浅田真央

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Pix.gif 浅田 真央
Mao ASADA
Figure skating pictogram.svg
Mao Asada Podium 2014 World Championships.jpg
2014年世界選手権の表彰式にて
基本情報
代表国: 日本の旗 日本
生年月日: 1990年9月25日(23歳)
出生地: 愛知県名古屋市
身長: 163 cm[1]
体重: 47 kg[1]
コーチ: 佐藤信夫 (2010- )
佐藤久美子
元コーチ: タチアナ・タラソワ (2008-2010)
ラファエル・アルトゥニアン (2006-2008)
山田満知子 (2000-2006)
樋口美穂子
伊藤朋子[2]
門奈裕子[3]
振付師: ローリー・ニコル
タチアナ・タラソワ
シャネッタ・フォレ
元振付師: リー=アン・ミラー
樋口美穂子
所属クラブ: 中京大学
ISU パーソナルベストスコア
トータルスコア: 216.69 2014 世界選手権
ショートプログラム: 78.66 2014 世界選手権
フリースケーティング: 142.71 2014 ソチ五輪
 
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
2010 バンクーバー 女子シングル
世界選手権
2007 東京 女子シングル
2008 ヨーテボリ 女子シングル
2010 トリノ 女子シングル
2013 ロンドン 女子シングル
2014 さいたま 女子シングル

浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日[4] - )は、日本フィギュアスケート選手(女子シングル)。

2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[5]2014年ソチオリンピック日本代表(6位)。2008年2010年2014年世界選手権優勝。グランプリファイナル優勝4回。グランプリシリーズ通算14勝。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた[6]。姉は元フィギュアスケート選手の浅田舞

人物

愛知県名古屋市生まれ。中京大学附属中京高等学校卒業。現在は中京大学体育学部に在籍[7]。血液型はB型[8]。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する[9]。浅田の2005年のGPファイナル優勝と荒川静香のトリノオリンピック優勝の相乗効果で、日本はフィギュアスケートブームになった。

尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどりエフゲニー・プルシェンコ[10]。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた[11]長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており[12]、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たい思うようになったという[13]。趣味はジグソーパズルレゴ制作[14]DREAMS COME TRUEの「何度でも」は練習中や試合前によく聴いている曲である[15]

オリコンによる「好きなスポーツ選手ランキング」の女性部門において、2007年[16]、2009年[17]、2010年[18]、2011年[19]2013年で1位[20]となった。バンダイが行ったアンケート「バンダイこどもアンケートレポート」によると、子供が好きなスポーツ選手として、2009年7月(集計は5月に実施)では総合2位女の子部門1位[21]、2011年9月(集計は7月に実施)では総合1位[22]に挙げられている。集計を行ったバンダイは、女の子は浅田のことを「憧れのかわいいお姉さん」という見方をしているようだと分析している[22]

愛犬

トイ・プードルの「エアロ」「ティアラ」「小町」の3匹。エアロは、2005年の世界ジュニア選手権で優勝した際に買ってもらった。名前は、ネスレチョコレート菓子「エアロ」に由来しており、同製品のイメージキャラにも選ばれた[23]。2007年のジャパンスーパーチャレンジでは、氷上で浅田と共演している[24]。ティアラと小町は、エアロの子で、2007年の生まれである[25]。ところで当人は、「犬 Allergy(アレルギー)だ」との説がある。

技術・演技

浅田のスパイラル

ジャンプ

アクセルを含む6種類全ての3回転ジャンプを跳ぶことができる。

3回転アクセル

小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め[26]、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功[27]

2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ[28]2008年GPファイナルフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功[29]。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディングリュドミラ・ネリディナ中野友加里の3人を加えた5人しかいない。また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている[30]

その他

ルッツサルコウを苦手としている[6]。ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み[31][32]2008/2009 ISUグランプリファイナルのSPなどで正確なエッジでの踏み切りと判定された。しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため[33]、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンからは再びプログラムに取り入れているが、再び間違った踏み切りとして減点を受けるようになった。

サルコウについては、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった[34]。2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。2010-2011、2011-2012シーズンでは全ての試合で3回転サルコウを取り入れたものの、完璧な成功はそれぞれ、1回だけにとどまっている。2012-2013シーズンには3回成功し、世界選手権では質においても申し分のないものであった。

ループは得意で全てのプログラムで必ず取り入れられている。コンビネーションジャンプにも使われ、演技後半の1.1倍加点を得ることも多い。

3回転-3回転のコンビネーションジャンプは3回転フリップ-3回転ループを得意とし、2008年世界フィギュアスケート選手権のSPなど数々の試合で成功させている。2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。しかし、2008-2009シーズン以降は成功率が下がっており、2009-2010シーズンからはプログラムから外し続けていたが、2013年四大陸選手権では成功はならなかったものの、久々にプログラムに取り入れている。2回転アクセル-3回転トウループは2012-2013年シーズンは3回成功し、世界選手権ではクリーンな着氷をみせている。

