ドイツ銀行

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ドイツ銀行
Deutsche Bank AG
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種類 株式会社
市場情報
NYSE DB
FWB DBK
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
Taunusanlage 12
60325 Frankfurt am Main
設立 1870年3月10日
業種 銀行業
金融機関コード 0430
SWIFTコード DEUTDEFF
事業内容 投資銀行市中銀行アセットマネジメントほか
代表者 ヨーゼフ・アッカーマン CEO
従業員数 81,929名(2010年)
外部リンク http://www.db.com/
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ドイツ銀行(ドイツぎんこう、Deutsche Bank)は、フランクフルト・アム・マインに本店を置くドイツ最大の銀行

概要[編集]

2009年にドレスナー銀行コメルツ銀行に吸収され消滅するまでは、最大手のドイツ銀行はコメルツ銀行、ドレスナー銀行とともに「ドイツ三大銀行」と呼ばれた。ドイツ銀行グループの中核企業で約7万8000人の従業員をもつ世界有数の金融機関である。

株式をニューヨーク証券取引所ティッカーシンボルDB)、フランクフルト証券取引所に上場しており、ドイツ株価指数 (DAX) の採用銘柄でもある。

歴史[編集]

創業[編集]

1870年1月22日統一ドイツの資本の海外進出を促進するため、外国貿易に特化した銀行としてベルリンで創業した。創業者は銀行家アデルベルト・デルブルック (Adelbert Delbruck) と政治家ルートヴィヒ・バンベルガー (Ludwig Bamberger) で、重役には銀行家ヘルマン・ヴァリッヒらのほか、ドイツ銀行設立を指導したゲオルク・フォン・ジーメンスが就いた。

創業2年後の1872年(明治5年)に東アジア取引の増大を目指して初の海外支店を日本の横浜と清の上海に開設し、翌年にロンドン支店も開設した。しかし東アジア取引は思ったほどうまくゆかず経営を圧迫し、横浜支店も上海支店も3年で閉鎖し、以後は国内の産業に投資するユニバーサルバンクへの道を選んだ[1]

ドイツ最大の銀行[編集]

1876年にベルリナー・バンク=フェアアインとドイチュ・ウニオン=バンクを合併し、銀行最大手のディスコント・ゲゼルシャフト (Disconto-Gesellschaft) を凌いでドイツ最大の銀行へと躍り出た。またアメリカ合衆国ノーザン・パシフィック鉄道(1883年)、オスマン帝国バグダード鉄道(1888年)などに出資し、鉄鋼・兵器コンツェルンのクルップへの融資や化学大手のバイエルのベルリン株式市場への上場を手がけ多くの企業を傘下に置いた。

20世紀前半、ドイツ銀行は国内の地方銀行を吸収合併して巨大化しドイツ経済界における支配的地位を確立した。1929年には、かつての銀行最大手であったディスコント・ゲゼルシャフトも合併した。

「アーリア化」[編集]

反ユダヤ的政策を押し出したアドルフ・ヒトラーナチ党は、総選挙に勝利し1933年ドイツの政権を握ると、ドイツの大手企業にユダヤ系社員の追放を強制する方針を示した。

これを受けてドイツ銀行は取締役会からユダヤ系役員3人を追放し、またドイツ政府によるユダヤ系資本の押収による経済の「アーリア化」に関与した。社史によれば、1938年11月までに363件の事業押収に協力した[2]

また第二次世界大戦が始まると、ドイツが占領した東ヨーロッパなどの占領地の銀行を併合し大きくなった。この時期、ドイツ銀行はドイツ最大の銀行としてドイツ政府やナチ党に多く融資しており、ゲシュタポへの銀行施設提供、アウシュヴィッツ強制収容所や隣接するIG・ファルベン社施設への融資なども行った[3]

1999年にはドイツ銀行はこの関与を公式に認め謝罪し、同年暮れには他のドイツの大手企業とともに52億ドルの補償基金をホロコースト生存者のために供出した[4]

