高倉健

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たかくら けん
高倉 健
本名 小田 剛一 (おだ ごういち)
生年月日 1931年2月16日(82歳)
出生地 日本の旗 日本 福岡県中間市
国籍 日本の旗 日本
身長 180 cm
血液型 B型
職業 俳優歌手
ジャンル 映画テレビドラマCM
活動期間 1955年 -
配偶者 江利チエミ(歌手・女優)
1959年 - 1971年
主な作品
網走番外地』シリーズ
日本侠客伝』シリーズ
昭和残侠伝』シリーズ
新幹線大爆破』/『八甲田山
幸福の黄色いハンカチ
南極物語』/『ブラック・レイン
鉄道員(ぽっぽや)

高倉 健 (たかくら けん、1931年2月16日 - ) は、日本俳優歌手。本名、小田 剛一 (おだ ごういち)。愛称は健さん。2006年度文化功労者

日本を代表する映画スター。半世紀以上活躍しており、代表作は映画『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『新幹線大爆破』、『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山』、『南極物語』、『鉄道員(ぽっぽや)』など。いずれも邦画史上に残るヒットを記録している[注釈 1]

身長180cm血液型B型[1]。高倉プロモーション所属。

目次

来歴 [編集]

生い立ち [編集]

1931年福岡県中間市の裕福な一家に生まれる。父は旧海軍の軍人で、炭鉱夫の取りまとめ役などをしていた[2]。母は元・教員だった。幼少期の高倉は、肺を病み、虚弱だった。終戦を迎えた中学生の時、アメリカ文化に触れ、中でもボクシング英語に興味を持った[2]。学校に掛け合ってボクシング部を作り、夢中になって打ち込み、戦績は6勝1敗だった[2]

英語は小倉米軍司令官の息子と友達になり、週末に遊びに行くなかで覚え、高校時代にはESS部を創設して英語力に磨きをかけた[2]福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、貿易商を目指して明治大学商学部商学科へ進学。在学中は相撲部のマネージャーを1年間務めていた。明治大学卒業後、思ったような就職先がなく一旦帰郷した。

俳優へ [編集]

1955年に大学時代の知人のつてで、美空ひばりらが所属する新芸プロのマネージャーになるため、喫茶店で面接テストを受けた。その際、偶然その場にいた(当時の)東映東京撮影所長で、プロデューサーのマキノ光雄にスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期に今井健二丘さとみ・岡田敏子・五味龍太郎らがいる。当時、ニューフェイスは映画デビューまでに俳優座演技研究所で6か月、さらに東映の撮影所で6か月の修行期間(エキストラ出演など)を経ることが決められていたが、1か月半での主役デビューが決定した。その際に、マキノの知人から「高倉健」と芸名ををつけられる。高倉本人は、デビュー作の主人公の役名「忍勇作」を希望していたが却下され、嫌々ながらの芸名デビューともなった。

演技経験も皆無で、親族に有名人や映画関係者がいるわけでもない無名の新人だったが、翌1956年の映画『電光空手打ち』で主役デビュー。元々俳優を目指していた訳ではないことから、初めて顔にドーランを塗り、化粧をした自分を鏡で見た時、情けなくて涙が止まらなかったという。その後、アクション喜劇刑事ギャング青春戦争文学ミステリなど、幅広く現代劇映画に出演し、この頃から主演スターの一人として活躍していたが、まともな演技のトレーニングも受けたこともないまま、数多くの作品に出演し続けることがコンプレックスになっていた。1960年代前半まで時代劇映画をメインにしていた東映では、片岡千恵蔵中村錦之助・美空ひばりの映画などにも助演していた。

仁侠映画 [編集]

1963年に出演した『人生劇場 飛車角』以降、仁侠映画を中心に活躍。1964年から始まる『日本侠客伝シリーズ』、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝シリーズ』などに主演。『網走番外地』シリーズの主題歌(同タイトル)は、のちに歌詞の一部が反社会的であるとの理由で一時は放送禁止歌になったが公称200万枚を売り上げ[3]、『昭和残侠伝』シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』もカラオケなどで歌い継がれている人気曲である。70年安保をめぐる混乱という当時の社会情勢を背景に、「不条理な仕打ちに耐え、ついには復讐を果たす着流しのアウトロー」である高倉演じる主人公は、学生運動に身を投じる学生を含め、当時の男性に熱狂的な支持を受けた[4]が、当の高倉本人は年間10本以上にも及ぶ当時のハードな制作スケジュール、毎回繰り返される同じようなストーリー展開、という中で心身ともに疲弊し、気持ちが入らず不本意な芝居も多かったという。そうした中で、何度か自ら映画館に足を運んだ際、通路まで満員になった観客がスクリーンに向かって喝采し、映画が終わると主人公に自分を投影させて、人が変わったように出ていくさまを目の当たりにし、強い衝撃を受けたという。これについて「これ、何なのかな・・と思ったことあるよ。わかりません、僕には。なんでこんなに熱狂するのかな、というのは。だからとっても(映画というのは)怖いメディアだよね。明らかに観終わった後は、人が違ってるもんね。」と、当時の様子を客観視し語っている[注釈 2][5]。当時の風貌は、劇画ゴルゴ13』の主人公・デューク東郷のモデルにもなり、同作の実写映画版への出演は、原作者のさいとう・たかをたっての要望であったという[注釈 3]

独立 [編集]

映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 (1966年にんじんプロダクション / 國光影業) を皮切りにハリウッド映画など、東映以外の作品にも出演していたが、1970年には高倉プロを設立。1976年に東映を退社し、フリーに転向した。同年の映画『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ / 大映) にて、10年以上、出演し続けた仁侠映画のイメージから脱却。翌1977年には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の二作品に主演し、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これ以後も数々の作品に出演し、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いている。これと前後してアメリカ映画中国映画などの海外作品にも出演しており、1998年には紫綬褒章を受賞した。一方でテレビドラマへの出演は1977年の初主演作『あにき』(TBS、脚本:倉本聰)をはじめ5作品である。その出演理由も「故郷にいる母親に、テレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というものである。CMにも数多く出演しているが、富士通のパソコンFMVのCMでは『幸福の黄色いハンカチ』で夫婦を演じた倍賞千恵子と再び夫婦の設定で出演し、コミカルな演技を見せた。2006年4月2日の『世界遺産』(TBS)で初めてナレーションを務めた。

