脱北者
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脱北者(だっぽくしゃ、韓国語:탈북자)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治体制や生活環境を苦にして同国を脱出する人のこと。北朝鮮難民。かつては帰順者(グィスンジャ、귀순자)と呼ばれていた。
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[編集] 概要
本来は大韓民国で朝鮮民主主義人民共和国から亡命してきた人のことをこう呼んでいたが、北朝鮮からの脱出者の増加によって対象範囲が拡大された。また、脱北者の増加は日本でも注目するところとなり、日本のマスコミも使い始めた。特に瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件などに見られる第三国への亡命を求める行動は衝撃を与えた。
2005年1月9日に韓国政府は脱北者の呼び名を「セトミン:새터민」に改めると発表した。セト民は韓国語で「新しい土地で人生への希望を抱いて生きる人」の短縮。しかし、反発を受け、3日後の12日には、この改称は撤回された。ただし、大学の入試要項等、一部では「セト民」の名称を使っている。
[編集] 変質
脱北者は、政治的な理由で亡命した者から、生活苦で国外へ逃れた者へと変質している。
かつて北朝鮮を脱出して韓国に亡命してくる者は、大抵が政治的な理由で国を追われた人々であった。韓国でも1980年代まで厳しい反共産主義の独裁政権であったため、北から逃れてきた人は、まずスパイでないか徹底的に取り調べられ(現実にスパイが多数韓国に潜入していた)、拷問もされたという。
1990年代から、脱北者に対する措置が寛大化すると、次第に脱北者が増えていく。1993年に北朝鮮で大水害が発生し、以降水害と旱魃が毎年のように発生、深刻な食糧難が報じられるようになると、大飢饉が報じられた1995年から徐々に亡命者が増え始め、2002年には遂に1,000人を超えた。
2004年には韓国に亡命した脱北者が累計6,000人を超え、近い将来確実に10,000人を超えると考えられるようになる。そして、2007年2月16日に遂に10,000人を超えたと韓国統一省当局者が明らかにした[1]。
さらに、中国、東南アジアに潜伏していると思われ、潜在的な数は数十万人になると推測されている。
- 韓国に到達した脱北者の推移
- 1990年 - 9人
- 1994年 - 52人
- 1995年 - 41人
- 1996年 - 56人
- 1997年 - 85人
- 1998年 - 72人
- 1999年 - 148人
- 2000年 - 312人
- 2001年 - 583人
- 2002年 - 1,141人
- 2003年 - 1,281人
- 2004年 - 1,830人
出典:大韓民国・統一部のデータ(1994年 - 2003年)
[編集] 脱北者の亡命ルート
兵士の一部には38度線(軍事境界線)を直接越境するものもいるが、衛兵や高圧電線、地雷原に阻まれ、途中で命を落とす事が多いため、決して主流ではない。漁船での集団亡命も朝鮮戦争直後は数多く行われていたが、長く姿を消していた。
主なルートは、中華人民共和国への脱出が多いとされる。中国と北朝鮮の国境には、国境警備兵と呼ばれる兵士がかなりの数で見張っているが、大半の兵士は彼らも生活が苦しいので賄賂などを渡したり、あるいは彼らの目を盗んで脱出する者が多いとされる。大抵は川幅が狭く、冬季に凍結する豆満江(図們江)を渡り、延辺朝鮮族自治州の朝鮮族に匿われる。
しかし中国当局は北朝鮮との外交関係を重視して、脱北者を難民とは認めておらず、発見次第不法入国者として北朝鮮に送還する協定を両国で結んでおり、これにより脱北者は中国内では潜伏生活を送る。摘発され、北朝鮮に送り返されると、初犯の場合は労働や思想改造などの処置を受け、再犯では死刑となる場合もあると語られている。
うまく中国への潜入に成功した者の中の一部は、韓国などから支援があったり、各国大使館や外国人学校などに逃げ込み、助けを求める(外国メディアはこれを「劇場型亡命」と名づけた)。その後、多くが同胞の韓国に亡命する。
モンゴル経由の亡命もあったが、近年は国境付近での中国側の摘発が厳しくなっており、中国には長く潜伏せずに通過し、東南アジア経由で第三国に亡命する人が増えている。
