名古屋グランパスエイト

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名古屋グランパスエイト
原語表記 名古屋グランパスエイト
呼称 名古屋グランパス
愛称 グランパス
クラブカラー レッド
創設年 1991年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J1
ホームタウン 愛知県名古屋市
ホームスタジアム 名古屋市瑞穂公園陸上競技場
収容人数 20,000
運営法人 株式会社名古屋グランパスエイト
代表者 池渕浩介
監督 ドラガン・ストイコビッチ
公式サイト 公式サイト
  サッカークラブPJ

名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本愛知県名古屋市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2008年から「名古屋グランパス」を呼称とする。

目次

[編集] クラブ概要

トップチームの母体となったのは、日本サッカーリーグに参加していたトヨタ自動車サッカー部1939年に創部)のコーチ・選手だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロとして活動する選手を名古屋市を拠点として新設したグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時、東海社会人リーグ所属。1993年ジャパンフットボールリーグ2部に参加も1年で撤退)にそれぞれ移籍させた。

チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の名古屋城金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。当初、このチーム名は当時名古屋市長だった西尾武喜が命名したとされていたが、「エイト」の部分に関してはオーナーであった豊田章一郎が「トヨタ」のカタカナ字画数が「8」であることから命名したという[1]。なお2008年シーズンより呼称に関してはチーム名から「エイト」が外され「名古屋グランパス」に変更された(日本協会登録チーム名と法人名、エンブレム、ロゴは「名古屋グランパスエイト」のまま)。これは、ファン、サポーターおよびマスコミに親しまれている呼称を採用することで、更に愛されるクラブづくりを目指してゆきたいとの理由からである[2]

ホームタウン愛知県名古屋市。ホームスタジアムは瑞穂陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する(2001年までは岐阜メモリアルセンター長良川陸上競技場も準ホームとしていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)。練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。

スポンサーが大企業のトヨタ自動車であることからJリーグ屈指の資金力を持ち、日本人を含む各国代表クラスの有力選手を獲得することも多く、また若手を含む多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。

[編集] ホームゲーム主会場

※Jリーグ創設当初から瑞穂陸上競技場をホームスタジアムにする予定であったが、1994年のわかしゃち国体秋季大会開催に伴う改修工事のため隣接する瑞穂球技場を使用
  • 1994年後期以後、瑞穂陸上競技場
2002年以後、集客の多く見込める試合については、豊田スタジアムも使用

[編集] 歴史

[編集] Jリーグ加盟まで

Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつだが、プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、チームの母体となるトヨタ自動車は、「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示したといわれている。

それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、県協会を使っての署名活動や地元メディアと連携しJリーグ加盟を取り付けたという。

地域密着を理念とした加入条件に「チーム名に企業名を付けない」があったが、豊田は「どうせやるならトヨタの“ト”の字も出すな。」とチームに企業色を全く出さなかったために、協会から「小さくてもいいから自社の証であるものをユニフォームに入れてくれないと広告宣伝費として認められない」と諭される。

[編集] 1993年 - 1994年

1993年
1986年メキシコワールドカップ得点王のリネカーを獲得し、平木隆三監督下で開幕に臨んだ。開幕直前の5月2日のプレシーズンマッチ・SSラツィオ戦では浅野哲也とリネカーのゴールによって2-1と、日本のクラブチームとしては初めてセリエAのチームに勝利した。しかし、Jリーグでは年間総合9位(12勝24敗)と下位に低迷してしまう。
1994年
ゴードン・ミルンを監督して迎えてシーズンに臨んだが、サントリーシリーズは8位(9勝13敗)。ニコスシリーズへ向けての戦力補強として、7月にユーゴスラビア代表主将ストイコビッチビニッチを獲得。半年の期限付き移籍でストイコビッチは腰掛けのつもりだったが、そのまま2001年の現役引退まで在籍し、クラブの歴史に欠かせない存在となった(なお、ビニッチはシーズン終了後に退団している)。
Jリーグ有数の攻撃陣を擁してニコスシリーズに臨んだが、リネカーの怪我やストイコビッチの不調などにより最下位(6勝16敗)に低迷。11月にはミルン監督が更迭された。なお、この年を最後にリネカーは現役を引退した。
年間総合でも11位(15勝29敗)と低迷。Jリーグ新加入のジュビロ磐田ベルマーレ平塚の両チームより下位で、昨年と同じ顔ぶれとなったグランパスエイトを含む下位の4チーム(他の3チームは浦和レッドダイヤモンズジェフユナイテッド市原ガンバ大阪)には「Jリーグのお荷物」と不名誉な呼び方が与えられる。

