秋吉久美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
あきよし くみこ
秋吉 久美子
本名 小野寺 久美子 (おのでら くみこ)
生年月日 1954年7月29日(59歳)
出生地 静岡県富士宮市
国籍 日本の旗 日本
身長 162cm
血液型 O
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1972年 -
配偶者 岩久茂 (1979年 - 1989年
一般人男性(2006年 - )
家族 子供あり
公式サイト 秋吉久美子の公式サイト

秋吉 久美子(あきよし くみこ、1954年7月29日 - )は、日本女優静岡県富士宮市生まれ、徳島県日和佐町(現・美波町)、福島県いわき市育ち。本名は小野寺 久美子(おのでら くみこ)。身長162cm。最終学歴早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻修了学位公共経営修士(専門職)

アジア映画祭主演女優賞、日本アカデミー賞 優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞などを受賞している。そのほかは#受賞歴を参照。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

北海道函館市の出身で研究者だった父親が戦後結核を患い、静岡県富士宮市の療養所に入り、地元出身の看護師だった母親と結婚し当地で生まれた[1][2]。その後、父が徳島県日和佐町(現・美波町)の高等学校に化学教師として赴任したため家族で移り住む[1]。しかし高温多湿の気候が体の弱い父には辛く、本人が小学校入学直前に福島県いわき市に移り、6歳から18歳までいわき市で暮らす。[1]。父は小名浜の福島県水産試験場に勤務し、アクアマリンふくしまの立ち上げにも尽力した[1]。福島県いわき市小名浜第一中学校、福島県立磐城女子高等学校(現・福島県立磐城桜が丘高等学校)卒業[1]。高校時代は文学部の部長をしていた。あちこちの雑誌やテレビなどでもらした言葉を集めた「つかのまの久美子」(1977年、青春出版社)ではユニークで鋭い感性が光っており、五木寛之も「静かな平凡を夢見る卓抜な個性」と帯に感想を書いている。

1972年高校三年生の時、受験勉強中に聞いたラジオ深夜放送吉田拓郎の『パックインミュージック』で、吉田が音楽を担当した松竹映画旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけ[3][4]。 

女優として[編集]

旅の重さ』の主役オーディションで、高橋洋子についで次点となり、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演[3]。翌1973年、大学受験に失敗し、いわき市で予備校通いをしていたとき、感銘を受けたアングラ演劇、はみだし劇場の劇作家内田栄一の夫人・内田ゆきに身柄をあずけ上京[3]。同年、斎藤耕一監督の『花心中』に一シーンだけ顔を出したのち、芸名を「秋吉久美子」として松本俊夫監督の『十六歳の戦争』に主演して本格的に映画デビュー[3]。しかしこの作品は難解だという理由で1976年まで公開されなかった。1974年、藤田敏八監督の青春映画『赤ちょうちん』、『妹』、『バージンブルース』(日活)に立て続けに主演し人気が急上昇した[5]

1979年、青い三角定規のメンバーで作曲家の岩久茂と結婚。男児を産み、およそ2年ほど芸能活動を休止した[6]。復帰後、ソープ嬢を演じた『の・ようなもの』 (1981年)、冷めているが可愛げのあるヒロインに扮した『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』 (1981年)を始め、『さらば愛しき大地』 (1982年)、『夜汽車』 (1987年)、『異人たちとの夏』 (1988年)、『誘惑者』 (1989年)、『レッスン』 (1994年)、『深い河』 (1995年)などがある。2004年、『透光の樹』では、深遠な性愛シーンを披露した。

近年[編集]

近年はバラエティにもゲスト出演している。TBS系人気番組『クイズダービー』にもゲスト解答者としても数多く出演。しかも1988年10月の特番で、当時産休中だった竹下景子に代わり、4枠に座っていた。ちなみに成績は12勝20敗、3割7分5厘と好成績を修めていた[7]

作詞家としても活躍しており、DOGGY BAG松尾光次にも楽曲を提供している。

2004年12月に26歳年下の日系アメリカ人と結婚したが、翌年夏に離婚。しかしその後、同じ男性と2006年2月に再び入籍した。

2006年8月12日、第38回NHK思い出のメロディー』で司会に初挑戦。会見で「あのころは"痛がる時代"だったと思う」と独自の理論を披露した。

2007年1月からTBSでアナウンサーの中井美穂と共に一視聴者と同じ視点に立った素直な切り口で『世界陸上大阪大会 秋吉&中井 We Love アスリート』の司会を務めた。なお、番組内で出演した各アスリートの写真を秋吉自らカメラマンとなって撮影し、ポスターを制作するコーナーがあった。この時の写真が好評で、世界陸上の会場にポスターの展示場が開設された。

最終学歴は高卒であったが、個別の入学資格審査を経て、2007年9月より早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程公共経営学専攻に入学。2009年9月、同研究科を10人中の総代として修了。

人物[編集]

