ポルシェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ポルシェ
Porsche AG
種類 株式会社
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
シュトゥットガルトバーデン=ヴュルテンベルク州
設立 1931年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造・販売
代表者  ミハエル・マハト(CEO)
売上高 72億7300万(2006年)
従業員数 11,910人(2005年)
関係する人物 フェルディナント・ポルシェ
フェリー・ポルシェ
テンプレートを表示

ポルシェPorsche A.G. )は、ドイツ自動車メーカーである。

本社はドイツ南西部のシュトゥットガルト。高級スポーツカーレーシングカーを専門に開発・製造し、中でも1963年に発売されたスポーツカー「ポルシェ・911」は改良を重ねながら製造・販売されている。

目次

[編集] 概要

1953年、356アメリカンロードスター
1992年、911(964型)ターボ
2005年、911(997型)カレラS(前期型)

フォルクスワーゲン・タイプ1を設計した技術者フェルディナント・ポルシェにより、デザイン事務所として設立された(設立年については1930年[1]1931年[2]と諸説あり)。1948年9月[3]、息子であるフェリー・ポルシェによって製造にも乗り出し自動車メーカーとなったが、その後も設計の仕事も続けている。

ポルシェ一族は依然として同社の大株主ではあるものの、1971年に経営から手を退き、同社は同族経営から脱却している。このときポルシェの技術者だったポルシェ博士の孫(娘ルイーザの子)フェルディナント・ピエヒ(後にフォルクスワーゲングループ会長)、同じく孫(フェリーの子)でデザイナーだったブッツィ・ポルシェ(後にポルシェデザイン社長)も会社を去っている。

現在CEOはヴェンデリン・ヴィーデキングからミヒャエル・マハトへ交代、CFOはフォルクス・ワーゲンAGの会長であるマルティン・ヴィンターコルン、生産及びロジスティックス両部門取締役はヴォルフガング・ライムグルーバー。持ち株会社のポルシェオートモービルホールディングSEの監査役会会長にヴォルフガング・ポルシェ

2005年、歴史的に関係の深い大手自動車会社フォルクスワーゲンの株式の20%を取得。2008年11月時点で持ち株比率は約43%となり、事実上同社を傘下に収めた。その後も、金融機関から必要に応じて株式を追加取得できる権利も含め、約75%まで買い増す方針が伝えられていたが資金繰りに行き詰まり、逆にフォルクスワーゲンがポルシェを買収する形で2011年半ばを目処に経営統合することが一旦決まった。しかし、ポルシェのフォルクスワーゲン株式取得をめぐる訴訟問題が解決していないため、経営統合に遅れが生じている。

2009年に発売予定の4ドアセダンポルシェ・パナメーラはフォルクスワーゲンの組立工場で生産される計画である[4]

ポルシェエクスクルーシブというユニークなサービスを展開中。これは、正規店での新車オーダー時にインテリアやエクステリアの各パーツやカラーをカスタマイズしてくれるというもの。 また、ポルシェテクイップメントでは正規の販売店を通じてさまざまなアクセサリーを提供している。

なお、ポルシェのエンブレム(紋章)は、本社のあるシュトゥットガルト市とバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせた物となっていて、中央の跳ね馬はシュトゥットガルト市の紋章から。その外側の左上と右下にあるギザギザした模様はバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章に描かれた鹿(の角)を、右上と左下の赤い縞は知を、全体の金色の地色は豊穣を表す麦の色にちなんでいる。

[編集] 現行車種

ポルシェのエンブレム

[編集] 経営状況

[編集] 年間生産台数

1990年代前半、最大のマーケットでもある米国での販売不振により赤字が拡大し、経営難をささやかれた時期があったが、1996年に低価格のロードスター、「ポルシェ・ボクスター」を投入、翌年にはデザインと設計を全面的に一新した996型「ポルシェ・911」を投入した効果により販売が好転。2003年にはポルシェ初の5ドアSUVである「ポルシェ・カイエン」も投入し、1999~2000年度の生産台数が約4万5千台であったのに対し、2008年には9万7千台に達している。[5]

