板門店

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板門店
DMZ seen from the north, 2005.jpg
板門店(北側から)
各種表記
ハングル 판문점
漢字 板門店
発音 パンムンジョム
日本語読み: はんもんてん
ローマ字 Panmunjeom /P'anmunjŏm
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板門店판문점 パンムンジョム)は、朝鮮半島中間部に位置する朝鮮戦争停戦のための軍事境界線上にある地区である。北側の朝鮮人民軍と南側の「国連軍」(米軍)の停戦協定1953年に調印され、同年10月以降は停戦を監視する「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」が設置され、停戦協定遵守の監視を行っており、60年以上に渡る朝鮮南北分断を象徴する場所となっている。

概説[編集]

1938年頃の板門店地図
(「板門店」表示右下の橋の向こう側がJSAがある地域)

板門店は、ソウルの北約80km京畿道坡州市に隣接する、また平壌の南約215km、開城の南約8キロに位置する朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線(DMZ-DeMilitarized Zone/「非武装区域」とも)上にある(北緯37度57分22秒東経126度40分37秒)。

なお、板門店の周囲は南北両国の共同警備区域(JSA-Joint Security Area) となっており、米軍の強い影響下にある韓国軍を中心とした「国連軍」と朝鮮人民軍が境界線を隔てて顔を合わせている。

板門店内には、1953年10月の設置以降、国連軍と朝鮮人民軍の停戦協定に基づく「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」の本会議場が設置され、停戦協定遵守の監視を行っている。「軍事停戦委員会」本会議場は南側側、「中立国監視委員会」は北側の施設となっており、緊急度を4段階(第一級 - 第四級)に分けた会議を開いている。

板門店は、第二次世界大戦後の冷戦下において、南北朝鮮と同じく分裂国家であった東西ドイツ間に置かれた「ベルリンの壁」と並んで、長く「冷戦の象徴」であった。そして、世界のほとんどの地域で冷戦が終結し、さらにベルリンの壁が崩壊したのちにドイツ再統一が成った現在においては、世界においても数少ない「冷戦の最前線」ともなっている。

また、南北朝鮮両国が過去何度も会談を開いてきたほか支援物資も板門店を抜けて渡っていくように(現在は、都羅山に南北出入管理事務所と南北直通道路ができたことにより、板門店を経由した物資、人の往来はほとんどない)、対戦状態(休戦中)にある南北朝鮮両国の唯一の接点である。

名称の由来[編集]

「板門店」の名は、停戦協定調印の場所(現在の板門店南北共同警備区域より北朝鮮側に入った所にある)近くにあった「ノル門里」という名の店(煙草屋蕎麦屋、中国料理店、雑貨店などの説がある)を、「ノル」が「」だという意味と知った中国人民志願軍兵士が「板門店」と書き表したことから定着したという。

施設[編集]

「軍事停戦委員会」[編集]

軍事停戦委員会本会議場と「板門閣」(2009年8月)
「平和の家」と遠景の「宣伝村」、北朝鮮の国旗掲揚台
帰らざる橋

「軍事停戦委員会」の本会議場は板門店の中心にあり、会議場の中心にテーブル、その中心にマイクが置かれ、引き回されたマイクケーブルも境界線を示すように配線されている。また、会議場脇には通訳ブースも設置されている。なお、韓国、北朝鮮双方から訪れた見学者が会議場内で境界線を越えることは認められている。

軍事停戦委員会本会議場の周辺には、韓国側に「自由の家」と「平和の家」が、北朝鮮側に「板門閣」が設置され、各種会談や事務業務、休憩施設として使用されている。なお、1992年に韓国側の「自由の家」と北朝鮮側の「板門閣」の内部に「南北連絡事務所」が設置された。

「中立国停戦監視委員会」[編集]

「中立国停戦監視委員会」は、朝鮮戦争において中立を宣言したスイススウェーデンチェコスロバキア(当時)、ポーランドの4カ国によって板門店に置かれることとなった。しかし、チェコスロバキアとポーランドはソビエト連邦(ソ連)によってワルシャワ条約機構に加盟したので、実際は中立組織は機能していなかった。

冷戦終結と共にポーランドとチェコスロバキアと分離)は旧東側(ソ連圏)から離脱し、中立組織が回復するかと思われたが、両国は1999年旧西側北大西洋条約機構(NATO)に加盟したため、再び有名無実になり、その後チェコとポーランドが抜け、現在はスイスとスウェーデンの2国のみとなっている。

周辺施設[編集]

「帰らざる橋」[編集]

