暴走族

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暴走族(ぼうそうぞく)とは、道路交通法及び道路運送車両法などの交通法規を無視し、自動車オートバイで危険な運転や騒音を伴って走り回る集団のことである。大きく分けて「共同危険型」と「違法競争型」の二種類に分類されるが、本項では特に前者を扱う(「違法競争型暴走族」については走り屋も参照)。

一般的には、「族」と呼ばれ、犯罪集団である。


目次

[編集] 概要

違法に改造した自動車(かつてはスポーツバイクが主流だったが、近年ではスクーターやセダン型の4輪自動車など多岐に渡る)を用いて騒音(轟音・爆音)を出したり、何台も連なって蛇行走行するなどで、共同危険行為として罰せられる。構成員の多くが少年男子で女子はマスコット扱いされ、女のみの集団は「レディース」と呼ばれる。

参加は比較的容易にできる割に、グループ内に見られる「掟」などのため脱退が難しく、また暴力団の下部組織として機能、または同団体への加入斡旋の場となるケースも多いことから、その存在自体が問題視されている。なお掟を破るとリンチを加えるなどの暴力的側面も併せ持ち、これが暴走して発生した死傷事件も報じられている。

暴走族は、中学の番長グループを単位としてその延長として結成・加入勧誘がなされることが多く、中学の番長グループは、元番長が加入している暴走族の主要な供給源として暴走族予備軍になっていると見られクラブ活動と言ってもふさわしくない。また、暴走族の交遊範囲は出身中学を中心に縦割り組織にしているため、出身中学の上下級生番長グループとの結び付きが強く、背後で校内粗暴集団に大きな影響を及ぼしている。このような傾向は、全国各地でみられるところである。

2004年11月現在、共同危険行為で摘発された場合、最高で2年の懲役または50万円の罰金、違反点数25点が課される。このことから免許取り消し後の欠格期間(免許を再取得できない期間)が数年に及ぶ。このため、摘発された場合には、その後の就業が困難なものとなる部分もあり、取り締まりも年々強化されていることから、構成者の大幅な減少も見られる。

全国の暴走族グループの構成員の総数は、1982年の4万2510人をピークとしてその後は減り続け、2005年には1万5086人となっている。基本的に、18歳または成人となる20歳をもって暴走族から足を洗い、その際に別の年少者を加入させるという内規があるとされてきたが、少子化の影響で、別の年少者を加入させられずに引退の歳になっても足を洗えない者が続出したり、構成員の減少による勢力の減退を20歳を越えたOBの再加入によって賄ったりする傾向があり、近年は暴走族構成員の高齢化現象も顕著である。

[編集] 積雪地域

冬季に積雪が多い豪雪地域では、圧雪・凍結によって車両がスリップし易くなり、警察に追われた場合に暴走行為をする者自体に命の危険が及ぶため、シーズンオフが存在する。シーズンオフがある地域では、任意の時期に暴走行為を出来ないため、年間を通じて組織を維持するのが困難となり、構成員が少ない傾向がある。すなわち、構成員の分布には気候も影響しており、冬季の積雪量・気温に依存した「北限」が存在する。太平洋側では宮城県日本海側では新潟県が「北限」(シーズンオフがない)といわれている。

例外的存在として徒歩暴走族」「徒歩族」が存在する。北海道札幌市に存在する。徒歩と暴走は矛盾しているが、暴走族の亜種なので、このように名付けられている。彼らは札幌の繁華街である大通り・すすきの狸小路などに出没する。外は寒さが厳しいので、地下街にも出没する。特攻服などの衣装を身につけ、円陣を組んだり、グループ名を大声で連呼したり、列を組んで集団でぞろぞろ練り歩き、周囲の買い物客や店員を威圧する、傍迷惑な行為を行う者も居る。寒さが厳しい北海道の冬の負の風物詩である。ただし積雪地域以外でも、祭りなどで大規模な交通規制が敷かれる際に、バイク等の車両に乗らず騒いだり暴徒化する例もあり、この場合も「徒歩暴走族」と言われることがある。これらは自動車で走っている訳ではないので暴走族とは言い難いが、オフシーズンにグループの宣伝を行い目立ちたい暴走族が行うチンドン屋行為とも揶揄される。雪解けシーズンから夏場に掛けてはやはり地下街ではなく、地上をバイクで暴走するグループもある。近年では若者のバイク離れが進み、札幌における暴走族の徒歩化に拍車がかかっている。新聞記事あり

