朴槿恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
朴槿恵(パク・クネ)
박근혜
Geun Hye Park.jpg

任期: 2013年2月25日

出生: 1952年2月2日(61歳)
韓国の旗 韓国 慶尚北道大邱市
政党: ハンナラ党韓国未来連合→ハンナラ党→セヌリ党 
朴槿惠(パク・クネ)
各種表記
ハングル 박근혜
漢字 朴槿惠
発音: パックネ
日本語読み: ぼく きんけい
ローマ字 Park Geun Hye
テンプレートを表示

朴 槿惠(パク・クネ、1952年2月2日 - )は、大韓民国政治家。大韓民国第18代大統領軍事政権の流れを汲む保守派ハンナラ党(現セヌリ党)代表[1]非常対策委員長を経て2013年2月25日、韓国史上初の女性大統領となった。

目次

概要 [編集]

韓国の第5代~第9代大統領朴正煕の長女。1952年、韓国慶尚北道大邱市で元大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)の長女として生まれた。 キリスト系の聖心中学・高校から、西江大学電子工学科に進学し中国語も専攻、首席で卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学した。 留学中の1974年8月15日文世光事件で母親の陸英修が暗殺されたため、急遽留学先のフランスから帰国。1979年に父親が金載圭KCIA長官に暗殺(朴正煕暗殺事件)されるまで、ファーストレディー役を務めた。父の死亡を耳にした際の第一声は、混乱に乗じて朝鮮人民軍が侵攻することを懸念した「休戦線は大丈夫か」だった[2]。独身。現EGテック会長の朴志晩は弟。幼い頃は三国志演義が大好きで趙雲のファンだった。大学時代に中国語を勉強し、現在も中国語で取材を受け答えできるほど堪能である。知中派として中国に紹介されている[3]

経歴 [編集]

政界入りとハンナラ党代表就任 [編集]

ガールスカウト団名誉総裁、財団理事長を務めた後、1998年に行われた国会議員補欠選挙(大邱広域市達城郡)に立候補、当選し政界入りした。当選後、ハンナラ党副総裁など党要職を歴任。2002年2月にハンナラ党を離党した後、同年末に行われる大統領選挙に向け新党「韓国未来連合」を結成したが、11月にハンナラ党に復帰した。

2004年3月23日、韓国では1965年に野党民衆党の代表最高委員(党首)に朴順天が就任して以来、39年ぶりの女性党首としてハンナラ党の代表に就任。2004年4月の総選挙でも達城郡の選挙区から当選した。この選挙では、大統領弾劾を可決したハンナラ党は惨敗が予想されたが、朴槿恵の知名度と人気で小幅の後退に食い止め、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた[4]

2005年11月8日にはニューライト全国連合創立大会に参加する[5]

2006年5月20日午後、第4回全国同時地方選挙の支援遊説中にカッターナイフで男に切り付けられ、右耳下から顎にかけて10センチの傷を負い60針縫う手術を受けた[6]。この際、盧武鉉大統領支持団体(ノサモ)からは、「60針を縫ったのは整形手術」[7]という声が挙がったが、それが逆に反感を呼び大統領支持派に対する批判拡大へと繋がり、地方選挙でのハンナラ党圧勝に繋がった。なお犯人の背後関係については、検察・警察の合同捜査本部による捜査の結果、「単独犯」との結論に達した[8]

2007年大統領選ハンナラ党予備選 [編集]

襲撃事件による同情票や盧武鉉政権の経済失政に対する批判、さらに「整形発言」への反発もあって、2006年5月31日に行われた統一地方選挙ではハンナラ党を地滑り的勝利に導いた。この結果、同じハンナラ党の李明博に次ぐ2007年の韓国次期大統領選の有力候補としての地位を固めたが、2007年8月20日に、党大会で行われた大統領候補党内予備選挙で李明博に敗れた。翌年(2008年)4月の第18代総選挙で4度目の当選を果たしている。

