栄光のル・マン
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| 栄光のル・マン | |
|---|---|
| Le Mans | |
| 監督 | リー・H・カッツィン |
| 脚本 | ハリー・クライナー |
| 製作 | ジャック・N・レディッシュ |
| 製作総指揮 | ロバート・E・レリア |
| 出演者 | スティーブ・マックイーン ヘルガ・アンデルセン ジークフリート・ラウヒ |
| 音楽 | ミシェル・ルグラン |
| 撮影 | ルネ・ギッサール・ジュニア ロバート・B・ハウザー |
| 編集 | ジスレーヌ・デジョンケール ドナルド・W・アーンスト ジョン・M・ウッドコkック |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 106分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $7,573,797 (概算) |
| 興行収入 | (1971年洋画配給収入3位) |
『栄光のル・マン』(Le Mans )は、1971年に公開されたアメリカのカーアクション映画。
目次 |
概要 [編集]
カーレースに並ならぬ情熱を傾けていたスティーブ・マックイーンが、自ら率いるソーラー・プロダクションの総力をあげて作り上げた、本格カーレース映画の名作。
全編セミ・ドキュメンタリーのタッチで構成されており、本物の1970年ル・マン24時間レースの映像と、映画向けに撮影された映像とを巧みに編集したレースシーンを中心に、大イベントを迎えたサルト・サーキットの喧騒、走るレーサー達の緊張と孤独、トップチーム同士の駆け引きにいたるまで臨場感たっぷりに表現しており、特に実際のカーレースのファンに強く支持された作品である。
一方で人間ドラマのけれん味をごく控えめにし、有名俳優も起用しなかったことなどが災いして一般層にはアピールできず、商業的に大敗したマックイーンは自身のプロダクションを解散せざるをえなくなった。
キャスト [編集]
- スティーブ・マックイーン - マイケル・ディレイニー(ポルシェ20番車・ドライバー)吹き替え:津嘉山正種
- エルガ・アンデルセン - リサ・ベルジェッティ(ドライバー未亡人)
- ジークフリート・ラウヒ - エリッヒ・スターラー(フェラーリ8番車・ドライバー)
- ロナルド・リー=ハント - デビッド・タウンセンド(ポルシェワークスチーム・監督)
- フレッド・アルティナー - ヨハン・リッター(ポルシェ21番車・ドライバー)
- ルイーズ・エドリンド - アンナ・リッター(ヨハン・リッターの妻)
- リュック・メランダ - クロード・オーラック(フェラーリ7番車・ドライバー)
- クリストファー・ワイト - ラリー・ウィルソン(ポルシェ22番車・ドライバー)
- アンゲロ・インファンティ - ルーゴ・アブラッテ(フェラーリ5番車・ドライバー)
- ジャン=クロード・バーク - ポール=ジャック・ディオン(ポルシェ22番車・ドライバー)
- ミシェル・スカレラ - ビート・スカリージ(フェラーリ6番車・ドライバー)
エピソード [編集]
- 製作開始当初、監督は『荒野の七人』『大脱走』の監督ジョン・スタージェスであったが、観客の心に強く訴えるストーリーが必要というスタージェスと、極力人間ドラマを排除してカーレースそのものの魅力を描きたいマックイーンの間に確執がおこり、途中降板することになった。事実、アメリカでの興行についてはスタージェスの懸念通りになってしまった。スタージェスはこの映画について「途方もないジョーク、800万ドルをかけたマックイーンのホームムービー」と評している。
- 本物の1970年ル・マン24時間レースの撮影の際は、撮影用カメラを3機積みこんだポルシェ908/2・29号車が実際にレースにエントリーし、レースをこなしながら撮影用マシンとしても活躍した。周回数の不足で完走扱いとはならなかったものの、24時間を無事走りきって9位でフィニッシュした。この他、実際のレース以外の走行シーンのロケではルーフ部分をカットしたフォード・GT40をカメラカーとして使用した。この車両は後にルーフ部分が復元され、現在もイギリスのカーコレクターの手元に現存している。
- マックイーン所有のポルシェ・917Kをはじめとして撮影には20台以上ものマシンが使われたが、敵役のフェラーリ512Sに関してはエンツォ・フェラーリの協力が得られず、個人でフェラーリを所有する人間に提供を頼みこむことになった。映画中盤で大クラッシュするフェラーリ車は、外見のボディのみをフェラーリに似せた別の車である。
- 1970年のル・マン24時間レースで優勝を果たしたリチャード・アトウッド、ジャッキー・イクス、ジャン・ピエール・ジャブイーユ、更に後にレーシングカーコンストラクターやレーシングカーデザイナーとして名を馳せるアンドレ・デ・コルタンツやギ・リジェ、ポルシェのスポーティングディレクターとなったユルゲン・バルト等、そうそうたる面々が並ぶ十数人の現役レーシングドライバーがカースタントドライバーとして参加しており、エンドテロップでは最初にクレジットされる。その中にはマックイーン自身も名を連ねているが、中でも撮影中に片足を切断する事故を起こしたデビッド・パイパーは、その犠牲について特に敬意を払われている。その事故はマックイーンの乗る車のクラッシュシーンとして映画内で再現され、映画のハイライトとなった。ちなみに映画に再現されたシーンの撮影では人間は運転しておらず、リモコンが操作している。
- この撮影で実際にコースを走行して自信をつけたスティーヴ・マックイーンは、同年のル・マン24時間レースへの参戦を求めたが、プロダクション等からの強硬な反対に遭い、結局実戦で走行する機会に生涯恵まれなかった。
詳細は「スティーヴ・マックイーン」を参照
- 日本では大ヒットを記録し、日本人のル・マン参戦機運をかきたてることになった。そして1973年には実際に日本のチームが初めてル・マン24時間に参戦した。
詳細は「ル・マン24時間レース#日本勢の活躍」を参照
- 日本における配給元の東和は、映画の宣伝に際して複数の会社とタイアップの契約を交わし、松下電器産業(現パナソニック)のラジオ、ヤクルトの乳酸飲料の広告にこの映画の画像が使用された。しかし自分のあずかり知らぬ商品の宣伝に、自分の肖像が無断で使われたことを不服としたマックイーンは、1973年に広告会社の電通を含めた4社を訴え、総額100万ドルの損害賠償を求めた。1978年4月には自ら来日し証言も行ったが、肖像権が一般的でなかった当時の日本ではハリウッドスターの強欲と解釈するむきも多く、マックイーンが病死した直後の1980年11月、東京地裁は「日本の慣行上問題はない」とマックイーン敗訴の判決を下した。
- 福野礼一郎は自著の中で、最終的に優勝するドライバーと彼の乗るマシンのスポンサーに着目し、コマーシャリズム、偏ったヒロイズムが極めて強い作品であることを暗に指摘している。