トヨタ自動車

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トヨタ自動車株式会社
Toyota Motor Corporation
ロゴ
Toyota Headquarter Toyota City.jpg
トヨタ自動車 本社
種類 株式会社
市場情報
東証1部 7203
名証1部 7203
福証 7203
札証 7203
NYSE TM
略称 トヨタ / TMC
本社所在地 日本の旗 日本
471-8571
本社:
愛知県豊田市トヨタ町1番地
東京本社:
東京都文京区後楽一丁目4番18号
名古屋オフィス:
名古屋市中村区名駅四丁目7番1号
設立 1937年8月28日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車車種一覧を参照)
代表者 内山田竹志代表取締役会長
豊田章男(代表取締役社長
資本金 3970億4900万円(2014年3月期)
発行済株式総数 34億4799万7492株
売上高 連結:25兆6919億1100万円
単独:11兆421億6300万円
(2014年3月期)
営業利益 連結:2兆2921億1200万円
単独:1兆2690億400万円
(2014年3月期)
純利益 連結:1兆8231億1900万円
単独:1兆4168億1000万円
(2014年3月期)
純資産 連結:15兆2189億8700万円
単独:8兆9204億3900万円
(2014年3月期)
総資産 連結:41兆4374億7300万円
単独:13兆6097億2500万円
(2014年3月期)
従業員数 連結:33万8875人
単独:6万8240人
(2014年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行 9.61%
豊田自動織機 6.48%
日本マスタートラスト信託銀行 5.27%
ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー 3.72%
日本生命保険 3.55%
ザ バンク オブ ニューヨーク メロン アズ デポジタリ バンク フォー デポジタリ レシート ホルダーズ 2.42%
資産管理サービス信託銀行 2.05%
デンソー 2.02%
三井住友海上 1.92%
ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー(常任代理人香港上海銀行) 1.60%
(2014年3月31日現在)
主要子会社 トヨタ車体 100%
豊田中央研究所 54.00%
トヨタ自動車東日本 100%
ダイハツ工業 51.19%
日野自動車 50.11%
他多数
トヨタグループも参照
関係する人物 豊田佐吉(トヨタの始祖)
豊田利三郎(初代社長)
豊田喜一郎(実質的創業者)
石田退三(中興の祖)
豊田英二(元最高顧問)
豊田章一郞(名誉会長)
張富士夫(名誉会長)
外部リンク www.toyota.co.jp
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トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ、英称:Toyota Motor Corporation)は、日本の自動車メーカーである。豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)の自動車部門が独立して誕生し、今日では毎年連結で20兆円以上の売上げを計上しており、単一メーカーとしては日本最大の巨大企業。世界各地に拠点を有している。

目次

概要[編集]

トヨタ自動車は世界最大手の自動車メーカーであり、ダイハツ工業日野自動車を含めたトヨタグループの2012年 (平成24年) 世界累計販売台数は974万7762台[1]2007年(平成19年)にグループ累計で過去最多の世界販売台数となる936万6,418台を販売し、長年世界販売台数の首位を保ってきたアメリカゼネラルモーターズの販売台数にあと約3,000台と迫った[2]。翌2008年(平成20年)の世界販売台数は、リーマン・ショックが原因で897万2000台と前年より4%減少したものの、ゼネラルモーターズがそれ以上に落ち込んで835万5947台にとどまったため逆転、前年の生産台数世界一に続いて販売台数でも世界一になり、生産・販売台数の面で共に世界最大手の自動車メーカーとなった[3]。トヨタ自動車は、ダイハツ工業と日野自動車の親会社である他、富士重工業の筆頭株主でもある(株式保有比率17%)。

2013年にはダイハツ工業と日野自動車の自動車を含めたグループ年間生産台数が1000万台を超えた。これは世界の自動車メーカーの中で初の年間生産台数1000万台超えであった[4]

通称「トヨタ」、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。本社がある豊田市は、元々挙母市という歴史ある地名であったが、1959年(昭和34年)にトヨタ自動車に合わせて「豊田市」へ改称することが市議会で決議された。全国の企業城下町の中でも、市名が企業名に変更されるのは異例である。2009年(平成21年)6月23日に豊田章男が代表取締役社長に就任し、豊田家出身としては4人目 (工販分離前から数えると6人目) の社長となった。

歴史[編集]

初期[編集]

実質的創業者の第2代社長 豊田喜一郎
トヨタ初の量産乗用車であるAA型復元車。

豊田佐吉(人名は「とよ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)に、1933年(昭和8年)9月に開設された自動車部が起源である。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎[5]であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿で喜一郎の義兄である豊田利三郎である。織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年(昭和10年)に自動車製造を開始。1937年(昭和12年)に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」が設立された。

創業当時の社名は「トヨダ」、ロゴや刻印も英語では「TOYODA」でエンブレムは漢字の「豊田」を使用していた。しかし、1936年(昭和11年)夏に行われた新トヨダマークの公募で、約27000点の応募作品から選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。その理由としては、デザイン的にスマートであること、画数8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられている[6]1936年(昭和11年)9月25日には「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ」が社名に採用された。

ちなみに本社所在地の豊田市の地名は有史以来「ころも」であり、奈良時代以降約1,300年間「挙母」と称されて来た歴史ある土地であったが、トヨタ自動車に拠り1959年(昭和34年)に「とよた」にあらためられた。本社所在地の表示は、「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変わった[7]

利三郎は太平洋戦争が勃発した1941年(昭和16年)に会長に退き、第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。太平洋戦争時は陸軍用のトラックを生産したが、物資不足のため簡素なものだった。 愛知の工場は米軍による爆撃が予定されていたが、その前に終戦となる。戦後の1950年(昭和25年)、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任。朝鮮戦争勃発で軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始。

なお1945年には本田宗一郎が経営するピストンリング製造会社「東海精機」の株式を全て取得しているが、本田はこの売却益を元手にを本田技研工業の母体となる本田技術研究所 (旧)を設立し、原動機付き自転車自動2輪車の研究開発を開始するなど、現代ではライバルとなったホンダ自動車の誕生にも関わりがある。

帝国銀行(後の三井銀行、現・三井住友銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。これを工販分離という。この時に、融資に協力した三井銀行と東海銀行がメインバンクとなる。逆に貸付金の回収をした三菱銀行と住友銀行は、のちに三菱は東京銀行と、住友は三井銀行の後身であるさくら銀行と合併するまで50年間も口座の開設・取引をされることはなかった。

