浅田真央
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| 2010年バンクーバーオリンピックの浅田 | ||||||||||||||||||||||||||||
| 基本情報 | ||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 代表国: | ||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日: | 1990年9月25日(22歳) | |||||||||||||||||||||||||||
| 出生地: | 愛知県名古屋市 | |||||||||||||||||||||||||||
| 身長: | 163 cm[1] | |||||||||||||||||||||||||||
| 体重: | 48.5 kg[要出典] | |||||||||||||||||||||||||||
| コーチ: | 佐藤信夫 (2010- ) 佐藤久美子 |
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| 元コーチ: | タチアナ・タラソワ (2008-2010) ラファエル・アルトゥニアン (2006-2008) 山田満知子 (2000-2006) 樋口美穂子 伊藤朋子[2] 門奈裕子[3] |
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| 振付師: | ローリー・ニコル タチアナ・タラソワ シャネッタ・フォレ |
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| 元振付師: | リー=アン・ミラー 樋口美穂子 |
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| 所属クラブ: | 中京大学 | |||||||||||||||||||||||||||
| ISU パーソナルベストスコア | ||||||||||||||||||||||||||||
| トータルスコア: | 205.50 | 2010 バンクーバー五輪 | ||||||||||||||||||||||||||
| ショートプログラム: | 75.84 | 2009 国別対抗戦 | ||||||||||||||||||||||||||
| フリースケーティング: | 134.37 | 2013 世界選手権 | ||||||||||||||||||||||||||
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浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日[4] - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[5]。2008年、2010年世界選手権優勝。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた[6]。姉は同じくフィギュアスケート選手の浅田舞。
目次 |
人物
愛知県名古屋市生まれ。中京大学附属中京高等学校卒業。現在は中京大学体育学部に在籍[7]。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する[8]。浅田の2005年のGPファイナル優勝と荒川静香のトリノオリンピック優勝の相乗効果で、日本はフィギュアスケートブームになった。
尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた[9]。長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており[10]、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たい思うようになったという[11]。趣味はジグソーパズルとレゴ制作[1]。
オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門で2007年[12]、2009年[13]、2010年[14]、2011年で1位となった[15]。バンダイが行ったアンケート「バンダイこどもアンケートレポート」によると、子供が好きなスポーツ選手として、2009年7月(集計は5月に実施)では総合2位女の子部門1位[16]、2011年9月(集計は7月に実施)では総合1位[17]に挙げられている。集計を行ったバンダイは、女の子は浅田のことを「憧れのかわいいお姉さん」という見方をしているようだと分析している[17]。
愛犬
愛犬はトイ・プードルの『 エアロ、ティアラ、小町 』の三匹。エアロは、2005年の世界ジュニア選手権で優勝した際に買ってもらった。名前は、ネスレのチョコレート菓子名であるAERO(エアロ)に由来しており、同製品のイメージキャラにも選ばれた[18]、また2007年のジャパンスーパーチャレンジでは、氷上で浅田と共演している[19]。ティアラと小町は、エアロの子で、2007年の生まれである[20]。ところで当人は、「犬 Allergy(アレルギー)だ」との説がある。
スケート技術
ジャンプ
アクセルを含む6種類全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる。
3回転アクセル
小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め[21]、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功[22]。
2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ[23]、2008年GPファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功[24]。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディング、リュドミラ・ネリディナ、中野友加里の3人を加えた5人しかいない。また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている[25]。
その他
ルッツやサルコウを苦手としている[6]。ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み[26][27]、2008年NHK杯では正確なエッジからの踏み切りと判定された。しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため[28]、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンからは再びプログラムに取り入れているが、再び間違った踏み切りとして減点を受けるようになった。
サルコウについては、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった[29]。2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。2010-2011、2011-2012シーズンでは全ての試合で3回転サルコウを取り入れたものの、完璧な成功はそれぞれ、1回だけにとどまっている。2012-2013シーズンには3回成功し、世界選手権では質においても申し分のないものであった。
ループは得意で全てのプログラムで必ず取り入れられている。コンビネーションジャンプにも使われ、演技後半の1.1倍加点を得ることも多い。