ジャンプ以外

しなやかさと力強さを兼ね備え[35]、現行採点では評価のウエイトが大きい柔軟性を生かしたスピンステップスパイラルを行うことができ、高いGOEを獲得することができる[6][36]。片手ビールマンスピンを行うこともできるがレベル認定の規定の二回転を行う前に体勢が崩れてしまい、レベルを取りこぼすことも多く2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。ストレートラインステップシークエンスのレベル4を2007年の日米対抗戦のSP[37]で、またサーキュラーステップシークエンスのレベル4を2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦のSPで獲得(2011-2012シーズンからステップのレベル取得の要件が緩和されたが、それ以前にレベル4を獲得していたのはカロリーナ・コストナーレイチェル・フラット鈴木明子、浅田の4人のみ)しているようにステップは得意であり、ソチオリンピックのFSでもステップシークエンスでレベル4を獲得している(レベル4はソトニコワコストナーオズモンド、浅田の4人のみ)[38]

経歴

ジュニア時代

5歳の時、姉のと共にスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。舞と共に門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会。当時、同クラブには安藤美姫も所属していた。3歳から12歳までは越智久美子によるバレエのレッスンを受けていた[39][40]

2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子樋口美穂子両コーチに師事[3][41][42]。小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳び[43][3][44]、「天才少女」と呼ばれた。全日本ノービス選手権では、2000-2001シーズンから2001-2002シーズンまでBクラスで、2002-2003シーズンから2003-2004シーズンまでAクラスで、それぞれ2連覇を達成した。

2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを飾る。JGPファイナルでは女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった[45]世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしてシーズンを締めくくった。

2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では初優勝を果たし、自身のデビューを飾った。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功(ISU非公認)したが、他のジャンプにミスがあり2位となった。GPシリーズの実績からトリノオリンピック出場を期待する声もあったが[46]、ISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった[47]。連覇が期待された世界ジュニア選手権でもジャンプのミスが響き2位に終わった。

シニア以降

全日本選手権初優勝

2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移す[48][49]。2006-2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。GPファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はSPで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得した。

四大陸選手権・世界選手権初優勝

2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007-2008シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のGPファイナルではSP6位から巻き返して2位となった。全日本選手権のSPで、同シーズンにミスが続いていた3回転フリップ-3回転ループを成功させる。フリーでは冒頭の3回転アクセルが1回転半になったが、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労[50]や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した[50]

2008年四大陸選手権で初出場初優勝。だが、この大会後に左足首を傷めてしまう[51]。コーチ不在のうえ足首の怪我が完治していない状況下で臨んだ[52]2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルに入ろうとした所で大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめ[53]て逆転優勝。日本人選手5人目の世界女王となった。

2度目のGPファイナル優勝と挑戦

2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した[54]。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」[55]で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した[55]。GPファイナルの優勝後に、視聴者に「浅田選手よりもキム選手のほうが実力が上」と感じさせる報道をした日本のマスコミ(フジテレビ系番組「情報プレゼンター とくダネ!」、後に不適切な表現であったと謝罪)の評価[56]がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった[55]

バンクーバー五輪で銀メダル獲得

バンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得

2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ[57]が、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた[58]全日本選手権では復調を見せ、4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝[59]。この優勝により、日本人選手として初めて国際大会10回優勝を果たした(ジュニアの大会を除く)。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けたり[60][61]盗撮被害にあったと報じられている[62]

バンクーバーオリンピックでは、ショートで1度、フリーで2度の3回転アクセルに成功したものの、フリーではこれまでの試合同様プログラムに3回転ルッツと3回転サルコウを取り入れなかったことに加え、3回転フリップが回転不足となり、3回転トウループが1回転となってしまったため技術基礎点は全体の6位となったが、成功した要素のGOEと演技構成点では高評価を得て自己ベストを更新し、銀メダルを獲得した。オリンピックフィギュアスケートの女子シングルで日本人選手がメダルを獲得するのは2大会連続。 オリンピック後、タチアナ・タラソワコーチを総コーチとして、日本人を軸とした新たなコーチを選任する旨の報道がなされる。

2度目の世界選手権優勝と変革

世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。世界選手権2度の優勝は日本人初。この年は男子でも日本の髙橋大輔が優勝し、ジュニアでも男女ともに日本人が優勝している。