[編集] 歴史

[編集] 勃興期

195060年代頃から、当時まだ高価だったオートバイを集団で乗り回す若者が裕福層の子供(青少年)を中心に登場、マフラーを外してけたたましい爆音を響かせながら走り回る様から「カミナリ族」という呼称が生まれた。この当時、交通を妨げて疾走する事から交通事故が懸念されたものの、社会背景的には景気は急激に良くなっていったが変容のスピードも激化していて、マスコミ、「文化人」を中心にこれらのストレスが若者を暴走に駆り立てるとして、モラトリアムの範疇として当時はある程度容認される傾向も見られた。

しかし1970年代になると暴走族は暴行恐喝事件を起こす傾向が強くなり、一般市民への暴力事件やグループ同士の抗争事件が社会問題として取り上げられるようになった。東日本では1972年頃からグループ化が始まり、翌1973年には多数の暴走族が乱立を始め、1974年には確認されているだけで86件もの抗争事件が発生。1975年上半期の時点では既に571グループ、約2万3千人に達する暴走族が全国に存在しており、包丁火炎瓶ヌンチャク、角材や木刀などで武装するグループも現れるようになった。

暴走族同士の対立の増加は、結果として「自衛を目的とした連合の結成」を促す事になった。大組織の台頭は小組織の小競り合いを減らした反面、抗争の規模を肥大化させた。特に大規模な抗争の例としては、1975年6月8日に国道134号で発生した東京の暴走族(ブラックエンペラー、ルート20、スペクター、アーリーキャッツなど)400名と、神奈川と横須賀の暴走族(ピエロ、ホワイトナックル、崇族、邪道会など)の連盟200名が、同年5月8日に起こった傘下グループ間の諍いを理由に大乱闘を行ったものがある。結果4台の車両が炎上、21台が大破、そして相当数の負傷者を出した。後に神奈川県警の鎌倉警察署はこの件に関する捜査本部を設置し、抗争に関与した者の一部を逮捕した。

また、暴走族は必ずしも暴走族だけと争う訳ではなく、一般市民が暴走族と一緒に不法行為に及ぶ事があった。例えば1975年5月17日には、兵庫県神戸市で約3,000名の群集が250台の暴走族車両と合流しフラワーロードを占拠。タクシーを横転させ、立看板に放火し、建物の窓ガラスの割り、警察官や派出所へ投石し、44名の警察官を負傷させた。尚、その日には愛知県岡崎市でも、約500名の暴走族と約1,000名の群集が国道を占拠し、愛知県警の警察部隊と衝突する事件があった。

1978年には道路交通法の改正により、共同危険行為等禁止規定が新設された事で一時的に鳴りを潜めたが、時とともに暴走族の勢威は再び増していった。この時代にもなると、暴走族は、社会の安全を脅かす存在として周囲から忌避され、「従来のモラトリアムの範疇」という論調は低調になっていった。

警察庁資料(1975年)
年齢構成   職業構成
年齢 東京 神奈川 秋田 大阪 職業 東京 秋田
15歳以下 0.3% 0.5% 高校生 45.0% 9.0%
16歳 19.3% 10.8% 1.3% 大学生 5.4% 1.5%
17歳 35.4% 24.2% 10.0% 公務員 0.5% 1.3%
18歳 13.5% 20.8% 15.1% 8.8% 会社員 12.8% 15.8%
19歳 12.2% 13.8% 15.1% 31.6% 店員 11.4% 17.6%
小計 80.4% 69.9% 41.9% 40.3% 運転手 3.9% 5.6%
20歳 9.8% 13.7% 23.8% 21.6% 自動車修理
21歳 4.3% 7.6% 17.9% 10.0% 工員 9.2%
22歳 1.4% 3.3% 7.9% 9.1% 土建業 3.6% 12.8%
23歳 2.0% 2.8% 4.9% 4.1% 農業 11.8%
24歳 0.7% 1.5% 1.5% 2.8% 家事手伝い 6.4%
25歳 1.2% 0.5% 2.0% 2.2%(※) 無職 2.0% 11.8%
26歳以上 0.7% その他 6.1%
サンプル数 4,994名 1,201名 391名 320名 サンプル数 4,994名 391名

