三宮

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新神戸から望む三宮

三宮(さんのみや)は兵庫県神戸市中央区にあり、第二次世界大戦後神戸市の中心街になった地域で、JR阪神電鉄阪急電鉄神戸市営地下鉄ポートライナーが乗り入れる三宮駅を中心に商業施設が立ち並ぶ繁華街である。(JRの駅名は三ノ宮と書く)。三宮という地名はトアロードと花時計線の交差点北東にある三宮神社生田神社の三の宮)の所在地を意味する。

町名としては三宮町(1~3丁目)がJR三ノ宮駅の南西にあり、北は新神戸駅、東は生田川右岸、南は新港、西は兵庫区新開地を越えて福原湊川駅近辺に及ぶ神戸市中心部を含んだ商業地域の一部をなす同駅を中心とした繁華街の一部に過ぎない。

地理[編集]

JR三ノ宮駅南側
六甲山地諏訪山から望む三宮
手前は中山手、背後は神戸港
ポートアイランドから望む三宮
手前は新港、背後は六甲山地

多くの鉄道路線が集中する三宮駅を中心に商業施設が集まる。駅から南、加納町六丁目に神戸市役所があり、神戸市及び神戸都市圏都心地域(中心業務地区)を為していて、周辺は商業地域として繁華街オフィスが立ち並ぶ町並みが西側に元町を経て神戸駅周辺にまで及んでいる。

南西には旧居留地が隣接し、さらに南には神戸港新港地区があり神戸大橋港島トンネルによってポートアイランドおよびその先の神戸空港に接続している。北は中山手通を経て北野町山本通景観形成地域六甲山地が、北東方向には新幹線駅(新神戸駅)のある新神戸地区、生田川を越えて東方向には春日野道HAT神戸が位置している。

JR三ノ宮駅の東側を南北にフラワーロードという大通りが走っており、さんちか(三宮地下街)がその地下に位置している。東西方向にはJR阪急電鉄が高架で併走し、これを挟んで北側(北長狭通以北)は飲食店・事務所・商店の雑居ビルや集合住宅が建ち並び、南側(三宮町雲井通小野柄通一帯)は三宮センター街センタープラザさんプラザそごう丸井といった大型のビルが地下街・地下通路・ペデストリアンデッキによって駅や主な施設と接続されている。

歴史[編集]

古代から生田神社の社領となっており、八柱の裔神を祭る一宮から八宮までの生田裔神八社の一つである三宮神社の鎮座する土地である。 当地は旧神戸村の一部であり、1868年慶応4年)に兵庫港として開港した際に外国人居留地の北に隣接した地域にあたる。 明治6年、神戸山手に新設した南北筋の道路を三ノ宮筋と名付け、明治11年に三宮町という正式な地名となった(八部郡地誌)[1]

JR三ノ宮駅が開業したのは明治7年(1874年)、現在の元町駅の場所である。この開設当初の三ノ宮停車場はまさに三宮神社の北側にあったが、明治から大正にかけて、外国人居留地設置にかかる要件事項であった生田川の付け替えを契機に集落が東側に拡大したことに合わせて[要出典]、昭和4年(1929年)3月国鉄高架化に伴って東の現在地へ移転した。しかしながら旧国鉄三ノ宮駅付近は官公庁および海運商事会社が多く政治経済の中心となっていたために、請願駅として昭和9年(1934年)に旧・三ノ宮駅跡に国鉄(JR)元町駅が開業した。[2]

新たな三ノ宮駅が設置されると昭和8年に阪神電鉄が地下より、昭和11年に阪急電鉄が高架で乗り入れた。こうして三ノ宮駅は東神戸の新興住宅地をバックとするターミナル駅となり、そごうが元町から阪神三宮駅前に移転、付近には映画館や飲食店が集中して西の湊川新開地に比肩する歓楽街となった[3]

1945年(昭和20年)、太平洋戦争における神戸大空襲で、三宮も含めて神戸の市街地は大きな被害を受け、その戦後復興に際して三宮を商業だけではなく行政の中心にする計画が持ち上がる[要出典]

一帯は戦災により焦土と化したが、戦後高架下の闇市、そごう百貨店前の通称ジャンジャン市場を中心にいち早く復興、昭和21年(1946年)秋に三宮センター街が、昭和30年代から40年代にかけて三宮駅前に新聞会館、神戸国際会館、交通センタービル、神戸商工貿易センタービルなどが相次いで建てられ、昭和32年(1952年)には神戸市役所も湊川から当地に移転して、市の中心街の地位を復興の立ち遅れる新開地から奪う形となった。[3] 昭和41年(1966年)~昭和53年(1978年)にかけて三宮地区市街地再開発が行われ、その結果センタープラザが建設された[4]。昭和40年(1965年)にはさんちかタウン(現さんちか)が完成した。

