第40回NHK紅白歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
第40回NHK紅白歌合戦
NHK-Hall.jpg
会場のNHKホール
ジャンル 大型音楽番組
放送期間 1989年12月31日(NHK紅白歌合戦第40回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 NHK
外部リンク NHK紅白歌合戦公式サイト
テンプレートを表示
第40回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1989年12月31日
放送時間 1989年12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

第40回NHK紅白歌合戦』(だいよんじっかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、1989年平成元年)12月31日NHKホールで行われた、通算40回目で平成になって初めてのNHK紅白歌合戦。19時20分~20時55分および21時から23時45分にNHK生放送された。

概要[編集]

  • この年はベルリンの壁崩壊があったこともあり、ベートーヴェンの第九シンフォニーの、有名なチェロとコントラバスのメロディーの開始部分が、放送開始と同時にチェロとコントラバスの大写しで放送された。
  • 今回から放送時間・出場歌手も大幅に拡大され、初めて2部構成となった。放送時間は開始時刻を大幅に引き上げて当時過去最大の4時間20分になった。
  • 特に今回では19:20~20:55を「昭和の紅白」、21:00~23:45を「平成の紅白」として2部構成で放送した(採点の対象は第2部=平成の紅白=のみ)。
  • 今回で最終回の可能性があったこともあり(後述)、両軍司会人選にあたりNHK内で局アナウンサーを推す声が多く、杉浦圭子前回の総合司会)・松平定知の起用が当初最有力視されていた。しかし実際は三田佳子(前回の審査員。夫が当時NHKプロデューサーの高橋康夫。スタッフは高橋を介して三田に紅組司会の打診をしたという[1])・武田鉄矢が選出された。なお、白組司会起用が予想された松平が総合司会、紅組司会起用が予想された杉浦が進行役をそれぞれ担当した[2]
  • 前半部分の「昭和の紅白」では、開始時に出場歌手一同で「東京ブギウギ」を歌い、ピンク・レディーザ・タイガースが再結成、和田弘とマヒナスターズの再出場、1984年第35回への出場を機に歌手業を引退していた都はるみの復活(この日のみの復帰と発表していたが、翌1990年、歌手活動を完全再開)、この年亡くなった美空ひばりの大親友・雪村いづみが、ひばりの「愛燦燦」を歌うなど様々な話題があった。また、過去の紅白司会経験者である森光子黒柳徹子中村メイコ藤倉修一山川静夫鈴木健二らが紅白についてスピーチをするコーナーも設けられた。松平からスピーチの時間につき「1分間でお願いします」と何度も放送中念を押されたものの、誰1人これを守らず、時間が大幅に押す結果となってしまった。第1部については松平中心に進行がされた。
  • 番組冒頭にて三田・武田の舌戦を松平が引き取り、「どちらが勝とうと世の中の大勢には何にも関わりはありませんが、これが正しい大晦日の過ごし方だと思います」と述べる一幕があった[3]
  • 会場には1951年第1回の出演者が招待された[4]
  • 後半部分の「平成の紅白」はこの年よりアナログハイビジョン[5]での試験放送が開始されたことから、高精細度テレビジョン放送ハイビジョン)での制作・放送が開始[6]される。
  • 第2部のトップバッターを、武田が務めた。曲紹介は谷村新司堀内孝雄(2人は当時活動休止中であったアリスのメンバー)が行った。なお、武田は過去に海援隊として出場歴があるが、今回はソロ歌手としての初出場でもある。
  • 今回から歌手応援席は廃止(12年後の2001年第52回の第1部の演歌対決で1回だけ復活している)。
  • Winkは直前に行われた『第31回日本レコード大賞』にて大賞を受賞し駆けつけ、曲紹介時に「レコード大賞おめでとう!」と司会にアナウンスされる。
  • 石川さゆりが紅白において、自身初の大トリを担当(紅組トリ自体は2回目)、「風の盆恋歌」を熱唱した。
  • 優勝は紅組。
  • 様々な試みが行われたもののこれらは功を奏さず、当時としては観測史上最低の視聴率を記録し、関東地区では47.0%を記録した。

幻の「紅白廃止」と「アジア音楽祭」[編集]