近況 [編集]

2005年8月12日、『網走番外地』シリーズの石井輝男監督が死去。石井の遺志により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建立され、2006年8月5日、納骨の儀が執り行われた。“安らかに 石井輝男”と記されたこの墓碑の碑文は、高倉によってしたためられたものである[6]

2006年11月に行われた天皇・皇后主催の文化勲章受章者・文化功労者を招いたお茶会に出席して以来、公の場に姿を見せていなかったが2009年11月、同年8月に亡くなった女優大原麗子の墓参に訪れ、掃除をし、30分以上語りかけていたことが2010年8月に伝えられた[7]

2012年8月、前作『単騎、千里を走る。』から6年ぶり、205本目の主演作品となる映画『あなたへ』で銀幕復帰。11月27日、本作により「第37回報知映画賞」主演男優賞を受賞する。高倉の同映画賞での受賞は1977年に『八甲田山』、『幸せの黄色いハンカチ』で主演男優賞を受賞して以来、35年ぶりである[8]。また、同じく本作では12月6日に発表された「第25回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞」においても主演男優賞を受賞。作品も石原裕次郎賞を受賞した。
尚、2013年1月22日に発表された日本アカデミー賞優秀主演男優賞にも選出されたが、「若い人に譲りたい」との理由で、これは辞退している。受賞辞退は2002年の『ホタル』以来2度目となる。

2012年10月10日には「五十有余年におよぶ活躍と、孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優としての存在感」により、第60回 菊池寛賞に選出されている(授賞式は欠席し、代理人を通じて「思いがけない受賞で驚いています。非常に光栄です。ありがとうございます」とのコメントを寄せている)[9]

人物 [編集]

人柄 [編集]

義理がたく、人情が厚く、筋を通す、礼儀正しい人物として知られ、すべての共演者に挨拶を忘れず、監督やプロデューサーをはじめ、若い新人俳優やスタッフにも必ず立ち上がり、丁寧にお辞儀して敬意を払う[2]

千葉真一は高倉を “ 一生あこがれの存在で永遠の師匠 ” と公言している[10]。「(千葉が)デビューして間もない頃、健さんが食事によく連れて行ってくれたり、取材向きの洋服がない時に健さんからスーツをもらった[10]」、「役者として少し売れてきた後でも(千葉自身の)撮影がない時には、健さんの付き人をしていた[10]」、「(千葉が)離婚した時に健さんから手紙で励まされ、それが心の支えになった[10]」、「(千葉が)東映労働組合委員長と撮影進行で衝突して、映画界を辞めようと思った時に、健さんが思いとどまらせ、一緒に謝ってくれた[2]」など、「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった[10]」と語っている。

他にも役者として人間として尊敬している人物は多く、『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄矢は、現場で高倉を発見すると100メートルほど離れた所からでも「健さーん!」と叫びながら手を振り、全力疾走で走ってきたという[11]石倉三郎小林稔侍板東英二らからもこよなく慕われており、石倉は芸名に「倉」の字をもらい、小林も息子の名前に「健」を付けている。

気持ちの通じ合った共演者にはブライトリングロレックスヴァシュロン・コンスタンタンなどの腕時計を感謝を表す言葉と「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があり[12]、千葉真一[12]田中邦衛[12]渡瀬恒彦、板東英二、宇崎竜童[13]ビートたけし[12]が貰っている。田中も高倉をこよなく尊敬し、出かける際にはその時計を身に付けている。『あなたへ』で共演した岡村隆史は撮影現場での取材中、「岡村! 嘘ばっか言ってんじゃないよ(笑)!」と近寄ってきた高倉から、「忘れもんだよ」と高倉の私物であるポルシェ911のキャップ(帽子)にオリジナルのバッジが添えられた物を、プレゼントされている[13]

ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラス大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃。その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた[14]。『君よ憤怒の河を渉れ』が中華人民共和国に輸入され、中国人の半分が観たともいわれており[15]、宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している[注釈 4]2006年4月には北京電影学院客員教授に就任している

夜叉』で共演したビートたけしは撮影中のエピソードとして、真冬の福井へロケに行ったある日、高倉はオフだったにもかかわらず、ロケ現場へ激励に現れた。厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は全く焚火にあたろうとしない。スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。このためスタッフだけでなく、共演者誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた[注釈 5]。撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った「ふぐ刺し」が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮し、手をつけなかったという。突然の事で数も揃わないことから、高倉と監督以外は「カワハギの薄造り」で急場をしのぎ、事なきを得たという[注釈 6][11][16]

1984年日本生命のCMでの「自分、不器用ですから」の台詞で無骨で無口なイメージがあるが、実際は話し好き、いたずら好きで冗談を交えながら共演者やスタッフを和ませている。またロケ先では周辺を散策し、地元の住民との交流も欠かさない[注釈 7][5]。漫才師から役者業に進出してきたたけしに対抗して、田中邦衛と組んで漫才界に進出しようという話題になったことがあり、田中は「止めといたほうがいい」と制止した。高倉が「それじゃお前は何をやるんだ?」と言うと、田中は「二種免許取ります」と返答したという。たけしは高倉と田中がタクシーの運転手になる可能性を、真剣に検討していることに大ウケした[11][17]。昼間に高倉とたけしが車に同乗して移動していた時に、渋谷駅ハチ公改札前近くのスクランブル交差点で信号待ちの為に停車したところ、高倉は窓を開けていきなり「おーい、高倉ー!」と大声で何度も車外へ叫び続け、信号が変わり車が走り出すとようやく窓を閉めて元に戻り「いやあ、こんなに沢山の人が通っているのに、誰も気が付かないもんなんだなあ、俺がここに居るって」と独りで喜んでいた。高倉とたけしが車に同乗していることを多数の一般人に知れてしまうと、野次馬で混乱が発生する危険性が容易に予想されたにも拘らず、大都会での他人に対する無関心を逆手にとって面白がっていたとたけしが語っている[11]

役作り・姿勢 [編集]