なお、脱北者を支援する団体が韓国、日本をはじめ西欧にもいくつか存在し、代表的なものは北朝鮮難民救援基金と呼ばれる団体である。彼らは脱北者と接触し、大使館や外国人学校への駆け込みを準備する一方、その様子をテレビカメラで撮影し、韓国や海外メディアに提供することが多い。この動きに警戒感を示しているのは中国の公安当局で、中国内で活動する支援団体を次々と摘発している。
2006年5月には韓国籍を取得した脱北者が米国で初めて「政治亡命」を認められた。韓国政府に政治的弾圧を受けたと主張する脱北者は他にもおり、今後の動向が注目されている。
[編集] 脱北者の社会適応
多くの脱北者の受け入れ先である韓国では、1997年7月14日に制定された「北韓離脱住民の保護及び定着支援に関する法律」と言う法律があり、脱北者の生活支援を行っている。彼らは、まずハナ院(하나원、北韓離脱住民定着支援事務所)と呼ばれる教育施設に収容され、資本主義社会の習慣を教授する。その後数週間から数ヶ月程度で一般市民と変わらない生活に移行する。
彼らの多くは北朝鮮出身者のコミュニティを形成し、新しい亡命者の手助けをしている者もいる。その中で、韓国社会で目覚しい活躍をする者もいる一方、目標を自ら設定する資本主義社会に馴染めず、暴走族などの非行に走るものもいる。また北朝鮮で要職、高位にいた脱北者は常に暗殺の危険に晒され、改名や整形手術を余儀なくされる者もいる。
韓国政府は2005年より脱北者に入国審査を厳しくする旨を発表した。これは脱北者の中に北朝鮮で政治的ではない重罪を犯した人間が含まれているからとしているが、年々増える傾向の脱北者支援は既に韓国の財政を圧迫し始めているため、とも言われる。社会適応に対する社会的支援は韓国の課題となっている。
[編集] 韓国での生活
暮らしぶりは厳しいという。脱北者は支援金を政府から受け取るが、5人に1人が支援金を狙う詐欺の被害に遭っている(韓国全体での詐欺に遭う確率は、0.5%)。定職に就ける者の割合も5人に1人に過ぎない。また、脱北者の子供を巡る環境も厳しい。進学については、子供の多数が退学しており、高校への進学率は10%となっている。学校ではいじめにも遭っているという[2]。
こうした状況の中で、北朝鮮に戻りたいという脱北者も現れるようになった。
- 「昨年11月、あるテレビ局が行った世論調査で、脱北者の33%が「北朝鮮が処罰しないなら帰りたい」と答えた。」[2]より引用。「昨年11月」は、「2006年11月」を指す。
[編集] 中国東北部の脱北者
中国東北部に居住する脱北者数は、最大で50万人、最少で数千人と見積もられている。大飢饉が起きた90年代から違法に国境を越えて中国に逃れる者が急増したと伝えられる。脱北者は中国朝鮮族が多く住む延辺朝鮮族自治州に隠れ住んだ。同族の境遇を哀れんだ中国朝鮮族がこれを援助したが、その後も脱北者は増え続け、犯罪も頻発して治安に影響を与えるようになった。当初は放置していた中国政府も脱北者の厳しい摘発に乗り出した。中国政府は脱北者を難民(保護を義務づけられる)とは認定せず、不法入国者としている。本来は国連の難民条約33条には、「難民を迫害の待つ国に送還してはならない」という規定があるが、中国は「中朝間に難民問題は存在しない」、「経済難から国境を越えたごく少数の朝鮮の不法越境者がいる」という立場である。これは長年の友好国である北朝鮮との関係も考慮した措置である。中国警察に摘発された脱北者は北朝鮮へ強制送還されている。北朝鮮では許可のない出国は厳しく禁じられており、強制送還された人々は死刑を含む厳しい処罰を課せられる。拷問など非人道的行為が数多く伝えられており、脱北者を強制送還する中国政府に対して国際社会から厳しい非難が寄せられているが、中国政府は脱北者に対する姿勢を改めていない。難民と認定して脱北者が急増すると中国東北部に混乱が生じかねないことと、北朝鮮の体制を揺るがしかねないためである。
脱北者の多くは中国東北部で低賃金労働に従事しているが、摘発を逃れるために住居を転々とすることを余儀なくされ、その生活は安定していない。嫁不足の中国人農家と結婚する女性や売春婦に身を落とす女性も数多い。路上で物乞いをする孤児(コッチェビ)もいる。その一方で北朝鮮との密貿易で財をなす者もいる。