2010-2011シーズンは6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。GPシリーズNHK杯エリック・ボンバール杯では新しく変えたジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずGPファイナル進出を逃した。だが、1カ月後の全日本選手権では復調し、SP1位、フリー2位の総合2位となる。 四大陸選手権ではSPで冒頭の3回転アクセルが着氷に乱れたもののフリーでは成功させ、シーズンベストを大幅に更新し、安藤に次いで2位となった。2連覇のかかった、世界選手権東日本大震災の影響により1か月先に延期、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなった[63]。みかねた佐藤コーチから1週間の休養を与えられたが、重要な時期に食が細くなり、いつもより体重が4・5kg減少した[63]。大会本番では佐藤コーチから3回転アクセル回避を提言されたが、浅田は自分の信念を貫き通した[63]。結果はショート7位、フリー6位の総合6位に終わった[64]

2011-2012シーズンはGPシリーズ初戦のNHK杯で2位、ロステレコム杯では日本選手最多となるGPシリーズ8度目の優勝を果たし、3季ぶりにGPファイナル進出を決めた。だが、カナダでのGPファイナル開幕直前、以前から体調不良だった母親の健康状態が悪化したとの日本からの連絡を受けて帰国、ファイナルを欠場した。その後母は肝硬変のため死去、48歳没。浅田はその死の際に間に合わなかった[65]。母親の葬儀翌日の12月13日から練習を再開し短期間の調整で臨んだ全日本選手権では、2年ぶり5度目の優勝を果たした[66]

四大陸選手権ではSP、フリー共に同シーズン中封印していた3回転アクセルに挑戦したが、どちらも回転不足と判定された。SPではトップに立ったものの、フリーではルッツやサルコウなどのミスも響き2位となったが、総合点ではシーズンベストを更新している。しかし、世界選手権ではSP・フリー共に3回転アクセルを含むジャンプのミスが重なり、2年連続の総合6位に留まった。 シーズン終了後にはスケートへの意欲を失い、辞めることも考えたという。その後、ハンガリーでバレエの指導を受けるなど心身のリフレッシュを図り、8月に入ってから本格的に練習を再開した[67]

復調そしてGPシリーズ全7大会を制覇

2012-2013シーズンは中国杯NHK杯とGPシリーズで連勝、だがNHK杯後に疲労から発症した腰痛が悪化してしまう[68]。腰痛が完治していない状況下で臨んだ[68]GPファイナルでは4年ぶり3度目の優勝を果たした。全日本選手権でも2度目の2連覇と6度目の優勝を果たし、世界選手権四大陸選手権の代表に選出された。四大陸選手権では、SPで冒頭の3回転アクセルを成功させ、バンクーバーオリンピックでマークした自己ベストに迫る総合205.45点で3年ぶり3度目の優勝を飾った。世界選手権はSPで6位と出遅れたが、フリーでは自己ベストを6年ぶりに更新し2位となる。総合3位で3年ぶりの表彰台に立った。今シーズンは出場した国際大会と全日本選手権を合わせた6戦中5勝を挙げ、復活を印象づけるシーズンとなった[69]

2013年4月、ソチ冬季オリンピックのシーズンを限りに引退する意向を表明した[70]

2013-2014シーズン、スケートアメリカで優勝。シングルの選手でファイナルを含むグランプリシリーズ全7大会を全て制したのは史上初の快挙であり、全体を通じても申雪/趙宏博組に続き2組目である[71][72][73]。続くNHK杯も2連覇、ファイナルでは歴代最多タイ記録となる4度目の優勝を果たした。

ソチ五輪

ソチオリンピックでは、団体戦のSPで冒頭のトリプルアクセルを失敗し3位。女子シングルのSPでも転倒が相次いで16位と大きく崩れ、演技後のインタビューでは「何もわからない」と放心状態となった。しかし浅田は翌日のFSでは冒頭のトリプルアクセルが認定されるなど、全6種類、計8度の3回転ジャンプを転ぶことなく滑りきる内容で、142.71点と自己ベストを更新し3位となる。またトリプルアクセルは前回のバンクーバーオリンピックでは計3回成功しており、2大会連続の成功は女子で初めての快挙となった[74]。 演技を終えると感無量の表情で涙を浮かべ、歓声に笑顔で答えてリンクを去った[75]。結果成績はSPの点差が響きメダル獲得にはならず、最終順位は6位入賞となった。フリー終了後、世界中から寄せられたエールについて「昨日はすごく悔しい思いをして、心配してくださった方もたくさんいると思うんですけど、今日はこうして自分の中で最高の演技をできたので、恩返しができたと思います」と答えた[76]

3度目の世界選手権優勝

自国・さいたま市で開催の世界選手権ではSPで完璧な演技を披露して78.66点をマーク、歴代最高得点を更新する演技で首位に立った。FSでも首位を守り総合では自己ベストを大きく更新し216.69点で4年ぶり3度目の優勝を果たした。世界選手権の3回制覇は、日本男女シングル通じて最多となった[77]

