PSVアイントホーフェン

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PSVアイントホーフェン
原語表記 Philips Sport Vereniging Eindhoven
愛称 Boeren(ブーレン、百姓)
Rood-witten(ロート=ウィッテン、赤白)
Red White Army(赤白軍団)
Philips(フィリップス)
クラブカラー 赤と白
創設年 1913年
所属リーグ エールディヴィジ
ホームタウン アイントホーフェン
ホームスタジアム フィリップス・スタディオン
収容人数 35,000[1][2]
代表者 オランダの旗 ペテル・スウィンケルズ
監督 オランダの旗 フィリップ・コクー
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

PSVPhilips Sport Verenigingオランダ語発音: [ˈfi.lɪps ˌspɔrt fə.ˌreː.nə.ɣɪŋ])は、オランダアイントホーフェンに本拠地を置くサッカークラブ。エールディヴィジ(1部)に所属している。PSVは現地の発音をカタカナ表記すると、ペーエスフェーとなる。フィリップス・スポーツ連合を意味し、その名の通りサッカー以外にも多くのスポーツチームを所有している。アイントホーフェンに本社を持つフィリップス(電機メーカー)の企業クラブとして創設され、現在はメインスポンサーではあるが経営面には立ち入らない[3]。株式公開会社(NV)だが上場せず、匿名の出資者に支えられている[3]

1913年創設。エールディヴィジでは21回、KNVBカップでは9回、ヨハン・クライフ・スハールでは9回優勝している。AFCアヤックスフェイエノールトとともに、UEFAチャンピオンズカップの優勝経験があるオランダの3大クラブのひとつである。1987-88シーズンの同大会では決勝でSLベンフィカ(ポルトガル)を破って優勝し、同時にエールディヴィジとKNVBカップも含めたトレブル(3冠)も達成した。1977-78シーズンにはUEFAカップで決勝に進出し、SCバスティア(フランス)を破って優勝した。

「ブーレン」(Boerenオランダ語発音: [ˈbuːrə(n)]、 オランダ語で百姓)というニックネームがある。アイントホーフェンはアムステルダムロッテルダムなどの都会から遠く離れた地方にあるため、当初はライバルクラブのサポーターが侮蔑的な意味合いで用いていたが、PSVのサポーターはブラバンティアン文化に対する誇りから、進んでこのニックネームを用いている。ユニフォームには北ブラバント州旗がデザインされており、スタジアム周辺にも州旗が掲げられている。ホームスタジアムは35,000人収容のフィリップス・スタディオンであり、アイントホーフェン市のストレイプ地区に位置する。

歴史[編集]

クラブ初のエンブレム
リーグ初優勝時のチーム(1929年)

フィリップスとの関係[編集]

フィリップスの創業者であるヘラルト・フィリップスとヘラルトの弟であるアントン・フィリップスがクラブの設立を命じ、フィリップス系列各社の企業チームとして歴史が始まった。設立日は1913年8月31日であり、オランダの独立(ナポレオン戦争でのフランスの敗北)から100周年を記念して行なわれたフィリップス主催のスポーツ大会後に設立された(公式サイト)。クラブ創設と同時に、ホームスタジアムとしてフィリップス・スポルトパルクが建設された。このようにクラブ設立にフィリップスが密接にかかわっていたため、「胸スポンサー」の概念がエールディヴィジに導入された1982年以降は例外なくフィリップスが胸スポンサーを務めており、これはオランダの最長記録となっている。

1960年代以前[編集]

オランダサッカーリーグ選手権(エールディヴィジの前身となるアマチュアリーグ)が創設されたのは1888年であるが、PSVは1915年に初参戦した。10年間は下部リーグでプレーしていたが、1926年にトップリーグに初昇格し、AFCアヤックス(1917-18シーズンに初優勝)やフェイエノールト(1923-24シーズンに初優勝)に遅れて、1928-29シーズンにトップリーグ初優勝を果たした。1934-35シーズンには2度目の優勝を果たしたが、この時期のアヤックスやフェイエノールトは強豪としての地位を固めており、1930年代にはアヤックスが5回、フェイエノールトが3回優勝している。1949-50シーズンにはKNVBカップで初優勝し、1950-51シーズンにはリーグ戦で16年ぶり3回目の優勝を果たした。1950年代にはクーン・ディレンがエースとして活躍し、328試合出場288得点という驚きべき得点率を誇った。エールディヴィジが開始された1956-57シーズンのディレンは43得点を挙げているが、これは現在でも個人の1シーズン最多得点記録である。1962-63シーズンにはオランダリーグがプロ化されてから初めてのリーグ優勝を果たした。1960年代から1970年代にはヴィリー・ファン・デル・カイレンが活躍し、通算308得点を挙げてディレンの記録を塗り替えたが、これは現在でもオランダ記録となっている。この時代は給料面で他クラブに対して劣勢であり、才能ある選手たちにとってはPSVがプロとしての飛躍のための踏み台となった。

黄金期(1970年代後半-1980年代後半)[編集]

PSVにビッグイヤーをもたらしたフース・ヒディンク監督

1960年代半ばから1970年代初頭にはタイトルから遠ざかっていたが、1972年にケース・レイヴェルス監督が就任すると、1973-74シーズンのKNVBカップで24年ぶり2回目の優勝を果たし、1970年代中頃から後半にかけてPSVは1度目の黄金期を迎えた。ベテランのカイレン、ウィリーレネのケルクホフ兄弟(双子)、キーパーのヤン・ファン・ベベレン、若手ディフェンダーのヤン・ポールトヴリートアドリー・ファン・クラーイエルニー・ブランツ、ストライカーのハリー・ルブセ、ディフェンダーのフーブ・ステーヴェンスのような質の高い選手に牽引され、KNVBカップ優勝2回、エールディヴィジ優勝3回を果たした。1974-75シーズンと1975-76シーズンにはクラブ初のリーグ戦2連覇を達成し、1977-78シーズンのUEFAカップでは、準々決勝で1.FCマクデブルク(西ドイツ)を、準決勝でFCバルセロナ(スペイン)を下し、決勝でSCバスティア(フランス)を2試合合計3-0で破って優勝。初の欧州タイトルを獲得した[4]。オランダのクラブとしては1973-74シーズンに優勝したフェイエノールトに次ぐ2チーム目のUEFAカップ王者となった。1979年にはレイヴェルス監督が退任し、再びタイトルから遠ざかった。

