高橋英樹 (俳優)

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たかはし ひでき
高橋 英樹
高橋 英樹
本名 同じ
生年月日 1944年2月10日(70歳)
出生地 日本の旗 日本千葉県木更津市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 181cm
血液型 BO型
職業 俳優タレント司会者
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1961年 -
配偶者 小林亜紀子
家族 高橋真麻(娘)
事務所 アイウエオ企画
公式サイト オフィシャルサイト
主な作品
テレビドラマ
桃太郎侍』/『三匹が斬る!』シリーズ

高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年昭和19年〉2月10日 - )は、日本俳優タレント司会者。本名同じ。アイウエオ企画所属。

身長181cm、体重80kg、血液型B型[1]。妻は元女優小林亜紀子。娘はフリーアナウンサー高橋真麻

来歴[編集]

生い立ち - 日活時代[編集]

千葉県木更津市生まれ。父親は教職者で、高校の校長を務めた[2]。命名は当時の東條英機首相に因んだものである[3]

船橋市立二宮小学校千葉市立検見川小学校千葉市立緑町中学校を経て、私立市川高等学校入学。

1961年、高校在学中に日活ニューフェース第5期として日活株式会社に入社。第5期の同期には、中尾彬竜崎勝高島彩の父)がいる。同年の映画「高原児」でデビュー。

芸能界入りのきっかけは厳格な父への反発心からだった。父は芸能界入りに猛反対したが、意外にも日活の受験は父の命令だったという。この時のことについて「芸能界は安定した収入が保証されてないから親としては心配だったと思います。父からは『芸能界に入るなら勘当だ』と言われました。ただ、日活の試験は父の命令で受けたんです。それでいて、万が一、合格したら勘当だと。矛盾しているようですが、試験に落ちてあきらめさせようとしたんですね。合格後は父とは口をきかずに半勘当状態でした[2]」と語っている。

1962年(昭和37年)、撮影所内で事故死した赤木圭一郎の代役として日活より『激流に生きる男』で主演格となる。大部屋(仕出し)を経験せず、いきなり役付きで出演するという、当時の新人俳優としては異例のデビューであった[4]。恵まれたスタートだったものの、筋肉質のかっしりとした体型で、しかもカメラマンが下から写しても様にならなかったほど股下が短いことが原因となって、アクションや青春ものでは主役がなかなか回らず[5]、『高原児』では共演の浅丘ルリ子の弟役にも関わらず、浅丘に「お兄さん役だと思った」と言われる[6]など、10代ながらも大人びた風貌から実年齢より上の役柄が多かった。その一方で、浅丘にはデビュー当時から公私にわたって指導を受けており、当初は千葉市より電車で調布市日活撮影所まで通っていたが、石原裕次郎の口利きで調布市の浅丘宅に下宿し、食事を浅丘の母親に作ってもらったりと、物心両面で世話になったことから、浅丘とは今でも実際の姉弟のような関係で、頭が上がらないとのこと。

1962年日本大学芸術学部入学(翌年に中退[2])。

1963年(昭和38年)、『伊豆の踊子』では吉永小百合の相手役を務める。同年以降、デビュー当時から落ち着いた存在感のあった高橋は石原裕次郎より「お前は脚が短いから着流し姿で任侠物はどうだ?」とアドバイスを受け、『男の紋章』シリーズを初めとする任侠映画の主演スターとして活躍するようになる。この時期、浅丘や浜田光夫など日活の若手俳優の多くが裕次郎を慕って石原プロモーションに在籍する中、堅実かつ貪欲に自らの可能性を探っていた高橋は淡島千景の事務所に所属。『男の紋章』への出演が決まった18歳の頃から一時、淡島と舞台作品で数多くの相手役を演じた二代目 尾上松緑の門弟となり、1年のほぼ半分を松緑一座の舞台で「時代もの」を演じるための着付けや所作、基本動作、日本舞踊など基礎を徹底的に学んでいる[7]

1966年(昭和41年)には青春映画けんかえれじい』の主役・南部麒六を演じた。短所を逆手にとる思わぬ形で芽が出た高橋だったが、映画界の斜陽、観客数減少に歯止めがかからず、日活は1971年(昭和46年)秋に低予算のポルノ映画制作に路線変更が決定する。これを機に高橋は日活を離れ、本格的にテレビへ活躍の場を移す。