2010年12月27日、政策研究のためのシンクタンクとなる「国家未来研究院」を発足させ、2012年に予定されている大統領選挙に向けて本格始動を開始した[9]。2011年4月27日の再補選でハンナラ党が敗北し安商守党代表が辞任したことを受けて行われる党内選挙への出馬がささやかれていたが5月20日、選挙への不出馬を表明した[10]

セヌリ党非常対策委員長 [編集]

2011年10月に行われたソウル市長補欠選挙における党公認候補の敗北と同市長選における中央選挙管理委員会ホームページへのサイバー攻撃に党所属国会議員秘書の関与が発覚するなど、ハンナラ党にとってマイナスとなる出来事が相次ぎ、12月9日には7月の全党大会で選出された洪準杓代表が辞任を表明するに至った[11]。混迷の度合いが強まる中で行われた12日の議員総会において朴槿恵元代表を委員長とする非常対策委員会を発足させることで意見がまとまった。これにより朴元代表が5年5ヶ月ぶりに党の指揮を執ることになった。しかし、非常対策委員会が主導する党刷新の方向性については、意見がまとまらず派閥間で対立が続いた[12]

12月20日に開かれた全国委員会で、朴槿恵元代表を非常対策委員会委員長に選出した。党最高委員の全権が非常対策委員長にゆだねられたことで、朴槿恵が実質的な党代表として地位を持つことになった[13]。2012年2月7日、4月に行われる予定の総選挙に関し、自身は地域区(大邱市達城郡)から出馬しないことを表明した[14]。同月13日、この日行われた党全国委員会で党名改正と党憲・党規改正案が承認された結果、党名はハンナラ党からセヌリ党へ改称され、引き続き非常対策委員長の職に就いた[15]。当初、比例代表名簿順位1位で立候補することが有力視されたが、最終的にセヌリ党比例候補者名簿順位11位で立候補した[16]

2012年大統領選挙 [編集]

総選挙では非常対策委員長として選挙の陣頭指揮を執り、セヌリ党は最大野党である民主統合党を大きく上回る152議席(うち比例代表25議席)を獲得、選挙前議席(162議席)より減らしたものの単独過半数を維持することができた[17]。この結果、年末に予定されている大統領選挙におけるセヌリ党の大統領候補として地位を固めることができた[18]。7月10日、大統領選挙に向けたセヌリ党大統領候補予備選への出馬を表明。3大目標として分配重視、雇用創出、国の実情にあった福祉を掲げ、李明博政権との違いを強調した[19]

予備選は8月19日に党員と一般有権者による選挙人団による投票が行われ、これに世論調査結果を加味した得票率を計算する方法で進められた。20日の全党大会で発表された選挙の結果、朴槿恵は得票率83.9%で、2位となった金文洙ら他候補に圧倒的大差をつけ、セヌリ党の大統領候補に選出された[20]。12月19日に執行された大統領選挙は革新派である民主統合党候補の文在寅との事実上の一騎打ちとなり[21]、接戦の末に当選[22]。2013年2月25日に就任した[23]

大韓民国大統領 [編集]

大統領就任後、初の外交・首脳会談にアメリカ合衆国を選択した。首脳会談の最中、自身のスポークスマンである尹昶重の性的スキャンダルが発覚し、本格外交デビューに汚点を刻んだ[24]

北東アジア列車フェリー構想 [編集]

2007年の大統領候補予備選において、朴槿恵は李明博の「朝鮮半島大運河計画」に対抗して「北東アジア列車フェリー構想」を唱えた。これは鉄道船舶を用い、韓国と日本中国を結び、国家間の協力や交流を強化することを目的とする。

具体的には、東京貨物旅客を載せた列車博多まで移動させ、博多湾から列車を船に載せて釜山に輸送する。釜山から韓国の鉄道を経由し仁川平沢に移動し、今度は中国へ向かう船に列車を載せ、煙台大連へと物資や人を輸送する、というものであった。最終的にはロシア中央アジア欧州まで列車で輸送できるようにするとした[25]。この構想の実現により物資を船に積み替える作業が不要になる他、輸送費を34%削減でき輸送距離も64%縮められるというメリットがあるとされた[25]

