化粧

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メイク

化粧(けしょう)は、

  1. 人間の顔や体に、白粉や口紅などの化粧品をつけて美しく見せること。“祭礼”などの儀式の化粧や舞台用の化粧もある。メイクアップ(メイク)、メーキャップともいう。なお、化粧をしていない状態(ノーメイク)ことはすっぴんと呼ぶ場合がある。
  2. 建造物・工作物・道具・器具・機器などの内外の表面を、ある目的をもって仕上げること。
  3. 虚構・脚色・虚飾などの上辺(うわべ)のこと。

古代[編集]

口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。また、紀元前1200年代頃のエジプトでは、人々が目や唇に化粧をしている絵画も見つかっている。ツタンカーメンの黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインをしていることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石であるラピスラズリであり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。これには病気を媒介するを近づけない虫除けの意味もあった。また、黄色の顔料を肌に塗って日焼け止めにしたり、香油で乾燥した皮膚をやわらかくするなど、砂漠地帯ならではの化粧も行われていた。これらの化粧は時代が下るにつれて神官などの特権階級のシンボルとなっていった。現在でも中近東地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。

特権階級となった王族や神官たちは「白い肌は肉体労働をしていない証拠」と鉛白を使って肌を白く塗り始めた。この風習はの有毒性を知られてもなお続き、18世紀まで続いた。

古代ギリシャでは『日ごろの鍛錬こそが美しさにつながる』と肉体的な美しさを求めた為、化粧はあまりなされなかったが、古代ローマでは生活(特に食生活と運動)の不摂生を隠す為と、アレクサンドロス3世(大王)の東征によりオリエントの文化が流入した為、鉛白などを使った化粧が上流階級で行われた。また、古代ギリシャのガレノスは現在のコールドクリームの原型を作ったとされる。その後、ヨーロッパでの化粧文化はキリスト教の『神が作った物に手を加えてはならない』という教えと『虚飾』の罪の概念により一時廃れることになる。

中世ヨーロッパ[編集]

キリスト教の影響で公然と化粧をすることが出来なくなってもなお、特権階級の人々は肌を白く見せる為の努力をした。ビールで顔を洗ったり、眉を剃って細くし額の髪の生え際を剃って髪を結い上げることで顔の白さを強調したり、極端な場合は瀉血をして人為的に貧血になることで肌を白く見せようとした。時代は下り、宗教革命の影響で教会の権力が弱くなった中世ヨーロッパでは、顔に蜜蝋を塗り、その上に白粉を叩くという化粧方法が流行した。この化粧のはじまりはイギリスの女王エリザベス1世とされ、戴冠式などの教会の儀式で聖性を高める目的で行われ、また、貴族達もそれに倣うようになった。この化粧の問題点は蝋が溶け、化粧が崩れるのを避けるために、冬や寒い日でも暖房に近づくことができなかったことである。当時の白粉は鉛白などが含まれていたために皮膚にシミができやすかったとされる(鉛中毒)。これをごまかすために「つけぼくろ」が一時期貴族の間で流行した。16世紀には水銀を使った白粉が登場し、肌の皮膚がボロボロとはがれて吹き出物が取れる事から持てはやされたが、水銀中毒により歯茎が黒ずんで歯が抜ける副作用があり、口元を隠す為に扇子が流行した。再び化粧が流行した背景にはヨーロッパとイスラーム社会の争いがある。当時のイスラームは科学技術が発達していた上に裕福で、十字軍は遠征先から香水香油をヨーロッパに持ち帰ってきた。また、イスラームから天然痘を持ち込んでしまい、その後遺症である『あばた顔』を隠す為に白粉を厚く塗ることがはやり始めた。

近代ヨーロッパ[編集]

18世紀は再び自然志向が強まり、薄い化粧が流行した。19世紀には上流階級の女性の間で病弱で痩せた体が持てはやされ、食事を抜き夜更かしをした上で静脈を強調する青い化粧や、黄疸に見せかける黄色い化粧が流行した時期が有った。また、科学者や医薬品メーカーが化粧品開発に関わるようになり、化粧が安価に出来るようになった。但し、フランス革命などの一連の市民革命の結果特権階級が衰退したのに伴い男性の化粧の風習は廃れ、第二次世界大戦後にはほぼ完全に姿を消した。1899年には人体に無毒な酸化亜鉛を使った白粉が開発された。

日本[編集]

前近代[編集]

古代の日本人は赤い塗料で体に模様を書いていた。日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていた。平安時代には男性もお歯黒をすることがあったが、江戸時代にはお歯黒は既婚女性の習慣となった。口紅は紅花を原料にしたものが使われていたが、極めて高価な品とされていた。また、江戸時代にはメタリックグリーンのツヤを持った口紅「笹色紅」が江戸京都などの都会の女性に流行した。日本の白粉は液状の水白粉であり、西洋と同じく主な成分に水銀を含んでいた。長期的な使用者には鉛中毒や水銀中毒による肌の変色(白粉焼け)が多くみられたといわれている。