[編集] 1995年 - 1997年

1995年
チーム改革を目指しアーセン・ベンゲルを監督に迎えた。ブラジル人のエリベウトンジョルジーニョを解雇し、阪倉裕二パシトーレスを獲得したほか、ベンゲル監督はデュリックスをチームに招き、選手の長所を伸ばすことを目指して自信を植え付けていった。
元々代表クラスの選手を抱えていたこともあり、年間総合3位(32勝20敗)と大躍進。翌1996年1月1日には天皇杯で優勝を決めた。
1996年
この年は1シーズン制であり、成績は2位(21勝9敗)であった。リーグ戦2位としてサントリーカップ・96チャンピオンズファイナルに進出し、同年のナビスコカップで優勝した清水エスパルスと対戦し、PK戦の末に勝利を収めた(3-1)。決勝ではリーグ戦で優勝した鹿島アントラーズと対戦し、スコアレスで突入した延長戦でストイコビッチのVゴールによって勝利、これにより鹿島のJリーグ完全優勝を阻止し、形式としては1996年の事実上のJリーグチャンピオンとなった。
なお、9月にはベンゲル監督がイングランドアーセナルへと引き抜かれた。
1997年
前年度のサントリーカップ優勝によりサンワバンクカップの出場権が与えられた。MLSカップで優勝したアメリカ合衆国ワシントンD.C. ユナイテッドと対戦し、3-1で勝利を収めた。
リーグ戦では年間総合9位(16勝16敗)とまずまずの成績を収めたが、天皇杯では、当時JFLであった東京ガス(後のFC東京)に敗戦を喫した。

[編集] 1998年 - 2001年

1998年
前年の11月に就任した田中孝司監督の下、ヴェルディ川崎から石川康を獲得してシーズンに臨み、年間総合5位(23勝11敗)の成績を収めた。
1999年
横浜マリノスと合併・消滅した横浜フリューゲルスから楢崎正剛山口素弘、ベルマーレ平塚から呂比須ワグナーを獲得した。その一方で、田中監督の采配の不安が懸念された。
大幅な戦力補強ゆえに優勝候補の筆頭に上げられたが、シーズン中に田中監督と平野孝望月重良大岩剛との確執が表面化し、田中監督が辞任に追い込まれるなど、1stステージ8位(7勝1分7敗)と低迷する。2ndステージも苦しいスタートであったが、シーズン途中にジョアン・カルロス監督が就任すると直後に10連勝し、最終成績2位(11勝1分3敗)、年間総合4位(18勝2分10敗)と好成績を残した。また、天皇杯では2度目の優勝を果たした。しかし、12月に長年チームを支えてきた浅野哲也に戦力外通告を行うと、トーレスも退団した。
2000年
前年の浅野とトーレスに続き、一昨年までチームの守護神であった伊藤裕二、かつてのチームの看板選手であった小倉隆史野口幸司という主力選手が相次いで移籍するなど、戦力面に大きな不安を残しシーズンを迎え、1stステージでは12位(7勝1分7敗)と低迷する。すると2ndステージ開始直後の7月、突如チームの顔であった平野孝、望月重良、大岩剛の3人を解雇することを発表した。これに関して小宮好雄副社長は「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と理由を説明した。この後、クラブのエースストライカーとして、球団史に残る活躍を見せるウェズレイを獲得。2ndステージでは7位(7勝1分7敗)となり、年間総合9位(14勝2分14敗)の成績を残した。シーズン終了後には、長年チームの主力であった飯島寿久小川誠一に戦力外通告。呂比須ワグナーが退団。
2001年
ジェフ市原から酒井友之を獲得した他、かつての看板選手であった森山泰行を復帰させ、即戦力となる複数の選手を獲得した。
1stステージは3位(10勝2分3敗)で終了。1stステージ末、8年間チームをフンタジー溢れるプレーで観客を魅了し続けてきたストイコビッチが現役を引退し、チームは新たな過渡期を迎えた。年間総合では5位(17勝3分10敗)とまずまずの成績を残す。

