高橋英樹 (俳優)

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たかはし ひでき
高橋 英樹
高橋 英樹
本名 同じ
生年月日 1944年2月10日(69歳)
出生地 千葉県木更津市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 181cm
血液型 B型(BO型)
職業 俳優タレント司会者
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1961年 -
配偶者 小林亜紀子
家族 高橋真麻(娘)
主な作品
テレビドラマ
桃太郎侍』/『三匹が斬る!』シリーズ

高橋 英樹(たかはし ひでき、1944年昭和19年〉2月10日 - )は、日本俳優タレント司会者。本名同じ。千葉県木更津市生まれで千葉市花見川区花園町育ち。アイウエオ企画所属。

船橋市立二宮小学校千葉市立検見川小学校千葉市立緑町中学校、私立市川高等学校日本大学藝術学部演劇学科卒業。身長181cm、体重80kg、血液型B型[1]

目次

来歴・人物 [編集]

生い立ち - 日活時代 [編集]

父親は教育者(校長)。命名は当時の東條英機首相に因んだものである[2]。小さい頃から映画や小説が好きで役者に憧れていた高橋は厳しい親の反対を押し切り、日活のオーディションに合格して役者を志す。オーディションには「落ちるに決まっているから現実を見させろ」という実父の意向で応募を許されたという。

1961年(昭和36年)、撮影所内で事故死した赤木圭一郎の代役として日活より『激流に生きる男』で映画デビューする。大部屋(仕出し)を経験せず、いきなり役付きで出演するという、当時の新人俳優としては異例のデビューであった[3]。恵まれたスタートだったものの、筋肉質な体型だったためスマートではなく、しかもカメラマンが下から写しても様にならなかったほど股下が短いことが原因となって、アクションや青春ものでは主役がなかなか回ってこなかった[4]。デビュー当時に共演した浅丘ルリ子からは公私にわたって指導を受けており、当初は千葉市より電車で調布市日活撮影所まで通っていたが、石原裕次郎の口利きで調布市の浅丘ルリ子宅に下宿し、食事を浅丘の母親に作ってもらったりと、色々と世話になったことで今でも浅丘とは姉弟の関係で頭が上がらないとのこと。

1963年(昭和38年)、『伊豆の踊子』では吉永小百合の相手役を務める。同年以降、まだ10代にして落ち着いた存在感のあった高橋は石原裕次郎より「お前は脚が短いから着流し姿で任侠物はどうだ?」とアドバイスを受け、『男の紋章』シリーズを初めとする任侠映画の主演スターとして活躍するようになる。この時期、浅丘や浜田光夫など日活の若手俳優の多くが裕次郎を慕って石原プロモーションに在籍する中、堅実かつ貪欲に自らの可能性を探っていた高橋は淡島千景の事務所に所属。『男の紋章』への出演が決まった18歳の頃から一時、淡島と舞台作品で数多くの相手役を演じた二代目 尾上松緑の門弟となり、1年のほぼ半分を松緑一座の舞台で「時代もの」を演じるための着付けや所作、基本動作、日本舞踊など基礎を徹底的に学んでいる[5]

1966年(昭和41年)には青春映画けんかえれじい』の主役・南部麒六を演じた。短所を逆手にとる思わぬ形で芽が出た高橋だったが、映画界の斜陽、観客数減少に歯止めがかからず、日活は1971年(昭和46年)秋に低予算のポルノ映画に路線変更が決定する。これを機に高橋は日活を離れ、本格的にテレビへ活躍の場を移す。

時代劇俳優として [編集]

