名古屋グランパスエイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

名古屋グランパスエイト
原語表記 名古屋グランパスエイト
愛称 グランパス
クラブカラー レッド
創設年 1991年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J1
ホームタウン 愛知県名古屋市
ホームスタジアム 名古屋市瑞穂公園陸上競技場
収容人数 27,000
代表者 池渕浩介
監督 ドラガン・ストイコビッチ
公式サイト 公式サイト

Template(ノート 解説)サッカークラブpj

名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本愛知県名古屋市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。2008年から「名古屋グランパス」を呼称とする。

目次

[編集] クラブ概要

トップチームの母体となったのは、日本サッカーリーグに参加していたトヨタ自動車サッカー部1939年に創部)のコーチ・選手だった。1991年にJリーグ加盟したのに伴い、プロとして活動する選手を名古屋市を拠点として新設したグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時、東海社会人リーグ所属。1993年ジャパンフットボールリーグ2部に参加も1年で撤退)にそれぞれ移籍させた。

ホームタウン愛知県名古屋市。ホームスタジアムは名古屋市瑞穂公園陸上競技場と隣接する球技場、および豊田市の球技場・豊田スタジアムも併用する(2001年までは岐阜メモリアルセンター長良川陸上競技場も準ホームとしていたが、豊田スタジアム完成に伴い撤退)。練習会場は豊田市のトヨタスポーツセンター。チーム名は「グランパス(Grampus)」が英語の名古屋城金鯱)、「エイト」は数字の八(名古屋市の記章)の英語訳を合わせたもの。当初、このチーム名は当時名古屋市長だった西尾武喜が命名したとされていたが、「エイト」の部分に関してはオーナーであった豊田章一郎が「トヨタ」のカタカナ字画数が「8」であることから命名したという[1]。なお2008年シーズンより呼称に関してはチーム名から「エイト」が外され「名古屋グランパス」に変更された(日本協会登録チーム名と法人名、エンブレム、ロゴは「名古屋グランパスエイト」のまま)。これは、ファン、サポーターおよびマスコミに親しまれている呼称を採用することで、更に愛されるクラブづくりを目指してゆきたいとの理由からである[2]。 スポンサーが大企業のトヨタ自動車であることから、資金力はJリーグ屈指で、日本代表クラスの選手を他チームより獲得、また多くの外国人選手をJリーグの舞台に招き入れている。

[編集] ホームゲーム主会場

2002年以後、集客力の多く見込める試合は豊田スタジアムも使用

[編集] 歴史

Jリーグ創設時から加盟した10チーム(オリジナル10)のひとつ。

しかし、プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、チームの母体となるトヨタ自動車は、「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示したといわれている。 それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、Jリーグ加盟を取り付けたという。

Jリーグ開幕初年の1993年1986年メキシコワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーを擁して臨んだが下位に低迷。ガンバ大阪浦和レッドダイヤモンズと共に「Jリーグのお荷物」と呼ばれてしまう。それでも、1993年5月2日のラツィオ戦では浅野、リネカーのゴールで2-1と勝ち日本のクラブで初めてセリエAのチームに勝利した。

1994年途中にユーゴスラビア代表主将ドラガン・ストイコビッチを獲得。当初は短期間の腰掛け移籍のつもりだったストイコビッチだが、結局2001年まで在籍してクラブの歴史に欠かせない存在となる。1995年アーセン・ベンゲル監督を迎え、一躍台風の目となったグランパスは1995年度の天皇杯で優勝する。最初の黄金時代を築いた。

Jリーグでのリーグ戦タイトルこそまだないが、1996年は1シーズン制だったのでチャンピオンシップは開催されず、その代わりとして「サントリーカップ・96チャンピオンズファイナル」と題する大会が開催される。その時はリーグ戦・ナビスコ杯の上位2チームが進出し、名古屋グランパスがリーグ戦2位で出場権を獲得。準決勝ではナビスコ王者の清水エスパルスPK戦の末[3-1]で勝利。決勝戦ではその年のJリーグチャンピオンの鹿島アントラーズと対戦し、ストイコビッチの延長Vゴールにより[1-0]で下して優勝。Jリーグの初栄冠に輝き、1996年の事実上のJリーグ総合王者となる。翌1997年には前年までJリーグの年間総合優勝クラブが出場したサンワバンクカップの出場権が与えられた。 しかし1996年の半ばにベンゲル監督がイングランドアーセナルへ引き抜かれ、それ以降はチームは徐々に弱体化する。