1983年にはヤン・レケル監督が就任し、ルート・フリットエリック・ヘレツなどが在籍していた1985-86シーズンのリーグ戦で8年ぶり8回目の優勝を果たした。ハンス・クラーイ監督を間に挟み、1987年にフース・ヒディンク監督が就任すると、1988-89シーズンまでリーグ戦4連覇を達成した。ヘレツ、ロナルド・クーマンセーレン・レアビーウィム・キーフトなどの選手がチームを構成し、1987-88シーズンのUEFAチャンピオンズカップではクラブ史上初めて決勝に進出。決勝のSLベンフィカ戦は0-0で決着がつかずにPK戦に突入し、PK戦では両クラブとも5人ずつがPKを成功させたが、キーパーのハンス・ファン・ブレーケレンがベンフィカの6人目のアントニオ・ヴェローゾのキックをセーブして初優勝を決めた[5]。準々決勝のFCジロンダン・ボルドー(フランス)戦は2試合とも引き分けであり、準決勝のレアル・マドリード(スペイン)戦も2試合ともに引き分けたが、アウェーゴール差で勝ち上がっていた。奇妙なことに、優勝したPSVは準々決勝からの5試合で1勝もできず、通算でも3勝5分1敗の成績だった。同シーズンはエールディヴィジ、KNVBカップ、UEFAチャンピオンズカップの3冠を達成したが、1988年末に行なわれたインターコンチネンタルカップではコパ・リベルタドーレス王者のナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)と対戦し、試合自体は2-2の引き分けだったがPK戦の末に敗れた。ヒディンク政権下ではエールディヴィジで3回、KNVBカップで3回、UEFAチャンピオンズカップで1回優勝した。

1987-88シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝

1988年5月25日

PSV オランダの旗 0 -0(延長) ポルトガルの旗 SLベンフィカ シュトゥットガルト, ネッカーシュタディオン
観客数: 70,000
主審: イタリアの旗 ルイジ・アグノリン
Report
    PK戦  
R・クーマン 成功
キーフト 成功
ニールセン 成功
ヴァネンブルフ 成功
レアビー 成功
ヤンセン 成功
6-5 成功 エルゾ
成功 ディト
成功 Hajry
成功 パチェコ
成功 モゼール
ミス ヴェローゾ
 

ロマーリオ、ロナウド、ニリス(1990年代)[編集]

1990年にはヒディンク監督が退任し、イングランド代表監督を務めたボビー・ロブソン監督が就任。1990-91シーズンと1991-92シーズンにはリーグ戦2連覇を果たしたが、欧州カップ戦では経営陣が期待したほどの成績を残せず、ロブソン監督は1991-92シーズン終了後に退任した[6]。ヒディンク政権下の1988年にはピート・デ・ヴィッセルのスカウトによってロマーリオが加入して主力選手となっていたが、ロブソン監督はロマーリオとの関係に問題を抱えていた。ロマーリオは1993年までクラブに在籍し、3個のタイトルをもたらした。ロブソンの後任にはハンス・ウェステルホフ監督が就任し、1992-93シーズンのリーグ戦では2位となった。1992年にはUEFAチャンピオンズカップが大会形式を変更してUEFAチャンピオンズリーグとなったが、PSVは1992-93シーズンの本選に出場した8クラブのうちのひとつである。1993-94シーズンはア・デ・モス監督が指揮を執り、ゲオルゲ・ポペスクニイ・ランプティアーサー・ニューマンなどの名選手がいたが3位に終わった。シーズン終了後にはブレーケレンが引退。ブレーケレンは10シーズンの間PSVのゴールを守り、クラブ史上最高のキーパーのひとりとみなされている。1994年夏にはロナルト・ヴァーテリューススタンレイ・メンソのふたりのキーパーが加入してポジションを争い、より若いワテレースがポジションを掴んだ。デ・モス監督は1994年10月に解任され、キース・ライフェルス監督が暫定的にチームを指揮した後、12月にディック・アドフォカートが正式な監督に就任した。1994年夏に加入したロナウドは1994-95シーズンに30得点を挙げ、同じく新加入のルク・ニリスとコンビを組んだが、アヤックスとローダJCに次ぐ3位に終わった。1995-96シーズンはプレーの質を向上させて2位となり、UEFAチャンピオンズカップでは準々決勝に進出。バルセロナに敗れた。守備的ミッドフィールダーのウィム・ヨンク、ニリス、ニューマン、センターバックのヤープ・スタムフィリップ・コクー、若手のボーデウィン・ゼンデンなどが在籍していた1996-97シーズンには5年ぶりにリーグ優勝した。21得点を挙げたニリスがリーグ得点王となり、オランダ年間最優秀選手賞を受賞した。1997-98シーズンはアヤックスのシーズンとして記憶されており、ニリスとヒレス・デ・ビルデのベルギー人コンビが多くの得点を挙げたが、リーグ戦でもKNVBカップ決勝でもアヤックスに敗れた。UEFAチャンピオンズリーグでは1992-93シーズン以来となる本選に出場し、ニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)とFCバルセロナ(スペイン)を上回る勝ち点を挙げたが、FCディナモ・キエフに次ぐ2位でグループリーグ敗退となった。

ケズマンとファン・ニステルローイ(1998–2002)[編集]

