千原ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

千原 ジュニア
画像:Replace this image JA.svg
本名: 千原 浩史
ニックネーム: ジャックナイフ
生年月日: 1974年3月30日(35歳)
出身地: 京都府福知山市
血液型: O型
身長: 180cm
方言: 関西弁
最終学歴: 初芝高等学校中退
出身: NSC8期生
コンビ名: 千原兄弟
相方: 千原せいじ
芸風: ボケ
立ち位置:
事務所: よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期: 1989年 - 現在
他の活動: 俳優
公式サイト: 千原兄弟オフィシャルホームページ
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞
1994年 上方漫才大賞 新人賞

千原 ジュニア(ちはら - 、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人俳優。本名および旧芸名は千原 浩史(ちはら こうじ)。コンビ千原兄弟ボケを担当。京都府福知山市出身(本籍は父親と同じ京都府舞鶴市である)。京都共栄学園中学校卒業。初芝高等学校中退。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。

目次

[編集] 人物

  • 中学卒業後まもなく、実兄の靖史(千原せいじ)と「千原兄弟」を結成。わずか18歳で心斎橋筋2丁目劇場を仕切っていたという逸話を持つ。「カリスマ」「天才肌」であると評される半面、デビュー初期の頃はコンクールで連敗しており、毎日舞台袖で先輩芸人のネタを見学し、必死で勉強を続けたという努力家でもある。
  • かつては「ジャックナイフ芸人」「2丁目劇場の黒いナイフ/黒いバラ」と称されていたが、東京進出後は角が取れてきており、バラエティ番組などでコミカルな面も見せている。
  • 小学校時代は勉強ができ、難関私立中学を受験して合格。しかし進学校の空気になじめず、登校拒否引きこもりとなる。高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。その折、先にNSCに入学していたせいじから「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本にいてるから来いや」と誘われる。NSCへ出向いたジュニアは、せいじに「明後日までにネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅうことさせんねん」と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。そのネタで生徒を前に爆笑をとり(本人いわく、たまたまウケただけでそれ以降は大してウケなかった)、そのときのあまりの快感に「俺にはこれしかない」と決意し、高校を2カ月で中退したという。
  • 15歳という若さでお笑いの世界に入ったため、年上の後輩を多く持つ。
  • NSC入学後は、お笑いに関係があるとは思えない授業に辟易して何度となくやめようと思ったが、同期入学であるFUJIWARA原西孝幸が面白く、彼見たさに通い続けたと後に語っている。
  • 「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎オートバイ事故で2度にわたり生死の境をさまよったことがあるが、無事に復帰して現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルース河本栄得劇症肝炎で急逝したこともあり、ジュニアも同じ病気ではないかと懸念された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年がちょうど6年目にあたっていたため、「今回は何があんねん」と不安に思っていると番組内で告白した。不安は当たり、この年6月の『着信御礼!ケータイ大喜利』の収録後に、足の指を剥離骨折した。奇遇にも同年10月から、TOKYO MXで冠番組の「千原ジュニアのシャインになりたい」がスタートした。
  • 大阪時代は先輩の板尾創路、後輩の渡辺鐘ケンドーコバヤシなどと親しく、頻繁に遊んでいた。東京に進出した当初、寂しい思いをしていた所を松本人志木村祐一などが食事に誘ってくれるようになり、救われたという。近年では、山本吉貴、佐田正樹(バッドボーイズ)、タケト(Bコース)、堤太輝(どりあんず)、綾部祐二(ピース)、若月徹(若月)、林克治(カリカ)といった後輩らと、ジュニアを中心とした集まり「J-リーグ」を結成し、頻繁に遊んでいる。
  • 事務所の先輩である板尾創路を慕っており、自らの「笑いの師匠」であると語っている。「板尾軍団」の一員を自称している。なお団員はジュニアのみである。
  • 虎の門』の「しりとり竜王戦」で優勝したのは第9回だけだが、常に決勝か準決勝に進むほどの発想力とボキャブラリーを持つ。「話術王選手権」では第4回チャンピオン、「話術王選手権ダブルス」では第1回・第2回のチャンピオンになった。この企画はもともとジュニアの単独ライブ『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』での放送作家・高須光聖の企画「話のモルモット」が元になっており、第1回「話術王選手権」では1回戦トップバッターを務め、企画の方向性を決める重要な場面でありながらも巧みな話術で企画のレベルを高いものにした。
  • BLANKEY JET CITYと親交を持つ。自身の著作や映像作品のタイトルにもその影響が見える。テレビ番組での共演をきっかけに現在もメンバーと交流があり、ドラムの中村達也は2005年に行われた単独公演『詩』の音楽を手がけたこともある。その時のギャラは「昔貸した3万円をチャラにする」であった。ボーカルの浅井健一とは雑誌『音楽と人』2007年7月号で対談している。
  • 落語家桂枝雀のファンでiPodに取り込んで聴いているほか、車の運転中にもよく聴いているという。『関口宏の東京フレンドパークII』に今田耕司と出演した際、欲しい商品に桂枝雀のDVDを挙げ、見事ダーツを的中させて手に入れた。
  • 生まれた当時、父親は商売をしていたため、「赤ちゃんはうるさい」との理由で祖父母に預けられ、3歳頃まで育てられた。そのため、かなりのおばあちゃんっ子であり、祖母にも溺愛されている。
    • 祖母からは3日に1回は電話が、月に1度は手紙が送られてくる。ボケ防止で始めたワープロで1行目に「こうちゃん、お元気ですも? おばあちゃんは元気っす」と書かれた手紙が来たことがあり、これに「ちょっと体育会系になってた」とつっこんでいた。
    • おばあちゃんっ子ということもあって、ゲートボールはかなりの腕前で、スカウトされたことがある。
    • 祖母とは現在でもときどき食事をする。その様子は2006年10月8日放送の『情熱大陸』で一部放送された。
  • ダニとハウスダストと猫のアレルギー持ちで、『ジュニアのススメ』の収録中にアレルギーの症状が出たことがある。ゴキブリへのアレルギーはない(アレルギーの検査結果表に「ゴキブリ…OK」とあったとのこと)。
  • 服を選ぶ時間がもったいないので、春・夏・冬と着るものは決まっているという。秋は?
  • スタイルが良く、特に美脚。笑っていいとも!にて女装、マリエの私服を着るコーナー等でジュニアが担当する際には他レギュラーから言われている。


