アムステルダム
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| アムステルダム Gemeente Amsterdam |
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アムステルダムの夕暮れ |
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| 愛称 : "モクム"、"北のヴェネツィア" | |||||
| 位置 | |||||
| 座標 : | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 州(Provincie) | 北ホラント州 | ||||
| 基礎自治体 | アムステルダム | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 基礎自治体域 | 219km2 | ||||
| 陸上 | 166km2 | ||||
| 水面 | 53km2 | ||||
| 市街地 | 1,003km2 | ||||
| 都市圏 | 1,815km2 | ||||
| 標高 | 2m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2008年現在) | ||||
| 市域 | 755,269人 | ||||
| 人口密度 | 4,459人/km2 | ||||
| 市街地 | 1,364,422人 | ||||
| 都市圏 | 2,158,372人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
| 市外局番 | 020 | ||||
| 公式ウェブサイト : http://www.amsterdam.nl/ | |||||
アムステルダム(蘭語:Amsterdam〔独語:アムスターダム〕)は、オランダの北ホラント州の基礎自治体(ヘメーンテ)であり、オランダの首都。但し政治の中心はハーグにあり、アムステルダムは商業および観光が中心であり、欧州有数の世界都市である。1987年の欧州文化首都に選ばれていた。
元々は小さな漁村だったが、13世紀にアムステル川の河口にダムを築き、町が築かれた。16世紀には海運貿易の港町として、ヨーロッパ屈指の都市へと発展した。現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅を中心に市内に網の目状に広がる運河や、その運河に沿って並ぷ17世紀の豪商の邸宅、自転車、飾り窓の女性たち、アンネ・フランクの家などで広く知られる。
この町は自転車に乗る人が多く、車道と歩道の間に自転車専用路が設けられている。中央駅付近には巨大な駐輪場があり、絵葉書などにも自転車をあしらったものがある。
目次 |
[編集] 歴史
- 主要記事:History of Amsterdam
アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によれば、犬を連れて小さなボートに乗った二人の猟師が、アムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(ダムを作った:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。1300年(または1301年)に自由都市となり、14世紀にはハンザ同盟との貿易により発展した。
16世紀には当時ネーデルラントを支配していたスペインのフェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、八十年戦争へ発展した。独立を獲得したオランダ共和国はその宗教的寛容さで知られ、スペインやポルトガルからユダヤ人が、アントウェルペンから豪商が、フランスからユグノーが安住の地を求めてアムステルダムにやって来た。フランドルからの豊かで洗練された移住者はオランダ語の基礎を作り、オランダの商業的発展の礎を築いた。
17世紀はアムステルダムの黄金の時代と考えられている。17世紀初頭、アムステルダムは世界で最も裕福な都市であった。アムステルダムの港を発する商船は、北アメリカ大陸やアフリカ大陸を始め、現在のインドネシアやブラジルまで含めた広大なネットワークを築いていた。アムステルダムの貿易商はオランダ東インド会社(VOC)やオランダ西インド会社(WIC)の主要な地位を占めていた。これらの特許会社は後世のオランダ植民地を形成する海外権益の基礎となった。アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であり、世界を牽引するファイナンシャル・センターであった。アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所でもあった。
アムステルダムの人口は1500年には1万人を少し超えるくらいであったが、1570年には3万人、1600年には6万人、1622年には10万5,000人、1700年には約20万人と急増した。それから150年程度はほぼ横ばいであったが、第二次世界大戦前の100年で4倍に急増して80万人となり、それ以降は安定している(2005年1月1日現在の人口は74万2,951人)。
18世紀から19世紀前半にかけては、アムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。イギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。ナポレオン戦争の頃がどん底であった。しかし、1815年にオランダ王国が建国された頃から徐々に復興し始めた。
19世紀終わり頃は、2度目の黄金時代と呼ばれることもある。アムステルダム国立美術館、アムステルダム中央駅、コンセルトヘボウが建てられた。同じ頃、産業革命がこの地に到達した。アムステルダム・ライン運河が開通し、アムステルダムからライン川へ直行ルートが開かれた。北海運河も開通し、北海への最短ルートを提供した。この二つのプロジェクトの完成は、欧州内陸部と外部との通商を活発にした。
第一次世界大戦の少し前には市域が拡大し、新市街が拡張された。第一次大戦ではオランダは中立国であったが、アムステルダムは食糧不足と(暖房用の)燃料不足に苦しんだ。物不足から市民の暴動が起き、何人かが犠牲となった。