1999年度には横浜マリノスと合併した横浜フリューゲルスから楢崎正剛山口素弘ベルマーレ平塚から呂比須ワグナーを獲得し、優勝候補の筆頭に上がったが、第1ステージはまさかの8位と低迷する。第2ステージも苦しいスタートであったが、シーズン途中にジョアン・カルロス監督が就任し、就任後10連勝し、2位と好成績を残し、天皇杯では再び優勝した。

2000年には小宮好雄副社長のトップダウン人事でチームの顔であった平野孝望月重良大岩剛をシーズン途中に突如解雇する。小宮氏によると「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と解雇の理由を説明したが、未だにこの決断はファンの間に物議を醸している。

2001年の1stステージでは、8年の長きに渡り、ファンタジーあふれるプレーで、チームを支えてきたストイコビッチが現役を引退。チームは新たな過渡期を迎える。

2002年シーズンに、前ジェフユナイテッド市原監督のズデンコ・ベルデニック監督が就任し、チームの潜在能力を引き出した。

2003年の2ndステージでは、勝ちきれない体質を改善するため、ネルシーニョ監督を招聘した。チームは8位に終わったが、ウェズレイがJ1得点王を獲得した。

2005年シーズンは、序盤戦では2位に乗るなど幸先良いスタートを切ったが、マルケスが退団するとチームの勢いは失速した。元ブラジル代表FWルイゾンを補強したが、成績不振でネルシーニョ監督が解任されるとルイゾンも退団し、J2への降格すら現実味を帯びるほど不振をきわめた。しかし、11月20日の首位ガンバ大阪戦を2-1で勝利すると、つづく23日東京ヴェルディ1969戦を0-0で引き分けJ1残留を果たした。

2006年シーズンは、オランダ人監督のセフ・フェルホーセン氏が就任。さらに、開幕前に日本代表FW玉田圭司柏レイソルより完全移籍で獲得すると共に、スロバキア人のDFスピラール韓国代表MF金正友らを獲得した。しかし、前線にターゲットとなる選手がいないことで、深刻な得点力不足に悩まされ、長身のDFの古賀正紘をFWで起用するなど打破を狙ったものの、ナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星が無いと言う苦しい状況が続いた。だが、シーズン途中にノルウェー代表FWフローデ・ヨンセンを獲得してからようやくチームも上昇気流に乗りだした。その後、ホームでFC東京に敗戦してからフェルホーセンと選手との間で練習方法を巡ってのトラブルが発生した事もあったが和解。終盤に好調を維持して賞金圏内に滑り込んだ。

2007年シーズンは、古賀正紘が柏レイソルへ、川島永嗣川崎フロンターレへ、秋田豊京都サンガF.C.へ移籍した。その一方で米山篤志を川崎フロンターレから、櫛野亮ジェフユナイテッド市原・千葉から、さらには日本代表FW巻誠一郎の弟である巻佑樹らを獲得。序盤戦は開幕4連勝と波に乗るなど幸先良いスタートを切ったが、開幕戦のスピラールの大怪我などの怪我や出場停止などで一部の選手が離脱。 さらに、中断明けにヨンセンや金正友が怪我で離脱することもあって好不調の波が激しく、近年の課題でもあった決定力不足を露呈し、勝ち切れない試合が多く、14位と低迷。 結局、11月18日の第32節大分トリニータ戦で3-1で勝利してJ1残留したものの、すでにJ2降格が決まっていた11月24日横浜FC戦(ホーム最終戦)でのスコアレスドローや、天皇杯の第5回戦では、リーグカテゴリが2つ下の日本フットボールリーグに所属するホンダFCに2-0で敗れて敗退するという波乱もあり、最後まで課題が残り、あと一歩のところでJ2降格と取り返しの付かないシーズンとなった。 このホーム最終戦の後に行われたセレモニーでは、フロントに対して今季のチーム成績不振に対する不満が書かれた横断幕が提げられ、その後挨拶をしにきたフェルホーセン監督に対して一部のサポーターが暴言を吐くなど、サポーターの不満が表面化する一幕もあった。

