東京学芸大学附属高等学校

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東京学芸大学附属高等学校
Tokyo Gakugei UNIV highschool.jpg
過去の名称 東京学芸大学教育学部附属高等学校
国公私立の別 国立学校
設置者 国立大学法人東京学芸大学
設立年月日 1954年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科(8学級)
高校コード 13006A
所在地 154-0002
東京都世田谷区下馬4-1-5
北緯35度38分5.4秒東経139度40分42.8秒
公式サイト 東京学芸大学附属高等学校
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東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう, Tokyo Gakugei University Senior High School)は、東京都世田谷区下馬にある国立高等学校。通称「附高(ふこう)」、「学附(がくふ・がくつき)」。

東京学芸大学附属学校である。

概要[編集]

1954年(昭和29年)に開校し、2004年(平成16年)に創立60周年を迎えた。学年の約3分の1は附属中の3校(世田谷竹早小金井)から内部生用の入試を経て入学し、残りは一般の入試を経て入学する。

東京学芸大学附属高等学校大泉校舎(生徒全員が帰国子女)があるが、教員を除き特に交流はない。

所在地・交通アクセス[編集]

東京都世田谷区下馬4-1-5

沿革[編集]

  • 1954年(昭和29年)
    • 4月 - 東京学芸大学附属高等学校が開校。(生徒数 208名(男女ほぼ同数))
    • 5月29日 - 開校式を挙行。
      • 本部を世田谷区下馬に置き、校舎は竹早校舎(文京区竹早)と世田谷校舎(世田谷区深沢)の2校舎制とする。各校舎2学級とする。
  • 1958年(昭和33年)- 校旗・校歌を制定。
  • 1960年(昭和35年)- 東京学芸大学の建物を利用し、下馬校舎を設置。
  • 1961年(昭和36年)- 大学の移転に伴い、竹早校舎と世田谷校舎を廃止し、下馬校舎に統合。1学年6学級とする。
  • 1967年(昭和42年)- プールが完成。学級数が現在の1学年8学級になる。
  • 1972年(昭和47年)- 東京学芸大学教育学部附属高等学校と改称。
  • 1975年(昭和50年)- タイ国留学生の受け入れを開始。(以降、毎年、数人が共に日本語で学習)
  • 1976年(昭和51年)- 海外在学経験者(定員15名)を特別枠で受け入れ開始。
  • 1978年(昭和53年)- 大体育館が完成。
  • 1979年(昭和54年)- 図書館が開館。
  • 1981年(昭和56年)- 別館が完成。
  • 1985年(昭和60年)- 西館が完成。
  • 2004年(平成16年)4月 - 組織改編。大学が国立大学法人化される。校名から教育学部が除かれ、東京学芸大学附属高等学校(現校名)に改称。
  • 2012年(平成24年)- スーパーサイエンスハイスクールに認定される。それに伴い、校内の合併教室を改修し、In-cafe を設置。

教育[編集]

文理の教科選択は3年生からであり、2年生までは文理を問わず社会科や理科を幅広く履修する。なお、3年生では「理系学科志望の学生が文系科目を履修する」等、文系理系の枠にとらわれない科目選択を行うこともできる。

授業の内容は一応教育課程と教科書に沿ってはいるが、多くの教科は教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する。大学入試を全く意識していない訳ではないが、入試対策は授業では特には行われない。

国内の高校としては2003年の科目「情報」が導入される前の1995年よりコンピュータ教育を取り入れており[1]アップル社の HP では、その授業風景が特集されていたことがある。

設備[編集]

1936年(昭和11年)、東急電鉄総帥・五島慶太の誘致によって赤坂区青山北町(当時)から移転した東京府青山師範学校として建設され、1961年(昭和36年)から敷地の一部[2]と建物をそのまま用いている。このため校内は非常に広く、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※現在は芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・第一体育館)、柔道場、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。L字型の校舎は、青山師範の校舎そのままの歴史的な建造物で、テレビドラマや映画の撮影に使用されたこともある。正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と生徒の間で呼ばれている[3]

学校生活[編集]

通学路[編集]

最寄り駅は、東横線学芸大学駅。道順は複雑であるものの、駅前の交番には本校までの地図が常備されている。田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線沿線の生徒以外は殆どが学芸大学駅から通学している。なお、渋谷駅南口から学芸大学附属高校の前まで東急バス(野沢龍雲寺循環)が出ている。また、三軒茶屋駅北口からも学芸大学附属高校付近(徒歩1分未満)まで東急バス(目黒駅行)が出ている。