中興[編集]

1966年に発売された初代カローラ2013年7月末時点の世界累計販売台数は4,002万台で世界一。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン1955年)、コロナ1957年)、ダイナ1959年)、パブリカ1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年(昭和31年)クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。その後中川不器男社長時代にはスポーツ8001965年)、カローラ1966年)、ハイエース2000GT1967年)などを発売した。

豊田英二社長の時代にはセンチュリー(1967年)、スプリンターマークII1968年)、カリーナセリカライトエース1970年)、スターレット1973年)、タウンエース1976年)、ターセルコルサ1978年)、カムリ1980年)、ソアラ1981年)などを発売し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店トヨペット店カローラ店オート店1998年に「(旧)ネッツ店」に改称)とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

工販合併[編集]

1989年に発売された初代レクサス・LSは、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。

1982年(昭和57年)にトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併し (工販合併)、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタマスターエース1984年(昭和59年)のハイラックスサーフMR21985年(昭和60年)のカリーナED1986年(昭和61年)のスープラ1989年(平成元年)のセルシオ1990年(平成2年)のエスティマ1991年(平成3年)のウィンダムなど次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座を不動のものにした。

1989年にはアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。

1992年(平成4年)に章一郞は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年(平成7年)に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。

世界一の自動車メーカーへ[編集]

第8代社長・第7代会長の奥田碩により積極的な海外販路拡大路線が推し進められた。

奥田は創業家出身の会長の章一郞を後ろ盾に、業績が下り坂になりつつあったトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年 (平成9年) に世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年(平成11年)のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線をさらに推し進め、2002年 (平成14年) 頃から海外販売台数が急拡大し始めた[8]2003年 (平成15年) には2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。また、2000年 (平成12年) からは、部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年には3,000億円の原価低減を達成した[9]。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループ連結子会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年(平成16年)には、旧ネッツ店とビスタ店が統合され、新生・ネッツ店として再出発した。

2005年(平成17年)には張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位での原価低減を目指すVI活動を開始した[9]。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。10月にはゼネラルモータースが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年(平成19年)には世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2703億円を記録した[10]。また2007年には、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。

本格的な世界展開を狙って開発された3代目プリウス

しかし、2008年(平成20年)に起こったリーマン・ショックが世界の自動車販売台数を急減させると、拡大路線をひた走ってきたトヨタは大打撃を受け、2009年3月期の連結営業利益が4,610億円の赤字となり58年ぶりに赤字に転落した[11]。ただし2008年の年間世界販売台数ではGMの販売台数の方が落ち込みが激しかったため、897万2,000台の販売台数を記録したトヨタグループが初めて販売台数世界一となった[3]。この自動車市場の冷え込みに加えて、2009年 (平成21年)から2010年 (平成22年)にかけて大規模リコールが発生したため、トヨタの経営は一転して危機的状況に陥った。この危機に対して、2009年6月に新社長に就任したばかりの創業家出身の豊田章男は、トヨタがジェームズ・C. コリンズが言うところの企業消滅手前の「企業凋落の4段階目」に瀕していると表明した[12]。さらに、2011年 (平成23年)には、東日本大震災タイ大洪水が発生し、2010年から続く記録的な円高もあって、トヨタグループの世界販売台数はGMとフォルクスワーゲングループに抜かれて世界3位に後退した。このように苦しい経営が続いため、2008年から、さらなる原価低減を目指す緊急VA活動を開始し、全社VA活動、VA開発部の発足まで発展させ[13][14]、2011年から、意思決定の迅速化のために大幅に取締役を削減した上で海外事業体にいくつかの権限を委譲し[15][16]、商品力の飛躍的向上と原価低減を同時に達成する新しい設計開発思想「TNGA」の導入を開始するなど[17]、様々な企業努力を行った。

2012年 (平成24年) には過去最多となる世界販売台数974万7,762台を達成し、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還した[1]。また、2012年末からのアベノミクスによる超円高の緩和により、2013年3月期はリーマン・ショック後初で5年ぶりとなる営業利益1兆円越えを達成する。

2013年 (平成25年) 4月には、レクサス・インターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つのビジネスユニットを新設し、意思決定をさらに迅速化させた。これは1982年の工販合併後の最大の組織改編であった[18][19]。同年のグループ年間生産台数は1011万7274台を記録し、これは世界の自動車メーカーの中で初めての年間生産台数1000万台超えであった[4]。また同年度(2014年3月期)の営業利益は2兆2921億円となり、6年ぶりに過去最高を記録した。

最高幹部[編集]

創業家出身の第11代表取締役社長 豊田章男

現在の役員[編集]

取締役の役員
  • 代表取締役会長内山田竹志
  • 代表取締役社長豊田章男
  • 代表取締役副社長:小澤哲、小平信因、加藤光久、前川眞基、伊原保守、須藤誠一
  • 取締役 : 嵯峨宏英(兼専務役員)、福市得雄(兼専務役員)、寺師茂樹(兼専務役員)、石井克政、宇野郁夫(社外)、加藤治彦(社外)、Mark T. Hogan(社外)
その他の役員
取締役ではない役員には、常勤監査役、監査役、専務役員、常務役員がある。

歴代社長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社、トヨタ自動車販売株式会社、トヨタ自動車株式会社の社長の変遷
トヨタ自動車工業株式会社 社長 トヨタ自動車販売株式会社 社長 備考
氏名 就任日 退任日 氏名 就任日 退任日
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1937年8月 1941年1月   利三郎は退任後、
トヨタ自動車工業会長に就任
2 Kiichiro Toyoda.jpg 豊田喜一郎 1941年1月 1950年6月  
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1950年4月 1975年12月
3 Replace this image JA.svg 石田退三 1950年7月 1961年8月 石田は退任後、
トヨタ自動車工業会長に就任
4 Replace this image JA.svg 中川不器男 1961年8月 1967年10月 中川は在任中に死去
5 Replace this image JA.svg 豊田英二 1967年10月 1982年7月 神谷は退任後、
トヨタ自動車販売会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1975年12月 1979年6月 加藤は退任後、
トヨタ自動車販売会長に就任
3 Replace this image JA.svg 山本定藏 1979年6月 1981年6月  
4 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1981年6月 1982年6月 英二は退任後、
トヨタ自動車会長に就任
トヨタ自動車株式会社 社長 備考
氏名 就任日 退任日 補足
1 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1982年7月 1992年9月 (工販合併前からは通算6代目) 退任後、会長に就任
2 Replace this image JA.svg 豊田達郎 1992年9月 1995年8月 (工販合併前からは通算7代目) 退任後、副会長に就任
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1995年8月 1999年6月 (工販合併前からは通算8代目) 退任後、会長に就任
4 Fujio Cho.jpg 張富士夫 1999年6月 2005年6月 (工販合併前からは通算9代目) 退任後、副会長に就任
5 Replace this image JA.svg 渡辺捷昭 2005年6月 2009年6月 (工販合併前からは通算10代目) 退任後、副会長に就任
6 Akio Toyoda cropped 3 Akio Toyoda 20110818 1.jpg 豊田章男 2009年6月 (現職) (工販合併前からは通算11代目)  