余計なテクニックを廃し、最小限の言葉で、演じる人物の心に込み上げるその瞬間の心情を表す台詞・動きを表現する芝居を真骨頂としており、基本的に本番は1テイクしか撮らせない。これについて「映画はその時によぎる本物の心情を表現するもの。同じ芝居を何度も演じる事は僕にはできない」と述べている。また「普段どんな生活をしているか、どんな人と出会ってきたか、何に感動し何に感謝しているか、そうした役者個人の生き方が芝居に出ると思っている」としており、肝に銘じているという。「俳優にとって大切なのは、造形と人生経験と本人の生き方。生き方が出るんでしょうね。テクニックではないですよね」とも言い切る。[5][18]仕事に対する姿勢の一端として「親族の葬儀なども一度も参列していないし、それを理由に撮影中止にしてもらったことはない。それは自分にとってのプロとしてのプライドであり、課してきたこと」「(この仕事に就いた時から)捨ててるもんだと思いますよ。捨てなくたって、やろうと思えばできるんだもんね」と語っている。『あ・うん』撮影時に母親を亡くした時も葬儀には参列せず、軽妙な役柄を演じ切った[5]

「俳優にとって身体は唯一の資本」を信条とし、細心の注意を払っている。筋力トレーニングジョギングを欠かさなかったが、2012年時点ではウォーキングストレッチを日課としている。トレーニングの際には脳への刺激や咀嚼力の維持を目的に、マウスピースを使用している。[5]酒を飲まず、煙草も1日に80本も吸うヘビースモーカーであったが、映画『八甲田山』が3年がかりの長期ロケとなったため、完成の願掛けに正月の成田山の初詣の際、禁煙して以来、30年以上絶っている[19][注釈 8]。都内に居る時には毎日、血糖値測定や健康チェックを行い、朝食ではミューズリーグラノーラなどのシリアルにプレーンヨーグルトをかけたものを常食とし、毎日しっかり摂ることで体のリズムを整え、夕食まで殆ど食べない生活を続けている。こうした努力により、体重は70 kg以下を維持しており、若い頃からウエストサイズは変わっていない。[5][18]賭け事も一切せず、麻雀好きの片岡千恵蔵からは「麻雀ができないで、なんで良い役者になれるか 健坊」と何度も怒られたが、結局覚える事は無かったという。また銀座のような歓楽街に出ていくこともしない。この事については「変わってると言えば、変わってるのかもしれないね。だから『色気が無い』とか言われちゃうんじゃないの? やっぱりそっちを少しは勉強しておかなくちゃいけなかったのかもしれない。でももう遅いからね、それは……」と述懐している[13]。このような仕事への真摯な姿勢は北大路欣也も影響を受けたと述べている[20]

本来はチョコレートなど甘い物好きであるが、我慢するように心がけているという[5]。ビートたけしは『夜叉』の撮影中の話として、現場で食事を殆ど口にしない高倉だが、待ち時間には付き人に声をかけ、チョコレートの詰め合わせの箱を持って来させて、中から大好きな「ナッツ入りチョコレート」を選んで食べていたという。ある日付き人がそのお気に入りのチョコレートを食べてしまった事から「俺の好きなナッツの入ったやつ、まだ残ってたろ? なんで喰っちまったんだよ!!」と子供のように口を尖らせて怒っている様子を目撃し、イメージとのギャップに思わず笑ってしまった、と語っている[11]

撮影現場で座らないということについて「疲れますよ、やっぱり。ただ、座ると何となくもう・・・。だんだん精神的にファイトが無くなるような気がして、立っていたほうがいいなと・・・」と自分に課した事のひとつである事を明かしている[5]。一方では「たけちゃんがあっちこっちで『座らない』『火に近づかない』なんて言うもんだから、おいそれと出来なくなった」と冗談にして答えている。「撮影現場でも座りますよ」とも語っているが、それはあくまで「座っている場面を演じている時に……」である[16]。何よりも「現場に居てこそ感じられる事がある。その場の景色や空気、スタッフの努力など、見ていて鳥肌が立つ思いの時がある。だからこそここに居たい」「自分よりもお金を貰っていない人たちのほうがはるかに頑張っている。現場はそうした人たちによって成り立っている。そんなことに気づくまで何十年もかかった」と、出番以外も常に現場に立ち続ける事への思いを語っている[13]

完全なオフの期間を含めて都内にいる時にはほぼ毎日、40年来懇意にしている港区高輪にある理髪店に通い、髪を切っている。ここには高倉専用の個室が用意されており、撮影に入る際には店主と髪型を打ち合わせて、役柄のイメージでカットしてもらう。この個室で長時間過ごす事もあり、高倉の私物も数多く持ち込まれている。事務所からの連絡を受けるためにFAX電話も設置されている[5]

常に感性に磨きをかけ、「感じやすい心」を保っておくために、読書や刀剣・美術品鑑賞、映画、音楽など、常に気に入ったものに触れる機会を作り、海外旅行へも出かけていく。撮影に際して、台本のカバーや裏表紙には有名、無名に関係なく、気に入った「心を震わせる」フレーズや詩歌などを貼りつけたり、忍ばせて持ち歩いている。『あなたへ』の撮影では、相田みつをの詩や会津八一の短歌など[5][18]と一緒に、雑誌に掲載されていたという東日本大震災の被災地での1コマを撮影した写真[注釈 9]も一緒に貼りつけて持ち歩いていた。山本周五郎の著作のフレーズや、主人公の生き方について書かれた木村久邇典の『男としての人生 - 山本周五郎のヒーローたち 』もお気に入りの1冊として持ち歩いている。長期間の撮影の中では、ベテランの高倉でも感情のコントロールが出来ない時があり、そうしたときは持っているこうした物にすがっているという。また台本だけでなく、自宅の洗面所などにもこうしたものが貼られており、気持ちを盛り上げている。この事について「俳優ってそれほど頼りないものなんですよ」と語っている[5][18]

