ソウル特別市
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| ソウル特別市 | |
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ソウル特別市 |
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| 位置 | |
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| 地図 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 서울특별시 |
| 韓国における漢字: | 서울特別市 |
| 平仮名: (日本語読み仮名): |
{{{平仮名}}} |
| 片仮名: (現地語読み仮名): |
ソウル=トゥクピョルシ |
| 略称: | Seoul;서울;ソウル |
| ローマ字転写: | Seoul-Teukbyeolsi |
| 英語名: | Seoul Metropolitan City |
| 面積・人口(2007年) | |
| 面積: | 605.25km² |
| 総人口: | 10,421,782人 |
| 男子人口: | 5,174,655人 |
| 女子人口: | 5,247,127人 |
| 人口密度: | 17,219人/km² |
| 世帯数: | 4,046,086世帯 |
| 情報 | |
| 国: | |
| 下位行政区画: | 25区 |
| ISO 3166-2: | KR-11 |
| 行政区域分類コード: | 11 |
| ソウル特別市の木: | イチョウ |
| ソウル特別市の花: | チョウセンレンギョウ |
| ソウル特別市の鳥: | カササギ |
| 自治体公式サイト: | ソウル特別市 |
目次 |
[編集] 概要
元は京畿道に属したが、1946年に独立し「特別市」となる。韓国にはソウル特別市のほか、6つの広域市が存在し、日本の政令指定都市に相当するといえるが、特別市・広域市とも行政道には所属せず、独立した自治体として運営されている。
朝鮮500年の王都で、四神相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、新羅で「みやこ」を意味する「徐伐(ソボル)」が転訛した固有語である等、諸説いろいろあるがはっきりした語源は分からない。また、漢字表記(漢城・漢陽・京城など)の変遷に関わらず、古来朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われているが、これも必ずしも確証があるわけではない。いずれにせよ、「ソウル」は朝鮮語固有の単語であるため漢字表記は無く、通常はハングルのみで表記する。
ソウルの人口は韓国の経済発展に伴って急増を続け、1975年の680万人から1990年には1061万人にまで到達した。しかし翌年の1092万人をピークにその後は微減傾向が長く続いている。これはドーナツ化現象が進んだためと見られ、日本の東京が高度経済成長に伴って急速に拡大し、その後都心部の人口が減少していったことと状況が極めて良く似ている。ただ都市圏そのものは現在も拡大を続けていて、既に韓国全国民のおよそ5分の1がソウル市民、およそ半分が首都圏在住という状態になっており、日本以上の首都一極集中が進んでいる。
[編集] 歴史上の名称
[編集] 漢陽・漢城
「漢陽(ハニャン)」は新羅の時代から使われた名称で「陽」が川の北側を意味することがあって、「漢水(漢江)の北側の土地」の意味でつけられた地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。高麗文宗代に南京となり留守が置かれる。忠烈王代の1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。中国大陸、台湾など中国語を使う地区では、「ソウル」に相当する漢字表記がないこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城といい、仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。ただし、新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。
[編集] 京城
