弥富市

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やとみし
弥富市
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23235-1
面積 48.92km²
(境界未定部分あり)
総人口 43,363
推計人口、2011年12月1日)
人口密度 886人/km²
隣接自治体 愛知県愛西市蟹江町飛島村
三重県桑名市木曽岬町
市の木 サクラ
市の花 キンギョソウ
メインキャラクター
サブキャラクター
きんちゃん
文鳥
弥富市役所
所在地 〒498-8501
愛知県弥富市前ケ須町南本田335
外部リンク 弥富市

弥富市位置図(愛知県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
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弥富市(やとみし)は愛知県の西南部の

目次

[編集] 概要

2006年4月1日に、海部郡弥富町が、同郡十四山村編入合併し、同時に市制施行した。鍋田川、木曽川を挟んで三重県と接する。金魚弥富金魚)や文鳥生産で有名。

名古屋市の西側20キロ圏内に位置し、南部は名古屋港西部臨海工業地帯をへて、名古屋港の湾岸地域に臨んでおり、海抜ゼロメートル地帯が大きく広がる極めて平坦な地形である。

近年では、名古屋市の行き来に便利な地域として、鉄道駅周辺を中心にベッドタウンのように住宅開発が進んでいる。それに伴い人口も大きく伸び、現在でも、マンション開発などがみられる。 都市部から農村部、水田部、海岸部を持つ豊かな地形を成している。

[編集] 地理

[編集] 隣接している自治体

[編集] 人口

Demography23235.svg
弥富市と全国の年齢別人口分布(2005年) 弥富市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 弥富市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
弥富市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 27,311人
1975年 32,714人
1980年 36,457人
1985年 37,614人
1990年 38,971人
1995年 41,309人
2000年 42,179人
2005年 42,575人
2010年 43,280人
総務省統計局 / 国勢調査

[編集] 歴史

現在の弥富市に当たる地域がいつ頃から開発されたのかははっきりしないが、弥富町誌によれば1106年長治3年)東寺文書「平盛正解」に藤原家の荘園とあるのが史料上の初見とされる。最初は市の北部に当たる地域から開発され、市江島や五明をはじめとする輪中が形成されていったと見られている。平安末期には平治の乱に破れた源義朝を乗せた船が当地を通ったとの伝承がある。

[編集] 戦国時代

戦国時代には地域一帯に一向宗が広まっており、その中心人物で、信長公記に二の江の坊主と記される服部左京進(左京助・左京亮とも)が、市江島の鯏浦(うぐいうら)を拠点に海西郡一帯を支配する豪族として勢力を誇っていた。服部左京進は尾張の一角にありながら織田信長の支配に与せず、1560年永禄3年)の桶狭間の戦いの際にも今川義元の援軍として出兵している。

1565年(永禄8年)には織田信興の侵攻を受け、1568年(永禄11年)に服部左京進は伊勢で自刃に追い込まれたが、服部党の抵抗は続き、1570年元亀元年)には蜂起した長島一向一揆門徒の一角として他の門徒衆と共に小木江城(現在の愛西市)を攻めて織田信興を討っている。その後、1571年(元亀2年)、1573年天正元年)と織田方の侵攻をしのいだが、1574年(天正2年)には長島一向一揆壊滅と運命をともにした。

一揆殲滅後、この地は無人となっていたが、1575年(天正3年)、服部正友らが入植し、百姓を集めて土地を再建した。市内の重要文化財「服部家住宅」は服部正友が天正年間に建てたものとされている。

[編集] 江戸時代

江戸時代に入り世情が安定すると、藩や豪農、豪商による大規模な新田開発が行われるようになる。時に水害によって水没しながらも再度の開発が繰り返され、南へと新田が延びていった。現在の市域の大部分はこの時代以降に陸地化されたものである。元々、国境である木曽川の流し出した土砂の堆積に輪中を造る事で成立した村々であるだけに、東側が尾張尾張藩)、西側は伊勢長島藩)という不文律こそ有っても、新しく(あるいは再度)開発する土地についての領有争いも多かったと言う。