今後の去就については、集大成と位置付けて臨んだ2月のソチオリンピックシーズンを終えても、進退についてなかなか結論が出せずにいたが、2014年5月19日に2014-2015シーズンの全試合出場を見送り、1年間競技生活の休養を発表した。その後は現役続行の可能性について「ハーフハーフ」と話している。引退するかどうかは、休養期間中にゆっくり決める予定である[78]

主な戦績

大会/年 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2010-11 2011-12 2012-13 2013-14
冬季オリンピック 2 6
世界選手権 2 1 4 1 6 6 3 1
四大陸選手権 1 3 1 2 2 1
世界国別対抗戦 1 5
全日本選手権 7 8 2 2 1 1 1 1 2 1 1 3
GPファイナル 1 2 2 1 辞退 1 1
GPNHK杯 1 1 8 2 1 1
GPスケートアメリカ 3 1
GP中国杯 2 1
GPロシア杯 5 1
GPエリック杯 1 1 2 2 5
GPスケートカナダ 1
世界Jr.選手権 1 2
全日本Jr.選手権 4 4 1
JGPファイナル 1
JGPウクライナ記念 1
JGPスケートロングビーチ 1

詳細

2013-2014 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2014年3月24日-30日 2014年世界フィギュアスケート選手権さいたま 1
78.66
1
138.03
1
216.69
2014年2月6日-22日 ソチオリンピックソチ 16
55.51
3
142.71
6
198.22
2014年2月6日-22日 ソチオリンピック 団体戦(ソチ 3
64.07
- 5
団体
2013年12月20日-23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま 1
73.01
3
126.49
3
199.50
2013年12月5日-8日 2013/2014 ISUグランプリファイナル福岡 1
72.36
1
131.66
1
204.02
2013年11月8日-10日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 1
71.26
1
136.33
1
207.59
2013年10月18日-20日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカデトロイト 1
73.18
1
131.37
1
204.55
2013年10月5日-日 2013年ジャパンオープンさいたま - 1
135.16
1
団体


2012-2013 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年4月11日-14日 2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 5
59.39
5
117.97
5
177.36
2013年3月10日-17日 2013年世界フィギュアスケート選手権ロンドン 6
62.10
2
134.37
3
196.47
2013年2月8日-11日 2013年四大陸フィギュアスケート選手権大阪 1
74.49
1
130.96
1
205.45
2012年12月20日-24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌 2
62.81
1
130.75
1
193.56
2012年12月6日-9日 2012/2013 ISUグランプリファイナルソチ 1
66.96
1
129.84
1
196.80
2012年11月23日-25日 ISUグランプリシリーズ NHK杯利府 1
67.95
2
117.32
1
185.27
2012年11月2日-4日 ISUグランプリシリーズ 中国杯上海 2
62.89
1
118.87
1
181.76
2012年10月6日-日 2012年ジャパンオープンさいたま - 2
122.04
1
団体


2011-2012 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2012年3月26日-4月1日 2012年世界フィギュアスケート選手権ニース 4
59.49
6
105.03
6
164.52
2012年2月7日-12日 2012年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス 1
64.25
2
124.37
2
188.62
2011年12月23日-26日 第80回全日本フィギュアスケート選手権門真 2
65.40
2
118.67
1
184.07
2011年11月25日-27日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 1
64.29
1
118.96
1
183.25
2011年11月10日-13日 ISUグランプリシリーズ NHK杯札幌 3
58.42
1
125.77
2
184.19


2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年4月25日-5月1日 2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 7
58.86
6
114.13
6
172.79
2011年2月15日-20日 2011年四大陸フィギュアスケート選手権台北 2
63.41
2
132.89
2
196.30
2010年12月24日-27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 1
66.22
2
127.47
2
193.69
2010年11月25日-28日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 7
50.10
5
97.92
5
148.02
2010年10月22日-24日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 8
47.95
8
85.45
8
133.40
2010年10月2日-日 2010年ジャパンオープンさいたま - 5
92.44
1
団体


2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月22日-28日 2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ 2
68.08
2
129.50
1
197.58
2010年2月14日-27日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 2
73.78
2
131.72
2
205.50
2010年1月27日-30日 2010年四大陸フィギュアスケート選手権全州 3
57.22
1
126.74
1
183.96
2009年12月25日-27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権門真 1
69.12
1
135.50
1
204.62
2009年10月22日-25日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 6
51.94
5
98.34
5
150.28
2009年10月15日-18日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 3
58.96
2
115.03
2
173.99
2009年10月3日-日 2009年ジャパンオープンさいたま - 3
102.94
3
団体