歴代会長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社、トヨタ自動車販売株式会社、トヨタ自動車株式会社の会長の変遷
トヨタ自動車工業株式会社 会長 トヨタ自動車販売株式会社 会長 備考
氏名 就任日 退任日 氏名 就任日 退任日
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1941年1月 1945年11月   利三郎は退任後、
トヨタ自動車工業監査役に就任
2 Replace this image JA.svg 石田退三 1961年8月 1971年7月 石田は退任後も、兼任する
トヨタ自動車販売監査役を継続
3 Replace this image JA.svg 齋藤尚一 1972年12月 1978年9月  
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1975年12月 1979年6月  
4 Replace this image JA.svg 花井正八 1978年9月 1982年7月 神谷は退任後、
トヨタ自動車販売名誉会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1979年6月 1982年6月 加藤は退任後、
トヨタ自動車監査役に就任
花井は退任後、
トヨタ自動車相談役に就任
トヨタ自動車株式会社 会長 備考
氏名 就任日 退任日 補足
1 Replace this image JA.svg 豊田英二 1982年7月 1992年9月 (工販合併前からは通算5代目) 退任後、名誉会長に就任
2 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1992年9月 1999年6月 (工販合併前からは通算6代目) 退任後、名誉会長に就任
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1999年6月 2006年6月 (工販合併前からは通算7代目) 退任後、相談役に就任
4 Fujio Cho.jpg 張富士夫 2006年6月 2013年6月 (工販合併前からは通算8代目) 退任後、名誉会長に就任
5 Replace this image JA.svg 内山田竹志 2013年6月 (現職) (工販合併前からは通算9代目)

創業家としての豊田家の存在[編集]

「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」(当時の奥田会長談)とあるように、創業者一族である豊田家はトヨタグループ各社の中核を担う。創業家の長期に渡る介入は、しばしば経営に混乱をもたらすことがあるが、トヨタの場合はむしろ巨大グループを安定的にまとめ上げる役割を果たしてきた経緯があるとされる。現職者・関連企業役員は下記のとおり。

豊田家系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田佐助
 
 
 
豊田平吉
 
 
 
 
浅子
 
(1)豊田佐吉
 
たみ
 
 
 
 
三井高棟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田稔
 
豊田芳年
 
豊田英二
 
豊田利三郎
 
愛子
 
(2)豊田喜一郎
 
三井高長
 
興子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田周平
 
豊田鐵郎
 
豊田幹司郎
 
豊田大吉郎
 
豊田達郎
 
(3)豊田章一郞
 
博子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(4)豊田章男

※丸数字は豊田本家の代数

企業文化[編集]

豊田章一郞は社長時代にトヨタの企業文化について次のように語った。

「何かを決めるまでに時間がかかる。でも、決断したらとことんやる」

豊田章一郞、『産経新聞』「from Editor」〈F1をめぐる「男の涙」〉2009年(平成21年)11月16日 月曜日 12版 6面

経営[編集]

前述の1950年(昭和25年)の経営危機を教訓とし、大野耐一が中心となって、「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム(JIT、カンバン方式)からなるトヨタ生産方式を確立した。また販売を重視し、銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債が存在する。一方で、多大な自己資本を抱え、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益1兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の1兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2,386億円となり、日本企業として初の2兆円の大台を突破し、2008年3月期には7年連続で最高記録を更新し営業利益を2兆2,703億円まで伸ばしたことからマスコミから絶賛された[10]。2008年中頃から2012年末頃まではリーマン・ショックや大規模リコール、東日本大震災やタイ大洪水等の天災、超円高などにより、業績が悪化したが、経営改革、商品力の向上、原価低減に努め、超円高が是正されたことで2013年3月期に業績が回復、2012年の年間販売台数も、2007年の販売台数を超えて過去最高となる974万7,762台を記録した[1]。 (詳細はトヨタ自動車#歴史を参照)。2014年3月期には営業利益が2兆2921億円となり、6年ぶりに過去最高を更新した。

近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年(平成18年)1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。

開発思想[編集]

初代カローラ1100デラックス(KE10D)

開発に6年を費やして1961年(昭和36年)に発売された700ccの小型大衆車・初代パブリカは、基本コンセプトとして低廉化・経済性を実現するため、徹底して合理的に設計され、実用車としての完成度は高かった。しかし、「せっかく購入するのだから少々高くても」という消費者心理を掴み切れず販売は不振であった。この不振を分析し、ラジオやヒーター等を装備したデラックスモデルを加えた結果、販売台数は増加した。これを踏まえて、トヨタの80点主義という思想が生まれる。

80点主義とは、1966年(昭和41年)に発売された初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である。のちに、この80点主義は80点主義+アルファとなり、旧車種や他社への差別化戦略へと移行していく。

しかし、こうしたトータルバランスを重視した万人向けの開発思想は、「トヨタの自動車は退屈である」「個性がない。」という批判を産む原因ともなった。[22]このため、近年ではレクサス・LFAトヨタ・86などの趣味性の高い自動車の開発にも力を入れ、デザイン改革にも乗り出している[23]

技術力[編集]

1950年代から品質管理に力を入れてきた。たとえば、ドアやトランクリッドなどと外板の隙間[24]を狭く均一に仕上げる技術や、ドアの閉まり音、遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質管理には定評がある。手堅い既存技術をブラッシュアップし、低コストで比較的質の高い製品を作る技術に長けており(←ものづくり)、顧客満足度は高い[25]

1970年代後半から小型乗用車の前輪駆動化が世界的に進行した際、トヨタは前輪駆動を主力車種カローラやコロナに採用する前に、新車種「ターセルコルサ」や、改良型の中級小型自動車「カムリビスタ」など主力外車種での経験を踏まえた上で、なおかつ、顧客の反応を見るために従来型である後輪駆動車と併売を経て本採用する、という慎重ぶりであった。