フランスで開催された1998 FIFAワールドカップオランダ代表は4位となり、PSVは代表の成功の代償を支払うこととなった。スタム、コクー、ヨンクなどの主力選手が相次いで移籍し、完全に新しいチームで1998-99シーズンに臨まざるを得なかった。6年ぶりにロブソン監督が復帰すると、ニリスと新加入のルート・ファン・ニステルローイが計55得点を挙げる活躍を見せ、得点ランキングの1位と2位を独占した。最終節のFCユトレヒト戦は前半終了時に0-2と劣勢だったが、後半に3点を挙げて大逆転し、UEFAチャンピオンズリーグ出場権内の3位に浮上した。

ロブソン監督は1999年夏に退任し、1980年代に選手として在籍したゲレツがクラブ・ブルッヘからPSVの新監督に就任。マルク・ファン・ボメルヨハン・フォーゲル、クラブ・ブルッヘでの教え子エリック・アッドなどを獲得した。ベルギー出身のゲレツ監督にとっては国外クラブの初采配となったが、ニリスとファン・ニステルローイにアルノルト・ブルッヒンクを加えた3トップは計67得点を挙げる抜群の破壊力を誇り、ファン・ニステルローイは2シーズン連続でリーグ得点王に輝いた。中盤のフォーゲルとファン・ボメルも成功の立役者のひとりであり、3シーズンぶり15回目のリーグ優勝を飾った。

2000年夏にはニリスが退団し、十字靭帯断裂の大怪我を負ったファン・ニステルローイは2000-01シーズンの大半を欠場したが、新加入のマテヤ・ケズマンが大活躍してリーグ優勝に貢献し、同じく新加入のケヴィン・ホフラントジョン・デ・ヨングも実力を発揮した。ケズマンは2000-01シーズンに24得点を、2002-03シーズンに35得点を、2003-04シーズンに31得点を挙げてリーグ得点王に輝いている。2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではRSCアンデルレヒト(ベルギー)とマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)の後塵を拝したが、ケズマンのマンチェスター・U戦での美しい得点は多くのサポーターの心に残っている。グループ3位となったためUEFAカップに回ったが、準々決勝の1.FCカイザースラウテルン(ドイツ)戦では怒ったサポーターがピッチに侵入し、クラブの歴史の汚点となった。準決勝に進出できず、欧州サッカー連盟(UEFA)によって罰金処分とホームゲーム開催禁止(中立地開催)の処分を科された。エールディヴィジでは2連覇を果たした。

2001年夏には怪我が完治したファン・ニステルローイがマンチェスター・Uに移籍し、FCトゥウェンテからヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクを獲得。ケズマンとポジションを争った。2001-02シーズンは序盤戦に出遅れ、3連覇はならずアヤックスに戴冠を許した。UEFAチャンピオンズリーグではFCナント(フランス)に1-4で敗れるなどし、グループ3位でUEFAカップに回った。4回戦ではリーズ・ユナイテッドAFC(イングランド)を下し、欧州カップ戦の準々決勝ではオランダ史上初の同国対決が実現した。フェイエノールトとの試合は2試合とも1-1で引き分けたが、PK戦を制したフェイエノールトが準決勝に駒を進めた。ゲレツ監督はクラブからの信頼を失って解任された。

2度目のヒディンク監督時代(2002–2006)[編集]

2002年夏、2002 FIFAワールドカップ韓国をベスト4に導いたフース・ヒディンク監督がPSVの新監督に就任した。韓国代表の朴智星李栄杓が加入し、2002-03シーズンにはアリエン・ロッベンなどのスター選手が誕生。リーグ戦では2シーズンぶりの優勝を果たしたが、UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグ最下位に終わった。2003-04シーズンはリーグ優勝を逃し、UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグではデポルティーボ・ラ・コルーニャ(スペイン)と同勝ち点ながら3位でグループリーグ敗退となった。UEFAカップに回り、準々決勝ではボビー・ロブソン監督率いるニューカッスル・ユナイテッドFCを破った。

キーパーのロナルト・ヴァーテリュースは1994年から10シーズン在籍してリーグ戦285試合に出場したが、2003-04シーズン終了後に退団し、2004年夏にはロッベン、デニス・ロンメダールマテヤ・ケズマンなどの主力選手も退団した。センターバックのアレックス、キーパーのゴメス、フォワードのジェフェルソン・ファルファンダマーカス・ビーズリーなどを獲得し、ヒディンク監督は新しいチームを作り上げた。2004-05シーズンはマルク・ファン・ボメルヨハン・フォーゲル、コクーなどが中盤を構成し、ヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクと朴智星がフォワードを構成。UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルFC(イングランド)に次ぐグループ2位となり、大会名称変更後初めて決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦では前年度準優勝のASモナコ(フランス)に2連勝し、準々決勝のオリンピック・リヨン(フランス)戦は2試合とも1-1の引き分けに終わったが、PK戦に勝利して準決勝進出を決めた。オランダのクラブが同大会の準決勝に進出するのは1996-97シーズンのアヤックス以来の出来事だった。準決勝のACミラン戦のファーストレグには0-2で敗れたが、ホームで行なわれたセカンドレグでは朴智星とコクーの得点で2試合合計得点をタイに戻した。しかし、後半ロスタイムにマッシモ・アンブロジーニに得点を許し、その直後にコクーが2点目を決めて粘ったものの、アウェーゴール差での敗退が決定した。この試合はクラブ史に残る試合であり、多くのサポーターがタンク(戦車)の異名を持つアレックスの涙を記憶している。リーグ戦では2シーズンぶり18回目のリーグ優勝を飾り、またKNVBカップでは8回目の優勝を飾ったことから、2004-05シーズンは近年最高のシーズンとされている。

