クラクフ

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クラクフ (Kraków)
Collage of views of Cracow.PNG
上: 織物取引所と中央広場
Krakow Flag.png Krakow Herb.png
位置
ポーランドおける位置の位置図
ポーランドおける位置
座標 : 北緯50度04分 東経19度57分 / 北緯50.067度 東経19.95度 / 50.067; 19.95
歴史
成立日 1257年6月5日
市長 ヤツェック・マイフロフスキ (Jacek Majchrowski)
地理
面積  
  域 326.8km2(126.3mi2
標高 219m
人口
人口 (2006現在)
  市域 756,757人
    人口密度   2,314.2人/km2(5,993.9人/mi2
その他
等時帯 CETUTC+1
夏時間 CESTUTC+2
郵便番号 30-024 〜 31-962
市外局番 012
ナンバープレート KR
公式ウェブサイト : http://www.krakow.pl/
世界遺産 クラクフ歴史地区
ポーランド
クラクフ、フロリアンスカ通り
クラクフ、フロリアンスカ通り
英名 Historic Centre of Kraków
仏名 Vieille ville de Cracovie
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産(4)
登録年 1978年
公式サイト ユネスコ本部(英語)
使用方法表示

クラクフKraków(Pl-Kraków.ogg 'krakufヘルプ / リンク), Krakau クラカウ)はポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。ポーランドで最も歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都であった。ポーランドの工業文化の主要な中心地でもある。ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心としてヴィスワ川両岸に広がっている。人口は約75万で、これはワルシャワウッチに続く第3の規模である。

目次

[編集] 歴史

クラクフの歴史は、ポーランド王国の成立以前にまでさかのぼり、伝承によれば8世紀には成立していたと推測される。10世紀にはイベリアウマイヤ朝イスラム帝国ユダヤ人記録家イブン・ヤクブがこの地方を訪れ、ボヘミアの版図にある交易都市としてクラクフに言及している。その後正式にクラクフにおけるポーランド王国(ピアスト朝)の主権が確立し、首都機能がポズナンからクラクフに移ってからはポーランド最大の都市として発展していったが、13世紀モンゴルの襲撃でいったん破壊された。しかし復興は順調に進み、14世紀よりクラクフは最盛期を迎え、1364年カジミェシュ3世によってヤギェウォ大学(クラクフ大学 - コペルニクスが大学生として通った大学として知られる。ポーランド最古の大学)が創設され、それからも織物取引所、聖マリア教会などが建てられていった。西欧での迫害を逃れてやってきた何万人ものユダヤ人が喜んで受け入れられた。しかし、16世紀より徐々に王国の中心はワルシャワへと移行していき、17世紀初頭には正式に都がクラクフからワルシャワへと遷された。

16世紀後半にヤギェウォ朝が断絶すると、ポーランドでは貴族らによって運営される身分制議会(セイム)の勢力が強まり、王権の弱体化が進んだ。そうした中、17世紀前半の三十年戦争18世紀前半の大北方戦争に巻き込まれ国土は荒廃し、クラクフもこの混乱に巻き込まれた。18世紀後半には3度のポーランド分割によって国家自体が消滅し、クラクフはオーストリアガリツィアへと組み込まれることになった。

1815年ウィーン議定書で、クラクフは自治共和国の地位を認められた(クラクフ共和国)。しかし、オーストリアによる干渉は強まる一方であり、1846年2月にクラクフ市民が反オーストリア蜂起を起こした(クラクフ蜂起)。蜂起は鎮圧され、共和国はオーストリアに併合されクラクフ大公国となり自治特権は失われるが、この蜂起は2年後に起こる1848年革命の先駆的運動とも評価される。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ポーランド文化振興の中心地として重要な役割を果たした。第一次世界大戦を経てポーランドが独立を果たし、ポーランド領となった。第二次世界大戦に際してドイツ軍の占領を受けた。ポーランド総督に任命されたハンス・フランクはクラクフのヴァヴェル城からポーランド総督府の統治にあたった。1945年に代わってソ連軍が支配下においた。

現在でも街のカジミェシュ地区に多くのシナゴーグがみられるように、中世よりユダヤ人コミュニティーが存在した。14世紀のカジミェシュ大王は最も積極的にユダヤ人を受け入れ、当時はヴィスワ川の中洲だった、河川を利用した運送に適した広い土地を彼らの自治都市として提供した。このカジミェシュ地区はゲットーとは異なり、ユダヤ人が閉じ込められたわけではなく基本的にユダヤ人であってもクラクフではどこでも自由に住むことができたが、ユダヤ人たち自身による行政の自治権が与えられたのがこの地区だということである(第二次世界大戦でドイツによる占領政策が行われるまで、ポーランドにはゲットーというものが存在しなかった)。後にユダヤ人たちが豊かになるにつれて自治区は対岸にも広がっていった。第二次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツにより、カジミェシュ地区から見てヴィスワ川対岸にあるポドグジェ地区にクラクフ・ゲットーが創設された。オスカー・シンドラー(映画「シンドラーのリスト」の題材となった人物)が経営していた工場は、カジミェシュ地区の南東にあり、クラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていた(工場は現在も現存)。工場のユダヤ人労働者が強制収容所に連行されようという時、彼らを連れ戻してモラヴィア地方のブルニェネツにある工場へと送った。現代のカジミェシュ地区では毎年7月初旬に大規模なユダヤ文化祭り「シャローム」が開催され[1]アメリカイスラエルなど、ポーランドから移住していったユダヤ教徒もやってきて様々な催しを繰り広げ、ユダヤ教徒もキリスト教徒もみな集まって歌ったり踊ったり食べたり飲んだりと、和気あいあいの賑わいとなる。このシャローム祭りの期間にこのカジミェシュ地区のシェロカ通りで行われるユダヤ音楽祭りは、世界最大のユダヤ音楽祭。

