パリ万国博覧会 (1900年)

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パリ万国博覧会 > パリ万国博覧会 (1900年)
1900年パリ万博、エッフェル塔がそびえる
1900年パリ万博のパノラマビュー
観覧車「グランド・ルー・ド・パリ」(1920年解体)

1900年のパリ万国博覧会(せんきゅうひゃくねんのパリばんこくはくらんかい, Exposition Universelle de Paris 1900, Expo 1900)は1900年4月15日11月5日まで、フランスパリで開催された国際博覧会である。

概要[編集]

19世紀最後の年を飾る国際博覧会であるが新世紀の幕開けを祝う意味も込められており、開催期間中には過去最大となるおよそ4800万人が訪れている。また、パリオリンピック(第2回近代オリンピック)に合わせての開催でもあった。1855年以後、パリで開催された国際博覧会では5回目となる。前回のパリ万博に引き続き、くじ付き前売入場券を販売して開催予算1億フランの6割をまかなった(4割はフランス政府とパリ市が折半)。

会場としてグラン・パレプティ・パレが建てられ、ロシア皇帝ニコライ2世の寄付によりセーヌ川両岸を結ぶアレクサンドル3世橋が架けられた。また、当時世界最大となる高さ100メートルの観覧車グランド・ルー・ド・パリ」が今回の博覧会に合わせて一般公開となり注目を集めている。さらに、動く歩道1889年第4回パリ万博に合わせて建設されたエッフェル塔エスカレーターが設置されて話題となった[1]。ちなみに、アメリカの発明家チャールズ・シーバーガーオーチス・エレベータ・カンパニーと組み、"escalator"の商標で今回の万博に出展して1等賞を獲得、それを機にエスカレーターの普及が始まったといわれている[2][3]

一方、装飾美術ではサミュエル・ビングが出店したパビリオン)が一躍注目を集めたことで、店名であった「アール・ヌーヴォー」は今回の万博を象徴する表現となり、さらにはこの時代を象徴するフランスの装飾美術様式そのものを指す名称ともなっている[1][4]。また、1895年にパリのグラン・カフェ地下で世界初の映画館をオープンしたリュミエール兄弟は、今回の万博でもシネマトグラフによる映画の上映を行い、訪れた人々を魅了している[1]

会場の一つであるグラン・パレでは、今回の万博の企画展として『フランス美術100年展』が開催され、新古典主義から印象派までの19世紀のフランス美術を代表する約3000点の作品(絵画彫刻など)が展示された。 今回の万博のテーマは「過去を振り返り20世紀を展望する」ことであり、それに合わせた展示物も数多く出品されている[1][5][6]

日本との関わり[編集]

  • 日本政府は法隆寺金堂風の日本館を建設し、御物を含む古美術品を出展した。
  • 海外公演中の川上音二郎貞奴夫妻はこの万博にも来演し大人気となった。
  • 夏目漱石はロンドン留学の途上、この万博会場を訪問している。
  • 日本画家大橋翠石は『猛虎の図』を出展して優等金牌を受賞している。
  • 深川製磁陶磁器を「フカガワポースレイン」として出展し、メダーユドールを獲得している。
  • 日本は芸者を出展したところ、一目惚れした青年がプロポーズを申し出たり、着物を譲って欲しいと願い出た女性の存在の記録もあると言う。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d パリ万国博覧会と19世紀の終わり(20世紀ポップカルチャー史)
  2. ^ 商品ネーミング 事例:エスカレーター(商品ネーミングの普通名称化)
  3. ^ ジェシー・リノ Jesse Reno の海底クローラ(蛇乃目伍長)
  4. ^ 19世紀を総まとめ 1900年パリ万国博覧会 Exposition Universelle( クリストモミのミュゼのあるくらし)
  5. ^ 1900年第5回パリ万博 19世紀最大の万博(国立国会図書館:博覧会 近代技術の展示場)
  6. ^ 20世紀の幕開けを告げるパリ万博ポスター(公益財団法人福岡市文化芸術振興財団)

関連項目[編集]