2005年夏にはファン・ボメル、フォーゲル、朴智星、李栄杓、ウィルフレッド・ボウマなど多くの主力選手がチームを離れ、マイケル・ボールミカ・ヴァイリネンベルギー代表ティミー・シモンスなどが加入した。イスマイル・アイサティイブラヒム・アフェレイなど下部組織出身の若手選手も加わった。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグでは、ミラン、シャルケ04(ドイツ)、フェネルバフチェSK(トルコ)などと同居する難しいグループに組み込まれたが、ホームでミランを破るなどしてグループ2位で終え、2シーズン連続で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント1回戦ではリヨンと再戦し、今度は2連敗して大会から敗退した。国内リーグでは2連覇を果たしたが、KNVBカップでは決勝でライバルのアヤックスに敗れ、この試合がヒディンク監督のラストゲームとなった。ヒディンク監督は第1期(1986年-1990年)と第2期(2002年-2006年)に計6回のリーグ優勝、計4回のKNVBカップ優勝、1回のUEFAチャンピオンズカップ優勝を果たした。

経営面での混乱とスポーツ面での低迷(2000年代後半)[編集]

2007-08シーズンのリーグ優勝

2006年夏にはヒディンク監督の後任としてロナルド・クーマン監督が就任。エクアドル代表エディソン・メンデスメキシコ代表カルロス・サルシードと、いずれも2006 FIFAワールドカップに出場して決勝トーナメント進出に貢献した南米出身選手を獲得した。アンドレ・オーイェルヤン・フェネホール・オフ・ヘッセリンクはシーズン開幕後にクラブを離れ、代役としてヤン・クロムカンプパトリック・クライファートを獲得した。2006-07シーズンはジェフェルソン・ファルファンアルナ・コネがチーム内得点王を争い、一時は他クラブに大きな差を築いたものの、すぐに勝ち点差は消滅した。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではリヴァプールFC(イングランド)、FCジロンダン・ボルドー(フランス)、ガラタサライSK(トルコ)と同組となったが、リヴァプールに次ぐグループ2位で3シーズン連続の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦のアーセナルFC(イングランド)戦では自陣にも敵陣にも攻め込んだアレックスの活躍で勝利したが、準々決勝では再びリヴァプールと対戦して2試合合計0-4で敗れた。UEFAチャンピオンズリーグからの敗退後、スフイテマ会長は国内リーグで優勝を逃すことが濃厚だとしてクーマン監督を批判したが、PSVは最後まで優勝争いに加わった。最終節を前にしてAZ、アヤックス、PSVの3クラブが勝ち点72で並び、得失点差でAZが首位に立っていた。AZは最終節でエクセルシオール・ロッテルダムに敗れて優勝を逃し、PSVとアヤックスは揃って勝利したが、得失点差でアヤックス(+49)を逆転したPSV(+50)が3位からの大逆転優勝を飾った。2006-07シーズンはリーグ史上もっとも刺激的で、僅差で優勝が決まったシーズンのひとつに数えられている。

下部組織出身で2010年にキャプテンを務めたイブラヒム・アフェライ

2007年夏にはスフイテマ会長が退いてヤン・レケル会長が就任したため、クーマン監督は留任を決めた。中心選手のコクーやアレックスやA・コネがクラブを離れ、ケネス・ペレスダンコ・ラゾビッチダニー・クーフェルマンスなどが加入。レンタル移籍していたアイサティなどが復帰した。クーマン監督はPSVとの契約途中の10月31日にバレンシアCF(スペイン)監督に就任したため、ヤン・ボウタース暫定監督を経て元名古屋グランパス(日本)監督のセフ・フェルホーセンがシーズン終了までの契約で正式な後任監督に就任した[7]。12月31日には、半年前に加入したばかりのペレスがアヤックスに移籍したが、レケル会長は移籍がペレス自身の選択だと断言した[8]。2008年2月26日には、2005年に負った怪我からリハビリ途中だったジョン・デ・ヨンクが30歳の若さで現役引退を発表[9]。このように人的な移動が激しいシーズンだったが、PSVは21回目の優勝を果たした。4連覇はリーグ史上3度目の偉業であり、HVVデン・ハーグ(1899-1900シーズンから1902-03シーズン)とPSV(1985-86シーズンから1988-89シーズン)しか達成していない。

2008年夏にはフーブ・ステーフェンス監督が就任し、ヨハン・クライフ・スハールではフェイエノールトを破って優勝。リーグ戦でも順調な滑り出しを見せたが、UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグ初戦のアトレティコ・マドリード戦に0-3で敗れて歯車が狂いだした。リヴァプールFC(イングランド)やオリンピック・マルセイユ(フランス)などと同居したグループリーグでは、ホームでのマルセイユ戦にしか勝利できず、最下位でのグループリーグ敗退となった。欧州カップ戦で年を越せなかったのは2002-03シーズン以来6年ぶりのことだった。2009年1月にはステーフェンス監督が辞任し、ドワイト・ローデヴェーヘスが後任監督に就任したが、リーグ戦は最終的に4位で終えた。4位以下に終わったのは1980-81シーズン(5位)以来であり、偶然ではあるが、どちらのシーズンも優勝したのはAZアルクマールだった。1996-97シーズン以降では初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃し、代わりにUEFAヨーロッパリーグの第1回大会の出場権を得た。

2009年夏には元シャルケ監督のフレット・ルッテンが監督に就任し、2009-10シーズン前半戦は公式戦(国内リーグ、国内カップ、UEFAヨーロッパリーグ)無敗で終えた。FCトゥウェンテも前半戦のリーグ戦を無敗で終えていたため、年明け時点でトゥウェンテに次ぐ2位に付けていたが、後半戦には調子を落として取りこぼしを重ね(2010年最初の10試合は6勝2分2敗)、KNVBカップではフェイエノールトに、UEFAヨーロッパリーグではハンブルガーSVにアウェーゴール差で敗れて大会からの敗退が決まった。2月のNACブレダ戦でリーグ戦初黒星を喫し、3月14日時点ではまだ2位につけていたが、その後アヤックスに抜かれて3位に順位を落とした。引き分けの多さから勝ち点を伸ばすことができず、2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得られなかった。

