江戸後期の三河国図においても、吉田川と記載されている。

中世から江戸時代まで、豊橋は吉田(三州吉田)と呼ばれていた。明治2年6月の版籍奉還で、吉田を豊橋と改めた。明治2年9月に成立した伊那県足助庁作成の三河国全図に、豊川(とよがわ)と記載されている。

※地名の変遷と共に、川の呼称が変化していることがわかる。

※なお、古代から豊川(とよがわ)と呼ばれていたと主張する資料は、すべて明治以降のものであり、注意が必要である。(上記の史料から、律令制の大和朝廷は、飽海川。江戸幕府は、吉田川。と間違いなく呼称している。)

地理[編集]

豊橋市中心部周辺の空中写真。市街地の北部を豊川が曲流する。1988年撮影の37枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

愛知県の南東部に位置している。渥美半島の付け根部分であり、豊橋平野の上に市域が広がっており、高い山はほとんどない(主な山は北東部の石巻山(358メートル)など)。南部は高師原、天伯原と呼ばれる台地となっている。市内を、豊川梅田川などが流れ、北東部は低い山々(弓張山地)が存在し、静岡県との境界を形成している。市西部の豊川、梅田川河口は三河湾と、市南部沿岸は太平洋と接している。

太平洋岸は片浜十三里(表浜海岸)と呼ばれ、ウミガメの産卵で知られる。三河湾と接する地域は大規模な埋め立て地があり、工業地の他、神野新田など穀倉地帯となっている

中心部を東海道が横断し、吉田宿二川宿など古くから城下町、宿場町として栄えた。現代でも東海道沿いに中心部を国道1号JR東海東海道新幹線東海道本線名古屋鉄道名古屋本線が通っている。三河湾岸の三河港は、自動車や貨物などの輸出入の重要拠点となっている。

気候は年間を通じて比較的温暖であり冬季の降雪、積雪はほとんどない。

隣接している自治体・行政区[編集]

愛知県

静岡県

人口[編集]

Demography23201.svg
豊橋市と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊橋市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊橋市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
豊橋市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 258,547人
1975年 284,585人
1980年 304,273人
1985年 322,142人
1990年 337,982人
1995年 352,982人
2000年 364,856人
2005年 372,479人
2010年 376,861人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

原始時代から弥生時代まで[編集]

瓜郷遺跡

縄文時代の遺跡として嵩山(すせ)の蛇穴遺跡など数件が、弥生時代の遺跡として瓜郷遺跡がある。市域に流れる川の流域には4世紀から7世紀頃の古墳(円墳、前方後円墳)も多く発見されている。なお、豊橋市牛川町で1957年と1959年に約十万年前のものとされる人骨が発見され、牛川原人(牛川人)として紹介されていたが、2001年にお茶の水女子大学の教授である松浦秀治がその骨をフッ素年代測定法で調査したところ、ナウマンゾウのすねの骨という結果が出た。そのため人骨である可能性は低いとされる。

奈良時代から鎌倉時代まで[編集]

律令制(国郡制)の下で、三河国渥美郡宝飯郡八名郡に属したとされる。律令制の下で班田制が敷かれていたとされる遺跡が、嵩山や賀茂などで見つかっている。また、初期の東海道が設置され、飽海川(あくみがわ、現在の豊川)河口には渡し場が置かれた。これは飽海川の渡しと呼ばれ、後に志香須賀(しかすが)の渡しとして『枕草子』の「渡は」の段などでも言及されており、よく知られている。飽海川はその後、吉田川に改称され、明治以降に豊川に改称された。「豊川」とは、現在の豊川市にあった古代集落・宝飯郡豊川郷を指す。

室町時代から安土桃山時代まで[編集]