[編集] 2002年 - 2005年

2002年
元ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニックを引き抜き監督に迎えた。

5月に、ウリダマルセロに戦力外通告を行う。6月にパナディッチヴァスティッチを獲得した。

1stステージは3位(10勝5敗)と好成績を残したが、2ndステージは13位(5勝1分9敗)と低迷する。年間総合は6位(15勝1分14敗)であった。チームの精神的支柱である山口素弘の戦力外通告を行う。
2003年
平林輝良寛がユースから昇格した。5月にヴァスティッチを解雇し、マルケスを獲得した。1stステージでは7位(5勝8分2敗)と順位こそまずまずだが、大事な場面で点が取れない試合が多かった。また、シーズン中にはウェズレイと監督の間に起用を巡って確執があることが表面化した。勝ちきれない体質を改善するためベルデニックを解任し、2ndシーズン開始前にネルシーニョ監督を招聘、順位こそ8位(6勝4分5敗)であったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。年間総合は7位(11勝12分7敗)。
2004年
大宮アルディージャから川島永嗣、鹿島アントラーズから秋田豊京都サンガF.C.から角田誠ベガルタ仙台から岩本輝雄京都サンガF.C.から大野敏隆を獲得して大型補強を行い、優勝候補に数えられた。また、森山泰行も再びチームに復帰した。
年間総合成績は7位(12勝8分10敗)。第1ステージ限りで、森山が引退。7月にクライトンがネルシーニョ監督によって招かれている。その後、大野を始め、本田征治、滝沢邦彦ら、主力選手が相次いで移籍をする。オフには、例年の大型補強をやめ、ピンポイント補強に転換し、若手の育成に力を入れる事を宣言する。12月には岩本が退団。
2005年
前年から特別指定選手としてチームに帯同していた本田圭佑を獲得するものの、長年チームの主力でありミスターグランパスとも呼ばれた岡山哲也を始め、海本慶治海本幸治郎が新潟へ移籍・退団をした。このオフは、アルビレックス新潟から安英学を獲得したのに加えて、名古屋と新潟の間で4件の移籍が発生するという異例な事態となった。
4月にチームのエースストライカーであったウェズレイが退団するものの、序盤戦では2位になるなど幸先良いスタートを切ったが、5月にマルケスが退団すると、次第にチームは失速し、また得点力不足に陥った。そのためガンバ大阪から、中山悟史を、さらにはジュビロ磐田から藤田俊哉を獲得し、大型補強をおこなった。しかし、この補強には前年ピンポイント補強を宣言したにも関わらず、行ったために批判もあった。7月にはルイゾンを獲得したが、成績不振を理由にネルシーニョ監督が解任される。
ネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、クライトンを苦し紛れにFW起用するなど得点力不足に拍車がかかるようになる。その結果、クライトンは本来のパフォーマンスを発揮できず、シーズン終了後に戦力外通告を受けている。
J2への降格すら現実味を帯びるほどの不振をきわめたが、11月20日に首位ガンバ大阪相手に2-1で勝利すると、続く23日の東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分け辛うじてJ1残留を決めた。最終成績は14位(10勝9分15敗)であった。シーズン後には上田TDを解任。だが、来期の監督であるフェルホーセンを招集した同TDを解任したことで、サポーターの間では動揺もあった。

