カメルーン
- カメルーン共和国
- République du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語) -


(国旗) (国章) - 国の標語:Paix, Travail, Patrie
(フランス語: 平和、労働、祖国) - 国歌:カメルーンの国歌

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公用語 フランス語、英語 首都 ヤウンデ 最大の都市 ドゥアラ 独立
- 日付フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年)通貨 CFAフラン(XAF) 時間帯 UTC (+1)(DST:なし) ISO 3166-1 CM / CMR ccTLD .cm 国際電話番号 237
カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、中部アフリカに位置する共和制国家。西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東にコンゴ共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋のギニア湾に面する。首都はヤウンデ。
旧ドイツ植民地から、イギリスとフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済、文化、軍事面でフランスとの関係が深い。1995年にイギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニーにも加盟している。
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国名 [編集]
正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・カメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。
日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン。漢字による当て字は夏麦論。
国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人がエビの多いことからカマラウン(camarão,ポルトガル語で「小エビ」)と名付けたことに由来する。
歴史 [編集]
詳細は「カメルーンの歴史」を参照
カメルーン内の遺跡からたどれる歴史は約8000年前まで遡ることができる。カメルーンの先住民はバカ・ピグミーである。バントゥー語族はカメルーン高地に起源をもつが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。
ポルトガルのエンリケ航海王子の死から10年後、1470年12月にポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。
1806年にイスラム系諸王国の支配下におかれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーンが成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツが全土を、フランスがノイカメルーン(現中央アフリカ共和国領域)をそれぞれ掌握。
第一次世界大戦でドイツが敗れた後、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に、北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」(西カメルーンとも。現北西州と南西州及びナイジェリア領アダマワ州とタラバ州からなる)、東南部がフランスの「フランス領カメルーン」(東カメルーン)として委任統治領となる。第二次世界大戦中には、ドゴールの自由フランスの拠点の一つとなった。二次大戦後、1946年には信託統治領となり、1957年、フランス領カメルーンには自治が認められた。
アフリカの年と呼ばれる1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となった。この連邦制は1972年に廃止され、国号をカメルーン連合共和国に変更した。アヒジョ大統領は1965年・1970年・1975年・1980年の大統領選挙で再選されたが、彼のカメルーン人民民主連合(CPDM)の一党支配が嫌われ、1981年には政党の結成を合法化し、1982年には大統領を辞任した。南部出身の現大統領ポール・ビヤは就任後、何度も選挙に勝ち残ったが、選挙自体の公正さに疑問もある。1984年には国号を現在のカメルーン共和国に変更した。
政治 [編集]
詳細は「カメルーンの政治」および「:en:Politics of Cameroon」を参照
- カメルーン憲法は1972年に制定された。1996年の憲法改正によってカメルーン大統領は、カメルーン政府内で行政執行権を行使できるようになった。大統領は広範囲な権力を与えられており、一院制の議会に図ることなく行使できる。議会の議席は180人。年3回開催される。議会の目的は法案を通過させることである。実際、議会が法案を変更すること、成立を阻むことはめったにない。
- 司法部は行政部門である法務省の下に置かれている。最高裁判所は、大統領が要求した場合に限り、違憲立法審査に着手できる。
- 主要政党は、与党カメルーン人民民主連合(CPDM)のほか、カメルーン民主連合、社会民主戦線、National Union for Democracy and Progress、Progressive Movementなど。他にen:Alliance for Democracy and Development、en:Union of the Peoples of Cameroon、en:Cameroonian Party of Democrats。
- 1998年最西端に位置するバカシ半島の帰属をめぐって、隣国のナイジェリアとの間でバカシ半島領有権問題が発生した。現在、この地域では二つの反政府武装組織ニジェールデルタ防衛治安評議会(ニジェール・デルタ解放運動)とバカシ自由闘士(en:Bakassi Movement for Self-Determination)が広範な自治を求めて活動している。
- 南カメルーン国民会議(SCNC)は1999年に、もとイギリス委任統治領だった、英語話者が多い北西州と南西州の2州で南カメルーン連邦共和国(アンバゾニア共和国)の名で分離独立を求めている。南カメルーンの分離独立運動の背景にはフランス語話者の方が政治など中心的に支配して有利にある事や経済格差への不満が原因である(南カメルーン政府のサイト)。
地理 [編集]
詳細は「カメルーンの地理」および「:en:Geography of Cameroon」を参照