現在の豊橋市域内の在地有力勢力は、八名郡石巻の西郷氏岡崎三河守護代西郷氏と同族)のみ[要出典]。しかしながら、交通の要衝のこの地に目を付けた戸田全久(宗光)が二連木城(豊橋市仁連木町)を築城(1493年)、その後、西方の至近距離に、牛窪城(豊川市)の牧野古白(成時)が今橋城(豊橋市今橋町)を築城した(1505年)。

また、この当時、東三河に今川氏の影響力が及んでおり、北条早雲を総大将とする今川軍が、三河国に侵攻したが、松平長親の前に敗北している。

やがて、西三河をまとめた松平清康が東三河に侵攻、吉田城に篭る牧野信成、宇利城に篭る熊谷氏が防戦したが、他の東三河の勢力も清康に降参し、ここに初めて、松平家による三河国統一が実現される。

しかしながら、森山崩れによって松平清康が横死したため、三河国は大混乱に陥り、東から今川義元、西から織田信秀が侵攻し、三河国は近隣国の植民地化する。松平氏は、今川氏の傘下となる。

復元された吉田城の鉄櫓

1560年永禄3年)桶狭間の戦い今川義元織田信長に討たれると、徳川家康は岡崎城に入城し、今川氏真を見限って独立を宣言。1565年(永禄8年)3月に吉田城が開城し、所属の今川軍と主将小原鎮実は遠江国に撤退した。家康は、重臣の酒井忠次を吉田城に入城させ、東三河の旗頭となした。そして、翌1566年(永禄9年)5月には牛久保城(豊川市)に残存勢力を結集していた牧野氏などの土豪なども家康の降伏の勧めに応じて、三河国は家康によりほぼ統一された。

1590年天正18年)、徳川家康が駿府から江戸に遷ると、池田輝政が吉田城主(15万2千石)となり、城の拡張や城下町の形成、吉田川(豊川)への吉田大橋(現在の豊橋)の建設(酒井忠次による土橋から木橋へ)などが行われた。

江戸時代[編集]

関ヶ原の戦いの後、江戸時代に入ると、吉田藩が設置され、3万石から8万石程度の譜代大名が治めた。吉田は城下町、湊町(吉田湊)、宿場町吉田宿)として栄え、二川(豊橋市二川町、大岩町)も二川宿として栄えた。海道の脇街道として姫街道八名郡嵩山(すせ)に嵩山宿が置かれた。吉田大橋(豊橋)は東海道におけるその重要性から、江戸幕府直轄の橋として管理された。 1752年には、藩主松平信復により吉田城内に藩校時習館が置かれた。

幕末慶応3年7月27日1867年8月)、牟呂村(現豊橋市牟呂町)で伊勢神宮のお札が降ったといわれる。江戸時代、最後の藩主は、大河内長沢松平家大河内信古である。そのため、今の市役所の徽章が大河内長沢松平家の徽章になっている。

明治から現在まで[編集]

広小路通

版籍奉還直後の明治2年6月(1869年)、吉田は豊橋と改名された。明治4年7月(1871年)、廃藩置県により豊橋県となり、11月には額田県、明治5年(1872年)に愛知県に統合された。大区小区制が施行され、豊橋は第十五大区として管理され、愛知県の豊橋支庁が置かれた。1878年(明治11年)制定の郡区町村編制法により町村が置かれ渥美郡豊橋町となり、1889年(明治22年)に郡制及び町村制を施行し、1906年(明治39年)には豊岡村花田村を合併し市制を施行した。1932年(昭和7年)に、下地町、高師村、牟呂吉田村、下川村、石巻村多米を編入した。

1888年(明治21年)に東海道線が開通し豊橋駅が開業した。渥美線1924年(大正13年)に高師 - 豊島間の開業後、1925年(大正14年)までに三河田原まで開業した。路面電車豊橋鉄道東田本線)は1925年に開業した。1931年(昭和6年)、豊橋初の百貨店として豊橋丸物(広小路通。1950年(昭和25年)に駅前大通に移転、1973年(昭和48年)に西武との提携で豊橋西武となる)、豊橋市公会堂(八町通)が竣工した。

