美容師

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美容師 びようし、beauticianhairdresser)とは、厚生労働大臣の免許を受けてパーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくする者をいう。 ※染毛(ヘアカラー)は、美容師法第二条第一項に明示する行為に準ずる行為であるので、美容師又は理容師でなければこれを業として行ってはならない。日本における国家資格については理美容師を参照。

Category:日本の美容師も参照。

目次

[編集] 歴史

日本においては、髪結床として女性の髪結や男性の丁髷(ちょんまげ)などを結ってきたが、明治4年8月9日に発布されたいわゆる「断髪令」より「近代理容業」として生まれ変わる。1957年主に女性客のために理容師法から美容師法が独立する。現在においても美容師法は『美容とは「パーマネントウェーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすること」とされている。美容師がコールドパーマネントウェーブ等の行為に伴う美容行為の一環としてカッティングを行うことは美容の範囲に含まれる。また、女性に対するカッティングはコールドパーマネントウェーブ等の行為との関連を問わず、美容行為の範囲に含まれる。』となっており、カットを含め、化粧など女性のための業となっている。ただ、時代の流れにより実際は美容所でも男性のカットをしている店も多い。

[編集] 日本で初めての美容専門学校

日本ではじめての美容師養成の職業学校『帝國大阪美髪女学校』は1915年大阪で創立された。

[編集] ヘアカラー専門美容師の誕生

白髪人口の増大とヘアカラーファッションして楽しむ世代によってヘアカラーが普及し、ヘアカラー市場規模は1985年頃には、400億円前後であったが1990年代に入り飛躍的な成長をとげ、2000年には1000億円超える大きな規模になった。

1994年ゼネラリストであった美容師からヘアカラーのスペシャリスト、ヘアカラーリストが誕生した。それは、美容師への高度なヘアカラー技能・知識、センス、ノウハウの充実が生み出した、新たな美容師の創出である。

その歴史は浅く、NYで働いていた日本人によって1994年大阪に分業化の専門サロンが誕生し、名門ウォーレン・トリコミ、フレデリック・フェッカイ、ルイス・リカーリで活躍していたヘアカラーリストによって日本のへアカラーリスト文化がはじまったと言われている。

又、NPO法人日本ヘアカラー協会に所属するヘアカラーリストによって、全国でサロンカラーの浸透と啓蒙活動が行われている。

[編集] 美容師の資格を持った著名人

[編集] 美容師がモデルとして登場するファッション雑誌

[編集] 関連項目