アレクサンドリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アレクサンドリアの夜景
アレクサンドリアの夜景

アレクサンドリアAlexandria)は、カイロに次ぐエジプト第2の都市である。 正しい古典期ギリシア語では「アレクサンドレイア」。 現地語であるアラビア語では「アレクサンドロス(アラビア語でイスカンダル)の町」を意味するアル=イスカンダリーヤالاسكندرية al-Iskandarīya)という。マケドニアアレクサンドロス大王が、その遠征行の途上で、オリエントの各地に自分の名を付けて建設したギリシア風の都市の第1号である。

地中海の花嫁」とも呼ばれる港町アレクサンドリアでは、街中に英語の看板も多く、大きなサッカー場もある。歴史的経緯から多くの文化的な要素を合わせ持ち、独特かつ開放的でコスモポリタン、そこはかとない欧米的な雰囲気が漂う国際観光・商業都市である。国際機関も置かれ、世界保健機関東地中海方面本部がある。

アレクサンドリア
アレクサンドリア


目次

[編集] 歴史

エジプトのアレクサンドリア(アレクサンドレイア)は紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だったプトレマイオス1世がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。

古代のアレクサンドリアは世界の七不思議の一つに数えられる巨大なファロス島の大灯台(現カーイト・ベイの要塞)や、各地から詩人学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学歴史地理学数学天文学医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館があり、ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄えた。『幾何学原論』で知られる数学者のエウクレイデスや、地球の大きさを正確にはかったアレクサンドリア図書館長エラトステネスなどが活躍した。

1世紀には世界最大のディアスポラを擁し、哲学者フィロンらが活躍した。またキリスト教の初期から重要な拠点となり、古代神学の中心地のひとつともなった。ローマコンスタンティノポリスアンティオキアエルサレムとともに総主教座が置かれ、キリスト教の五本山の1つとなった。

4世紀以降は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)により支配される。この時期、アレクサンドリア学派と呼ばれる神学者たちが活躍した。641年にはアラブ人により陥落させられ、イスラム世界に組み込まれた。アラブ時代には当初東ローマ帝国から切り離されたために経済的に沈滞したが、学芸の都として性格は残りつづけ、アラビア科学揺籃の地のひとつとなった。

やがて紅海からカイロを経てアレクサンドリアにもたらされたインドの香辛料を求めてヴェネツィアなどイタリア半島の諸都市から商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀にヨーロッパ諸国がアフリカ回りのインド洋航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、19世紀ムハンマド・アリーの近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで綿花が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市としてみたび繁栄を始める。

現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や経済の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。

[編集] 地理

アレクサンドリアの衛星写真
アレクサンドリアの衛星写真

エジプト北部、ナイル川デルタの北西端に位置する。

[編集] 建築

  • グレコ・ローマン博物館 - 紀元前4世紀のアレクサンドロス大王以降、プトレマイオス朝を経て7世紀アラブ進入までの時期の美術を展示している。
  • アブールアッバース・モスク - アレクサンドリアで最も有名なモスクである。
  • カーイト・ベイの要塞 - マムルーク朝のカーイト・ベイが建造した要塞である。世界の七不思議の一つに数えられた、巨大なファロス島の大灯台があった所である。

[編集] 姉妹都市

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