三浦友和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
みうら ともかず
三浦 友和
三浦 友和
本名 三浦 稔
生年月日 1952年1月28日(62歳)
出生地 日本の旗 日本 山梨県塩山市
身長 178 cm
血液型 AB型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画
活動期間 1972年 -
活動内容 1972年:『シークレット部隊』でデビュー
1973年:『刑事くん』(第3部)
1974年:『伊豆の踊子
1975年:『赤いシリーズ』、『ひまわりの詩
1982年:『大日本帝国』、『西部警察 PART-II』
1984年:『さよならジュピター
1985年:『台風クラブ
1987年:『独眼竜政宗
1989年:『悲しきヒットマン
1991年:『無能の人
1996年:『はみだし弁護士・巽志郎
2001年:『HERO
2004年:『世界の中心で、愛をさけぶ
2005年:『ALWAYS 三丁目の夕日
2009年:『沈まぬ太陽
2011年:『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ
配偶者 山口百恵1980年 - )
著名な家族 三浦祐太朗(長男)
三浦貴大(次男)
事務所 テアトル・ド・ポッシュ
公式サイト 所属事務所
備考
紫綬褒章
ほか受賞歴参照

三浦 友和(みうら ともかず、1952年1月28日 - )は、日本俳優である。山梨県塩山市(現甲州市)出身。東京都在住。テアトル・ド・ポッシュ所属。血液型AB型。身長178cm。

略歴[編集]

出生から学生時代まで[編集]

父親は山梨県塩山で警察官巡査)をしていたが、三浦は母の実家の神金で生まれた[1]。小学3年生で東京に来るまで大菩薩峠の麓を六回引っ越した[1]。三浦が覚えているのは三歳で移った大藤村と次の東雲駐在所だけである[1]

甲州市立東雲小学校3年の三学期、東京へ転居する[2]。父が国際興業に転職、一家は新宿区の社員寮に移る[2]。中学に入る頃立川市に引っ越した[2]忌野清志郎とは東京都立日野高等学校の同級生で毎朝、多摩動物公園行きのバスで一緒になっていた事がきっかけで初期RCサクセションのメンバーたちとも親しい関係にあった[3]

芸能界へ[編集]

二十歳の春、TBS『シークレット部隊』で芸能界デビューする[4]。芸名の「友和」は、先輩の宇津井健が同ドラマプロデューサーの野添和子(現・大映テレビ顧問)の名前の「和」の字を取って命名したものである。

1970年代に二枚目の俳優として10代に大変な人気があった。特に1970年代後半、山口百恵と共演した主演映画・ドラマが次々とヒットし、「百恵友和コンビ=ゴールデンコンビ」と呼ばれた。山口との共演映画は、すべて東宝配給ながらもホリプロ製作で撮影所、スタッフなどは日活系で固められているが、山口と離れて主演した映画は東宝撮影所でのものがほとんどで、専属契約こそ交わしていないものの、事実上、最後の東宝男優である。 1980年に山口百恵と結婚し、その後は映画・舞台で着実に役柄の幅を広げ、歴代平均視聴率No.1となったNHK大河ドラマ独眼竜政宗』にて、伊達政宗の片腕で武骨な武将・伊達成実を演じたり、アルコール飲料や紳士服店のCMでコミカルな演技を見せるなど、硬軟いずれもこなせる俳優としての位置を確立した。

50代になってからは映画での活躍が顕著であり、日本アカデミー賞ブルーリボン賞等の数々の映画賞の助演男優賞を獲得していた他、2012年秋の褒章にて紫綬褒章を受章することが発表された[5]

家族・親族[編集]

妻は元歌手女優山口百恵1980年11月19日結婚)、長男はシンガーソングライター、俳優の三浦祐太朗で、次男は俳優の三浦貴大。姉のひろ子もかつて牧陽子、三浦弘子の芸名で歌手・タレントとして活動しており、夫(義兄)はラリードライバー篠塚建次郎

主な出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • 三浦友和・松たか子の大河ロマン紀行〜生きていた百年の夢・流氷の科学者岡崎文吉(1999年、札幌テレビ放送、日本テレビ系列)

映画[編集]

☆は山口百恵共演作品

CM[編集]

ラジオ[編集]

  • 三浦友和と仲間たち
  • 三浦友和インザワールド
  • 三浦友和・夢色飛行船(1979年 - 1980年、文化放送
  • 三浦友和のNECサンデーミュージック(ニッポン放送)

著書[編集]