明治4年8月(1871年)、吉田城趾に名古屋鎮台が置かれた後、1885年(明治18年)には陸軍歩兵第十八連隊が置かれたほか、1908年(明治41年)から1925年(大正14年)までは高師原に陸軍第15師団が置かれるなど軍都として繁栄した。また明治から昭和の初めまでは養蚕業、製糸業が非常に盛んであった。太平洋戦争の最中には、1944年(昭和19年)12月7日東南海地震と、1945年(昭和20年)6月20日B29、136機による空襲(豊橋空襲)によって、市街地の7割が焼失した。

終戦後、将来の発展を見越し市街地の大規模な土地区画整理戦災復興都市計画が実施されている。 又食料対策として高師原、天伯原の開墾と神野新田等の自作農化が行われた。一方で、日本紡績(現・ユニチカ)を始めとした工場誘致活動を積極的に行い、郊外に工場が建てられていった。農工業の発展で新たな水源が求められていた中、1968年(昭和43年)には豊川用水が完成し農業・工業の発展に特に寄与した。

1970年代から30年にもわたって、全国の都市の中で農業粗生産額第1位を続けた。1959年(昭和34年)に完成した豊橋港(現在は三河港の一角)は、三河港の中心として発展した。1980年代以降、市街地の郊外化が進んだ。1999年(平成11年)、中核市に指定された。

年表(明治維新以後)[編集]

行政[編集]

展示施設「カモメリア」のトヨッキー
  • キャッチコピーは、「ええじゃないか豊橋」[1]


歴代市長[編集]

1906年(明治39年)8月1日市成立[3]

氏名 就任 退任
1 大口喜六 1907年1月7日 1912年1月10日
2 高橋小十郎 1912年2月12日 1913年3月8日
3 柳原弁吾 1913年8月29日 1914年3月28日
4 大口喜六 1914年4月27日 1916年2月20日
5-6 細谷忠男 1917年1月18日 1923年8月20日
7 吉川一太郎 1924年6月10日 1925年12月8日
8 田部井勝蔵 1926年8月5日 1930年8月4日
9 丸茂藤平 1930年8月30日 1934年8月29日
10 神戸小三郎 1934年9月3日 1938年7月7日
11 大口喜六 1938年9月17日 1940年12月10日
12 近藤寿市郎 1941年4月18日 1945年4月17日
13 水野保 1945年5月6日 1946年1月29日
14 横田忍 1946年3月29日 1947年4月4日
15-16 大竹藤知 1947年4月5日 1952年6月28日
17-18 大野佐長 1952年7月28日 1960年6月30日
19-22 河合陸郎 1960年7月1日 1975年3月26日
23-24 青木茂 1975年4月30日 1983年4月26日
25-28 高橋アキラ 1983年4月27日 1996年10月2日
29-31 早川勝 1996年11月17日 2008年11月16日
32-33 佐原光一 2008年11月17日 現職

財政[編集]

2014年度(平成26年度)当初予算[4]

一般会計 1,258億5,000万円 (前年度対比4.7%増)
特別会計 781億7,900万円 (前年度対比4.1%増)
企業会計 564億3,700万円 (前年度対比14.8%増)
全会計 2,604億6,600万円 (前年度対比6.6%増)

政治[編集]

市政[編集]

豊橋市役所 〒440-8501 豊橋市今橋町1番地

市議会[編集]

市議会議員の定数は36人。定例議会は3月、6月、9月、12月に開催される。

市議会の構成[編集]

議会を構成する委員会は大きく3つに区分される。4つの常任委員会はそれぞれ9名ずつ所属する。

  • 常任委員会(36名)
    • 総務委員会(9名)
    • 環境経済委員会(9名)
    • 福祉教育委員会(9名)
    • 建設消防委員会(9名)
  • 議会運営委員会(10名)
  • 特別委員会
    • 予算特別委員会
    • 一般会計予算特別委員会
    • 決算特別委員会
    • その他特定目的の委員会

