カメルーン

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カメルーン共和国
République du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語)
カメルーンの国旗 カメルーンの国章
国旗 国章
国の標語:Paix, Travail, Patrie
フランス語: 平和、労働、祖国)
国歌カメルーンの国歌
カメルーンの位置
公用語 フランス語英語
首都 ヤウンデ
最大の都市 ドゥアラ
政府
大統領 ポール・ビヤ
首相 (PM フィレモン・ヤング英語版
面積
総計 475,440km252位
水面積率 1.3%
人口
総計(2012年 20,500,000人(???位
人口密度 34人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 10兆4,100億[1]CFAフラン
GDP (MER)
合計(2008年 232億[1]ドル(85位
GDP (PPP)
合計(2008年 417億[1]ドル(88位
1人あたり 2,152[1]ドル
独立
 - 日付
フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年
通貨 CFAフラン (XAF)
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 CM / CMR
ccTLD .cm
国際電話番号 237

カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、中部アフリカに位置する共和制国家。西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東にコンゴ共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。首都はヤウンデ

ドイツ植民地から、イギリスフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年イギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニー国際機関にも加盟している。

国名[編集]

正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。

日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン。漢字による当て字は夏麦論

国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人エビの多いことからカマラウン(camarão,ポルトガル語で「小エビ」)と名付けたことに由来する。

歴史[編集]

カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民バカ・ピグミーである。バントゥー系民族はカメルーン高地に起源をもつが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。

カメルーンの領域の推移(1901年-1973年
  フランス領カメルーン
  独立後のカメルーン

1470年12月ポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系諸王国の支配下におかれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーン英語版が成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツが全土を、フランスがノイカメルーン英語版(現中央アフリカ共和国領域)をそれぞれ掌握。

第一次世界大戦でドイツが敗れた後、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン英語版」(西カメルーンとも。現北西州南西州及びナイジェリア領アダマワ州タラバ州からなる)、東南部がフランスフランス領カメルーン (French Cameroons(東カメルーン)として委任統治領となる。第二次世界大戦中には、ドゴール自由フランスの拠点の一つとなった。二次大戦後、1946年には信託統治領となり、1957年にフランス領カメルーンには自治が認められた。

アフリカの年と呼ばれる1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となった。この連邦制は1972年に廃止され、アヒジョ大統領は国号をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は1965年1970年1975年1980年の大統領選挙で再選されたが、彼のカメルーン人民民主連合英語版(CPDM)の一党支配が嫌われ、1981年には政党の結成を合法化し、1982年には大統領を辞任した。南部出身の現大統領ポール・ビヤは就任後、何度も選挙に勝ち残ったが、選挙自体の公正さに疑問もある。1984年には国号を現在のカメルーン共和国に変更した。

政治[編集]

大統領府

地理[編集]

カメルーンの地図

5つの地理区分に分けられる。海岸平野はギニア湾から15km-150kmまで広がり、森林で覆われ、平均標高は90m、非常に暑く、世界で最も湿度が高い所がある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林で覆われるが、乾季と雨季が海岸平野より区別されるため湿度はやや低い。平均標高は650m。カメルーン火山列は最高峰のカメルーン山のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。気候は、とくに西部高地英語版フランス語: Grassland)は温暖で雨が多く、土地は肥沃である。

サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1100mで、気温22-25度C、雨が多い。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川ロゴーヌ川英語版と南部のサナガ川。サナガ川は国土中央部のムバカウ湖フランス語: Lac Mbakaou)を水源としてドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ全長890kmの最大河川である。ケッペンの気候区分ではほぼ全域が熱帯 (A) に属す。北部 (ステップ気候、BS、サバナ気候、Aw)から南部(熱帯雨林気候、Af)に移動するに従い、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300-350mで、気温は高いが、雨が少ない。

北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山(4,095m)の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680mmに達する。

気温の年較差は全国で5度-10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730m)の年平均気温は23.2度。年降水量は1,560mm。

なお、北西州にあるオク火山の火口湖の一つであるニオス湖では1986年に、最大規模の火山ガス災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素の噴出により、1,700人以上が死亡した。

北部のチャド湖に近いマンダラ山地のルムスィキ英語版は高くそびえる奇岩で知られる観光地である。これはマグマが噴出した時に溶岩が火山の中で固まった岩頸と呼ばれるもので、最も高いピークは1224mである。