現状では、貨物の場合、狭軌(日本の在来線)、標準軌(中国・韓国)、広軌(ロシア)の全ての軌間に対応する貨車が実用化されていないこと、旅客車両の場合、以前は青函連絡船などに車両航送の実例があったが(国鉄時代は郵便車荷物車、貨車が主体)が、電車方式の新幹線(軌間は標準軌)は編成中間での頻繁な分割を考慮しておらず、低規格路線での運転や、異なる信号システムと電化方式にも対応していない[26]

発言 [編集]

  • 金大中ベトナム社会主義共和国主席チャン・ドゥック・ルオンに、朴正煕政権下での韓国軍ベトナム戦争参戦を謝罪した際、『これは6・25(朝鮮戦争)のとき、大韓民国の自由民主主義を守るために戦った16カ国の将軍や指導者が金正日に「不幸な戦争に参加して北韓国民に苦痛を与えたことを謝過する」というのと同じくらいとんでもないこと』と批判した[27]
  • 李明博大統領が2007年大統領選挙時に公約として掲げていた東南圏新空港建設を2011年4月1日に白紙化[28]したことに対し、「国民との約束を破り遺憾だ」と述べ李明博大統領を批判するとともに、東南圏新空港を大統領選公約に掲げる用意があるのかとの質問に対し、「これは引き続き、推進すべきことだと思う」と述べ、公約に掲げる考えがあることを示した[29]
  • 2012年9月24日の記者会見の際に、父親の朴正煕元大統領が起こした5・16軍事クーデター人民革命党事件について「当時の政権下で弾圧されて苦痛を受けた被害者とその家族に心から謝罪する」と述べた[30]
  • 「創造経済」を提唱[31][32]

略歴 [編集]

  • 1952年2月20日 - 大邱生まれ。
  • 1967年 - 聖心女子中学校(ソウル)卒業。
  • 1970年 - 聖心高等学校(ソウル)卒業。
  • 1974年 - 西江大学校電子工学科卒業、フランスへ留学するが、母が射殺され帰国(文世光事件)。
  • 1979年 - 父が殺害される(朴正煕暗殺事件)。
  • 1982年 - 嶺南大学校理事長就任。
  • 1998年 - 国会議員初当選、ハンナラ党副総裁就任(~2002年)。
  • 2000年 - 第16代総選挙で再選を果たす。
  • 2002年
  • 2004年
    • 3月23日 - ハンナラ党代表就任、盧武鉉大統領に対する弾劾訴追で逆風で厳しい状況にあったハンナラ党を率いて総選挙を戦った。
    • 4月15日 - 第17代総選挙で3回目の当選。
    • 7月5日 - 党代表最高委員選挙に対等な立場で臨むためとして代表辞任。
    • 7月19日 - 党代表最高委員に再選。
  • 2005年 - 北京を訪問し胡錦濤国家主席と会見。
  • 2006年
    • 5月17日 - 日本を訪問し小泉純一郎首相と会談。訪韓した北朝鮮による拉致被害者家族会・横田滋代表らと会見。
    • 5月20日 - ソウル市長選応援の際に暴漢に顔面を切り付けられ負傷。
    • 6月18日 - 次期大統領選挙の準備のため、ハンナラ党代表を辞任した。
    • 10月1日 - 次期大統領候補選出のための党内選挙への出馬を正式に表明。
  • 2007年
    • 8月20日 - ハンナラ党全党大会、同時に行なわれたハンナラ党の大統領候補予備選挙で敗北。
  • 2008年
    • 4月9日 - 第18代総選挙、大邱広域市達城郡において4度目の当選(ハンナラ党、得票率88.6%)。
  • 2010年
    • 12月27日 - 政策シンクタンク「国家未来研究院」を設立
  • 2011年
    • 4月28日 - 大統領特使として欧州3カ国(オランダ・ポルトガル・ギリシャ)を歴訪(5月6日まで)[33]
    • 5月20日 - 7月に行われるハンナラ党新代表を決める党内選挙への不出馬を表明。
    • 12月20日 - 非常対策委員長に選出。実質的な党代表への復帰。
  • 2012年
    • 2月13日 - 党全国委員会でハンナラ党からセヌリ党に党名改称。引き続き党非常対策委員長を務める。
    • 4月11日 - 第19代総選挙。比例代表において5度目の当選(セヌリ党)。
    • 5月19日 - 2012年大韓民国大統領選挙への出馬意志を表明。
    • 8月20日 - セヌリ党大統領候補に選出された。
    • 12月19日 - 大統領選挙にて当選[22]
  • 2013年
    • 2月25日 - 第18代大統領に就任した[23]