5つの地理区分に分けられる。海岸平野はギニア湾から15km-150kmまで広がり、森林で覆われ、平均標高は90m、非常に暑く、世界で最も湿度が高い所がある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林で覆われるが、乾季と雨季が海岸平野より区別されるため湿度はやや低い。平均標高は650m。カメルーン火山列は最高峰のカメルーン山のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。気候は、とくに西部高地(フランス語: Grassland)は温暖で雨が多く、土地は肥沃である。
サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1100mで、気温22-25度C、雨が多い。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川、ロゴーヌ川と南部のサナガ川。サナガ川は国土中央部のムバカウ湖(フランス語: Lac Mbakaou)を水源としてドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ全長890kmの最大河川である。ケッペンの気候区分ではほぼ全域が熱帯 (A) に属す。北部 (ステップ気候、BS、サバナ気候、Aw)から南部(熱帯雨林気候、Af)に移動するに従い、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300-350mで、気温は高いが、雨が少ない。
北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山(4,095m)の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680mmに達する。
気温の年較差は全国で5度-10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730m)の年平均気温は23.2度。年降水量は1,560mm。
なお、北西州にあるオク火山の火口湖の一つであるニオス湖では1986年に、最大規模の火山ガス災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素の噴出により、1,700人以上が死亡した。
北部のチャド湖に近いマンダラ山地のルムスィキは高くそびえる奇岩で知られる観光地である。これはマグマが噴出した時に溶岩が火山の中で固まった岩頸と呼ばれるもので、最も高いピークは1224mである。
地方行政区分 [編集]
詳細は「カメルーンの州」、「カメルーンの県」、および「カメルーンの都市の一覧」を参照
カメルーンは10州(現:Région、旧:Province)、58県(フランス語: Départements)に分けられる。ナイジェリアと接する北西州と南西州の2州は、もとイギリスの委任統治領であり、その他の8州はフランス領だった。
- アダマワ州(フランス語: Région de l'Adamaoua)- ンガウンデレ
- 中央州(フランス語: Région du Centre)- 首都:ヤウンデ
- 東部州(フランス語: Région de l'Est)- ベルトゥア
- 極北州(フランス語: Région de l'Extrême-Nord)- マルア (Maroua)
- リトラル州(フランス語: Région du Littoral[2])- ドゥアラ: ドゥアラは主要道路、鉄道、空路で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾を備える。
- 北部州(フランス語: Région du Nord)- ガルア (Garoua)
- 北西州(フランス語: Région du Nord-Ouest)- バメンダ (Bamenda) : 南カメルーン連邦共和国の最大都市。
- 西部州(フランス語: Région de l'Ouest)- バフーサム
- 南部州(フランス語: Région du Sud)- エボロワ (Ebolowa) 、クリビ(チャドのドバ油田とパイプラインで結ばれている石油積み出し港)
- 南西州(フランス語: Région du Sud-Ouest) - ブエア : 南カメルーン連邦共和国の政府所在地。
経済 [編集]
詳細は「カメルーンの経済」および「:en:Economy of Cameroon」を参照
カメルーンの2009年のGDPは約218億ドルであり[3]、日本の鳥取県よりやや小さい経済規模である[4]。
カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフランは、フランス・フランとの交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レートに引きずられる弊害もあった。経済圏としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。
独立後四半世紀はカカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、ついで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国のなかでも最も経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人当たりのGDPが1986年から1994年までに60%以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢になどの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。
アフリカには二つの経済共同体が存在する。西アフリカ諸国経済共同体と南部アフリカ開発共同体である。カメルーンは両共同体にはさまれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。これは、一人当たりの国内総生産が、1200ドルとサハラ以北のアフリカや南アジアを中心とする地域に匹敵しており、他国と共同しなくても自立できることによる。二国間経済援助ではフランスの出資が最も多い。一人あたりの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。
貿易相手国はフランス、ドイツ、日本の順である。対日貿易ではコーヒーの輸出が際立つ。ついで木材と綿花である。輸入ではトラック、乗用車、ついで機械である。