消防[編集]

消防組織法に基づき、消防機関(消防本部消防団)が置かれる。

消防署[編集]
  • 豊橋市消防本部(豊橋市役所内)イメージキャラクター「ヒケッシー」(恐竜)。豊橋市消防長以下、消防吏員を置く。
    • 中消防署 豊橋市東松山町23番地
      • 東分署
      • 前芝出張所
      • 石巻出張所
    • 南消防署 豊橋市曙町字南松原118番地
      • 西分署
      • 二川出張所
      • 大清水出張所
消防団[編集]
  • 頂点に消防団長(1人)が置かれる。
  • 消防副団長は8人で、第一から第八方面隊の各方面隊の隊長を兼任する。各方面隊は2人の副隊長(分団長格)を置く。
  • 小学校の校区を基本として、分団を置く。分団長、副分団長、部長、班長、団員

県政[編集]

県政の豊橋市における拠点[編集]

愛知県議会議員[編集]

豊橋市から選出される愛知県議会議員の定数は5人である。

警察[編集]

愛知県警察本部愛知県警)の管轄の警察署である。

国政[編集]

小選挙区は愛知15区にあたる。

司法[編集]

裁判所[編集]

3つの裁判所が同じ庁舎に存在する。所在地は豊橋市大国町110番地。地方裁判所と家庭裁判所の豊橋支部の管轄範囲は、豊橋市、豊川市蒲郡市新城市田原市北設楽郡である。また簡易裁判所の管轄は豊橋市、豊川市、蒲郡市、田原市である。

検察庁[編集]

検察庁はすべて豊橋市大国町111番地の「豊橋合同庁舎」の最上階である。

弁護士会[編集]

愛知県弁護士会東三河支部 (会館所在地、豊橋市大国町83番地)

刑務所[編集]

名古屋刑務所豊橋支所が今橋町に置かれている。

経済[編集]

かつては、製糸・紡績業が盛んで、戦前の製糸生産量は全国一であった。

キャベツ白菜などの野菜の生産が盛んであり、農業産出額は約500億円に上り、隣接する田原市に次いで県内第2位、全国でも5番目となる。(農林水産統計、平成17年ちくわや寒天ゼリーといった加工食品も多く生産されている。[5]

市下に本社を置く主な企業[編集]

商業施設[編集]

駅前大通
豊橋駅周辺
向山町、柳生橋駅周辺
藤沢町、橋良町
神野新田町
野依町、大清水駅周辺
飯村町、大岩町


工業施設[編集]

三河港明海付近の工業施設に関しては、明海町を参照。

港湾[編集]

豊橋を中心とした三河港は国内屈指の国際貿易港である。特に自動車の輸出入は金額・台数とも全国第一位であり、ドイツブレーマーハーフェン港と並ぶ自動車輸出入港である。

取り扱われている自動車メーカー[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

海外[編集]

在住外国人[編集]

三河港や、近隣の豊田から浜松にかけて、自動車産業を中心に労働力の需要が高いため、ブラジルを初めとした南米系の外国人労働者が増え、2007年(平成19年)5月1日現在の豊橋市における外国人登録者数は19,376人にのぼる。愛知県内では、名古屋市(約6万)に次いで外国人が多い。人口に占める外国人比率は、5%に達する。

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

国立
私立

専修学校[編集]

高等学校[編集]

愛知県立
豊橋市立
私立

中学校[編集]

豊橋市立


私立

小学校[編集]

豊橋市立


幼稚園[編集]

