千原ジュニア

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千原 ジュニア
本名 千原 浩史(旧芸名)
ニックネーム ジュニア
生年月日 1974年3月30日(37歳)
出身地 京都府福知山市
血液型 O型
身長 181cm[1]
方言 京都弁
最終学歴 初芝高等学校中退
出身 NSC8期生
コンビ名 千原兄弟
相方 千原せいじ
芸風 ボケ
立ち位置
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1989年 -
同期 FUJIWARA
バッファロー吾郎
なだぎ武
加藤浩次
博多華丸・大吉
他の活動 俳優、CM監督
配偶者 未婚
公式サイト 千原兄弟オフィシャルホームページ
受賞歴
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(10月)

千原 ジュニア(ちはら ジュニア、1974年3月30日 - )は、日本お笑い芸人司会者俳優であり、コンビ千原兄弟ボケを担当。本名および旧芸名は千原 浩史(ちはら こうじ)。

京都府福知山市出身[2]よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。京都共栄学園中学校卒業。初芝高等学校中退。NSC8期生[3]

目次

[編集] 来歴

小学校時代は周りの友達と悪さをしていたが、浩史だけが目立って見えていたせいか、友達の親からよく思われていなかった。ある日、友達の家へいつものように遊びの誘いに行くと、中から親が出てきて「息子はいない」と言われ、帰ることにした。帰り際に家の中から親の「千原くんと遊んだらあかん」という声が聞こえてきたという。 

浩史の地元の小学生は、黒い制服の公立中学(大半はこちらに行くらしい)と青い制服の難関私立中学(中高一貫)のどちらかに行くのだが、青い制服の中学生は周りから一目置かれていたという。浩史は周りを見返すために青い制服の学校に行くことを決心する。3ヶ月、親に頼みこみ塾へ行かせてもらい、見事難関私立中学を受験して合格。しかし、浩史にとってみれば、この青い制服の学校に入ることがゴールであったため、急に勉強をやる気が失せてしまった。

そんななか、周りの人は大学に向けて猛勉強をしている(進学校のため、1つの授業につき教室の前後に2人の先生が付いていた)。そんな学校の空気になじめず、登校拒否引きこもりとなる。高校にはなんとか進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。ごくたまに仕方なく高校に行っていたが、周りから気持ち悪がられていた(理由は、たまに学校に来ても一切誰とも話さなかったり、当時から尖っていて周囲の人を殴ったりしていたから)と浩史は言っている。

ある日、高校に行ったとき、「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない!」と思い、帰り道で橋から川に青い制服を投げ捨てた。それを最後に、高校には行っていない。そのおり、先にNSCに入学していた兄・靖史から「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本にいてるから来いや」と誘われる。NSCへ出向いた浩史は、靖史に「明後日までにネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅうことさせんねん」と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。そのネタで生徒を前に爆笑をとり、からだじゅうに電気がバーッと走った感覚になり「俺にはこれしかない、この世界で闘っていくんや」と決意し、高校を2ヶ月で中退した。 NSC時代について、「授業はつまらなかったが、同期の原西孝幸が面白くて、彼を見たさに通っていた」と語っている。

  • 15歳という若さでお笑いの世界に入ったため、同い年や年上の後輩を多く持つ(例:ナインティナインくりぃむしちゅー陣内智則など)。しかし、年下である身分からか、数名の後輩によっては「さん」付けや敬語で話すこともある。
  • 18歳で、心斎橋筋2丁目劇場を仕切っていた。
  • 急性肝炎オートバイ事故で、2度に渡り生死の境をさまよったが、無事生還。
    • 急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルース河本栄得劇症肝炎で急逝したこともあり、ジュニアも同じ病気ではないかと懸念された。
    • 2001年3月26日、オートバイ事故に遭う。集中治療室から出た際、その凄惨な顔の怪我を(事故で完全に顔面が崩れたため、肋骨やボルト等で顔を復元した。顎が割れてズレ、顔面左の神経が切れ、歯も全て失った。事故で目の位置が鼻の横まで下がるほどダメージを受けた)見て、「もう芸人としてやっていけないかもしれない。作家や他の仕事をするしかないのか」と苦悩し、一時は自殺まで考えた。しかし、板尾創路東野幸治今田耕司松本人志ジャリズム山崎邦正らの芸人仲間が毎日のように見舞いに訪れ、芸人流の励ましを受けるうちに復帰を決めた。
  • 以前から『ジュニア』と呼ばれていたが、2005年、芸名を本名から「千原ジュニア」に正式に改名。

[編集] エピソード

  • パソコンが苦手で、所有しているが全く使っておらず、執筆活動も手書きでしている。
  • 鞄を持たない主義である。
  • 一人暮らしだが一軒家に住んでいる。後輩芸人いわく、お城のような家、である。
    • 大阪の二丁目劇場で活躍していた頃は、劇場のすぐ近くのマンションに住んでおり、ジュニアの部屋を知っているファンも多かった。そのため、いたずらをされることも多く、一番酷かったのは「部屋のドアに、マヨネーズで『ケチャップ』と大きく落書きされた」ことだという。
  • 大阪時代、部屋にケンドーコバヤシが遊びに来た際、ジュニアの当時の彼女が料理を作った。表面的には無愛想だったジュニアだが、彼女とすれ違いざまに小声で「美味しかったで」と囁いていたという。
  • 神経質なのでなかなか寝付けず耳栓をして寝る。
  • グロテスクな映画は好きだがホラー映画は苦手である。
  • 「ジュニア」と呼ばれるようになったのは、当時せいじのバイト先の喫茶店で、浩史が読んでいた漫画「キャプテン」に出てくるキャラ・「五十嵐」の弟が「五十嵐ジュニア」と呼ばれているのを、喫茶店マスターが気づき提案したことから。
  • 桂南光から「俺が全責任を取る」と言われ正式に「桂」の名を貰っている。
  • 大阪時代、尖っていた性格から「ジャックナイフ」と称されていたが、前述の事故を契機に性格も丸くなり、「バターナイフ」と称されている。
  • 後輩と靴店へ行った際、「こんなブーツ出たんか、かっこええなぁ」と感想をもらしたが、その時自分が履いていたものとまったく同じブーツだった。
  • コントライブのセッティングの際、ジュニアは「照明がいつまでたっても明るくならない」と怒っていた。その際ジュニアは、サングラスをかけていた。
  • 「ジュニアを含む5人でコントライブを開催しよう」と陣内智則が言ったものの、5人共スケジュールが合わず、稽古さえ出来ない状態だった。ある番組の収録の際に、楽屋でジュニアは陣内に対し「ようこのスケジュールでやろうと思ったな」と冗談半分で言った。しかし、返事がなかったため隣を見ると、陣内だと思って喋りかけた人物は、バナナマン設楽統だった[4]
  • がさつな人をじゃんけんで例えて「グー派」・神経質な人を「チョキ派」と話し、自身はチョキ派と豪語した後の後輩との食事の席で、「グー派の人はこういう席でもソースや飲み物を零すんやろなぁ、考えられへんわ!」と言ったその瞬間、Tシャツにワインをこぼした。
  • 「ジュニア」に改名した理由は、占いを得意とする小笠原まさやから「『浩史』ではとがりすぎて周りに敵をつくり、『Jr.』では女性的すぎて結婚できない、だが『ジュニア』にすれば、巨万の富を手に入れます!」と言われたことから[5]
  • あまりに美味しいものを食べると「なんでこんなに美味いねん!」と怒るという事実が多くの芸人やスタッフから証言されている。
  • 見た目と反して女性に対しては性格的に草食系であり、体育会系の芸人と飲みに行ってもノリについていけず困る。
  • 前述のバイク事故で多くの芸人のお見舞いや励ましを受けたが、中でも東野幸治が取り寄せた「鶴瓶上岡パペポTV」の最終回のVTRで島田紳助明石家さんまが爆笑を取っている様を見て、「出る側(芸人)に戻りたい!」と強く決意をした[6]
  • 前述のバイク事故の退院後、『さんまのまんま』にゲスト出演した際、明石家さんまから「退院祝い、何がええ?」と聞かれ「レギュラーください」と冗談で言ったつもりが、後日実際に、『おかしや?さんま!』にレギュラー出演が決まった。当時、さんまはTBSから深夜番組の依頼を長年に渡り断わっていたが、千原兄弟にレギュラーを与えるためだけに、この依頼を承諾した。
  • 2006年、第4回R-1ぐらんぷりに参加、準決勝敗退に終わる。
  • 東京に進出した頃は「自分の笑いはわかる奴にだけわかればいい」といったスタンスだったが、交通事故を機に、ネタを書く際にはより多くのお客さんに伝わるように解りやすい言葉を選ぶように心掛けるようになったという[7]
  • 現在は、「自分の笑いがわからなければ、わかったフリをしてもらいたい」というスタンスになっている。
  • 豆腐が大好物であり、山奥の店までわざわざ買いに行ったことがある。
  • 音痴。「にけつッ!!」のET-KINGとのコラボCDのレコーディングにて、スタジオでは笑っていたET-KINGが凍りついた。
  • ケンドーコバヤシらとのユニットコントにて、ジュニアが作詞作曲した曲を歌うというシーンがあった。そこでジュニアが歌った瞬間、その日一番の爆笑が起こった。ちなみにジュニアは、コントの脚本も手がけていたが、「(歌のシーンでは)一切笑わせるつもりはなかった」と言う。
  • 2009年10月、ケンドーコバヤシとの作品で「S-1バトル」の10月の月間チャンピオンとして選ばれた[1]
  • 芸人御用達で温厚なホテルにジュニアが泊まった時、布団をローションまみれにしてしまい、買い取ることになった。
  • AV女優のRioのファンである事を公言している。
  • 14歳』を執筆した際、タレントの書いた本に厳しい評論家に「これはな、聖書だよ。」と言われた(チハラトークより)。
  • ラリー遠田は、ジュニアがバラエティ番組などでよく使用する「放り込んでくる」(「急に関係ない話を持ち出す」「危険な方向に話を急展開する」位の意味[8])という言葉が流行りだしていると指摘している[9]
  • 落語好きで知られ車の中でCDを聴くほど、桂枝雀の大ファン。
  • 1年で何度も後輩芸人らと一緒に宮古島を訪れる。1人で訪れることもある。
  • スガシカオによく間違えられるらしい。なお、スガもジュニアに間違えられたことがある。
  • 戦場カメラマン・渡部陽一は、彼の知名度を上げるきっかけを作った千原ジュニアにはとても感謝しており、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングでは「お友達…。2010年、最も一年間お力を頂いた方です。それは千原兄弟! はい、二人なんです。僕が戦場カメラマンとして、こうしてテレビに出させていただいた一番最初から。千原せいじさん・ジュニアさん、千原兄弟さんです!」と述べ、翌日のテレフォンゲストに千原兄弟を紹介した。千原ジュニアは電話で「渡部さん。僕は、いいとも!レギュラーやらせていただいてまして、レギュラーの方って、テレフォンショッキング出れないんですよ。その辺のしきたり、ご存じなかったですか? 本来、ちょっと難しいんですけど。そうですね、(レギュラーではない)せいじさんと一緒にじゃあ、っていうことでいいですかね? タモリさん、すいません。」と述べた。[10]
  • 極度の高所恐怖症。『VS嵐』のコーナーの一つ『クリフクライム』に挑戦し見事に頂上に到達するも、その高さ(6m)に汗を流して震え上がり、しばらく降りられなかった。その際、天の声の伊藤利尋アナウンサーは「頂上のジュニアさんが普段テレビでは見せない表情を見せています」とコメントした。[11]
  • 幼い頃はせいじと喧嘩ばかりしていたが(せいじ曰く、ジュニアが常に兄に甘えてくっついてきてイライラしたため)、コンビを組んだ初期の頃にせいじが以前から仲の悪かった他の芸人と喧嘩しており、せいじがヘッドロックをかけられた状態で床で頭を抑え込まれているのを見た時、気がついたら相手の芸人の頭を思いっきり蹴っており、喧嘩になりそうになったところを周りの芸人に取り押さえされたことがある。本人はなぜそうしたのか分からないらしい。
  • 2011年7月13日、新大阪駅のホームにて一般女性とぶつかり、左足の小指をハイヒールで思い切り踏まれて骨折し、全治2ヶ月ほどの重傷を負った。翌日7月14日のレギュラー番組である『笑っていいとも!』では松葉杖をついて出演し、レギュラー陣たちからも手助けされていたが、タモリ笑福亭鶴瓶からは「そこまでして笑いを取りたいのか?」と散々イジられていた。もちろん事故である。
  • 3年に一度くらいの周期で、「私服は一生これで行く」と言い出すことがあるらしい。過去には、作務衣、スーツなどを挙げていたがいずれも長続きしなかった。[12]
  • 大阪の劇場時代は特にファッションにうるさく、劇場でのリハーサルが終わり、本番までの合間に服を買いに行き、買ったばかりの服で本番に臨むというのが定番だった。しかも、服を買って劇場に戻るとなかなか楽屋から出てこなくなるため、ある時ケンドーコバヤシがジュニアの楽屋を覗いてみると、鏡の前でポーズを繰り返していた。[13]
  • 中学生時代、友達と接することのない引きこもり生活をしていたことから、定番とも言える遊びをあまり知らない。2010年に芸人仲間とパリに旅行した際、36歳にして初めてトランプの『大富豪』をし、「こんなオモロい遊びがあったんか!!」と感動した。[14]
  • せいじの息子からは「ジュニアパパ」と呼ばれて慕われており一緒に旅行へ行ったりしているがジュニア曰く「(せいじの息子は)ぎゅっとしたせいじ」で性格はせいじと似て達者なようである。
  • 数々の著書も出版しているがその中で売れる芸人の条件として「顔が怖い」「部屋がきれい」「絵が上手い」の3つをあげている。


[編集] 出演

[編集] 現在の出演

[編集] テレビ番組

レギュラー番組

[編集] ラジオ番組

レギュラー番組

[編集] 連載

  • 千原ジュニアのコラム(『TV Bros.』隔号)
  • 千原ジュニアの『公開メール』(『月刊EXILE』2009年1月号 - )
  • 想像書評(『CIRCUS』)
  • うたがいの神様(『papyrus』2009年 - )
  • 2009〜2012映画の旅(『月刊スカパー!!TVガイド』2009年 - )
  • J.P.P〜ジュニアプレゼントプロジェクト(『Quick Japan』)(太田出版 2009年 - )
  • すなわちトイレは宇宙である(『SPA!』2010年 - )

[編集] CM

[編集] 過去の出演

[編集] テレビ番組

レギュラー番組
過去の準レギュラー
不定期
ゲスト出演
ドラマ
CM
映画
連載
  • 千原ジュニアの『ニュース』なジャーナリズム(『マリ・クレール』2008年3月号〜、2009年5月号までのタイトルは「千原ジュニアのニュース鋭角斬り!」)
  • 音楽と芸人(『音楽と人』)
  • ジュニア事件簿(『月刊EXILE』2008年8月号 - 12月号)
ラジオ
舞台
MC
映像作品
  • 囚(2003年5月28日、R and C
  • 囚 040229(2004年5月26日、R and C)
  • -詩- 05 TOUR(2005年6月29日、R and C)
  • 6人の放送作家と1人の千原ジュニア(2006年7月19日、R and C)
書籍
  • 答え(2004年)
  • 少年(2005年)
  • 千原ジュニアの題と解(2006年)
  • 14歳(2007年)
  • 3月30日(2008年・第25回織田作之助賞候補作)
  • 千原ジュニアの題と解 O型編(2008年)
  • 千原ジュニアのシャインになる君へ!(2009年)
  • 西日の当たる教室で(出版社が、ジュニアへのインタビューを元に作成。ジュニア自身ではなく、出版社が執筆)(2009年)

[編集] 脚注・出典

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  1. ^ 『ジャック10』にて測定
  2. ^ 本籍は、父親と同じ京都府舞鶴市である。
  3. ^ 卒業はしていない
  4. ^ 2009年2月24日放送回『ロンドンハーツ』より
  5. ^ ヨシモトファンダンゴTV〜本人発信バラエティ〜 てっぺん!
  6. ^ 2011年4月5日放送回「ブラマヨとゆかいな仲間たち
  7. ^ NHK総合『トップランナー』2008年9月22日
  8. ^ “twitter”. owawriter. http://twitter.com/owawriter/status/8844230063 
  9. ^ “twitter”. owawriter. http://twitter.com/owawriter/status/8833545822 
  10. ^ 『笑っていいとも!』2010年12月23日放送より
  11. ^ 「VS嵐」 2011年1月20日放送より
  12. ^ 2011年8月2日放送「ロンドンハーツ真夏の3時間SP」
  13. ^ 2005年9月27日放送『人志松本のすべらない話3』
  14. ^ 2011年9月21日放送『20マウス
  15. ^ 2作目は関西ローカルで放送。

[編集] 関連項目

  • 中尾明慶(上記「14歳」ドラマでジュニアを演じた)

[編集] 外部リンク

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