西尾市

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西尾市
にしおし
日章旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23213-1
面積 75.78km²
総人口 107,398
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 1,420人/km²
隣接自治体 碧南市安城市岡崎市
幸田町吉良町一色町
市の木 クスノキ
市の花 バラ
市の鳥
西尾市役所
所在地 〒445-8501 愛知県
西尾市寄住町下田22番地
電話番号 0563-56-2111(代表)
外部リンク 西尾市

西尾市位置図(愛知県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
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西尾市(にしおし)は、愛知県の中央を北から南へ流れる矢作川流域の南端にあるである。抹茶の生産地として知られる。

目次

[編集] 地理

  • 山:八ツ面山(標高67m)、羽角山(標高118.5m)、万灯山(標高145.9m)、茶臼山(標高291.0m)
  • 河川
    • 一級河川:矢作川国土交通省管理)、矢作古川(愛知県管理・以下同じ)、広田川、安藤川、須美川、鹿乗川
    • 二級河川:北浜川、二の沢川、朝鮮川

[編集] 隣接している自治体

碧南市安城市岡崎市額田郡幸田町幡豆郡吉良町一色町

[編集] 人口

西尾市と全国の年齢別人口分布図(比較) 西尾市の年齢・男女別人口分布図
紫色は西尾市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 86,524人
1985年 91,930人
1990年 95,197人
1995年 98,766人
2000年 100,805人
2005年 104,321人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 歴史

[編集] 古代

西尾市中心部(八ツ面山の西側)は、幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。

[編集] 中世〜江戸期

[編集] 明治〜市制施行前

  • 1869年3月 - 藩主の松平乗秩版籍奉還の願書を出し、同年6月19日に許可される。
  • 1871年7月14日 - 廃藩置県により西尾藩は西尾県となる。
  • 1871年11月15日 - 西尾県は額田県に併合される。
  • 1871年12月10日 - 西尾郵便局が設置される。
  • 1872年3月 - 西尾城が解体される。
  • 1872年11月27日 - 愛知県となる。
  • 1876年6月17日 - 平坂村に郵便受取所(現・平坂郵便局)が設置される。
  • 1878年 - 西尾城が廃城となる。
  • 1879年 - 西尾警察署ができる。
  • 1883年5月24日 - 棉祖神を祀る天竹神社が建てられる。
  • 1884年 - 西尾二等電信分局が設置される。
  • 1891年10月28日 - 濃尾地震による津波で奥田新田の堤防が決壊し、死者60名が出る。
  • 1899年 - 雲母坑での事故により、千年以上続いた八ツ面山での雲母採掘が中止される。
  • 1904年12月16日 - 寺津村に郵便受取所(現・西尾寺津郵便局)が設置される。
  • 1906年5月1日 - 次のような大合併が行われた。
    • 西尾町が久麻久村、西野町村(田貫を除く)、大宝村の一部(矢曽根、町田、寄近、徳次)、奥津村住崎を編入する。
    • 平坂村が西野町村田貫、中畑村、奥津村(住崎を除く)を編入する。
    • 井崎、六郷、豊田、大宝村の一部(今川、川口、菱池、深池)が合併し福地村になる。
    • 寺津村が西崎村を編入する。
    • 御鍬村、吹羽良村、川崎村の3村が合併し三和村となる。
  • 1908年5月6日 - 岩瀬弥助が私立図書館の岩瀬文庫を開館する。
  • 1909年3月24日 - 愛知県幡豆郡立農蚕学校(鶴城丘高等学校の前身)が創立される。
  • 1910年 - 現在の市域内で電話が開通する。
  • 1911年10月30日 - 西尾鉄道(開業時は西三軌道)の西尾~岡崎新駅が開通する。
  • 1914年10月30日 - 西尾鉄道が、西尾~平坂臨港間(のちの名鉄平坂支線)を開業する。
  • 1915年 - 北浜川(北浜悪水路)が完成する。
  • 1918年2月22日 - 西尾町立西尾高等女学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1919年4月1日 - 愛知県立蚕糸学校(鶴城丘高等学校の前身)が設立され、翌年3月31日 農蚕学校を併合する。
  • 1920年4月16日 - 室場郵便局が設置される。
  • 1924年 - 平坂村が町制を施行し平坂町になる。
  • 1926年4月1日 - 愛知県立西尾中学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1926年9月1日 - 三河鉄道が大浜港から、中畑、平坂〜寺津を経由して神谷まで開通する。
  • 1928年10月1日 - 碧海電気鉄道が西尾まで開通する。
  • 1929年4月1日 - 寺津村が町制を施行し寺津町になる。
  • 1932年4月19日 - 上永良神明社の大椎の木が国の天然記念物に指定される。
  • 1932年9月1日 - 室場村が花明、家武、平原の3村を編入する。
  • 1933年5月21日 - 福地郵便局が設置される。
  • 1933年9月21日 - 室戸台風で奥田新田、西奥田新田、南奥田新田の堤防が決壊する。
  • 1935年10月1日 - 米津郵便局が設置される。
  • 1941年6月1日 - 米野郵便局が設置される。
  • 1942年4月1日 - 蚕糸学校を西尾実業学校に改称する。
  • 1943年5月16日 - 西尾鶴城郵便局が設置される。
  • 1943年12月16日 - 戦争による金属資材(レール)供出のため、名鉄西尾線(初代)の西尾~岡崎新駅が休止される。
  • 1944年12月7日 - 東南海地震により、現在の市域で死者32名が出る。
  • 1945年1月13日 - 三河地震により福地村、三和村を中心に甚大な被害を受ける。死者765名。
  • 1948年4月1日 - 学制改革により西尾高等女学校、西尾中学校をそれぞれ幡豆高等学校、西尾高等学校に、西尾実業学校を西尾実業高等学校に改称する。
  • 1948年9月1日 - 西尾中町郵便局が設置される。
  • 1948年10月1日 - 幡豆高等学校と西尾高等学校が合併し西尾高等学校となる。
  • 1952年12月1日 - 西尾町が福地村の一部(小焼野)を編入する。