脚注 [編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 중앙당(中央党) セヌリ党ホームページ
  2. ^ 우상호, 박근혜를 몰라도 너무 모른다” (韓国語). 프리존뉴스 (2006年5月30日). 2010年12月12日閲覧。
  3. ^ “<レコチャ広場>朴槿恵新大統領誕生の意味=“知中”だが“親中”とは限らない―中国”. レコードチャイナ. (2012年12月22日). http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=67719 
  4. ^ '박근혜 리더십', 대선에도 통할까” (韓国語). オーマイニュース (2006年6月26日). 2010年12月12日閲覧。
  5. ^ 「ニューライト」本分を見失わず使命を果たせ” (日本語). 朝鮮日報 (2005年11月8日). 2010年12月12日閲覧。
  6. ^ <朴槿恵テロ事件>急所避けて「明るいほほえみ」は無事” (日本語). 中央日報 (2006年5月22日). 2010年12月12日閲覧。
  7. ^ ノサモ代表、朴槿恵氏手術を「整形」と表現 与野党から批判殺到” (日本語). 東亜日報 (2006年5月23日). 2010年12月12日閲覧。
  8. ^ 「朴槿恵代表襲撃事件は単独犯行」暫定結論” (日本語). 中央日報 (2006年5月26日). 2010年12月12日閲覧。
  9. ^ 朴槿恵氏のシンクタンク発足、大統領選に向け始動か-連合ニュース2010年12月27日20時32分配信(2011年5月22日閲覧)
  10. ^ 朴槿恵元ハンナラ党代表 「党代表選挙に出馬しない」-KBSワールドラジオ2011年5月20日14時25分配信
  11. ^ “与党ハンナラ党代表が辞任=「すべて私の不徳」”. 聯合ニュース. (2011年12月9日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/12/09/0200000000AJP20111209002900882.HTML 2011年12月13日閲覧。 
  12. ^ “韓国与党 朴槿恵氏率いる非常対策委員会発足へ”. 聯合ニュース. (2011年12月12日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2011/12/12/0900000000AJP20111212003700882.HTML 2011年12月13日閲覧。 
  13. ^ “ハンナラ党 非常対策委員長に朴槿恵氏選出”. KBSワールドラジオ. (2011年12月20日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=41854&id=Po&page=2 2011年12月23日閲覧。 
  14. ^ “韓国与党の朴槿恵氏 総選挙は地方区から出馬せず”. 聯合ニュース. (2012年2月7日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2012/02/07/0900000000AJP20120207004100882.HTML 2012年2月9日閲覧。 
  15. ^ “새누리, 당명ㆍ정강정책 확정..`박근혜당' 완성(セヌリ、党名・政綱政策確定。‘朴槿恵党’完成)”. 聯合ニュース(本国版). (2012年2月13日). http://app.yonhapnews.co.kr/YNA/Basic/article/new_search/YIBW_showSearchArticle_New.aspx?searchpart=article&searchtext=%ec%83%88%eb%88%84%eb%a6%ac&contents_id=AKR20120213142900001 2012年2月23日閲覧。 
  16. ^ “セヌリ党が比例代表46人を発表 朴槿恵委員長は11番”. KBSワールドラジオ. (2012年3月20日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=42991 2012年4月14日閲覧。 