「京城」(日本語読みで「けいじょう」(歴史的仮名遣では「けいじやう」)、朝鮮語(韓国語)読みで「キョンソン」)は日本統治時代(1910年 - 1945年)に使われた名称である。韓国併合前から使われたソウルを指す名称の一つ(併合以前の韓国側史料の中にも数多く見受けられる)。1910年(明治43年)9月30日に公布・施行された朝鮮総督府令第7号(地方官官制第十七条ニ依リ府及郡ノ名称及管轄区域左ノ通定ム)に基づいてそれまでの「漢城府」から「京城府」となった(「府」は日本内地(日本本土)でいうところの「市」に相当)。実際には1945年以降も数年間使われている。独立後の韓国では、反日・克日的な意識の強まりと共に「京城」は日本によって植民地時代に強制的に変えさせられた名称と見なされて、そのため「改正」されるべき呼称として認識された。一方で、一部の商店や企業名など(京城紡績、現在の京紡)には今なお「キョンソン」の名称が残っている。しかし、これらの名称はこれらの企業がソウルが京城と呼ばれた時期に創業されて、企業名に当時の呼び名を当てられたが、その企業名が既に定着して、あえて名称を変えなかったことにもよる。朝鮮日報の場合と同じだと考えられる。また、京釜線、京義線、京仁線、京元線、京春線といった鉄道路線名の「京」も「京城」から取られていると思われがちだが、これらの路線名は日本の統治時代前に付けられたものもあり、「京城」の名称よりも「みやこ」の意味からつけられたと見るのがのが妥当だと思われる。ただし、「京釜高速道路」「京仁高速道路」などは独立後に命名されたものであり、ソウルと仁川の周辺を指す「京仁地域」も独立後に発生した地域呼称である。
[編集] ソウルの漢字表記
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現在、中国語を母国語とする地域ではソウルを表す漢字として「首爾 (Shǒu'ěr) 」(簡体字「首尔」)が使われている。
かつては「ソウル」に相当する漢字表記は無く、長らく中国語圏では李氏朝鮮時代の名称「漢城(hànchéng)」(簡体字「汉城」)と表記されていたが、ソウル特別市庁は2005年1月18日から「ソウル」の中国語(漢字)表記を「首爾 (Shǒu'ěr) 」(簡体字「首尔」)と定めた[1][2][3][4]。 それに伴い台湾と香港の新聞とニュースは「首爾」と改めた。中華人民共和国では2005年中頃から中国青年報などの報道機関や中国南方航空などの航空会社で「汉城」から「首尔」へと表記を改め始め、10月には中国政府も「首尔」表記への変更をした。民間や政府の使用が始まったことで、中国語圏では「首爾」が使われている。なお韓国内では、駅名の漢字併記など漢字表記する場面において、従来は漢字で表記できるもののみ漢字で表記し、ソウルはハングルのまま表記する(例、ソウル駅は「서울驛」と表記)か、「漢城」を用いていたが(まったく表記しない場合もあった)、新表記を発表後は、韓国鉄道などを中心に簡体字の「首尔」が使用されている。
[編集] 歴史
- 主要記事:History of Seoul
古くは百済の都・漢城が置かれており、隣接する河南市にある遺跡からは多くの遺物が出土している。西暦475年高句麗軍によって陥落すると、百済は熊津(公州)に遷都し、統一新羅時代には漢山州と呼ばれ、757年には漢州の漢陽郡に改められた(中原京が小京として漢州の下に設けられた)。高麗時代には市域の北部は楊州、南部は広州と呼ばれ、1067年には三小京のひとつである南京が置かれた。1392年高麗の将軍・李成桂が威化島回軍によって政権を奪取し、1394年には開京(現・開城)から漢陽遷都を決行した。翌1395年に漢陽府は漢城府に改称され、これ以後、漢城(ソウル)は500年に渡って李氏朝鮮の都となる。李朝末期の時点では市内が5部49坊に細分化されていた。1905年、統監府が設置される。
1910年日韓併合後、漢城府は京城府に改められ、日本の朝鮮統治機関である朝鮮総督府が置かれた(この場合の府は内地(日本本土)では市に相当する)。その後都市化の進行に伴い、1936年には周辺地域を併合して府域を4倍に拡大し、1943年には人口急増のため区制が導入されている(7区=龍山区・東大門区・城東区・西大門区・永登浦区・鍾路区・中区。なお、翌1944年に周辺を併合し麻浦区誕生)。朝鮮総督府の支配下で現在の景福宮・光化門・ソウル市庁舎近辺は政治・行政の中心、現在の明洞近辺は経済・商業の中心、龍山は軍事の中心(現在の在韓米軍基地が旧日本軍駐屯地)となった。また京畿道の道庁所在地でもあった(現在京畿道庁は水原市に移転している)。