3回転-3回転のコンビネーションジャンプは3回転フリップ-3回転ループを得意とし、数々の試合で成功させている。2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。しかし、2008-2009シーズン以降は成功率が下がっており、2009-2010シーズンからはプログラムから外し続けていたが、2013年四大陸選手権では成功はならなかったものの、久々にプログラムに取り入れている。2回転アクセル-3回転トウループは2012-2013年シーズンは3回成功し、世界選手権ではクリーンな着氷をみせている。
ジャンプ以外
現行採点では評価のウエイトが大きい柔軟性を生かしたスピンやステップ、スパイラルを行うことができ、高いGOEを獲得することができる[6][30]。片手ビールマンスピンを行うこともできるがレベル認定の規定の二回転を行う前に体勢が崩れてしまい、レベルを取りこぼすことも多く2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。ステップシークエンスのレベル4を獲得した数少ない女子選手の1人でもある。2011年ロステレコム杯のフリープログラムでは全てのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得している[31]。
経歴
ジュニア時代
5歳の時、姉の舞と共にスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。舞と共に門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会。当時、同クラブには安藤美姫も所属していた。3歳から12歳までは越智久美子によるバレエのレッスンを受けていた[32][33]。
2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子・樋口美穂子両コーチに師事[3][34][35]。小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳び[36][3][37]、「天才少女」と呼ばれた。全日本ノービス選手権では、2000-2001シーズンから2001-2002シーズンまでBクラスで、2002-2003シーズンから2003-2004シーズンまでAクラスで、それぞれ2連覇を達成した。
2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを飾る。JGPファイナルでは女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった[38]。世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしてシーズンを締めくくった。
2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では初優勝を果たし、自身のデビューを飾った。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功(ISU非公認)したが、他のジャンプにミスがあり2位となった。GPシリーズの実績からトリノオリンピック出場を期待する声もあったが[39]、ISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった[40]。連覇が期待された世界ジュニア選手権でもジャンプのミスが響き2位に終わった。
シニア以降
バンクーバー五輪シーズンまで
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移す[41][42]。2006-2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。GPファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はSPで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得した。
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007-2008シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のGPファイナルではSP6位から巻き返して2位となった。全日本選手権のSPで、同シーズンにミスが続いていた3回転フリップ-3回転ループを成功させる。フリーでは冒頭の3回転アクセルが1回転半になったが、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労[43]や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した[43]。
2008年四大陸選手権で初出場初優勝。だが、この大会後に左足首を傷めてしまう[44]。コーチ不在のうえ足首の怪我が完治していない状況下で臨んだ[45]2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルに入ろうとした所で大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめ[46]て逆転優勝。日本人選手5人目の世界女王となった。
2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した[47]。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」[48]で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した[48]。GPファイナルの優勝後に、視聴者に「浅田選手よりもキム選手のほうが実力が上」と感じさせる報道をした日本のマスコミ(フジテレビ系番組「情報プレゼンター とくダネ!」、後に不適切な表現であったと謝罪)の評価[49]がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった[48]。
2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ[50]が、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた[51]。全日本選手権では復調を見せ、4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝[52]。この優勝により、日本人選手として初めて国際大会10回優勝を果たした(ジュニアの大会を除く)。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けたり[53][54]盗撮被害にあったと報じられている[55]。
バンクーバーオリンピックでは、ショートで1度、フリーで2度の3回転アクセルに成功したものの、フリーではこれまでの試合同様プログラムに3回転ルッツと3回転サルコウを取り入れなかったことに加え、3回転フリップが回転不足となり、3回転トウループが1回転となってしまったため技術基礎点は全体の6位となったが、成功した要素のGOEと演技構成点では高評価を得て自己ベストを更新し、銀メダルを獲得した。オリンピックフィギュアスケートの女子シングルで日本人選手がメダルを獲得するのは2大会連続。オリンピック後、タチアナ・タラソワコーチを総コーチとして、日本人を軸とした新たなコーチを選任する旨の報道がなされる。世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。世界選手権2度の優勝は日本人初。この年は男子でも日本の髙橋大輔が優勝し、ジュニアでも男女ともに日本人が優勝している。