また、ヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の技術供与を受けるなど、高度な技術や、排出ガス対策などの緊急を要する技術に関しては同業他社に援助を請う場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては実力を発揮する傾向がある。燃焼効率の向上を企図した狭角配置の多バルブDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年(昭和61年)に市販開始)の開発と、量産車への搭載などはその一例である。

1990年代後半、トヨタが先陣を切って普及させた技術としては、内燃機関における吸気時期電子制御システム"VVT-i(Intelligent Variable Valve Timing Control)"がある[26]。これは従来、エンジン機関の全体的回転タイミングによって吸気していたものに代え、電子制御により強制的適量吸気を実現したもので、国土交通省(旧運輸省)低排出ガス車認定基準へのほとんどの車種の適合を実現した一要素である。日産自動車NVCSや本田技研工業のi-VTEC三菱自動車工業MIVECなどは同種のシステムである。

1990年代の業界再編期を経た現在は、グループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。燃料電池車や動力分割式ハイブリッドカーの開発では、部品供給で関係の深かった松下グループと連携し、また、欧州では知名度が今ひとつのためもあり、モータースポーツの世界最高峰に位置するF1に参戦するなど、最先端の技術開発・実用化に取り組んでいる。G-BOOKG-BOOK ALPHAと呼ばれる情報通信システム[27]は、本田技研工業のインターナビに登録者数で負けているが、グループ外他社に供与し、更に利用料を無料にするなど挽回策を図っている。

北海道士別市に巨大なテストコースを持っており、高速域や極寒冷下での試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

2005年(平成17年)8月30日に国内に投入した高級車ブランドレクサスは、当年目標の6割と販売は振るわなかった。これには、これまでのセルシオの事実上の4代目次期型としてブランドの旗艦たる新型LSの導入が遅れたことも要因の一つであるが、トヨタ自身はそれほど深刻に受け止めていない。また世界初のFRハイブリッド車を発売し、新型LSへもハイブリッド車を設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。

トヨタはロボット技術にも力を入れている。ロボット事業を将来の中核事業と位置付けており、実際に事業化する事を前提に積極的な開発が行われている。各地で行われるイベントでも家庭内や介護医療で使われる事を想定したトヨタ・パートナーロボットをお披露目している。

2006年(平成18年)、トヨタの研究開発費は2位の米製薬会社ファイザーを抑え、世界一であった。[28]

販売戦略[編集]

ブランド[編集]

トヨタ[編集]

創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備していた。この結果培われた営業網の強力さは「販売のトヨタ」と言われている。現在、日本国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。

これは喜一郎に請われ1935年(昭和10年)にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国ゼネラルモーターズ流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での自動車販売網を整備し、オートローンもはじめるなど、米国GM流儀を日本において徹底させ、戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。

神谷はトヨタの販売責任者となってからは、GM方式を活かしつつ、戦時体制に伴うアメリカ車輸入・国内組み立て停止に乗じ、GM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として組織化し、巧みに取り込んでいった。この作戦は戦後、自動車製造・販売が再び許可されてから大きく役立てられることになる。

その成功はまず商用車から始まった。1954年(昭和29年)に発売された1000ccのSKBトラック[29]は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時日本国内の市場を席巻していた三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、大きな成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行することになる。

また、1955年(昭和30年)に発売された初代クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中国などでも本格生産が開始されている。

1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。

1989年(平成元年)に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝した。国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なるエンブレムを装着[30]している。

レクサス[編集]

レクサスの広告塔(東京渋谷)。
500台限定販売のスーパーカー レクサス・LFA

1989年 (平成元年)、アメリカで高級車ブランド「レクサス」(LEXUS )を創設し、大型高級セダンの「レクサス・LS」(日本では後に「トヨタ・セルシオ」として発売)と「レクサス・ES[31]を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるトヨタ・マークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた北米高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMWキャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃と影響を与えた。

世界各国で販売が開始された後、日本国内でもレクサスブランドを展開することになり、2005年(平成17年)8月30日から9月28日かけて、GSシリーズ、SCシリーズ、ISシリーズの3系列の国内販売を開始した。ちなみに、レクサスの国内展開前にもレクサスの名を露出していたことがあり、例えばウィンダムは発売当初のキャッチコピーで「レクサスES300、日本名・ウィンダム」と称していた。 2006年(平成18年)9月19日にはレクサスの旗艦車種のLSシリーズが投入され、続いてRXシリーズ、HSシリーズ、CTシリーズが投入された。

レクサスブランドにおいては、長年、日本独自のブランドデザインとして知的かつ先進的なステータスを与えたいとの考えから、華美な装飾を抑えた上で走行性能より乗り心地や品質に重点を置いた保守的な設計思想の車種ばかりであったが、近年は、操る楽しさや走行性能に特化したFシリーズのIS FLFAを投入したり、攻撃的なスピンドルグリルデザインを採用するなど、その方針を転換してきている。

サイオン[編集]

サイオンSCION )はアメリカの若者向けのブランドで2003年(平成15年)に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の“退屈なトヨタ車”のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA[32]、xB[33]で、後に日本未発売のクーペtCが追加された。北米では86はサイオンブランドからFR-Sの名前で販売されている。

「販売のトヨタ」[編集]

トヨタは、1950年代後半から60年代にかけて、クラウンコロナパブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。

さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型(あるいはヒエラルキー型)商品展開を完成させたのである。

これは日本的な年功序列終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表す。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「兄弟車」[34]を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。

また、全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。

このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売のトヨタ」と評された。

多様化するマーケット[編集]

近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。

1985年(昭和60年)、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。

1997年(平成9年)、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。業界では時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。

1999年(平成11年)に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野における拡販を試みている。2002年(平成14年)に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年(平成18年)には、フルサイズ・ピックアップ・トラックの最大市場であるアメリカテキサス州で、タンドラ生産を開始し、フルサイズ・ピックアップ・トラック市場へ本格参入した。

中国戦略[編集]

第一汽車集団と包括提携関係にある。また、2004年(平成16年)9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立した。

モータースポーツ[編集]

フォーミュラカースポーツプロトタイプGTツーリングカーラリーなど様々なカテゴリのレースに参加してきた。世界ラリー選手権 (WRC) では1990年代に7つのタイトル(ドライバーズ4回、マニュファクチャラーズ3回)を獲得した。

