ナミビア

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ナミビア共和国
Republic of Namibia
Republiek van Namibië
Republik Namibia
ナミビアの国旗 File:Coats of arms of None.svg
国旗 (国章)
国の標語 : Unity, Liberty, Justice
(英語: 統一、自由、正義)
国歌 : Namibia, Land of the Brave
ナミビアの位置
公用語 英語アフリカーンス語
首都 ウィントフック
最大の都市 ウィントフック
政府
大統領 ヒフィケプニェ・ポハンバ
首相 ナハス・アングラ
面積
総計 825,418km²33位
水面積率 極僅か
人口
総計(2008年 2,171,000人(143位
人口密度 2人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 696億[1]ナミビア・ドル (N$)
GDPMER
合計(2008年 84億[1]ドル(125位
GDPPPP
合計(2008年 134億[1]ドル(118位
1人当り 6,577[1]ドル
独立
 - 日付
南アフリカ共和国より
1990年3月21日
通貨 ナミビア・ドル (N$)(NAD
時間帯 UTC +2(DST: なし)
ccTLD NA
国際電話番号 264

ナミビア共和国(ナミビアきょうわこく)、通称ナミビアは、アフリカ南西部に位置する共和制国家。北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し[2]、西は大西洋に面する。首都ウィントフック

当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ第一次世界大戦以後は南アフリカ連邦委任統治を足がかりに国際法違法併合を行った。その後、1990年に独立を達成している。南アフリカ共和国の統治時代には人種隔離政策が行われ、バントゥースタン(ホームランド)が置かれた。

目次

[編集] 国名

英語による正式名称は、Republic of Namibia(リパブリック・オヴ・ナミビア)。通称、Namibia

アフリカーンス語表記は、Republiek van Namibië(レプブリーク・ファン・ナミビエ)。通称、Namibië

独語表記は、Republik Namibia(レプブリーク・ナミビア)。通称、Namibia

日本語の表記は、ナミビア共和国。通称、ナミビア

ナミビアという国名は、同国内にある世界最古の砂漠と言われているナミブ砂漠にちなんでつけられた。「ナミブ」は主要民族であるサン人の言葉で、「何もない」という意味である。

[編集] 歴史

現在のナミビアの領域には元々はサン人などが居住していたようであるが、14世紀にはバントゥー族の拡大にともない、バントゥー族が支配するようになっていた。

その後、19世紀に入ると1840年にイギリスがケープ植民地との往来のためにウォルビスベイ一帯の領有を開始したが、その他の地域には支配は及ばなかった。1884年にはドイツがウォルビスベイ以外の地域について、ドイツ人商人が現地首長から購入した土地を足がかりに南西アフリカとして保護領化を宣言した。1910年にはイギリスがウォルビスベイ一帯をドイツに奪われることを防ぐため成立した南アフリカ連邦1961年から南アフリカ共和国)の一部としている。

第一次世界大戦中の1914年にドイツはウォルビスベイ一帯を占領する。しかし、翌15年には南アフリカ連邦(1961年から南アフリカ共和国)が南西アフリカ全体を再占領した。戦後、国際連盟によって南西アフリカは南アの委任統治領とされた。このとき、ウォルビスベイも南西アフリカの一部とされた。

その後第二次世界大戦までは南アの委任統治が行われるが、南アは、戦後に国際連盟が解散したのに乗じ、委任統治をさせていた国際連盟がなくなったのだからもはや委任統治も終了している、と主張して国際連合信託統治領に移行させるとした決議を拒否し、併合を宣言した。しかし、国際的には認められず、国際法上不法占領にあたる、とみなされた。

しかし、南アはこれを無視して実効支配を続け、南ア本国と同様のアパルトヘイトを行った。しかし、国際的な非難・南アへの経済制裁やナミビア国内の独立運動の高まりにより、ついに1990年に独立を達成し、今に至っている。なお、ウォルビスベイ一帯は1977年に南アが自国に併合していたため、1994年に返還されるまで南アが自国領として支配していた。