バンクーバー五輪シーズン以降
2010-2011シーズンは6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。GPシリーズNHK杯、エリック・ボンバール杯では新しく変えたジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずGPファイナル進出を逃した。だが、1カ月後の全日本選手権では復調し、SP1位、フリー2位の総合2位となる。 四大陸選手権ではSPで冒頭の3回転アクセルが着氷に乱れたもののフリーでは成功させ、シーズンベストを大幅に更新し、安藤に次いで2位となった。2連覇のかかった、世界選手権は東日本大震災の影響により1か月先に延期、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなった[56]。みかねた佐藤コーチから1週間の休養を与えられたが、重要な時期に食が細くなり、いつもより体重が4・5kg減少した[56]。大会本番では佐藤コーチから3回転アクセル回避を提言されたが、浅田は自分の信念を貫き通した[56]。結果はショート7位、フリー6位の総合6位に終わった[57]。
2011-2012シーズンはGPシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本選手最多となるGPシリーズ8度目の優勝を果たし、3季ぶりにGPファイナル進出を決めた。だが、カナダでのGPファイナル開幕直前、以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化したとの日本からの連絡を受けて帰国、ファイナルを欠場した。その後母は肝硬変のため死去、48歳没。浅田はその死の際に間に合わなかった[58]。母親の葬儀翌日の12月13日から練習を再開し短期間の調整で臨んだ全日本選手権では、2年ぶり5度目の優勝を果たした[59]。
四大陸選手権ではSP、フリー共に同シーズン中封印していた3回転アクセルに挑戦したが、どちらも回転不足と判定された。SPではトップに立ったものの、フリーではルッツやサルコウなどのミスも響き2位となったが、総合点ではシーズンベストを更新している。しかし、世界選手権ではSP・フリー共に3回転アクセルを含むジャンプのミスが重なり、2年連続の総合6位に留まった。 シーズン終了後にはスケートへの意欲を失い、辞めることも考えたという。その後、ハンガリーでバレエの指導を受けるなど心身のリフレッシュを図り、8月に入ってから本格的に練習を再開した[60]。
2012-2013シーズンは中国杯、NHK杯とGPシリーズで連勝、だがNHK杯後に疲労から発症した腰痛が悪化してしまう[61]。腰痛が完治していない状況下で臨んだ[61]GPファイナルでは4年ぶり3度目の優勝を果たした。全日本選手権でも2度目の2連覇と6度目の優勝を果たし、世界選手権と四大陸選手権の代表に選出された。四大陸選手権では、SPで冒頭の3回転アクセルを成功させ、バンクーバーオリンピックでマークした自己ベストに迫る総合205.45点で3年ぶり3度目の優勝を飾った。世界選手権はSPで6位と出遅れたが、フリーでは自己ベストを6年ぶりに更新し2位となる。総合3位で3年ぶりの表彰台に立った。今シーズンは出場した国際大会と全日本選手権を合わせた6戦中5勝を挙げ、復活を印象づけるシーズンとなった[62]。
2013年4月、ソチ冬季オリンピックのシーズンを限りに引退する意向を表明した[63]。
主な戦績
| 大会/年 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 | 2011-12 | 2012-13 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 冬季オリンピック | 2 | ||||||||||
| 世界選手権 | 2 | 1 | 4 | 1 | 6 | 6 | 3 | ||||
| 四大陸選手権 | 1 | 3 | 1 | 2 | 2 | 1 | |||||
| 世界国別対抗戦 | 1 | 5 | |||||||||
| 全日本選手権 | 7 | 8 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 |
| GPファイナル | 1 | 2 | 2 | 1 | 辞退 | 1 | |||||
| GP中国杯 | 2 | 1 | |||||||||
| GPNHK杯 | 1 | 1 | 8 | 2 | 1 | ||||||
| GPロシア杯 | 5 | 1 | |||||||||
| GPエリック杯 | 1 | 1 | 2 | 2 | 5 | ||||||
| GPスケートカナダ | 1 | ||||||||||
| GPスケートアメリカ | 3 | ||||||||||
| 世界Jr.選手権 | 1 | 2 | |||||||||
| 全日本Jr.選手権 | 4 | 4 | 1 | ||||||||
| JGPファイナル | 1 | ||||||||||
| JGPウクライナ記念 | 1 | ||||||||||
| JGPスケートロングビーチ | 1 |
詳細
| 2012-2013 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2013年3月10日-17日 | 2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 5 59.39 |
5 117.97 |
5 177.36 |
| 2013年3月10日-17日 | 2013年世界フィギュアスケート選手権(ロンドン) | 6 62.10 |
2 134.37 |
3 196.47 |
| 2013年2月8日-11日 | 2013年四大陸フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 74.49 |
1 130.96 |
1 205.45 |
| 2012年12月20日-24日 | 第81回全日本フィギュアスケート選手権(札幌) | 2 62.81 |
1 130.75 |
1 193.56 |
| 2012年12月6日-9日 | 2012/2013 ISUグランプリファイナル(ソチ) | 1 66.96 |
1 129.84 |
1 196.80 |
| 2012年11月23日-25日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(利府) | 1 67.95 |
2 117.32 |
1 185.27 |
| 2012年11月2日-4日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(上海) | 2 62.89 |
1 118.87 |
1 181.76 |
| 2011-2012 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2012年3月26日-4月1日 | 2012年世界フィギュアスケート選手権(ニース) | 4 59.49 |
6 105.03 |
6 164.52 |
| 2012年2月7日-12日 | 2012年四大陸フィギュアスケート選手権(コロラドスプリングス) | 1 64.25 |
2 124.37 |
2 188.62 |
| 2011年12月23日-26日 | 第80回全日本フィギュアスケート選手権(門真) | 2 65.40 |