1968年(昭和43年)、NHK大河ドラマ司馬遼太郎原作の『竜馬がゆく』で土佐勤王党の盟主・武市半平太を演じる。これが初の時代劇出演となり、以後高橋は大河ドラマには欠かせないキャストとなる。特に司馬原作の作品では重要な役柄を演じており、司馬の存命中に大河ドラマとなった作品にはすべて出演している。1973年(昭和48年)の『国盗り物語』ではストーリー後半の主役である織田信長を演じ、当たり役となる[6]。司会を務める歴史番組『日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒〜宿命の対決が歴史を動かした! 〜』(BS-TBS)では信長を取り上げるたびに「自分は信長の生まれかわり」、「信長を演じる時は、台詞を覚えなくても自然と出てくる時がある」と言うほど入れこみ、信長役が自らにとってターニングポイントだった事を認めている。『国盗り物語』の後、しばらくは高橋に信長の強烈なイメージがついてまわり、イメージの払拭、また様々な経験を積むため、しばらくの間は数多く寄せられた信長役での出演依頼を断っていたが、19年を経た1992年(平成4年)の正月時代劇『戦国最後の勝利者・徳川家康』(テレビ朝日系)で久々の信長役を受け、1994年(平成6年)にはテレビ東京系『織田信長』で主演として信長の一生涯を演じ、年輪を重ねたうえでの新たな信長像に挑んでいる。『国盗り物語』以降の大河ドラマでは、1977年(昭和52年)の『花神』では司馬の肝煎りで河井継之助を、1990年(平成2年)の『翔ぶが如く』では島津久光を演して芸域を広げている。また、2008年の宮尾登美子原作『篤姫』では久光の兄島津斉彬を演じた。

この間、民放でも数々の時代劇に主演した。1970年(昭和45年)の『旗本退屈男』(フジテレビ系)を皮切りに1970年代から1990年代前半にかけて時代劇俳優としての地位を確立する。1976年(昭和51年)の『桃太郎侍』(日本テレビ系)では主役を務めるも、当初の設定は「基本的に人を斬らず、諭して改心させる」というもので、長屋の喧嘩を諌めるような人情話もあり、放映当初の視聴率は芳しくなかった。ある日主題歌を歌っていた三波春夫とゴルフをしていた際、三波から「桃太郎、お地味ですねえ。もっと時代劇はすっきりしないと。高橋さんはお派手がお似合いですよ。」と言われたことをきっかけに、高橋の提案でそれまで原作に沿った“峰打ち”だったものを、大人数を斬り捨てる派手な殺陣に変え、クライマックスの衣装を黒の着流しから三波ばりの絵柄の入った派手なものにし、登場の際には般若の面を被り、高倉健任侠映画からヒントを得て[7]「ひとつ、人の世の生き血を啜り…」と、殺陣のさなかに口上を述べるように変えたところ、人気が急上昇し、5年間に及ぶ長寿番組となった。また1982年(昭和57年)の『遠山の金さん』(テレビ朝日系)では、「刀を持たない町人(に扮した遠山金四郎)の武器」として、濡らした手拭いを使った殺陣が人気となり、『桃太郎侍』と並んで高橋の代表作となった。

テレビ東京系の正月恒例の新春ワイド時代劇では、12時間超ワイドドラマと銘うたれていた1991年に『次郎長三国志』で初めて主演、1994年(平成6年)に上記の信長で再び主演した後、2007年(平成19年)『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』では柳沢吉保を、その後2009年(平成21年)には『寧々〜おんな太閤記』で徳川家康2010年(平成22年)には『柳生武芸帳』で柳生宗矩を演じた。また、2008年(平成20年)には上記『篤姫』に出演、2009年(平成21年)には『坂の上の雲』でも児玉源太郎を演じ、近年は主演以外でも活躍している。

既存の時代劇に懐疑的・批判的な一面もあり、1973年(昭和48年)の『ぶらり信兵衛 道場破り』(原作・山本周五郎、フジテレビ系)のような軽妙な人情劇に出演したり、「それなりのキャリアを積んだからといって “黄門様” になろうとは思わない」とも発言している。2012年(平成24年)2月19日放送の『必殺仕事人2012』(ABC - テレビ朝日系)では、人生初の悪役を演じている。