[編集] 趣味・嗜好

  • 裁判(特に刑事裁判)の傍聴マニアで、大阪時代には大阪地方裁判所の公判をよく傍聴していた。ある公判を傍聴中、入廷した被告人がジュニアを指さして「あっ! ジュニアや!」とはしゃいだために、ジュニアが退廷を命じられたこともあった。
  • 自他共に認めるかなりのM。夢は女子少年院に放り込まれ、たまったものを発散してもらうことだと番組で語ったことがある。この妄想ぶりに、共演していた東野幸治には「お前、東京(全国ネット)でテレビ出る気ないやろ!」とあきれられていた。
  • ボウリングが下手な女の子がタイプ。
  • ヘビースモーカーで、ホープを吸っていた。着火には、たばこがうまくなるからと頑固にマッチを使っていたが、2006年半ばからライターに切り替えた(単にマッチでの着火が面倒臭くなったようである)。「一度吸い始めたら吸い続けるべき」という信念で禁煙を考えたことはなかったが、2008年7月ごろ、のどを痛めて血を吐いたことから禁煙に踏みきったと、自身の連載コラムで明かしている[1]
  • ボクシングを見る事が好き。

[編集] エピソード

  • 2001年3月26日、オートバイ事故に遭う。集中治療室から出たときには、その凄惨な顔の怪我を見て「自分はもう芸人としてはやっていけないかもしれない。作家や他の仕事をするしかないのか」と悩んだ。しかし、板尾創路東野幸治今田耕司松本人志ジャリズムなどの芸人仲間が毎日のように見舞いに訪れ、芸人流の励ましを受けるうちに復帰を決めた。一般病棟に移った後に最初に見舞いに来たのは板尾で、コンビニで買ってきた何冊もの雑誌を無造作に置いて「何してんねん、はよ帰って来い」とだけ言って帰った。いちばん上にあったのは「今度はベスパに乗ろう」と書かれたバイク雑誌だった。東野幸治は流動食しか食べられないジュニアの見舞いに、漫画「美味しんぼ」の単行本を持ってきた。しかも書店の棚にあったものをそのまま買ってきたため、歯抜けや重複だらけだった。兄のせいじは事故直後に駆けつけただけで、復帰の舞台まで顔を合わせなかった。その舞台では観客がジュニアを心配したため微妙な空気となったが、せいじがツッコミでジュニアをおもいっきり蹴ることで、観客は「笑ってもいいんだ」と認識し、以後会場は大爆笑となった。このオートバイ事故の話は「ザ!世界仰天ニュース」でも取り上げられた。
  • 大阪時代は、とんがっていた性格から「ジャックナイフ」と称されていたが、前述の事故のエピソードをきっかけに、その頃の面影は影を潜め、今田耕司や宮迫博之、元チュパチャップスほっしゃん。宮川大輔の2人などから「バターナイフ」と称されている。
  • クールな芸風に反し、天然ボケの一面を持つ。逸話に事欠かず、後輩芸人にネタにされることもある。
    • 車を運転していたときに「車のキー、どっか落とした。どうしよう」と言い出した。当然、キーは車についている。
    • 後輩と食事に行ったとき、しゃべりながら塩の小瓶を振っていたつもりが、つまようじの容器を振っていた。
    • 後輩と靴店へ行ったとき、ある靴を目にとめて「こんなブーツ出たんか、かっこええなぁ」と感想をもらした。だがそれは、自分が履いていたものとまったく同じブーツだった。
    • コントライブのセッティングの時にジュニアは「照明がいつまでたっても明るくならない」と怒っていた。そのときジュニアはサングラスをかけていた。
    • ジュニアを含めた5人でコントライブを開催しようと後輩の陣内智則が言っていたが、5人ともスケジュールが合わず稽古さえできない状態だった。テレビ朝日ロンドンハーツ』の収録の際に楽屋でジュニアは「ようこのスケジュールでやろうと思ったな」と陣内に冗談半分で言ってみたが返事がなかったため、隣を見てみたところ陣内であると思って喋りかけていた人物はバナナマン設楽統であった。設楽によるとかなり強い口調でジュニアが言ってきたため、大変怖かったが陣内でないと気づき「アレ?!陣内じゃない!」と焦るジュニアの姿が可愛かったとのこと[2]