[編集] 2006年 - 2007年

2006年
オランダ人監督のセフ・フェルホーセンが就任。開幕前に日本代表FW玉田圭司柏レイソルより完全移籍で獲得するとともに、スピラール金正友らを獲得した。
しかし、玉田というストライカーを得たものの前線にポスト役となる選手がおらず、依然深刻な得点力不足に悩まされていた。長身のDFの古賀正紘をFWで起用するなど打破を狙ったものの、シーズン序盤にはナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星が無いと言う苦しい状況が続いた。7月にノルウェー代表FWヨンセンを獲得すると得点力不足が改善、チームも上昇気流に乗るようになった。最終成績は7位(13勝9分12敗)。
ホームでFC東京に敗戦してからフェルホーセンと選手との間で練習方法を巡ってのトラブルが発生した事もあったが、後に和解している。なお年に、チームの精神的支柱であった秋田豊に戦力外通告を行っている。
2007年
古賀正紘が柏レイソルへ、川島永嗣が川崎フロンターレへそれぞれ移籍し、加えて復帰したばかりの角田誠が開幕前に再度京都へ移籍するなど守備面に大きな不安を残した。また、黄金世代と呼ばれた年代のユースから吉田麻也を始め、長谷川徹福島新太新川織部の4人が昇格したほか、小川佳純明治大学から、巻佑樹駒澤大学から入団した。
開幕4連勝など幸先良いスタートを切ったが、主力選手の怪我や出場停止などによって好不調の波が激しく、近年の課題でもあった決定力不足を露呈し、勝ち切れない試合が多く、前半戦終了時点で14位と低迷。特に8月半ばの横浜F・マリノス戦の3-0での惨敗後に、サポーターが暴動行為が起こす(次の大宮アルディージャ戦の試合前に両社とも謝罪。)など、チーム内でも亀裂が起こっていた。結局11月18日の大分トリニータ戦で3-1で勝利してJ1残留を決めたものの、すでにJ2降格が決まっていた11月24日の横浜FC戦でのスコアレスドローや、天皇杯第5回戦でHonda FC(リーグカテゴリが2つ下の日本フットボールリーグに所属)に2-0で敗れるという波乱もあり、最後まで課題が残るシーズンであった。最終成績は11位(13勝6分15敗)。
このホーム最終戦(11月24日の横浜FC戦)の後に行われたセレモニーでは、フロントに対して今季のチーム成績不振に対する不満が書かれた横断幕が提げられ、その後挨拶をしにきたフェルホーセン監督に対して一部のサポーターが暴言を吐くなど、サポーターの不満が表面化する一幕もあった。

[編集] 2008年 -

2008年
チームの英雄で、伝説的選手でもあるストイコビッチが監督として復帰。同様に守護神としてチームを支えたディド・ハーフナーがコーチとして復帰した。ヘッドコーチには、ストイコビッチとともにイビチャ・オシムの下でユーゴスラビア代表としてプレーしたボスコ・ジュロヴスキーを招聘した。年明けには新たにチームに設けたGM職に久米一正が就任した。
本田圭佑がオランダへ、金正友が韓国へ移籍した。一方補強では、ストイコビッチが自ら引き抜いたバヤリツァのほか、川崎フロンターレからマギヌンを獲得した。また、ユースから花井聖が昇格した。
シーズン前にはFC岐阜がJ2に加盟したことから、東海3県では初となるプレシーズンマッチが、FC岐阜の本拠地である長良川陸上競技場で開催された。リーグ開幕戦の京都サンガF.C.とは引き分けたものの、第2節から6連勝し一時は首位にもなった。最終節まで優勝争いを演じ、最終的に3位(17勝8分9敗)となり2009年のAFCチャンピオンズリーグ出場も決定した。なお、1993年のJリーグ開幕以来1度も勝ち星を挙げることができなかったカシマスタジアムの鹿島アントラーズ戦で、初めて勝利を収めている(後述#鬼門のカシマスタジアムを参照)。
2009年
チームの活性化を目指し、ヨンセン清水エスパルス)、藤田俊哉ロアッソ熊本)、大森征之(引退)、米山篤志栃木SC)、三木隆司徳島ヴォルティス)などの主力のベテラン選手を放出し、ユースから昇格した磯村亮太をはじめ6人の新人選手が入団し、コンサドーレ札幌からダヴィ横浜F・マリノスから田中隼磨を獲得した。さらに、前年に新人王を獲得した小川佳純にはストイコビッチ監督の代名詞でもある背番号10が与えられた。また、かつてストイコビッチとともにチームを支えた伊藤裕二と飯島寿久がトップチームのコーチに昇格した。前年の世界金融危機の影響で親会社のトヨタ自動車が経営不振による赤字に転落したが、前述のベテラン組の放出を除いてほとんどの選手が残留した。
3月22日の第3節清水エスパルス戦で3-1と勝利、ホームゲーム通算150勝を達成した。中断期間前の5月24日までを5勝4分3敗の9位で折り返す。その時点でダヴィは9得点で得点ランキングトップであったものの、チーム全体の得点は16点に留まった。この原因の1つとして昨シーズンにヨンセンが務めたポストプレイヤーの役割にダヴィが適合していなかったことが指摘され、ストイコビッチ監督の目指すサイド攻撃を活かすためのターゲット役の獲得が急がれた[3]。6月20日、グランパスはカールスルーエSC所属のオーストラリア代表FWケネディと移籍に向けた交渉を行い、21日にAFC枠での獲得を発表した[4]。玉田やダヴィとの共存でチームの得点力不足改善が期待された[5]が、7月9日にダヴィのウム・サラルSCカタール)移籍が両クラブ間で合意に達したと発表された[6]