1980年代半ばにはアメリカ合衆国における販売が販売全体の6割を占めていたが、現在ではロシア中国インド中東といった新興市場での販売が順調であり、2007年におけるアメリカ合衆国での販売比率は10.3%にまで低下している。

[編集] 生産拠点

[編集] ツッフェンハウゼン工場

ツッフェンハウゼンZuffenhausen )工場はシュトゥットガルトにあり、1940年代から続くポルシェの主力工場である。ポルシェ・ボクスターをフィンランドの工場に生産委託する以前は、多くのポルシェをこの工場で生産していた。工場は大小4つの建物から成り、販売拠点であるポルシェセンターやポルシェ博物館、修理・特注工場が併設されている。

[編集] ライプツィヒ工場

生産能力増強のため、旧東ドイツ地区ライプツィヒ に新しい工場を建設し、2002年8月に稼動開始した。テストコースも備える広大な敷地に近代的な外観と設備を備えるライプツィヒ工場は年間3万台超の生産能力を持ち、現在最も販売好調なカイエンパナメーラの生産を行っている。2006年迄はカレラGTの生産も行っていた。

[編集] 社外生産

[編集] フィンランド

ポルシェは創業以来、ドイツのツッフェンハウゼン工場で生産を行っていたが、ポルシェ・ボクスターが販売好調のためフィンランドヴァルメト・オートモーティブにボクスターの生産を委託。その後ケイマンの生産も委託し、徐々にフィンランド製の割合が引き上げられ、2007年からボクスターとケイマンの生産はすべてフィンランドで行われている。この2車種については2011年までフィンランドで生産される予定で、2012年以降はオーストリアのマグナシュタイアーが担当する予定。

[編集] スロバキア

ポルシェ・カイエンの部品製造の一部は、姉妹車であるフォルクスワーゲン・トゥアレグアウディ・Q7とともに、スロバキアブラチスラヴァのフォルクスワーゲン工場で生産される。

[編集] 主な子会社

[編集] ロードカー

ポルシェ A.G. 車両年表 1960年-
タイプ 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2
エントリーモデル 912 912E 924 924S 968 ケイマン
356 914 944 ボクスター(986) ボクスター(987)
911シリーズ 911(901) 911(964) 911(996) 911(991)
911(930) 911(993) 911(997)
GT 928
セダン パナメーラ
SUV カイエン(955) カイエン(958)
カイエン(957)
スーパーカー 959 カレラGT
コンセプトカー: 356/1114695901989パナメリカーナ918
モータースポーツ: 64360550718787804904906907908909910914-6 GT917934935936953956961962GT1WSC95RSスパイダー
人物: フェルディナント・ポルシェフェリー・ポルシェフェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェフェルディナント・ピエヒ
トラクター: ユニオールスーパー
その他: オフィシャルウェブサイト | ポルシェデザイン | フォルクスワーゲン | ポルシェのエンジン一覧 | ティプトロニック | バリオカム | RUF

[編集] 軍用車両

※開発に関わったもの

[編集] トラクター

日本では、1962年から1966年にかけて井関農機が一部のポルシェトラクターを輸入販売し、その後ポルシェトラクターを参考に日本の気候や風土に合わせたヰセキオリジナルのトラクター「ヰセキトラクターTBシリーズ」を開発し、1964年に販売を開始した。

  • ポルシェ・タイプ110トラクタ
  • ポルシェ・APトラクタ
  • ポルシェ・ジュニアトラクタ
  • ポルシェ・スタンダードトラクタ
  • ポルシェ・スーパートラクタ
  • ポルシェ・マスター
  • ポルシェ・309トラクタ
  • ポルシェ・312トラクタ
  • ポルシェ・329トラクタ
  • ポルシェ・108Fトラクタ
  • ポルシェ・R22トラクタ
  • ポルシェ・AP16トラクタ

[編集] 試作車・その他

[編集] モータースポーツ

[編集] ロードレース

[編集] 耐久レース

ポルシェおよびその子会社は、耐久レース、特にル・マン24時間レースに積極的に参戦してきたことで知られる。

[編集] フォーミュラ

ポルシェ
参戦年度 1958 - 1964
出走回数 31
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 47
表彰台(3位以内)回数 5
ポールポジション 1
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1958年オランダGP
初勝利 1962年フランスGP
最終勝利 1962年フランスGP
最終戦 1964年オランダGP
テンプレートを表示