2010年10月24日のフェイエノールト戦には10-0で大勝。ジョナタン・レイスが3得点、オラ・トイヴォネンが1得点、イェレマイン・レンスが2得点、ジュジャーク・バラージュが2得点、オルランド・エンヘラールが1得点を挙げた(1点はオウンゴール)。PSVは1973年のゴー・アヘッド・イーグルス戦と1998年のFCフォレンダム戦でも同スコアを記録しており、10点差で勝利するのは3度目だった[10]。2010-11シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・決勝トーナメント1回戦ではLOSCリール・メトロポール(フランス)と対戦し、2試合合計5-3で勝利。決勝トーナメント2回戦ではレンジャーズFC(スコットランド)に2試合合計1-0で勝利したが、準々決勝ではSLベンフィカに2試合合計3-6で敗れた。同シーズンの国内リーグ戦ではアヤックスやトゥウェンテとの優勝争いに競り負け、期待外れの3位に終わった。財政問題に悩まされ、資産差し押さえに発展する可能性を消すためにアイントホーフェン市議会から多額の援助を受けた。深刻な財政状況のため、名のある選手の獲得は不可能だった。キャプテンであり英雄的存在のイブラヒム・アフェライは冬の移籍期間にFCバルセロナ(スペイン)に売却され、2011年夏にはハンガリー人ウインガーのジュジャークが金満クラブ化したFCアンジ・マハチカラ(ロシア)に移籍した。

2011年夏にはドリース・メルテンスティム・マタヴジュなどが加入し、レンタルで加入したポーランド人キーパーのプジェミスワフ・ティトンは後に買い取りオプションが行使されて完全移籍した。2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・グループリーグでは5勝1分のグループ首位で決勝トーナメント進出を決め、決勝トーナメント1回戦ではトラブゾンスポル(トルコ)を破ったが、決勝トーナメント2回戦のバレンシアCF(スペイン)戦ファーストレグには2-4で敗れた。2012年3月12日には成績不振によるフレット・ルッテン監督の解任が発表され、アシスタントコーチのコクーがシーズン終了までの暫定監督に就任。選手やユースチーム監督としてPSVに在籍経験があるFCアイントホーフェン監督のエルネスト・ファベルがアシスタントコーチに就任した[11]。コクーの初采配試合となったバレンシア戦セカンドレグに引き分けて大会からの敗退が決まったが、KNVBカップでは決勝でヘラクレス・アルメロに3-0で快勝して7シーズンぶり9回目の優勝を決めた[12]。この試合には約17,000人のPSVサポーターが会場のロッテルダムに押し掛け、オラ・トイヴォネンが華麗なヒールシュートで先制点を決め、メルテンスとレンスが追加点を挙げた。リーグ戦は再び3位に終わってUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃したが、約4年ぶりのトロフィーとなったKNVBカップの優勝が慰めとなった。4月6日にはオランダサッカー協会による財政指数区分でカテゴリー3に分類された。これは「健全」を表す区分であり、財政強度に基づいて各クラブが分類されている[13]。5月10日には以前にもPSVの監督を務めたディック・アドフォカートが1年契約で正式な監督に就任した[14]

現在(2010年代-)[編集]

2012年夏、下部組織出身の有望株であるザカリア・ラビアドスポルティングCPに売却され、既に契約を交わしていたデンマーク人のマティアス・イェルゲンセンが加入した。元キャプテンのファン・ボメルがミランから加入し[15]SCヘーレンフェーンからウインガーのルシアーノ・ナルシンを獲得。ヨハン・クライフ・スハールではアヤックスを4-2で下して優勝し[16]、UEFAヨーロッパリーグ・予選プレーオフのFKゼタ(モンテネグロ)戦では2試合合計14-0で圧勝してグループリーグ出場を決めた。グループリーグではFCドニプロ・ドニプロペトロウシク(ウクライナ)、SSCナポリ(イタリア)、AIKソルナ(スウェーデン)と同組となり、ナポリとのアウェーゲームには3-1で勝利したが、これはナポリにとって欧州カップ戦のホームゲームでの18年ぶりの敗北となった[17]。しかしPSVはドニプロとナポリに次ぐグループ3位で大会から敗退した。リーグ戦では前半戦だけで60得点を挙げ、ウィンターブレークの時点で首位に立っていた。2013年1月にはIFエルフスボリ(スウェーデン)からオスカル・ヒルイェマルクを獲得[18]

スタジアムと練習施設[編集]

練習場のデ・ヘルドハンフ

1911年1月、5歳のフリッツ・フィリップス(後にフィリップス社のCEOとなる)によってフィリップス・エルフタルの落成式と初試合が行なわれたが、クラブはまだ創設されていなかった。スタジアムの近隣はフィリップスドルプ(フィリップス村)と呼ばれ、アイントホーフェンの中心部からほど近かった。1913年にクラブが創設してからも、ホームスタジアムは一貫して同じ場所にある。クラブ創設当初はフィリップス・スポルトパルクと呼ばれ、300人収容の小規模なグラウンドだった[3]。1941年には18,000人収容のスタジアムとなり、第二次世界大戦で被災したが、1958年には再び改築されて22,000人収容となった。2000年と2002年にも角部分の改修工事が行なわれ、現在のフィリップス・スタディオンという名称、サッカーの試合開催時の収容人数35,000人に落ち着いた。収容人数を45,000人まで拡張する計画があり、仮に2018 FIFAワールドカップの開催地がオランダ・ベルギーに決定していた場合には計画の実施が決定的だったが、2010年12月に行なわれた投票でFIFAワールドカップの開催地はロシアに決定した。