    • にけつッ!!」内で「性格が大雑把でがさつな人間」をじゃんけんに例えて「グー派の人」、「神経質で細かい人」を「チョキ派の人」と表現し、自分はチョキ派と豪語した。その後後輩と呑んでいて「グー派の人はこういう場でも料理のソースとか飲み物とかを零したりするんやろうなぁ、考えられへんわ!」と言ったその瞬間に着ていたシャツにワインをこぼした
  • 映画監督の豊田利晃とは親友同士。初めて会った日に意気投合した豊田は「俺はお前で映画を撮る」と宣言。数年後に約束どおり、ジュニアの主演映画『ポルノスター』が完成した。
  • 「ジュニア」に改名した理由は、占いを得意とする小笠原まさやから「『浩史』ではとがりすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的すぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば、巨万の富を手に入れます!」と言われたことから。
  • 東京進出が近づいたころ、東京の芸人の間で「とんでもないヤツが来る」「いつもポケットにナイフを忍ばせていて、すべると刺されるらしい」という噂が流れた(この噂を流したのは出川哲朗だったと、後に『にけつッ!!』で千原ジュニアが語っている)。そのとき危機を感じた芸人がつくったのが竜兵会だといわれている(『やりすぎコージー」で今田耕司が発言)。
  • 前述のバイク事故の退院後、明石家さんまから「退院祝い、何がええ?」と聞かれ「レギュラーください」と冗談で言ったつもりが、後日実際に、『おかしや?さんま!』にレギュラー出演が決まった。これは、さんまがTBSからの深夜番組の依頼を長年断わっていたが、突然「千原兄弟を起用する」という条件付きで承諾したためである。
  • 2006年ピン芸人日本一を決める第四回R-1ぐらんぷりに参加、準決勝敗退に終わる。
  • 東京に進出した頃は「自分の笑いはわかる奴にだけわかればいい」といったスタンスだったが、交通事故を機にネタを書くときにはより多くのお客さんに伝わるように解りやすい言葉を選ぶように心がけるようになったという[3]
  • 15歳までトラのぬいぐるみを抱いて寝ていた。
  • 10年ぐらい前、好きな女の子にフラれてしまい、ショックで3日間体育座りで立つことができなかった。
  • かなりの音痴。(本人曰く「音程をどこかに忘れてきた。」)ケンコバサバンナ高橋陣内智則とのコントでジュニアが作詞作曲(正確には、ジュニアのイメージした曲を音声スタッフに伝えて作った)を手がけた曲を歌うシーンがあり、ケンコバが歌い始めたのに続いてジュニアが歌うのだが、そのあまりの音の外れっぷりに決して笑うシーンじゃないにも関わらず観客から爆笑が起こったほど(ジュニアも「脚本上、そのシーンで笑わせるつもりはなかったのに…」)。「にけつッ!!」でその話をした際に、「芸人として常に笑いを求めてきたけど、そんな爆笑はいらん!!」とケンコバにぶった切られる程である。
  • ぼくの妹」出演が決まり、台本が届けられ、そこには「長澤まさみとキス」のシーンがあった。そして撮影が続いてそのキスシーンの撮影日当日、マネージャーがミンティアフリスク・モンダミンを買い込むほど気合を入れて撮影に臨んだら抱擁のみのシーンに台本が書き換えられていた。ジュニアは自分で「『天下の長沢まさみにこんなチンピラ芸人とのキスシーンなんかさせれるか!!』と裏からの力がかかった」と理解し諦めたものの、帰りの車はマネージャーと二人で落ち込んだままだったと言う