[編集] エピソード

[編集] 名古屋の『中位力』

トヨタ自動車をスポンサーとする強力な資金力を背景に毎シーズン積極的な戦力補強を行っているが、結果には結びついていない。昨今では大物選手が移籍を匂わすと、必ずと言っていいほど名古屋の名前が挙がる。それでもなかなか優勝できず、それとJ2降格も経験していないいわゆる「万年中位」状態が続いている。

また、上位のクラブに勝利しながら下位のクラブにあっさりと敗戦してしまうことも多い。たとえば、2006年ではリーグ優勝した浦和レッズに敗戦を喫していない(1勝1分)唯一のチームであること、一方で、ともに記録的な成績の最下位で降格した2002年のコンサドーレ札幌、2005年のヴィッセル神戸に、J1全クラブ中、名古屋のみが2連敗(その上、いずれも無得点)を喫している。さらに、1999年に一勝しかあげなかったベルマーレ平塚にも1敗していることが挙げられる。

[編集] ゴールデンウィーク期間中の弱さ

近年のゴールデンウィーク期間中の成績は、全くと言って良いほど悪く、2004年から2008年まで、ほとんど勝ち星がなかった。 また、近年の失速の理由は、この期間での勝敗で左右されている。

[編集] カップ戦の苦手さ

ナビスコ杯では2004年のベスト4から3年連続グループリーグ敗退を喫しており、2007年に至ってはナビスコ杯参加チームで唯一未勝利のままで敗退している。

天皇杯に関しては、1999年シーズン優勝以降からの成績がほとんどベスト16以下であり、ベスト8が1回しかない。2003~2007年は5年連続でベスト16で敗退し、準々決勝進出を逃している。ただし、ストイコビッチ監督が就任した2008年は、浦和など強豪と同じグループでありながら最高の成績で予選を通過し、2004年以来のベスト4に入った。

[編集] 鬼門のカシマスタジアム

グランパスはJリーグ開幕以来、2008年までカシマスタジアムで1度も勝っておらず、引き分けすら1つもないというジンクスがあった。グランパスは1993年のJリーグ開幕戦、カシマスタジアム鹿島アントラーズと対戦し、ジーコにハットトリックを決められ大敗して以来、天皇杯ナビスコ杯含めて21連敗であった。グランパスが念願のカシマスタジアム初勝利を挙げたのはJリーグ開幕から15年以上経った2008年8月23日だった。