[編集] 年表

[編集] 政治

ナミビアは共和制大統領制をとる立憲国家である。現行憲法1990年3月21日に施行されたもの。

国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相閣僚は、国民議会議員の中から大統領が任命する。

議会は両院制で、上院に相当する国民評議会と、下院に相当する国民議会により構成される。国民評議会は定数26議席で、全13州から各2名ずつの州代表が、州議会による間接選挙により選出される。任期は6年。国民議会は定数78議席で、うち72議席は比例代表制に基づき国民が選出し、残りは大統領が任命する。任期は5年。

ナミビアは複数政党制を導入しているが、1990年の独立以来、南西アフリカ人民機構(SWAPO)が一貫して政権を担い続けている。主な野党は民主主義者会議(CD)、民主ターンハーレ同盟(DTA)である。

最高司法機関は最高裁判所である。三審制であり、最高裁の下に高等裁判所、地方裁判所を設置している。

[編集] 地方行政区分

詳細は「ナミビアの行政区画」を参照

ナミビアの地方行政区分の地図

ナミビアには、13の州がある。

  1. カプリビ州
  2. エロンゴ州
  3. ハルダプ州
  4. カラス州
  5. カバンゴ州
  6. ホマス州
  7. クネネ州
  8. オハングウェナ州
  9. オマヘケ州
  10. オムサティ州
  11. オシャナ州
  12. オシコト州
  13. オチョソンデュパ州


[編集] 地理

ナミビアの地図

ナミビアの海岸線沿いには、世界で最も古いといわれるナミブ砂漠があり、天然の良港ウォルビスベイがある。内陸は高原となっていて、北部にはアフリカ最大の塩湖であるエトーシャ塩湖、北東部には長さ450kmのカプリビ回廊がある。南にはオレンジ川がある。

[編集] 経済

牧畜や、ダイヤモンドウラン亜鉛などの鉱業が主。経済的には南アフリカへの依存度が高い。人口の少なさ、鉱物資源の豊富さ、整備されたインフラによって、アフリカでは豊かな国であるが、貧富の差が激しい。

[編集] 交通

ナミビア航空が近隣諸国やヨーロッパ諸国との間を結んでいる。

[編集] 国民

ヒンバ族の若い女性。赤銅色化粧および虫除けとして塗られたもの。

[編集] 住民

オバンボ族が約50%、カバンゴ族が9%、ダマラ族が7%、ヘレロ族が7%、その他白人(ドイツ系オランダ系の子孫であるアフリカーナーなど)が6%などとなっている。

[編集] 言語

公用語が英語となっているが、日常生活で使う人の割合はあまり高くない。白人(ヨーロッパ系)の60%はアフリカーンス語を話し、30%がドイツ語、残りが英語を話している。それ以外の人々はそれぞれの部族の言葉を主に話している。1990年まではアフリカーンス語、ドイツ語も公用語のひとつだった。

[編集] 宗教

キリスト教が8割から9割で、それ以外は現地固有の宗教である。

[編集] 教育

2001年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は85%(男性:86.8% 女性:83.5%)である[3]

[編集] 保健

HIVが蔓延し国民の健康を脅かす重大な脅威となっている。国民の約7人に1人がAIDS患者であり、HIVキャリアはそれ以上と推定されている。

[編集] 文化

[編集] 祝祭日

祝日が日曜日の場合は翌日が振替休日となる。
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
3月21日 独立記念日
移動祝日 聖金曜日 3月 - 4月
移動祝日 復活祭月曜日 3月 - 4月
5月1日 メーデー
5月4日 カシンガの日
移動祝日 主の昇天 復活祭の40日後
5月25日 アフリカの日
8月26日 英雄記念日
12月10日 人権の日
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシングデー

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 地図を一見するとジンバブエとも接しているように見えるが、両国間はザンビアボツワナを挟んで、僅かに離れている
  3. ^ https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/wa.html 2009年4月2日閲覧

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 参考文献

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[編集] 外部リンク

政府
日本政府
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