2008年シーズンは、1994年から7年間、チームの中心として活躍したストイコビッチが監督として、さらに、1992年創立時から守護神としてチームを支え、ストイコビッチともわずか半年間だが、ともにプレーしたディド・ハーフナーGKコーチも、アシスタントコーチとして復帰することも決定し、2人のOBがチームに復帰することになった。また、ヘッドコーチには、ユーゴスラビア代表では、ストイコビッチと共にイビチャ・オシム前日本代表監督の下でプレー経験のあるジュロヴスキ氏を招聘。 年明けには今季からチームに設けたGM職に久米一正氏が加わり、戦力のほうも、スピラールの退団、本田圭佑がオランダへ、金正友が韓国へそれぞれ移籍したが、川崎フロンターレからMFマギヌン鹿島アントラーズからFW深井正樹(期限付き移籍で加入)、そして、ストイコビッチ監督が会長を務めていたレッドスター・ベオグラードからDFミロシュ・バヤリツァをストイコビッチ自ら引き抜いての加入など、計5人を獲得。また新卒入団では、グランパスのユースで主力だったMFの花井聖がトップチーム昇格するなど、今季に向けての幸先のいいスタートとなった。 シーズン開幕戦こそ京都サンガF.C.と引き分けたが、第2節から6連勝し、悲願のJリーグ初優勝へ向けて期待が高まっている。


[編集] エピソード

[編集] 名古屋の『中位力』

トヨタ自動車をスポンサーとする強力な資金力を背景に毎シーズン積極的な戦力補強を行っているが、結果には結びついていない。昨今では大物選手が移籍を匂わすと、必ずと言っていいほど名古屋の名前が挙がる。それでもなかなか優勝できず、それとJ2降格も経験していないいわゆる「万年中位」状態が続いている。

また、上位のクラブに勝利しながら下位のクラブにあっさりと敗戦してしまうことも多い。たとえば、2006年ではリーグ優勝した浦和レッズに敗戦を喫していない(1勝1分)唯一のチームであること、一方で、ともに記録的な成績の最下位で降格した2002年のコンサドーレ札幌、2005年のヴィッセル神戸に、J1全クラブ中、名古屋のみが2連敗(その上、いずれも無得点)を喫している。さらに、1999年に一勝しかあげなかったベルマーレ平塚にも1敗していることが挙げられる。

[編集] ゴールデンウィーク期間中の弱さ

近年のゴールデンウィーク期間中の成績は、全くと言って良いほど悪く、2004年から2008年まで、ほとんど勝ち星がなかった。 また、近年の失速の理由は、この期間での勝敗で左右されている。

[編集] カップ戦の苦手さ

ナビスコ杯では2004年のベスト4から3年連続グループリーグ敗退を喫しており、2007年に至ってはナビスコ杯参加チームで唯一未勝利のままで敗退している。

天皇杯に関しては、1999年シーズン優勝以降からの成績がほとんどベスト16以下であり、ベスト8が1回しかない。2003~2007年は5年連続でベスト16で敗退し、準々決勝進出を逃している。

[編集] カシマスタジアムで全敗

グランパスはJリーグ開幕以来、カシマスタジアムでまだ1度も勝っておらず、引き分けすら1つもない。グランパスは1993年のJリーグ開幕戦、カシマスタジアム鹿島アントラーズと対戦し、ジーコにハットトリックを決められ大敗して以来、天皇杯ナビスコ杯含めて21連敗である。

[編集] サポーターの特徴

名古屋のサポーターは中部圏だけではなく、関東圏にも多く存在しているためか、アウェイ(特に関東地方)になるとサポーターの熱狂度が増し、熱い応援が展開される。 ホームの試合のゴール裏応援席は、家族連れ、女性のサポーターも多く、チームのマスコットであるグランパスくんのぬいぐるみを持って応援しているサポーターが多く見受けられる[要出典]。またサポーターの協力や、かつてのスターだったストイコビッチ氏の監督就任、そして近年の成績上昇もあってか、2008年ごろからサポーターの数が激増し、ホームでも過激さが増している。

[編集] チャント

フランス国歌のラ・マルセイエーズなど、一般的に他チームで使われている応援歌が多く、特にガンバ大阪とほとんど応援歌が被っているため、名古屋vsG大阪の試合ではブーイングが起きることが多い。[要出典]またホームの選手入場時には、oasisDon't Look Back In Anger に独自の歌詞をつけたものを歌う(サポーターの間では Anthem Of Nagoyaと呼ばれている)[要出典]が、歌詞が難しいことやタイミングがずれることもあって、「廃止するべき」「普段の応援歌を歌った方が盛り上がる」などの声が上がっていた[要出典]ため、2008年から廃止されている。