第二次世界大戦では、1940年5月10日にドイツがオランダに電撃侵攻し、たった5日の戦闘で占領された。ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の友党的存在のオランダ・ナチスによる文民政権をアムステルダムに発足させ、占領政策に協力させた。戦争の最後の1ヶ月間は通信手段が全て奪われ、食料と燃料の供給も絶たれた。沢山の住民が食料を得るため農村に向かった。犬や猫、砂糖大根までもが生きるために食料とされた。アムステルダム市内のほとんどの樹木は切り倒され燃料とされた。また収容所送りになったユダヤ人が住んでいたアパートは取り壊され、木材は燃料とされた。
[編集] 行政
市役所
市役所本庁は、中央区(Centrum)のウォータールー広場に置かれている。本庁舎建物はオペラハウスと一体となっており、Stopera (Stadhuis+Opera)と呼ばれている。
区制
アムステルダム市は15の行政区(Stadsdelen)に分割されており、各区には区役所を置いている。
- Centrum, Amsterdam-Noord, Oud-Zuid, De Baarsjes, Bos en Lommer, Geuzenveld/Slotermeer, Oost/Watergraafsmeer, Osdorp, Oud-West, Slotervaart, Westerpark, Westpoort, Zeeburg, Zuideramstel, Amsterdam Zuidoost
なお、アムステルダム港など管轄しているWestpoortは、港湾・産業地区で住民が少ないため、区役所を置かず市役所本庁が直接業務を執行している。また、中央区役所(Stadsdeel Centrum)は市役所本庁舎建物内にある。
[編集] 教育
大学
市内には、1632年に創立された公立のアムステルダム大学と、1880年に創立されたキリスト教系のアムステルダム自由大学がある。どちらも学生数2万人を超える大規模な大学である。
アムステルダム自由大学のキャンパスはアムステルダム南駅近くにまとまっているが、アムステルダム大学のキャンパスはアムステルダム市内各所に分散して存在している。例えば経済学部はメトロWeesperplein駅近くにあり、法学部は中央区のスパイ近くの旧市街にある。
高等専門学校
アムステルダム高等専門学校、アムステルダム芸術専門学校、ヘーリット・リートフェルトアカデミーなどの高等専門学校がある。
[編集] 経済
ヨーロッパ有数の金融都市アムステルダムには、ユーロネクスト・アムステルダム(旧名称:アムステルダム証券取引所)、オランダ銀行などがおかれ、オランダの多くの大企業がここに本社を置く。
[編集] 観光
- 主要記事:Amsterdam Tourist Attractions
- 美術館・博物館など
- アムステルダム国立美術館
- ゴッホ美術館
- アンネ・フランクの家
- レンブラントの家
- オランダ東インド会社跡
- ハイネケン・エクスピリエンス (ビール博物館)
- 著名な建築物
その他
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王宮とダム広場 |
[編集] 交通
[編集] 空港
市の南西に接する形でスキポール空港がある。アムステルダム中央駅やアムステルダム南駅などからは鉄道で10~20分程度で結ばれている。アムステルダム南駅やアムステルフェーンビネンホフからはバスが10分に1本程度運行されている。
[編集] 道路
市の外縁には環状高速道路 (Ring, A10) が一周し、そこから以下の放射状路線が分岐している。
- A1 (E231, E30) : アメルスフォールト、アペルドールン、ドイツのハノーバー方面へ
- A2 (E35, E25) : ユトレヒト、アイントホーフェン、マーストリヒト、ベルギーのリェージュ方面へ
- A4 (E19) : スキポール空港、デン・ハーグ、ユトレヒト、ベルギーのアントウェルペン方面へ
- A8 : ザーンスタット方面
旧市街中心部の道幅は狭く自動車の乗り入れも困難なため、トラムや自転車が主要交通手段である。運河沿いや路地など細い道を除き自転車専用レーンが設けられ、信号は自動車や歩行者とは別に自転車専用信号が設置されていることが多い。なお、自転車も道路右側を走ることが義務付けられており、自転車専用レーンであっても逆行は許されない。
[編集] 鉄道
市街地外周を環状にオランダ鉄道の路線が設けられており、市街地北端のアムステルダム中央駅からはオランダ全土への長距離列車だけでなく、ベルギー、フランス、ドイツなどへの高速鉄道や、オーストリア、ポーランド、ロシアなどへの国際列車も発着している。なお、一部の列車は中央駅を経由せずアムステルダム南駅などに停車するものもある。
市街地中心部の鉄道網は市営交通会社(GVB)により運行されているトラムや、市街地と郊外を結んでいるメトロなどがある。一部の路線は隣のアムステルフェーンやアウデラムステル、ディーメンまで延伸している。
詳細は「メトロ (アムステルダム)」、「トラム (アムステルダム)」をそれぞれ参照
[編集] バス
バスは主に郊外や近郊都市との間で運行されており、中央駅、マルニクス通り、アムステル駅の各バスターミナルからGVB, Connexxion, Arrivaなどが運行している。また、ユーロラインズなどの国際バスはアムステル駅バスターミナルから発着している。
[編集] 水運
アムステルダム港は外航船が通行できる北海運河によって北海と結ばれている。市街地中心部を網の目状に張り巡らされている運河は、各所の閘門を経由してアムステル運河や北海運河と接続されている。また、主要な運河を横切る道路や鉄道路線の橋は、跳ね橋のような可動橋となっている。運河は観光用のクルーズ船が運航されている他、市街地中心部と市北部の間のアイ湾を横断するフェリーのみは無料で運航されている。
[編集] 公園
アムステルダム市内には市街地中心にあるフォンデル公園をはじめ、スローテル公園、レンブラント公園、ベアトリクス公園、アムステル公園など多くの公園がある。また、隣のアムステルフェーン市との間には935haの広大なアムステルダムセ・ボスが存在している。
[編集] 関連項目
- アムステルダムオリンピック
- アヤックス・アムステルダム
- アムステルダム・アレナ
- ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 - アムステルダムを本拠地とする、オランダを代表するオーケストラ
- カナビス・カップ
- アムステルダム・バロック管弦楽団
- 欧州文化首都
[編集] 外部リンク
- 公式
- アムステルダム市公式サイト (オランダ語)
- 観光
- アムステルダム - ウィキトラベル
- アムステルダム観光局 (オランダ語)(英語)
- オランダ政府観光局 - アムステルダム (日本語)
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