2000年にオランダとベルギーで共同開催されたUEFA EURO 2000の際には開催地のひとつとなった。2006年にはUEFAカップ決勝の開催地となり、セビージャFC(スペイン)がミドルズブラFC(イングランド)を下して優勝した。2000年代の10年間は1試合平均観客数が31,000人から34,000人で推移しており、アヤックス、フェイエノールトに次いでオランダ第3位である。観客席は全席固定座席で屋根に覆われ、全席が暖房設備を有している。2005年夏にはピッチ周りの高いフェンスが取り除かれ、高さ90cmの手すりに代えられた。許可なくピッチに侵入すると15,000ユーロの罰金と10年間のスタジアム入場禁止処分が科せられる。

スタジアム内にはレッドミシュランオランダ版で1つ星の認定を受けたレストラン(Avant Garde)があり、サッカーの試合を観戦しながら食事を行なうことが可能である。オランダ国内でレッドミシュランの星付きレストランを抱えるスタジアムはここだけである。スタジアムから約3.5km北西にはデ・ヘルドハンフ(De Herdgang)と呼ばれる練習施設があり、天然芝や人工芝のピッチを持つ複合施設である。トップチームは練習を一般公開することもあり、また下部組織(ヨング・PSV)の拠点もデ・ヘルドハンフである。デ・ヘルドハンフの近くにはフィリップス・ヨンフパルクという緑豊かな公園がある。

エールディヴィジのビッグ3の1試合平均観客数[19]
シーズン 平均観客数
アヤックス PSV フェイエノールト
1997-98 48,423人 27,865人 25,042人
1998-99 41,275人 26,550人 31,231人
1999-00 40,866人 28,441人 31,532人
2000-01 36,280人 31,735人 37,609人
2001-02 36,328人 31,494人 39,903人
2002-03 47,571人 33,106人 43,124人
2003-04 48,996人 32,853人 41,412人
2004-05 48,031人 31,806人 39,329人
2005-06 46,006人 33,088人 41,294人
2006-07 48,551人 33,601人 40,676人
2007-08 49,092人 33,576人 44,853人
2008-09 49,014人 33,406人 44,044人
2009-10 48,681人 33,424人 43,882人
2010-11 47,316人 33,612人 42,124人
2011-12 50,417人 33,353人 44,781人
2012-13 50,490人 33,082人 45,147人

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

  • エールディヴィジ:21回
    • 1928-29, 1934-35, 1950-51, 1962-63, 1974-75, 1975-76, 1977-78, 1985-86, 1986-87, 1987-88, 1988-89, 1990-91, 1991-92, 1996-97, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2006-07, 2007-08
  • KNVBカップ:9回
    • 1949-50, 1973-74, 1975-76, 1987-88, 1988-89, 1989-90, 1995-96, 2004-05, 2011-12

国際タイトル[編集]

親善タイトル[編集]

  • フィリップス・トーナメント : 3回
    • 1982, 1984, 1985
  • トルネオ・インテルナシオナル・デ・フトボル・デ・マスパロマス : 3回
    • 1984, 1985, 2000
  • トロフェオ・ビラ・デ・マドリード: 1回
    • 1984
  • ポリッシュ・マスターズ・カップ: 1回
    • 2012

成績[編集]

シーズン エール
ディヴィジ
KNVB
カップ
欧州カップ その他 最多得点者
選手 得点数
1956-57 5位 ディレン 43点
1957-58 10位 ディレン 28点
1958-59 10位 ディレン 15点
1959-60 3位 開催されず ディレン 31点
1960-61 7位 Piet Kruiver 17点
1961-62 2位 Pierre Kerkhofs 19点
1962-63 5位 Pierre Kerkhofs 22点
1963-64 2位 CC ベスト8 Bert Theunissen 22点
1964-65 4位 V・D・カイレン 20点
1965-66 8位 V・D・カイレン 23点
1966-67 6位 V・D・カイレン 21点
1967-68 14位 V・D・カイレン 21点
1968-69 5位 準優勝 Niro Mares 17点
1969-70 3位 準優勝 V・D・カイレン 26点
1970-71 4位 2回戦敗退 V・D・カイレン 14点
デヴリンド
1971-72 8位 ベスト16 UC 3回戦敗退 デヴリンド 12点
1972-73 6位 ベスト8 V・D・カイレン 13点
1973-74 4位 優勝 V・D・カイレン 27点
1974-75 1位 ベスト16 CWC ベスト4 V・D・カイレン 28点
1975-76 1位 優勝 CC ベスト4 V・D・カイレン 27点
1976-77 2位 ベスト8 CC 2回戦敗退 V・D・カイレン 24点
1977-78 1位 ベスト16 UC 優勝 Gerrie Deijkers 18点
1978-79 3位 ベスト4 CC 2回戦敗退 V・D・カイレン 14点
1979-80 3位 ベスト4 UC 2回戦敗退 ポストゥマ 12点
V・D・カイレン
1980-81 5位 ベスト4 UC 2回戦敗退 ポストゥマ 15点
1981-82 2位 ベスト16 UC 2回戦敗退 ヘールス 15点
1982-83 3位 ベスト4 UC 1回戦敗退 トーレセン 22点
クールホフ
1983-84 2位 ベスト8 UC 2回戦敗退 トーレセン 23点
クールホフ
1984-85 2位 ベスト4 UC 2回戦敗退 トーレセン 21点
1985-86 1位 2回戦敗退 UC 2回戦敗退 フリット 24点
1986-87 1位 ベスト16 CC 1回戦敗退 フリット 22点
シーズン エール
ディヴィジ
KNVB
カップ
欧州カップ その他 最多得点者
選手 得点数
1987-88 1位 優勝 CC 優勝 キーフト 28点
1988-89 1位 優勝 CC ベスト8 IC 準優勝 ロマーリオ 19点
USC 準優勝
1989-90 2位 優勝 CC ベスト8 ロマーリオ 23点
1990-91 1位 ベスト4 CWC 1回戦敗退 ロマーリオ 25点
1991-92 1位 ベスト16 CC 2回戦敗退 SC 準優勝 キーフト 19点
1992-93 2位 ベスト8 CL GS敗退 SC 優勝 ロマーリオ 22点
1993-94 3位 ベスト8 UC 1回戦敗退 ランプティ 10点
ニューマン
1994-95 3位 ベスト16 UC 1回戦敗退 ロナウド 30点
1995-96 2位 優勝 UC ベスト8 ニリス 21点
1996-97 1位 ベスト16 CWC 2回戦敗退 SC 優勝 ニリス 21点
1997-98 2位 準優勝 CL GS敗退 SC 優勝 ニリス 14点
1998-99 3位 ベスト4 CL GS敗退 SC 優勝 V・ニステルローイ 31点
1999-00 1位 ベスト16 CL 1次GS敗退 V・ニステルローイ 29点
2000-01 1位 準優勝 CL 1次GS敗退 SC 優勝 ケズマン 24点
UC ベスト8
2001-02 2位 ベスト4 CL 1次GS敗退 SC 優勝 V・ヘッセリンク 22点
UC ベスト8
2002-03 1位 ベスト4 CL 1次GS敗退 SC 準優勝 ケズマン 35点
2003-04 2位 ベスト8 CL 1次GS敗退 SC 優勝 ケズマン 31点
UC ベスト8
2004-05 1位 優勝 CL ベスト4 V・ヘッセリンク 19点
2005-06 1位 準優勝 CL ベスト16 SC 準優勝 ファルファン 21点
2006-07 1位 ベスト8 CL ベスト8 SC 準優勝 ファルファン 21点
2007-08 1位 失格 CL GS敗退 SC 準優勝 クーフェルマンス 14点
UC ベスト8
2008-09 4位 3回戦敗退 CL GS敗退 SC 優勝 アフェライ 13点
2009-10 3位 ベスト8 EL ベスト32 ジュジャーク 14点
2010-11 3位 ベスト8 EL ベスト16 ジュジャーク 16点
2011-12 3位 優勝 EL ベスト16 メルテンス 21点
2012-13 2位 準優勝 EL GS敗退 SC 優勝 メルテンス 16点
2013-14 4位 3回戦敗退 CL PO敗退 ユルゲン・ロカディア 13点