日本統治時代には水道や路面電車(京城市電、後のソウル市電)といった都市基盤の整備が進み、生活環境は大きく改善された。本町(鍾路)や明治町(明洞)、黄金町(乙支路)などの繁華街には近代建築が立ち並び、その賑わいは日本本土の大都市に勝るとも劣らなかった。日本統治といえど、京城府の職員は朝鮮人が中心であった。また京城帝国大学が設置されるなど文教政策にも力が注がれた。
余り知られていないが、関東大震災直後には日本の首都を京城に移すという「京城遷都」が主張された事がある[5](ただし出典は朝鮮からのみで、日本でこのような事実が明らかになったことはない)。
1945年8月15日の「光復」後しばらくの間は、「ソウル」・「漢城」とともに「京城」の名称も使われていた。1945年9月から発行された在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁公報の場合、英語版では一貫して「Seoul」だけが使用されているが、日本語版には「京城」と「ソウウル」が混在、朝鮮語版でも「京城」と「서울」が混在する(「ソウウル」・「서울」の初出は10月8日)。その後、米軍政下の1946年8月15日に「ソウル市憲章」が発表され、その第1章第1条で「京城府をソウル市と称し、特別自由市とする。」と正式に規定された。しかし、この憲章には法的効力がなかったため、同年9月18日に米軍政法令第106号「ソウル特別市の設置」が公布され、その第2条で「ソウル市を朝鮮の首都としての特別市とする。ソウル市は道と同等の職能と権限を有する。」とされ、同法令第5条の規定により9月28日に京畿道の管轄から離れて「ソウル特別市」が設置された。大韓民国が独立した1948年には、「ソウル特別市」は韓国の首都となった。1950年6月に勃発した朝鮮戦争で市内は破壊され、韓国の首都は釜山臨時首都に移転した。停戦実現後1953年8月1日にソウルへ還都している。その後、韓国の高度経済成長とともに発展を続けて市域を拡大、1988年のソウル・オリンピック(韓国では88=パルパル=オリンピックということも)で名実共に国際都市となった。
市庁の庁舎は日本統治時代からの古い建物を使っていたが、隣接して新しい庁舎の建設工事を行っており、2009年に完成する予定になっている。新庁舎完成後は、従来の庁舎を2010年までに公共図書館として活用する案が推進中である。
[編集] 地理
最高峰北漢山をはじめとした500m前後の標高の山々や丘陵が囲む盆地構造。外敵からの攻撃を妨げやすい地形であることもこの地が古くから発展した理由の一つである。広州山脈の道峰山、仁寿峰、露積峰の3峰が北漢山に次ぐ標高である。
漢江が市の中心を横切るように流れ、南北に隔てられた地域をそれぞれ江南、江北と呼ぶ。古くから発達したのは江北であり、宮殿や城壁などの史跡は江北に集中している。一方江南は新興住宅街として開発され、またオリンピック関連施設も江南に多く建設された。古くは舟が南北を繋ぐ交通手段であり、トゥクソムと麻浦が代表的な河港であった。他に鷺梁、松坡なども船着場として知られ名残を残している。近代以降は各所に橋梁が架けられ、交通手段としての船は廃れたが、遊覧船が市民や観光客に親しまれる。中州、汝矣島には国会などの重要施設や広大な公園がある。古くは蘭芝島や蚕室なども中州であったが、埋め立てや河の流れの変化により完全に陸続きとなっている。
漢江以外では江北を流れる清渓川(チョンゲチョン)が知られる。日本統治時代から流域周辺には人々が集中し始め清渓川を含め流域の井戸水など水質悪化が問題となっていたのは当時の朝鮮総督府の水質試験所のデータからも明らかで、その当時から暗渠化の計画はあった。朝鮮戦争後の混乱期にバラックが川沿いに建設されてスラム化が進行し、著しく水質が悪化したため暗渠とされ、その上には清渓川路と清渓高架道路が建設された。高架道路の老朽化が問題となった2002年に、「高架撤去、清渓川再現」を掲げた李明博がソウル市長に当選、2005年10月に完工し、景観もさることながら、川を復元するという珍しい工事に加え、気温に良い影響を及ぼすなど世界的に注目されている。但し、以前の姿を復元する訳ではなく、光化門交差点付近から漢江までの一部を近代的な親水公園のようにしたものである。水は主に漢江からの水を放流しており、一部は地下から湧き出る水も利用している。
[編集] 気候