2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年4月16日-18日 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 1
75.84
1
126.03
1
201.87
2009年3月23日-29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 3
66.06
4
122.03
4
188.09
2009年2月2日-8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 6
57.86
1
118.66
3
176.52
2008年12月25日-27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 2
65.30
2
117.15
1
182.45
2008年12月10日-14日 2008/2009 ISUグランプリファイナル高陽 2
65.38
1
123.17
1
188.55
2008年11月27日-30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 1
64.64
1
126.49
1
191.13
2008年11月13日-16日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 2
58.12
2
109.47
2
167.59


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年4月20日-日 2008年ジャパンオープンさいたま - 1
128.03
1
団体
2008年3月17日-23日 2008年世界フィギュアスケート選手権ヨーテボリ 2
64.10
2
121.46
1
185.56
2008年2月11日-17日 2008年四大陸フィギュアスケート選手権高陽 1
60.94
1
132.31
1
193.25
2007年12月26日-28日 第76回全日本フィギュアスケート選手権大阪 1
72.92
2
132.41
1
205.33
2007年12月13日-16日 2007/2008 ISUグランプリファイナルトリノ 6
59.04
1
132.55
2
191.59
2007年11月15日-18日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 1
56.90
1
122.90
1
179.80
2007年11月1日-4日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダケベックシティ 3
58.08
1
119.58
1
177.66


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年4月29日-日 2007年ジャパンオープンさいたま - 4
101.47
1
団体
2007年3月19日-25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 5
61.32
1
133.13
2
194.45
2006年12月27日-29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 1
71.14
1
140.62
1
211.76
2006年12月14日-17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 1
69.34
4
103.18
2
172.52
2006年11月30日-12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 1
69.50
1
130.02
1
199.52
2006年10月26日-29日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード 1
68.84
4
102.39
3
171.23


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年5月14日-日 2006年ジャパンオープンさいたま - - - 1
団体
2006年3月6日-12日 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権リュブリャナ 1
113.58
2
56.10
2
97.25
2
153.35
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 - 3
66.64
3
121.46
2
188.10
2005年12月16日-18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 - 1
64.38
1
125.24
1
189.62
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 1
63.96
1
118.46
1
182.42
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 - 2
62.92
2
113.68
2
176.60


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年2月28日-3月6日 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー 1
112.32
1
60.11
1
119.13
1
179.24
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 4
60.46
2
106.36
2
166.82
2004年12月2日-5日 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナルヘルシンキ - 1
57.91
1
114.92
1
172.83
2004年11月20日-21日 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大阪 - 1
54.56
1
117.57
1
172.13
2004年9月30日-10月3日 ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念キエフ - 1
56.24
1
86.75
1
142.99
2004年9月9日-12日 ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチロングビーチ - 1
50.14
1
87.88
1
138.02


2000-2004 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 6 8 8
2003年11月22日-23日 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都 4 4 4
2002年12月20日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 9 7 7
2002年11月23日-24日 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 3 4 4
2001年11月23日-24日 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権東京 8 6 6

プログラム使用曲

シーズン SP FS EX
2013-2014[79][80] ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2
作曲:フレデリック・ショパン
振付:ローリー・ニコル
ピアノ協奏曲第2番
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:タチアナ・タラソワ
スマイル
作曲:チャールズ・チャップリン
この素晴らしき世界
作曲:ジョージ・デヴィッド・ワイス
ボーカル:イマ
振付:ローリー・ニコル
2012-2013 アイ・ガット・リズム
作曲:ジョージ・ガーシュウィン
振付:ローリー・ニコル
白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:タチアナ・タラソワ
ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』より
作曲:シャーマン兄弟
振付:ローリー・ニコル
2011-2012
[81]
シェヘラザード
作曲:ニコライ・リムスキー=コルサコフ
振付:タチアナ・タラソワ
愛の夢
作曲:フランツ・リスト
振付:ローリー・ニコル
誓い~ジュピター~
(I Vow to Thee My Country)
唄:リベラ
振付:ローリー・ニコル

