呉世勲

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韓国の旗 韓国の政治家
オ・セフン(O Se-hoon)
오세훈(吳世勳)
Oh Se-Hoon.jpg
呉世勲(近影)
生年月日 1961年1月4日(53歳)
出生地 韓国の旗 韓国ソウル特別市城東区
前職 ソウル特別市長、国会議員
所属政党 ハンナラ党
公式サイト osamseoul.com

当選回数 2回
任期 2006年7月1日 - 2011年8月26日
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呉 世勲(オ・セフン)は、大韓民国弁護士政治家。第33・34代ソウル市長

経歴[編集]

出生[編集]

ソウル特別市城東区に生まれる。家庭は学校にも通わせるのが困難なほど貧しかったが、高校時代は弁論大会で1位に輝くなど優秀な生徒として知られていた。高校卒業後は高麗大学校英文科を受験するも不合格となり、韓国外国語大学へ進学し、1年後に高麗大学校法学科へ編入し、同大学で法学博士の学位を取得した。

1984年に第26回司法試験に合格し、司法研修院に17期で入所した。修了後は陸軍へ入隊、法務将校として勤務していたが、後に保安司令部(現・国軍機務司令部)情報処で正訓将校となった。1991年1月に、中尉予備役に編入された。

弁護士時代[編集]

弁護士として開業した後は、仁川広域市富平区アパートにおける日照権に関する訴訟で、被告の建設会社から13億ウォンの損害賠償を勝ち取った。これをきっかけに環境運動連合の創立に携わることとなり、MBCで自身の冠番組を持つまでに至った。

他にも、1995年には大韓弁護士協会環境問題研究委員会議員、1997年9月から淑明女子大学校民事訴訟法の兼任教授、1998年1月からアメリカイェール大学ロー・スクール客員教授2000年には環境運動連合法律委員会の委員長兼常任執行委員を務めた。

国会議員時代[編集]

2000年にハンナラ党の公薦で、第16代総選挙に出馬・当選して国会議員となった。党院内部総務などを歴任したものの、党執行部との確執があったことなどから、2004年第17代総選挙には出馬せず、1期で政界を引退した。

弁護士復帰後[編集]

政界を引退した後は弁護士活動を再開し、2004年6月5日統営市6月27日束草市でそれぞれ開催されたトライアスロンに参加したりなどもした。また、議員活動の中で得た2500万ウォンの残余金を、1500万ウォンを環境財団、1000万ウォンをソウル文化財団に寄付した。また、新聞広告で得た収益金3000万ウォンを障害者や北朝鮮の子供達をサポートするための社会福祉法人・大韓社会福祉会に寄託したりなどもしたが、一部ではそれらの行為を、ソウル市長選挙出馬を意識したものではないかとの声も挙がったが、呉は2005年3月10日付のインタビューの中で、ソウル市長選への出馬は全く意識していないと語った。

だが、同年6月の世論調査において、呉はソウル市長に相応しい人物の1位に選ばれたことから、市長選への出馬を仄めかす発言をするようになった。その後は、11月2日毎日経済新聞のインタビューの中で、市長選へ出馬しない意向を表明したものの、翌2006年4月5日ウリ党康錦実法務部長官が市長選への出馬を表明したことから、ハンナラ党の少壮派が呉の出馬を主張し、党執行部も党内予備選への参加を要求した。このことから4月9日に呉は予備選への参加を正式に表明し、瞬く間に党内における支持の取り付けに成功し、4月25日の世論調査では65.05%の支持、予備選においても約41%の得票率を得て、ハンナラ党のソウル市長候補となった。

市長選では、途中弁護士時代に撮った浄水器のCMが、選挙の90日前以降も放送されていることが、写真広告を禁止した選挙法に違反するとして告訴されたりするといった逆風にさらされながらも、5月20日朴槿恵党代表が遊説中に暴漢に襲撃された事件をきっかけに、党と呉への支持率が急上昇し、ハンナラ党は5月31日に行われた第4回全国同時地方選挙で、全国16ヶ所の広域団体長選挙において12勝を挙げ、呉もソウル市長に当選した。

ソウル市長として[編集]

公約[編集]

呉のソウル市長としての公約は、江北開発と大気質改善事業に焦点を合わせたものだった。セウン商店街や東大門運動場の撤去、江北中心のニュータウンを50ヶ所建設、英語体験村設置などを通じて、江北の環境を改善する、大気質改善の為にバス天然ガスで走るものに入れ替え、古い貨物車を廃棄誘導する、といった政策を立てた。

“デザインソウル”政策[編集]

呉はソウル市長として「デザインソウル」という名目で「漢江ルネサンスプロジェクト」や「東大門デザインプラザ&パーク」などの事業を広げた。これが功を奏し、国際産業デザイン団体協議会2007年秋の総会で、2010年の「世界デザイン首都」にソウル市が選定されることとなった。しかし一方で、公共デザインの概念で始まったこの政策が、土建事業者達中心の開発政策によって、変質されているという批判もある。