映画『網走番外地」ではヒロインもラブロマンスも無く、刑務所や脱獄が主題の映画となって売り上げが見込めないと予算をカットされた。添え物映画でモノクロ作品にすると社長の大川博に言われ、意見すると「嫌なら主演を梅宮辰夫に変える」とまで言われてしまう。仕方なくロケ地の北海道で撮影に入ったが、監督の石井輝男がなかなかやって来ない。スタッフと様子を見に旅館へ行くと、石井が窓の隙間から雪が入り込んだ粗末な部屋で丸くなって寝ていた。高倉は「この映画をヒットさせるためなら…。監督を笑顔にするためなら、俺はどんなことでもするぞ」とスタッフに漏らし、『網走番外地』シリーズは年2、3作、計18作のシリーズとなった[21]

1976年に東映から独立以降、作品の内容、スタッフ、ギャラなど自分が本当に納得できる作品を選んで出演している。一方で、「より厳しい状況に身を置いて、役者としての自分を磨くこと」も信条としている。[5]初の松竹出演となった『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭で、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂で、女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンカツ丼を食べるシーンがある。その収録で「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次監督からOKが出た。あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。

1983年降旗康男監督作品『居酒屋兆治』の準備が進行していた頃、黒澤明監督作品『』に「鉄修理(くろがねしゅり)」役での出演を打診されている。「でも僕が『乱』に出ちゃうと、『居酒屋兆治』がいつ撮影できるかわからなくなる。僕がとても悪くて、計算高い奴になると追い込まれて、僕は黒沢さんのところへ謝りに行きました」と述懐している。黒澤は当初から高倉を想定してこの役を書いており、この時には自ら高倉宅へ足繁く4回通い、「困ったよ高倉君、僕の中で鉄(くろがね)の役がこんなに膨らんでいるんですよ。僕が降旗君のところへ謝りに行きます。」とまで申し出ているが、高倉は「いや、それをされたら降旗監督が困ると思いますから。二つを天秤にかけたら誰が考えたって、世界の黒澤作品を選ぶでしょうが、僕には出来ない。本当に申し訳ない」と謝罪、この話を断った。黒澤は高倉に対して「あなたは難しい」と漏らしたという。結局この役は井川比佐志が演じている[22]

東映を離れ、フリーに転じてから、1つの作品を終えるたびにスクリーンから離れ、マスコミや公の場から距離を置く事を決まり事としている。それは、1つの作品を終えるたびに高倉を襲うという、“深い喪失感”に関係しているという。特に『あなたへ』に主演する前には、自身最長となる6年間の空白期間が生じた。前回主演した日中合作の映画『単騎、千里を走る。』の後、中国人の共演者やスタッフたちと別れるときに感じた気持ちと『あなたへ』の出演を決めたことについて、「分かんないね……。多分ね、この別れるのに涙が出るとかっていうのは、お芝居ではないところで、泣いているのだと思うんですよね。ああ楽しかったとか、別れたくないとか、もう二度と会えないかもしれないとか。特に中国のスタッフは。だから、そういうものを自分がお金に取っ替えてるっていう職業ってのは、悲しいなあってどっかで思ったのかもしれないね。それを売り物にするものでは、ないんじゃないかなっていう。でもしょうがないですよね、同じ人とずっとはやれないんだから。そういう切ない仕事なんですよ。だから、それはそんなに気を入れなければいいんだっていう、そのこともわかってるんだけども、やっぱり出会って仕事だ、出会って仕事だって言う。分かってるんだけど、強烈なのを受けると、しばらく。なんとなく、恋愛みたいなものなんじゃないの。多分、恋愛だよね。じゃなきゃ泣きませんよ。お金もらうところじゃないんだもん、映ってないところで泣くんだから。泣くんですよ。大の大人が(笑)。それが中国は強烈だったってことでしょうね。いや、今でも分かりませんよ。じゃあ、なんで今度(『あなたへ』)はやったのって言ったら、こんなに断ってばかりいると、またこれ断ったら(降旗)監督と、もうできなくなる年齢が来てるんじゃないかなと、2人とも。それはもう1本撮っておきたいよなっていうのが、今回の。本音を言えばそうかもしれないよ。」と、その心情を初めて漏らしている[13][23]

祖先・親族 [編集]

祖先は鎌倉時代執権北条家の一門である名越氏の一族・刈田式部大夫と言われた北条篤時で、篤時の子孫が西国に移り、大内氏に仕えた後に北九州へ向かった[2]。当地で北条の名を捨て『小松屋』の屋号で両替商を営み、後に筑前国藩主黒田家から名字帯刀を許されて小田姓を名乗るようになった[2]江戸時代末期に『東路日記』を記した、筑前国の庄屋の内儀・小田宅子(おだいえこ)は先祖にあたる。

1959年、映画での共演がきっかけで江利チエミと結婚したが、1971年に離婚。その後は独身を通している。江利は1982年2月13日に不慮の死を遂げている。江利の死後、高倉は毎年命日の早朝に一人でひっそりと墓参し、花を手向けている。離婚の原因は不仲によるものではなく、芸能人である江利を妬み、家政婦として小田家に入り込んだ江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷[注釈 10]と夫婦の財産横領が原因とされており、「これ以上迷惑をかけられない」と江利側から申し出たものである。この異父姉はその後、江利自身によって刑事告訴され、実刑判決を受けている[注釈 11]

交友 [編集]

東京アメリカンクラブのメンバーである高倉は外国人の友人・知人が多い[2]千葉真一は高倉に誘われて同クラブへ行った時や、パンアメリカン航空のパーティーへ出席した時に、千葉のファンであるフライトアテンダントを高倉から紹介されたりなど、ハリウッド映画出演前から英語に堪能な高倉を目の当たりにしている[2]

かつて東映内には千葉真一・梅宮辰夫山本麟一山城新伍など、高倉を慕う人達で集まって遊ぶ「野郎会」というものがあった[2]。名の由来は「男(野郎)ばかり」なのと「何でもやろう」を語呂あわせにしたもので、何か月かごとに集まってその時の幹事が決めた遊びをしていた[2]。高倉は酒を飲まないので野球をしたり、山城が幹事の時には遊郭に行って、お大尽遊びの真似事をしていた[2]明治大学の先輩で東映ニューフェイスでも1期上である山本も高倉と仲が良く、この集まりに参加していた[2]。『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』で共演した潮健児は自伝『星を喰った男』の中で、「面倒見がよく、周囲に気を遣い、傍に誰か話し相手が居ないとしょげてしまう程の寂しがり屋」「大勢役者が揃って『何かやる』という時、その言いだしっぺは大抵、健さんだった」と回想している[24]