[編集] 市制施行後

[編集] 市名の由来

三河物語に、徳川家康による桶狭間合戦後の三河統一戦で、西尾の城を得、と記載されている。また、今川氏真判物に、永禄四年酉年、六月十一日、西尾走廻、とある。1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文に「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とある。

[編集] 行政

[編集] 市長

  • 中村晃毅(2005年9月15日 - ) - 2009年2月26日、辞職勧告決議案が提出されるも、否決

[編集] 経済

[編集] 産業

  • 工業
    • 自動車・輸送機器製造 - 主な大規模事業所は、アイシン精機(西尾工場・他)、デンソー(西尾製作所・善明製作所)など
    • 鋳物製造 - 鋳造工場は主に平坂町に分布している。
    • 綿織物 - 愛知県下10産地のうち、西尾市を中心とした周辺地域は三州産地と呼ばれ、産業用資材の綿スフ(ステープル・ファイバー)織物では生産量全国一。
  • 農業
  • 水産業 - 海苔養殖アサリの採貝

[編集] 金融

[編集] 姉妹都市・友好都市

[編集] 姉妹都市

[編集] 友好都市

[編集] 教育

[編集] 小学校

[編集] 中学校

寺津中と、東部中以外の4校の剣道部は、平成20年度東海大会に出場している

[編集] 高等学校

[編集] 専修学校

  • 西尾高等家政専門学校(学校法人白百合学園)

[編集] 看護学校

  • 西尾市立看護専門学校
  • 西尾幡豆医師会准看護学校

[編集] 地域

[編集] 市役所出張所

  • 寺津出張所(寺津公民館内)

[編集] 郵便局

  • 西尾郵便局(集配局・取扱局番号:21006)
  • 平坂郵便局(無集配局・21113)
  • 西尾寺津郵便局(無集配局・21166)
  • 西尾福地郵便局(無集配局・21262)
  • 西尾室場郵便局(無集配局・21286)
  • 西尾米津郵便局(無集配局・21299)
  • 西尾三和郵便局(無集配局・21386)
  • 西尾鶴城郵便局(無集配局・21407)
  • 西尾鶴舞郵便局(無集配局・21451)
  • 西尾永楽郵便局(無集配局・21535)
  • 西尾花ノ木郵便局(無集配局・20038)
  • 西尾八ツ面簡易郵便局(21855)
  • 上矢田簡易郵便局(21861)
  • 西尾鵜ケ池簡易郵便局(21876)