※25~29歳まで

[編集] 最盛期

1980年前後には最盛期を迎えた。1981年1月22日に警察庁が発表した1980年11月調査では、全国で754グループ、38,902名の暴走族が確認された。これは1980年6月に比べて10.8%増の数字である(女性暴走族は948名から1,426名に増加)。低年齢化も進み、1976年には47名だった15歳以下の構成員も、1,208名と約25倍になっていた。1981年にもグループ数は更に増加し、835グループが確認され、8,255名が検挙された(前年比82.5%増)。

キャロルクールスダウン・タウン・ブギウギ・バンド、そして1980年にデビューした横浜銀蝿などの、リーゼントロックとツッパリ(不良)ファッションが、当時の「管理教育」に反発する少年層の間で大流行したのもこの時期である。従来の喫煙飲酒・無免許でオートバイを乗り回す・授業のボイコットといった問題行動を起こす「不良少年・少女」という言葉は、これら集団内では「ツッパリ」という語へと置き換わった。この後、ツッパリは暴走族以外にも拡大して、次第に不良行為を行う事で自己顕示欲を満たす庶民の少年少女らのスタイルとして定着する事となる。

この当時に於いて、かつてのカミナリ族のように裕福層に属している訳ではない暴走族は、パンチパーマに剃り込みを入れた髪型をし、特攻服刺繍などで飾り付けをしたものを着て徒党を組み、集会を行う様になった。ツッパリファッションを子猫に着せて免許証風のカードなどにしたなめ猫グッズも販売された。ツッパリは近畿圏でヤンキーと呼ばれ出し、これが全国に広まって1990年代より日本のツッパリはヤンキーと呼ばれるようになっていった。

[編集] 停滞期

これら暴走族は、次第に地域の繁華街や観光地・祭典・イベントで周囲を威嚇して目立とうとするなどの問題行動が顕著となり、2002年広島市で広島市暴走族追放条例が施行されたのを皮切りに、日本の全国各地で暴走族に関する取り締まりを目的とする地域条例を制定する自治体が出て来た。なお、広島市では、暴走族が「えびす講祭り」を幹部卒業式と位置づけて、集団で練り歩くなどの示威活動を行って来た背景があり、祭り自体の治安悪化が問題となっていた。この条例制定以降はえびす講期間中における暴走族のトラブルは激減した。

2004年11月1日の道路交通法改正により、共同危険行為の摘発に際して必要だった被害者の証言が不要となり、現場の警察官の現認のみで逮捕が可能となった。

従来は既存社会への制約や反抗から生まれ、それらに反発するスタイルだった暴走族だが、現在ではOBを含めた上下関係や既存の暴力団との繋がりを持ち、様々な面でグループ内の制約遵守や掟により、構成員はがんじがらめとなっている。この伝統を盾にした掟などを嫌う傾向が青少年層に強く見られ、その一方で暴走族スタイルに『時代遅れ』的なイメージを持つ者も多くなってきた事もあり、旧来の特攻服を纏ったような暴走族は減少傾向にある。

1980年代半ば以降、大都市においては、アメリカのストリートギャングを真似た集団(カラーギャングチーマーと呼ばれる集団)へ流れる者が見られた。彼らには暴走族に見られる厳しい上下関係を嫌う傾向があった。

[編集] 衰退期

都市部では暴走族の行動が社会問題化し、世論からの非難や警察の徹底的な取り締まりもあり衰退傾向にある。

地方では、未だに「ヤンキースタイル」が社会的反抗の様式として伝統的に残っている地域・集団もあるため、ある種のモラトリアムファッションとして暴走族の形を取る少年が見られる。ただ、1990年代以降では少年向けファッション誌等の登場に代表されるファッション性重視の少年層増加に伴い、垢抜けないヤンキースタイルを時代遅れと見る傾向も否定できない。

実際に都市部では編成される集団の構成員ならびに団体数は激減、最近では田舎の方にやや点在する程度である(ただし、23区内などの都市部にも未だある程度存在する)。全体的に旧車會を別にしても、構成員の高齢化とも呼べる現象も進行しており、一部では構成員のほとんどが20代以上という状態に陥ったり、構成員が集まらず自然消滅に追い込まれたものもある。