2010年ソウル市長選挙への再出馬[編集]

2010年4月14日、同年6月2日に予定されているソウル市長選挙への再出馬を表明した[1]。出馬表明会見では、公教育の正常化や低所得者層への教育福祉の強化を打ち出し、それに加えて保育支援、高齢社会対策、雇用創出など「5大ソウル市長像」を発表した。そして、5月3日、ハンナラ党のソウル市長選挙候補を決定する党内選挙で68%余の票を獲得、他の2人候補を大差で破り、市長選挙における同党候補に選出された[2]

全国同時地方選挙の一環で行われた市長選挙において、開票率99%を超えた時点でも当確が出ないほどの大接戦を野党候補である韓明淑元国務総理(民主党)と展開したが、僅差で韓候補を押さえて再選することに成功した[3]

給食無償化住民投票不成立・市長職辞任[編集]

2011年になり野党民主党が小中学校の全児童・生徒に対する学校給食を無償化することを議会にて決議[4]。呉はこれを「福祉ポピュリズム」[5]であるとして反対し、所得の少ない半数を無償化する無償給食調停案を発表[6][7]。市民による住民投票に委ねられた。開票が実施される基準となる投票率33.3%を越すために投票を促し、住民投票実施を前にした21日には投票が成立しなかった場合には市長職を辞任する旨を表明し、投票成立に全力を傾けた[8]。しかし、8月24日の住民投票では野党民主党や市民団体が投票ボイコット[9]を呼びかけたこともあり、投票率は25.7%にとどまり投票成立要件の3分の1に達せず、住民投票は無効となった[10][7]。このため呉は市長辞職を表明[11]。住民投票不成立と呉市長の辞任は、2012年に行われる総選挙、大統領選挙を控えているハンナラ党にとって打撃となった[12]。住民投票不成立の責任をとって市長を辞任した呉世勲の後任を決める補欠選挙は10月24日に行われたが、漢江ルネサンス事業やデザインソウル事業など呉世勲が市長として取り組んできたプロジェクトの実施を危ぶむ声もある。

脚注[編集]

  1. ^ 呉世勲ソウル市長、再選挑戦を正式に宣言-聯合ニュース2010年4月14日付
  2. ^ 呉世勲氏、ソウル市長選挙ハンナラ党公認候補に-聯合ニュース2010年5月3日付
  3. ^ “野党民主党が大躍進=ソウル市長には与党現職―韓国地方選”. 時事ドットコム (時事通信). (2010年6月3日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010060300135 2010年6月3日閲覧。 
  4. ^ 2010年6月の地方選挙にて市長選挙では呉世勲が再選されたが、市議會議員選挙では民主党が市長与党であるハンナラ党を押さえて第1党となったため、市長と市議会多数党が異なる「与小野大」の状態となっている。またソウル市の教育行政を司るソウル市教育庁のトップである教育監を選ぶ選挙でも民主党に近い進歩派の候補が当選している。
  5. ^ “ソウル市長が大統領選不出馬宣言…“呉世勲政局”へ” (日本語). 中央日報. (2011年8月13日). http://japanese.joins.com/article/786/142786.html?servcode=200&sectcode=200 2011年8月26日閲覧。 
  6. ^ “【社説】世界が借金に苦しんでいるのにまた無償政策なのか” (日本語). 中央日報. (2011年8月9日). http://japanese.joins.com/article/636/142636.html?servcode=100&sectcode=110 2011年8月26日閲覧。 
  7. ^ a b “ソウルの学校給食無料化、住民投票は不成立”. 読売新聞. (2011年8月24日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110824-OYT1T00957.htm 2011年8月26日閲覧。 
  8. ^ “ソウル市長、給食無料化住民投票が不成立なら辞職”. 聯合ニュース. (2011年8月21日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/08/21/0200000000AJP20110821000500882.HTML 2011年8月26日閲覧。 
  9. ^ “ハンナラは「投票参加」、民主党は「不参加」訴え 給食の住民投票で与野党が総力戦”. 東亜日報. (2011年8月15日). http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2011081530658 2011年8月16日閲覧。 
  10. ^ 無料給食住民投票「無効」に、投票率3分の1に達せず .連合ニュース2011年8月24日
  11. ^ “ソウル市長が辞意表明…出直し選挙は与党苦戦か”. 読売新聞. (2011年8月26日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110826-OYT1T00925.htm 2011年8月26日閲覧。 
  12. ^ “住民投票不成立、市長辞任へ=給食無料化めぐり、与党に打撃―ソウル市”. 朝日新聞. (2011年8月25日). http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201108240135.html 2011年8月26日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代:
李明博
ソウル特別市長
第33-34代:2006 - 2011
次代:
権寧奎
(行政1副市長、職務代理)