北方限界線

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北方限界線
各種表記
ハングル 서해 북방한계선
漢字 西海北方限界線
発音 ソヘ プクパンハンゲソン
日本語読み: さいかいほっぽうげんかいせん
英語表記: Northern Limit Line / North Limit Line(NLL)
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北方限界線(ほっぽうげんかいせん、朝鮮語: 북방한계선英語: Northern Limit Line もしくは North Limit Line, NLL)とは、朝鮮戦争が休戦した後、1953年8月30日連合国軍最高司令官総司令部側が定めた黄海上の軍事境界線。韓国側の呼称で「西海北方限界線(서해 북방한계선)」と呼ばれている。

概要[編集]

北方限界線

1953年、朝鮮戦争の休戦後、戦争の再燃を防ぐため、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の実効支配地域を確定する必要が生じた。

陸上については北緯38度線軍事境界線とすることに韓国と北朝鮮は同意したとの説もあるが、実際の軍事境界線は38度線とは大きく離れている。この時、海上での境界については話し合われていなかった。海上での争いから、朝鮮戦争が再開するかもしれないと危惧した国連アメリカ合衆国は、海上についても境界線の設定が必要と判断した。そこで、休戦から約1か月後の1953年8月30日、海上における韓国と北朝鮮の軍事境界線として、北方限界線を設定した。即ち、国連軍司令官は南北間の衝突防止など停戦状態を安定的に維持し、国連軍及び韓国軍の艦艇・航空機の活動の北方限界を規定するために北方限界線を設定した。なお、海軍力が脆弱であった北朝鮮は領海の拡張を狙い、国連軍が当時の普遍的な領海設定基準であった3海里を主張したことに対して北朝鮮は12海里を主張したことで合意に至らなかった経緯がある。

海上に関する北方限界線について北朝鮮は1973年まで約20年間は公式に異議を唱えたことはない。北朝鮮が北方限界線を認めている証拠としては1959年発刊の『朝鮮中央年鑑』で北朝鮮自らが現在の北方限界線を「軍事分界線」として表記している点が挙げられる。また、1992年2月の南北基本合意書や不可侵付属合意書(同年9月)を通じて北方限界線を事実上の南北間海上不可侵境界線として確認している。基本合意書11条は「南と北の不可侵境界線と区域は1953年7月27日の軍事停戦に関する協定に規定された軍事分界線とこれまで双方が管轄してきた区域とする」と定めている。なお、付属合意書10条は「南と北の海上不可侵境界線は今後引き続き協議する。海上不可侵区域は海上不可侵境界線が確定されるまでこれまで管轄してきた区域とする」と定められている。

1973年12月に開催された346回及び347回軍事停戦委員会で北朝鮮側は初めて黄海道京畿道の道界線の延長線以北水域は自分たちの沿海と主張しながら西北島嶼に出入りする船舶に対する事前許可を要求した。これに対して国連軍司令部は停戦協定文言や精神に反することで「全く許し難い詭弁」であると反駁した。

国連軍司令部は1999年6月11日、北朝鮮に将軍級会談を申し入れながら報道資料を通じて「北方限界線は46年間、北朝鮮と韓国軍の間の軍事的緊張を防止する效果的な手段として寄与しており、軍事力を分離することに寄与してきた事実上の境界線として使われてきた。(The NLL has served as an effective means of preventing military tension between North and South Korean military forces for 46 years.It serves as a practical demarcation line,which has contributed to the separation of forces.)」と発表した。そして6月15日延坪(ヨンピョン)海戦の発生当時開催されていた国連軍司令部と北朝鮮軍間の将軍級会談で国連軍司令部側代表は「北方限界線は実質的な海上分界線であり、過去40年あまりの間双方が認めて守ってきた厳然たる海上境界線として交渉の対象ではない。そして新しい海上不可侵境界線は南北間軍事共同委員会で協議すべきであり、その時までは現在の北方限界線が遵守されなければならない」と明らかにした。

北方限界線は、現在では、韓国と北朝鮮の事実上の海上の国境として機能している。ただし北朝鮮は1999年に北方限界線より若干南寄りに北方限界線とは別の「海上軍事境界線」を宣言している。