[編集] 地理

近隣の都市としては、約70キロ西にカトヴィツェ、100キロ北東にキエルツェ、75キロ東にタルヌフ、85キロ南にザコパネが位置している。

[編集] 気候

クラクフの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 ℃ (°F) 15.7
(60.3)
21.0
(69.8)
25.2
(77.4)
29.6
(85.3)
33.3
(91.9)
35.5
(95.9)
36.1
(97)
36.7
(98.1)
33.1
(91.6)
27.7
(81.9)
21.2
(70.2)
18.9
(66)
36.7
(98.1)
平均最高気温 ℃ (°F) 1.1
(34)
1.5
(34.7)
8.1
(46.6)
13.7
(56.7)
19.8
(67.6)
22.1
(71.8)
24.2
(75.6)
23.9
(75)
19.2
(66.6)
13.6
(56.5)
5.0
(41)
2.9
(37.2)
12.9
(55.2)
日平均気温 ℃ (°F) -2.1
(28.2)
-1.8
(28.8)
3.8
(38.8)
9.6
(49.3)
14.1
(57.4)
18.0
(64.4)
19.6
(67.3)
19.3
(66.7)
14.7
(58.5)
9.2
(48.6)
2.6
(36.7)
0.0
(32)
8.9
(48)
平均最低気温 ℃ (°F) -5.3
(22.5)
-5.1
(22.8)
-0.5
(31.1)
5.5
(41.9)
9.0
(48.2)
13.8
(56.8)
15.0
(59)
14.7
(58.5)
10.2
(50.4)
4.8
(40.6)
0.2
(32.4)
-2.9
(26.8)
5.0
(41)
最低気温記録 ℃ (°F) -29.9
(-21.8)
-29.4
(-20.9)
-22.8
(-9)
-9.4
(15.1)
-2.7
(27.1)
0.6
(33.1)
4.3
(39.7)
2.0
(35.6)
-4.1
(24.6)
-7.9
(17.8)
-17.7
(0.1)
-25.5
(-13.9)
-29.9
(-21.8)
降水量 mm (inches) 34
(1.34)
34
(1.34)
35
(1.38)
42
(1.65)
56
(2.2)
84
(3.31)
90
(3.54)
82
(3.23)
55
(2.17)
44
(1.73)
41
(1.61)
34
(1.34)
631
(24.84)
湿度 82 82 77 68 63 69 71 74 75 79 83 86 76
平均降水日数 15 12 13 9 11 12 13 13 11 12 14 12 147
日照時間 43 54 102 144 189 204 208 183 153 105 51 33 1,469
出典 #1: www.imigw.pl {{{accessdate1}}}
出典 #2: http://www.stat.gov.pl/cps/rde/xchg/gus {{{accessdate2}}}


[編集] 文化

ダ・ヴィンチ
『白テンを抱く貴婦人』
ヴァヴェル城中庭
織物取引所と中央広場
聖マリア教会

クラクフはポーランド文化の中心地であるといわれる。また第二次世界大戦であまり被害を受けなかったこともあり、世界遺産に登録されている旧市街には、歴史的な建造物が多く残っている。なかでも旧王宮であるヴァヴェル城聖マリア教会、織物会館などは有名で、観光客にも人気がある。築700年程度のアパートが代々手入れされて現代でもそのままアパートとして使われていることがある。

またクラクフには国立美術館を筆頭に、各種博物館や美術館など数多くの文化施設が存在する。レオナルド・ダ・ヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」があるチャルトリスキ美術館や、日本の美術品や骨董品の収集家であったフェリクス・"マンガ"・ヤシェンスの7,0000点におよぶ日本美術コレクションが展示されている「日本美術・技術センター“マンガ”館」(館名の「マンガ」の由来は葛飾北斎北斎漫画で、建物の設計は磯崎新)、ポーランドの国民的画家ヤン・マテイコらの作品がある国立美術館が特に有名である。

中世、タタール軍の襲撃に逢った際、ラッパ吹きが危険を周知させるためラッパを吹いている最中に矢で射殺されたという言い伝えがある。それに倣い、広場にある聖マリア教会の塔の上からは、一時間おきにラッパが吹き鳴らされ、演奏中に突如途絶する。

[編集] スポーツ

[編集] 世界遺産登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。

  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

[編集] 交通機関

空港

クラクフ西方の郊外に、クラクフ・バリツェ空港(ヨハネ・パウロ2世空港)がある。

鉄道・長距離バス

最も主要な鉄道駅はクラクフ中央駅であり、各種の普通列車および特急列車などで国内外の主要都市と結ばれている。鉄道駅の隣にはPKS(ポーランド国バス)のバスターミナルがあり、各種長距離バスが発着している。

市内交通

主要な公共市内交通手段はバスとトラムである。いずれも、MPKクラクフによって運営されている。2008年現在、バス・トラム共に一回券大人2.5ズウォティ

[編集] 教育機関

[編集] 主なランドマーク

[編集] クラクフに縁のある著名人

[編集] 姉妹都市

[編集] 脚注

  1. ^ http://www.fkz.pl/index.php?lang=e

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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