ザモシチ
| ザモシチ (Zamość) | |||
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| 位置 | |||
| 情報 | |||
| 県: | ルブリン県 | ||
| 緯度: | 北緯 50°43' | ||
| 経度: | 東経 23°15' | ||
| 標高: | 212m | ||
| 面積: | 30.5 km² | ||
| 人口 - 合計 - 人口密度 |
66,802 人 2,192 人/km² |
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| 郵便番号: | 22-400 ~ 22-410 | ||
| 市外局番: | 048 | ||
| 市長: | マルチン・ザモイスキ | ||
| 公式サイト: | 市公式ウェブサイト | ||
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ザモシチ旧市街のメイン・マーケットの風景
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| 英名 | Old City of Zamość | ||
| 仏名 | Vieille ville de Zamość | ||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | (4) | ||
| 登録年 | 1992年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
ザモシチ(ポーランド語: Zamość ザーモシチ)は、ポーランド南東部・ルブリン県にある都市である。ロストチェ国民公園から約20km離れた場所に位置する。「ザモシチ旧市街」は、1992年にユネスコの世界遺産に登録された。
目次 |
歴史 [編集]
ザモシチは、1580年に、ポーランド・リトアニア共和国を構成するポーランド王国の宰相(大法官)にして、陸軍の最高司令官でもあったヤン・ザモイスキが建設した町である。西ヨーロッパ・北ヨーロッパと黒海を結ぶ結節点にあり、ヨーロッパ各地にバロック建築が流行し始めた時代に、イタリア・パドゥア出身の建築家であるベルナルド・モランドが建築を指示した後期ルネサンス建築が完璧な姿で残っている。ザモシチは、町時代が大砲が使われ始めた時代を背景に、函館市の五稜郭に似た死角のない要塞都市でもあった。
2010年現在のザモシチ市長マルチン・ザモイスキは、ザモシチ最後である第16代目オルディナト(大領主)のマグナート(大貴族)で第二次世界大戦時のポーランド国内軍の戦士、のちにポーランド民主化後のセナト(上院)議員を務めた名士ヤン・ザモイスキの長男である。上記の16世紀ポーランドの名宰相かつ大将軍であったヤン・ザモイスキから数えて17代目の直系子孫、伝統あるザモイスキ本家の当主である。中東欧で最も高貴な家の一つの生まれでありながら、ワルシャワ大学とルブリンのカトリック大学で学位を取得したのち、カナダに渡り一般の出稼ぎ労働者に混じって運転手として働き、その後はワルシャワに戻ってポーランド通信社の報道撮影監督と大道具係を18年間務めたという風変わりな経歴を持つ。1990年から1992年にかけてと、2002年より現在までの2度にわたり市長職を務めている。無所属であるが、国政与党の市民プラットフォームより推薦を受けている。氏はポーランド共和国全国世界遺産連合会の会長職も務めている。
世界遺産登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
姉妹都市 [編集]
画像 [編集]
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| 文化遺産 | |
|---|---|
| クラクフ歴史地区 | ヴィエリチカ岩塩坑 | アウシュヴィッツ・ビルケナウ - ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年~1945年) | ワルシャワ歴史地区 | ザモシチ旧市街 | トルンの中世都市 | マルボルクのドイツ騎士団の城 | カルヴァリア・ゼブジトフスカ : マニエリスム建築と公園が織りなす景観及び巡礼公園 | ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群 | 南部小ポーランドの木造聖堂群 | ムスカウ公園(ドイツと共有) | ヴロツワフの百周年記念ホール | |
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