湯川れい子

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湯川 れい子(ゆかわ れいこ、本名:湯野川 和子(ゆのかわ かずこ)[1]1939年1月22日 - )は音楽評論家作詞家翻訳家東京都出身。

父は元海軍大佐の湯野川忠一[1]

目次

[編集] 人物

ジャズ評論家として1960年スウィング・ジャーナル誌で執筆をはじめる。その後ラジオのDJワイドショーのコメンテーターなどでメディアに自ら出演。作詞、翻訳、ノンフィクション作家など活躍の場を広げる。日本作詞家協会会長、日本音楽著作権協会理事、日本大衆音楽文化協会理事も務める。

また、環境問題や反戦平和運動などボランティア活動も積極的にしている。このため、社会民主党から東京都知事選挙への出馬を要請されたことがあるが、辞退をしている。一方で2002年及び2009年、北朝鮮による日本人拉致問題解決を求める意見広告をニューヨーク・タイムズに掲載する運動を行なった「意見広告7人の会」呼びかけ人に名を連ねる(残りの6人は有田芳生勝谷誠彦加藤哲郎重村智計高世仁日垣隆)。

1965年エミー・ジャクソンの歌った「涙の太陽」を作詞。この曲は当時日本コロムビアの洋楽レーベルであったCBSから発売され、湯川れい子もR. Hot Rivers名義で英語で作詞した(同時期に青山ミチのヴァージョンのために日本語詞も書いており、その日本語詞がのちに安西マリアに歌われることになる)。その後、安西マリア、サンディー、田中美奈子メロン記念日などがカバーした。

日本経済新聞東京新聞のコラムで「立ち読みは『盗み読み』という立派な犯罪」という持論を展開し批判を受けている。

エルビス・プレスリーの熱烈なファンであり、数多くのライナーノーツを書いている。また、日本におけるプレスリーのファンクラブ幹部も務めている。

エイトスター・ダイヤモンド(「奇跡のダイヤモンド」と称するダイヤを販売)の代表の田村熾鴻は元夫。

[編集] 作詞

[編集] あ行

[編集] か行

[編集] さ行

[編集] た行

[編集] な行

[編集] は行

[編集] ま行

[編集] や行以降

  • ラッツ&スター(シャネルズ)
    • ランナウェイ
    • トゥナイト
    • 街角トワイライト
    • ハリケーン
    • 涙のスウィート・チェリー
  • 和田加奈子
    • 夏のミラージュ (きまぐれオレンジ☆ロード エンディングテーマ 第1話 - 第19話)
    • サルビアの花のように (きまぐれオレンジ☆ロード 挿入歌)

[編集] 社会的活動

[編集] 著書

[編集] 単著

  • 『幸福へのパラダイム』(第10回日本文芸大賞ノンフィクション賞)
  • 『幸福への共時性』
  • 『幸福への旅立ち』
  • 『オーロラ・光ふる夜』
  • 『結婚であなたが幸せになる13の法則』
  • 『湯川れい子のロック50年―見た!聞いた!会った!世界のスーパースター達』(シンコーミュージック・エンタテイメント) ISBN 4401619692

[編集] 共著

[編集] テレビ番組

[編集] 脚注

  1. ^ a b 『わたしが子どもだったころ』(BS hi)より

[編集] 外部リンク