この年4月にNHK会長に就任した島桂次は、「3年前から紅白担当者に対して、紅白をやめて、大晦日に国民的行事となるような新しい番組を考えられないものか、と注文しています」と発言し、同年9月13日の定例会見でも、「『紅白歌合戦』は今年で最後にしたいんだよ」と語った。その1週間後には、当時放送総局長の遠藤利男も、「今年は紅白を例年通り行いますが、紅白を上回る企画があれば来年からでも紅白をやめたい」と発言した。これらの発言の背景としては、紅白の平均視聴率が、1985年に70%を下回ってから、1980年代末には50%台まで急降下したこと、元号が昭和から平成へと変わり、今こそが紅白を打ち切る頃合いではないかとの声が高まったことなどがあった。また、紅白の後番組としては、アジアの歌手を一同に集めた『アジア音楽祭』が企画されていたという。しかし、NHK幹部による一連の紅白廃止発言の後、視聴者からは紅白存続を求める電話が殺到した。島はその後1991年4月に放送衛星打ち上げ失敗に関する国会での虚偽答弁を追及されたことで辞任に追い込まれ、後任のNHK会長には長年に渡り紅白の制作に携わってきた川口幹夫が就任したことで、結果的に紅白廃止の話は消滅した(ただし、その後も打ち切り話が幾度か出たことはある)。

本紅白では、アジアのトップスター歌手として、チョー・ヨンピルケー・ウンスクアラン・タムキム・ヨンジャパティ・キムの5人が出場したが、これは『アジア音楽祭』をにらんで早々に出演が要請されていたからでもあった[7]

司会者[編集]

演奏[編集]

  • 岡本章生とゲイスターズ(指揮 岡本章生)-オーケストラ・ボックス

※岡本章生とゲイスターズの紅白担当はこの回で最後となり、翌年の第41回以降は三原綱木とザ・ニューブリードに統一された。

審査員[編集]

大会委員長[編集]

  • 遠藤利男・NHK放送総局長

出場歌手[編集]

紅組 白組
歌手 歌手
第1部
織井茂子(6) 君の名は 田端義夫(2) かえり船
雪村いづみ(10) 愛燦燦 春日八郎(21) お富さん
松山恵子(8) 未練の波止場 村田英雄(27) 王将
ペギー葉山(14) 南国土佐を後にして ザ・タイガース(初) ヒット・メドレー[8]
ピンク・レディー(2) ヒット・メドレー[9] 三波春夫(30) 東京五輪音頭
松尾和子(4)、和田弘とマヒナスターズ(10) 誰よりも君を愛す 千昌夫(15) 北国の春
都はるみ(21) アンコ椿は恋の花 藤山一郎(10) 青い山脈
第2部
内藤やす子(初) 六本木ララバイ'90 武田鉄矢(初) 声援
工藤静香(2) 恋一夜 少年隊(4) まいったネ今夜
中山美穂(2) Virgin Eyes 男闘呼組(2) TIME ZONE
Wink(初) 淋しい熱帯魚 光GENJI(2) 太陽がいっぱい
荻野目洋子(3) ユア・マイ・ライフ チェッカーズ(6) Friends and Dream
加藤登紀子(2) 百万本のバラ 伊藤多喜雄(初) ソーラン節
キム・ヨンジャ(初) 朝の国から アラン・タム(初) 愛念(ゴイニム)
佐藤しのぶ(3) ロンドンデリーの歌 BAKUFU-SLUMP(2) 大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い
坂本冬美(2) 男の情話 堀内孝雄(2) 冗談じゃねえ
大月みやこ(4) 女の舞 鳥羽一郎(3) 北の鷗唄
小比類巻かほる(2) いい子を抱いて眠りなよ 沢田研二(16) DOWN
杏里(2) Groove A・Go・Go 聖飢魔II(初) 白い奇蹟
島田歌穂(2) I AM CHANGING 市村正親(初) オペラ座の怪人
ケー・ウンスク(2) 酔いどれて 細川たかし(15) 北国へ
由紀さおり安田祥子(初)[10] 赤とんぼどこかに帰ろう チョー・ヨンピル(3) Q
パティ・キム(初) 離別(イビョル) 五木ひろし(19) 暖簾
八代亜紀(16) 下町夢しぐれ 吉幾三(4)
小林幸子(11) 福寿草 森進一(22) 指輪
和田アキ子(13) だってしょうがないじゃない 谷村新司(3) 陽はまた昇る
石川さゆり(12) 風の盆恋歌 北島三郎(26) 夜汽車

選考を巡って[編集]

ヘヴィメタルのジャンルから聖飢魔IIが初出場を果たす。ただし、歌唱した楽曲はメタルとはいえ穏やかなバラード曲であった。また、同ジャンルからの出場はこれが史上唯一の事例。

これまで紅白と縁のなかった内藤やす子がデビュー15周年にして初出場を果たした。

松田聖子小柳ルミ子菅原洋一近藤真彦が落選。次点として紅組では小泉今日子、聖子、白組では菅原、近藤、尾形大作がいた。一方、前回落選した八代亜紀が2年ぶりの復帰となった。八代の返り咲き出場について、番組側は「昨年は横綱が体調を崩し休んだと考えて頂きたい」と説明を行った[11]