[編集] 警察

  • 愛知県西尾警察署 - 市内には本署の他に、鶴城・中央・国森・平坂の4交番と、米野・東部・室・鵜ケ池・熱池の5つの駐在所がある。

[編集] 消防

  • 西尾市消防本部 - 本署(矢曽根町)の他に、西分署(楠村町)と北出張所(米津町)、東出張所(米野町)がある。消防車はポンプ車9台(うち水槽付き3台)、はしご車1台、化学車2台など、救急車は計4台が各署・出張所に配置されている。

[編集] 広域行政

西尾市と幡豆郡3町で、ゴミ処理などの広域連合を設置している。国の消防広域化構想では、幡豆郡3町の消防との統合が検討されているが、30万要件に満たないため、さらに近隣との広域化が必要とされている。西三河の4広域行政圏域の中では、合計人口16万余と最も人口が少ない。国政の選挙区では、岡崎市・幸田町と同一だが、ケーブルテレビではKATCH(碧海五市)に後発加入した。

[編集] 交通

[編集] 鉄道

吉良吉田方面は他の名鉄線とは違う形のワンマン運転を行っていて、名鉄蒲郡線蒲郡駅まで一体化して毎時2本の運行をしているが、車内に料金箱があり降車時に切符を回収する。朝と夕方以降は名古屋方面を結ぶ特急が吉良吉田まで運転する。

[編集] バス

  • 名鉄東部交通バス - 自治体がバス運行補助金を拠出し、名鉄東部交通が運行している。運行頻度は毎時1〜2本程度で、設定のない時間帯もあるが、西尾〜西尾市民病院は路線の重複があるため、昼間帯の運行頻度はやや多い。
    • 寺津線:西尾 - 矢田小学校前 - 徳永東 - 東脇 - 刈宿 - 寺津神社前 - 徳永東 - 矢田小学校前 - 西尾
    特定時間帯に西尾〜西尾市民病院(昼間帯)〜総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長される。徳永東→東脇→刈宿→寺津神社前→徳永東は循環運転のため逆方向となる停留所への利用ができない。
    • 平坂・中畑線:西尾 - 下町住宅 - 法光寺 - 中畑 - 港前 - 西尾勤労会館前 - 住崎北 - 下町住宅 - 西尾
    特定時間帯に西尾〜西尾市民病院(昼間帯)〜総合体育館西尾東高校前(夕1本復路のみ)の運行が延長される。下町住宅〜中畑〜港前〜下町住宅間は循環運転で13時台以降は逆回りになる。
    • 一色線:西尾市民病院 - 西尾 - 深池 - 福地 - 憩いの農園口 - 市子 - 一色大宝橋 - 三河一色
    西尾〜西尾市民病院(昼間帯と朝夕の一部)〜総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長され、三河一色→一色渡船場→一色大宝橋は昼・夕の2本のみ運行。
    • 岡崎・西尾線(三和小学校前・高須経由):西尾 - 西尾市民病院 - 総合体育館・西尾東高校前 - 三和小学校前 - 中島 - 高須 - 岡崎駅西口
    • 岡崎・西尾線(室場・下青野経由):西尾 - 西尾市役所前 - 高河原 - 室場 - 永良 - 中島 - 下青野 - 岡崎駅西口 - 芦池橋 - 東岡崎
    朝の一部と最終は岡崎駅西口止まり。