気候は温暖湿潤気候で冬季の降水量が少なく、内陸性気候傾向を示し寒暖の差が大きい。1月の平均気温は-2.5℃だが、ひとたび大陸性寒波に覆われると、最低気温が-10度を下回る日々が続く。しかし、一旦寒気が抜けると、急激に気温が上がり暖かくなるなど、冬の間でも気温の変動差が激しい。ソウル郊外内陸部の京畿道などは亜寒帯冬季少雨気候になる。
| ソウル, 大韓民国 (1971-2000)の平均気温 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 平均最高気温 °C (°F) | 1.6 (35) | 4.1 (39) | 10.2 (50) | 17.6 (64) | 22.8 (73) | 26.9 (80) | 28.8 (84) | 29.5 (85) | 25.6 (78) | 19.7 (67) | 11.5 (53) | 4.2 (40) | 16.9 (62) |
| 平均最低気温 °C (°F) | -6.1 (21) | -4.1 (25) | 1.1 (34) | 7.3 (45) | 12.6 (55) | 17.8 (64) | 21.8 (71) | 22.1 (72) | 16.7 (62) | 9.8 (50) | 2.9 (37) | -3.4 (26) | 8.2 (47) |
| 降水量 mm (inches) | 21.6 (0.9) | 23.6 (0.9) | 45.8 (1.8) | 77.0 (3) | 102.2 (4) | 133.3 (5.2) | 327.9 (12.9) | 348.0 (13.7) | 137.6 (5.4) | 49.3 (1.9) | 53.1 (2.1) | 24.9 (1) | 1,344.3 (52.9) |
| 出典: [1] 2009-09-16 | |||||||||||||
[編集] 地域
[編集] リトル東京
漢江の岸辺にある竜山区二村洞(イチョンドン)はソウル在住日本人、特に駐在員が数多く住む地域であり、「ソウルのリトル東京」とも呼ばれる。通常この地域は東部二村洞(トンブイチョンドン)と呼ぶ。韓国鉄道・地下鉄4号線二村駅が最寄駅。
北には在韓アメリカ軍の龍山(ヨンサン)基地が広がり、ソウル中心部とは比較的孤立した地域で静かな高級団地が数多くある。もともとアメリカ軍基地が近かったことから二村洞付近には外国人居住者が多かったが、日本人の居住は日韓国交正常化以降、特に1970年代に入り企業駐在員や日本大使館員などが住み始めた。但し、もともと日本統治時代から日本人が多く居住していたのはこの地域である。上記アメリカ軍基地も元々は旧日本陸軍の朝鮮軍司令部をそのまま転用したものであり、この地域には日本統治時代の日本風建物が今なお多く存在している。
外国人が居住することから不動産価格が高騰し、敷金が殆どない場合では同地域の団地の入居には最も安くても月家賃が200万ウォンをくだらない。日本の食材を売る日本人向けの各種商店はもちろん、居酒屋、銀行には日本人専用窓口があり、幼稚園には日本人クラスまである。(ただし日本人専用窓口は二村洞が初めてではなく、最も早くできたのは旧ソウル銀行=後にハナ銀行に合併=鍾路5街支店である。二村洞にあるものはこれをまねた。)
最近では、ソウル日本人学校のある開浦洞周辺などの江南地区や政府中央庁舎付近の再開発地区など、日本人が居住する地域も分散化しつつある。
[編集] ソウル日本人学校
江南区開浦洞(韓国鉄道・盆唐線開浦洞駅そば)に所在するソウル日本人学校(公式ページ )は1972年に設立され、幼稚部、小学部、中学部の生徒403人(2004年)が在学する。運営はソウルの日本人会組織であるソウルジャパンクラブ(SJC)が行っている。
[編集] 観光地
[編集] 繁華街
[編集] 行政区画
- 江南区(강남구) カンナムく
- 江東区(강동구) カンドンく
- 江北区(강북구) カンブクく
- 江西区(강서구) カンソく
- 冠岳区(관악구) クァナクく
- 広津区(광진구) クァンジンく
- 九老区(구로구) クロく
- 衿川区(금천구) クムチョンく
- 蘆原区(노원구) ノウォンく
- 道峰区(도봉구) トボンく
- 東大門区(동대문구) トンデムンく
- 銅雀区(동작구) ドンジャクく
- 麻浦区(마포구) マポく
- 西大門区(서대문구) ソデムンく
- 瑞草区(서초구) ソチョく
- 城東区(성동구) ソンドンく
- 城北区(성북구) ソンブクく
- 松坡区(송파구) ソンパく
- 陽川区(양천구) ヤンチョンく
- 永登浦区(영등포구) ヨンドンポく
- 龍山区(용산구) ヨンサンく
- 恩平区(은평구) ウンピョンく