これら従来の主要構成メンバーであった少年層が減った事もあり、相対的に暴走族OBによる旧車會の活動のほうがむしろ活発であるという逆転現象すら発生している。このため、既に社会に出ている30~40歳代の成人が検挙される暴走族も珍しくはなくなっている。

地方でのヤンキースタイルも、単なるファッションとして個人がそれを行っているに過ぎないケースも多く見られ、これらは1980年代の懐古趣味スタイルという位置付けの、特に思想背景を含まない物となっている。このような無思想的ヤンキーは既存の特定集団への帰属意識を欠き、前出の暴走族の解体に拍車を掛けている。

その一方で、従来スタイルに囚われずに騒音オートバイ・改造車を乗り回す小集団が無いわけではなく、これらは地方都市などで、ゲリラ的に騒音を立てるなどの小規模な活動を起こしている。これらでは従来のヤンキースタイルをしているケースは稀だが、前出の無思想ヤンキー同様に、大集団となる傾向は見られない。

現在は吹かし(バイクのアクセル音)のリズムを追求したり、ただ単に「乗りたい」というだけの暴走族や、走りを重視するゼロヨンやドリフト族に姿を変えつつある。

[編集] 暴走族の高年齢化

警視庁が発表した調査結果によると、暴走族のメンバーの平均年齢は上がってきている。2006年では、暴走族の実に6割が成人であるとする統計もある。

[編集] 若年メンバーの減少

暴走族文化の最盛期には、暴走族は「10代の若者が、学校や社会に反発していることを示す行動様式」のひとつであり、1980年代中盤には日本国内に約4万人もの暴走族がいたとされるが、その後日本の若者を取り巻く環境の激変に伴って若者の意識も変化し、地縁関係で結ばれる先輩後輩関係の希薄化、同年代の友人間での人間関係の希薄化、集団行動への忌避意識の高まりといった風潮の影響を受け、暴走族は若者の間で次第に廃れていった。

上述の通り、暴走族とは上下関係のはっきりとした組織なので、強力なリーダーシップを持つ主導者や幹部、末端の構成員まで明確な主従関係を定着させること、規律を守らない構成員に対する制裁、敵対組織に対抗する用意など、一種の部族のような機能を必要とする。しかし、厳しいルールに拘束されることを好まない若者が増え、大きな責任を背負って組織を運営していくほどの能力と意欲を持つ者も減ってきたことから、組織を編成して暴走行為を行うスタイルは成り立ちにくくなっている。その為、今では組織やルールといった形式にこだわらない仲の良い不良少年同士が適当に集まって、多くても十数名程度で散発的な暴走行為を行うケースが主流となった(なお、これはこれで「たまたまその場に居合わせただけ」という逃げ口が設けられるため、従来の「集団」に対する取り締まり方法を適用しにくいという一面も持つ)。

[編集] 高年齢メンバーの増加

以前であれば「成人したら引退する」といった慣習もあったが、現代では後継者不足のために構成員の引退が容易ではなくなり、成人になった後もずるずると暴走族を続ける者が増えるようになった。

また2000年前後から、旧車會と呼ばれる新種の問題行動様式も見られるようになった。これは、暴走族を引退した後(20代以降)も暴走行為の楽しさを忘れられない(もしくは少年期に暴走族に憧れながら加入していなかった)者が集まり、自分の現役時代に新車だったバイク(現在では旧車)を暴走族風に違法改造し、騒音をまき散らしたり危険な運転をしたりするなど、現役暴走族と同様の問題行動を行うというものである。旧車會メンバーには30代以上の者も多いと言われ、これもまた暴走族の平均年齢を押し上げる要因の一つとなっている。

ただし、暴走族が成人したら引退するという慣習は、成人になった場合刑罰も厳しくなるという事情もあり、また家庭や定職を持っている者がそういった自分の社会的地位を失うような無茶な行動をそうそう行えるものではなく、いわゆる旧車會は交通法規を守って、あるいはさほど逸脱せず、バイクを走らせている者も多い(だから問題無しという訳ではなく、交通の迷惑であっても法を守っている以上は取り締まりできないという、厄介な問題も生じている)。また現在では、暴走族と何ら変わりない違法行為を行う旧車會も増加傾向にある。


