ナミビア
- ナミビア共和国
- Republic of Namibia
Republiek van Namibië
Republik Namibia -


(国旗) (国章) - 国の標語:Unity, Liberty, Justice
(英語: 統一、自由、正義) - 国歌:Namibia, Land of the Brave

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公用語 英語 首都 ウィントフック 最大の都市 ウィントフック 独立
- 日付南アフリカ共和国より
1990年3月21日通貨 ナミビア・ドル (N$)(NAD) 時間帯 UTC +1(DST:なし) ISO 3166-1 NA / NAM ccTLD .na 国際電話番号 264
ナミビア共和国(ナミビアきょうわこく)、通称ナミビアは、アフリカ南西部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し[2]、西は大西洋に面する。首都はウィントフック。
当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ。第一次世界大戦以後は南アフリカ連邦が委任統治を足がかりに国際法上違法な併合を行った。その後、1990年に独立を達成している。南アフリカ共和国の統治時代には人種隔離政策が行われ、バントゥースタン(ホームランド)が置かれた。
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国名 [編集]
英語による正式名称は、Republic of Namibia(リパブリク・オヴ・ナミビア)。通称、Namibia 。
アフリカーンス語表記は、Republiek van Namibië(レプブリーク・ファン・ナミビエ)。通称、Namibië 。
ドイツ語表記は、Republik Namibia(レプブリーク・ナミビア)。通称、Namibia 。
日本語の表記は、ナミビア共和国。通称、ナミビア。
ナミビアという国名は、同国内にある世界最古の砂漠と言われているナミブ砂漠にちなんでつけられた。「ナミブ」は主要民族であるサン人の言葉で、「何もない」という意味である。
歴史 [編集]
詳細は「ナミビアの歴史」を参照
古代 [編集]
現在のナミビアの領域には元々はコイサン族(コイコイ人 - ナマ族、サン人など)が居住していたようである。
バントゥー民族の拡大 [編集]
詳細は「:en:Bantu expansion」を参照
14世紀にはバントゥー系諸民族の拡大にともない、バントゥー族が支配するようになっていた。16~17世紀にヘレロ族・ダマラ族・オカバンゴ族が定着した。
植民地時代 [編集]
1840年にイギリスがケープ植民地との往来のためにウォルビスベイ一帯の領有を開始したが、その他の地域には支配は及ばなかった。1884年にはドイツ帝国がウォルビスベイ以外の地域について、ドイツ人商人が現地首長から購入した土地を足がかりにドイツ領南西アフリカとして保護領化を宣言した(ドイツ植民地帝国)。 1910年にはイギリスがウォルビスベイ一帯をドイツに奪われることを防ぐため成立した南アフリカ連邦(1961年から南アフリカ共和国)の一部としている。 第一次世界大戦中の1914年にドイツはウォルビスベイ一帯を占領する。
南アフリカ委任統治領 [編集]
翌1915年には南アフリカ連邦が南西アフリカ全体を再占領し、南アの委任統治領となる。戦後、国際連盟によって南西アフリカは南アの委任統治領とされた。このとき、ウォルビスベイも南西アフリカの一部とされた。
その後第二次世界大戦までは南アの委任統治が行われるが、戦後の1946年に南アは国際連盟が解散したのに乗じ、委任統治をさせていた国際連盟がなくなったことから、委任統治の終了と併合を宣言した。しかし、国際的には認められず、国際法上不法占領にあたる、とみなされた。 1958年に南西アフリカ人民機構(SWAPO)が形成され、南アフリカへの圧力となった。 1960年の国連総会で、南アの委任統治終了と信託統治領に移行させるとした決議が可決されるが、南アは決議を拒否し実効支配が継続。
