藤原紀香

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ふじわら のりか
藤原 紀香
本名 藤原 紀香
別名 NORIKA
生年月日 1971年6月28日(38歳)
出生地 日本和歌山県
(出身は兵庫県西宮市
国籍 日本
血液型 A型
職業 女優モデル
ジャンル テレビドラマ、舞台、映画
活動期間 1993年 -
配偶者 なし
公式サイト NORIKANESQUE(ノリカネスク)
主な作品
テレビドラマ
スタアの恋
備考
第24回ミス日本グランプリ
藤原紀香
プロフィール
公称サイズ(2009年時点)
身長 / 体重 171 cm / kg
スリーサイズ 88 - 60 - 89 cm
股下 / 身長比 88 cm / 51.5 %
モデル: テンプレート - カテゴリ

藤原 紀香(ふじわら のりか、本名同じ、1971年6月28日 - )は、日本女優モデルタレントミス日本グランプリ受賞者。

所属事務所はサムデイ

目次

[編集] 年譜

[編集] 人物

  • 神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。
  • 資格は、英語検定2級、着物着付け3級。
  • 趣味は、女磨き、写真釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴスポーツ全般、アロママッサージ。
  • 設計事務所経営の父、専業主婦の母と3歳下の弟の4人家族である。
  • 中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。
  • 体型が峰不二子に似ていると自負(『SRS』の番組内でコスプレした事があり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。
  • 和歌山県出身の両親が結婚前によく紀ノ川周辺でデートをしており、思い出深い「紀ノ川」の「香り」にちなんで紀香と命名された。
  • 母親は紀香よりも大柄で若き日には、第1回ミス和歌山コンテストに出場したが、ミスに選ばれなかった。また家族に反対され芸能界入りを諦めた。そのため紀香に期待し、娘のミスコン出場には積極的で、芸能活動にはとても協力的、娘がミスコンに応募した頃から度々TVにも登場している。2006年12月10日の結納時に、うつむいて顔を隠して車に乗っていた為、報道陣に影武者として写真を撮られているが、影武者のつもりはなかった。
  • 自著である『藤原主義』によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神・淡路大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。その時、家族会議が行われ、母から「成功出来んかったら帰っておいで。」と言われるが最終的には上京を認めた。上京の際、父がトラックに荷物を積んで一緒に東京へ行ったという。
  • 大黒摩季とは「のりぞう」「まきぞう」と呼び合う間柄。
  • ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙 たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した[6]
  • 風水を学問として捉え、かなり奥深く学んでいるらしい。陣内智則との交際・結婚についても風水建築デザイナーの直居由美里にみてもらっている。
  • 美容と健康の為にローズウォーターを飲んでいる。
  • CHAGE and ASKAASKAを兄のように慕っており、デビューして間もなく居酒屋でASKAに会い、仕事面で悩んでいた彼女はASKAに相談したところ「必ず売れる」と言われ、その後すぐに主演映画が決まりASKAが舞台挨拶にサプライズで登場した。
  • 「クイズ!紳助くん」の初代アシスタントオーディション参加者の中でも彼女の日本人離れしたスタイルは群を抜いており、会場を覗いた島田紳助に「誰や!ハナテン中古車センターに新車のポルシェ持ってきたやつは!」と言わしめた。
  • 空腹状態での仕事が苦手。お腹が空きすぎると凶暴になり、赤ちゃん言葉を発するという[7]
  • 大好物は食用ホオズキ。わざわざ箱で取り寄せて甘酸っぱい味を愉しむという[7]
  • 海洋動物が大好きで、小学校の頃の夢はイルカショーのお姉さん。一緒に寝泊りして飼育することにあこがれていたという[7]
  • 入浴時、湯船にはたっぷり日本酒を注ぐ。シャンプーの前にはたっぷりの塩を頭からかぶる。彼女なりの健康法であるという[7]
  • 陣内智則との結婚生活に於いて、陣内がネコアレルギーにもかかわらず、元彼からもらった猫を飼い続けたというエピソードがある。