ワルツ第7番 嬰ハ短調作品64-2
作曲:フレデリック・ショパン
演奏:オイゲン・キケロ

振付:タチアナ・タラソワ
2010-2011
[82]
タンゴ
作曲:アルフレット・シュニトケ
振付:タチアナ・タラソワ
愛の夢
作曲:フランツ・リスト
振付:ローリー・ニコル
バラード第1番ト短調
作曲:フレデリック・ショパン
振付:タチアナ・タラソワ
2009-2010
[83]
仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:タチアナ・タラソワ
前奏曲「鐘」[84]
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:タチアナ・タラソワ
カプリース[85]
作曲:ニコロ・パガニーニ
振付:タチアナ・タラソワ
2008-2009
[86][87][88]
月の光
作曲:クロード・ドビュッシー
振付:ローリー・ニコル
仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:タチアナ・タラソワ
ポル・ウナ・カベサ
作曲:カルロス・ガルデル
パジャドーラ
作曲:フリアン・プラサ
振付:タチアナ・タラソワ
シング・シング・シング
作曲:ルイ・プリマ
振付:ローリー・ニコル
2007-2008
[89]
ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア
映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より
作曲:ナイジェル・ヘス
演奏:ジョシュア・ベル

振付:タチアナ・タラソワ
幻想即興曲
作曲:フレデリック・ショパン
振付:ローリー・ニコル
ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト
ボーカル:レスリー・ギャレット
振付:ローリー・ニコル
2006-2007
[89]
ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2
作曲:フレデリック・ショパン
振付:ローリー・ニコル
チャルダッシュ
作曲:ヴィットーリオ・モンティ
振付:ローリー・ニコル
ハバネラ 歌劇『カルメン』より
作曲:ジョルジュ・ビゼー
ボーカル:フィリッパ・ジョルダーノ

振付:ローリー・ニコル

虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より
作曲:ハロルド・アーレン

ボーカル:エヴァ・キャシディ
振付:ローリー・ニコル
2005-2006
[9][4][89][90]
歌劇『カルメン』より
作曲:ジョルジュ・ビゼー
振付:山田満知子樋口美穂子
スノーダンス[91]
振付:リー=アン・ミラー
くるみ割り人形
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ローリー・ニコル
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より
作曲:ハロルド・アーレン
ボーカル:エヴァ・キャシディ
振付:ローリー・ニコル
2004-2005
[9][89]
虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より
作曲:ハロルド・アーレン
振付:リー=アン・ミラー
風変わりな店
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニオットリーノ・レスピーギ
振付:リー=アン・ミラー
ピック・ユアセルフ・アップ
ミュージカル映画『スイング・タイム』より
作曲:ジェローム・カーン
ボーカル:ナタリー・コール
振付:山田満知子、樋口美穂子
2003-2004
[92]
オーケストラ組曲「マイ・ガール2」
作曲:クリフ・エイデルマン
振付:山田満知子、樋口美穂子
ワルツ・スケルツォ ハ長調Op. 34
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:山田満知子、樋口美穂子
ハバネラ 歌劇『カルメン』より
作曲:ジョルジュ・ビゼー
振付:山田満知子、樋口美穂子
2002-2003
[92]
セイ・ヘイ・キッズ
振付:山田満知子、樋口美穂子
インカダンス&アンデス
by クスコ
振付:山田満知子、樋口美穂子
-
2001-2002
[92]
セイ・ヘイ・キッズ
振付:山田満知子、樋口美穂子
インカダンス&アンデス
by クスコ
振付:山田満知子、樋口美穂子
-

受賞

日本オリンピック委員会

行政

  • 2005年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省
  • 2007年国際競技大会優秀者表彰(文部科学省)
  • 2008年国際競技大会スポーツ功労者顕彰(文部科学省)
  • 名古屋市スポーツ功労賞
  • 愛知県スポーツ功労賞

マスコミ

  • 2005年度第20回中日体育賞(中日新聞
  • 2005年度第40回ビッグスポーツ賞(テレビ朝日
  • 2005年度日本スポーツ賞 奨励賞(読売新聞
  • 2008年度朝日スポーツ賞(朝日新聞
  • 2009年度スケーター・オブ・ザ・イヤー(東京運動記者クラブ)
  • 2013年度スケーター・オブ・ザ・イヤー(東京運動記者クラブ)

Sports@nifty フィギュアスケートアワード

  • 2007 コスチューム・オブ・ザ・イヤー ショートプログラム『ノクターン』
  • 2008 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
  • 2008 コスチューム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『幻想即興曲』(四大陸&世界選手権バージョン)
  • 2009 フィギュアスケーター・オブ・ザ・イヤー
  • 2009 プログラム・オブ・ザ・イヤー フリープログラム『仮面舞踏会』(振付/タチアナ・タラソワ)

関連活動

テレビ出演

CM出演

スポンサー

公的活動

関連作品

書籍

CD

  • 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック(EMI Music Japan)
  • 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2008-09(EMI Music Japan)
  • 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2009-10(EMI Music Japan)
  • 浅田舞&真央 スケーティング・ミュージック2010-11(EMI Music Japan)
  • 浅田真央 スケーティング・ミュージック2011-2012(EMI Music Japan)
  • 浅田真央 スケーティング・ミュージック2012-13(EMI Music Japan)
  • 浅田真央 スケーティング・ミュージック2013-14(ユニバーサルミュージック)

