古代ローマ

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ローマの領域の変遷
紀元前510年から紀元後530年までを示した。共和政期(茶色)、帝政期初期・中期・後期の一部(薄紫色)、西ローマ帝国(青色)、東ローマ帝国(薄緑色)

古代ローマ(こだいローマ、: Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)であり、共和制成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。 ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度にさまざまな形で残り、今日まで影響を与えている。

なお、中世以降のローマ帝国は、その統治区域から東ローマ帝国と呼ばれ、古代ローマとは区別される。ただし両者は連続しており、その境界は明白でないし、自らも単にローマ帝国と名乗っていた。

目次

[編集] 時代区分

[編集] 王政期

紀元前753年(建国)から紀元前509年まで、ロムルスに始まる伝説上の七人の王が治めていた期間(伝承による)。

初期の4人の王はローマ建設時の中心となったラテン人サビニ人から選ばれているが、その後の3人の王はエトルリア人出身であるとされる。これは初期のローマにおいてエトルリア人による他民族支配を受けていたことを示すと考えられている。

[編集] 共和政期

紀元前509年から紀元前27年まで、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間。政治は元老院執政官政務官を中心として、民会などで一般ローマ市民の意思も反映されながら運営された。

[編集] 帝政期

[編集] 初期

いくつか分け方が存在する。

  1. アウグストゥスからはじまるユリウス・クラウディウス朝からフラウィウス朝までとするもの。
  2. 1. に五賢帝の時代を加えるもの。
  3. 2. セウェルス朝なども加えディオクレティアヌスの即位までを帝政初期として帝政全体を二つに分けるもの。

2. の区分が比較的多い。

[編集] 中期

セウェルス朝から始まり、軍人皇帝時代を経て、ディオクレティアヌス帝が即位するまで。

[編集] 後期

ディオクレティアヌスの即位を普通開始とする。そのまま西ローマ帝国の滅亡までを帝政後期としてくくることも多いが、テオドシウス1世の死後に帝国が東西に分裂した後は、通常は西ローマ帝国東ローマ帝国としてわける。

後期以降の時代は皇帝による専制や君主崇拝が強められ、専制君主制(ドミナートゥス)と呼ばれる。 またコンスタンティヌス1世ミラノ勅令によってキリスト教が公認され徐々にローマの支配イデオロギーの中の枢要な部分を占めるようになっていった。

[編集] 東西分離後

[編集] 西ローマ帝国

その滅亡をもって、ヨーロッパ史では古代中世との境界とする場合がある。

[編集] 東ローマ帝国

その滅亡を以って、ヨーロッパ史では中世と近世の境界とする場合がある。


[編集] 古代ローマにおける戦争・戦闘

[編集] 古代ローマ期の人物について

[編集] 古代ローマ期の文化・書籍

1501年出版のウェルギリウスの叙事詩写本

[編集] 近代以降の古代ローマ史に関する著作

ここでは特に広く知られ、二次資料としての価値が高く、評価の定まった文献のみをあげる。

  • エドワード・ギボン 『ローマ帝国衰亡史
  • テオドール・モムゼン 『ローマ史』
  • J. B. Bury, History of the later Roman Empire: from the death of Theodosius I. to the death of Justinian, (New York: Dover publications, 1958).
  • A.H.M. Jones, The later Roman Empire 284-602: a social economic and administrative survey, (Norman: University of Oklahoma Press, 1964).
  • P・ブラウン著、宮島直機訳『古代末期の世界―ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?―』刀水書  房、2002年

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目

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