- 鍾路区(종로구) チョンノく
- 中区(중구) チュンく
- 中浪区(중랑구) チュンナンく
読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照のこと
[編集] 隣接している自治体
読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照のこと
[編集] 政治
ソウル市は1958年の第4代国会議員選挙以降、韓民党の流れを受け継ぐ保守野党勢力がいくつかの例外を除き、与党に対し常に優位に立っていた。1987年の民主化後においては、全羅道に絶対的支持基盤を持つ平和民主党の流れを受け継ぐ中道政党が優位となっているが、2002年と2006年の地方選挙では慶尚道に強い地盤を持つ保守政党のハンナラ党の候補が市長に当選、市議会でも優位となっている。2008年4月の第18代国会議員選挙でもハンナラ党が48選挙区中、40選挙区で勝利した。
- 市長:1961年の軍事クーデター以後、市長は政府による任命制となっていたが、1995年に地方自治体首長の公選が復活し、以後、1998年、2002年、2006年に選挙が行われている。
- 第33代(民選四期):呉世勲(오세훈 オ・セフン、任期:2006年7月1日~現在)
- 第32代(民選三期):李明博(이명박 イ・ミョンバク、任期:2002年7月1日~2006年6月30日)…現大韓民国大統領
- 第31代(民選二期):高建(고건 コ・ゴン、任期:1998年7月1日~2002年6月30日)…盧武鉉政権初期の国務総理[6]。
- 第30代(職務代理):姜德基(강덕기 カン・トクキ、任期:1997年9月10日~1998年6月30日)
- 第29代(民選一期):趙淳(조순 チョ・スン、任期:1995年7月1日~1997年9月9日)…1997年の大統領選挙において民主党の大統領候補に指名されたため、市長を辞職した[7]。
| 合計 | ハンナラ党 | 民主党 | 民主 労働党 |
無所属 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 合計 | 102 | 96 | 5 | 1 | 0 |
| 地域区 | 92 | 90 | 2 | 0 | 0 |
| 比例代表 | 10 | 6 | 3 | 1 | ― |
韓国における地方議会選挙自体は、1952年5月10日に初めて行われたが、ソウル特別市では朝鮮戦争のため、選挙が実施できず、1956年8月10日に初めて市議会議員選挙が行われた。しかし、2回目の選挙が行われた翌年の1961年5月に発生した軍事クーデター(5・16軍事クーデター)で発足した軍事政権(国家再建最高会議)の布告4号により、地方自治が停止され市議会は解散させられた。その後、1987年に民主化(民主化宣言)が実現したことで、地方自治も復活することになり、1991年6月に市議会議員選挙が実施され、以後、1995年、1998年、2002年、2006年に選挙が行われて今に至っている。なお、市議会庁舎は、1975年まで国会議事堂として使用されていた旧京城府民館の建物を使用している。
[編集] 経済
サムスン、LG、ヒュンダイと、韓国企業の本拠地としてソウルは成長を遂げてきた。韓国外換銀行ソウルに所在する。ソウルの面積は韓国全土の面積に対して0.6%でありながら、全人口の25%が集中する極端な一極集中のもと、国全体の国民総生産の21%を生み出している。
[編集] 交通
[編集] 空港
[編集] 鉄道
[編集] ターミナル駅
[編集] 広範囲な連絡
[編集] ソウル特別市内、および近郊との連絡
- 地下鉄1、3、4号線(韓国鉄道公社とソウルメトロの運営)
- 地下鉄2号線(ソウルメトロ)
- 地下鉄5、6、7、8号線(ソウル特別市都市鉄道公社)
- 中央電鉄線、盆唐線(韓国鉄道公社)
- 空港鉄道(空港鉄道株式会社)
[編集] バス
- ソウル高速バスターミナル
- セントラルシティーターミナル
- 高速バスターミナルの嶺東・湖南線ターミナル部分。
- 東ソウル総合ターミナル
- 高速バスの一部と市外直行バスが発着し、近距離から中距離のバスが多く発着する。
- ソウル南部ターミナル
- ソウル市内で一番規模が小さい市外バスターミナル、主に地方の小さな町へ行く市外バスが中心に発着する。
- 上鳳ターミナル
- 都心空港ターミナル
- 仁州・金浦空港行きノンストップ空港リムジンバスターミナル。チェックインカウンターがある。