韓国と北朝鮮はこの北方限界線周辺で軍事衝突を繰り返しており、特に1999年の第1延坪海戦と2002年の第2延坪海戦では北朝鮮が北方限界線を越境、韓国軍と戦闘が発生し、戦死者も出る事態となっている。2009年11月10日には、7年ぶりに大青海戦と呼ばれる両国間での銃撃戦が発生した。2010年3月26日には白翎島付近にて韓国軍の浦項級コルベット天安」が爆発し沈没する天安沈没事件(乗組員104名のうち46名が死亡または行方不明)が発生した。韓国軍と民間の合同調査団(韓・・米・スウェーデン)は北朝鮮の魚雷が原因と断定している。

2010年11月23日、北朝鮮は「延坪島周辺海域での韓国の軍事訓練に対抗」との名目で、朝鮮戦争休戦後初めて“民間人の住む陸地”である大延坪島に向けて砲撃を加え、韓国軍兵士2名、島の民間人2名計4名の死亡が確認された(延坪島砲撃事件)。

北朝鮮の漁船が北方限界線を越えた海域で操業を行うことが度々あり、その都度海洋警察庁との小競り合いを繰り返している。

なお、日本海側にも海金剛から東に軍事境界線が延びているが、こちらは一般に北方限界線の呼称は用いられない。

主な出来事[編集]

  • 1959年11月、『朝鮮中央年鑑』でNLLを軍事分界線として表記。
  • 1973年10月∼11月、北朝鮮警備艇がNLLを43回侵犯(「西海事件」)。
  • 1973年12月、軍事停戦委員会の会議時に北朝鮮が「西海5島が北朝鮮統制海域内にあるので出入りの際には事前統制が必要」であると主張。
  • 1992年2月、南北基本合意書(11条)・不可侵付属合意書(10条)を持ってNLLを事実上の海上「不可侵境界線」として確認。
  • 1999年6月、第1次延坪海戦。6月15日、北朝鮮の警備艇「登山串684号」の先制攻撃による延坪海戦勃発。登山串684号は韓国海軍のチャムスリ(大鷲)級高速艇、哨戒艦による反撃で退却。
  • 2000年3月、北朝鮮が「西海5島の通航秩序」(西海5島に2つの通航水路指定)を発表。
  • 2002年6月、第2次延坪海戦。6月29日、北朝鮮の「登山串684号」の先制攻撃による韓国海軍の哨戒艇チャムスリ(大鷲)357号の沈没で艇長を含め戦死6人、負傷18人が発生。韓国海軍の反撃で北朝鮮の「登山串684号」艦長が戦死。
  • 2004年5月、北朝鮮が第1次将軍級会談時、NLLと北朝鮮「界線」間の「緩衝水域」を提議。
  • 2006年3月、第3次将軍級会談時、北朝鮮が「統一朝鮮の新領海圈設定」を提示。
  • 2006年5月、第4次将軍級会談時に北朝鮮が「新しい海上境界線」を提示。
  • 2007年5月、第5次将軍級会談及び第6次将軍級会談(2007年7月)時、北朝鮮がNLLと「界線」の間を「共同漁労水域」として設定することを主張。
  • 2009年、総参謀部(1月17日)及び祖国平和統一委員会(1月30日)声明で「西海海上軍事分界線(1999年9月に宣布)固守」を主張、NLL地域の軍事脅威が高まる。
  • 2009年11月10日、北朝鮮艦艇が意図的にNLLを侵犯、韓国艦艇の警告、通信・射撃に対して照準射撃したことで西海交戦(大青海戦)が勃発。
  • 2009年12月、北朝鮮がNLL南側海域を平時射撃区域として宣布。
  • 2010年1月27∼28日、8月9日、北朝鮮がNLL海域に砲射撃。
  • 2010年11月23日、北朝鮮が延坪島の韓国軍部隊及び民家を砲撃。

再設定議論[編集]

北朝鮮は北方限界線が一方的な物であると主張し、北方限界線の再設定を韓国側に求めている[1]。1991年に締結された南北基本合意書では、「南と北の海上不可侵境界線については、今後継続して協議する」となっている[2]

2007年10月11日、韓国の盧武鉉大統領(当時)が「北方限界線は領土線ではない」との主旨の発言を行い、問題になったことがある[3]

2009年1月30日、北朝鮮の朝鮮中央放送は、韓国との間の「政治・軍事的対決状態の解消に関連するすべての合意事項」を無効化するとの声明を発表したと報道した。[4]

大青海戦が起きた後の12月21日、朝鮮人民軍海軍司令部は「海上軍事境界線」から北朝鮮沿岸までの区域を「平時海上射撃区域」にすると宣言する声明を発表した。[5]

脚注[編集]

外部リンク[編集]