時代劇俳優として[編集]

1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太を演じる。これが初の時代劇出演となり、以後高橋は大河ドラマには欠かせないキャストとなる。特に司馬原作の作品では重要な役柄を演じており、司馬の存命中に大河ドラマとなった作品にはすべて出演している。1973年(昭和48年)の『国盗り物語』ではストーリー後半の主役である織田信長を演じ、当たり役となる[8]。司会を務める歴史番組『日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒〜宿命の対決が歴史を動かした! 〜』(BS-TBS)では信長を取り上げるたびに「自分は信長の生まれかわり」、「信長を演じる時は、台詞を覚えなくても自然と出てくる時がある」と公言するほど入れこみ、信長役が自らにとってターニングポイントだった事を認めている。『国盗り物語』の後、しばらくは高橋に信長の強烈なイメージがついてまわり、イメージの払拭、また様々な経験を積むため、しばらくの間は数多く寄せられた信長役での出演依頼を断っていたが、19年を経た1992年(平成4年)の正月時代劇『戦国最後の勝利者・徳川家康』(テレビ朝日系)で久々の信長役を受け、1994年(平成6年)にはテレビ東京系『12時間超ワイドドラマ 織田信長』に主演、年輪を重ねたうえでの新たな信長像に挑んでいる。『国盗り物語』以降の大河ドラマでは、1977年(昭和52年)の『花神』では司馬の肝煎りで河井継之助を、1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』では島津久光を演して芸域を広げている。また、2008年の宮尾登美子原作『篤姫』では久光の兄島津斉彬を演じた。

この間、民放でも数々の時代劇に主演した。1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)を皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立する。1976年(昭和51年)の『桃太郎侍』(日本テレビ系)では主役を務めるも、当初の設定は「基本的に人を斬らず、諭して改心させる」というもので、長屋の喧嘩を諌めるような人情話もあり、放映当初の視聴率は芳しくなかった。ある日主題歌を歌っていた三波春夫とゴルフをしていた際、三波から「桃太郎、お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと。高橋さんはお派手がお似合いですよ。」と言われたことをきっかけに、高橋の提案でそれまで原作に沿った“峰打ち”だったものを、大人数を斬り捨てる派手な殺陣に変え、クライマックスの衣装を黒の着流しから三波ばりの絵柄の入った派手なものにし、登場の際には般若の面を被り、高倉健任侠映画からヒントを得て[9]「ひとつ、人の世の生き血を啜り…」と、殺陣のさなかに口上を述べるように変えたところ、人気が急上昇し、その後5年間に及んで継続され一世を風靡した。また1982年(昭和57年)の『遠山の金さん』(テレビ朝日系)では、「刀を持たない町人(に扮した遠山金四郎)の武器」として、濡らした手拭いを使った殺陣が人気となった。1987年(昭和62年)からは『三匹が斬る!』(テレビ朝日系)に出演。役所広司春風亭小朝とのコンビネーションが人気となり、1995年(平成7年)まで7シリーズが制作された。高橋は6作目まで、リーダー格の「矢坂平四郎」役を演じ、前述の2作品と並んで高橋の代表作となった。

テレビ東京系の正月恒例の新春ワイド時代劇では、12時間超ワイドドラマと銘うたれていた1991年に『次郎長三国志』で初めて主演、1994年(平成6年)に上記の信長で再び主演した後、2007年(平成19年)『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』では柳沢吉保を、その後2009年(平成21年)には『寧々〜おんな太閤記』で徳川家康2010年(平成22年)には『柳生武芸帳』で柳生宗矩を演じた。また、2008年(平成20年)には上記『篤姫』に出演、2009年(平成21年)には『坂の上の雲』でも児玉源太郎を演じ、近年は主演以外でも活躍している。

既存の時代劇に懐疑的・批判的な一面もあり、1973年(昭和48年)の『ぶらり信兵衛 道場破り』(原作・山本周五郎、フジテレビ系)のような軽妙な人情劇や、近年では2004年(平成16年)〜2007年(平成19年)の『慶次郎縁側日記』(NHK)など、殺陣よりも人間ドラマや推理劇をメインとした作品にも出演、「それなりのキャリアを積んだからといって “黄門様” になろうとは思わない」とも発言している。2012年(平成24年)2月19日放送の『必殺仕事人2012』(ABC - テレビ朝日系)では、人生初の悪役を演じている。