映画では1973年(昭和48年)、松竹作品『宮本武蔵』に主演。1976年(昭和51年)以降は映画から離れ、テレビ・舞台を中心に活動している。

二代目 尾上松緑の下で日本舞踊などの素養を培って磨いた殺陣には定評があるが、剣道・その他の武道の有段位資格者ではない。これは、ある作品のために一時期学んでいた小野派一刀流[8]の師範から「あなたが演じようとしているのは“剣の達人”だが、今から学んでも名人にはなれない。例え段位を取得したとしても、太刀捌きがその段位内の範疇に納まってしまうから、逆にあなたは取らない方が良い」とアドバイスされた事がきっかけになっている[7]2007年(平成19年)3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際、時代劇作品が減り、最近は殺陣をやっていないことについて、「本当は殺陣やりたいんですよ。自信あるんです!」とアピールしていた。

現代劇作品にも、1974年(昭和49年)の『6羽のかもめ』(フジテレビ系)以降、時代劇作品と並行して数多く出演を続けており、近年は2時間サスペンスにも主演している。特に1990年(平成2年)に初めて演じた西村京太郎作品の十津川警部役が知られ、2000年(平成12年)からはそれまで十津川を演じていた三橋達也から役を引き継いで[9]、毎年新作を放映、十津川を演じた本数は交代後25作に達している《2013年(平成25年)現在》。

バラエティの常連 [編集]

バラエティ番組への出演は『ドキド欽ちゃんスピリッツ!!』へのレギュラー出演以来、現在まで様々な番組にレギュラーまたはゲストとして出演、本来の冗談好き、話好きな明るい人柄を活かし、ドラマとは異なる持ち味を発揮している。

積極的に出演するようになったきっかけは、一人娘の真麻が小学生だった当時『とんねるずのみなさんのおかげです』の大ファンだった事からこの番組のコントに出演したことや、当時自分の出演していた時代劇のポスターを見ていた小学生の子どもが発した「このおじさん、誰だろう?」との言葉がきっかけだという[10]。コントではシャネルルイ・ヴィトンの柄をあしらったスーツを着た嫌味な大物俳優を演じ、高橋自身もこの「ステレオタイプな大物俳優のパロディ」というコミカルな役どころを嬉々として演じたという。当時『とんねるずのオールナイトニッポン』で語られたところによると、その返礼として、とんねるずから真麻宛の「サイン色紙」が届けられたという。後年、真麻がフジテレビアナウンサーとなって以降は、番組のコーナーレギュラーに起用(「きたなトラン」や「モジモジ君HYPER」など)され、高橋親子との交友は続いている。

また、真麻が中学生の頃、SMAP中居正広のファンになり、クラスで人気だったSMAPと父との共演を望み「どうしてパパはSMAPと共演できないの?」と言われたことに奮起、高橋自らABCテレビのスタッフと出演交渉し、1995年(平成5年)に『キスした?SMAP』にゲスト出演している(7月8日放送分。ただし、この回に中居は出演していなかった)[10]。2007年(平成19年)3月4日に高橋が『いつみても波瀾万丈』に出演した際には、真麻からの「こんな理想的なパパはいないと思う」との内容の手紙が紹介され、うっすら涙ぐむ場面も見られた。

プライベート [編集]

妻・美恵子は元女優。「小林亜紀子」の芸名で活動し、青春ドラマ等に出演、1973年ポーラテレビ小説『薩摩おごじょ』(TBS)では主役に抜擢されている。高橋とは『おらんだ左近事件帖』での共演がきっかけとなり、1974年(昭和49年)3月15日に結婚、これを機に芸能界を引退した。長女は元フジテレビアナウンサー高橋真麻 。初対面の時には「頭に結婚の文字が浮かんだ」と言うほど強く魅かれたと語っている。しかし彼女への強い想いと、また独身生活を謳歌していたこともあってか「近づくのがなんだかためらわれて、でも離れてしまうのもそれこそ惜しい」と、交際に至るまで、当初は距離のとり方に戸惑ったという[11]。結婚後、真麻が生まれるまでに夫妻は3度の流産を経験しており、念願の子供であった。真麻誕生時の取材では「妻が流産で自信をなくしていたので、無事出産して自信を取り戻せたのが一番良かったと思う」と労いのコメントを出している。真麻の結婚については、テレビ番組内にて容認している。尚、妻は現在、高橋と真麻の所属事務所「アイウエオ企画」の社長を務めている。