昭和56年(1981年)には人工島ポートアイランドと結ぶ新交通ポートライナー(神戸新交通ポートアイランド線)が三宮駅に乗り入れ、三宮ターミナルビルも開業した。[2]

ところが、1990年代に入るとJR神戸駅前の旧日本国有鉄道湊川貨物駅跡地に神戸ハーバーランドが街開きするのを契機に客足が同地に奪われるようになり、三宮は活気を失いつつあった矢先、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災により再び神戸は甚大な被害を受けることとなる。その後の震災復興では、神戸大丸の復興を中心に街の活性化を図った元町に牽引される形で、神戸ハーバーランドに奪われていた客足を取り戻している。[要出典]

現在、三宮では新しい商業施設が相次いで出店している。首都圏を中心に展開している丸井2003年10月に三宮駅前に関西一号店である「神戸マルイ」を出店。震災で被災して解体された「ダイエーさんのみや男館」の跡地には2002年ユニクロが、「ダイエーオフプライス館さんのみや」の跡地にも「クレフィ三宮」というファッションビルが建築されて2004年10月にオープン2008年5月にダイエー村最後の跡地であるジョイント跡地にZARAがオープンした。神戸新聞会館も被災によって取り壊されて跡地は駐車場として利用されていたが、再築によって2006年10月に「ミント神戸」の愛称で再オープンした。[要出典]

交通[編集]

鉄道駅[編集]

路線バス[編集]

三宮駅バスのりばを参照。

主な施設[編集]

国際会館前交差点 東側
国際会館前交差点 西側

(駅舎と一体化しているもの(駅ビル)、地下街・地下通路またはペデストリアンデッキに直接接続されているものには*を付記)

駅東側(国道2号線以北) -- 神戸新交通、JR東口、阪神東口

駅南側(フラワーロード以東) -- 阪神東口または西口、神戸新交通、JR中央口

駅南側(フラワーロード以西) -- 阪急東口または西口、阪神西口、JR西口

駅北側(フラワーロード以東) -- 地下鉄東口、JR東口

駅北側(フラワーロード以西・北野坂周辺) -- 阪急東口、地下鉄東口

駅北西側 -- 地下鉄西口、阪急西口

その他[編集]

  • 丸井と同じくICI石井スポーツも関西一号店を三宮に、二号店を難波に出店した。
  • 2009年3月、駅東部の旭通4丁目再開発の起工式が行われ、兵庫県最高層となる高さ190m54階建ての超高層マンションが建設中である。
  • 阪神三宮駅改良工事により新たに東口が作られ、2012年3月20日より利用できるようになる。さんちかミント神戸と接続され、またその直上にミント神戸2階から日本生命三宮駅前ビル前までの歩道橋も作られており、こちらは2012年3月20日時点では工事中のため利用はできない。
  • 震災を境にそごうは大丸に売り上げを逆転され、地域一番店の地位を失った。ただし、この背景には、被災部分を撤去し空間化したことで売り場面積を縮小したそごうに対し、大丸は被災部分を撤去した跡に従前よりも高層の建物を新築したことで売り場面積を拡大した、という、売り場面積の違いもある。
  • 駅から半径500m四方の飲食店、小売店数[要出典]は東京・新宿を大きく上回り、その規模と密度は大阪梅田に並び国内随一の繁華街である。

関連項目[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三, ed (1988). “三宮町”. 角川日本地名大辞典 28 兵庫県. 角川書店. pp. 694. ISBN 978-4040012803. 
  2. ^ a b 田公秀雄 (1983). “三ノ宮駅”. In 神戸新聞出版センター. 兵庫県大百科事典. pp. 1141(上). ISBN 4-87521-100-7. 
  3. ^ a b 稲見悦治 (1983). “三宮”. In 神戸新聞出版センター. 兵庫県大百科事典. pp. 1140(上). ISBN 4-87521-100-7. 
  4. ^ 会社概要|株式会社 神戸サンセンタープラザ”. 株式会社 神戸サンセンタープラザ. 2012年12月2日閲覧。
  5. ^ P&G日本本社・研究開発施設の移転について