碑文谷八幡宮

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碑文谷八幡宮

参道入口
所在地 東京都目黒区碑文谷三丁目7番3号
位置 北緯35度37分02.7秒 東経139度41分08.1秒 / 北緯35.617417度 東経139.685583度 / 35.617417; 139.685583
主祭神 応神天皇
創建 鎌倉時代
別名 碑文谷八幡神社
例祭 9月敬老の日の前日と前々日
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碑文谷八幡宮(ひもんやはちまんぐう)は、東京都目黒区碑文谷三丁目にある神社八幡宮)。かつての碑文谷村の鎮守として知られる。

由緒[編集]

創建年代は不詳であるが、鎌倉時代源頼朝の家臣、畠山重忠守護神をその家臣筋で当地に住んでいた宮野左近という人物が祀ったのが始まりであると言われている。現在の社殿は延宝2年(1674年)に造替したものを明治5年(1872年)に再建し、同20年(1887年)に改築したもの。神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院である神宮院が置かれていた。

また神社には畠山重忠の家臣榛沢六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起こりともいわれている、碑文石が保存されている[1]。そのほかにも勝海舟直筆の「八幡大神」の額なども保存されている。また、の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られている。

境内社[編集]

  • 稲荷社

碑文石[編集]

この碑文石は高さは約75cm、横は最大で約45cm、厚さは約10cmで現在は暗渠化されているが付近を流れていた呑川の川床の石を材料にしている。石には中央に大日如来を示す梵字が、左には勢至菩薩を示す梵字が、右には観音菩薩を示す梵字がそれぞれ刻まれている。室町時代の頃の作と言われているが、その趣旨等は伝わっていない。一説にはこの碑文を彫った石がある里(谷)ということから、当地の地名「碑文谷」が生まれたとも言われている。この碑文石は当時の人々の信仰を知る上での貴重な資料として現在でも境内に祀られている。

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ この説も有力視されているが、「碑文谷」の名の起こりはこのほかにもいくつかの説がある。[1][リンク切れ] [2][リンク切れ][3][リンク切れ][4][リンク切れ]

外部リンク[編集]