[編集] Jリーグ年度別成績

年度 リーグ J1/J2 順位 成績
1993年 サントリー J1 9位(10) 7勝11敗
ニコス 8位(10) 5勝13敗
1994年 サントリー J1 8位(12) 9勝13敗
ニコス 12位(12) 6勝16敗
1995年 サントリー J1 4位(14) 15勝11敗
ニコス 2位(14) 17勝9敗
1996年 年間 J1 2位(16) 21勝9敗
1997年 1st J1 12位(17) 6勝10敗
2nd 5位(17) 10勝6敗
1998年 1st J1 3位(18) 12勝5敗
2nd 6位(18) 11勝6敗
1999年 1st J1 8位(16) 7勝7敗1分
2nd 2位(16) 11勝3敗1分
2000年 1st J1 12位(16) 7勝7敗1分
2nd 7位(16) 7勝7敗1分
2001年 1st J1 3位(16) 10勝3敗2分
2nd 6位(16) 7勝7敗1分
2002年 1st J1 3位(16) 10勝5敗0分
2nd 13位(16) 5勝9敗1分
2003年 1st J1 7位(16) 5勝2敗8分
2nd 8位(16) 6勝5敗4分
2004年 1st J1 8位(16) 5勝5敗5分
2nd 5位(16) 7勝5敗3分
2005年 年間 J1 14位(18) 10勝15敗9分
2006年 年間 J1 7位(18) 13勝12敗9分
2007年 年間 J1 11位(18) 13勝15敗6分
合計 - J1 - 242勝216敗52分

※カッコ内はチーム数

[編集] 獲得タイトル

[編集] 国内タイトル

[編集] 個人別タイトル

Jリーグ
ベストイレブン
得点王

[編集] 歴代監督

日本の旗 三浦哲郎(1994年11月-同年末、監督代行)
ポルトガルの旗 ジョゼ・アルベルト・コスタ(1996年9月-同年10月、監督代行)
ブラジルの旗 マザロッピ(1999年8月)監督代行

[編集] チームカラー

  • チームカラーは赤、オレンジ
ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×橙
FP(2nd) 白×黄緑
GK(1st) オレンジ×黒
GK(2nd) 黒×橙
GK(3rd) グレー×黒 グレー グレー
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd

[編集] ユニフォームスポンサー

[編集] 過去のスポンサー

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

※「ルコック」ブランドは日本ではデサントが販売を展開している。

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背番号 パンツ サプライヤー
1992年 - TOYOTA - lecoq
1993年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1994年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1995年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1996年 - TOYOTA - - Mizuno/lecoq
1997年 - TOYOTA - - UMBRO/lecoq
1998年 - TOYOTA - - lecoq
1999年 - TOYOTA - - lecoq
2000年 TOYOTA - - lecoq
2001年 TOYOTA HISAGO - lecoq
2002年 TOYOTA HISAGO TOYOTA L&F lecoq
2003年 TOYOTA HISAGO DENSO lecoq
2004年 TOYOTA HISAGO DENSO TS CUBIC lecoq
2005年 TOYOTA HISAGO TOYOTA L&F TS CUBIC lecoq
2006年 TOYOTA HISAGO 豊田織機 TS CUBIC lecoq
2007年 TOYOTA HISAGO DENSO TS CUBIC lecoq
2008年 TOYOTA 中部電力 DENSO TS CUBIC lecoq

※1:1992年~99年の袖「TOYOTA」はロゴは使用せず、シンボルマークのみを採用。
※2:「TOYOTA L&F」「豊田織機」ともに同一の会社(豊田自動織機)である。

[編集] エンブレム

  • 1992年-1993年 グランパスくんをそのままエンブレムとして採用。
  • 1994年-1997年 チームフラッグをモチーフにした円形のエンブレムを採用。
  • 1998年- 楯と王冠をモチーフに「NGE(Nagoya Grampus Eight)」とグランパスくんを盛り込んだものを採用。

[編集] その他の協賛社

ここでは出資会社、クラブスポンサーを列挙する。

[編集] クラブスポンサー

[編集] 出資会社

[編集] マスコットキャラクター

マスコットキャラクターはチーム名の「グランパス(Grampus)」にちなみシャチをモチーフにしている。現在のグランパスファミリーは4匹。(※参照スポーツのマスコットキャラクター一覧

グランパスくん、グランパコちゃん(妻)、グランパスくんJr.(息子)、グララ(娘)

[編集] グランパスの試合を中継する放送局

グランパス戦を中継する放送局

[編集] 名古屋グランパスエイトに所属するサッカー漫画の登場人物

U-19日本代表のGK(若島津健・功刀一・浜本真)が多い。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 2007年5月15日中日新聞
  2. ^ 公式HP

[編集] 外部リンク