学芸大学駅

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学芸大学駅
駅西口
駅西口
がくげいだいがく - Gakugei-daigaku
祐天寺 (1.0km)
(1.4km) 都立大学
所在地 東京都目黒区鷹番三丁目2-1
所属事業者 東京急行電鉄(東急)
所属路線 東横線
キロ程 4.2km(渋谷起点)
駅構造 高架駅
ホーム 島式 1面2線
乗降人員
-統計年度-
69,387人/日
-2008年-
開業年月日 1927年(昭和2年)8月28日
駅入口(東口)

学芸大学駅(がくげいだいがくえき)は、東京都目黒区鷹番三丁目にある、東京急行電鉄東横線である。

駅名の由来となった東京学芸大学1964年に東京都小金井市へ移転している。ただし、東京学芸大学附属高等学校は当駅を最寄り駅として現存している。

目次

[編集] 駅構造

島式ホーム1面2線を有する高架駅である。改札とホームを連絡するエレベーターエスカレータが設置されている。トイレは1階改札口内にある。2006年3月までは駅構内にはなく、駅外にある目黒区設置の公衆トイレを使わなければならなかった。どちらも多機能トイレは設置されている。駅構内のものは乳幼児・オストメイト対応設備を備えている。

2012年度から予定されている東京地下鉄副都心線との相互直通運転開始に向け、急行電車における10両編成の列車が停車できるようにするため、ホーム延伸工事が行われる。また、同時に耐震補強工事が進行中である。

[編集] のりば

1 東横線 自由が丘武蔵小杉菊名横浜
みなとみらい線直通 元町・中華街方面
2 東横線 中目黒渋谷日比谷線直通 北千住方面

[編集] 駅周辺

[編集] 路線バス

[編集] 歴史

[編集] 駅名・周辺地名

開業時の駅名「碑文谷」(ひもんや)は現在の目黒区南部一帯の広域名称。荏原郡碑文谷村が1888年衾村(ふすまむら。現在の目黒区環七通り以南)と合併して碑衾村(ひぶすまむら。1927年町制を施行して碑衾町)となった際に大字となっていた。駅は碑衾村大字碑文谷字鷹番に設置されたので、大字を駅名として採用した。なお、字「鷹番」は現在の駅所在地名となっている。

「碑文谷」の由来には諸説あるが、一説には鎌倉街道端にあった碑文を刻んだ石に因むとされている。「鷹番」は江戸幕府が設置した目黒鷹場の鷹番屋敷が置かれていたことにちなんでいる。

周辺の目黒区側には五本木テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも登場)や、三谷(さんや)、唐が崎(からがさき。三谷と共にいずれも正式な町名ではなくなっている)、そして世田谷区側には、後述する東京学芸大学の所在地だった下馬や、それに隣接する野沢がある。

1936年東京府青山師範学校が近隣の世田谷区下馬町に移転したので、その最寄り駅として「青山師範駅」に改称。以降、「第一師範駅」から「学芸大学駅」へとこの学校の名称とともに駅名も変更した。

東京学芸大学移転時、目黒線東急多摩川線などの路線名変更時、みなとみらい線への直通運転開始時などの節目ごとに駅名を変更するかどうか議論されたが、地域住民の賛同が得られず現在に至っている。

附属高校は残っているものの、大学が移転してから40年以上の年月が経っている。しかし国公立大学二次試験当日、東京学芸大学受験生が間違えて当駅に下車することがいまだにあると、一部のマスメディアで取り上げられることがある。

[編集] その他

乗換駅でもなく、駅前にバスターミナルもないが急行停車駅となっている[1]のは、急行運転設定当時、この駅周辺が市街地と郊外の境界となっていたことが理由とされている。また、周辺は古くからの繁華街でもあった。

以前は目黒区役所の最寄り駅でもあったが、区役所が中目黒駅近くにある旧千代田生命保険本社ビルに移ってからも、通勤客が多いため、利用者はほとんど減っていない。そのため、朝のラッシュピーク時間帯に運行されている急行渋谷行には乗車できない場合がある。

[編集] 隣の駅

東京急行電鉄
東横線
特急・通勤特急
通過
急行
中目黒駅 - 学芸大学駅 - 自由が丘駅
各駅停車
祐天寺駅 - 学芸大学駅 - 都立大学駅

[編集] 脚注

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  1. ^ ちなみに、隣の祐天寺駅はバスターミナルがあるにもかかわらず急行停車駅ではない。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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