強制送還された脱北者がすべて処刑されたり、過酷な政治犯収容所に送られる訳ではない。キリスト教会や韓国系団体と接触した者、犯罪を犯した者は厳しく罰せられ、処刑もあるが、その他は労働教化所などで比較的短期間収容され再教育されるにとどまるようだ(ただしそこでの扱いは決して優しいものではない)。これは中国から強制送還される脱北者の数が多すぎるためである。そのため、何度も脱北を繰り返す者が多いとされる。しかし中国が強制送還した脱北者の1/3が処刑されるそうだ。
中国東北部に数多く居住する脱北者だが、この全てが韓国への移住を希望しているわけではない。彼らの多くは豊かな中国へ出稼ぎのために国境を越えているのが実情で、中国で働いて北朝鮮に残した家族へ仕送りをするか、密貿易に従事して国境を頻繁に行き来している。彼らの多くは生活苦から不平はあるが、反体制的な意識まではない。故郷を捨てて韓国へ移住したいという意思もないようだ。政治亡命者というよりも、カリフォルニア州へ出稼ぎに不法越境するメキシコ人のような存在である。北朝鮮政府は国境を封鎖して徹底的に取り締まっておらず、逆に彼らを貴重な外貨をもたらす者としてある程度黙認している形跡がある。不満を適当に解消する「ガス抜き」の効果もある。時々、国境の警戒を厳しくして行き過ぎを締め上げている程度のようだ。
脱北者の相互扶助ネットワークが存在する。自然発生的なもので、ひとつの大きな組織ではなく、小さなグループが幾つも存在している。これらのグループは脱北の手引きや隠れ家の提供、職探しや密貿易の斡旋などを行っている。彼らの手引きがないと国境を越えることも中国官憲の取締りを逃れることも難しい。もちろん、無償ではなく少なからぬ負担が必要である。高額な費用を払えば韓国への渡航まで手配してくれるが、支払える者はごく一部である。日本では「脱北ブローカー」と呼ばれている。悪質なグループにかかると法外な報酬を強要されたり、女性や子供は人身売買に売り飛ばされることもある。経済的な存在であり反政府的なものではない。近年の韓国への亡命の急増の背景には彼らの存在があると指摘されており、北朝鮮の中に脱北ビジネスという産業が成立していると考えられている。
中国東北部を拠点にする小規模な北朝鮮反政府グループは幾つか存在するようだが、せいぜい韓国や日本の北朝鮮民主化運動団体へ北朝鮮内部の映像を隠し撮りして提供したり、内部資料を持ち出したりする程度のことしかできないのが実情だ。韓国へ移住を希望する脱北者を支援する活動では一定の効果をあげている。しかし、金正日政権へ脅威を与えるテロや武装ゲリラを行えるような存在ではない。資金もなく規模も極めて小さいからである。中国が北朝鮮の同盟国であり取締りが厳しいことから、脱北者の間で大規模な北朝鮮反政府グループが形成される可能性は低い。
脱北女性は人身売買の対象となっており、20-24歳の女性は7000元、25-30歳の女性は5000元、30歳以上は3000元で中国などに売られている[3]。
[編集] 日本での報道
日本で脱北者が大きく取り上げられるきっかけとなったのが、瀋陽の日本領事館に朝鮮人親子5人が駆け込んだ事件である。5人を逮捕しようとした中国の公安警察が、治外法権が認められている領事館の敷地に侵入したにもかかわらず、日本領事側はそれに抗議することも無く、5人を武装警察に引き渡したため、国内外から批判が集中した。なお、彼らは後にフィリピン経由で韓国入りした。
また、2007年青森県の日本海沖で4名の脱北者が漁船を使い日本海を渡り亡命した。但し、このケースは自然条件の良好な時期と出発した清津の軍港の警備面を考えると稀なケースである。
[編集] 脚注
- ^ 2007年2月17日付毎日新聞
- ^ a b 2007年2月5日付配信『「人間らしい生活」を夢見た脱北者に絶望を与える韓国』(朝鮮日報)
- ^ 脱北者の悲痛な訴え、弁護士協会が人権白書 (朝鮮日報 2008/10/13)
[編集] 著名な脱北者一覧
- 黄長燁(元・金日成総合大学総長、朝鮮労働党中央委員会委員)
- 安明進(元・工作員)
- 安明哲(元・強制収容所警備兵)
- 姜哲煥(元・強制収容所収容者、現朝鮮日報記者)
- 金高哲(瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件で知られた)
[編集] 関連項目
- 難民
- 亡命
- 朝鮮民主主義人民共和国
- 大韓民国統一部
- ズ・ダン号事件
- 第十八富士山丸事件
- 自由青年同士会(活動が確認された北朝鮮のレジスタンス)
- 在日朝鮮人の帰還事業
- 強制収容所 (北朝鮮)