いずれの運行状況も平日のもの。

  • ふれんどバス
    名鉄三河線碧南吉良吉田間の鉄道廃止に伴い、2004年4月1日より運行開始した代替バスで、旧沿線区間の西尾市など2市2町によるふれんどバス運行協議会が、名鉄バス東部に運行を委託している。運行頻度は毎時1〜2本で、碧南と吉良吉田で鉄道路線に連絡している。但し名鉄東部交通バス路線とは運賃体系が異なる。西尾市内には西小梛から刈宿まで9つの停留所が設置されている。
    2005年4月1日に西尾市関係分として、 西小梛、楠村、刈宿の3停留所を増設、寺津大明神を寺津二ッ家と改称し、巨海と共に移設した。
    • 碧南駅 - 西小梛 - 平坂郵便局前 - 平坂小南 - 平坂港前 - 楠村 - 寺津二ッ家 - 寺津神社前 - 巨海 - 刈宿 - 一色高校西 - 吉良吉田駅 - 吉良高校
  • 空港特急バス(西尾空港線)
    2005年2月17日の中部国際空港開港に伴い、名鉄東部観光バスが名鉄バス・知多乗合と共同運行を開始した。西尾・碧南と空港を結び、一部は蒲郡駅前を発着する。2006年10月1日より共同運行から名鉄バスが撤退し、鷲塚経由から下町・中畑経由にルートが改められた。運行本数は空港への往路10本、復路9本(うち蒲郡駅前からは往復2本)で、蒲郡と西尾と碧南中央、名鉄河和線住吉町の各駅で鉄道路線に連絡している。全停留所は以下の通りで、市内には西尾駅、西尾文化会館北、下町、中畑の4停留所がある。
    • 蒲郡駅前 - 西尾駅 - 西尾文化会館北 - 下町 - 中畑 - 碧南中央駅 - 衣浦港湾会館 - 半田市役所前 - 住吉町駅 - 中部国際空港
  • 六万石くるりんバス(西尾市街部巡回バス)
    2006年12月18日より運行開始した市街部の公共施設を巡回するバスで、西尾市が試行期間を3年として大興タクシーに運行を委託している。運行は公共施設の利用時間帯に合わせて午前8時台〜午後5時台、車両は19人乗り(車いす2台乗車可能)のマイクロバス2台が1周約11キロ、29の停留所を左右回り2コースで各方向毎時1本、45分をかけて一巡する。西尾と桜町前で鉄道路線に連絡している。主な停留所は以下の通り。
    • 西尾駅(東側) - 市役所南 - 花ノ木保育園東 - 消防本部南 - 文化会館 - 歴史公園西 - 図書館・岩瀬文庫西 - 桜町前駅 - 八ッ面公民館 - 市民病院 - 保健センター南 - 法務局西尾支局 - 郵便局西 - 市役所前 - 西尾駅

[編集] 道路

[編集] 名所・観光・祭事

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

伊文神社
かつて西尾の祇園祭が行われた。神社覈録によると「伊文天王、幡豆郡西尾城内に在す。安政元年(1854年)、神位、正一位。御剣八幡宮も西尾城内にあり、二社は相殿に在す」とあり。(→下記外部リンク参照)
久麻久神社本殿
市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要文化財に指定された本殿は八ツ面町にあり、鰐口・棟札2枚・厨子が附(つけたり・本体に附属するもの)指定を受けている。延喜式式内社で、幡豆郡熊来郷と読みは同じである。
西尾市岩瀬文庫
西尾の実業家、岩瀬弥助が1908年に私立図書館として創設したものを、のちに市への移管を経て、2003年に博物館として開館させた。幅広い分野の書籍が約8万冊収蔵されており、旧書庫と旧児童館(現・市立図書館おもちゃ館)は国の登録有形文化財に、また収蔵品の後奈良天皇宸翰般若心経(ごならてんのうしんかんはんにゃしんぎょう)は国の重要文化財の指定をうけている。
西尾市歴史公園・西尾城趾
再建された本丸丑寅櫓や二の丸の表門・鍮石門があり、二の丸跡に京都の公家屋敷・旧近衛邸の茶室が移築されている。
西尾市憩いの農園西尾市バラ園
西尾市憩いの農園は植木・観葉植物・盆栽などや、園芸資材を産地直売方式で展示即売する大規模な緑化木ショッピングセンターで、他にも農・海産物など地域の特産品も扱う。また西尾市バラ園は、憩いの農園の西に併設され200種以上のバラが楽しめる。
上永良神明社の大椎の木
樹齢約1000年と推定される樹高8m、根囲20m、胸高囲7mのの巨木で、国の天然記念物に指定されている。
三河工芸ガラス美術館
ガラス工芸を扱った私設美術館で2002年版のギネスブックに掲載された巨大万華鏡があり、体験工房ではステンドグラスや万華鏡などのガラス工芸が体験できる。