長嶋茂雄と交友があり、長男・長嶋一茂1999年12月3日に箱根神社で結婚式を挙げた時、高倉が出席したので、結婚式取材に駆けつけた取材陣が驚いた一幕があった。村田兆治の引退試合中継を見て感銘を受け、それまで面識も無かった村田の住所を関係者に一通り尋ねて調べ、さらに留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰ったという話がある[25]仰木彬は高校の後輩。石原裕次郎とも親交があり、「健さん」「裕ちゃん」と呼び合う仲だった。

ビートたけしとは1985年の『夜叉』で共演以来親交があり、互いに大ファンである。2012年9月8日放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」の中でも、撮影の合間、高倉がたけしに「えぇ、たけちゃん、えぇ、勝新太郎です。会いたいよー」と冗談まじりに声色を変えて、携帯電話から留守電にメッセージを入れている様子が放送されている。また志村けん岡村隆史もお気に入りのコメディアンであり、志村には、自ら電話を入れ『鉄道員(ぽっぽや)』の出演を要請。「お笑い一本」との姿勢を一貫していた志村を口説き落とした[注釈 12]。『鉄道員』公開後、志村の番組のトークコーナーに小林稔侍が出演した際にはVTR出演し、志村の演技を絶賛する一方、東映時代から懇意にしてきた後輩で、現在も弟同然の付き合いである小林に対しては「セリフを覚えて来ない、気持ちを引き締めてほしい」などと、真顔で苦言を呈しながらもユーモラスに茶化し、小林を赤面させている。岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席、岡村は高倉に長年のファンであることを伝えた。この時、主演作『無問題』で話題賞を受賞し、「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」との受賞スピーチで会場から笑いが巻き起こる中、高倉はにこやかに立ち上がって拍手を送った。2010年、岡村が病気で半年にわたり療養した際にも電話や手紙でメッセージを送り、激励している。

趣味 [編集]

趣味は旅・乗馬ライフル射撃・車・刀剣の収集など。コーヒーと夜更かしが好きで、若いころはよく撮影に遅刻することがあり、監督を怒らせることもあった。自身も「自分は遅刻魔だった(笑)」と告白している。

好きなミュージシャン大塚博堂である。友人にもらったカセットテープを聞いて、自分にない何かがあると感銘を受ける。大塚とよく組んでいた作詞家の藤公之介に、大塚と組んで曲を作ってほしいと電話で頼んだこともあったがこの時は大塚が忙しく、別の作曲家で曲を作るが、その後、まもなく大塚が逝去したため実現しなかった。大塚の曲では「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「旅でもしようか」「ふるさとでもないのに」を特に気に入っている。直接、会ったことはないが、大塚のメモリアルイベントなどに、一ファンとして何度かメッセージを贈っている。千葉真一野際陽子の結婚10周年記念には「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」をBGMにして、自ら祝辞をカセットテープに録音してプレゼントしており、千葉と野際からとても喜ばれた。

東日本大震災の発生後、メディアでよく聴く機会が増え、以来毎日のように聴くようになった曲として山下達郎の「希望という名の光」を挙げており、台本のカバーに歌詞カードを忍ばせている。[5]

キリン生茶」のCMで共演した総合格闘家宇野薫によると、高倉は格闘技にかなり詳しく「休憩中に健さんから『UFCの試合をよく観ていますよ。応援しています』と話しかけられ驚きました」と語っている。

世界で一番好きな場所はハワイ。このことについて沢木耕太郎に「ドスを片手に敵地に乗り込む高倉健とハワイの取り合わせは意外なようだが、それは何故か」と問われて、高倉は「人が温かい」ことと、東映時代に過酷なスケジュールをこなしている中で、たまの休みにハワイの海岸で寝て過ごす開放感がたまらなかった、と述懐している[26]

その他 [編集]

バラエティ番組トーク番組への出演は『スター千一夜』『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ)、『土曜大好き!830』(関西テレビ)、『徹子の部屋』(テレビ朝日)や、親交のある田中邦衛北大路欣也と3人で出演した1980年の『すばらしき仲間』(中部日本放送)程度であったが、平成になってからは、新作映画のプロモーションを兼ねて『SMAP×SMAP』(関西テレビフジテレビ)(1997年9月15日放送分)や、NHKで放送された国谷裕子キャスターとの対談(2001年5月17日放送)に出演している。『SMAP×SMAP』(BISTRO SMAP)にゲスト出演したこの回は、2005年12月26日に放送された同番組の特番『SMAP×SMAP 歴史的瞬間全部見せます!! 史上最強の4時間半SP!!』で視聴者から寄せられた『BISTRO SMAP名場面リクエスト』第1位に輝いている。

2012年8月18日、『あなたへ』のプロモーションで『SmaSTATION!!』(テレビ朝日)に出演。15年ぶりのテレビ番組へのゲスト出演で、人生初の生放送となった[27][注釈 13]。9月8日、『プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル』と、9月10日『プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健インタビュースペシャル』(NHK)では『あなたへ』の撮影現場への長期密着取材に応じ、俳優生活56年にして初めて自身のプライベートに関する事や本音、俳優としての信条などの一部を明らかにしている。

オレたちひょうきん族』に出演したかったらしく、ビートたけしに「僕にもひょうきん族出演の機会をください」と署名した写真を渡したことがあるが、それを聞いた高田文夫は、(あくまでシャレで)「『タケちゃんマン』に弟子の“ケンちゃんマン”を出そう」と提案している[28]