[編集] 国際活動や人道支援への協力

  • 2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともに日韓国民交流年の際、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献し、青瓦台にも訪問。
  • 内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の『ピース・トーク・マラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。
  • 2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、当時のラモスホルタ外相の家にも招かれた。後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。アナン事務総長にも面会。
  • 2007年日本赤十字社の広報特使になり、2008年1月バングラデシュに赴き、ハリケーン被害を受けた村を取材。
  • U2のボノとも親交があり、ボノが来日すると連絡を受け、現在のアフリカや国際貢献に関しての話をする(ボノ作成のサミットへのメッセージビデオにも出演している)。

[編集] スポーツに対する造詣

  • サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。
  • 格闘技にも精通し(格闘技そのものより、「精神が男らしい人」が好きという見方もある)フジテレビで放送される『K-1』の中継の司会を務めている また、2003年からフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道』の司会も務めている。
  • 2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。
  • 中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。キャンサーとは蟹を意味し、藤原の誕生星座「蟹座」にちなんでいる。同馬の馬主は、藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。
  • 高校時代にMBSの選抜甲子園のセブンティーンリポーターとして出演し、任務終了時に涙を流していた。結婚披露宴にもその映像が流された。現在もMBSに放送資料としてその映像とスチール写真が保存されている。
  • 格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ桜庭和志フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビジョンマッチや演武を披露した。その際アンディ・フグに「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈られ、たいへん心を打たれたという[8]
  • プロ野球に関しては、結婚披露宴当日に夫と親交がある阪神タイガース今岡誠桧山進次郎がホームランを放って勝利し、桧山はヒーローインタビューで記者団に対し「今日打ててうれしいです」と二人を祝福した。そしてその足で披露宴二次会に駆けつけ、ホームランを打った際に貰うトラッキー人形を紀香夫妻にプレゼントした。

[編集] お笑いに対する造詣

  • 高校生時代、落語研究会に入り、「親和亭カツオ」の名で落語をし、更にデビュー後、ブレイクする前に関西ローカルの『クイズ!紳助くん』の初代アシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めたこともあり、その際に司会の島田紳助とトーク中心に絡んでいたことが彼女のお笑いに対する理解や、女優としてコミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与したとされている。上京を決意した時に紳助から「東京は戦う場所や!決して甘く考えたらあかん!」と激励された。現在も紳助とは交友がある。
  • 才色兼備の女性がおたく青年と出会い最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされてついには結ばれるという、ドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。
  • 陣内以外でも、『あなたの人生お運びします!』ではDonDokoDon山口智充、『だめんず・うぉ~か~』では雨上がり決死隊宮迫博之と、お笑いタレントとの共演が多かった。
  • フジテレビ警察で、(当時、ドラマ「大奥~華の乱~」に出演中)徳川綱吉の正室・信子役で登場した際に、岡村巡査部長の「上様にイカれちゃったの?」発言にも、一緒に居た主演の内山理名や、バラエティの出演の多い小池栄子でさえ答えに窮する中、京言葉で、「この三人は、みーんな上様イカれちゃってるの」と返し、「お笑いをよく分かっている女優」というテロップまで流された。