[編集] 出演

[編集] TV

[編集] バラエティ

レギュラー

過去のレギュラー

過去の準レギュラー

不定期

ゲスト出演した番組

[編集] ドラマ

[編集] CM

[編集] 映画

[編集] 連載

  • 千原ジュニアのコラム(『TV Bros.』隔号)
  • 千原ジュニアの『ニュース』なジャーナリズム(『マリ・クレール』2008年3月号〜、2009年5月号までのタイトルは「千原ジュニアのニュース鋭角斬り!」)
  • ジュニア事件簿(『月刊EXILE』2008年8月号~)
  • 音楽と芸人(『音楽と人』)
  • 想像書評(『CIRCUS』)

[編集] ラジオ

[編集] 舞台

[編集] 映像作品

  • 囚(2003年5月28日、R and C
  • 囚 040229(2004年5月26日、R and C)
  • -詩- 05 TOUR(2005年6月29日、R and C)
  • 6人の放送作家と1人の千原ジュニア(2006年7月19日、R and C)

[編集] 書籍

  • 答え(2004年)
  • 少年(2005年)
  • 千原ジュニアの題と解(2006年)
  • 14歳(2007年)
  • 3月30日(2008年・第25回織田作之助賞候補作)
  • 千原ジュニアの題と解 O型編(2008年)
  • 千原ジュニアのシャインになる君へ!(2009年)http://www.earthstar.jp/item_shain.html

[編集] 脚注・出典

[ヘルプ]
  1. ^ 『マリ・クレール』2008年10月号「千原ジュニアのニュース鋭角斬り!」および『月刊EXILE』2008年10月号「ジュニア事件簿」。『マリ・クレール』には、病院で「のど年齢」を調べたところ「85歳」であることがわかり、「声が出なくなったらまずいんで、やめました。たばこより仕事のほうが好きとわかって安心しましたけど」と書いている。
    • チェックのミニスカートが大好物。人志松本の○○な話で、「アレはみんな可愛くなる。街中で女子高生を見ると、車の運転中だが気をとられて事故りそう」とまで語っていた。
  2. ^ 2009年2月24日放送回『ロンドンハーツ』より
  3. ^ NHK総合『トップランナー』2008年9月22日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク