野口聡一

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野口聡一
宇宙飛行士
国籍 日本
誕生 1965年4月15日(49歳)
神奈川県横浜市
他の職業 技術者
宇宙滞在期間 177日3時間5分
選抜試験 1996 NASA Group
ミッション STS-114, TMA-17
第22次/23次ISS長期滞在
記章 Sts-114-patch.png Soyuz-TMA-17-Mission-Patch.png ISS Expedition 22 Patch.png ISS Expedition 23 Patch.png

野口 聡一(のぐち そういち、1965年(昭和40年)4月15日 - )は、日本人宇宙飛行士神奈川県横浜市出身[1]。身長180cm。彼の初飛行はSTS-107コロンビア号の事故後、NASAスペースシャトル運航再開、最初の打ち上げとなった2005年7月26日のミッションSTS-114にミッション・スペシャリストとして乗船した時である。2009年12月20日ソユーズTMA-17に搭乗し、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヶ月間滞在。2010年6月2日地球に帰還した。

履歴[編集]

父親の仕事の関係で、3歳より兵庫県揖保郡太子町に移り住む。斑鳩保育園を経て斑鳩小学校へ入学、小学5年時までを同町で過ごす。

茅ヶ崎市立浜須賀中学校神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校東京大学工学部航空学科卒、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了。石川島播磨重工業(現・IHI)において航空技術者として超音速旅客機のエンジン開発に従事した。

宇宙飛行士時代[編集]

STS-114の乗組員
EVA(船外活動) STS-114で野口飛行士のはじめての宇宙遊泳
EVA(船外活動) STS-114で野口飛行士の二度目の宇宙遊泳

旧・宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構:JAXA)の募集に応募、572人の受験者の中から、1996年に宇宙飛行士候補者に選定される。

宇宙飛行士訓練生[編集]

1996年8月からNASAジョンソン宇宙センターで訓練を開始する。1998年7月から8月、ガガーリン宇宙飛行士訓練センターでの訓練に参加。その後もISS組み立てミッションへの参加に向けて、NASAで訓練を続けた。

最初にNASAが発表した飛行予定(NASA米国時間2001年4月9日決定。NASDA(現JAXA)のプレスリリースは4月10日、NASAの発表は米国時間4月12日)では、2002年7月にSTS-113スペースシャトル、エンデバー号で飛行の予定だったが、延期・変更されSTS-114で2005年に飛行する事となった。

STS-114[編集]

2005年7月26日午後11時39分(日本時間=JST)に打ち上げられたスペースシャトルディスカバリー号に搭乗した乗組員の一人である。少年時代はボーイスカウトに所属、茅ヶ崎で打ち上げを見届ける会では所属していたボーイスカウト茅ヶ崎二団が打ち上げを見届けた。

また野口飛行士は、ボーイスカウトで知り合ったワッペン製造業経営の友人に贈呈用ワッペンを依頼。乗組員全員の名前を入れてもらい、1人2枚ずつ贈呈した。ワッペンには黄色で縁取りをしてあり、ディスカバリー号と野口の出身地、茅ヶ崎のシンボル烏帽子岩(姥島)が陰に描かれている。スペースシャトルから出ている炎の色はグラデーションが使われており、凝った作りに仕上がっている。ワッペンは乗組員全員がユニフォームの青いジャケットに付けて搭乗した。

15日間にわたる飛行中、3度の船外活動を行い、スペースシャトルでは初の機体補修に携わった。3回目の船外活動は、はみ出した耐熱タイル間の詰め物(gap fillers)の除去であった。シャトルに搭載した道具が右利き用であったためスティーブン・ロビンソン飛行士がメインで作業を行い、左利きの野口飛行士はサポートに入った。ただし、道具を使用するほどでもなく、詰め物は手で引っ張るだけで抜けるというものだった。

STS-114帰還後[編集]

2005年8月31日に、メジャーリーグニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムで、メッツ対フィリーズ戦の始球式を行った。アイリーン・コリンズ船長とチャールズ・カマーダ飛行士も出席し、試合前にメッツの松井稼頭央と挨拶を交わした。野口飛行士は、小学校時代に野球経験があり、憧れの選手は王貞治ソフトバンク元監督だったという。