私立

(愛知県私立幼稚園連盟加盟の園のみ記載) 豊橋市に市立幼稚園はない。

  • 曙幼稚園
  • 牛川育英幼稚園
  • 恵日幼稚園
  • 大清水幼稚園
  • 希望が丘幼稚園
  • 悟真寺幼稚園
  • こばと幼稚園
  • 仔羊幼稚園
  • 寿泉寺幼稚園
  • 寿泉寺いずみ幼稚園
  • 寿泉寺みゆき幼稚園
  • たかくら幼稚園
  • 高師台幼稚園
  • 高洲若葉幼稚園
  • 豊岡幼稚園
  • 豊橋旭幼稚園
  • 豊橋才能教育幼稚園
  • 豊橋中央幼稚園
  • 豊橋若葉幼稚園
  • にじの森幼稚園
  • 花園幼稚園
  • 光幼稚園
  • 富士見幼稚園
  • 富士見台幼稚園
  • 二川幼稚園
  • 不動院幼稚園
  • むさしの幼稚園
  • ゆめの子幼稚園


特別支援学校[編集]

各種学校[編集]

学校教育以外の施設[編集]

児童福祉施設(保育所)[編集]

豊橋市立
  • 牛川東保育園
  • くるみ保育園
  • こじか保育園
  • 新吉保育園
  • 津田保育園
私立

(平成19年4月1日現在の認可保育所のみ掲載)

  • 飽海保育園
  • あしはら保育園
  • 石巻保育園
  • 磯辺保育園
  • 岩田保育園
  • 岩西保育園
  • 植田保育園
  • 牛川保育園
  • 円通寺保育園
  • 塩満保育園
  • 老津保育園
  • 往完保育園
  • 大崎保育園
  • 大村保育園
  • 春日保育園
  • 賀茂保育園
  • こまどり保育園
  • 三郷保育園
  • 三宝保育園
  • 正林寺保育園
  • 昭和保育園
  • 下条保育園
  • 杉山保育園
  • 嵩山保育園
  • 高師東保育園
  • 高塚保育園
  • 谷川保育園
  • 玉川保育園
  • 長栄保育園
  • 天伯保育園
  • 東部保育園
  • 豊南保育園
  • 豊橋ひまわり保育園
  • 野依保育園
  • 柱保育園
  • 羽田保育園
  • 花ヶ崎保育園
  • 東観音寺保育園
  • 東山保育園
  • ひばり保育園
  • 福岡保育園
  • 二川東保育園
  • 吉田方保育園
  • 吉田方西保育園
  • 前芝保育園
  • 松葉保育園
  • みどり保育園
  • 緑ヶ丘保育園
  • 向山保育園
  • 明照保育園


指定保育士養成施設[編集]

  • 愛知県立保育大学校(平成12年度で閉校)

主な施設[編集]

豊橋市美術博物館
豊橋市公会堂
豊橋市地下資源館
豊橋市二川宿本陣資料館

博物館[編集]

動・植物園[編集]

文化施設[編集]

医療・福祉・保健衛生施設[編集]

保健所保健センター

災害拠点病院

スポーツ施設[編集]

マスメディア[編集]

豊橋に拠点を置くマスメディアは、FM局1社、ケーブルテレビ局1社、新聞社2社である。なお、名古屋に本社のあるメディアの中日新聞社東海テレビ放送CBCテレビ名古屋テレビ放送中京テレビ放送東海ラジオ放送(一度撤退したが、2011年頃に再び「三河支局」の名で設置した)及びNHKは市内~三河地域の取材・営業拠点等の業務のため、支社・支局を置いている。なおその他の新聞社(朝日新聞社毎日新聞社読売新聞中部支社日刊工業新聞社静岡新聞社静岡放送)も置いているところがある。

かつてはCBCラジオが豊橋放送局内に設置した「向山スタジオ」から独自放送を行っていたが、2001年(平成13年)3月にスタジオを閉鎖した。また、東海ラジオも2000年(平成12年)頃まで豊橋放送局独自の番組を放送していた。

テレビ放送[編集]

「本宮山」(岡崎市)の山頂に豊橋中継局が設置されている。

ラジオ放送[編集]