男性も、公家が古代より白粉などで化粧をする習慣が存在し幕末まで続いた。武家もやはり公家に習い公の席では白粉を塗っていたが、江戸時代中期には、化粧をして公の席へ出る習慣は廃れた。ただし、公家と応対することが多い高家の人達は、公家と同様に幕末まで化粧をする習慣を保持していたほか、一般の上級武士も、主君と対面する際、くすんだ顔色を修整するために薄化粧をすることがあったという。

江戸時代に入り、上流階級だけではなく庶民も化粧をするようになり、世界で初めて庶民向けの化粧品店が開かれた。江戸時代の女性の化粧は、肌に塗るのは白粉のみで、これを濃淡をつけて塗ることで、質感の違いや顔の微妙な立体感を生み出した。水白粉や粉白粉を刷毛で肌に伸ばし、丹念に丸い刷毛ではたき込み、さらに余分の白粉は別の刷毛で拭って落とすという手間のかかるものであった。口紅は唇の中心につけるだけで、おちょぼ口に見せた。こうした化粧の伝統は、大正時代に至るまで根強く残った。結納のすんだ女性にはお歯黒、子が生まれた女性には引眉が行われる風習があった。和服はうなじが広く出るので、襟元に白粉を塗ることも重視された

近代[編集]

1870年(明治3年)、政府は皇族・華族に対しお歯黒・引眉禁止令を出す。当初はなかなか徹底されず、3年後皇后が率先して模範を示すことで、ようやく華族の女性たちもお歯黒・引眉をやめることになった。これが庶民にも徐々に波及し、引眉の風習は明治初期には廃れた。しかし、お歯黒の習慣は大正時代まで根強く残った。高齢の女性の中には、昭和に至るまでお歯黒を守り続けた人もいた。一方、男性の化粧は富国強兵のスローガンの下で「化粧をする男性は軟弱だ」と言われ、廃れていった。

明治時代には、鉛白粉の害が論じられ、1900年には国産の無鉛白粉が発売された。しかし、鉛白粉は伸びや付きに優れたものだったので、害があることが知られていたにもかかわらず、昭和初期まで使われ続けた。

大正時代には、和風の化粧をベースに、西洋の頬紅を使ったり耳元に紅を入れるなどの和洋折衷の化粧が流行った。白だけだった白粉も、ベージュや赤みを帯びたものも使われるようになった。

本格的に西洋風の化粧が行われたのは、関東大震災後のことだった。モダンガール(モガ)と言われた一部の女性たちの間に、アイシャドウや唇全体に塗った口紅といった化粧が行われ、断髪や足の出るスカートといったいでたちとともに、保守的な人々の非難の的となった。

現代[編集]

1950年代には、明るく血色が良く見える肌色が重視され、ピンク系のファンデーション、真っ赤な口紅などが流行した。アイシャドーやマスカラなどのアイメイクが導入されたのもこのころである。

1960年代から1970年代には、健康的で溌剌としたイメージを演出するため、オレンジ・イエロー系のファンデーション、ピンクベージュ系の口紅が好んで使われた。細く眉尻の上がった眉が流行した。明るい色のチーク、マスカラやアイシャドウで目元を強調する化粧が大いに流行した。

1970年代後半から1980年代には、「ナチュラルメイク」が市民権を得、個人の個性を生かして自然な顔に見せる化粧が広まっていく。天候やTPOに合わせた化粧の使い分けが定着したのもこのころである。日本人らしい顔立ちが見直され、アイメイクは控えられるようになり、太い眉毛(太眉)が流行した。

1990年前後のバブル期には、紫外線の害が広く知られるようになったことから、美白化粧品が売り出された。濃くはっきりした色の口紅を塗り、白系のファンデーションをしっかり施す化粧が流行した。

1990年代中盤に入ると「癒し系」メイクが流行し、きちんと化粧を施しつつも、素肌の質感を残すナチュラルメイクが主流になった。従来の真っ赤な口紅は廃れ、ベージュ系の口紅が好まれるようになった。1970年代ブームから、細い釣り眉やマスカラが復活した。

1990年代後半から2000年代には、ファッションの多様化が進んだ。前述の美白指向の定着により、ナチュラルな白肌メイクが多数派になっているが、濃い色のチークやファンデーションも好んで使われ、一時は「ガングロ」と言われる黒い肌の女性も現れた。また、茶髪が一般人に広まり、マニキュアネイルアートピアスも多様なデザインのものが現れている。タトゥーに関しては、以前よりも広まっているが、社会的な拒否感もあり、定着しているとは言いがたい。

目的による分類[編集]

映画の撮影にて。俳優にメイクを施すメイクアップアーティスト
舞台用
舞台で演技を行なう者は、通常より濃い化粧をする。目・眉・口などの顔のパーツ、鼻筋や頬など顔の陰影を強調し、離れた観客にも表情などが判りやすいよう工夫がされている。また歌舞伎京劇などでは「隈取」と呼ばれる独特の化粧をする。表情や感情を伝える目的というだけでなく、隈取の種類によって役どころ(二枚目・悪役・娘役など)を見分ける一助としての役割を果たしている。
テレビ用
テレビ、特にCMドラマなどでは、通常以上に顔の皮膚がアップで映るため、特にファンデーションやその下地に重点を置いた化粧がなされる。

化粧品[編集]

関連職種[編集]

関連項目[編集]