飛行後は、2005年9月27日に日本に帰国予定であったが、ハリケーン・リタが滞在地ヒューストン付近に接近しているため予定を早め9月23日に帰国した。

ISS第18次長期滞在バックアップクルー[編集]

2007年2月、ISS第18次長期滞在クルー若田光一宇宙飛行士のバックアップクルーに任命される[2]

ISS第22次/第23次長期滞在[編集]

きぼうのエアロックより、子アーム(手前のユニット)を搬出
キューポラから外部を撮影する野口飛行士

2008年5月、JAXAはISS長期滞在クルーに、野口飛行士を任命することを発表した[3]。日本人飛行士がISSに長期滞在を行うのは、若田光一に次ぎ二人目である。ソユーズ宇宙船の船長を補佐して操作を行うフライトエンジニアとして[4]2009年12月20日にソユーズTMA-17で出発し滞在を開始した。

ISSでは、ISS各部および日本実験棟「きぼう」のメンテナンスと各種実験を実施。きぼうの整備として2010年2月に衛星間通信システム(ICS)を本格稼働させハイビジョン映像で筑波と交信、3月にはロボットアーム子アームを設置しきぼうの基本構成を完備させた。きぼうにおける実験では、微少重力を利用したマランゴニ対流のデータ取得や蛋白質結晶生成などを行う(実験の詳細は脚注[5]の外部リンクを参照)。その他、ISSに来訪する宇宙船および補給機の受け入れ準備やミッション補助作業も担当している。また、インターネット上で提供されているコミュニケーション・サービス、Twitterを通じた即時的な情報発信や現地撮影による画像・動画の発表を行い、地上の人々との日常的な交流を実現した。広報活動として、地上との交信イベントを行うほか、ISS到着時には同僚と共にサンタクロース姿で移乗、正月には書き初め[6]、バンクーバーオリンピック開催時には「世界最高高度のスキージャンプ」姿を見せる(Twitterでの公開画像)など年中行事や国際的なイベントを積極的に楽しむ様子を見せ、3月15日には関西テレビフジテレビのバラエティ番組『SMAP×SMAP』に中継で出演、SMAPメンバーとの応答に加えてきぼう内での手巻き寿司調理を披露した。

宇宙滞在中の同年4月、STS-131によって山崎直子がISSを訪れ、初めて宇宙空間に日本人が複数名滞在した。5月15日午後8時6分(JST)に通算の宇宙滞在期間が159日10時間46分を超え、それまでの若田光一が保持していた記録を抜き日本人最長となった(2014年5月に再び若田が最長記録保持者となった)。帰還は往路同様ソユーズ宇宙船に搭乗し、6月2日午後0時25分(JST)カザフスタン共和国に着陸した。

宇宙探検家協会会長への就任[編集]

2014年9月、野口聡一宇宙飛行士はアジアでは初めてとなる宇宙探検家協会(ASE)会長に選ばれた [7]

趣味[編集]

著書[編集]

  • 2006年
『スィート・スィート・ホーム』 木楽舎 ISBN 4-907818-69-6
『宇宙日記―ディスカバリー号の15日 』世界文化社 ISBN 978-4418065028
『オンリーワン ずっと宇宙に行きたかった 』新潮社 ISBN 978-4103021018

その他[編集]

結婚し、現在は子が3人いる。

STS-114ミッションの成功により茅ヶ崎市民栄誉賞を受賞し、2005年10月2日に開催された茅ヶ崎での帰国報告会にて表彰が行なわれた。 また太子町名誉町民にも選ばれている。

所属していたボーイスカウト茅ヶ崎二団ビーバー隊副長も務める。

2011年4月~2013年9月に放送されたテレビ番組「宇宙ニュース」(制作・テレビ東京BSジャパン、協力・宇宙航空研究開発機構)ではアンカーマンを務めた。

関連項目[編集]

  • 宇宙授業 - 宇宙と地球の教室とで交信しながらの授業を実施
  • 古川聡 - 第22次/第23次長期滞在の野口飛行士バックアップクルーを務める
  • 立花隆 - 著書「宇宙からの帰還」を読み、宇宙飛行士になることを目指した
  • 秋山豊寛 - 当時はTBS社員。日本人で最初に「ソユーズ」に搭乗した
  • 宇宙兄弟 - アニメに本人役の声優として出演した

脚注[編集]

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外部リンク[編集]