映画では1973年(昭和48年)、松竹作品『宮本武蔵』(監督:加藤泰)に主演。1976年(昭和51年)以降は映画から離れ、テレビ・舞台を中心に活動している。

二代目 尾上松緑の下で日本舞踊などの素養を培って磨いた殺陣には定評があるが、剣道・その他の武道の有段位資格者ではない。これは、『三匹が斬る!』の役づくりために一時期学んでいた小野派一刀流[10]の師範から「あなたが演じようとしているのは“剣の達人”だが、今から学んでも名人にはなれない。例え段位を取得したとしても、太刀捌きがその段位内の範疇に納まってしまうから、逆にあなたは取らない方が良い」とアドバイスされた事がきっかけになっている[9]2007年(平成19年)3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際、時代劇作品が減り、最近は殺陣をやっていないことについて、「本当は殺陣やりたいんですよ。自信あるんです!」とアピールしていた。

現代劇作品にも、1974年(昭和49年)の『6羽のかもめ』(フジテレビ系)以降、1979年(昭和54年)〜1981年(昭和56年)の『判決』(テレビ朝日系)など、時代劇作品と並行して数多く出演を続けており、近年は2時間サスペンスにも主演している。特に1990年(平成2年)に初めて演じた西村京太郎作品の十津川警部役が知られ、2000年(平成12年)からはそれまでテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」で十津川を演じていた三橋達也から役を引き継いた[11]。毎年新作が制作され、十津川を演じた本数は交代後26作に達している《2013年(平成25年)現在》。

バラエティの常連[編集]

人気番組『桃太郎侍』が放送終了になった頃からそれまでのイメージとは大幅に異なる大胆なイメージチェンジを行い、積極的にバラエティ番組に出演するようになった。当初はやや違和感があったが、結果的にこのイメージチェンジの戦略が大成功することとなる。

ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』へのレギュラー出演以来、様々な番組にレギュラーまたはゲストとして出演している。きっかけの一つは、一人娘の真麻が小学生だった当時『とんねるずのみなさんのおかげです』の大ファンだった事からこの番組のコントに出演したことや、当時自分の出演していた時代劇のポスターを見ていた小学生の子どもが発した「このおじさん、誰だろう?」との言葉がきっかけだという[2]。コントではシャネルルイ・ヴィトンの柄をあしらったスーツを着た嫌味な大物俳優を演じ、高橋自身もこの「ステレオタイプな大物俳優のパロディ」というコミカルな役どころを嬉々として演じたという。当時『とんねるずのオールナイトニッポン』で語られたところによると、その返礼として、とんねるずから真麻宛の「サイン色紙」が届けられたという。後年、真麻がフジテレビアナウンサーとなって以降は、番組のコーナーレギュラーに起用(「きたなトラン」や「モジモジ君HYPER」など)され、高橋親子との交友は続いている。

また、真麻が中学生の頃、SMAP中居正広のファンになり、クラスで人気だったSMAPと父との共演を望み「どうしてパパはSMAPと共演できないの?」と言われたことに奮起、高橋自らABCのスタッフと出演交渉し、1995年(平成5年)に『キスした?SMAP』にゲスト出演している(7月8日放送分。ただし、この回に中居は出演していなかった)[2]。2007年(平成19年)3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際には、真麻からの「こんな理想的なパパはいないと思う」との内容の手紙が紹介され、うっすら涙ぐむ場面も見られた。

2010年以降[編集]

2010年(平成22年)6月に、総務省から「地デジ化応援隊」隊員のひとりに選ばれた。他のメンバー5人[12]とともに、アナログテレビジョン放送終了までの1年間、ボランティアの形でCMや地デジ推進イベントに出演、アナログ放送終了に向け、地デジへの切り替えを呼び掛けた。

2011年(平成23年)、芸能生活50周年の節目にアニメーション作品『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』で、ポケモン・ゼクロム役として初めてアニメ声優に挑戦した[13]。同時に、声の出演ながら36年ぶりに映画に復帰することともなった[14]。司会を務めている同年の『第33回隅田川花火大会』テレビ中継(テレビ東京)[15]では、小さな女の子からポケモンの出演者と気付いてもらえたエピソードを語った。