理想の俳優はジャン・ギャバンで、決して大仰でない抑えた芝居に徹しながら(ジャン・ギャバンが演じている、という)存在感があり、それでいながら神父からギャングに至るまで、どんな役柄を演じても似合う(作品の中で破綻をきたさない)「ああいう芝居を目指したい」という。「でも、役者の理想と実生活の理想は別だよね。ジャン・ギャバンって実生活は本当に不幸な、寂しい人生だったし……」とし、実生活での理想は、前妻シモーヌ・シニョレと死別後、1987年、38歳年下の秘書と結婚し、1988年、65歳にして長男を儲けたイヴ・モンタンを挙げ、「いいよねぇ。フランスの奴、みんな憧れてるよ」と語っている[13]。 感銘を受けた映画は『ゴッドファーザー』『ディア・ハンター』だという[13]。特に『ディア・ハンター』では、主演俳優で親交のあるロバート・デ・ニーロが「あんな芝居はもう二度とできない」と語っていた事も含め、非常に大きな衝撃を受けた、と語っている。

受賞 [編集]

出演 [編集]

映画 [編集]

東映 [編集]

1956年

  • 電光空手打ち - 主演忍勇作 ※デビュー作
  • 流星空手打ち - 主演忍勇作
  • 無敵の空手! チョップ先生 - 有沢安治
  • 大学の石松 - 主演石田松夫
  • にっぽんGメン 特別武装班出動 - 園川刑事
  • 大学の石松 ぐれん隊征伐 - 主演石田松夫
  • 大学の石松 太陽族に挑戦す - 主演石田松夫
  • 夕日と拳銃 日本篇 大陸篇 - 弟 伊達慎太郎
  • 母孔雀 - 紅谷俊夫
  • 拳銃を捨てろ - 主演柳光
  • 恐怖の空中殺人 - 島田寿夫

1957年

  • 喧嘩社員 - 主演
  • 無敵社員 - 主演
  • 第十三号棧橋 - 主演矢間大吉
  • 大学の石松 女群突破 - 主演石田松夫
  • 多情仏心 - 西山普烈
  • 日清戦争風雲秘話 霧の街 - 結城欽之助
  • 鯨と斗う男 - 主演山上洋介
  • 青い海原 - 浜田健次
  • 血まみれの決闘 - 主演牛島五郎
  • ジェット機出動 第101航空基地 ‐ 中田次郎

1958年

  • 娘十八御意見無用 - 井上章吾
  • 多羅尾伴内 十三の魔王 - 塚崎譲吉
  • 台風息子 修学旅行の巻 - 草上行彦
  • 台風息子 最高殊勲の巻 - 草上行彦
  • 非常線 - 主演小堀千代太
  • 恋愛自由型 - 仙波隆也
  • 季節風の彼方に - 幸田先生
  • 奴の拳銃は地獄だぜ - 田村警部
  • ひばりの花形探偵合戦 - 三田村英次
  • 空中サーカス 嵐を呼ぶ猛獣 - 主演山崎千吉
  • 希望の乙女 - 相原丈二
  • 森と湖のまつり - 主演風森一太郎
  • 娘の中の娘 - 石岡宏

1959年

  • 旋風家族 - 田村五郎
  • 無法街の野郎ども - 曽根文雄
  • 黒い指の男 - 主演三田新吉
  • 獣の通る道 - 主演鹿沢慎二
  • 国際スリラー映画 漂流死体 - 山中
  • 地獄の底までつき合うぜ - 碇幹夫
  • 疑惑の夜 - 久里/島※二役
  • 静かなる兇弾 - 主演田口刑事
  • 高度7000米 恐怖の四時間 - 山本桂三
  • 空港の魔女 - 主演芦沢良平

1960年

  • 天下の快男児 万年太郎 - 主演万年太郎
  • 二発目は地獄行きだぜ - キッドの謙
  • 続 べらんめえ芸者 - 二宮卓也
  • 大いなる旅路 - 岩見静夫
  • ずべ公天使 - 岸田
  • 大空の無法者 - 主演佐竹吾郎
  • 天下の快男児 突進太郎 - 主演突進太郎
  • 続々 べらんめえ芸者 - 田所雄作
  • 砂漠を渡る太陽 - 梁
  • 殴り込み艦隊 - 主演石山中尉
  • 男ならやってみろ - 主演梶村五郎

1961年

  • べらんめえ芸者罷り通る - 花村健一
  • 俺が地獄の手品師だ - 立花丈次
  • 天下の快男児 旋風太郎 - 主演旋風太郎
  • 男の血潮がこだまする - 朝倉鉄男
  • 魚河岸の女石松 - 喜多川達也
  • 花と嵐とギャング - スマイリー健
  • ひばり民謡の旅 べらんめえ芸者佐渡へ行く - 竜太
  • 万年太郎と姐御社員 - 主演万年太郎
  • べらんめえ中乗りさん - 岡健一
  • 悪魔の手毬唄 - 主演金田一耕助

1962年

  • 南太平洋波高し - 近藤
  • べらんめえ芸者と大阪娘 - 桧山圭吉
  • 二・二六事件 脱出 - 小宮曹長
  • 恋と太陽とギャング - 主演石浜伸夫
  • 千姫と秀頼 - 片桐隼人
  • 黄門社長漫遊記 - 佐々助三郎
  • 民謡の旅・桜島 おてもやん - 立神修平
  • 東京丸の内 - 主演加部一喜
  • 三百六十五夜 - 川北小六
  • 暗黒街最後の日 - 真木鉄雄
  • 東京アンタッチャブル - 原田芳夫
  • 遊民街の銃弾 - 高木健二
  • 裏切者は地獄だぜ - 青野

1963年

1964年

1965年

1966年

  • 昭和残侠伝 唐獅子牡丹 - 主演花田秀次郎
  • 日本侠客伝 血斗神田祭り - 主演新三
  • 網走番外地 荒野の対決 - 主演橘真一
  • 男の勝負 - 千住小太郎
  • 昭和残侠伝 一匹狼 - 主演武井繁次郎
  • 網走番外地 南国の対決 - 主演橘真一
  • 日本侠客伝 雷門の決斗 - 主演平松信太郎
  • 地獄の掟に明日はない - 主演滝田一郎
  • 網走番外地 大雪原の対決 - 主演橘真一

1967年

  • 日本侠客伝 白刃の盃 - 主演大喜多俊二
  • 網走番外地 決斗零下30度 - 主演橘真一
  • あゝ同期の桜 - 剣持大尉
  • 昭和残侠伝 血染めの唐獅子 - 主演花田秀次郎
  • 網走番外地 悪への挑戦 - 主演橘真一
  • 日本侠客伝 斬り込み - 主演中村真三
  • 侠客の掟 - 石神常治
  • 侠骨一代 - 伊吹竜馬
  • 網走番外地 吹雪の斗争 - 主演橘真一