2 118.67 |
1 184.07 |
| 2011年11月25日-27日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 1 64.29 |
1 118.96 |
1 183.25 |
| 2011年11月10日-13日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(札幌) | 3 58.42 |
1 125.77 |
2 184.19 |
| 2010-2011 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2011年4月25日-5月1日 | 2011年世界フィギュアスケート選手権 (モスクワ) | 7 58.66 |
6 114.13 |
6 172.79 |
| 2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸フィギュアスケート選手権(台北) | 2 63.41 |
2 132.89 |
2 196.30 |
| 2010年12月24日-27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 66.22 |
2 127.47 |
2 193.69 |
| 2010年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 7 50.10 |
5 97.92 |
5 148.02 |
| 2010年10月22日-24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 8 47.95 |
8 85.45 |
8 133.40 |
| 2009-2010 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2010年3月22日-28日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権 (トリノ) | 2 68.08 |
2 129.50 |
1 197.58 |
| 2010年2月14日-27日 | バンクーバーオリンピック(バンクーバー) | 2 73.78 |
2 131.72 |
2 205.50 |
| 2010年1月27日-30日 | 2010年四大陸フィギュアスケート選手権(全州) | 3 57.22 |
1 126.74 |
1 183.96 |
| 2009年12月25日-27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(門真) | 1 69.12 |
1 135.50 |
1 204.62 |
| 2009年10月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 6 51.94 |
5 98.34 |
5 150.28 |
| 2009年10月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 58.96 |
2 115.03 |
2 173.99 |
| 2008-2009 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2009年4月16日-18日 | 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 75.84 |
1 126.03 |
1 201.87 |
| 2009年3月23日-29日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | 3 66.06 |
4 122.03 |
4 188.09 |
| 2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 6 57.86 |
1 118.66 |
3 176.52 |
| 2008年12月25日-27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 2 65.30 |
2 117.15 |
1 182.45 |
| 2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 2 65.38 |
1 123.17 |
1 188.55 |
| 2008年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 64.64 |
1 126.49 |
1 191.13 |
| 2008年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 2 58.12 |
2 109.47 |
2 167.59 |
| 2007-2008 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 2 64.10 |
2 121.46 |
1 185.56 |
| 2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | 1 60.94 |
1 132.31 |
1 193.25 |
| 2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 72.92 |
2 132.41 |
1 205.33 |
| 2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 6 59.04 |
1 132.55 |
2 191.59 |
| 2007年11月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 56.90 |
1 122.90 |
1 179.80 |
| 2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 3 58.08 |
1 119.58 |
1 177.66 |
| 2006-2007 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2007年3月19日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 5 61.32 |
1 133.13 |
2 194.45 |
| 2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 1 71.14 |
1 140.62 |
1 211.76 |
| 2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 1 69.34 |
4 103.18 |
2 172.52 |
| 2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 69.50 |
1 130.02 |
1 199.52 |
| 2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | 1 68.84 |
4 102.39 |
3 171.23 |
| 2005-2006 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2006年3月6日-12日 | 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(リュブリャナ) | 1 113.58 |
2 56.10 |
2 97.25 |
2 153.35 |
| 2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 3 66.64 |
3 121.46 |
2 188.10 |
| 2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | - | 1 64.38 |
1 125.24 |
1 189.62 |
| 2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 1 63.96 |
1 118.46 |
1 182.42 |
| 2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 2 62.92 |
3 113.68 |
2 176.60 |
| 2004-2005 シーズン | |||||
| 開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2005年2月26日-3月3日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 112.32 |
1 60.11 |
1 119.13 |
1 179.24 |
| 2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(横浜) | - | 4 60.46 |
2 106.36 |
2 166.82 |
| 2004年12月2日-5日 | 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ) | - | 1 57.91 |
1 114.92 |
1 172.83 |
| 2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | - | 1 54.56 |
1 117.57 |
1 172.13 |
| 2004年9月30日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | - | 1 56.24 |
1 86.75 |
1 142.99 |
| 2004年9月9日-12日 | ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチ(ロングビーチ) | - | 1 50.14 |
1 87.88 |
1 138.02 |
| 2000-2004 シーズン | ||||
| 開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 6 | 8 | 8 |
| 2003年11月22日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | 4 | 4 | 4 |
| 2002年12月20日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 9 | 7 | 7 |
| 2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 3 | 4 | 4 |
| 2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 8 | 6 | 6 |
プログラム
| シーズン | SP | FS | EX |
|---|---|---|---|
| 2012-2013 | アイ・ガット・リズム 作曲:ジョージ・ガーシュウィン 振付:ローリー・ニコル |
白鳥の湖 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:タチアナ・タラソワ |
ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』より 作曲:シャーマン兄弟 振付:ローリー・ニコル |
| 2011-2012 [64] |
シェヘラザード 作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ 振付:タチアナ・タラソワ |
愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル |
誓い~ジュピター~ (I Vow to Thee My Country) 唄:リベラ 振付:ローリー・ニコル ワルツ第7番 嬰ハ短調作品64-2 作曲:フレデリック・ショパン 演奏:オイゲン・キケロ 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2010-2011 [65] |
タンゴ 作曲:アルフレット・シュニトケ 振付:タチアナ・タラソワ |
愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル |
バラード第1番ト短調 作曲:フレデリック・ショパン 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2009-2010 [66] |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
前奏曲「鐘」[67] 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ |
カプリース[68] 作曲:ニコロ・パガニーニ 振付:タチアナ・タラソワ |
| 2008-2009 [69][70][71] |
月の光 作曲:クロード・ドビュッシー 振付:ローリー・ニコル |
仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ |
ポル・ウナ・カベサ 作曲:カルロス・ガルデル パジャドーラ 作曲:フリアン・プラサ 振付:タチアナ・タラソワ シング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ 振付:ローリー・ニコル |
| 2007-2008 [72] |
ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より 作曲:ナイジェル・ヘス 演奏:ジョシュア・ベル 振付:タチアナ・タラソワ |
幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト ボーカル:レスリー・ギャレット 振付:ローリー・ニコル |
| 2006-2007 [72] |
ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル |
チャルダッシュ 作曲:ヴィットーリオ・モンティ 振付:ローリー・ニコル |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー ボーカル:フィリッパ・ジョルダーノ 振付:ローリー・ニコル 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ハロルド・アーレン ボーカル:エヴァ・キャシディ 振付:ローリー・ニコル |
| 2005-2006 [8][4][72][73] |
歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 スノーダンス[74] 振付:リー=アン・ミラー |
くるみ割り人形 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ローリー・ニコル |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ハロルド・アーレン ボーカル:エヴァ・キャシディ 振付:ローリー・ニコル |