  • 被写体(マガジンハウス、1999年
  • 相性(小学館、2011年、本人の語りおろし。本人の利益は全額震災関連に寄付)

音楽[編集]

シングル[編集]

  • ほほえみの扉/ふりむけば愛(1978年11月1日) オリコン最高位11位
  • Windy Night(1982年6月21日) オリコン最高位173位、5人組バンドAGAPE HOUSEとしてリリース
  • ミッドナイト スペシャル(1984年10月5日) オリコンチャートイン記録なし

アルバム[編集]

  • あいつと私(1976年9月25日) オリコン最高位15位
  • 赤頭巾ちゃん秘密だよ(1977年4月25日) オリコン最高位1位(名義は三浦友和と仲間たち)
  • 出会い、そして出発(1978年2月5日) オリコン最高位6位(名義は三浦友和と仲間たち)
  • 二人でコンサート(1978年6月1日) オリコン最高位12位
  • 素描(1979年4月1日) オリコン最高位28位
  • 喜・怒・愛(1980年6月21日) オリコン最高位40位 →2011年3月21日にソニーより、復刻版としてCD発売された
  • AGAPE HOUSE(1982年6月1日) オリコン最高位65位、5人組バンドAGAPE HOUSEとしてリリース
  • ラブ・イズ・ジ・オーシャン(1984年) オリコンチャートイン記録なし、アルバムタイトル曲は岩崎宏美とのデュエット

受賞歴[編集]

映画賞[編集]

1975年度

1985年度

1988年度

1991年度

1999年度

2007年度

2009年度

2011年度

その他の賞[編集]

エピソード[編集]