西側に沙川江(サチョン川)が流れ、そこに架かるでは朝鮮戦争後に捕虜交換が行われた。北朝鮮から逃れた自由主義者、北朝鮮の捕虜となった韓国軍兵士が北朝鮮側に渡り、その橋を渡ると二度と戻れないことから「帰らざる橋」と呼ばれている。後述の「ポプラ事件(ポプラの木事件)」の舞台となった場所もすぐ近くである。

「自由の村」と「宣伝村」[編集]

軍事境界線内の韓国側、共同警備区域の周辺には休戦当時の住人の直系子孫だけ居住することができる「自由の村(大成洞自由の村)」が設けられているが、住民や許可を受けた者、指定されたツアー参加者以外、自由に訪れることはできない。

また、北朝鮮側の軍事境界線周辺には「機井洞」(宣伝村)と呼ばれる、韓国側に北朝鮮側の「繁栄」を誇示するために設けられた高層アパートなどの住居工場が立ち並んでおり、「自由の家」からも見ることができる。しかし、これらの住居や工場はあくまで宣伝のためのものであり、実際に住人は住んでいないとされている。

なお、軍事境界線近くには韓国と北朝鮮の国旗掲揚台が置かれている。掲揚台を設ける際に韓国と北朝鮮の両国間でその高さがあらかじめ決められていたものの、北朝鮮がこの取り決めを一方的に破り、南北双方で国旗掲揚台の高さ競争が起こり、北朝鮮側は「宣伝村」脇に世界一の高さとなる160mの高さの掲揚台を設け、現在もそのままにされている。

警備[編集]

共同警備区域を警備中の国連軍兵士
軍事停戦委員会本会議場内を警備中の韓国軍兵士。鉄帽及び腕章に헌병(憲兵)と書いてある。
軍事停戦委員会本会議場内を警備中の朝鮮人民軍陸軍兵士)

板門店内および共同警備区域においては、韓国軍を中心とした国連軍と、北朝鮮軍の両軍が境界線を隔てて顔を合わせ警備についている。

かつては国連軍側にはアメリカ軍フィリピン軍イギリス軍ベルギー軍なども配備されていたが、現在国連軍の8割以上は韓国軍、そして残りのほとんどをアメリカ軍が占めている。

なお、原則として南北兵士は軍事境界線を越えてはならず、「境界線を越えた者、相手兵士と会話を交わした者は極刑に処せられる」と定められている。しかし、多少の会話は黙認されているらしく、実際には軽い会話を交わす事もあるとされる。

DMZの韓国軍[編集]

DMZの臨津江周辺は2000年の韓国映画JSA』がヒットした影響で韓国内外から強い関心が寄せられた。DMZの警備は韓国陸軍第1歩兵師団が担当しており、非常に紀が厳しく、徴兵制度で配置される一般兵士達が行きたがらない場所でもある。

そこから東側の漣川の方に行くと第5歩兵師団、通称「かぎ部隊」が存在し、その東側に第3歩兵師団、通称「白骨部隊」がある。この部隊は朝鮮戦争時、初めて平壌に韓国旗を掲げた部隊として知られる。勤務地の冬は氷点下45度と過酷、孤立した部隊で、陸軍へ入隊する若者にとっては一番避けたい、もっとも怖れられる存在として有名な精鋭部隊である。現在韓国軍の「国軍の日」は10月1日だが、この日の由来は朝鮮戦争時、第3歩兵師団に属している23連隊が初めて38度線を突破したことを記念するためであり、第3歩兵師団は韓国陸軍でも最も厳しい軍紀と多数の功績を持っている。

さらに東に進むと第15歩兵師団、通称「満月部隊」、第7歩兵師団、通称「七星部隊」、江原道麟蹄まで行くと第1軍団がある(軍団は数個の師団を統括する上級部隊)。そして日本海側に出ると有名な統一展望台の「日出部隊」がある。

ちなみに、板門店周辺の警備に配属されるには、他の国連軍兵士や北朝鮮軍兵士に見劣りしないように身長が175cm以上であること、国連軍兵士と対等に会話ができる英語力を持っていることなどの条件があり、配属された兵士は相当なエリートであるといえる。

なお、軍事停戦委員会本会議場周辺など北朝鮮軍と直接顔を合わす場所に配置された韓国軍兵士のみ、北朝鮮軍兵士から表情を読み取られないため、そして顔を判別されないためにサングラスを着用する決まりとなっている。

DMZの北朝鮮軍[編集]