酒は嗜まないが、日活の若手スターとして活躍していた頃から、月20日間は銀座のクラブや京都で遊び、石原裕次郎、小林旭といった先輩俳優にならって、後輩たちに奢りまくっていた。しかし、そうした「スター然」とした放蕩三昧の生活で、飲み代の支払いは全て「ツケ」で会社からの前借りを繰り返し、20代にして借金が当時の金額で3500万円程度(現在の金額で推定およそ1億円程度)に膨れ上がっていた[12]。高橋自身、結婚後にこの事実を知るが、妻や妻の両親・家族は「借金も財産、信用のうち」とこれを寛大に受け入れる。その後、高橋は夜遊びをやめ、年間70本に及ぶテレビの仕事をこなし、2年ほどでこの借金を完済している[13]

「趣味は家族」と公言するほど妻子を大切にし、唯一ともいえる趣味はゴルフ程度だったが、2003年(平成15年)7月〜9月に放送された『趣味悠々 鶴太郎流墨彩画塾』(NHK Eテレ)へ出演し、講師の片岡鶴太郎から手ほどきを受けた事をきっかけに日本画書道を始め[14]、現在では各所で個展を開催、自身の公式サイトでも書道作品の一部を公開している[15]

若い頃は見かけに寄らず虚弱で、風邪をひきやすかったという。当初は乾布摩擦を励行していたが、ある日、本で読んだ「たわしで身体を擦る」という健康法に興味を持ち、これを取り入れている。身体前面は自らが、背中は付き人に擦らせている。それが済むと、今度は両手で顔を思い切り100回ほど叩いて刺激を与えている。以来「亀の子たわし」を愛用し、仕事に入る直前には「気合を入れる」「1回血液を全身に廻らせて新たな役作りに入る」という意味合いで、この健康法を30年以上続けており、すっかり風邪をひかなくなったと語っている[16]

一方で、テレビドラマでは『船長シリーズ』(土曜ワイド劇場)などで鉄道連絡船や長距離フェリーといった大型旅客船船長役を演じているが、高橋自身は海上の乗り物に弱く、むしろ船酔いしてしまうという。また、毎年春先になると、ひどい花粉症に悩まされ、十数連発ものくしゃみに見舞われるとのこと[17]

その他 [編集]

2010年(平成22年)6月に、総務省から「地デジ化応援隊」隊員のひとりに選ばれた。他のメンバー5人とともに、アナログテレビジョン放送終了までの1年間、ボランティアの形でCMなどに出演し、アナログ放送終了に向けた啓発活動にかかわることになる。

2011年(平成23年)、芸能生活50周年の節目にアニメーション作品『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』で、ポケモン・ゼクロム役として初めてアニメ声優に挑戦した[18]。同時に、声の出演ながら長年離れていた映画に久々に復帰することともなった。同年の隅田川花火大会のテレビ中継では、小さな女の子からポケモンの出演者と気付いてもらえたエピソードを語った。

また、2012年4月に神奈川県横浜市に本社を置く「ブリーズベイホテル」の名誉支配人に就任した。

主な出演作品 [編集]

映画 [編集]

  • 高原児(1961年、日活) - エイちゃん
  • 真昼の誘拐(1961年、日活) - 藤村
  • ママ恋人がほしいの(1961年、日活) - 古木
  • どじょっこの歌(1961年、日活) - 吉見高行
  • ひとつのいのち(1962年、日活) - 堂本史郎
  • 上を向いて歩こう(1962年、日活) - 松本健
  • 激流に生きる男(1962年、日活) - 黒須竜太郎
  • 若くて悪くて凄いこいつら(1962年、日活) - 納屋浩
  • 青い山脈(1963年、日活) - 富永安吉
  • 伊豆の踊子(1963年、日活) - 私
  • 男の紋章シリーズ(1963年 - 1966年、日活) - 大島竜次・村瀬政吉
  • エデンの海(1963年、日活) - 南条先生
  • 狼の王子(1963年、日活) - 日下武二
  • 刺青一代(1965年、日活) - 村上鉄太郎
  • 拳銃野郎 (1965年、日活) - キラー・ジョー
  • けんかえれじい(1966年、日活) - 南部麒六
  • 代紋 地獄の盃 (1969年、日活) - 野中鉄五郎
  • 日本残侠伝 (1969年、日活) - 中山秀次郎
  • 戦争と人間 三部作(1970年 - 1973年、日活) - 柘植進太郎
  • 男の代紋(1972年、東映) - 栄井政治
  • 人生劇場 青春篇・愛欲篇・残侠篇(1972年、松竹) - 飛車角
  • 宮本武蔵(1973年、松竹) - 宮本武蔵
  • 狼よ落日を斬れ 風雲篇・激情篇・怒濤篇(1974年、松竹) - 杉虎之助
  • 昭和枯れすすき (1975年、松竹) - 原田刑事
  • 劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム(2011年) - ゼクロム ※声の出演
  • 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(2012年)- 柴田兼吾郎[19]