  • 父親が勤務していた駐在所周辺は、急な坂道ばかりだったため、幼い頃は「道というものは坂になっているもの」と思い込んでおり、山梨県から東京へ転居してきた際にカルチャーショックを受ける。また、東京の空気汚染により呼吸器の病気を患う。それにより健康優良児から虚弱体質の子供へと変わってしまう。
  • 忌野清志郎との縁で、結成初期のRCサクセションの曲である「金もうけのために生れたんじゃないぜ」でボンゴ担当として当時のLPクレジットタイトルに名前が明記されている。このことは『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』に忌野清志郎がゲスト出演した際、実際のクレジットを見た忌野と坂崎が本当であることを証明している。しかし、当時の音源を聴いてみるとボンゴの音が入っておらず、忌野に「あいつ全然叩いてねぇじゃねぇか!」と失笑される。また、RCサクセションのバックミュージシャン時代の一時期に、RCサクセションの破廉ケンチと一緒に住んでいた。
  • ぴったしカンカン』のゲストで出演した際のクイズで、『「シークレット部隊」での最初のセリフは何だったのでしょう?』という問題に対して正解は『あっ!キャプテンのヘリだ!』だったが、放送された解答スーパーは『あっ!キャプテンのヘソだ!』と誤ってスーパーされ、当の三浦自身も爆笑していた。尚、同ドラマで当該シーンが登場した第1話は『ぴったしカンカン』で共演した萩本欽一が芸能生活で唯一悪役を演じた回でもあり、その初セリフも萩本が演じる保険金詐欺犯から海上で襲撃されるシーンでのものだった。
  • 1982年、『西部警察 PART-II』の第一話「大門軍団・激闘再び-沖田刑事登場」にて、ニトロを積んで走り続ける観光バスにトラックから乗り移るという本人によるアクションシーンが収録される。のちに「あのアクションは君が大門軍団の一員としてやっていけるかどうかのテストだった」と石原プロモーション専務・小林正彦に打ち明けられたと語る。
  • 1982年にたばこのコマーシャルに出演していた頃、青少年の教育上問題があるとして本人がアイドルかどうか国会(参議院予算委員会)で議論された。森下元晴厚生大臣(当時)は「アイドルだと思う」、日本専売公社(現・JT)総裁(当時)の泉美之松は「既婚者であるので青少年のアイドルは卒業している」と答えた。それに対し質問者である日本社会党片山甚市議員は「結婚をすればアイドルでないなどというのはそれはこじつけで、若い者はいかす男として、やはり山口百恵の亭主としては大変魅力的であります」と発言したが、結局結論は出ないまま別の議題に話が移っていった。[7]三浦本人はこの件に関し「『アイドルではない』と結論が出た」と受け止めており、「俺は『国会でアイドルではないと決められた男』である」と笑い話にしている。
  • 1980年代半ば、RCサクセションのライブに飛び入り出演した際、たばこの箱を片手に「俺はタバコも吸ってるし、嫁さんは有名な歌手だったんだぜ!」とステージ上で叫び、「ロックンロール・ウィドウ」を忌野と一緒に歌う。結婚後、百恵夫人の持ち歌を公の場で歌ったのはこの時が初めてである。
  • 1988年、RCサクセションが発表し、歌詞が東芝EMIの親会社であり、日本の原子炉サプライヤーでもある東芝からの圧力がかかった(詳細はCOVERS (RCサクセションのアルバム)を参照)ことが原因で発売禁止となったアルバム『COVERS』に参加。問題となった収録曲である「サマータイム・ブルース」の中で「原発という言い方も改めましょう。何でも縮めるのは日本人の悪い癖です。正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。心配はいりません」というセリフを担当した。「MONEY」では3番のヴォーカル&バックコーラスを唄っている。
  • 飽きっぽい性格であるためパチンコなど趣味を転々とし、現在は陶芸を趣味としている。50歳になってから始めた禁煙には成功。
  • 30代後半、ロケで訪れた釧路にて、共演者であった川谷拓三に誘われたことがきっかけでパチンコにはまる。新台入替の日は、一般人に紛れて早朝から並んだこともあるほどの入れ込みよう。その結果、新宿にあるすべてのパチンコ店・景品交換所の地図が書ける程だったという。この経験はのちに「はみだし弁護士・巽志郎」シリーズでの役柄に生かされることになる。
  • 『西部警察PART-II』で共演した渡哲也に惚れ込み、渡の出演する作品に自らノーギャラで出演要請するなど公私ともに渡を慕っている。百恵夫人が引退コンサートでステージ上に置いたマイクが長年にわたり自宅に保管してあったため渡に相談。その結果、渡の計らいで北海道小樽市ワーナー・マイカル・シネマズ小樽内にあった石原プロワールド・西部警察に展示され話題になった(現在は、同じく小樽市にある石原裕次郎記念館に展示されている)。
  • ここ数年『ALWAYS 三丁目の夕日』や『薔薇のない花屋』等、映画やテレビドラマで医師役を演じることが多い。「50代になり、役柄が医師、弁護士、検事、判事、刑事などに偏ってきていることが悩みでもある」とインタビューで答えている。
  • 結婚後の私生活では、全く浮いた噂やゴシップはなく、理想的な夫であり父親を貫いているが、それに反して、テレビや映画ではなぜか「私生活が謎に包まれた独身男」「妻と離婚・死別した過去のある男」「家庭はあるが不倫をしている夫」「子供に恵まれない家庭の夫」「悪事に手を染めて転落していくエリート」といった役柄を演じることが非常に多い。
  • [要出典]。1990年代半ば頃に出た「仮面ライダー」の特集本によると、仮面ライダー2号/一文字隼人役の候補に、三浦の名前があったという。
  • ドラマの共演が縁で山口百恵と交際・結婚するが交際中はお互いのスケジュールが合わないため撮影中が実はデートだったと述懐している[8]
  • 自書『被写体』の中でマスコミが結婚後の山口百恵や家族を撮影しようして中には盗撮まがいの行為も行われたという。あるとき百恵の結婚後のプライベート映像を某番組が特ダネとして放送した際、他のコメンテーターはプライバシーの問題について「みんなが見たいものだから仕方がない」と放送した番組を擁護する発言を行ったがそのまんま東のみが「これはいくらなんでもやりすぎである」と番組を強く批判していた事に触れ「擁護する発言をした人たちを忘れはしない。またそのまんま東さんの発言も忘れないし(東さんの)発言に感謝している」と発言している。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』120頁
  2. ^ a b c 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』122頁
  3. ^ 高校生の頃は清志郎とは違うバンド、初期のRCサクセションではバックミュージシャンとして、中期はゲストライブに参加したことはあるが、RCサクセションの初期メンバーという説は誤り。
  4. ^ 斎藤明美『家の履歴書 男優・女優篇』125頁
  5. ^ a b 三浦友和「実感わかない」紫綬褒章受章 サンケイスポーツ 2012年11月2日閲覧
  6. ^ “宮城出身の鈴木京香、被災地描く主演作に「中途半端には出来ないという恐怖心もあった」”. 映画.com. (2014年11月10日). http://eiga.com/news/20141110/13/ 2014年11月10日閲覧。 
  7. ^ 参議院会議録情報 第96回国会 予算委員会 第14号
  8. ^ 三浦友和著『被写体』

外部リンク[編集]