[編集] Jリーグ年度別成績

年度 リーグ J1/J2 順位 成績
1993年 サントリー J1 9位(10) 7勝11敗
ニコス 8位(10) 5勝13敗
1994年 サントリー J1 8位(12) 9勝13敗
ニコス 12位(12) 6勝16敗
1995年 サントリー J1 4位(14) 15勝11敗
ニコス 2位(14) 17勝9敗
1996年 年間 J1 2位(16) 21勝9敗
1997年 1st J1 12位(17) 6勝10敗
2nd 5位(17) 10勝6敗
1998年 1st J1 3位(18) 12勝5敗
2nd 6位(18) 11勝6敗
1999年 1st J1 8位(16) 7勝7敗1分
2nd 2位(16) 11勝3敗1分
2000年 1st J1 12位(16) 7勝7敗1分
2nd 7位(16) 7勝7敗1分
2001年 1st J1 3位(16) 10勝3敗2分
2nd 6位(16) 7勝7敗1分
2002年 1st J1 3位(16) 10勝5敗0分
2nd 13位(16) 5勝9敗1分
2003年 1st J1 7位(16) 5勝2敗8分
2nd 8位(16) 6勝5敗4分
2004年 1st J1 8位(16) 5勝5敗5分
2nd 5位(16) 7勝5敗3分
2005年 年間 J1 14位(18) 10勝15敗9分
2006年 年間 J1 7位(18) 13勝12敗9分
2007年 年間 J1 11位(18) 13勝15敗6分
2008年 年間 J1 3位(18) 17勝8敗9分
合計 - J1 - 259勝224敗61分

※カッコ内はチーム数

[編集] 獲得タイトル

[編集] 国内タイトル

[編集] 個人別タイトル

Jリーグ
年度 最優秀選手(MVP) ベストイレブン 得点王 新人王
1993年 - - - -
1994年 - - - -
1995年 ストイコビッチ ストイコビッチ - -
1996年 - ストイコビッチ - -
1997年 - - - -
1998年 - - - -
1999年 - ストイコビッチ - -
2000年 - - - -
2001年 - - - -
2002年 - - - -
2003年 - 楢崎正剛
ウェズレイ
ウェズレイ -
2004年 - マルケス - -
2005年 - - - -
2006年 - - - -
2007年 - - - -
2008年 - 楢崎正剛
小川佳純
- 小川佳純

[編集] 歴代監督

日本の旗 三浦哲郎(1994年11月-同年末、監督代行)
ポルトガルの旗 ジョゼ・アルベルト・コスタ(1996年9月-同年10月、監督代行)
ブラジルの旗 マザロッピ(1999年8月)監督代行

[編集] ユニフォーム

[編集] チームカラー

  • チームカラーは赤、オレンジ
ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×橙
FP(2nd)
GK(1st) サックスブルー
GK(2nd)
GK(3rd) オレンジ
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
トヨタ自動車 TOYOTA 2001年〜 1992年〜2000年までは袖
背中 豊田自動織機 豊田織機 2006年・2009年〜
中部電力 中部電力 2008年〜
パンツ トヨタファイナンス TS CUBIC CARD 2004年〜

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992~1996年 リーグ戦・ミズノ、カップ戦・ルコック
  • 1997年 リーグ戦・アンブロ、カップ戦・ルコック
  • 1998年~現在 ルコック

※「ルコック」ブランドは日本ではデサントが販売を展開している。

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年 - TOYOTA - - lecoq
1993年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1994年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1995年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1996年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1997年 - TOYOTA - - UMBRO/lecoq
1998年 - TOYOTA - - lecoq
1999年 - TOYOTA - - lecoq
2000年 - TOYOTA - - lecoq
2001年 TOYOTA HISAGO - - lecoq
2002年 TOYOTA HISAGO TOYOTA L&F - lecoq
2003年 TOYOTA HISAGO DENSO - lecoq
2004年 TOYOTA HISAGO DENSO TS CUBIC lecoq
2005年 TOYOTA HISAGO TOYOTA L&F TS CUBIC lecoq
2006年 TOYOTA HISAGO 豊田織機 TS CUBIC lecoq
2007年 TOYOTA HISAGO DENSO TS CUBIC lecoq
2008年 TOYOTA 中部電力 DENSO TS CUBIC lecoq
2009年 TOYOTA 中部電力 豊田織機 TS CUBIC lecoq