朝鮮人民軍は、JSAに勤務する韓国軍将兵を包摂、情報を入手し、除隊後にも接線工作を通して固定間諜として活用するため、板門店代表部政治部敵工課に2個の対南工作組を運営している。

各工作組は、組長(中佐)・副組長(少佐)・組員(尉官)等、5-7名で構成されており、組長は韓国軍将校と中士を、副組長は中士と兵長を、組員は士兵を各々接触対象にしている。

事件[編集]

ポプラ事件[編集]

北朝鮮軍に襲撃されるボニファス大尉(中の矢印)とバレット中尉(上の赤枠)
「ポール・バニアン作戦」においてポプラの木を切り倒す国連軍兵士

1953年の停戦調印以来、板門店内の境界線は存在したものの南北兵士の行き来は自由にできた。この様に、国連管轄で形式的なものだった板門店内の境界線の存在を見直すきっかけとなった事件である。

1976年8月18日に、国連軍が管理する第3哨舎近くのポプラの木が大きくなりすぎ、北を監視するための国連軍の哨所を隠してしまうので、国連軍が枝の剪定作業をしていた。これを知った北朝鮮軍が数度に渡り作業の中止を要求、国連軍が無視して作業を続行すると、北朝鮮軍のグループが国連軍の作業チームを襲撃。国連軍のアメリカ陸軍将校、アーサー・ボニファス大尉とマーク・バレット中尉が北朝鮮軍兵士に棍棒で撲殺され、これに対して国連軍も反撃し白兵戦の衝突に発展。国連兵と北朝鮮兵それぞれ4人の計8人が負傷した。

事件発生を受けて翌日の8月19日から北朝鮮軍と国連軍の間で会議が開かれた。特に自国兵士に死者を出したアメリカは事件を重く受け、アメリカ海軍正規空母を近海に派遣したほか、在韓米軍や韓国軍も臨戦態勢をとり北進の準備を進めた。

さらに8月21日に、国連軍は北朝鮮軍に作業の続行を通告し、1個中隊級の集団と、韓国空軍アメリカ空軍戦闘機、アメリカ空軍の爆撃機の護衛を受けながらこのポプラの木を切り倒した(「ポール・バニアン作戦」見出しリンク参照)。この対応に恐れをなした北朝鮮の金日成主席は「遺憾の意」を示し、アメリカに謝罪した。

その後、9月6日まで両陣営間で行われた会議によって、北朝鮮側の提案で、共同警備区域内でも以下のように軍事境界線を引いて両者の人員を隔離する事を決定した。

  • 軍事境界線の標識として10mおきにコンクリート角柱(10cm四方・全高1m つまり区画標柱に似る)の設置
  • 軍事停戦委員会本会議場の建物間に高さ10cmのコンクリート境界を設置(形は縁石に似ている)
  • 9月16日までに南北双方の人員の立ち退き

これ以降、境界標を挟んで南北両軍兵士が向き合うこととなった。特別の許可を受けた者以外、このコンクリートの境界線を越えることは許されていない。

ソ連大学生越境事件[編集]

1984年11月23日、北朝鮮の板門店観光ツアーに訪れていたソ連人大学生が軍事境界線を越えて南(韓国)に闖入した。この大学生を追った朝鮮人民軍兵士が軍事境界線を越えたため、国連軍が攻撃し両者は衝突、韓国軍兵士1名と人民軍兵士3名が死亡した。 最終的にこの大学生はアメリカへ亡命した。

亡命事件[編集]

上記のソ連大学生越境事件をはじめとして、板門店では過去数回に渡り北朝鮮や旧東側諸国の国民の韓国側への亡命が行われている。1998年2月には板門店の警備に当たっていた北朝鮮軍の大尉が韓国側に亡命している。

見学訪問[編集]

南北双方から見学を目的に板門店を訪れることができる。北側・南側それぞれ手続きや見学体制が異なる。2005年の1年間の参加者数は南側が20,000人強、北側が7,000人という(南側ガイドの証言)。この見学中に限り見学者は軍事停戦委員会本会議場の中でのみ一時反対側へ“越境”することができる。

南側から[編集]

「自由の家」の前で本会議場を背に撮影を行う南側からの見学者。手前の制服は人民軍兵士。(北側から撮影)

板門店ツアー[編集]