分割と再統合[編集]

第二次世界大戦のドイツ敗戦と東西ドイツへの分割に伴い、ドイツ銀行は資本主義体制下の西ドイツに組み込まれたものの、連合国軍司令部から10分割命令を受け1948年4月1日に分離解体された。

連合国による占領体制が終わった後の1952年には、10の銀行は3つに統合し、1957年にはこれらの銀行も合併統合し、西ドイツのフランクフルトを本店として「ドイツ銀行」が復活した。

国外の買収、合併[編集]

ドイツ銀行は国外での買収、合併も活発に行っている。ドイツ再統一の前年の1989年にはロンドンの投資銀行モルガン・グレンフェル銀行 (Morgan Grenfell) を、1998年にアメリカ8位のバンカース・トラストを、1999年にはブリュッセルのクレディ・リヨネ・ベルギーを買収。日本の三井グループ中核企業のさくら銀行(現三井住友銀行)に対して買収検討を行なった事もあった[5]

投資銀行への転換[編集]

1995年からは商業銀行から投資銀行への転換を開始し、2005年までに収入の75%が投資銀行部門から出るようになり、同時期自己資本利益率 (ROE) は4%から25%へと伸びた。

現在[編集]

2008年9月には、2009年3月までにドイツポストが所有するドイツ・ポストバンク株の29.75%を買収すると発表した。同時にドイツポストは残る21.25%の株についても優先的にドイツ銀行に売却することも決まっており、事実上のポストバンク買収となる。

企業メセナなど、芸術支援や社会奉仕活動にも熱心である。1979年以来現代美術作品を継続的に多数購入しており、所有するだけでなく各オフィス内に一流の作品を置き、社員と芸術のつながりも作り出そうとしている。そのコレクションは5万点以上に上る。

日本におけるドイツ銀行[編集]

ドイツ銀行グループは明治5年(1872年)、同行で初めての海外拠点として、日本に進出した[6]

事業展開[編集]

現在日本では、ドイツ銀行グループとして、ドイツ銀行、ドイツ証券、ドイチェアセットマネジメント、DB信託、の4法人体制で金融事業を行っている[6]。このうち、中核として機能しているのは、証券投資銀行業務を担っているドイツ証券である[6]。4社はいずれも、東京都千代田区の山王パークタワーに、ドイツ銀行グループとして入居している。

マーケットサイドの業務に比較的強く調査業務や債券等業務において一定以上のプレゼンスを日本国内でも持っている。一方、投資銀行部門(日本においてはドイツ証券株式会社が同業務を行っている)は現状、日本国内でのプレゼンスは他の投資銀行よりも比較的低い。

しかしながら、2006年ソフトバンクによるボーダフォン日本法人(現ソフトバンクモバイル)買収においてみずほコーポレート銀行ゴールドマン・サックス証券とともに日本最大となった買収資金の調達に関しソフトバンク側アドバイザリーとして共同主幹事を務めた。

名称[編集]

「ドイチェ」の方がドイツ語の表音として正しいが、「日本でドイチェだと、なかなかドイツの銀行と認識してもらえない」とのことから日本法人の正式名称は「ドイツ銀行」としている。傘下企業の証券部門は「ドイチェ証券」にしていたが、2000年に「ドイツ証券」に変更した。

ただし、資産運用部門は「ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社」と「ドイチェ」のままである。なお、グループ内の従業員は、「ドイツ」ではなく「ドイチェ」と呼ぶ場合が多い。

不祥事[編集]

贈収賄事件[編集]

2013年12月5日、警視庁はドイツ証券社員が三井物産連合厚生年金基金の常務理事に対し、高額な接待を頻繁に行ったとして、贈賄の疑いで逮捕証券取引等監視委員会金融商品取引法違反で金融庁に行政処分を出すよう勧告[7]。同庁は同12日、ドイツ証券に業務改善命令を発動した[8][9]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]