1957年、フォーミュラ2が1.5LになるとRSKスパイダーをシングルシーターに改造したポルシェ・718で参戦し、1960年にはコンストラクターズ・チャンピオンを取得した。1961年からフォーミュラ1が1.5Lになるとフォーミュラ1へステップアップ、当初水平対向4気筒エンジンを搭載したポルシェ・7871962年シーズンは水平対向8気筒エンジンを搭載したポルシェ・804で戦い、フランス・グランプリにて1勝を挙げた。

マクラーレンMP4-2BTAGポルシェ (1985年)

1983年から1987年までマクラーレンTAGポルシェに1.5L V6ターボエンジンを供給し、特に1984年から1985年にはニキ・ラウダアラン・プロストによってドライバーズ・タイトル、コンストラクターズ・タイトル、翌1986年もプロストのドライバーズ・タイトルの獲得に貢献した。

1991年にもフットワークに3.5L V12エンジンを供給したが、ポルシェ・917の水平対向12気筒と同じようにV6ターボを2つつなぎ合わせ、クランクシャフトの中央からスパーギヤでバンク中央のシャフトに出力するセンターテイクオフを採用していたため200kgと重いうえに大きく、更にパワーが出ない駄作であった。実はこのエンジンは、もともと1987年のシーズンオフにマクラーレンに提案されていたのだが、当時のデザイナーであったゴードン・マレーから大きすぎると却下をくらったいわくつきの代物で、フットワーク・アロウズは3500万ドルを投じたものの、あまりの信頼性のなさにシーズン半ばコスワースDFRに換装し、ポルシェは事実上の撤退を余儀なくされた。

[編集] エピソード

[編集] 日本での販売

日本では1952年昭和27年)から1997年平成9年)末まで、ミツワ自動車(当初の社名は「三和自動車」)が、輸入総代理店として輸入・販売を行っていた。

ミツワによる輸入販売体制のもと、1990年平成2年)秋に発売された1991年モデルからは主要モデルにエアバッグがオプション設定されたほか、全シリーズに右ハンドル仕様が用意された[6]。、また、1995年平成7年)には、それまで常に1,000万円超であったポルシェの新車最低価格を910万円に引き下げるなど、ユーザー層の拡大も試みられた[7]

一方、ドイツ本国のポルシェAGは、「主要輸出市場では、販売・流通を直接管理する」との方針によりアメリカ合衆国イギリスイタリアスペインオーストラリアなどの現地法人を直営化しており[8]、日本でも1995年平成7年)に100%出資の子会社「ポルシェ自動車ジャパン株式会社」を設立した。同社は1997年平成9年)、「ポルシェジャパン株式会社」に改称、翌年1月からはそれまでのミツワ自動車にかわって日本への輸入業務を開始した[9]。この際、輸入権を失ったミツワ自動車は一正規ディーラーとして再出発することとなった[10]

現在[いつ?]、日本市場はポルシェにとって、アメリカに次ぐ第2の市場である。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ ネコパブリッシング「ワールドカーガイド1」による。
  2. ^ 松田コレクション・ポルシェ博物館の冊子による。
  3. ^ 356.001を販売した時を採った。
  4. ^ http://www.nytimes.com/2007/12/23/business/23porsche.html?ref=todayspaper
  5. ^ WORLD MOTOR VEHICLE PRODUCTION 2008 GROUP : PORSCHE, OICA
  6. ^ ミツワが91年モデル、ポルシェ全車種に右ハンドルを設定 『日経産業新聞』 平成2年9月3日 9面
  7. ^ 社名辞典 ミツワ自動車 『産経新聞』 平成7年2月3日朝刊8面
  8. ^ [1]
  9. ^ [2]
  10. ^ ミツワ自動車、ポルシェ車輸入、独社と和解 -日本法人と販売契約へ 『日経産業新聞』 平成10年1月13日 13面

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語