  • KTB TOUR
  • ICSC国際文化サービスクラブ
  • 中央高速観光
  • 板門店トラベルセンター

南側(国連軍側、韓国政府支配地域)から訪れる場合は指定の団体ツアーに参加する必要がある。ただし、特命全権大使もしくは閣僚級の政治家の場合、ガイド付きの個人見学が可能である。南側からは上記によりソウル発の外国人向け板門店見学の定期ツアーが行われている。民間人は基本的にこのツアーに参加しなければ板門店を訪問することはできない。開催は原則として火曜日 - 土曜日だが、訓練などの都合で左記曜日であっても開催しない日がある。行程は半日程度のものが中心で、国連の公用語である英語ができる添乗員が同行するツアーのほか、日本人向けの日本語が出来る添乗員が同行するツアーが用意されている。さらに、DMZ周辺に掘られた北側からの南方進入用トンネル都羅山駅などの見学と組み合わせた1日通しのツアーもある。いずれも旅行代理店への事前予約が必要である。

南側からの訪問は「国連軍の招待客」という名目[1]のため、国連軍より参加不可国に指定されている朝鮮民主主義人民共和国やアフガニスタンパキスタンイランイラクキューバリビアスーダンシリア国籍者は見学不可である。また、ロシア中華人民共和国ベトナムマレーシアインドネシアシンガポールインドオマーンサウジアラビアウクライナエジプトソマリア国籍並びに台湾人などの参加制限国の国籍者は、1週間の事前審査承認の上参加可能である。

韓国人(在外韓国人を除く)の場合、国家情報院への申請、承認が必要である。申請には住所地の警察署長による「身元保証」などが必要。団体見学が原則で、多くは市民団体による訪問団で、外国人のように簡単に見学することは不可能である(いずれも見学までに数ヶ月を要する)。在日韓国人の場合、韓国大使館発行の「在外国民登記簿謄本」を持参すれば、上記外国人向けツアーへの参加が可能である。なお、参加国籍に問わず職業や性別による見学制限はないが、11歳以下(小学生及び同等の課程にある児童、乳幼児)はツアー参加自体ができない。

南側からの板門店訪問に際しては、パスポートの持参義務や、撮影、行動、服装などの制限などがある。なお、ツアー参加者は「キャンプ・ボニファス」内で国連軍が用意したバスに乗り換えるが、この際にはパスポートとカメラカメラ付き携帯電話も可能)、及びポケットに入るもの以外持参できず、これまで乗ってきたバスに置いていくこととなる。

なお、「キャンプ・ボニファス」にて、スライドでの南北朝鮮の過去と現状についてのレクチャーと共に、見学中の禁止事項についてのブリーフィングがあるが、「緊急事態が起これば死亡、負傷する恐れがあるが、自己責任を承知の元訪問する」と書かれた国連軍の用意した誓約書への署名が必要である[1]

見学事情[編集]

板門店内では引率する国連軍兵士のあとに2列で並んでの移動となり自由に歩くことはできない。「北側から『挑発を受けた』と受け取られ攻撃する口実をつくることを防ぐため」であるとし、指を差す、手を振る、大声で笑うなどの行為は禁止されている。また、軍事停戦委員会本会議場内の設備に触れるなどの行為、警備兵(国連軍・朝鮮人民軍問わず)に話しかけたり、挑発的態度を取ったりする行為は禁止である。

なお、撮影時に「ピースサインファックサインなどはしないように」とガイドに注意される理由は下記のジーンズと同じである。また、不慮の事故を防ぐためにツアー出発12時間以内の飲酒は禁止[2]されている(1日通しのツアーで午後に板門店を訪問する場合は、昼食時にアルコール類を注文しないように指示がある)。

撮影は共同警備区域内のみならず、南側が自主的に設けた「民間人統制区域」内(臨津江に架かる「統一大橋」の検問所以降)を移動中のバス内も撮影不可である。国連軍が管理する「キャンプ・ボニファス」内の見学者向けにブリーフィングを行う建物などの一部施設周辺や、軍事停戦委員会本会議場内での国連軍兵士との記念写真の撮影は可能である(運が悪いと軍事停戦委員会本会議場内に北側の観光客がいて入れないこともある)。なお、100ミリ以上の望遠レンズは持ち込み不可である。

服装は作業服、半ズボン、革製品、ミニスカートジャージ、ノースリーブやTシャツを含む襟なしシャツサンダル(ストラップ付きのものも含む)、軍服もしくはそれを模したものなどは許可されない[1]。ブランドやスポーツチームのロゴが大きくプリントされたもの、「USA」などの文字や星条旗が描かれたものも禁止。ツアー受付や、板門店に入る前に軍による服装チェックがある。万一、これらの衣服を着用していたり、現地で不適切な服装と判断された場合、別の衣服に着替えさせられる(すぐに着替えが用意できない場合、近隣の衣料品店で購入することになる。一部ツアーではそのような乗客のためにあらかじめ着替えが用意されている場合もある)。