地方行政区分[編集]

カメルーンの州

カメルーンは10州(現:Région、旧:Province)、58県(フランス語: Départements)に分けられる。ナイジェリアと接する北西州南西州の2州は、もとイギリスの委任統治領であり、その他の8州はフランス領だった。

  1. アダマワ州フランス語: Région de l'Adamaoua)- ンガウンデレ
  2. 中央州フランス語: Région du Centre)- 首都:ヤウンデ
  3. 東部州フランス語: Région de l'Est)- ベルトゥア
  4. 極北州フランス語: Région de l'Extrême-Nord)- マルア (Maroua
  5. リトラル州フランス語: Région du Littoral[2])- ドゥアラ: ドゥアラは主要道路、鉄道、空路で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾を備える。
  6. 北部州フランス語: Région du Nord)- ガルア (Garoua
  7. 北西州フランス語: Région du Nord-Ouest)- バメンダ (Bamenda : 南カメルーン連邦共和国の最大都市。
  8. 西部州フランス語: Région de l'Ouest)- バフーサム
  9. 南部州フランス語: Région du Sud)- エボロワ (Ebolowaクリビチャドドバ油田とパイプラインで結ばれている石油積み出し港)
  10. 南西州フランス語: Région du Sud-Ouest) - ブエア : 南カメルーン連邦共和国の政府所在地。

主要都市[編集]

主要な都市はヤウンデ(首都)、ドゥアラがある。

経済[編集]

カメルーンの首都ヤウンデ

カメルーンの2013年GDPは約279億ドルであり[3]日本佐賀県とほぼ同じ経済規模である[4]

カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフランは、フランス・フランとの交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レートに引きずられる弊害もあった。経済圏としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。

独立後四半世紀はカカオコーヒーバナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢になどの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。

アフリカには二つの経済共同体が存在する。西アフリカ諸国経済共同体南部アフリカ開発共同体である。カメルーンは両共同体にはさまれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。これは、一人当たりの国内総生産が、1200ドルとサハラ以北のアフリカや南アジアを中心とする地域に匹敵しており、他国と共同しなくても自立できることによる。二国間経済援助ではフランスの出資が最も多い。一人あたりの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。

色と面積で示したカメルーンの輸出品目

貿易相手国はフランス、ドイツ、日本の順である。対日貿易ではコーヒーの輸出が際立つ。ついで木材と綿花である。輸入ではトラック乗用車、ついで機械である。

主な輸出用の農産物は北部の綿花、南西部のコーヒーカカオである。南部は熱帯雨林であるため、農業に適さない。耕地はベヌエ川北部に集中している。主食となるバナナイモモロコシなどはほぼ自給できている。イモ、特にキャッサバの収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74%から2000年時点の42%まで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。

家畜放牧は全土で見られる。漁業には5,000人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37%を占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6,000万ドルの収入をもたらす。安全で持続可能な伐採を義務付けているが林業への規制は最も緩い。

石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭スズが見られるだけである。エネルギーの大部分は水力発電により、残りは石油である。国土の大部分で電力不足である。産業活動はドウアラとボナベリの2都市に集中している。主要ラジオ・テレビ局は国営で、電信電話局もほとんど政府の管理下にあるが、最近インターネットが普及し、規制を受けないプロバイダーが増えている。

交通[編集]

道路は1割のみが舗装されており、悪天候も重なり、国内輸送を困難にしている。また、各地で警官等による旅行者への賄賂要求や強盗が発生し問題である。カムレール社の運営する鉄道がドゥアラ港を起点に北のクンバや西のヤウンデ、ンガウンデレを結んでいる。国際空港はドゥアラとガルアにあり、ヤウンデの規模はやや小さい。ドゥアラ港が主要な港で、南へ約150kmのクリビ港にはチャドのドバ油田から原油パイプラインが伸びており、原油積出基地がある。

国民[編集]

東部地域のダンサー

民族[編集]

住民は、南部と西部はバンツー系のファン族バミレケ族英語版バカ・ピグミー、北部はスーダン系のドゥル族フラニ族サヘルに居住)などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。

言語[編集]

