大滝秀治

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おおたき ひでじ
大滝 秀治
本名 同じ
生年月日 1925年6月6日(86歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県柏崎市[1]
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 167cm
血液型 O型
職業 俳優ナレーター
ジャンル 舞台テレビドラマ映画CM
ナレーション
活動期間 1950年 -
公式サイト プロフィール
主な作品
舞台
『審判』/『巨匠』
『浅草物語』/『らくだ』
テレビドラマ
うちのホンカン』/『特捜最前線
北の国から

映画
不毛地帯』/『あにいもうと

大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年(大正14年)6月6日 - )は、日本俳優ナレーター。本名同じ。身長167cm体重63kg血液型O型ふたご座[2]東京府東京市本郷区(東京都文京区)出身。生まれは母の実家・新潟県柏崎市[1]

2011年(平成23年)度文化功労者。名優の一人として舞台テレビドラマ映画テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍。劇団民藝所属し、奈良岡朋子と共に代表を担う。趣味は将棋。同期には奈良岡・内藤武敏がいる。

目次

[編集] 来歴・人物

1943年(昭和18年)に旧制私立駒込中学校(駒込高等学校)を卒業して、三田の電話局に勤務した。1945年(昭和20年)に通信兵として召集される。戦後は大手町の電話局で、進駐軍を担当した。

帝国劇場で研究生募集のチラシを見たのがきっかけとなり、1948年(昭和23年)に東京民衆芸術劇場附属俳優養成所に1期生で入所後、1950年(昭和25年)の民藝創設に参加。1952年(昭和27年)には正式に劇団員となり、 チェーホフの『かもめ』で初舞台を踏む。長年裏方ばかりの不遇時代が続くが、1970年(昭和45年)の舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。以来、民藝の看板俳優のひとりとして数多くの舞台に出演している。2005年(平成17年)には『巨匠』『浅草物語』の演技で読売演劇大賞及び最優秀男優賞を、2009年(平成21年)には『らくだ』の演技で文化庁芸術祭(演劇部門・関東参加公演の部)大賞を受賞している。

映画デビューは1955年(昭和30年)の『ここに泉あり』。1976年(昭和51年)には『不毛地帯』でブルーリボン賞の助演男優賞、『あにいもうと』でブルーリボン賞の助演男優賞、キネマ旬報賞の助演男優賞、第1回報知映画賞の助演男優賞を受賞した。市川崑伊丹十三の作品では常連的存在。

テレビドラマでも現代劇時代劇悪役から、8年間に渡り刑事ドラマ特捜最前線』での刑事役でレギュラー出演など、幅広く活躍。同ドラマは代表作の一つとなった。主演作には1975年(昭和50年)から1981年(昭和56年)にかけて地方の巡査を演じた『うちのホンカン』があり、第1作は第23回日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞。飄々としつつも、時には激昂する独特の芸風が人気を集めている。

2002年(平成14年)から俳優の岸部一徳と共演している大日本除虫菊(金鳥)のCMでは、迫真かつユーモラスな演技を見せて、このCMは、2004年(平成16年)に東京コピーライターズクラブ賞のグランプリを受賞した。タレント関根勤物真似(大滝本人公認)のレパートリーの人物としても知られている。また、やずやのCMの中で「おまえの声は壊れたハーモニカのようだから、演劇には向かないと思う」と言われたことがあると吐露している。これは劇団民藝の創設者である宇野重吉に言われたもので、暗に舞台演出家への転向を促されたものであった。

2011年(平成23年)に多年に亘る演劇活動に対する功績を評価され、文化功労者に推挙された[3]

[編集] 受賞

[編集] 受章

[編集] 出演

[編集] 舞台

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] コマーシャル

[編集] ナレーション

[編集] ゲームソフト

[編集] 脚注

  1. ^ a b 木村隆『この母ありて』 青蛙房 2010年 62頁
  2. ^ 大滝秀治 - プロフィール” (日本語). YAHOO! 人物名鑑. 日本タレント名鑑. 2011年10月28日閲覧。
  3. ^ 文化勲章に丸谷才一さん、大滝秀治さんら功労者 読売新聞 2011年10月25日閲覧
  4. ^ 2010年1月30日「ハイビジョンステージ」(NHK-BShi)にて中継録画放送。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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