ゲルハルト・ミッター
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| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| F1での経歴 | ||||
| 所属チーム | ポルシェ,ロータス,ブラバム,BMW | |||
| 活動時期 | 1963 - 1967,1969 | |||
| 出走回数 | 5 | |||
| 優勝回数 | 0 | |||
| 通算獲得ポイント | 3 | |||
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 | |||
| ポールポジション | 0 | |||
| ファステストラップ | 0 | |||
| F1デビュー戦 | 1963年オランダGP | |||
| 初勝利 | - | |||
| 最終勝利 | - | |||
| 最終戦 | 1967年ドイツGP | |||
ゲルハルト・カール・ミッター(Gerhard Karl Mitter 、1935年8月30日 - 1969年8月1日)はドイツ出身のレーシングドライバーである。
経歴 [編集]
ニュルブルクリンクでロータス・25を駆るミッター(1965年)
当初は2輪の方で活躍していたが、後に4輪に転向。フォーミュラ・ジュニアに参戦し、通算40勝を記録した。これはフォーミュラ・ジュニアにおけるドイツ人最多勝記録でもある。
1963年にはプライベート・ポルシェからF1に参戦。主にドイツグランプリのみのスポット参戦、また後年はF2マシンでの出走だったが、デビュー2戦目となった1963年のドイツグランプリでは4位入賞を果たしている。
またミッターはF1以外のカテゴリーでも活躍し、1966年からヒルクライムのヨーロッパ選手権で3連覇を達成。1969年のタルガ・フローリオも制している。
事故死 [編集]
ニュルブルクリンクでの1969年F1ドイツグランプリでの予選中BMWのF2マシンで出走していたミッターはアデナウの高速ストレートを走行中に突然右のフロントタイヤがホイールごと外れるトラブルに見舞われ、コントロールの利かなくなったマシンは約170km/hでスピンを起こし、キャッチネットを突き破りフェンスに激突。マシンは粉砕しミッターは即死した。33歳だった。