金剛山 (朝鮮)

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金剛山
各種表記
ハングル 금강산
漢字 金剛山
発音 クムガンサン
日本語読み: こんごうさん
ローマ字転写 Kŭmgang-san
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金剛山
金剛山・世尊峰(セジョンほう)
標高 1,638 m
所在地 朝鮮民主主義人民共和国江原道
山系 太白山脈
Project.svg プロジェクト 山
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金剛山の位置(北朝鮮内)
金剛山
金剛山
朝鮮民主主義人民共和国内の位置

金剛山(こんごうさん、クムガンさん)は、太白山脈に属する朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)江原道にある。最高峰は毘盧峰で、標高1,638mである。古来朝鮮半島では、白頭山と並ぶ名山とされてきた。

名称[編集]

金剛山とは華厳経の中から採った名称とされている。金剛山の峰々の数は一万二千峰あると言われてきたが、この一万二千という数字も同じく華厳経にある数という。また金剛山には蓬莱山、楓岳山、皆骨山と言うよく知られた別名がある。蓬莱は、楓岳は、そして皆骨はの金剛山を指す言葉として用いられている。

概要[編集]

金剛山の岩に刻まれた金日成の漢詩。金正日の満50歳を記念したもので、実の息子を褒めちぎった内容。ハングルでも同じ内容が刻まれている。2006年8月27日撮影。

金剛山は古くからかなり広い地域を指す言葉であり、現在でも金剛山の範囲は東西40km、南北60kmとされている。もっとも範囲の定義はかなり曖昧な面もあり、特に一番広い定義を採用した場合、南端のごく一部は韓国側にかかることになる。

金剛山の神渓寺に残る新羅時代後期の塔。神渓寺は朝鮮戦争でこの塔を残し焼失するが、韓国と北朝鮮が共同で再建した。2006年2月20日撮影。

金剛山は内金剛(ネクムガン)、外金剛(ウェクムガン)、海金剛(ヘクムガン)の、大きく3つの地域に区分されている、最高峰であるビロ峰がある中央連峰を境とし、西側を内金剛、東側を外金剛、東端の海岸部が海金剛である。日本統治時代には外金剛南部を新金剛(しんこんごう、シンクムガン)と呼んでいたが、現在では殆ど使われていない。また、現在の北朝鮮や韓国ではもっと細かく22ないし23区域に分ける方式も採用している。金剛山観光地区が制定されているのは外金剛と海金剛の一部であり、韓国側からの観光も外金剛と海金剛の一部のみで行われてきたが、2007年6月以降、内金剛の観光も開始された。

新羅時代より仏教が盛んだった金剛山には、寺や石塔、石仏などが多くあったが、朝鮮戦争の結果、多くの文化財が破壊され、北朝鮮時代になってからは金日成金正日親子を称える文字を大々的に岩に刻み付ける行為が続けられている。

外金剛には金剛山温泉がある。

日本統治時代の金剛山[編集]

7銭切手。当時日本領だった金剛山が描かれている
日本統治時代の神渓寺
外金剛玉流洞渓谷でヤマメ釣りをする日本人

日本では「こんごうさん」の名で呼ばれたが、20世紀初頭は交通の便が極めて悪く、金剛山を訪れる人も極めて少なかったが、その風貌が知られるに連れて「日本有数の名山」とされ、徳富蘇峰若山牧水などの著名人が金剛山を紹介したこともあって、広く世に知られるようになった。やがて鉄原(てつげん / チョロン)から金剛山電気鉄道という私鉄によって内金剛の麓まで、朝鮮総督府鉄道東海北部線によって外金剛の麓までアクセスが可能になると、金剛山は一大観光地となった。外金剛に当時朝鮮半島有数のスキー場が作られ、山スキーも盛んに行われるなど、金剛山には四季を問わず観光客が集まるようになり、日本式や朝鮮式の旅館が立ち並び大いに栄えたと言う。金剛山を国立公園とする運動も起こったが、それは実現しなかった。

韓国からの観光[編集]

金剛山海水浴場から見上げる金剛山。2006年8月撮影。

韓国現代財閥会長鄭周永は金剛山付近の出身で、北朝鮮当局と話し合って韓国からの金剛山観光を実現させた。1998年11月、江原道東海港を出港する船で韓国からの観光が始まり、2000年3月からは釜山港からも観光船が出航するようになった。2001年7月以降は江原道束草港から出航する雪峰号に一本化、2003年9月以降は南北間の軍事境界線を直接越える陸路観光が本格的に開始され、2004年1月以降は陸路観光に一本化された。