また、草の根レースの振興にも力を入れており、ナンバープレート付き車両で参加できるネッツカップを開催している。

幻の航空機計画[編集]

トヨタは戦前航空機を開発していたことが明らかにされている。

戦後にも航空機製造の禁止解除をにらんで航空機分野への進出を企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き、断念している。

1999年(平成11年)3月4日に子会社のエアフライトジャパン社に、エンジン燃料系統に改造を加えたパイパー機に試験飛行を行わせた。しかしながら、改造に対して十分な配慮がなされていなかったため、エンジンが停止し海上に墜落、搭乗者3名全員が死亡した。提携関係で同社が筆頭株主富士重工業航空宇宙部門を持っていること、最近では三菱重工業が主体となっている国産旅客機MRJに対して資本参加を発表したことから航空産業への思い入れが垣間見られる。

鉄道車両製造[編集]

1950年代 - 70年代、トヨタ自動車工業本社工場や元町工場から名古屋鉄道三河線土橋駅への専用線では、多くの小型ディーゼル機関車が運用されていた。これらの機関車は日本輸送機加藤製作所日本車輌の製造であったが、一部の機関車はトヨタ自動車工業で自社製造され、名古屋鉄道の車籍を有していたものもあった。その中にはガソリンエンジンを動力源とした機関車(GB10形)も存在したという。 これらのトヨタ製の機関車は、トヨタ自動車工場内専用線のみで使用されたものであり、台数、運用範囲も限定され、他の鉄道会社では使用されなかったようである(トヨタ製のエンジンを用いた各地の森林鉄道鉱山鉄道などの機関車は存在したが、トヨタ自動車の製造した機関車では無い)。

一般的な鉄レールの鉄道車両ではないが、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)では、トヨタグループ開発の磁気誘導式の無人バスシステム「IMTS」が長久手会場に会場内交通手段の一つとして設置され、法的に鉄道(磁気誘導式鉄道)として取り扱われた。

研究開発拠点[編集]

日本国内[編集]

日本国外[編集]

アメリカ[編集]

ヨーロッパ[編集]

アジア・太平洋[編集]

  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックタイ(TTCAP-TH)(タイサムットプラーカーン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発・評価、技術調査、現地車両開発
  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックオーストラリア(TTCAP-AU)(オーストラリアビクトリア州メルボルン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発、技術調査、現地車両開発

生産拠点[編集]

国内[編集]

直営[編集]

注:第三製造部のみレクサスセダン専用工場となり、技能員の制服・制帽も他とは異なる。

*工場コード および過去 - 現在の主な生産車両について
*第一製造部 1A組立ライン:A51 ランドクルーザー/ランドクルーザープラド/GX470
*第一製造部 1B組立ライン:A52 AE86トレノ/AE86レビン/ハイラックスピックアップ等
(現在は完成車組立ライン解体の上、1A組立ライン向けの部品順建ライン化により消滅。)
*第二製造部 2C組立ライン:A53 初代セルシオ/ソアラ等
(現在は完成車組立ライン解体の上、1A/2D工場向けのエンジン順建ライン化により消滅。)
*第二製造部 2D組立ライン:A54 AE86トレノ/AE86レビン/セリカ/カリーナED/RAV4/ヴァンガード等
*第三製造部 3E組立ライン:A55 レクサスLS/GS/IS/IS-F
  • 貞宝工場(愛知県豊田市) -(1986年操業)
    • 工場生産設備、他
  • 広瀬工場(愛知県豊田市) -(1989年操業)
    • 電子装備部品、他

子会社・関連会社運営(車両生産工場のみ)[編集]

日本国外[編集]

(26ヶ国、51社[4] (PDF)

北米[編集]

中南米[編集]

ヨーロッパ[編集]

  • イギリス
    • TMUK(Toyota Motor Manufacturing "UK"Ltd.)
      • バーナストン工場 ダービー州バーナストン
        • アベンシス、オーリス
  • フランス
    • TMMF(Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.)
      • ヤリス
  • トルコ
    • Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.
      • カローラ、カローラヴァーソ
  • チェコ
    • TPCA(Toyota Peugeot Citroën Automobile Czech,s.r.o.)
      • アイゴ
  • ロシア
    • Toyota Motor Manufacturing Russia Ltd.
      • カムリ
  • ポルトガル
    • Salvador Caetano I.M.V.T., S.A.
      • ダイナ、ハイエース、オプティモ
  • ポーランド
    • Toyota Motor Manufacturing Poland SP.zo.o.
    • Toyota Motor Industries Poland SP.zo.o.
      • エンジン、マニュアルトランスミッション

アフリカ[編集]

アジア[編集]

オセアニア[編集]

中近東[編集]

車種[編集]

トヨタ自動車の車種一覧については別項を参照[37]

トヨタグループの関係会社など[編集]

トヨタは、戦後すぐに経営危機に陥った時に、日本銀行名古屋支店の斡旋で東海銀行と(旧第一銀行分離後の)帝国銀行の支援を受けた関係から、東海銀行(後のUFJ銀行、現在の三菱東京UFJ銀行)の他、三井銀行(旧帝国銀行、後の太陽神戸三井銀行→さくら銀行、現在の三井住友銀行)を主力取引銀行(メインバンク)としてきた。二木会(三井グループ)にはオブザーバーとして参事し、二木会・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(グループ各社の部課長クラス以上・OBを会員とする親睦クラブ)に加盟している。また、豊田章一郞トヨタ自動車名誉会長の妻は三井家の出身である。

住友銀行および旧三菱銀行はトヨタが危機に陥った際、真っ先に貸出金の回収に走り取引を打ち切った(住友銀行の記事参照)。そのためトヨタ内では住銀は「仇」と看做されてきた。現在「恩人」であった旧さくら銀行と住友銀行が合併しているため、三井住友銀行との関係は以前より疎遠になっているという指摘もある。しかしながら、トヨタはどちらかといえば独立系であり、旧六大企業グループ(三井二木会、住友白水会三菱金曜会芙蓉会三和三水会第一勧銀グループ)1つ分に匹敵する「トヨタグループ」を形成しており、三井住友銀行との疎遠が経営に影響を及ぼすことはない。

トヨタの主要関連会社・外縁企業・関連団体・関連学校についてはトヨタグループを参照。

ディーラー[編集]

他のメーカーが全店舗全車種扱いに移行していく中、依然としてトヨタ自動車はディーラーごとに取り扱い車種が異なる。特にネッツ店は、他のトヨタ系列との併売をしている車種が極端に少ない。 また、かつては大阪府内のみトヨタ店とトヨペット店の取り扱い車種が逆だったが、現在では一部車種を除き他の都道府県と同様の取り扱いになっている。

キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)[編集]

  • ファミリーカーのトヨタ(1966年 - 1969年) - 「ファミリーカーのトヨタと呼んで下さい」という当時の企業広告から。テレビの提供読みの時には「世界のファミリーカー」とコールされたものがある。
  • 進歩のマーク(1967年 - 1970年)
  • 信頼のマーク(1967年 - 1970年) - この2つのキャッチコピーは広告上で併用された。
  • 愛される車をめざして(1971年 - 1980年) - ※放送では筆頭提供で放送される場合「愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることも多く、この場合番組によっては提供時間の終わりのスポンサーコールで「誰からも愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることが多かった。
  • ムダ・ムリ・ムラのない運転で ガソリンを大切に使いましょう(1973年)
  • TTCのトヨタ(1974年) - 「TTC」とは「トヨタトータルクリーンシステム」のこと。
  • ゆたかな明日を築く トヨタグループ(1975年) - 知られざる世界の提供読みで使用。
  • 安全はトヨタの願い(1978年 - 1982年、CMのみで使用)
  • 新技術-時代はTOYOTA(1982年 - 1988年)
  • Fun To Drive(1984年 - 1990年3月)
  • VISION 先進技術で、価値ある1台を(1988年)
  • シートベルトを忘れずに(1989年初頭 - 同年9月) - 「Fun To Drive」と兼用、コマーシャルなどで使用
  • 新しいトヨタが走りはじめます。 (1989年 - 1990年9月) - この時点から、現在のトヨタのCIが制定される。(後述)1989年まではCIを出さないCMもあったが、1990年以降は全てのCMでCIを出すようになった。また、以前のキャッチフレーズ「Fun To Drive」も兼用された。
  • 人へ。社会へ。地球へ。(1990年10月 - 1999年)
  • BIG CHALLENGE(1993年 - 1996年) - このころ、「Sedan Innovation」や「ACTION」というキャッチコピーも展開されていた。
  • クルマが未来になっていく。(1997年 - 1999年) - このあたりから90秒以上の提供時はこれまでの社名のみからキャッチコピー・社名に変更。
  • Drive Your Dreams.(2000年 - 2011年秋) - カタログなど一部では2011年秋以降もこのスローガンが使われていた。
    • 人、社会、地球の新しい未来へ。(サブキャッチコピー)
      1社提供・及び90秒以上の提供時は「Drive Your Dreams. トヨタ自動車(2005年7月からトヨタ)」になっている。(素敵な宇宙船地球号についてはトヨタグループ全体の協賛であるためこれはコメントされていない)
  • MORE THAN BEST(2004年 - 2006年3月) -なお、本キャッチコピー発表後はサザンオールスターズCMソングに起用された。
  • トビラを開けよう(2006年4月 - 2008年ごろ) - このキャッチコピーよりMr.Childrenの「箒星」がCMソングに起用されている。
  • FUN TO DRIVE, AGAIN.(2011年秋 - ) - このころから、1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は左記スローガンを3行で大きく表示し、その下にエンブレムのTマークを挿入(TOYOTAの社名は表示されていない)している。60秒以下の協賛は従来通りに「Tマーク+TOYOTA」である。
  • moving forward(米国における企業スローガン)
  • The pursuit of perfection(レクサスブランドのグローバルスローガン。2013年4月まで使用された)
  • AMAGING IN MOTION(2013年4月よりレクサスブランドで使用されているスローガン)

この他、販売店ごとに以下のような独自のキャッチフレーズもある。

  • Welcome To VISTA(ビスタ店、1981年 - 1999年)
  • ACCESS VISTA(ビスタ店、2000年 - 2004年)
  • Make the style.(ネッツ店、2004年 - 2010年)
  • the Creative.(ネッツ店、2010年 - 現在)
  • もっとクルマの話、しませんか。Answer for You(トヨペット店)
  • 最上の出会いをトヨタ店で(トヨタ店)
  • hello!(トヨタカローラ店、2001年 - 2006年2月)
  • うれしいこと 全力で。あなたの街のカローラ店(トヨタカローラ店、2006年3月 - 現在)
  • 微笑むプレミアム。(レクサス店 2006年まで)

現在の「TOYOTA」ロゴマークは1978年(昭和53年)4月(アメリカ、カナダは1986年4月)から使用されている。

1967年から1978年3月(アメリカ、カナダは1986年3月)まで、新聞広告・雑誌広告・テレビCMで使われた「TOYOTA」ロゴマークは、書体が現在の物より細いゴシック体となっていた。国内では「進歩のマーク」「信頼のマーク」「'愛される車をめざして」のキャッチコピー、丸の中に片仮名で「トヨタ」と文字の入ったマークと共に使用され、日本国外でもカタログなどに使用された。

なお、旧トヨタマークは戦前に一般公募を行い制定されたもの。社章・正社員章として現在も使われている。現在のトヨタマークは1989年10月からで、縦と横に組み合わされたふたつの楕円は、トヨタのT、そしてその背後の空間は、トヨタの先進技術のグローバルな広がりと未来へ翔ける無限の可能性を表している。[38]同月にデビューした初代セルシオから採用された(商標登録日本第2392335号)。

香川トヨペットは、青色のセダンをモチーフとした独自のキャラクター「とよのすけ」を製作。蝶ネクタイをまとい、なぜかマイクの前で楽しそうにしている。その愛らしさから、地元では人気がある。[要出典]

造成開発地[編集]

トヨタ自動車は現在、子会社のトヨタすまいるライフ株式会社(旧トヨタ住宅)他と共同で住宅地をいくつか造成開発している。

  • リバーサイドヒルズさくら台 - 愛知県岡崎市細川町字桜台地内(建築条件付土地分譲)
  • 緑陽台 - 愛知県岡崎市(戸建と土地)
  • 土岐プラズマ - 岐阜県(戸建分譲)
  • 自由ヶ丘サウスステージ - 福岡県宗像市(戸建と土地)
  • 上志段味 - 名古屋市守山区(戸建と土地)
  • シーサイド田原光崎 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 共和西27街区 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 東郷町春木台 - 愛知県日進市・東郷町(戸建分譲)
  • グリーン アヴェニュー日進笠寺山 - 愛知県日進市・東郷町(戸建と土地)
  • 日進市 香久山東 - 愛知県日進市・東郷町(戸建分譲)
  • あざぶの丘 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • 黒笹120街区 - 愛知県みよし市(戸建分譲)
  • 三好町根浦37街区 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • パークサイドアベニュー桜坂 - フジケン開発との戸建協同プロジェクト。事業開始は2001年から
  • 豊橋レイクタウン大清水台 - 愛知県豊橋市(アイシン開発の開発地。1980年から集合宅地の分譲契約)
  • T'sコート安城桜井 - 愛知県安城市桜井町貝戸尻(一般定期借地権)