ナミビア独立戦争 [編集]
1966年に南ア本国と同様にバントゥースタンを設置し、アパルトヘイト政策を行った。脱植民地化時代におけるこの露骨に人種主義的な政策は、国際的な非難とそれに伴う南アへの経済制裁やナミビア国内での独立運動の高揚を招いた。1966年には南西アフリカ人民機構(SWAPO)の武装蜂起によってナミビア独立戦争(1966年-1990年)が始まった。1968年には国連総会が、南西アフリカからナミビアと改称した上で、国連ナミビア委員会の統治下におく旨を決議。1973年、国連がSWAPOを承認。1975年にポルトガル領だったアンゴラが独立し、アンゴラ内戦が勃発すると、ナミビアはアンゴラに介入する南アフリカ国防軍の拠点となり、ナミビアとアンゴラの国境付近では南アフリカ国防軍とアンゴラ軍やキューバ軍との対峙が続いた。
1982年にアメリカ合衆国のロナルド・レーガン大統領と南アフリカ政府はキューバ軍のアンゴラからの撤退とナミビアの独立を交換条件とするリンケージ政策を打ち出していた[3]。 1988年2月のクイト・クアナヴァレの戦いでアンゴラ=キューバ=SWAPO連合軍に南アフリカ軍の攻勢が阻止されると、南アフリカはアンゴラからの撤退を表明した。南アフリカの撤退とキューバの疲弊は全紛争当事者へのこのリンケージ政策の履行を可能にした。 1988年12月22日のニューヨーク協定でリンケージ政策は関係各国に承認された。
独立 [編集]
1989年、国連監視下でナミビアでは選挙が行われSWAPOが過半数を制した。1990年3月に制憲議会で憲法を制定した後独立を達成した。初代大統領にはSWAPO議長のサム・ヌジョマが就任した。1994年には、南アが1977年に併合し南ア領として支配していた港町ウォルビスベイ一帯も返還された。
政治 [編集]
ナミビアは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1990年3月21日に施行されたもの。
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相と閣僚は、国民議会議員の中から大統領が任命する。
議会は両院制で、上院に相当する国民評議会と、下院に相当する国民議会により構成される。国民評議会は定数26議席で、全13州から各2名ずつの州代表が、州議会による間接選挙により選出される。任期は6年。国民議会は定数78議席で、うち72議席は比例代表制に基づき国民が選出し、残りは大統領が任命する。任期は5年。
ナミビアは複数政党制を導入しているが、1990年の独立以来、南西アフリカ人民機構(SWAPO)が一貫して政権を担い続けている。主な野党は民主主義者会議(CD)、民主ターンハーレ同盟(DTA)である。
「ナミビアの政党」も参照
最高司法機関は最高裁判所である。三審制であり、最高裁の下に高等裁判所、地方裁判所を設置している。
軍事 [編集]
詳細は「ナミビア軍」を参照
総兵力は9200人。志願制。陸軍、海軍、空軍からなる。軍事予算は1億6000万ドル(2005年)。
地理 [編集]
ナミビアの海岸線沿いには、世界で最も古いといわれるナミブ砂漠があり、天然の良港ウォルビスベイがある。内陸は高原となっていて、北部にはアフリカ最大の塩湖であるエトーシャ塩湖、北東部には長さ450kmのカプリビ回廊がある。南にはオレンジ川がある。最高地点はナミブ砂漠北部のブランドバーグ山 (標高2606m) である。白亜紀の大陸分裂に伴うマグマ噴出で出来た花崗岩の貫入山塊である。
ナミビアは年間300日が晴天で、6月~8月の冬期は乾燥し、9月~11月が小雨季、2月~4月が大雨季である。降水量は場所により様々で旱魃も多い。海岸の気候は北上するベンゲラ海流の影響が大きく、乾燥と低温をもたらし、濃霧を発生する。
地方行政区分 [編集]
詳細は「ナミビアの行政区画」を参照
ナミビアには、13の州がある。
経済 [編集]
牧畜や、ダイヤモンド、ウラン、亜鉛などの鉱業が主。経済的には南アフリカへの依存度が高い。人口の少なさ、鉱物資源の豊富さ、整備されたインフラによって、アフリカでは比較的豊かな国であるが、貧富の差が激しい。