2012年(平成24年)4月、神奈川県横浜市に本社を置くブリーズベイホテルの名誉支配人に就任した。

2013年(平成25年)3月16日東京都台東区立浅草公会堂で行われた『第29回浅草芸能大賞授賞式』および『第30回浅草名人会』並びに平成24年度『スターの手型』顕彰式に出席。第29回浅草演芸大賞・大賞を受賞[16]

2014年(平成25年)1月2日テレビ東京で放送される新春ワイド時代劇影武者徳川家康』(主演:西田敏行)で石田三成の家臣、島左近役で出演[17]。高橋は1998年(平成10年)4月 - 7月、テレビ朝日で同作品が連続ドラマとして放送された際、主人公である徳川家康/世良田二郎三郎の二役を演じている。ちなみにこの時の島左近役は寺田農だった[18]

人物[編集]

酒は嗜まないが、日活の若手スターとして活躍していた頃から、月20日間は銀座クラブ京都で遊び、石原裕次郎、小林旭といった先輩俳優にならって、後輩たちに奢りまくっていた。しかし、そうした「スター然」とした放蕩三昧の生活で、飲み代の支払いは全て「ツケ」で会社からの前借りを繰り返し、20代にして借金が当時の金額で3500万円ほどに膨れ上がっていた[19]。高橋自身、結婚後にこの事実を知るが、妻や妻の両親・家族は「借金も財産信用のうち」とこれを寛大に受け入れる。その後、高橋は夜遊びをやめ、年間70本に及ぶテレビの仕事をこなし、2年ほどでこの借金を完済している[20]

趣味は家族」と公言するほど妻子を大切にし、唯一ともいえる趣味はゴルフ程度だったが、2003年(平成15年)7月〜9月に放送された『趣味悠々 鶴太郎流墨彩画塾』(NHK Eテレ)へ出演し、講師片岡鶴太郎から手ほどきを受けた事をきっかけに日本画書道を始め[21]、各所で個展を開催、自身の公式サイトでも書道作品の一部を公開している[22]

若い頃は見かけに寄らず虚弱で、風邪をひきやすかったという。当初は乾布摩擦を励行していたが、ある日、本で読んだ「たわしで身体を擦る」という健康法に興味を持ち、これを取り入れている。身体前面は自らが、背中は付き人に擦らせている。それが済むと、今度は両手で顔を思い切り100回ほど叩いて刺激を与えている。以来「亀の子たわし」を愛用し、仕事に入る直前には「気合を入れる」「1回血液を全身に廻らせて新たな役作りに入る」という意味合いで、この健康法を30年以上続けており、すっかり風邪をひかなくなったと語っている[23]

一方で、テレビドラマでは『船長シリーズ』(土曜ワイド劇場)などで鉄道連絡船や長距離フェリーといった大型旅客船船長役を演じているが、高橋自身は海上の乗り物に弱く、むしろ船酔いしてしまうという。また、毎年春先になると、ひどい花粉症に悩まされ、十数連発ものくしゃみに見舞われるとのこと[24]

59歳の頃には原因不明の“めまい”の症状に襲われ、以来しばらくの間、病院からテレビ局に直行するという生活を余儀なくされている。そんな時に出会ったのが同年代の芸術家である、宮崎県在住のガラス作家、黒木国昭と洋画家フレスコ画の国内第一人者である絹谷幸二で、二人の制作現場を見せてもらう機会があり、そこで間近に作品に取り組む強いエネルギーに接する中で、いつしか症状も和らいでいったという。以来「海外旅行先でも真っ先に訪れるのは美術館。エネルギーをもらいに。」と語るほど、絵画や美術作品を愛好している[25]

家族[編集]