趣味:旅行、特技:英会話。

シラケが流行した1970年代の時代性を象徴し、そのユニークな言動が話題を呼んだ。当時はカワイコちゃんタレント全盛の時代でもあり、秋吉の言動は余計に目立つこととなる[3]。芸能界にデビューしたての若い少女にありがちな発言を求めた記者に対抗して「面白くもないのにカメラの前で笑ったり、俳優ってバカみたい」などと発言し「シラケ女優」のレッテルを貼られた[3][8]。また『妹』の公開前、宣伝のために出演した番組にて共演者が礼儀正しくインタビューに答えていたのに対して、頬杖をついて別の方向を見ていた。なお、当時の様々なラディカルな言動については後に「不器用だったのかな」と振り返った発言もある。

受賞歴[編集]

  • 「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」第11回ゴールデンアロー映画新人賞(昭和49年)
  • 「バージンブルース」プロデューサー協会新人賞(昭和49年)
  • 「さらば夏の光よ」「あにいもうと」第19回ブルーリボン賞主演女優賞(昭和51年)
  • 「あにいもうと」第1回報知映画賞主演女優賞(昭和51年)
  • 「あにいもうと」第31回毎日映画コンクール女優演技賞(昭和51年)
  • 「挽歌」アジア映画賞主演女優賞(昭和51年)
  • 「下町のおんな 風子」文部省芸術選奨新人賞放送部門(昭和52年)
  • 「男はつらいよ 寅次郎物語」日刊スポーツ映画大賞助演女優賞(昭和63年)
  • 「異人たちとの夏」第62回キネマ旬報賞助演女優賞(平成元年)
  • 「異人たちとの夏」第44回毎日映画コンクール女優助演賞(平成元年)
  • 「異人たちとの夏」第31回ブルーリボン賞助演女優賞(平成元年)
  • 「異人たちとの夏」第13回くまもと映画祭女優賞(平成元年)
  • 「誘惑者」国際評論家賞(平成2年)
  • 「誘惑者」東京国際映画祭さくらシルバー賞(平成2年)
  • 「深い河」モントリオール映画祭作品賞(平成7年)
  • 「深い河」第19回山路ふみ子映画賞女優賞(平成7年)
  • 「深い河」第5回日本映画評論家賞女優賞(平成8年)
  • 「深い河」第19回日本アカデミー賞優秀主演女優賞(平成8年)
  • 「透光の樹」第14回日本映画評論家賞女優賞(平成17年)

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 卒業
  • 恋のカーニヴァル 〜セーヌに咲いた4つの愛の物語
  • 恋はコメディー
  • 見知らぬ乗客
  • 浮浪雲 (2012年9月3日~9月22日)

その他のテレビ番組[編集]

  • 思い出のメロディー(NHK総合) - 司会
  • ヨーロッパ水風景 ドイツ ケルン〜フランクフルトの旅(BSジャパン、2013年9月8日・9月15日) - 旅人

他多数

ラジオ[編集]

  • 秋吉久美子のこの指止まれ(文化放送)パーソナリティ

CM[編集]

インターネット動画[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

  • 渇き/やさしくしたいの

アルバム[編集]

  • 秋吉久美子 1975年12月 エレックレコード
  • 秋吉久美子PARTⅡ 1977年3月21日 ポリドール

書籍[編集]

  • 詩集「いないいないばあ」1975年 講談社
  • 散文集「つかのまの久美子」1977年 青春出版社
  • エッセイ集「勝手にさせて」1983年 三一書房
  • フォト詩集「C・U next tuesday」 1998年 新潮社

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e 週刊現代講談社、2011年10月8日号、83-82頁
  2. ^ 東北の海の幸が“道端”に 秋吉久美子さん :日本経済新聞
  3. ^ a b c d e f 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年、15-16頁
  4. ^ 残間里江子『女の仕事―地球は、私の仕事場です』朝日新聞社、1997年、230-231頁、自著『勝手にさせて』河出書房新社、1986年、52頁、『ぴあシネマクラブ 日本映画編』ぴあ、2006年、429頁
  5. ^ 愛くるしい表情、70年代を表現する繊細な存在感、今までの日本の青春映画を脱却した大胆な脱ぎっぷりで一躍フォークソングとベトナム反戦の時代の寵児となる。
  6. ^ わたなべ宏(映画評論家)「ちょっとハート・ウォームな女(レディ)に 秋吉久美子」 (パンフレット) 、『冒険者 (アドベンチャー) カミカゼ』、東映株式会社映像事業部、1981年11月7日、 15頁。
  7. ^ なお、特番の時の成績も含めると14勝23敗である。
  8. ^ 他に「なまいき」、「宇宙人」、「新人類」、「プッツン」などと時代時代の異邦人的な扱いを受けてきた。有名なものにできちゃった結婚の際の記者会見の「おなかが大きくなるのはイヤ、卵で産みたい」などの発言を残した。

関連項目[編集]

  • 心電図 - 日本では電極の配置の覚え方として「あきよしくみこ」を採用している医療者向けの教科書が多い。

外部リンク[編集]