スポンサーとして[編集]

以前は以下のアトラクションのオフィシャルスポンサーとして協賛していたが、現在は全て撤退している。

不祥事・事件・問題・批判(関連会社を含む)[編集]

中古車架空販売[編集]

トヨタ自動車が全額出資する大阪トヨタ自動車(旧大阪トヨペット)が、2004年(平成16年)、国産中古車を社員名義で自動車登録を行ない、販売実績を引き上げる架空販売を行なっていた[39]大阪府警察2006年(平成18年)10月10日、社員ら4名を電磁的公正証書原本不実記録、および供用の疑いで逮捕した[40]

北米トヨタのセクハラ[編集]

過労・サービス残業問題[編集]

トヨタ自動車中国広告問題[編集]

リコール関連[編集]

トヨタ日本国内リコール放置問題[編集]

  • 1988年にモデルチェンジしたハイラックスについて、2004年8月に熊本県内でハイラックスのハンドル操作が利かなくなる交通事故が発生した。
  • 2005年8月に熊本県警は、車軸の欠陥が存在していたにもかかわらず、販売済の車両についてリコールを行わなかった、として同社を家宅捜索。同社には1988年12月のモデルチェンジ以降に販売店から5件のリレーロッドが折れる事故が報告され、96年頃の社内調査で強度不足が発覚していたこと、新規生産分は改良品に切り替えたが市場に出回った分は放置していた事が県警調査で明らかになった。翌2006年7月、 熊本県警は業務上過失傷害の疑いでトヨタ自動車の品質保証部門の歴代三部長を書類送検した。2007年6月には、松尾邦弘 元検事総長がトヨタ自動車株式会社社外監査役就任した。2007年7月13日、熊本地検は(1)96年時点でロッド欠損などの不具合を報告する販売店からの報告は4件だけだった。(2)菊池市の事故まで人身事故はなかったなどの理由から、リコールしなければならない状況だったとは言えないとして3名を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。

アメリカでの大規模リコール[編集]

2010年2月22日、米ABCは南イリノイ大学のデビッド・ギルバート教授が行ったトヨタ車を急加速させる実験の映像を流し、車両に問題があることを示す報道を行ったが、その翌月トヨタ自動車側は報道されたような不具合は発生し得ないと指摘、それを受けABC側は同年3月12日に、該当の報道は映像に操作を施した捏造であったと認めた。

2010年(平成22年)4月14日アメリカ消費者団体専門誌「コンシューマー・リポート」で特定の運転状況下で横転する危険性を指摘され、全世界でレクサスGX460の販売を一時停止し、4月19日には全世界で約1万3000台を対象に、車両安定制御装置ソフトウェアの修正を発表、同様にプラドも約2万1000台を対象に実施した[41][42]

また、2010年6月21日、中国広州にあるデンソー系の電装(広州南沙)有限公司にて待遇改善を求めてストライキが発生し、トヨタの広州工場に対する自動車燃料噴射装置などの部品の供給が停止した[43]

2010年8月13日、米高速道路交通安全局(NHTSA)は、電子系統には異常がなく、事故のほとんどが運転者の人為的なミスによるものであると報告、翌2011年2月8日には、米運輸省は、NHTSAと米航空宇宙局(NASA)による10ヶ月の共同調査の結果を踏まえて、電子制御装置に欠陥はなかったと発表した[44]。NASAは電子制御装置に異常は見られず、NHTSAは加速ペダルと運転席フロアマットの欠陥は問題は確認されたものの、急発進事故の殆どが運転手のミスと確認された[45]ワシントン・ポストなど各新聞は、トヨタ叩きは政治的に引き起こされたヒステリーだったと議会などを批判した[46]。一方、米消費者団体は政府の調査は不十分とした[45]

2014年3月19日、アメリカ司法省とトヨタ自動車は、リコール問題の最終的な和解案に合意。トヨタ側が12億ドルを和解金の支払いとリコールに対する約束事項の遵守を負うこととなった。巨額の賠償金もさることながら、折りしもゼネラルモーターズでも大規模なリコール問題が生じたタイミングであり、アメリカにおけるリコール問題処理の模範になるものとして注目された[47]

このアメリカにおける大規模リコール問題は、同年日本国内でも毎日のように報道され、大きな話題を呼んだ。


その他日本国外における法的トラブル[編集]

1990年(平成2年)1月1日から2006年(平成18年)5月22日までの間に北米の関連会社Toyota Motor Credit Corporationがアフリカ系アメリカ人(黒人)とヒスパニック系アメリカ人に対し、白人に対して融資する際の年率(APR)より高い値を設定し人種差別を基に不当に利益を上げていたとしてカリフォルニア州中央行政裁判所、およびサンフランシスコ群高等裁判所に起訴された[48]

2006年(平成18年)9月20日にはフォード・モーターゼネラル・モーターズダイムラー・クライスラーホンダ日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長ビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴された[49]

書籍『トヨタの闇』における批判[編集]

関連会社[編集]

関連項目[編集]

スポーツ関連[編集]

所属スポーツ選手[編集]