海金剛の光景。2006年8月28日、海金剛にて撮影。

現代財閥は巨額の観光料と引き換えに北朝鮮側から金剛山の独占開発権を取得し、様々な観光資源に恵まれた金剛山の本格開発を計画したが、当初、巨額の観光料と設備投資の割には観光客が集まらなかった。そして北朝鮮側との交渉の難航、現代財閥の内部対立などもあって予定通りには観光開発が進んでいない。

一方、2002年10月には金剛山は北朝鮮の観光地区に指定され、陸路観光の定着とともに観光客も増え、金剛山では南北分断で別れ別れになった離散家族の再会事業が行われるなど、韓国と北朝鮮との窓口としての役割を果たすようになっており、韓国国内では金剛山観光を開城工業団地とともに太陽政策の成果として評価する声も高い。

しかし2006年7月の北朝鮮のミサイル発射問題の影響で、離散家族再会事業は北朝鮮側から中止が表明され、北朝鮮に観光料が支払われる金剛山観光の是非についてアメリカから問題提起がなされた。同年10月の核実験後は特に金剛山観光に対する内外の批判が高まっている。

金剛山にある湖、三日浦の光景。2006年8月28日撮影。
金剛山にある九龍の滝。2006年8月27日撮影。
九龍淵にある滝へ向かうルート

陸路観光は束草市の北にある江原道高城郡の南北出入事務所前からバスに乗車し金剛山へ向かい、またバスで戻ってくる形で行われている。北朝鮮と韓国は互いに公式には国家として認めていないため、査証旅券は必要ないが、代わりに観光証を代用として使用している(但し韓国人以外は旅券も必要)。また北へ向かうための「出入手続」がある(出入手続ではない)。料金は2泊3日で30万ウォン(約3万)くらいからあるが、季節や宿泊施設の等級によってはもっと高くなる。ちなみに観光客一人当たり一定額の観光料を北朝鮮側に支払うことになっており、2泊3日の場合の観光料は80ドルである。金剛山ではハイキングの他に温泉や海水浴、更には北朝鮮のサーカスといった観光メニューがある。金剛山内での通用貨幣はアメリカドルであり、韓国ウォンは使えない。またセントは使われず、最低単位が1ドルのため、韓国より物価が高くなっている。

2008年7月11日に韓国人の女性旅行者が(北朝鮮当局の発表によると)金剛山付近で誤って立ち入り禁止区域に侵入、北朝鮮兵に射殺される事件が発生した。これを受けて、韓国政府は暫定的に金剛山へのツアーを停止する措置をとった[1]。女性が立ち入ったとされる場所は、海岸から30メートルの地点でフェンスが途切れており、そこから海岸までは土が盛られているだけだったことが判明した。また、立ち入り禁止を記した看板は海岸からフェンス沿いで内陸側に100メートルの地点にあり、海岸沿いからは見落とす可能性があった。女性はこの土盛りを乗り越えて行った可能性がある。現場付近には韓国側の防犯カメラが設置されていたため、映像を確認することとなっている。また、北朝鮮政府は事件の全責任が韓国にあるとして、韓国が謝罪して再発防止策を講じるまで韓国からの旅行者の受け入れを停止すると発表した[2]。しかし、韓国内では北朝鮮側や現代峨山の説明に矛盾があることが指摘されている[3]

観光再開に向け現代峨山会長が平壌を訪問し、金正日総書記と会談で観光客の安全に対して約束を取り付けたものの、韓国政府が安全面を理由に再開を許可しないため、未だに金剛山観光は再開されていない。

2010年4月8日、北朝鮮側は、韓国政府所有の離散家族面会所をはじめとした韓国側所有の不動産資産を凍結し、韓国側管理要員を追放すると発表。また、金剛山観光中断が今後も継続する場合、現代峨山との契約を破棄し、新たな観光事業者を選定することを示唆するなど圧力を強めており、観光事業再開は不透明感を増している。

金剛山観光には中国の旅行会社が関心を示しているとされており、その後、韓国側が反発する中、中国人観光客の金剛山受け入れを開始した。ただし、閉鎖されている韓国側の施設には立ち入ることが出来ない。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]