AM放送
  • NHK名古屋第1 豊橋 1161kHz/名古屋 729kHz
  • NHK名古屋第2 豊橋 1359kHz/名古屋 909kHz
  • CBCラジオ 豊橋 1485kHz/名古屋 1053kHz
  • 東海ラジオ 豊橋 864kHz/名古屋 1332kHz
FM放送(県域局及び外国語放送)
FM放送(コミュニティFM局)
豊橋市藤沢町のホリデイ・スクエア内に本社兼スタジオを構え、ホリデイタワーに送信所を設置し放送を行っている。

ケーブルテレビ局[編集]

豊橋市小畷(こなわて)町596番地を拠点とする。

新聞社[編集]

他の県内各市町村同様中日新聞が多数を占めている。次いで朝日新聞読売新聞毎日新聞などが続く。地元紙の東愛知新聞東海日日新聞は1万部以下と極めて苦戦している。なお静岡県と隣接する地域なので、静岡県の地方紙である静岡新聞も購読可能である。

交通[編集]

東西の幹線として東海道本線国道1号が通り、南北の連絡線として飯田線国道151号などが通る。このため、三遠信における交通の要衝ともなっている。

鉄道[編集]

豊橋中心部を走る路面電車

概説[編集]

鉄道事業法上の鉄道駅として中心となる豊橋駅は花田町にあり、全国初の民衆駅である。 市内の鉄道は、東海旅客鉄道(JR東海)名古屋鉄道(名鉄)豊橋鉄道の三社によって運営されている。

東海道新幹線が停車し、市内及び、周辺都市への玄関口となっている。 飯田方面にはJR東海飯田線が、田原方面には豊橋鉄道渥美線が伸びている。市内には豊橋鉄道路面電車東田本線)(軌道法適用の併用軌道)が走っており、旧吉田城下(豊橋公園前停留場市役所前停留場)と豊橋駅新豊橋駅ができたかつての渥美郡花田村駅前停留場)を結んで市民の足として親しまれている。

鉄道網一覧[編集]

豊橋駅前

路線バス[編集]

道路[編集]

国道1号・国道23号(蒲郡街道)・国道259号(田原街道)が交わる西八町交差点
豊橋市道路元標

市街地を縦断する国道1号、市街地を避けて通る地域高規格道路国道23号名豊道路の一部である豊橋バイパス豊橋東バイパスが、自動車交通の中心となっている。 バイパス開通前までは、中心部では交通量が多く全て平面交差であるため、慢性的な渋滞が発生していた。特に、西八町交差点では国道1号国道23号(蒲郡街道)、国道259号(田原街道)が交わるため渋滞が発生しやすく、周辺道路にも影響を与えていた。 バイパスは田園地帯を貫くように建設され、豊橋東バイパス東細谷IC -豊橋バイパス豊川為当IC(豊川市)は2013年6月に暫定2車線で全線開通(一部区間は4車線)し、市街地の渋滞緩和へ大きく寄与した。 一部区間を構成する豊川橋はかつて有料道路であったが2005年に無料化された。 田原市緑ヶ浜、明海町方面の交通分散化のため、国道259号バイパスの建設が進められている。

環状線では豊橋環状線および東三河環状線が、ゆっくりではあるが着実に整備が進められている。また、豊橋・豊橋東バイパスの開通に合わせ、各インターチェンジと市街地を結ぶ都市計画道路の建設・拡幅工事も行われている。

東名高速道路は、市域の北端を通過しているが、市内にはインターチェンジは設置されていない。このため、豊川IC豊川市)や音羽蒲郡IC(豊川市)、三ヶ日IC浜松市北区)、浜名バイパスを経由して浜松IC(浜松市東区)などを利用するしかない。 ※国道23号BPの一部である。豊川橋の無料開放に続き、本坂トンネルも2008年(平成20年)4月1日より無料開放された。