スポンサー[編集]

1982年からメインスポンサーを務めるフィリップスのロゴ
種類 名称 業種
メインスポンサー オランダの旗 フィリップス 家電
オフィシャルパートナー アメリカ合衆国の旗 ナイキ スポーツ用品
ドイツの旗 メルセデス・ベンツ 自動車
オランダの旗 ババリアビール ビール
オランダの旗 ラボバンク 銀行
オランダの旗 VDL グループ 工業品製造
ベルギーの旗 BDOインターナショナル 会計事務
デ・ラーゲ・ランデン
バニング
フレオ
Driessen HRM Payroll
Menzis
オフィシャルサプライヤー アメリカ合衆国の旗 コカ・コーラ  飲料
アスロン・カー・リース 自動車リース
Gentiluomo
Maison van den Boer

現所属メンバー[編集]

2014年7月6日時点
No. Pos. 選手名
1 オランダの旗 GK イェルーン・ズート
3 オランダの旗 DF カリム・レキク
4 コロンビアの旗 DF サンティアゴ・アリアス
5 オランダの旗 DF ジェフリー・ブルマ
6 オランダの旗 MF アダム・マヘル
7 オランダの旗 FW メンフィス・デパイ
8 オランダの旗 MF スタイン・スハールス
9 オランダの旗 FW ルーク・デ・ヨング
10 オランダの旗 MF ジョルジニオ・ワイナルドゥム(主将Captain sports.svg)
11 オランダの旗 FW ユルゲン・ロカディア
14 オランダの旗 FW フロリアン・ヨゼフゾーン
15 オランダの旗 DF イェトロ・ウィレムス
17 オランダの旗 FW ルシアーノ・ナルシン
18 ベルギーの旗 DF ティモシー・デライク
No. Pos. 選手名
20 オランダの旗 DF ジョシュア・ブレネト
22 オランダの旗 GK レムコ・パスフェール
23 オランダの旗 MF ライ・フロート
24 オーストリアの旗 MF マルセル・リッツマイアー
25 オランダの旗 DF メンノ・コッホ
26 オランダの旗 DF クリント・レーマンス
27 スウェーデンの旗 MF オスカー・ヒリェマーク
28 オランダの旗 DF アベル・タマタ
29 オランダの旗 DF ジョリット・ヘンドリクス
30 オランダの旗 DF ヨルディ・デ・ウィス
31 オランダの旗 GK ナイジェル・バートラム
39 ベルギーの旗 FW ザカリア・バカリ
41 オランダの旗 GK ジェシー・バートラム

ローン移籍選手[編集]

in
No. Pos. 選手名
3 オランダの旗 DF カリム・レキク (マンチェスター・シティFC)
out
No. Pos. 選手名
-- ポーランドの旗 GK プジェミスワフ・ティトン (エルチェ)

2014-15シーズン移籍[編集]

欠番[編集]

12 – サポーター 99 – フォクシー(クラブのマスコット)

歴代会長[編集]

  • 1913-1920 J・W・ホフケス
  • 1920-1921 J・ファン・デル・レール
  • 1921-1925 J・W・ホフケス
  • 1925-1926 N・ハルベルツマ
  • 1926-1927 A・ブルークマン
  • 1927-1928 J・スミッツ
  • 1928-1932 A・カース
  • 1932-1939 A・ファン・アンローイ
  • 1939-1945 C・M・モレルス
  • 1945-1951 A・ヴォールウィンデ
  • 1951-1954 C・M・モレルス
  • 1954-1963 A・ファン・ストリーン
  • 1963-1970 M・J・ヤンセン・フラチョン
  • 1970-1983 A・P・フルーネヴェルト
  • 1983-1993 J・H・ルッツ
  • 1993-1996 W・G・マエイェル
  • 1996-2004 ハリー・ファン・ラーエイ
  • 2005-2010 フリッツ・スフイテマ
  • 2010- R・W・J・フェルケルク