  17. ^ “与党セヌリ党 単独過半数で第一党維持”. KBSワールドラジオ. (2012年4月12日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=43275 2012年4月14日閲覧。 
  18. ^ “大統領選:3度目の挑戦、朴槿恵氏の戦略と課題”. 朝鮮日報. (2012年4月13日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/04/13/2012041301079.html 2012年4月14日閲覧。 
  19. ^ “朴槿恵氏が出馬表明=最有力の与党女性候補-韓国大統領選”. 時事ドットコム. (2012年7月10日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012071000063 2012年7月10日閲覧。 
  20. ^ “朴槿恵氏 与党の大統領候補者に決定”. KBSワールドラジオ. (2012年8月20日). http://rki.kbs.co.kr/japanese/news/news_Po_detail.htm?No=44940 2012年8月20日閲覧。 
  21. ^ “韓国大統領選挙の投票始まる、大接戦制し初の女性大統領誕生か”. ロイター (ロイター). (2012年12月19日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE8BI00V20121219 2012年12月20日閲覧。 
  22. ^ a b “韓国大統領選、朴槿恵候補が勝利宣言”. 読売新聞. (2012年12月20日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121219-OYT1T01602.htm 2012年12月20日閲覧。 
  23. ^ a b “韓国大統領選:朴槿恵氏が当選 女性初、親子2代”. 毎日新聞. (2012年12月19日). http://mainichi.jp/select/news/20121220k0000m030075000c.html 2012年12月20日閲覧。 
  24. ^ 韓国大統領、訪米の報道官更迭 大使館実習生にセクハラか 「就任後初の外遊として訪米した朴大統領の本格外交デビューに汚点を残した形となった。 」引用。
  25. ^ a b 朴槿恵氏、韓中日3国結ぶ「列車フェリー」構想発表” (日本語). 朝鮮日報 (2006年11月28日). 2010年12月12日閲覧。
  26. ^ 客車ではスペインタルゴが軌間可変式として長い実績を持っているが、日本の軌間可変電車は未だ試験段階である。1988年オリエント急行が日本で運転された際は、日本側が旧型客車の廃車発生品の台車用意し、それに交換した。
  27. ^ 고경태 기자 (2001年8月28日). “대통령도 “미안해요 베트남”” (韓国語). ハンギョレ. 2010年12月13日閲覧。
  28. ^ 新空港建設白紙、李大統領「国民に負担強いられない」-連合ニュース2011年4月1日16時38分(2011年5月22日閲覧)
  29. ^ 朴槿恵氏、新空港白紙化で李大統領を批判-東亜日報2011年4月1日午前8時15分(2011年5月22日閲覧)
  30. ^ 朴槿恵候補“過去の歴史”を謝罪 - KBS WORLD(2012年10月4日閲覧)
  31. ^ 【コラム】韓国政府の経済チーム、「創造経済」を探して道に迷う - 中央日報 2013年04月24日13時07分版
  32. ^ <ワールドウオッチ>韓国 「韓国経済はゆでガエル」 米コンサル報告書が話題 - 週刊エコノミスト 5月13日(月)17時0分配信(Yahoo!ニュース
  33. ^ 朴槿恵氏が欧州3カ国歴訪へ、大統領特使として-連合ニュース2011年4月14日15時17分配信(2011年5月22日閲覧)

外部リンク [編集]

先代:
崔秉烈
2003年6月~2004年3月
ハンナラ党代表
朴槿恵
2004年3月~2006年6月
次代:
姜在渉
2006年7月~2008年7月
官職
先代:
李明博
韓国の旗 大韓民国大統領
第18代:2013 -
次代:
(現職)