DVD

  • 浅田真央 20歳になった氷上の妖精(ポニーキャニオン)

著書のエピソード

2012年2月8日に発売予定であったエッセー「大丈夫、きっと明日はできる」(浅田真央著 佐藤雅美著)が浅田の意向により発売中止となった。予定されていたエッセーは209ページにわたり、2010年バンクーバー五輪銀メダルを獲得した以降の生活などを綴ったもので、書店からは10万部以上の予約が入っていたという。

ところが、浅田は2011年11月に母を亡くした事を踏まえ、自身のウェブサイトで「本の宣伝、告知について、私の思いと異なるもので進められたところがあり、出版を中止させていただくことになりました」と報告している。発売を予定していたポプラ社の広報では、宣伝告知ポスターに浅田の写真と『ママ、ほんとうにありがとう』という母の死を強調する様なメッセージが添えられていた事が問題だったのでは無いかと言う見解を示した。また浅田のマネジメント会社では、浅田が出版社側の宣伝方法に不信感を抱き、年明けには出版中止の意向を固めたとの説明をしている。

これについて出版社であるポプラ社のウェブサイトでは、「この本は約1年以上前から企画していたもの」と前置きした上で「一部宣伝方法に著者ご本人の意にそぐわない部分がございましたので、誠に勝手ながら発売を中止させていただきたいと思います。」と読者に向けて謝罪文を公表した。尚、ポプラ社の広報では、出版中止に伴う損害賠償については、その意向を否定し「今後も真央さんのご活躍を心から願っています」と表明している[95][96][97][98]

またNEWSポストセブンでは、母を亡くした直後にポプラ社へ発売延期を申し入れたが断られた事、その3週間後に「真央ならできる!」と、本文から遺言の如く引用した広告を出した事に対し、「ママの死を売り物にするようなことは絶対にやめてほしい」と関係者に洩らしていた事、そして追い討ちの如く「ママ、ほんとうにありがとう。何度、ありがとうと言っても足りません」と、本の引用ではない宣伝用の言葉が用いられた事の3つの要因による決断であるとの、フィギュア関係者の見解を紹介した[99]