市内東部の国道1号の県境付近の上り線では、静岡県警電光掲示板が設置されている。交通情報・交通案内は静岡県の物に準ずる。

高速道路[編集]

車両の出入りは主として豊川ICを利用する。

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]

観光[編集]

豊橋公園(奥の建物は豊橋市役所)
吉田城の石垣
普門寺の山門

名所・遺跡[編集]

東海道名所図会では、牛頭天王祠(放花炮 六月十五日祭式)と記載されている。

  • 聖眼寺;(明治2年の三河国全図;伊那県足助庁印では、下地の正眼寺になっている。)

(徳川家康の馬印金扇の発祥伝説松尾芭蕉の句碑もある。) ただし、東海道名所図会には、下地の聖眼寺の名前および松尾芭蕉の句碑の記載はない。;知立神社の解説には、芭蕉句牌の記載あり。

名産[編集]

自然[編集]

祭り・イベント[編集]

豊橋祇園祭・打ち上げ花火
  • 春祭り(1月下旬 - 5月上旬)
  • 豊橋神明社の鬼祭重要無形民俗文化財)(2月10日・2月11日)
  • 穂の国豊橋ハーフマラソン(3月)
  • 花しょうぶまつり(5月下旬 - 6月中旬)
  • 納涼まつり「夜店」(6月毎週金・土・日)
  • 豊橋祇園祭(7月第3金・土・日曜日)
  • みなとフェスティバル(7月第3月曜日)
  • 炎の祭典(9月第2土曜日)
  • 羽田祭(10月第1土・日曜)
  • 二川八幡神社例大祭(10月第2土・日曜日)
  • 豊橋まつり(10月第3土・日曜日)
  • 飽海人形浄瑠璃(11月第3日曜日)
  • とよはしまちなかスロータウン映画祭(10月末 - 11月の土日、祝日、2002年- )
  • ものづくりフェアin東三河
  • 豊橋花祭り
  • 朝市[1]
    • 一五(イチゴ)の市:毎月1、5,11,15,21,25日(羽田八幡宮境内と参道)
    • 二七(ニシチ)の市:毎月2,7,12,17,22,27日(西松山町)
    • 三八(サンパチ)の市:毎月3,8,13,18,23,28日(前畑町)
    • 四九(シク)の市:毎月4,9,14,19,24,29日(広小路4・5丁目)
    • 六十(ロクト)の市:毎月6,10,16,20,26日(富本町、柱一番町)

文化交流拠点[編集]

豊橋市を舞台とした作品[編集]

映画[編集]

小説[編集]

ドラマ[編集]

CM[編集]

漫画・アニメ[編集]

  • こちら葛飾区亀有公園前派出所 - 第66巻第6話で両津勘吉が上空からお下劣写真を落としたのは豊橋市内ということになっている。
  • 忍者ハットリくん - ちくわが大好物な忍者犬「獅子丸」が、新幹線で移動中に豊橋名産のちくわの匂いに誘われ、豊橋駅で降りてしまったというエピソードがある。
  • 新世紀エヴァンゲリオン - 21話ネルフ、誕生で冬月がセカンドインパクト後もぐりの医者をしていたのは豊橋市跡である

豊橋市関連の有名人[編集]

武家・大名[編集]

文化・芸術[編集]

芸能・風俗[編集]

アナウンサー[編集]

学術[編集]

政財界[編集]


スポーツ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 豊橋市. “ええじゃないかトップページ : ええじゃないか豊橋とは”. 2014年7月7日閲覧。
  2. ^ 豊橋市. “豊橋市のマスコット「トヨッキー」”. 2014年7月7日閲覧。
  3. ^ 市長不在時期が多々ある。
  4. ^ 平成26年度予算の特徴豊橋市
  5. ^ H24年2月岡崎信用金庫刊行「あいちの地場産業」より

関連項目[編集]

関連する氏族

外部リンク[編集]

行政
観光