| 2004-2005 [8][72] |
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ハロルド・アーレン 振付:リー=アン・ミラー |
風変わりな店 作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ、オットリーノ・レスピーギ 振付:リー=アン・ミラー |
ピック・ユアセルフ・アップ ミュージカル映画『スイング・タイム』より 作曲:ジェローム・カーン ボーカル:ナタリー・コール 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
| 2003-2004 [75] |
オーケストラ組曲「マイ・ガール2」 作曲:クリフ・エイデルマン 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ワルツ・スケルツォ ハ長調Op. 34 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
| 2002-2003 [75] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
- |
| 2001-2002 [75] |
セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
- |
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メディア出演等
テレビ
- TBS系『学校へ行こう!MAX』2005年7月12日放送(「ニッポンの世界にはばたく学生」のコーナーに出演)
- フジテレビ系『とんねるずのみなさんのおかげでした』2008年5月8日放送(「新・食わず嫌い王決定戦」、対戦相手は松本潤)
- 日本テレビ系『24時間テレビ』2008年8月30日放送(アイスショー「THE ICE」で義手のヴァイオリン少女が演奏する「虹の彼方に」に乗せて演技する模様が放送された)
- テレビ朝日系『ドラえもん秋の1時間スペシャル』2008年10月24日放送(本人役でアフレコ出演)
- TBSテレビ『浅田真央 ドリーム・ラボ』
- TBS系『関口宏の東京フレンドパークII』2009年5月7日放送(共演 安藤美姫、小塚崇彦、織田信成)・2010年4月19日放送(共演 浅田舞、小塚崇彦、高橋大輔)
- フジテレビ・関西テレビ系『Mr.サンデー』2010年4月18日放送
- フジテレビ系『VS嵐』2010年5月6日放送(共演 浅田舞、小塚崇彦、本田武史)
- 日本テレビ系『天才!志村どうぶつ園』2010年5月22日・5月29日放送
- フジテレビ系『run for money 逃走中』2010年6月27日放送
- 日本テレビ系『24時間テレビ』2010年8月28日放送(アイスショー「THE ICE」で右半身麻痺の少女と競演する模様が放送された)
- テレビ朝日系『夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル』2011年1月2日放送(「卓球対決」のコーナーに安藤美姫、高橋大輔、織田信成、小塚崇彦とともに出演)
CM
2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得後のCMの出演料は1本7000万円と推定されており、女子アスリート選手の中では一番高い[76]。
- NEC「VALUESTAR W」
- 日本コカ・コーラ「大豆ノススメ」
- 王子ネピア「まおレゴフィギュアプレゼント」
- オリンパス「μ-DIGITAL」
- 伊藤ハム
- Nestlé「エアロボックス」
- オムロン
- 森永製菓「ウイダーinゼリー」
- ロッテ「ガーナミルクチョコレート」、「クリミオ」、「クランキー」
- 花王「アジエンス」
- NISSAY
- 佐藤製薬「ストナ」
その他
- 2006年3月31日、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ対広島東洋カープの開幕戦で舞とともに始球式を務めた。「くるみ割り人形」の曲をバックに特注のコスチュームで登場し、谷繁元信捕手に投球。野球観戦は初めてだったそうで再登板を希望していた。
- 2007年4月6日、姉の舞と日本とカナダの観光での交流を推進する「日加観光親善大使」に任命され、冬柴鉄三国土交通相とジョセフ・キャロン駐日カナダ大使と共に記者会見を開いた。
- 2010年4月15日、春の園遊会に招待され、今上天皇、美智子皇后と懇談した。懇談後、記者に「お会いできてすごく光栄でした。本当に優しい方だと思いました」と感想を述べた[77]。
- 2010年4月23日、総理官邸に招待され、内閣総理大臣鳩山由紀夫と初対面し、地方自治体などの財源縮小でスケートリンク場が減り続けている現状などを訴えた[78]。
出版物
関連書籍
- 浅田真央、15歳(文藝春秋、2006年)- ISBN 9784163682303
- 浅田真央、16歳(文藝春秋、2007年)- ISBN 9784163696409
- 浅田真央、17歳(文藝春秋、2008年)- ISBN 9784163709208
- 浅田真央、18歳(文藝春秋、2009年)- ISBN 9784163720302
- 浅田真央―age 15‐17(文藝春秋、2009年)- ISBN 978-4167773120
- 真央らしく(朝日新聞出版、2009年)- ISBN 9784022505088
- 浅田真央 奇跡(ミラクル)の軌跡~ファースト・フォトブック(新書館出版、2010年)- ISBN 9784403310577
- 浅田真央公式写真集 MAO(徳間書店、2010年)- ISBN 9784198628932
- 浅田真央 POWER&BEAUTY(小学館、2010年)- ISBN 9784093881210
- 浅田真央物語 Princess Mao(角川書店、2010年)- ISBN 9784046310897
- 浅田真央 さらなる高みへ(学研教育出版、2011年)- ISBN 9784052032929
- 浅田真央、20歳への階段(文藝春秋、2011年)- ISBN 9784163738000
- 浅田真央 Book for Charity(学研教育出版、2011年)
関連CD
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2008-09(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2009-10(EMI Music Japan)
- 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2010-11(EMI Music Japan)
- 浅田真央 スケーティング・ミュージック2011-2012(EMI Music Japan)
- 浅田真央 スケーティング・ミュージック2012-13(EMI Music Japan)
関連DVD
- 浅田真央 20歳になった氷上の妖精(ポニーキャニオン)
エピソード