脚注

  1. ^ a b nikkansports.com
  2. ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック』実業之日本社、2004年11月、p.79
  3. ^ a b c 『フィギュアスケート日本女子ファンブック2009』扶桑社、2008年12月、p.8
  4. ^ a b 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.20
  5. ^ <銀メダリスト浅田真央に聞く> 東京新聞 2010年3月2日
  6. ^ a b c “五輪フィギュア:採点傾向に変化、ジャンプ回転数甘めに”. 毎日jp (毎日新聞社). (2010年2月27日). オリジナル2010年3月2日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100302155409/http://mainichi.jp/enta/sports/10olympic/news/20100228k0000m050019000c.html 2012年1月6日閲覧。 
  7. ^ 『ワールド・フィギュアスケート 36』新書館、2009年2月、p.19
  8. ^ 日本スケート連盟 強化選手プロフィール
  9. ^ a b c 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック2006』実業之日本社、2005年10月、p.91
  10. ^ 「浅田真央が尊敬する人物とは…」デイリースポーツ』2014年2月17日
  11. ^ 八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月、p.163
  12. ^ 宇都宮直子著『浅田真央、15歳』文藝春秋、2006年4月、p.92
  13. ^ 『浅田真央、15歳』p.120
  14. ^ 浅田 舞・浅田 真央オフィシャルウェブサイト プロフィール
  15. ^ 浅田真央CMで生歌「何度でも」歌いたい日刊スポーツ』2013年12月20日
  16. ^ 07年「好きなスポーツ選手」、1位はイチローと浅田真央
  17. ^ 好きなスポーツ選手、イチローと浅田真央が揃って首位返り咲き
  18. ^ 「第4回好きなスポーツ選手」、イチロー&真央が2連覇 ~サッカーW杯メンバーも急浮上
  19. ^ 『第5回好きなスポーツ選手』イチロー&真央が3連覇 ~サッカー人気が如実に
  20. ^ 2013年好きなスポーツ選手ランキング
  21. ^ “バンダイこどもアンケートレポートVol.167 「お子様の好きなスポーツ選手は?」” (PDF) (プレスリリース), バンダイ, (2009年7月), http://www.bandai.co.jp/kodomo/pdf/question167.pdf 2011年11月29日閲覧。 
  22. ^ a b “バンダイこどもアンケートレポートVol.193 「お子様の好きなスポーツ選手は誰ですか?」” (PDF) (プレスリリース), バンダイ, (2011年9月), http://www.bandai.co.jp/kodomo/pdf/question193.pdf 2011年11月29日閲覧。 
  23. ^ ネスレプレスリリース 2006年9月24日(2007年1月11日時点のアーカイブ
  24. ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.30
  25. ^ 真央からのメッセージ No.29(2009年10月30日時点のアーカイブ
  26. ^ 松岡修造著『Stay Gold フィギュアスケート編』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2003年4月、p.201
  27. ^ 『little wings 新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔』双葉社、2003年12月、p.118
  28. ^ 2006年世界ジュニア選手権SPジャッジスコア(2006年9月3日時点のアーカイブ
  29. ^ 『WFS36』p.4
  30. ^ 浅田の3回転半がギネス認定 = 新たな勲章『早く見たい』 - 時事通信、2010年4月11日、2010年4月11日閲覧。[リンク切れ]
  31. ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版出版、2008年9月、p.9
  32. ^ 『ファンブック2009』pp.5-6
  33. ^ 『パーフェクトプログラム』pp.76-77
  34. ^ 「まるごと安藤美姫」『読売新聞』夕刊、第4版、2009年2月23日、第4面
  35. ^ 『フィギュアスケートファンブック!2014』宝島社、2014年1月、p.6
  36. ^ 例えば2010年バンクーバーオリンピックのフリーでのスパイラルシークエンスはGOE +2.6を受けた。これはスパイラルシークエンスとしては最高加点となっている。
  37. ^ International Counter Match FS Competition, USA vs. JPN 2007 Yokohama
  38. ^ ソチオリンピックFSのプロトコル
  39. ^ 『浅田真央、15歳』p.36, p.120
  40. ^ 「トップ選手 こぞって導入 美技の秘密はバレエ」『東京新聞』11版S、2010年2月25日、26面
  41. ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.28
  42. ^ 『パーフェクトプログラム』p.16
  43. ^ 『little wings』p.118
  44. ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.29
  45. ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.30
  46. ^ 当時の日本の総理大臣である小泉純一郎も「出場すべき」と述べたが、外務大臣で五輪出場経験もある麻生太郎は「ルールで決まっているのだから特例にしろというのはおかしい」とこれに反対 オリンピック出場の年齢制限
  47. ^ 『パーフェクトプログラム』p.17
  48. ^ 山田満知子は2005-2006シーズン終了時に浅田姉妹を手放す決意をしたという。理由は山田の体調不良と、国内のフィギュアスケート人気の高まりにともなう練習環境の悪化とされる。田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.18
  49. ^ 『素直な心が才能を伸ばす!』 p.37
  50. ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、p.6
  51. ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
  52. ^ 「浅田真央 奇跡の軌跡」p68
  53. ^ 『キャラクターブック 2008-2009』pp.5-6
  54. ^ 『パーフェクトプログラム』p.70-71
  55. ^ a b c 「真央19歳、『金』の鐘鳴らせ…GPシリーズ開幕へ」『讀賣新聞』2009年10月14日
  56. ^ 浅田真央とキム・ヨナの比較報道に誤り、「とくダネ!」が謝罪。2008年12月18日14時29分 ナリナリドットコム
  57. ^ 『パーフェクトプログラム』p.210
  58. ^ 『パーフェクトプログラム』p.74, p.81
  59. ^ /fc10_Ladies_FS_Scores.pdf 2010年四大陸選手権女子シングルフリー採点の詳細セカンドの2Tは回転不足と判定された
  60. ^ 韓国のネット上では「演技直前に奇声を発し」たり「サイン攻め」にして浅田を妨害しよう、と呼びかける書き込みが相次ぎ、大会主催者がボディーガードを付ける事態となった。「真央に嫌がらせ予告!それでも魅せた3回転半ジャンプ…フィギュア」『スポーツ報知』2010年1月27日(2010年1月29日時点のアーカイブ
  61. ^ 「真央に妨害予告! 屈強ガードマンついた!」『日刊スポーツ』2010年1月27日更新
  62. ^ 【フィギュア】浅田真央“盗撮騒動” 韓国側が謝罪「産経スポーツ」2010年1月29日(2010年1月31日時点のアーカイブ
  63. ^ a b c “真央7位、大差つけられた!/フィギュア (2/2ページ)”. サンケイスポーツ. (2011年4月30日). オリジナル2011年5月3日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20110503215719/http://www.sanspo.com/sports/news/110430/spm1104300506001-n2.htm 2011年11月25日閲覧。 
  64. ^ “世界フィギュア(11/04/25~05/01)”. サンケイスポーツ. (2011年5月1日). http://www.sanspo.com/sports/figure/senior/110501world.html 2011年11月25日閲覧。 
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関連項目

外部リンク