大岩寺
| 所在地 | 愛知県豊橋市大岩町東郷内65番地 |
|---|---|
| 位置 | 北緯34度43分31.984秒 東経137度26分57.307秒 |
| 山号 | 亀見山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 千手観世音菩薩坐像 |
| 創建年 | 天平2年(730年) (岩屋観音堂の創建) |
| 開基 | 行基 |
| 中興年 | 元和8年(1622年) (曹洞宗寺院として) |
| 中興 | 通山宗達 |
| 文化財 | 大岩寺岩屋堂観音経・灯篭・絵馬 |
大岩寺(だいがんじ)は愛知県豊橋市大岩町(おおいわちょう)にある曹洞宗の寺院である。山号は亀見山。境外仏堂として、天平2年(730年)に行基開基による岩屋観音(いわやかんのん)がある。本尊は千手観世音菩薩坐像。
目次 |
[編集] 由緒
奈良時代の高僧行基により、岩屋観音ができた。大岩寺は観音堂の塔頭(たっちゅう)の6坊のひとつで岩屋山の山麓にあった。6坊のうち大岩寺のみ残り、観音堂を奉仕管理していた。時は下り、三河国渥美郡雲谷(うのや)の高野山真言宗船形山普門寺の末寺に置かれるようになった。元和8年(1622年)、遠江国宿芦寺の通山宗達が曹洞宗に改宗させ再興。大岩寺のある大岩集落が移転すると共に寺も移転。大岩(おおいわ)集落が二川宿の一部となり、宿場町の寺院となり除地7石を領した。歴代住職は備前国岡山藩(岡山県岡山市)池田侯と親しく、池田家一行の大名行列が二川宿に着くと住職が本陣まで出向き対談する慣習があった。また、寺子屋を開いていた。現在の本堂は昭和47年(1972年)に再建されたものであるが、それ以前は東観音寺(同県同市小松原町)のお堂を移築したものを焼失するまで本堂としていた。
また、明治維新後は岩屋観音は大岩寺の境外仏堂である。
[編集] 岩屋観音
| 所在地 | 愛知県豊橋市大岩町火打坂20番地 |
|---|---|
| 位置 | 北緯34度43分53.2秒 東経137度25分38.08秒 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 寺格 | 境外仏堂 |
| 本尊 | 千手観世音菩薩 |
| 創建年 | 天平2年(730年) |
| 開基 | 行基 |
| 正式名 | 亀見山 大岩寺 岩屋堂 |
| 別称 | 濡れ仏(ぬれぼとけ) |
天平2年(730年)に、全国を回る行基が1尺1寸の木造の千手観音を彫り岩穴に祀ったと言う。これが大岩寺の境外仏堂岩屋観音の始まりであり、岩屋観音の1坊であった大岩寺のルーツである。
天正13年(1585年)、岩屋山が炎上し、観音堂以下、寺は衰退した。
天正18年(1590年)、天下人関白豊臣秀吉により神君関八州移封となり、東三河に池田照政(後に輝政に改める)が封じられた。三河国吉田城(同県同市今橋町)主となった照政は岩屋観音を信心していたと伝わる。池田家は徳川家康と石田三成との争いの中での戦功(岐阜城攻め)などにより播磨国姫路城、備前国岡山城と移り、日本三名園と謳われる後楽園を造った曾孫の池田綱政の時代となる。宝永4年(1707年)旧暦10月、いわゆる宝永地震が発生する直前、東海道五十三次のひとつ遠江国白須賀宿(静岡県湖西市)に泊まった綱政の夢枕に観世音菩薩が現れ今後起きる地震や津波の難を告げたと言う。綱政一行は急ぎ、海道を西に上り、三河国二川宿へ入った。マグニチュード8.4とも推定される大地震が起こり、東海から九州にかけて大津波が襲い白須賀宿は南から来た海水の前に飲み込まれて壊滅した。命拾いをした綱政は観音の冥加と考え、岩屋観音に寄進した。現在はこれら寄進された品は豊橋市指定有形文化財となっている。
現在、国道1号の岩屋下交差点の東の小山(岩屋山、78.2m)の上に約2.9m(9尺6寸)の正観音(聖観音)像が立っている。豊橋市に有る名橋豊橋は初代の橋は鎌倉時代架橋であるが幾たびも架け替えられている。このうち宝暦4年(1754年)の架け替えは難工事であったと伝わる。これを請け負ったのは武蔵国豊島郡江戸の下谷(したや、現在の東京都台東区下谷)の大工であった。大工の茂平(もへい)と弟子の善右衛門(ぜんえもん)は岩屋観音の観音堂におこもりし、夢のお告げによる方法で大橋を架けたと言う。この報恩のため、江戸下谷の講により明和2年(1765年)に建立された立像仏である。屋外の岩屋山の山頂のチャートの大きな岩の上に雨天の日には濡れて立つため、濡れ仏(ぬれぼとけ)と呼ばれた。大正12年(1923年)、ドイツ人の医者のベルツ博士のハナ(花)夫人により、岩を登るための鉄の柱と鎖が寄進された。但し、この観音像とベルツ夫人の鉄鎖は昭和19年(1944年)、太平洋戦争で供出された。現在の像は昭和25年(1950年)に再度建立された正観音像である。今は国道1号線を通る人々にとってのランドマークとなっている。
文政8年(1825年)再建の回廊付き3間2面寄棟造りの岩屋堂(観音堂)が現存する。
古市木朶(ふるいちもくだ)の文化12年(1815年)の句碑がある。
かすむ日や 海道一の たちほとけ
現在46.1haが豊橋市役所によって風致地区に指定されている。
[編集] 岩屋観音の所在地
〒441-3147 愛知県豊橋市大岩町火打坂20番地 (岩屋観音は岩屋町ではなく大岩町に有る。)
[編集] 文化財
市指定の文化財
- 大岩寺岩屋堂観音経
- 灯篭
- 絵馬
以上、備前国岡山藩主池田綱政寄進。
[編集] アクセス
[編集] 所在地
〒441-3142 愛知県豊橋市大岩町東郷内(ひがしごうない)65番地