主な輸出用の農産物は北部の綿花、南西部のコーヒーとカカオである。南部は熱帯雨林であるため、農業に適さない。耕地はベヌエ川北部に集中している。主食となるバナナ、イモ、モロコシなどはほぼ自給できている。イモ、特にキャッサバの収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74%から2000年時点の42%まで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。
家畜放牧は全土で見られる。漁業には5,000人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37%を占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6,000万ドルの収入をもたらす。安全で持続可能な伐採を義務付けているが林業への規制は最も緩い。
石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭、金、スズが見られるだけである。エネルギーの大部分は水力発電により、残りは石油である。国土の大部分で電力不足である。産業活動はドウアラとボナベリの2都市に集中している。主要ラジオ・テレビ局は国営で、電信電話局もほとんど政府の管理下にあるが、最近インターネットが普及し、規制を受けないプロバイダーが増えている。
交通 [編集]
道路は1割のみの舗装で、悪天候も重なり、国内輸送を困難にしている。また、各地で警官等による旅行者への賄賂要求や強盗が発生し問題である。カムレール社の運営する鉄道がドゥアラ港を起点に北のクンバや西のヤウンデ、ンガウンデレを結んでいる。国際空港はドゥアラとガルアにあり、ヤウンデの規模はやや小さい。ドゥアラ港が主要な港で、南へ約150kmのクリビ港にはチャドのドバ油田から原油パイプラインが伸びており、原油積出基地がある。
国民 [編集]
詳細は「カメルーンの人口統計」および「:en:Demography of Cameroon」を参照
民族 [編集]
住民は、南部と西部はバンツー系のファン族、バミレケ族、バカ・ピグミー、北部はスーダン系のドゥル族、フラニ族(サヘルに居住)などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。
言語 [編集]
言語は、公用語がフランス語と英語である。他にファン語、フラニ語などが使われている。英語は旧イギリス領カメルーンの領域であった北西州と南西州で使われる。ドゥアラ、首都ヤウンデを含むその他、多くの地域はフランス語である。公用語であるフランス語と英語のバイリンガルの住民は少ない。 en:Benga peopleがen:Benga languageを話す。
宗教 [編集]
詳細は「カメルーンの宗教」および「:en:Religion in Cameroon」を参照
カメルーンの宗教は、キリスト教が人口の約70%、イスラム教が21%(主に西部)、アフリカの伝統宗教(アニミズム)が6%(主に南部)である。 40,000人のバハーイー教徒が国内にいる。 その他、カメルーンやガボンや赤道ギニア沿岸部のバントゥー系民族グループのいくつかでは、呪物崇拝のen:Okuyiが信仰されている。 en:Okuyiの宗教チャントがBenga languageで歌われている。 20世紀末、沿岸部のンドウェ人(en:Kombe people)がンビニ(Mbini。リオ・ムニ)に儀式を広めた。
宗教の儀式のために殺人や体の一部を切除する事件が発生しており、社会問題となっている[5]。
文化・音楽・芸術 [編集]
詳細は「カメルーンの文化」および「:en:Culture of Cameroon」を参照
音楽 [編集]
アフロビートのマヌ・ディバンゴが、カメルーン出身のサックス奏者である。彼は1973年に、「ソウル・マコッサ」の世界的ヒットで有名ミュージシャンとなった。
世界遺産 [編集]
カメルーン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が1件存在する。詳細は、カメルーンの世界遺産を参照。
祝祭日 [編集]
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | New Year's Day | |
| 2月11日 | 青年の日 | National Youth Day | |
| 5月1日 | メーデー | Labor Day | |
| 5月20日 | 建国記念日 | National Day | |
| 8月15日 | 聖母の被昇天 | Assumption | |
| 12月25日 | クリスマス | Christmas |
スポーツ [編集]
ドイツ保護領時代の1880年代に伝わって以来、サッカーが盛んである。アフリカネイションズカップでは1984年、1988年、2000年、2002年と通算4回優勝している。他に4回以上優勝した国は、エジプトとガーナだけである。FIFAワールドカップの本大会常連国としても知られ、1982年のスペイン大会で初出場以降、2006年・ドイツ大会まで5度の本大会出場を経験しており、中でも1990年・イタリア大会では開幕戦で前回優勝国アルゼンチンを降す大金星を挙げ、最終的にはアフリカ勢初のベスト8にまで勝ち進んだ。2010年・南アフリカ大会が6度目の出場となる。
中津江村(現在は大分県日田市の一部)では2002 FIFAワールドカップ日本開催の際、サッカーカメルーン代表がキャンプ地にして以来、交流が続いている。
バスケットボールカメルーン代表はアフリカ選手権4位となったことがあるものの、長らく低迷が続いていた。しかし、2007年に15年ぶりのアフリカ選手権出場を果たすと、準優勝となり北京五輪世界最終予選まで進んだ。
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
関連項目 [編集]
- カメルーン関係記事の一覧 (List of Cameroon-related topics)
- ナイジェリア
- セネガル
- マリ
- ドバ油田 - カメルーン南部を横断するパイプライン輸送路が存在する。
- ジャー動物保護区 - 2007年現在ではカメルーンの唯一の世界遺産
- バカシ半島 - 隣国ナイジェリアと油田がらみからの領有権問題を抱えている。
- カメルーン海軍艦艇一覧
- セネガンビア - カメルーンと同じく、フランス語圏国家セネガルと英語圏国家ガンビアが一緒になった連合国家。1982年発足、1989年解消。
外部リンク [編集]
- 政府
- カメルーン共和国大統領府 (英語)(フランス語)
- カメルーン共和国首相府 (英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - カメルーン (日本語)
- 観光
- カメルーン政府観光局 (フランス語)
- 研究
- Cameroon Field Station (日本語)
- カメルーンのピグミー (英語)(イタリア語)
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