1968年

  • 日本侠客伝 絶縁状 - 主演浜田勇吉
  • 獄中の顔役 - 速水恭
  • 荒野の渡世人 - 主演ケン・カトウ
  • 侠客列伝 - 大倉伊之助
  • 緋牡丹博徒 - 片桐直治
  • ごろつき - 主演大場勇
  • 人生劇場 飛車角と吉良常 - 宮川 
  • 新 網走番外地 - 主演末広勝治
  • 博徒列伝 - 富士上健吉

1969年

  • 緋牡丹博徒 花札勝負 - 花岡彰吾
  • 昭和残侠伝 唐獅子仁義 - 主演花田秀次郎
  • 緋牡丹博徒 二代目襲名 - 矢代幸次
  • 戦後最大の賭場 - 本庄周三
  • 懲役三兄弟 - 陣野勇次郎
  • 日本侠客伝 花と龍 - 主演玉井金五郎
  • 日本女侠伝 侠客芸者 - 島田清吉
  • 新網走番外地 流人岬の血斗 - 主演末広勝治
  • 日本暗殺秘録 - 相沢三郎
  • 昭和残侠伝 人斬り唐獅子 - 主演花田秀次郎
  • 渡世人列伝 - 佃銀次郎
  • 新網走番外地 さいはての流れ者 - 主演末広勝治

1970年

  • 日本女侠伝 真赤な度胸花 - 風見五郎
  • 博徒一家 - 桜井良治
  • 捨て身のならず者 - 主演矢島
  • 日本ダービー 勝負 - 島崎清三郎
  • 遊侠列伝 - 主演川又辰五郎
  • 新網走番外地 大森林の決斗 - 主演末広勝治
  • 昭和残侠伝 死んで貰います - 主演花田秀次郎
  • 最後の特攻隊 - 矢代中尉
  • 日本侠客伝 昇り龍 - 主演玉井金五郎
  • 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 - 主演末広勝治

1971年

1972年

1973年

1974年

1975年

1976年以降

合作・他社・日本国外作品 [編集]

テレビ [編集]

ドラマ
ドキュメンタリー

CM [編集]

歌手活動 [編集]

著書・参考文献 [編集]

本業以外にエッセイ集などの著書があり、その文章には定評がある。特に『あなたに褒められたくて』は1993年(平成5年)の「第13回日本文芸大賞」エッセイ賞を受賞している[30]

CD [編集]

  • 「南極のペンギン」 曲:宇崎竜童、集英社

ドキュメンタリー番組 [編集]

異例の長期密着ドキュメンタリーとして放送。8日は『あなたへ』撮影現場への長期密着、10日は高倉へのロングインタビューと共演俳優の証言で構成された。

脚注 [編集]