木曽川の流路変更による国替えなどもあったが、現在の市域の大部分を占めた尾張藩領(尾張藩佐屋代官所管轄)と犬山藩領の飛び地は尾張国、南西部の長島藩領と北西部にあった天領(笠松代官所管轄)は伊勢国という形で明治を迎ている。江戸時代末期には市の特産品である金魚弥富金魚)の養殖と文鳥の飼育も始められた。(ただし、金魚の本格的な生産は明治になってから)

[編集] 明治以降

弥富に最初の商業地が形成されたのは1872年(明治5年)の事である。それまで東海道は愛知県と三重県の間は七里の渡しが主なルートだったが、この間を陸路で結ぶ新東海道が現在の弥富市域を通る形で開設され、前ヶ須に渡し場と駅宿が設けられた。後には海西郡の郡役所も置かれている。

廃藩置県後に鍋田川左岸で三重県桑名郡に属していた地域(小島新田・五明村・川原欠新田・富島新田・富島付新田・富崎新田・加稲新田・加稲付新田・加稲山新田・加稲九郎治新田・稲荷崎新田・稲荷崎付新田・三好新田・ 境新田)については、1880年明治13年)に愛知と三重の県境を木曽川及び鍋田川と定め、愛知県海西郡に編入されて現在は弥富市の一部になっている。

1889年(明治22年)、町村制施行により海部郡彌富村が発足した。彌(弥)富は「いよいよ栄える」事を願って命名された瑞祥地名1903年(明治36年)に町制施行、昭和の大合併では1955年(昭和30年)に鍋田村と市江村の南部を合併した。また、昭和の大合併では隣接する三重県桑名郡木曽岬町とも合併協議がもたれたが、こちらは三重県議会の反対などから実現しなかった。

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では海岸や河川の堤防が多くの箇所で決壊し、入植が開始されたばかりの鍋田干拓地を含む全域が水没。弥富町で320名、十四山村で36名の犠牲者を出した。

台風後は治水設備も大幅に強化され、洪水の危険性は減少したが、一方で縦横に流れていた水路の多くが埋め立てられ、水郷地帯としての風景も様変わりした。その後は、名古屋へ近さから、弥富駅や佐古木駅の周辺ではベッドタウンとしての発展も見せるようになり、人口も増加した。また、名古屋港の一部として沿岸部の埋め立ても進められ、これらの埋め立て地は1976年以降順次弥富町に組み入れられている。1996年(平成8年)には長年帰属が問題となっていた、木曽岬干拓地の一部も編入された。

2006年(平成18年)、十四山村を編入合併、市制を施行し弥富市となった。

[編集] 年表

[編集] 行政

  • 市長:服部彰文(2007年2月4日より)
  • 市議会議長:伊藤正信

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

  • 弥富中学校
  • 弥富北中学校
  • 十四山中学校

[編集] 小学校

  • 桜小学校
  • 弥生小学校
  • 白鳥小学校
  • 大藤小学校
  • 栄南小学校
  • 十四山西部小学校
  • 十四山東部小学校

[編集] 専修学校

[編集] 交通

[編集] 鉄道路線

[編集] 路線バス

  • 三重交通
    • 60系統 名古屋長島温泉線(名古屋名鉄バスセンター)⇔(長島温泉
    • 61系統 名古屋長島温泉線(名古屋名鉄バスセンター)⇔(南桑名)
    • 50系統 名古屋桑名線(名古屋名鉄バスセンター)⇔(桑名駅前)
  • 弥富市コミュニティバス
    • 北部ルート
    • 東部ルート
    • 南部ルート

[編集] 道路

高速自動車国道

自動車専用道路

一般国道

主要地方道

一般県道

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] ゆかりの有名人

[編集] 外部リンク

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