[編集] 暴走族と社会

暴走族は主に、学業に付いていけなかったり、家庭の事情(場合によっては育児放棄状態にあるケースも)で家に居辛いといったような理由を持つ少年・少女が、既存のグループに居場所を探し、合流する形でそのスタイルが形成されていった。ドロップアウト・若しくは吹き溜まった格好で集まったこれら不良少年等の中に、特定のスタイル(ファッションや自負)が生まれると、これを取り上げた暴走族漫画(具体的作品は該当項に譲る)などのメディアで興味を持った少年を更に集めていった。

これらは社会から「社会に適応する準備段階に於いて発生する反発」や「(まだ)方向を見出せない若いエネルギーの発散」の範疇と見なされ、モラトリアム行為として、近所迷惑・傍迷惑とはされながらも、ややもすれば容認される傾向も見られ、警察側も無理な追跡は(事故を防止する上でも)避けるといった傾向も見られた。

ただ、社会の寛容さを試すかのように、次第に迷惑度を高め、深夜にわざと爆音を響かせる・住宅街で真夜中に爆竹ロケット花火などを鳴らすといった悪質な悪戯をする事もあり、これら「度が過ぎた悪戯」に関しては警察に即時通報されるケースも見られた。近年では警察の取り締まり強化により集団暴走行為が違法化されたこともあって、多台数での暴走そのものが難しくなり、一人もしくは少数グループでゲリラ的に現れ、騒いではすぐに逃げるなどの、かつてに比べかなり散発的で弱腰の活動に終始している。

その一方、暴走族を利用しようと考える社会集団も存在し、暴力団は暴走族を組織化、上納金を納めさせる事で一定の庇護や場所や資材・武器の提供を約束する。この中には違法な薬物の提供も含まれる場合があり、古くはLSD (薬物)覚醒剤シンナートルエンを、近年ではMDMA等の供給源と目されている。ただしだけは乱射事件などを起こした場合に社会的影響が大きい事や、暴力団との力関係を簡単に逆転させかねない事から供給されないとされる。

上納金は、暴力団組織の中では上位組織ほど集まるようになっているが、末端では上位組織に吸い上げられるだけで、末端組織自身ではある程度地道に金を稼がなければならず、縁日の屋台やお絞りのレンタル業・各種店舗の運営などといった活動で稼いでいるケースも多い。このため、上納金の支払いで汲々としている末端の弱小暴力団にとって、地域の暴走族はまたとない収入源となっており、これらの少年にアルバイトを世話する・パーティー会場を斡旋してパーティー券を販売させ稼がせるなどして、その収益の一部を手数料や上納金として徴収する。

こうして暴力団と一定の関係を持つ暴走族では、その一部が「暴走族卒業」後に暴力団員として雇用される事も見られ、単なるモラトリアム行動というよりも、犯罪予備軍・暴力団予備軍と見なされ、社会的に否定されるようになってきている。

また、暴走族の交遊範囲は出身中学を中心に縦割り組織にしているため、出身中学の番長グループとの結び付きが強く、背後でツッパリの学校内での粗暴集団に大きな影響を及ぼしている。このような傾向は、全国各地でみられるところである。

また、昨今の原油価格高騰により、暴走族内部では「原油価格高騰は死活問題」と問題視されていて、車輌のハイブリッド化等も含め、時代に即した新しいタイプの暴走族スタイルを構築していこうという動きも出ている。

[編集] 珍呼運動

暴走族という呼称を「かっこいい」と考える人々を幼稚だとして揶揄する事や、迫力のない名称によってむしろ「ダサい」「カッコ悪い」「時代遅れ」というイメージに塗りかえて、参加者やギャラリー(見物人)や憧れを持つ少年・少女を減らす事を目的として、珍走団(ちんそうだん)と呼ぼうという珍呼運動(ちんこうんどう)がネット上で散見される。これに付随し、仲間内の『専門用語』をカッコ悪く(例・特攻服→珍服・寿司屋の湯呑み 族車→珍車・珍装車など)言い換えたり、『レディース』を 女珍・女珍団(にょちん・にょちんだん)と呼んだり、冬季の徒歩暴走族を珍歩団(ちんぽだん)と呼ぶことも提唱され、暴走族のイメージダウンを目指している。また、『走り屋』も『珍走団』と呼ぶべきだ、という意見もある。この他、暴走族・ヤンキー・チーマー・カラーギャング等の『不良少年・少女』と暴力団構成員など素行不良の成人男女をまとめて、『DQN(ドキュン)』と呼ぶ事もある。