また学区制限がないこと[4]、帰国子女を受け入れていることから、近隣で一人暮らしをしている生徒も存在する。

制服[編集]

本校では、制服着用義務が生徒に課せられている。

冬服は、制定されてから半世紀間不変の伝統あるデザインとなっている。男子の上着はスクールカラーである紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジをつけ、白いプラスチックのカラーを入れる。女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当てをつけ、青いスカーフを、スカーフの両端にプリーツを折ってから結ぶ、蛾結びと呼ばれる独特の型で結ぶ。ズボンとスカートは、共布の紺色である。

6月~9月は夏服期間である。男子は、グレーのズボン、胸に紺で校章を表示した白ワイシャツ(かつてはバッジを胸に付ける規定だったが装着率が極めて低く、アイロンプリントの導入で夏季の校章表示を徹底)、また女子は、校章バッジを付けた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服になる。

創立当初は制帽着用も義務で、服装指導は厳しかった。激しかった高校紛争で制服そのものは廃止されなかったが、そこで勝ち得た自由の主体的表現として、70年代にほぼ全員の男子生徒が制帽を被らなくなり、上着の襟元を開けた。女子のスカート丈ならびに男子の襟の高さに規制はなく、生徒はさまざまなサイズを自由に選んで、自己表現している。1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが立ち消え、以来制服は生徒の間に定着している。

クラス編成[編集]

1クラス45人編成で、A組からH組までの8クラス(360人)×3学年の24クラス(1,080人)が定員となっている。

1クラスには前述した3つの附属中学校からの内部進学者と外部進学者、さらには帰国子女(一学年に30人程度)とタイからの留学生(一学年に1~5人程度)が混ざって構成される。学区や通学区域の制限は無く、全国から入学者を受け入れている。

行事[編集]

  • 6月 - 体育祭
  • 9月 - 辛夷祭(こぶしさい)(文化祭)
  • 1月 - 下馬祭(しもうまつり、げばさい)(合唱コンクール)

他の行事としては学習旅行(修学旅行)・林間学校・マラソン記録会(こどもの国)・球技大会・歌留多会・地理実習・野外実習(地学)・社会見学実習・科学見学実習・古典劇鑑賞・現代劇観賞・プラネタリウム見学・スキー教室などがある。1年時に参加必須の林間学校(妙高山登山)、冬のスキー教室(希望制)は妙高寮にて行われる。また実習や劇鑑賞のほとんどにレポートが課されている。

辛夷祭[編集]

全校的な盛り上がりを見せる。クラスごとに出し物を決めて参加するが、毎年1年生は娯楽、2年生は食品販売・模擬店(運動部も食品関係の模擬店)、3年生は演劇となっている。特に3年生各クラスの演劇はセット等も自作する本格的なものが用意されることもあり、辛夷祭の目玉となっている。その他にも音楽部や演劇部、合唱部、ダンス部、中庭ステージ(通称「中ステ」)でのライブなど出し物も行われる。また、辛夷祭で発行された文藝部の部誌に掲載された作品の一部は『凱風電子版』というサイトで読む事ができる。タイ国留学生によって毎年出店されるタイ風喫茶店は、タイ料理も提供される本格的なものとなっていた(近年は飲み物の販売を行っている)。一部保護者より、3年次の夏休みを辛夷祭のクラス演劇に費やすことが大学受験の障害になるのではないかという指摘がなされ、辛夷祭そのものが7月に開催されたこともあったが、現在では9月初旬~中旬の開催に戻っている。

進路[編集]

東京学芸大学への内部入試制度はなく、一般入試で進学している。主な進学先は東京大学一橋大学東京工業大学東京医科歯科大学京都大学慶應義塾大学早稲田大学など。2013年の東大合格者は68名(うち現役34名)であり、全国の共学校のうち最多。

主な出身者[編集]

学問[編集]

政治[編集]

行政[編集]

法曹[編集]

医学[編集]

芸術[編集]

文学[編集]

マスコミ[編集]

芸能[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 情報教育”. 東京学芸大学附属高等学校. 2011年5月29日閲覧。
  2. ^ 敷地の南西側は東京学芸大学附属世田谷小学校 (1936-1957) → 図書館短期大学 (1964-1981) → 放送大学東京世田谷学習センター (1985-)、世田谷区立下馬中央公園
  3. ^ 東京学芸大学附属高等学校同窓会創立50周年”. 日本郵趣協会. 2011年5月29日閲覧。
  4. ^ 平成20年度募集要項(PDFファイル)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]