  • 妻・美恵子(元女優・小林亜希子)
テレビ時代劇『おらんだ左近事件帖』で共演したのが縁で、1974年(昭和49年)3月15日に結婚。初対面の時には「頭に結婚の文字が浮かんだ」と言うほど強く魅かれたと語っている。しかし美恵子への強い想いと、すっかり馴染んでしまった独身生活との間で「近づくのがなんだかためらわれて、でも離れてしまうのもそれこそ惜しい」と、交際に至るまで、当初は距離のとり方に戸惑ったという[26]。結婚後、真麻が生まれるまでに夫妻は3度の流産を経験しており、念願の子供であった。高橋自身、2ケ月の休暇をとり妊娠初期の妻を支えるなど万全を期していたが、この妊娠期間も4ヶ月目の定期検診で一時心音が途絶えるというアクシデントに見舞われている。医師から「あきらめたほうがいい」と、母体への影響を考え掻爬手術を勧められるが、高橋は「1週間待って欲しい」と懇願。その間、「御利益がある」とされる神社仏閣を巡り、胎児の無事を祈願、1週間後、奇跡的に無事が確認される、という出来事を体験している[27]。誕生時の取材では「妻が流産で自信をなくしていたので、無事出産して自信を取り戻せたのが一番良かったと思う」と労いのコメントを出している。
1981年10月9日生 -
東京女子大学文理学部卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。娘の就職について高橋は「大学入学直後に『表現する仕事をしたい』と言うんですよ。反対はしませんでした。娘の選んだ仕事は何でも協力するつもりでした。」としており、結婚については「本人任せです。『この人と一生を』と決めたら…。でも、どれを見ても私が気に入るわけはない[2]」と語っている。

主な出演作品[編集]

映画[編集]

  • 高原児(1961年、日活) - エイちゃん
  • 真昼の誘拐(1961年、日活) - 藤村
  • ママ恋人がほしいの(1961年、日活) - 古木
  • どじょっこの歌(1961年、日活) - 吉見高行
  • ひとつのいのち(1962年、日活) - 堂本史郎
  • 上を向いて歩こう(1962年、日活) - 松本健
  • 激流に生きる男(1962年、日活) - 黒須竜太郎
  • 若くて悪くて凄いこいつら(1962年、日活) - 納屋浩
  • 青い山脈(1963年、日活) - 富永安吉
  • 伊豆の踊子(1963年、日活) - 私
  • 男の紋章シリーズ(1963年 - 1966年、日活) - 大島竜次
    • 男の紋章(1963年)
    • 続男の紋章(1963年)
    • 男の紋章 風雲双つ竜(1963年)
    • 新・男の紋章 度胸一番(1964年)
    • 男の紋章 花と長脇差(1964年)
    • 男の紋章 喧嘩状(1964年)
    • 男の紋章 喧嘩街道(1965年)
    • 男の紋章 流転の掟(1965年)
    • 男の紋章 俺は斬る(1965年)
    • 男の紋章 竜虎無情(1966年)
  • エデンの海(1963年、日活) - 南条先生
  • 狼の王子(1963年、日活) - 日下武二
  • 刺青一代(1965年、日活) - 村上鉄太郎
  • 拳銃野郎 (1965年、日活) - キラー・ジョー
  • けんかえれじい(1966年、日活) - 南部麒六
  • 新男の紋章 若親分誕生 (1967年、日活)- 村瀬政吉(※ 「男の紋章シリーズ」とは別内容)
  • 代紋 地獄の盃 (1969年、日活) - 野中鉄五郎
  • 日本残侠伝 (1969年、日活) - 中山秀次郎
  • 戦争と人間 三部作(1970年 - 1973年、日活) - 柘植進太郎
  • 男の代紋(1972年、東映) - 栄井政治
  • 人生劇場 青春篇・愛欲篇・残侠篇(1972年、松竹) - 飛車角
  • 宮本武蔵(1973年、松竹) - 宮本武蔵
  • 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇(1974年、松竹) - 杉虎之助
  • 昭和枯れすすき (1975年、松竹) - 原田刑事
  • 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム(2011年) - ゼクロム ※声の出演
  • 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年)- 柴田兼吾郎[28]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

吹き替え[編集]

教養番組[編集]

バラエティー[編集]

CM[編集]

ディスコグラフィ[編集]

  • 夕焼け山脈
  • 男の紋章
  • エデンの海
  • 青い山脈の歌
  • ウエディンググラス
  • 浮雲
  • おくれ咲き
  • ライラライ
  • 紫陽の花

著書[編集]

  • 家族上手に生きる - 妻はアンコ 夫はおモチ(2004年、小学館ISBN 9784093875097
  • 一書一顔 高橋英樹作品集 (英友社、限定発売品)

脚注・注釈[編集]