2003年からは福岡県警察2004年からは愛媛県警察などが暴走族追放キャンペーンの際に同語を用いているが、NHKや民放各社・各新聞紙面では相変わらず「暴走族」と表現されており、一般へは浸透してはおらず、一部コミュニティにおける独自表現(スラングまたはジャーゴン)という域を脱していないのが現状といえる。一方で『ダウンタウン』の松本人志は、日本テレビダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で、深夜、暴走族が出す騒音に悩まされた話をした後『暴走族なんて呼び方は止めて、珍走団と呼ぶべき』と発言し、著書の『松本人志の人生相談 プレイ坊主(集英社)』にも『暴走族を珍走団と呼びかえる動きがある』と書いている。また、よみうりテレビたかじんのそこまで言って委員会』で、『援助交際』『プチ整形』等の『罪悪感』を薄れさせる『言い換え語』への反発から生まれた『マイナスイメージに塗りかえる言い換え語』の一例として、『珍走団』と珍呼運動が取り上げられた事がある。 参考:暴走族を珍走団とお呼び!

[編集] 暴走族の文化

暴走族はその集団固有のユニフォームを持っている場合があり、そこに当て字でわざと旧字体のような難しい字や意味のよくない漢字を用いた。

(例)「夜露死苦(よろしく)」「愛羅武勇(アイ・ラブ・ユー)」

暴走族が用いる服装は、かつては特攻服甚平などが多かったが、近年では普段見かけるような服装が多くなってきている。ヘルメットは基本的に使用しないか、いわゆる半キャップ(半帽、半ヘル)がよく見られる。しかし、当人らは端から自身の命を軽視している傾向が強く、アゴ紐をきちんとかけていない・被らずに首に引っ掛けるだけの姿が多く見られる。

笠倉出版社刊の「チャンプロード」という専門雑誌が暴走族文化の維持に一役買っているという見方をする者もいる。

峠道や公道を走る自称走り屋の車を待ち伏せして襲う「走り屋狩り」等を行う構成員も存在する。騒音撒き散らしや危険運転など走り屋と暴走族の行為一般は似ている面が多く、いわゆる威圧、嫌がらせ目的であったり単に憂さ晴らしである場合が多いとされるが、それに加えて高級スポーツカーや大金を投じて改造したチューンUP車など、経済的に裕福そうな走り屋目当ての恐喝、強盗行為も少なからず存在している。

[編集] 族車

バイクの場合、まず三段シート、爆音マフラー(消音部分がない直管、または大音響が出るような特殊構造)、絞りハンドル又はアップハンドルの装備が基本である。加えて派手なペイント、ツッパリテール、ロケットカウル、布たれ風防等の装飾部品を装着する。ただしこれらのパーツは保安基準を逸脱している物も見られ、また空力特性は無視されていたため、些か奇妙な「走るオブジェ」と化すのが常である。これらのパーツはかつて、町工場クラスの所で製造されていた。

非常に高い二連ロケットカウルと電飾を装着した仕様は「ブチ上げ」と呼ばれ、一部地方都市で人気である。

ベースとなる車両は貴重な80年代の旧車が多い。ホンダCB400F(ヨンフォア)CBX400FCBR400Fホーク(バブ)スズキGS400EGSX400E(ゴキ)GSX250E(ザリ)GT380(サンパチ)カワサキZ400FX(フェックス)KH400/250(ケッチ)ヤマハRZ250などが人気である。現行車のベースとしてZEPHYRCB400SFXJR400RインパルスZRX-2などもある。稀にスクーターを使用しているケースも見られる。

四輪の場合、ローダウン(シャコタン - 車高短)とタイヤのサイズダウン、サイレンサーを外した爆音マフラー装着が基本である。加えてロングノーズやデッパ(出っ歯 - 鋭利なチンスポイラー)、竹槍マフラー(跳ね上げた長いマフラー)、オーバーフェンダー等の装飾部品(ここでも実用性より見た目が重視されるため、走破性は格段に低くなる)を装着することが多いが、最近では、走り屋のようにエンジン内部まで手を加えてある本格的なチューニングカーも少なからず見られる。