2012年2月8日に発売予定であったエッセー「大丈夫、きっと明日はできる」(浅田真央著 佐藤雅美著)が浅田の意向により発売中止となった。予定されていたエッセーは209ページにわたり、2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得した以降の生活などを綴ったもので、書店からは10万部以上の予約が入っていたという。浅田は2011年11月に母を亡くした事を踏まえ、自身のウェブサイトで「本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められたところがあり、出版を中止させていただくことになりました」と報告している。発売を予定していたポプラ社の広報では、宣伝告知ポスターに浅田の写真と『ママ、ほんとうにありがとう』という母の死を強調する様なメッセージが添えられていた事が問題だったのでは無いかと言う見解を示した。また浅田のマネジメント会社では、浅田が出版社側の宣伝方法に不信感を抱き、年明けには出版中止の意向を固めたとの説明をしている。これについて出版社であるポプラ社のウェブサイトでは、「この本は約1年以上前から企画していたもの」と前置きした上で「一部宣伝方法に著者ご本人の意にそぐわない部分がございましたので、誠に勝手ながら発売を中止させていただきたいと思います。」と読者に向けて謝罪文を公表した。尚、ポプラ社の広報では、出版中止に伴う損害賠償については、その意向を否定し「今後も真央さんのご活躍を心から願っています」と表明している[79][80][81][82]。またNEWSポストセブンでは、母を亡くした直後にポプラ社へ発売延期を申し入れたが断られた事、その3週間後に「真央ならできる!」と、本文から遺言の如く引用した広告を出した事に対し、「ママの死を売り物にするようなことは絶対にやめてほしい」と関係者に洩らしていた事、そして追い討ちの如く「ママ、ほんとうにありがとう。何度、ありがとうと言っても足りません」と、本の引用ではない宣伝用の言葉が用いられた事の3つの要因による決断であるとの、フィギュア関係者の見解を紹介した[83]。
受賞
日本オリンピック委員会
その他
- 名古屋市スポーツ功労賞
- 愛知県スポーツ功労賞
- 2005年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
- 2005年度第20回中日体育賞(中日新聞)
- 2005年度第40回ビッグスポーツ賞(テレビ朝日)
- 2005年度日本スポーツ賞 奨励賞(読売新聞)
- 2007年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
- 2008年国際競技大会スポーツ功労者顕彰(文部科学省)
- 2008年度朝日スポーツ賞(朝日新聞)
- 2009年度スケーター・オブ・ザ・イヤー(東京運動記者クラブ)
- 2013年度スケーター・オブ・ザ・イヤー(東京運動記者クラブ)
Sports@nifty フィギュアスケートアワード
- 2007 コスチューム・オブ・ザ・イヤー ショートプログラム『ノクターン』
- 2008 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
- 2008 コスチューム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『幻想即興曲』(四大陸&世界選手権バージョン)
- 2009 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
- 2009 プログラム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『仮面舞踏会』(振付/タチアナ・タラソワ)
脚注
- ^ a b 公式サイトProfile
- ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック』実業之日本社、2004年11月、p.79
- ^ a b c 『フィギュアスケート日本女子ファンブック2009』扶桑社、2008年12月、p.8
- ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.20
- ^ <銀メダリスト浅田真央に聞く> 東京新聞 2010年3月2日
- ^ a b c “五輪フィギュア:採点傾向に変化、ジャンプ回転数甘めに”. 毎日jp (毎日新聞社). (2010年2月27日). オリジナルの2010年3月2日時点によるアーカイブ。 2012年1月6日閲覧。
- ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.19
- ^ a b c 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック2006』実業之日本社、2005年10月、p.91
- ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.163
- ^ 宇都宮直子著『浅田真央、15歳』文藝春秋、2006年4月、p.92
- ^ 『浅田真央、15歳』p.120
- ^ 07年「好きなスポーツ選手」、1位はイチローと浅田真央
- ^ 好きなスポーツ選手、イチローと浅田真央が揃って首位返り咲き
- ^ 「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
- ^ 『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
- ^ “バンダイこどもアンケートレポートVol.167 「お子様の好きなスポーツ選手は?」” (PDF) (プレスリリース), バンダイ, (2009年7月) 2011年11月29日閲覧。
- ^ a b “バンダイこどもアンケートレポートVol.193 「お子様の好きなスポーツ選手は誰ですか?」” (PDF) (プレスリリース), バンダイ, (2011年9月) 2011年11月29日閲覧。
- ^ ネスレプレスリリース 2006年9月24日(2007年1月11日時点のアーカイブ)
- ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.30
- ^ 真央からのメッセージ No.29(2009年10月30日時点のアーカイブ)
- ^ 松岡修造著『Stay Gold フィギュアスケート編』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2003年4月、p.201
- ^ 『little wings 新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔』双葉社、2003年12月、p.118
- ^ 2006年世界ジュニア選手権SPジャッジスコア(2006年9月3日時点のアーカイブ)
- ^ 『WFS36』p.4
- ^ 浅田の3回転半がギネス認定 = 新たな勲章『早く見たい』 - 時事通信、2010年4月11日、2010年4月11日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版出版、2008年9月、p.9
- ^ 『ファンブック2009』pp.5-6
- ^ 『パーフェクトプログラム』pp.76-77
- ^ 「まるごと安藤美姫」『読売新聞』夕刊、第4版、2009年2月23日、第4面
- ^ 例えば2010年バンクーバーオリンピックのフリーでのスパイラルシークエンスはGOE +2.6を受けた。これはスパイラルシークエンスとしては最高加点となっている。
- ^ 2011年ロステレコム杯フリーのプロトコル
- ^ 『浅田真央、15歳』p.36, p.120
- ^ 「トップ選手 こぞって導入 美技の秘密はバレエ」『東京新聞』11版S、2010年2月25日、26面
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.28