歴代監督[編集]

在任期間 名前 獲得タイトル
国内
リーグ
国内
カップ
国内スー
パーカップ
欧州
カップ
その他
1914-1916 オランダの旗 キース・メインデルス
1916-1921 オランダの旗 ウォウト・ブイテンウェグ
1921-1922 オランダの旗 ヤン・ボス
1922-1926 イングランドの旗 ジョン・リービー
1926-1927 オランダの旗 ベン・フーグステーデ
1927-1928 オランダの旗 イグナス・クレイン
1928-1929 オランダの旗 ヨープ・クレイン・ウェンティンク 1
1929-1935 イングランドの旗 ジャック・ホール 1
1935-1938 イングランドの旗 サム・ワーズワース
1938-1942 オランダの旗 ヤン・ファン・デン・ブローク
1942-1945 オランダの旗 コーエン・デルセン
1945-1951 イングランドの旗 サム・ワーズワース 1 1
1951-1952 イングランドの旗 ハリー・トッピング
1952-1956 オランダの旗 フーブ・デ・レーウ
1956-1957 ユーゴスラビアの旗 リュビチャ・ブロチッチ
1957-1958 イングランドの旗 ゲオルグ・ハードウィック
1958-1959 オランダの旗 セース・ファン・ディルケ
1959-1960 ユーゴスラビアの旗 リュビチャ・ブロチッチ
1960-1962 オーストリアの旗 フランツ・ビンダー
1962-1967 オランダの旗 ブラム・アッペル 1
1967 ユーゴスラビアの旗 ミラン・ニコリッチ
1967-1968 オランダの旗 ウィム・ブロクランド
1968.7-1972.6 ドイツの旗 クルト・リンデル
1972.7-1979.12 オランダの旗 ケース・レイヴェルス 3 2 1(UC)
1979.12-1980.6 オランダの旗 ヤン・レケル
1980.7-1983.6 オランダの旗 ティシ・リブレッツ
1983.7-1986.6 オランダの旗 ヤン・レケル 1
1986.7-1987.3 オランダの旗 ハンス・クラーイ
1987.3-1990.6 オランダの旗 フース・ヒディンク 3 3 1(CC)
1990.7-1992.6 イングランドの旗 ボビー・ロブソン 2
1992.7-1993.6 オランダの旗 ハンス・ウェステルホフ 1
1993.7-1994.10 オランダの旗 ア・デ・モス
1994.10-1994.12 オランダの旗 キース・ライフェルス
1994.12-1998.6 オランダの旗 ディック・アドフォカート 1 1 2
1998.7-1999.6 イングランドの旗 ボビー・ロブソン 1
1999.7-2002.5 ベルギーの旗 エリック・ヘレツ 2 2
2002.7-2006.6 オランダの旗 フース・ヒディンク 3 1 1
2006.7-2007.10 オランダの旗 ロナルド・クーマン 1
2007.11-2007.12 オランダの旗 ヤン・ボウタース
2008.1-2008.6 オランダの旗 セフ・フェルホーセン 1
2008.7-2009.1 オランダの旗 フーブ・ステーフェンス 1
2009.1-2009.6 オランダの旗 ドワイト・ローデヴェーヘス
2009.7-2012.3 オランダの旗 フレット・ルッテン
2012.3-2012.6 オランダの旗 フィリップ・コクー 1
2012.7-2013.6 オランダの旗 ディック・アドフォカート 1
2013.7- オランダの旗 フィリップ・コクー

歴代所属選手[編集]


歴代主将[編集]

選手 背番号 在籍期間 在任期間
オランダの旗 アト・ファン・エールト 1927–32 1928–
オランダの旗 スイェフ・ファン・ルン 1926–42
オランダの旗 ベルント・スホルテンス 1937–55
オランダの旗 ルール・ウィールスマ 1954–65 1954–65
オランダの旗 ヴィリー・ファン・デル・カイレン 1964–81 1965–73
オランダの旗 ヤン・ファン・ベベレン 1 1970–83 1973–83
ノルウェーの旗 ハルワルド・トーレセン 9 1981–88 1983–86
オランダの旗 ルート・フリット 10 1985–87 1986–87
ベルギーの旗 エリック・ヘレツ 2 1985–92 1987–92
オランダの旗 ヘラルト・ファネンブルフ 4 1986–93 1992–93
オランダの旗 エルウィン・クーマン 3 1979–82, 1990–94 1993–94
オランダの旗 アーサー・ニューマン 5 1992–98 1994–98
ベルギーの旗 ルク・ニリス 10 1994–00 1998–00
オランダの旗 マルク・ファン・ボメル 6 1999–05, 2012- 2000–05, 2012-
オランダの旗 フィリップ・コクー 8 1995–98, 2004–07 2005–07
ベルギーの旗 ティミー・シモンス 6 2005–10 2007–10
オランダの旗 イブラヒム・アフェライ 20 2003–10 2010
オランダの旗 オルランド・エンヘラール 8 2009– 2011
スウェーデンの旗 オラ・トイヴォネン 7 2009– 2011-12

クラブ記録保持者[編集]

通算得点数
1シーズン最多得点数
通算出場試合数
連続無失点時間

GK[編集]


DF[編集]

MF[編集]


FW[編集]

サッカー以外のスポーツ[編集]

PSVアイントホーフェンと呼ばれているクラブは17あり、全てフィリップス・スポーツ・ユニオン(Federatie van Philips Sport Verenigingen)のメンバーである。20種類のスポーツに5000人以上の会員がいる(2003年現在)。

PSVアイントホーフェンの水泳クラブ所属であるピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドインヘ・デブルーインは、2000年シドニーオリンピック競泳で8つのメダル(内5個の金メダル)を占めた。水泳クラブはサッカーの次に知られているが、そのほかのクラブもそれぞれの国内競技会で高いレベルにある。

脚注[編集]

外部リンク[編集]