注釈
  1. ^ 『新幹線大爆破』は日本国内よりもむしろ海外でヒットを記録した。詳細は『新幹線大爆破』を参照。
  2. ^ 任侠映画の役作りについて「想像を一生懸命かきたててね。僕の(生まれ育った)町は炭鉱町で乱暴な町だったのね。毎年、お盆の盆踊りのあった後って、必ず殺人があってね。朝、学校行く時、必ずそういう…ムシロがかけてあったりね。そういうのいっぱい見ましたよ。うん、だから僕は品のいい京都とかで生まれて育ってたら、とてもヤクザものはできてないでしょうね。」出身地の土地柄、気風、身近だった光景など、少なからず影響している事を語っている。
  3. ^ 詳細は『ゴルゴ13 (1973年の映画)』の項を参照。
  4. ^ 中国では、大物俳優は現場でも威張り散らしているのがほとんどであるという。
  5. ^ たけしはこの間、高倉の気遣いは理解できたものの、一番目下の分際で自分が先にあたる事も出来ず「健さん、頼むから帰ってくれ」と思っていたという。『あなたへ』の舞台挨拶でもたけしからこのエピソードが披露され、これに対して高倉は「訂正します。みんな、たけちゃんの作り話です。本当に迷惑してます」と返し、場内は爆笑に湧いた。“たけしの作り話、迷惑! 高倉健の“抗議”に場内爆笑”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2012年8月22日). オリジナル2012年8月25日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120825004440/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/cinema/cnews/20120822-OYT8T00855.htm 
  6. ^ 2012年8月25日放送の『情報7days ニュースキャスター』でのたけしの発言によると、共演者は皆、カワハギだと気付かずに食べていたという
  7. ^ 「『不器用ですから』って、何となく、そういう僕はイメージなんだろうなと……そんなことはねぇよって、どっかで思ってますけど」と実際の自分とパブリック・イメージとの違いを語っている。すっかり浸透した「不器用」というフレーズをネタとして使う事もあり、『SMAP×SMAP』の「BISTRO SMAP」にゲスト出演した際(1997年9月15日放送分)も、中居正広からの「コントに出たいと思った事はありますか?」の問いに「コント? 憧れはありますけど、でも僕は不器用ですからね……」とユーモアを交えて返している。
  8. ^ 1983年の映画『南極物語』の極地ロケに際しては、撮影中の無事を祈願して大好きなコーヒーをクランクアップまで絶っている。
  9. ^ イタリア在住の作家、塩野七生が現地の雑誌に掲載されていた写真を紹介したもの。1人の少年(?)がうつむいて口を一文字に結び、歩いている。本人の物とは思えない、袖丈が余るフライトジャケット風のジャンパーにピンクの長靴姿。給水所から戻った様子で、両手には1本ずつ水が満杯に入った焼酎の大型ペットボトル……というもの。高倉は台本に貼りつけやすいようにB5判サイズしたものを持ち歩いていた。コラム「高倉健のダイレクトメッセージ『1枚の写真』2/3ページ”. web刊 日本経済新聞 (2012年3月16日). 2012年10月9日閲覧。(※閲覧には登録が必要)、および 「1枚の写真」 高倉健:「戦後の日本が蓄積してきた経済や社会のシステムがパンクした瞬間でした。」”. 井口和基 公式ブログ (2012年3月16日). 2013年5月22日閲覧。
  10. ^ 高倉と江利、双方にでっちあげの誹謗中傷を吹聴、夫妻を別居に追い込み、その後の離婚の足掛かりとした。
  11. ^ 詳細は江利チエミ波乱万丈の人生の項を参照。
  12. ^ 留守番電話に高倉直々の出演依頼のメッセージが残されていたため、「健さんの申し出があったのに出演しないとは言えず、断れなかった」と振り返っている。この時の録音テープは、家宝として今も大切に保存しているという。(「志村けん」の項を参照の事)
  13. ^ 登場の際には「ここに行け、と言われた」と『TVタックル』と書かれたメモを司会の香取慎吾に見せる「小ネタギャグ」を披露し、「出たくなかった」「東宝に騙された」など、冗談好きな人柄らしいコメントで、周囲を笑わせている。また番組の中では草彅 剛から「コンビニで買い物とかするんですか?」の質問に、「コンビニじゃないけど、この間、撮影中にスタッフと『しまむら』ってところに行って、トレーナーの上下を買った。これがホントにいい。最高だった。」と感激した様子で語っている。またこの当時、草彅が映画『任侠ヘルパー』を撮影しており、この話題に触れ「健さんを意識しています」と草彅が発言すると、高倉は「真似なんかしちゃだめ、あなたがいいんだよ」と返している。またこの放送時、SMAPのアルバム『GIFT of SMAP』がリリースされたばかりで、この中で草彅が高倉の「唐獅子牡丹」をカバーしている事にも触れ、「聴いた。ありゃあ、巧くねぇな」と苦言を呈している。
  14. ^ ラスト近く、転任が決まり警察署を出ていく主人公、片山刑事(武田鉄矢)と入れ替わりに配属され、署内ですれ違う刑事として1シーンに出演。役名や衣装を含め、『駅 STATION』のオマージュである。
出典
  1. ^ 高倉健プロフィール” (日本語). YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑 (2010年10月). 2010年10月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n JJサニー千葉 『千葉流 サムライへの道』 ぶんか社2010年、154 - 171頁。ISBN 4821142694
  3. ^ 長田暁二 『歌謡曲おもしろこぼれ話』 社会思想社2002年、204頁、ISBN 4-390-11649-5
  4. ^ 歴史(任侠・実録)”. 東映株式会社. 2013年4月24日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健スペシャル」(2012年9月8日放送)
  6. ^ 監獄秘話「番外地の生みの親、網走に眠る・・・」” (日本語). 博物館 網走監獄. 2013年3月16日閲覧。
  7. ^ “健さんがお忍びで大原麗子さんの墓掃除”. 日刊スポーツ (nikkansports.com). (2010年8月4日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20100804-661631.html 2013年4月20日閲覧。 
  8. ^ “健さん「感無量です」35年ぶり主演賞…第37回報知映画賞・主演男優賞”. シネマ報知 (スポーツ報知). (2012年11月27日). http://cinemahochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121127-OHT1T00088.htm 2013年4月23日閲覧。 
  9. ^ 各賞紹介|菊地賞”. 文芸春秋 (2012年10月10日). 2013年5月22日閲覧。 および 「第60回菊池寛賞」授賞式に伊調馨ら出席 高倉健、式欠席も喜びのコメント”. ORICON STYLE (2012年12月7日). 2013年5月22日閲覧。
  10. ^ a b c d e 千葉真一 『千葉真一 改め 和千永倫道』 山と渓谷社2008年、82 - 85。ISBN 4635340228
  11. ^ a b c d e ビートたけしのオールナイトニッポン
  12. ^ a b c d 川内天子共演者たちが一瞬で惚れる高倉健「ホンモノ男力」エピソード集 vol.1」、『週刊大衆09月10日号』、双葉社、2012年9月5日 09時00分、2012年10月29日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉健インタビュースペシャル」(2012年9月10日放送)
  14. ^ 「プロダクション・ノート」『ブラック・レイン』(VHS) より。
  15. ^ 映画パンフレット 『単騎、千里を走る。』 より。
  16. ^ a b 2012年8月18日SmaSTATION!!
  17. ^ 『ビートたけしの幸か不幸か』(1986年)及び、『ビートたけしの幸せ丸十年』ニッポン放送出版、1990年、184頁。
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  19. ^ 野地秩嘉 『高倉健インタヴューズ』(2012年プレジデント社) ISBN 978-4-8334-2017-4
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  21. ^ WEB刊 日本経済新聞 コラム 「高倉健のダイレクトメッセージ 『すべては出逢いから・・・』」(2012年7月20日)2012年10月6日閲覧)
  22. ^ 高倉健さんインタビュー」5/7ページ”. 時事ドットコム. 2013年2月4日閲覧。
  23. ^ 高倉健(2012年9月10日放送)|これまでの放送|NHK プロフェッショナル 仕事の流儀”. NHK (2012年9月10日). 2013年4月21日閲覧。
  24. ^ 潮健児 『星を喰った男』(1993年バンダイISBN 4891895187
  25. ^ 高倉健 「兆治さんへの花」『あなたに褒められたくて』 集英社、1991年、174頁。
  26. ^ 沢木耕太郎 『深夜特急2』 193 - 194頁、新潮文庫ISBN 978-4-10-123506-6
  27. ^ “高倉健、人生初の生放送に大照れ「俺は嫌だった」(2/2ページ)”. msn産経ニュース. (2012年8月19日). http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120819/ent12081917230006-n2.htm 2013年4月20日閲覧。 
  28. ^ 『ビートたけしの幸せ丸十年』 ニッポン放送出版、1990年、186頁。
  29. ^ 高倉健さん出演「お茶づけ海苔60周年記念CM」放映のご案内 (PDF)”. 永谷園 (2012年6月29日). 2013年4月20日閲覧。出演者 高倉健”. テレビCM紹介 . 永谷園. 2013年4月20日閲覧。
  30. ^ 文学賞|日本文芸大賞”. 全国書店ネットワーク e-hon. 2013年5月22日閲覧。
  31. ^ 『南極のペンギン』”. 集英社. 2013年5月22日閲覧。

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]