この年4月に自殺未遂を起こし当時活動休止中だった中森明菜に番組側は「再起を紅白のステージで」と出演依頼をしたが体調不良を理由に辞退される。しかし、大晦日当日に近藤とともに復帰・謝罪会見を行った。この会見は本紅白の裏番組で生中継された。

前回まで3年連続で白組司会を兼任しながら出場した加山雄三にも出場歌手専任でオファーがあったが、「紅白において、僕のやるべきことは全てやり遂げたと思います」と辞退した。その他、松任谷由実プリンセス・プリンセス田原俊彦米米CLUB久保田利伸も辞退[12]

沢田研二はソロ、ザ・タイガースで2つの名義で出場し、1回の紅白で2回の出場という記録を残した。同一の回に複数名義で正式に出場するのは史上初。

上記の通り前半は「昭和の紅白」として実施され、かつての紅白を彩った歌手や、草創期の紅白に出場していた歌手の返り咲きが目立った。前回出場からのブランクが長かった歌手としては織井茂子1960年第11回以来29年ぶり(当時の紅白における最長ブランク記録)、田端義夫1963年第14回以来26年ぶり、草創期の「紅白の顔」で白組トリも通算4回務めた藤山一郎が正式な出場歌手としては1964年第15回以来25年ぶり(出場時の年齢は満78歳であり、美輪明宏と並び史上最年長記録)など。また、通算20回以上紅白に出場した常連歌手であるもののここ数年は出場していなかった三波春夫村田英雄春日八郎などのベテランも再出場を果たした。

第1部「昭和の紅白」に出場した歌手のうち、後に再び紅白出場を果たした歌手は都はるみ(翌1990年第41回 - 1997年第48回の8年連続)、三波春夫1999年第50回)、千昌夫2011年第62回)、ピンク・レディー(翌1990年・第41回、2000年第51回)のみである。また、村田、春日、藤山、織井、田端、松山恵子松尾和子にとっては今回が生涯最後の紅白出場となった(藤山はフィナーレの「蛍の光」の指揮者としては1992年第43回まで出演)。

ゲスト出演者[編集]

  • 杉浦圭子アナウンサー(第1部オープニングおよび地方審査員紹介)
  • 松島詩子(歌手。第1部オープニング)
  • 二葉あき子(歌手。同上)
  • 加藤道子(女優。同上、第1回紅組司会)
  • 有馬稲子(女優。「時代の証言者」)
  • 村松友視(作家。同上)
  • 佐藤多圭子(琉球舞踊家。沖縄より中継)
  • 中村メイコ(女優。第10〜12回紅組司会)
  • 藤倉修一(元NHKアナウンサー。第1・2回白組司会)
  • 黒柳徹子(女優。第9・31〜34回紅組司会)
  • 山川静夫アナウンサー(第23・24回総合司会、第25〜33回白組司会)
  • 森光子(女優。第13・29・35回紅組司会)
  • 鈴木健二(元NHKアナウンサー。第34〜36回白組司会)
  • 中村紘子(ピアニスト。「時代の証言者」)
  • 川上哲治(NHK野球解説者。同上)
  • SMAP(タレント。光GENJIのバックダンサー)
  • Mr.マリック(超魔術師。荻野目洋子と伊藤多喜雄の曲間)

演奏ゲスト[編集]

  • 坂田明(サックス。伊藤多喜雄の伴奏)
  • 塚田佳男(ピアノ。由紀さおり・安田祥子の伴奏)

脚注[編集]

  1. ^ 牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』、34頁。
  2. ^ 合田道人『紅白歌合戦の真実』、290頁。
  3. ^ 太田省一『紅白歌合戦と日本人』、265頁。
  4. ^ 本来ならば、通算15回に渡り紅白の司会を担当した宮田輝や、テレビ創世記の紅白における白組司会であった高橋圭三も招待されるはずだったが、宮田はのため入院中(翌年逝去)で、高橋もTBS系列『第31回日本レコード大賞』の実行委員を務めていた関係で出演を辞退した。
  5. ^ デジタルハイビジョンに取って替わる形で2009年9月30日を以って終了。
  6. ^ 全編に渡るハイビジョン制作・放送は翌1990年第41回から。
  7. ^ 『怪物番組 紅白歌合戦の真実』合田道人:著、幻冬舎、2004年、p286〜288参照
  8. ^ 花の首飾り」「君だけに愛を」のメドレー
  9. ^ ペッパー警部」「UFO」「サウスポー」のメドレー
  10. ^ 当初、出場回数表記としては“由紀さおり(12)・安田祥子(初)”とされ、それぞれソロ歌手としてカウントされていた。しかしその後、同40回の紅白に関しては“由紀さおり・安田祥子”名義で、二人のユニットとして「初出場」扱いに変更されている。
  11. ^ 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』、175頁。
  12. ^ 合田『紅白歌合戦の舞台裏』

参考文献・出典[編集]

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]