テレビドラマ [編集]

舞台 [編集]

吹き替え [編集]

教養番組 [編集]

バラエティー [編集]

CM [編集]

ディスコグラフィ [編集]

  • 夕焼け山脈
  • 男の紋章
  • エデンの海
  • 青い山脈の歌
  • ウエディンググラス
  • 浮雲
  • おくれ咲き
  • ライラライ
  • 紫陽の花

脚注・注釈 [編集]

  1. ^ 高橋英樹プロフィール” (日本語). YAHOO! JAPAN 人物名鑑. 日本タレント名鑑 (2011年2月). 2011年2月11日閲覧。
  2. ^ スタジオパークからこんにちは」 1996年5月30日。
  3. ^ それでも、先輩役者の服を畳むなど、最低限の大部屋扱いはされた。
  4. ^ いつみても波乱万丈』出演時を含め、他の番組でも語っている。
  5. ^ 7《高橋英樹に始まって》その1”. (白川文造)BUNZO’s note ~昭和のテレビ編成マンの昔話~ (2008年10月26日). 2013年5月7日閲覧。
  6. ^ 前半の主役は平幹二朗演じる斎藤道三。後半の主役が高橋演じる信長だった。
  7. ^ a b 2013年(平成25年)5月5日放送 『さだまさしスペシャル』(時代劇専門チャンネル)でのさだとの対談で明らかにしている。
  8. ^ 本人のコメント。正確には中西派一刀流
  9. ^ テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」。三橋が1981年の東映制作版『西村京太郎トラベルミステリー』の放送開始以来、十津川を演じていた。
  10. ^ a b 芸能>インタビュー>高橋英樹”. nikkansports.com(日刊スポーツ) (2004年3月21日). 2013年5月13日閲覧。
  11. ^ ワイドショーで人生を振り返った際の本人談。
  12. ^ ちょうどこの頃、映画『伊豆の踊子』で共演した女優・浪花千栄子から言われた「あんた、変わりはったわね」の一言も、その後の猛省を促すきっかけになった、という。
  13. ^ ボクらの時代』(フジテレビ、2009年6月21日放送分、家族3人でのトーク) および 『嵐にしやがれ』(日本テレビ2012年10月13日放送分) 放送内容|嵐にしやがれ”. 日本テレビ放送網. 2013年5月13日閲覧。
  14. ^ 俳優・高橋英樹さんの「趣味が心の健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬. 2013年5月12日閲覧。
  15. ^ 高橋英樹個展「一書一顔」インターネット作品展”. アイウエオ企画 (2007年3月17日). 2013年5月13日閲覧。
  16. ^ 俳優・高橋英樹さんの「たわし健康法」> 過去のコラム|健康かけいぼ”. 沢井製薬. 2013年5月13日閲覧。
  17. ^ 本人出演のバラエティ番組での発言。
  18. ^ 『劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム』のパンフレット、高橋のコメントより。
  19. ^ 高橋英樹のプロフィール”. allcinema. 2012年12月4日閲覧。
  20. ^ 女と愛とミステリー水曜ミステリー9水曜シアター9⇒水曜ミステリー9に枠が変更。

外部リンク [編集]