以前は、ジーンズは完全に禁止(「北側がアメリカの象徴であると考えているとするジーンズ姿の観光客を『韓国はアメリカの手先』と宣伝(プロパガンダ)に利用する恐れがあるためである」としていた)だったが、現在では一部(破いて穴をあけたものや色のあせたもの)を除き基本的には許容されている。

ツアーの終盤に立ち寄る「キャンプ・ボニファス」内の「自由の村」住人が経営する土産物店において、記念品や土産物の購入が可能となっている。また、タバコや酒類が免税で販売されている(軍地基地内にあるPX売店では、通常、付加価値税(消費税)や酒税などが免税となっている)。クレジットカードの利用はできないが、土産物店脇に韓国の銀行ATMがある。

北側から[編集]

北側からの見学者

基本事情[編集]

北側(朝鮮人民軍側、朝鮮民主主義人民共和国政府支配地域)から外国人が訪問する場合は、現地旅行社が受け入れる一般観光ツアーの中に組み込むよう手配をすれば可能である。朝鮮民主主義人民共和国籍者も各種許可などを取得すれば可能である。在日朝鮮人団体の「祖国訪問」においても訪問の実績がある。

現在、外国人が朝鮮民主主義人民共和国各地へ観光目的で訪問する際は、旅行代理店を通じて朝鮮国際旅行社などが受け入れる「観光」の枠組みを利用することが一般的である。この枠組みは、かつて世界各地でよく見られた団体旅行を個人向けにバラ売りしたようなもので、案内員が随行しやや硬直的な行程である特徴を持つが、板門店見学を希望する場合はこうしたツアーの中に盛り込むよう手配すればよく、北側滞在中に別途「板門店ツアー」を申し込む必要はない。

南側のような板門店だけのツアーも実施されている様子がない。したがって一般観光の延長線上にあって、現地旅行社が提示する4日程度のモデルプランには、平壌・開城に板門店を加えた組み合わせがよく見かけられ、平壌を観光する多くの外国人旅行者が併せて板門店を訪れている。ただし、日程は情勢などにより前後する場合がある。少人数個人で北側に滞在していても板門店に限り他の団体ツアーと合同になることがある。

外国人観光客の板門店訪問自体への参加制限はない。もっとも上記の「観光」の枠組みは、軍人・警察官・治安当局関係者、報道関係者、米国人などに制限がある。例えば記者が取材目的で「観光」の枠組みを使うことはできない。在平壌大使館員も訪問できないという。

見学事情[編集]

撮影や服装などの制限はないほか、誓約書への署名義務もなく[1]、南側と比較して「緩い」とよく言われる。パスポートの持参義務はないが、そもそも前述の「観光」の枠組みでは入国直後から出国直前まで案内員にパスポートを預けるシステムになっている[1]

当該区域には徒歩で入ることはできず、ツアーバスか旅行社の乗用車を利用する。その際、観光客警備の名目で朝鮮人民軍兵士が同乗する。軍事停戦委員会本会議場(狭義の境界線)に加え、停戦協定調印場の訪問が可能である[1]。これは、南側からは訪れることができない。これらの内部では軍人が案内役を務め、北側の立場から説明を受け、随行案内員が通訳を行ってくれる。その他、「板門閣」の内部も見学できる。本会議場脇の境界線付近を見学する際には「亡命阻止のため」に朝鮮人民軍兵士が必ず立哨する。

朝鮮民主主義人民共和国では通常、軍人や軍事施設の撮影は禁止されているが、区域内ではカメラ、ビデオカメラを問わず自由に撮影できる。案内役の朝鮮人民軍兵士との記念撮影や会議場の椅子に座っての撮影も可能[1]で、案内員に申し出れば撮影してくれる。なお、区域に入場する際に同乗する警備役の兵士の撮影は禁止されている。

板門店訪問に際して服装の制限はないが、一般的なマナーとして、透ける服や下着が露出する服装、ミニスカートなどは好まれない。北側の体制や指導者の批判は板門店に限らず北側のどこでも厳禁である。ツアー参加者には、現地の将校から「統一」と書かれたバッジがもらえることがあるという[1]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 加藤将輝・著、中森明夫・プロデュース『北朝鮮トリビア』飛鳥新社 2004年 ISBN 978-4-87031-619-5
  2. ^ 誓約書に記載あり

関連項目[編集]

外部リンク[編集]