[編集] 雨女

  • 自身が「雨女」であると公言している。
  • 1999年テレビ朝日系「藤原紀香アルゼンチンタンゴ魅惑のひとり旅」収録のためにアルゼンチンを訪れた際、大雨量のため現地の交通麻痺を引き起こした。
  • 初の国際映画SPY_N』(2000年香港スタンリー・トン監督)にヒロインとして出演した際には、上海市内の高層ビルの44階付近外周において、ハイライトシーンとしてノースタントの本人出演によるワイヤーアクション撮影が行われたが、終日雨天となったため撮影が難航した。
  • 2002年7月、内戦後のアフガニスタンに赴いて取材訪問を行った際には、その従前3年間にわたって降雨のなかった枯れ地に、恵みの大雨をもたらした。
  • FIFAワールドカップ2002における日韓親善大使を務めた際には、職制上10回以上訪韓したが、晴れる日は皆無で、おしなべて降雨か砂嵐、大、などで交通麻痺にもなった時であったり、機内でに二度も打たれたほか、歴史上かつて氾濫したことのなかった韓国の河川が洪水で決壊したり、悪天候で飛行機が羽田に引き返すといった経験をした。
  • 2003年乾期ケニアに訪問した際には、例年の通り乾期中の飲料水確保に苦労していた現地の伝統民族マサイ族が大喜びするほどの降雨をもたらした。
  • マヤ文明の遺跡めぐりをした際には、雨神を祭るピラミッド前に到着したとたんに驟雨となった。
  • 2006年12月26日深夜に婚約記者会見を行った際には、会見中から日本全土に季節外れの大雨が降った。
  • 2007年2月17日生田神社挙式した際、神戸地域の気象予報は降水確率の低い「曇り」の予報であったが、当初の本人の予想通り雨天となった上、挙式後の記者会見が終わった瞬間に雨が降り止んだ。
  • 2007年5月30日の、ホテルオークラ神戸神戸市中央区)においての結婚披露宴当日も、前日までの晴天が嘘のように雨天になった。披露宴前に雨勢は弱まり、宴の途中で雨は完全に上がった。
  • 陣内との離婚騒動の渦中、ケニア赤十字社への広報特使として長期滞在していたナイロビ市近郊から、当初の予定通り2009年3月25日に関西国際空港経由羽田空港を経て帰国した。この日の日本列島には低気圧が3連団のかたまりとなって通過したものの、前線は日本列島をはるか南に外れて掛かっていたため、気象予報士らの分析はおしなべて降水確率が極めて低い「曇り」の予報であった。しかし藤原が久々の帰国をすると、藤原の移動に合わせて関西・中部地方、次いで関東地方へとしっかり雨が降り、帰宅すると雨は降り止んだ。
  • 自分のマイテーマソングはASKAの『はじまりはいつも雨』だと言う。

[編集] 結婚披露宴

[編集] 出演

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] 声優

[編集] 舞台

[編集] テレビその他

[編集] CM

*ファーストリテイリング ユニクロカラージーンズ(2009~)

[編集] ゲームキャラクター

[編集] ラジオ

[編集]

「START YOUR LIFE」2009年4月からは‘レオパレス’のCMソングを歌っている。

[編集] 書籍

[編集] 著書

  • 写真集 「ORIGINE」「IMAJINE」~アフリカ・ケニアにて撮影~
  • カンダクゥ-笑顔で-(日本テレビ放送網、ISBN 4-8203-9842-3
  • 藤原主義(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-40413-0
  • 風を感じて(Wish books)-紀香のハワイ日記-(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-00737-9
  • 紀香魂-ハッピー・スピリット-(幻冬舎、ISBN 4-344-01331-X
  • 紀香バディ!(講談社・ボーチェ編集部)
  • NORIKA WEDDING STYLE ~自身初のコンピレーションアルバム~

[編集] 雑誌

  • JJ専属モデルとしてデビュー、神戸代表として活躍しながらも、1995年『CanCam』へ移籍し、表紙を初めとして活躍した。
  • MISS』では1年間表紙をつとめる。
  • 現在、『ジゼル』で「紀香ちゃん☆ねる」というエッセイを担当。彼女らしい等身大の文章と写真が人気。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 同市の市街地ではなく北東端の塩瀬地区(現在の西宮名塩ニュータウン付近。当時は西宮名塩地区が開発されておらず、人家は少なかった)出身。
  2. ^ 2006年12月10日に結納を済ませたこと、2007年2月17日に生田神社にて挙式を行うことを発表した
  3. ^ 衣裳は十二単おすべらかし、陣内は束帯、お色直しは白無垢高島田、陣内は黒紋付袴。
  4. ^ 紀香&陣内わずか2年で“格差婚”別居状態 2009年3月19日 スポニチ閲覧
  5. ^ もう別々の人生…紀香、陣内夫妻が離婚届提出 2009年3月23日 スポニチ閲覧
  6. ^ 2006年10月13日放送。
  7. ^ a b c d 1億人の大質問!?笑ってコラえて! 2009年4月15日放映分にて
  8. ^ジャンクSPORTS』内で本人談。
  9. ^ 藤原紀香、TBSラジオを風邪で欠席サンケイスポーツ 2008年12月10日)

[編集] 外部リンク

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1994年
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