- ソウルシティツアーバス(観光向け路線バス)
[編集] 高速道路
- 京釜高速道路(1号線)
- 良才インターチェンジ-
- ソウル外郭循環高速道路(100号線)
- 松坡インターチェンジ、上一インターチェンジ - 江一インターチェンジ
- 京仁高速道路(120号線)
- 新月インターチェンジ
- 仁川国際空港高速道路(130号線)
- 金浦空港インターチェンジ - 88ジャンクション
[編集] 施設
[編集] 行政施設
[編集] 教育施設
[編集] 博物館・美術館・記念館
[編集] スポーツ施設
- ソウル蚕室総合運動場(ソウルオリンピックスタジアム)
- ソウルワールドカップ競技場
- 東大門運動場
[編集] 朝鮮民主主義人民共和国との関連
ソウルは地理的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との軍事境界線(38度線)まで約60kmの位置にあり、市内を横切る漢江の上流(北漢江)も朝鮮民主主義人民共和国統治区域に源を発している。このため、全斗煥政権は朝鮮民主主義人民共和国が漢江上流に建設した金剛山ダムはソウルの水攻めを狙ったものではないかと分析し、その下流に平和ダムを建設した。但し、この措置は国民の恐怖感を煽り独裁統治の正当化を図る方便であったのではないかとの指摘もある。
また、軍事境界線に近いため、朝鮮民主主義人民共和国のスカッドミサイルや長距離砲の射程範囲内にあるなど、防衛上の弱点が指摘されている。
なお、朝鮮民主主義人民共和国は憲法で1972年までソウルを形式上の首都と定めていた。
[編集] 行政首都の移転
2004年7月5日には忠清南道の燕岐郡と公州市に跨る地域に行政首都を移転することが内定したが、同年10月21日に憲法裁判所でこの決定を慣習憲法の違反とする判決が出たため、憲法改正がなされない限り完全な首都移転は行われないことになっている。現在は行政部門の一部を移転させる方向で検討が進められているものの、一向に捗っていない。
[編集] 姉妹都市
ソウル特別市は22の姉妹都市を有している。バンコクは最も新しく姉妹都市となる[2]。
台北(中華民国)1968年
アンカラ(トルコ共和国)1971年
ホノルル(アメリカ合衆国)1973年
サンフランシスコ(アメリカ合衆国)1976年
サンパウロ市(ブラジル連邦共和国)1977年
ボゴタ(コロンビア共和国)1982年
ジャカルタ(インドネシア共和国)1984年
東京都(日本)1988年
モスクワ(ロシア連邦)1991年
ニューサウスウェールズ州(オーストラリア連邦)1991年
パリ(フランス共和国)1991年
メキシコシティ(メキシコ合衆国)1992年
北京(中華人民共和国)1992年
ウランバートル(モンゴル国)1995年
ハノイ(ベトナム社会主義共和国)1996年
ワルシャワ(ポーランド共和国)1996年
カイロ(エジプト・アラブ共和国)1997年
ローマ(イタリア共和国)2000年
アスタナ(カザフスタン共和国)2004年
ワシントンD.C.(アメリカ合衆国)2006年
アテネ(ギリシャ共和国)2006年
バンコク(タイ王国)2006年
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 서울표기 首爾로…중국, 곧 정식 사용키로
- ^ South Korea capital city wants new name in Chinese
- ^ '한성'을 '서우얼'로 변경
- ^ 「ソウル」の中国語表記、「漢城」から「首爾」へ
- ^ 豊川善曄『京城遷都論』興亞堂書店、京城、1934(韓國地理風俗誌叢書36に影印所収 경잉문화사、서울、1989)
- ^ 国による官選時代にもソウル市長に在職(第22代:1988年12月5日~1990年12月26日)
- ^ 民主党は、候補一本化のため、当時の与党新韓国党と合党してハンナラ党を結成し、候補を退いた趙淳はハンナラ党の初代総裁(党首)となった。
- ^ “ソウル特別市議会ホームページ”の「現役議員」を参照。選挙後に政党の再編や再補選があったため、選挙当時から議席数は変動している(2009年7月9日閲覧して確認)。
[編集] 外部リンク
- 公式
- ソウル特別市公式サイト (日本語)
- 観光
- ソウル - ウィキトラベル
- ソウル特別市文化観光公式サイト (日本語)
- 韓国観光公社 - ソウル (日本語)
- その他
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