直営自動車大学校[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 世界の自動車販売台数、トヨタが2年ぶり首位 CNN 2013年1月29日
  2. ^ トヨタが07年世界販売でGMとほぼ互角、今後のカギは新興国ロイター
  3. ^ a b トヨタ、販売でも初の世界一 Response. 2009年1月23日
  4. ^ a b トヨタ世界生産、自動車初の1000万台超 13年 日本経済新聞 2014年1月29日
  5. ^ 2014年3月22,23日にはTBS系から「LEADERS リーダーズ」というトヨタ(劇中ではアイチ)を扱った金融を中心とするドラマが放送された。
  6. ^ 「トヨタ」になって70年読売新聞
  7. ^ 会社四季報昭和34年第1集』(東洋経済新報社、1958年12月)の347ページ、『会社四季報昭和34年第2集』(東洋経済新報社、1959年4月)の347ページ
  8. ^ トヨタ自動車74年史 海外販売台数の推移 トヨタ公式サイト
  9. ^ a b アニュアルレポート 2005 トヨタ公式
  10. ^ a b 【決算】トヨタの2008年3月期決算は全項目過去最高も成長率は鈍化,2009年3月期は減収減益の見通し Tech On! 2008年5月8日
  11. ^ トヨタ09年3月期決算…4610億円の営業赤字 戦後初 Response. 2009年5月8日
  12. ^ 豊田トヨタ社長、トヨタは「凋落の第4段階」にある Response 2009年10月2日
  13. ^ 【池原照雄の単眼複眼】非常時体制のトヨタ、緊急VA・VEも Response. 2008年5月14日
  14. ^ トヨタ自動車75年史 原価企画・質量企画・部品標準化
  15. ^ トヨタ自動車、役員体制を変更 トヨタ公式サイト 2011年3月9日
  16. ^ トヨタ、取締役を大幅削減 意思決定を迅速化 日本経済新聞 2011年2月11日
  17. ^ トヨタ、新しいプラットフォーム戦略「TNGA」の狙いや現状を発表 Tech-On! 2013年3月27日
  18. ^ 【池原照雄の単眼複眼】トヨタ、機動力求めバーチャル分社 Response. 2013年3月13日
  19. ^ トヨタが自動車事業に4部門設置、大幅組織改編で意思決定を迅速化 ロイター 2013年3月6日
  20. ^ 役員人事、組織改正および人事異動について 2014年6月17日 トヨタ公式サイト
  21. ^ a b トヨタ自動車75年史 歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴) トヨタ公式サイト
  22. ^ 特に過激な事例を取り上げればトップ・ギア司会者3人組の扱き下ろしがある。「カローラの横に並んでいた冷蔵庫をカローラとして紹介し、没個性的だと揶揄」「初代LS(セルシオ)登場時に"退屈なレクサス"と発言」など、トヨタ車が扱き下ろされる際のキーワードは「無個性」「退屈」が多い。また、米国におけるサイオン導入も「トヨタ車は退屈」と言うネガティブイメージが背景にあるとされる。
  23. ^ 焦点:トヨタがデザイン改革に本腰、個性打ち出しブランド強化へ ロイター 2012年12月25日
  24. ^ 「チリ」とよばれる。
  25. ^ JDパワー保険会社のランキングなどによる。
  26. ^ ただし最初に開発・実用化したのはフォード社。
  27. ^ なお、同社の情報通信システムの場合、通信用インターフェイスにおけるBluetoothの採用に関しては他社に対して非常に積極的で、同社の純正カーナビにおいて積極的に導入されるケースも少なくない。
  28. ^ 世界のトップ1000企業の2006年研究開発費,前年比10%増の4470億ドル
  29. ^ 1956年(昭和31年)から「トヨエース」と愛称(ペットネーム)が付いた。
  30. ^ 例:ネッツ店専売車種(例:後期型以降のアベンシス、2代目ヴィッツ、後期型以降のウィッシュ、2代目bBオーリス、3代目RAV4ヴェルファイア、2代目ヴォクシー等)の「N」マーク、E120系(9代目)カローラシリーズ以降の「NCV」マーク、マークXおよびマークXジオの「X」マーク、プレミオの「P」、アリオンの「A」、初代ラクティスの「R」マーク等。リアは大抵の場合トヨタマークが付いている。
  31. ^ 日本で販売されていた「トヨタ・カムリプロミネント」の仕様変更版。
  32. ^ 日本では初代ist
  33. ^ 日本では初代bB、2代目はカローラルミオン
  34. ^ 例:X70系 - X100系までのマークII/チェイサー/クレスタ、L20系以降のターセル/コルサ/カローラII、E20系 - E110系までのカローラシリーズ/スプリンターシリーズ、T150系以降のコロナ/カリーナ(のちのプレミオ/アリオン)、V10系 - V40系までのカムリ/ビスタ、エスティマエミーナ/エスティマルシーダ、グランビア/グランドハイエースタウンエース/ライトエース/マスターエースカローラランクス/アレックス、ノア/ヴォクシーサクシード/プロボックスなど。
  35. ^ トヨタ、3代目プリウスを中国で生産開始
  36. ^ 2012年7月現在販売終了。
  37. ^ トヨタ自動車、英国製ワゴン「アベンシス」を国内再投入 GAZOO.com 2011年3月28日閲覧
  38. ^ くるまの理科・社会 Vol.002「第2回 トヨタ・3つの輪に込めた想い」
  39. ^ 読売新聞2006年 9月24日、同年9月28日記事。2004年6月に35万円で仕入れた国産中古車を同月下旬、営業店社員に45万円で販売し、社員名義で自動車登録。同年11月、この車を80万円で買い取った形にし、数日後、一般顧客に90万円で販売していた。
  40. ^ [1]10月31日には元店長と元室長を電磁的公正証書原本不実記録の疑いで再逮捕、11月9日に大阪地検に追送検した。[要出典]
  41. ^ ランドクルーザープラドのリコール対象は中東、ロシアが主体で日本などで販売された右ハンドル車はリコールの対象外である。 トヨタ・レクサスGXの販売一時中止、世界全体に拡大 MSN産経ニュース 2010年4月14日
  42. ^ レクサスSUVなど全世界で3万4000台リコール MSN産経ニュース 2010年4月20日
  43. ^ トヨタ広州、操業停止 デンソー系メーカーでスト - 中国新聞 2010年6月23日
  44. ^ 電子系統に欠陥なし=トヨタ車の急加速で-米運輸長官は「安全宣言」時事ドットコム 2011年2月9日
  45. ^ a b トヨタの悔しさ、NASAが晴らす 中央日報 2011年2月10日
  46. ^ トヨタ問題は政治的ヒステリー 米紙が議会を批 47NEWS 2011年2月10日
  47. ^ “トヨタ、「急加速」問題めぐり1200億円を支払いへ 過去最大の罰金額、他社も影響懸念か”. NewSphere. (2014年3月20日). http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=3747098 2014年4月13日閲覧。 
  48. ^ ケースナンバーはCV 01-05564-FMCおよびJ.C.C.P. No. 4346:2006年8月現在、進行中
  49. ^ [2]
  50. ^ トヨタ、米テスラと電気自動車で提携”. レスポンス自動車ニュース (2010年5月21日). 2011年1月9日閲覧。

外部リンク[編集]

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