ベースとなる車両は80年代の旧車や、大型のセダン(特に中排気量以上のFR車)が多い。また、ワゴン車を派手に改造・装飾するバニングも古くから人気があり、これらでは精細なペインティングが施された物も見られる。また、中古化した高級サルーンに独特の改造を施した、「VIPカー」と呼ばれる物も多い。ベースとなるのはマークIIチェイサークレスタソアラクラウンセルシオスカイラインローレルなどで、トヨタ日産の人気が高い。

無論、族車は騒音規制や二輪車・四輪車の規格・保安基準に違反している違法改造がほとんどであり、特に二輪車の場合は盗難車がベースになっていることもよくあるため、盗難被害に遭って返って来たオートバイが、一般には乗用に適さないほどになっているケースも見られた。当然の事ながら走行特性は著しく悪化しており、ローダウン車では一般道の数ミリ程度の凹凸でもシャーシ底面をぶつけて壊す危険がある・バイクやスクーターでマフラーを外したために2サイクルエンジンの吸気効率の低下などといったような問題を抱えている。彼らもそれを知ってか極端な低速走行である事が多い。

[編集] 暴走族を扱った雑誌

[編集] 米国の暴走族

米国でも、昼間にフリーウェイを集団で爆音を立てながら大型オートバイで疾走する事を好むような連中がおり、これらは モーターサイクル・クラブMotorcycle club) と呼ばれ、カリフォルニアなど一部の都市周辺部・郊外での活動も見られる。ただ米国ではこれら集団の立てる爆音も、国民性にも絡んで寛容な傾向が見られ、またこれら集団の構成員も30代・40代といった大人が多く、健全な趣味の範疇として扱われる。主に1970年代の懐古スタイルである場合が多く、ハーレーダビッドソンの二輪車を好むとされる。

これらの集団は季節労働者として全米を移動しながら活動していると見られており、また健全な趣味として認知されるべく、ハイウェイ周辺のゴミ拾い活動を展開するなど、社会奉仕活動に率先して従事する姿も見られる。その多くは成人の肉体労働者(ブルーカラー)であるため、自身の健康を損なう麻薬には手を出さない・社会のルールを守るなど、一定の自負をもって活動している様が見られ、日本の反社会的な存在としての暴走族とは大きな違いがあり社会的に容認されている。

しかし、その一方で、ヘルズ・エンジェルスHells Angels - 地獄の天使達)に代表されるモーターサイクル・ギャングMotorcycle gang)と呼ばれる組織化された違法行為に従事する大型オートバイを乗り回す団体(ギャング)があり、こちらは日本の暴走族に極めて近い性格を持つが、やはりその構成員は大人が多く、日本の暴走族のような他の組織の下部構造ではなく、独立した暴力団組織と見なされるなどの傾向が見られる。

ヘルズ・エンジェルスは1948年カリフォルニア州で結成されたが、売春麻薬の売買で挙げた利益、またはマネーロンダリング等により、社会問題化された1960年代には年10億ドルの闇利益を得ていたとFBIでは見ている。同団体はしばしば反体制のアンチヒーローのように見なされる事もあり、度々メディア上にも登場するものの、白人至上主義を掲げたりといった問題行動が見られる。
同団体はMotorcycle clubであると自称しながらも、カナダ・ケベック州では1994年より爆弾の使用や対立組織への抗争等により、巻き添えを含む100名以上の死傷者が発生している84の事件・放火や行方不明に絡む130の事件に関与していると考えられている。

ただ、この犯罪組織であるMotorcycle gangのスタイル(ファッションなど)は健全な趣味の範疇にあるMotorcycle clubに継承されているケースが多く、外見上で両者を見分けるのは困難なようである。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 『世界大百科年鑑スペシャル 1973~79』 平凡社 1980年5月10日
  • 『世界大百科年鑑 1981』 平凡社 1981年4月20日
  • 『世界大百科年鑑 1982』 平凡社 1982年4月12日
  • 『暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛』 佐藤郁哉著 新曜社 1984年10月