※1:1992年~2000年の袖「TOYOTA」はロゴは使用せず、シンボルマークのみを採用。
※2:2001年に「TOYOTA」のロゴを入れるまで、胸部分にはグランパスのチームロゴを入れていた。
※3:「TOYOTA L&F」は「豊田織機」(豊田自動織機)の社内カンパニーである。

[編集] エンブレム

  • 1992年-1993年 グランパスくんをそのままエンブレムとして採用。
  • 1994年-1997年 チームフラッグをモチーフにした円形のエンブレムを採用。
  • 1998年- 楯と王冠をモチーフに「NGE(Nagoya Grampus Eight)」とグランパスくんを盛り込んだものを採用。

[編集] その他の協賛社

ここでは出資会社、クラブスポンサーを列挙する。

[編集] クラブスポンサー

[編集] 出資会社

[編集] マスコットキャラクター

マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス(Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。

2009年現在、グランパスくんをはじめ、グランパコちゃん(妻)、グランパスくんJr.(息子)、グララ(娘)がおり、グランパスファミリーを形成している。

スポーツのマスコットキャラクター一覧」を参照

[編集] グランパスの試合を中継する放送局

テレビ
試合中継を民放で放送する際、スポンサーとなるトヨタグループ9社を紹介する共通CMを放送する(一部応援番組などでも放送されている)
  • NHK(テレビ(ローカル放送・BS含む)・ラジオ)
  • J SPORTSスカチャンなどのCSチャンネル
  • 名古屋テレビ(2007年までは他局と違い年1試合程度生中継を行っていたが、FC岐阜のオフィシャルスポンサーとなったことに伴い、地元のぎふチャンスカパー!向けの試合中継制作を交互で担当するようになってからは行われていない)
  • 東海テレビ(通常のリーグ戦に加え、ヤマザキナビスコカップのホーム戦も不定期で中継する)
  • 中京テレビ(2008年度よりホームゲームに限り、スカパー!向けの試合中継制作を担当。スカパー!の解説はグランパスOBの藤川久孝などが担当。東海テレビの解説者でもあった沢入重雄も担当していた)
  • CBC(ラジオはネットワークの関係で放送権を持っていないがテレビのみ年に1回程度の録画中継がある)
  • テレビ愛知(近年は放送実績なし)
ラジオ
2009年4月12日の豊田スタジアムで行われた浦和戦からは、ホーム戦で不定期ではあるが、インターネットストリーミング放送をラジオと同時中継を行うことになった(東海ラジオ制作分に関しては地上波が生中継を行っている場合以外はインターネットのみ放送)
  • エフエムとよた(2007年10月21日のFC東京戦より実況中継を開始。2008年以降は「GRAMPUS BEAT」としてホーム戦を全試合中継の予定。解説にグランパスS.A.の関谷憲生、実況はフリーアナウンサーが担当)
  • 東海ラジオ東海ラジオ ワイルドサッカーとして生中継。Jリーグや国際試合の放送権を持つニッポン放送系列のため過去に多数の放送実績があるが、近年はホーム開幕戦を毎年放送する程度)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2007年5月15日中日新聞
  2. ^ 公式HP
  3. ^ 中日スポーツ (2009年6月16日). "ケネディ獲得へ 豪州代表194センチFW". 2009年6月22日 閲覧。
  4. ^ 名古屋グランパス 公式サイト (2009年6月21日). "ジョシュア・ケネディ選手、新加入のお知らせ". 2009年6月22日 閲覧。
  5. ^ スポーチ報知 (2009年7月4日). "ダヴィにオファー…名古屋GM認めた". 2009年7月13日 閲覧。
  6. ^ 名古屋グランパス (2009年7月9日). "ダヴィ選手のウム・サラル(カタール)移籍、クラブ間合意のお知らせ". 2009年7月13日 閲覧。

[編集] 外部リンク