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.16
- ^ 『little wings』p.118
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.29
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.30
- ^ 当時の日本の総理大臣である小泉純一郎も「出場すべき」と述べたが、外務大臣で五輪出場経験もある麻生太郎は「ルールで決まっているのだから特例にしろというのはおかしい」とこれに反対 オリンピック出場の年齢制限
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.17
- ^ 山田満知子は2005-2006シーズン終了時に浅田姉妹を手放す決意をしたという。理由は山田の体調不良と、国内のフィギュアスケート人気の高まりにともなう練習環境の悪化とされる。田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.18
- ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.37
- ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.6
- ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
- ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
- ^ 『キャラクターブック 2008-2009』pp.5-6
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.70-71
- ^ a b c 「真央19歳、『金』の鐘鳴らせ…GPシリーズ開幕へ」『讀賣新聞』2009年10月14日
- ^ 浅田真央とキム・ヨナの比較報道に誤り、「とくダネ!」が謝罪。2008年12月18日14時29分 ナリナリドットコム
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.210
- ^ 『パーフェクトプログラム』p.74, p.81
- ^ /fc10_Ladies_FS_Scores.pdf 2010年四大陸選手権女子シングルフリー採点の詳細セカンドの2Tは回転不足と判定された
- ^ 韓国のネット上では「演技直前に奇声を発し」たり「サイン攻め」にして浅田を妨害しよう、と呼びかける書き込みが相次ぎ、大会主催者がボディーガードを付ける事態となった。「真央に嫌がらせ予告!それでも魅せた3回転半ジャンプ…フィギュア」『スポーツ報知』2010年1月27日(2010年1月29日時点のアーカイブ)
- ^ 「真央に妨害予告! 屈強ガードマンついた!」『日刊スポーツ』2010年1月27日更新
- ^ 【フィギュア】浅田真央“盗撮騒動” 韓国側が謝罪「産経スポーツ」2010年1月29日(2010年1月31日時点のアーカイブ)
- ^ a b c “真央7位、大差つけられた!/フィギュア (2/2ページ)”. サンケイスポーツ. (2011年4月30日). オリジナルの2011年5月3日時点によるアーカイブ。 2011年11月25日閲覧。
- ^ “世界フィギュア(11/04/25~05/01)”. サンケイスポーツ. (2011年5月1日) 2011年11月25日閲覧。
- ^ “フィギュアの浅田真央選手の母親死去 帰国前に…間に合わず”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2011年11月9日). オリジナルの2011年12月9日時点によるアーカイブ。 2011年12月10日閲覧。
- ^ “浅田真央が亡き母に捧げる逆転優勝”. デイリースポーツ. (2011年12月25日). オリジナルの2011年12月25日時点によるアーカイブ。 2011年12月25日閲覧。
- ^ 『中日スポーツ』2012年11月4日より
- ^ a b “【フィギュア】真央、成熟の舞 腰痛に耐え、天国の母に届けたV GPファイナル”. MSN産経ニュース (産経新聞). (2012年12月9日) 2013年3月2日閲覧。
- ^ “世界フィギュア:浅田「強いライバルがいて成長」”. 毎日新聞 (毎日jp). (2013年3月17日) 2013年3月17日閲覧。
- ^ “浅田真央:「気持ちがふと来た時があった」 来季引退へ”. 毎日jp (毎日新聞社). (2013年4月14日) 2013年4月14日閲覧。
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
- ^ ISUによるバイオグラフィーより
- ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』ダイエックス出版 2009年9月、pp.26-27
- ^ フリープログラムを制作する際、タラソワは「鐘」と「愛の夢」を候補に挙げ、浅田が「鐘」を選択した。『パーフェクトプログラム』pp.78-80
- ^ もともとSPにする予定だったが、「しっくりこなかった」ためEXにした。『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』pp.4-7、文・野口美恵
- ^ 『キャラクターブック 2008-2009』pp.7-8
- ^ 『2008-2009女子シングル読本』pp.7-11
- ^ 『ファンブック2009』p.88
- ^ a b c d 『2008-2009女子シングル読本』p.11
- ^ 「2005プリンスアイスワールド横浜公演レポート(2)浅田真央 はじめてのPIW 」@nifty:フィギュアスケート特集、2005年5月22日更新、2009年3月5日閲覧(2005年5月25日時点のアーカイブ)
- ^ 野辺山合宿後に変更したため、競技会では滑っていない。
- ^ a b c 『little wings』p.135
- ^ 読売テレビ制作、日本テレビ系列全国ネットの『情報ライブ ミヤネ屋』2010年3月8日放送分より[出典無効]
- ^ “天皇・皇后両陛下が浅田真央選手にお声かけ 春の園遊会”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年4月15日). オリジナルの2010年4月17日時点によるアーカイブ。 2010年4月15日閲覧。
- ^ “真央、首相にお願い“仕分け”しないで! (1/2ページ)”. SANSPO.COM(サンケイスポーツ). (2010年4月24日). オリジナルの2010年4月26日時点によるアーカイブ。 2010年4月24日閲覧。
- ^ 浅田真央さんエッセー発売中止 「私の思いと異なる」 - 共同通信 2012年1月12日
- ^ 浅田真央エッセー“ドタキャン”の真相…銀盤女王に何があった? - zakzak 2012年1月13日(2012年1月15日時点のアーカイブ)
- ^ <お詫び>『大丈夫、きっと明日はできる』を発売中止にさせていただきます - ポプラ社 2012年1月12日(2012年1月12日時点のアーカイブ)
- ^ 浅田真央選手の本、「思いと異なる」と発売中止 - 読売新聞 2012年1月12日(2012年1月15日時点のアーカイブ)
- ^ 出版中止の浅田真央の本 出版社は浅田を3回怒らせた可能性 - NEWSポストセブン 2012年1月20日
関連項目
外部リンク
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