交通 [編集]
住民 [編集]
民族 [編集]
オバンボ族(約50%)、カバンゴ族(9%)、ダマラ族(7%)、ヘレロ族(7%)、ドイツ系、オランダ系の子孫であるアフリカーナーなどのナミビア白人(6%)、ナマ族(5%)、カラード(4%)、その他(12%)となっている。ヒンバ族、コイサン族(コイコイ人 - ナマ族、サン人)
言語 [編集]
詳細は「ナミビアの言語」を参照
唯一の公用語は英語であるものの、日常生活で使う人の割合はあまり高くなく、第一言語話者は人口の1%未満であり、主に第二言語として政府や中等・高等教育などで使用される。
1990年の独立以前までは公用語はアフリカーンス語とドイツ語の2つであったが、独立時に多言語化による負担を減らすことと植民地支配やアパルトヘイトのイメージを払拭するためにアフリカーンス語とドイツ語が公用語でなくなり、国連やイギリス・アメリカの後押しもあり、代わりに英語が唯一の公用語となった。政府は南アフリカ同様にアフリカーンス語を排除し、英語化を推し進めているものの、ナミビアでは南アフリカから返還されたウォルビスベイを除き、イギリスの植民地支配を経験しておらず、英語が浸透していなかったことと、1980年代までは中等教育以上ではほぼ全土でアフリカーンス語が教授言語であった[4]ことから、実際に共通語としてアフリカーンス語の地位が既に確立されていた。そのため、現在でも英語よりもアフリカーンス語の方が一般的に広く使用され各民族間の共通語となっている。
全人口の6.4%を占める白人(ヨーロッパ系)の60%がアフリカーンス語を、32%がドイツ語を、7%が英語、1%がポルトガル語を使用しており、地名などもドイツ語とアフリカーンス語の影響が強い。ドイツ植民地時代から90年経った現在でもドイツとの結びつきが強く、ドイツ語は商業言語として大きな地位を占めており、ドイツ系住民のためにドイツ語での教育も行われている。
バントゥー語群に属すオバンボ語(英: Oshiwambo)は全人口のおよそ半数の第一言語である。オバンボ語には、クワニャマ方言・ンドンガ方言・クワンビ方言等の方言がある。
その他の言語としては、コイコイ語、ヘレロ語、クワンガリ語などが話されており、近年は北部を中心にポルトガル語も急速に広まっている。
宗教 [編集]
キリスト教が8割から9割で、それ以外は現地固有の宗教である。
教育 [編集]
2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は85%(男性:86.8% 女性:83.5%)である[5]。初等教育では各民族語によりなされるが、中等・高等教育では英語が教授言語となっている。
保健 [編集]
HIVが蔓延し国民の健康を脅かす重大な脅威となっている。国民の約7人に1人がAIDS患者であり、HIV無症候性キャリアはそれ以上と推定されている。
文化 [編集]
祝祭日 [編集]
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1月1日 | 元日 | ||
| 3月21日 | 独立記念日 | ||
| 移動祝日 | 聖金曜日 | 3月 - 4月 | |
| 移動祝日 | 復活祭月曜日 | 3月 - 4月 | |
| 5月1日 | メーデー | ||
| 5月4日 | カシンガの日 | ||
| 移動祝日 | 主の昇天 | 復活祭の40日後 | |
| 5月25日 | アフリカの日 | ||
| 8月26日 | 英雄記念日 | ||
| 12月10日 | 人権の日 | ||
| 12月25日 | クリスマス | ||
| 12月26日 | ボクシングデー |
スポーツ [編集]
隣国の南アフリカ同様ラグビーが盛ん。ラグビーのナミビア代表はラグビーワールドカップに2度の出場経験があるが、いずれも予選プールで敗退している。
参考文献 [編集]
脚注 [編集]
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - ナミビア (日本語)
- 観光
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