  1. ^ 高橋英樹プロフィール” (日本語). YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑 (2011年2月). 2011年2月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f “インタビュー〈日曜日のヒーロー〉第406回 高橋英樹 (ウェブ魚拓によるキャッシュ)”. 日刊スポーツ. (2004年3月21日). http://megalodon.jp/2013-1001-1027-09/www.nikkansports.com/ns/entertainment/interview/2004/sun040321.html 2013年7月10日閲覧。 
  3. ^ スタジオパークからこんにちは」 1996年5月30日。
  4. ^ それでも先輩役者の服を畳むなど、最低限、大部屋扱いは受けている。
  5. ^ いつみても波乱万丈』出演時を含め、他の番組でも語っている。
  6. ^ 「朝日新聞」 1962年11月24日 夕刊。
  7. ^ 7《高橋英樹に始まって》その1”. (白川文造)BUNZO’s note ~昭和のテレビ編成マンの昔話~ (2008年10月26日). 2013年5月7日閲覧。
  8. ^ 前半の主役は平幹二朗演じる斎藤道三。後半の主役が高橋演じる信長だった。
  9. ^ a b 2013年(平成25年)5月5日放送 『さだまさしスペシャル』(時代劇専門チャンネル)でのさだとの対談で明らかにしている。
  10. ^ 高橋が師事した流派は小野派一刀流の中でも中西子定の系統であり、中西派一刀流とも呼ばれる。正式名称は「一刀流」。
  11. ^ 1981年の東映制作版『西村京太郎トラベルミステリー』の放送開始以来、三橋が十津川を演じていた。
  12. ^ メンバーは高橋のほか、桂歌丸萩本欽一王貞治北島三郎茂木健一郎の6名だった。
  13. ^ 『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』のパンフレット、高橋のコメントより。
  14. ^ 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム インタビュー: “映画俳優”高橋英樹、36年ぶり銀幕復帰で新境地開拓”. 映画.com (2011年7月12日). 2013年5月30日閲覧。
  15. ^ 1996年(平成8年)以来、メイン司会を務めている。関東ローカル。
  16. ^ “高橋英樹 浅草芸能大賞に!「いただいた仕事はなんでもやります!」”. ニコニコニュース(ウェブ魚拓によるキャッシュ). (2013年3月17日). http://megalodon.jp/2013-1020-0421-55/news.nicovideo.jp/watch/nw551442 2013年5月30日閲覧。 
  17. ^ 新春ワイド時代劇「影武者 徳川家康」”. テレビ東京. 2013年12月12日閲覧。
  18. ^ 影武者 徳川家康”. 東映株式会社. 2013年12月12日閲覧。
  19. ^ 2012年10月13日放送分の『嵐にしやがれ』では「今の金額にして1億くらいかな?」とコメントしている。実際に、高橋が日活との専属契約を解消した1971年2011年消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く)の比較ではおよそ2.83倍となり、3500万円は1億円弱と換算される。教えて!にちぎん「昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?」”. 日本銀行. 2013年5月25日閲覧。
  20. ^ ボクらの時代』(フジテレビ、2009年6月21日放送分、家族3人でのトーク) および 『嵐にしやがれ』(日本テレビ2012年10月13日放送分) 放送内容|嵐にしやがれ”. 日本テレビ放送網. 2013年5月13日閲覧。 20代の頃、映画『伊豆の踊子』で共演した女優・浪花千栄子から言われた「あんた、変わりはったわね」の一言も、その後の猛省を促すきっかけになった、という。
  21. ^ 俳優・高橋英樹さんの「趣味が心の健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬. 2013年5月12日閲覧。
  22. ^ 高橋英樹個展「一書一顔」インターネット作品展”. アイウエオ企画 (2007年3月17日). 2013年5月13日閲覧。
  23. ^ 俳優・高橋英樹さんの「たわし健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬. 2013年5月13日閲覧。
  24. ^ 本人出演のバラエティ番組での発言。
  25. ^ 俳優・高橋英樹さんの「健康の危機を乗り越えて」>過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬. 2013年5月30日閲覧。
  26. ^ ワイドショーで人生を振り返った際の本人談。
  27. ^ もてもてナインティナイン』(TBS2013年7月9日放送分)ほかでエピソードが披露されている。 もてもてナインティナイン|2013/07/09(火)放送”. TVでた蔵 (2013年7月9日). 2013年7月23日閲覧。
  28. ^ 高橋英樹のプロフィール”. allcinema. 2012年12月4日閲覧。
  29. ^ 女と愛とミステリー水曜ミステリー9水曜シアター9⇒水曜ミステリー9に枠が変更。

外部リンク[編集]