言語は、公用語フランス語英語である。他にファン語フラニ語などが使われている。フランス語英語が公用語であることから、バイリンガル国家と思われるが、両言語のバイリンガルの住民は極めて少なく、英語は旧イギリス領カメルーンの領域であった北西州南西州のみで使われ、この地域でのフランス語の通用度は低く、独立運動も起っている。一方、国民の大多数を占めるドゥアラ首都ヤウンデを含むその他、多くの地域ではフランス語が使われ、英語はあまり通じない。 en:Benga peopleen:Benga languageを話す。

宗教[編集]

カメルーンの宗教は、キリスト教が人口の約70%、イスラム教が21%(主に西部)、アフリカの伝統宗教英語版アニミズム)が6%(主に南部)である。 40,000人のバハーイー教徒が国内にいる。 その他、カメルーンガボン赤道ギニア沿岸部のバントゥー系民族グループのいくつかでは、呪物崇拝en:Okuyiが信仰されている。 en:Okuyiの宗教チャントがBenga languageで歌われている。 20世紀末、沿岸部のンドウェ人フランス語版en:Kombe people)がンビニ(Mbini。リオ・ムニ)に儀式を広めた。

宗教の儀式のために殺人や体の一部を切除する事件が発生しており、社会問題となっている[5]

教育[編集]

文化[編集]

文学[編集]

カメルーン出身の著名な文学者として、小説『下僕の生活』(1956年)で知られるフェルディナン・オヨノや反植民地主義作家として知られるモンゴ・ベティ、音楽家でありながらも小説『アガト・ムディオの息子』(1967年)を残したフランシス・ベベイ劇作家エンドゥンベ3世らの名が挙げられる[6][7]

音楽[編集]

アフロビートマヌ・ディバンゴがカメルーン出身のサックス奏者として著名であり、彼は1973年に「ソウル・マコッサ」の世界的ヒットを残した。 また、アメリカで活動している女性シンガーソングライターアンディ・アローもカメルーン出身である。

世界遺産[編集]

ジャー動物保護区 - (1987年、自然遺産)

カメルーン国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された自然遺産が2件存在する(うち1件は中央アフリカ共和国コンゴ共和国と共有)。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
2月11日 青年の日 National Youth Day
5月1日 メーデー Labor Day
5月20日 建国記念日 National Day
8月15日 聖母の被昇天 Assumption
12月25日 クリスマス Christmas

スポーツ[編集]

サッカーカメルーン代表(対ドイツ戦)

サッカー[編集]

ドイツ保護領時代の1880年代に伝わって以来、サッカーが盛んである。アフリカネイションズカップでは1984年1988年2000年2002年と通算4回優勝している。他に4回以上優勝した国は、エジプトガーナだけである。FIFAワールドカップの本大会常連国としても知られ、1982年スペイン大会で初出場以降、2010年・南アフリカ大会まで6度の本大会出場を経験しており、中でも1990年・イタリア大会では開幕戦で前回優勝国アルゼンチンを降す金星を挙げ、最終的にはアフリカ勢初のベスト8にまで勝ち進んだ。2014年・ブラジル大会が7度目の出場となる。

中津江村(現在は大分県日田市の一部)では2002 FIFAワールドカップ日本開催の際、サッカーカメルーン代表がキャンプ地にして以来、交流が続いている。

バスケットボール[編集]

バスケットボールカメルーン代表はアフリカ選手権4位となったことがあるものの、長らく低迷が続いていた。しかし、2007年に15年ぶりのアフリカ選手権出場を果たすと、準優勝となり北京五輪世界最終予選まで進んだ。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ フランス語: "Littoral"は「沿海」の意味。
  3. ^ IMF
  4. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  5. ^ 「眼球など体の一部切除する連続殺人、2週間で18人犠牲 カメルーン」, CNN.co.jp [2]
  6. ^ A.ノルトマン=ザイラー 『新しいアフリカの文学』 松田忠徳訳、白水社〈文庫クセジュ622〉、東京、1978年9月10日、初版、90-91頁、96頁。
  7. ^ 片岡幸彦 「アフリカ――フランス語」『激動の文学――アジア・アフリカ・ラテンアメリカの世界』 信濃毎日新聞社、信濃毎日新聞社、長野市、1995年3月15日、初版、213-214頁。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

政府
日本政府
観光
研究