[編集] 祭事・催事・民俗芸能

西尾まつり
西尾市の伝統行事。夏祭り。新暦7月13日~15日に開催。市中を練り歩く。西尾の祇園祭とかつては呼ばれていたが、現在は西尾まつりと改称されている[1]。 西尾城下の祭は、西尾の祇園祭と呼ばれ、疫病や災厄徐けを祈念する伊文神社の祭礼として長い歴史がある[2]
祭礼は旧暦6月15日、16日に行われていたが、明治41年(1908年)からは7月15日、16日に変わり、現在は、神輿奉仕者や余興の参加者などの事情から7月15日に伊文神社で祭礼が行われ7月15日に近い土曜日・日曜日に神輿の御渡が行われている。
てんてこ祭り
毎年1月3日に熱池(にいけ)町八幡社で行われる豊作祈願の神事。赤装束の厄男が太鼓の拍子に合わせて、腰に結んだ男根をかたどる大根を振る。県の無形民俗文化財に指定されている。
貝吹のかぎ万燈
毎年8月14日に貝吹町の万燈山で行われる旧盆の行事。万燈山の西側斜面に108基の松明を焚き、鉤(かぎ)状に炎を映し出す。鍵万燈とも表記。市の無形民俗文化財に指定されている。
森下万歳三河万歳・御殿万歳)
太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の二人が一組になり、祝言を謡いながら舞ったり言葉の掛け合いをする伝統芸能で、西尾のものは発祥地の名から森下万歳と呼ぶ。一般に三河万歳とも呼ばれる。森下万歳の発祥は鎌倉時代と言われ、江戸時代には幕府から優遇されて元旦の江戸城の開門の儀式も勤めた。新年を祝う芸能でもあったが、他の地域に伝承する万歳と違って門付けではなく、大名などの屋敷内の座敷で披露されたことから御殿万歳(演目や種類を御殿万歳と呼ぶ地域もあるが、西尾の場合は万歳形態そのものを指す)とも呼ばれる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
棒の手
農民が自衛のため棒を使う武術として江戸時代に始まったといわれ、愛知県内の各地に伝わる。田貫町の鎌田流は古式を大切に受けついでおり、六尺棒の棒さばきが毎年10月の第3日曜日に披露される。県の無形民俗文化財に指定されている。

[編集] 出身有名人

[編集] 歴史上の人物

[編集] その他・一般

[編集] その他

西尾市は全国でも珍しく消防団が無い(他は大阪府大阪市のみ)が、代わりに消防団と類似の防災組織が存在する。1961年に自治体の消防組織である西尾市消防署が設置されたのを機に消防団を縮小、翌1962年に解団して水防団警防団と改編し現在に至っているが、2つはほぼ同じもので水・警防団または単に水防団と呼ばれる。2004年に近隣自治体との合併の話が持ち上がった際に、この事が取り上げられて、改めて消防団を復活させることが検討されかけたが、合併が不調に終わったために立ち消えとなっている。

[編集] 脚注

  1. ^ 伊文神社HPに経緯の説明がある。外部リンク参照。
  2. ^ 祭礼は二日間に渡り行われ、神輿が町中をねり歩き御劔八幡宮へ渡御する事を中心に獅子舞・大名行列・屋形が続き祭を盛り上げていた。江戸時代中期の寛延年間(1748年~)の祭礼記録には、神輿渡御の行列は神輿を中心としてねり物が随行する行列であったと記されている。 その行列の順序は、傘鉾-鉄砲-玉箱-弓-長柄槍-剣旗-鉾-榊太鼓-禰宜-神輿-神主-長柄傘-天王町獅子-肴町大名行列-須田町囃子-本町囃子(手踊り)-中町囃子(手踊り)-横町囃子(手踊り)。 神輿が造営される前は、太鼓を打ち、笛を吹き、神楽を歌いおしろいを塗り髪を垂らして女装した神官が牛に乗って背に御弊を立てた神馬を導き、後続に子供たちが短冊を付けた笹を手に持ち「サンヤレ サンヤレ」と囃し、町中を廻っていた。 天正19年(1591年)、田中吉政の代に初めて白木の神輿が作られ、大手前へ御旅所が設けられた。その後、ご神体を神輿に乗せて伊文神社から氏子の町々をめぐり、西尾城本丸 の御劔八幡宮へ渡御する物となった。寛永3年(1626年)、城内に設けられた御旅所で一夜を過ごすようになってからは、祭礼は二日間行われるようになった。 現在の神輿は明和4年(1764年)に京都で造られた物である。江戸時代には、祭礼に対して西尾城主より金銭・米などが奉納され、警固と称し、鉄砲十梃・弓十張・玉箱・矢箱・長柄・の槍が列を組み、神輿は重さ百貫(約375kg)ほど、担ぎ手として多くの若者が集められた。市街地の所々で休息を取り、近所の人々の御参りを受けて進み参拝した後に神輿の下をくぐると夏病みしないという。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