ラオス

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ラオス人民民主共和国
ສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ
Lao People's Democratic Republic
ラオスの国旗 ラオスの国章
国旗 (国章)
国の標語:ສັນຕິພາບ ເອກະລາດ ປະຊາທິປະໄຕ ເອກະພາບ ວັດທະນາຖາວອນ
(ラーオ語: 平和、独立、民主主義、統一、繁栄)
国歌ペーン・サート・ラーオ
ラオスの位置
公用語 ラーオ語
首都 ヴィエンチャン
最大の都市 ヴィエンチャン
政府
国家主席[1] チュンマリー・サイニャソーン
首相 トーンシン・タムマヴォン
面積
総計 236,800km279位
水面積率 2.5%
人口
総計(2008年 6,320,000人(101位
人口密度 26人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 82兆2,595億[2]キープ(キップ。Kip)
GDP (MER)
合計(2013年 100億[2]ドル(135位
GDP (PPP)
合計(2013年 208億[2]ドル(126位
1人あたり 3,068[2]ドル
独立
 - 日付
フランスより
1949年7月19日
通貨 キープ(キップ。Kip) (LAK)
時間帯 UTC (+7)(DST:なし)
ISO 3166-1 LA / LAO
ccTLD .la
国際電話番号 856

ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアに位置する共和制国家である。国土面積は236,800平方㎞。ASEAN10か国で唯一の内陸国。北に中華人民共和国、西にミャンマー、東にベトナム、南にカンボジアタイと国境を接する。首都はヴィエンチャン

国名[編集]

正式名称は、ラーオ語でສາທາລະນະລັດ ປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ,(ラテン文字転写: Sathalanalat Paxathipatai Paxaxon Lao, 読み: サーターラナラット・パサーティパタイ・パサーソン・ラーオ)。

サーターラナラットが「共和国」、パサーティパタイが「民主主義」、パサーソンが「人民」、ラーオが「ラーオ族」を意味する。

公式の英語表記は Lao People's Democratic Republic(ラウ・ピープルズ・デモクラティック・リパブリック)。ビザなどでは「Lao P.D.R」と略される。通称は Laos(ラウス、または、ラオス)。

日本語表記はラオス人民民主共和国。通称はラオス。日本での漢字表記は羅宇[3]。一方、中華人民共和国国内では「老撾簡体字老挝, 拼音: Lǎowō)」と表記し「老」と省略するが、台湾[4]香港マレーシアシンガポールでは「寮國簡体字寮国, 拼音: Liáoguó)」と称し、「寮」と省略する。ラオス華人の間では「寮」が広く使われており、ヴィエンチャン市内には中国語学校の名門「寮都学校」があり、また、日寮、寮華などの略称を冠する団体、企業はラオス国内外を問わず多数存在する。

歴史[編集]

ラーンサーン王国[編集]

ラオスの歴史は、中国南西部(現在の雲南省中心)にあったナンチャオ王国南詔国)の支配領域が南下し、この地に定住者が現れた時代に始まる。王国滅亡後の1353年に、ラーオ族による統一王朝ラーンサーン王国ファー・グム王英語版により建国され、その勢力は現在のタイ北東部やカンボジア北部にまで及んだ。ラーンサーンとは「100万のゾウ」という意味である。昔、ゾウは戦争の際に戦車のように使われていたため(戦象)、この国名は国の強大さを示し近隣諸国を警戒させた[5]

しかし、18世紀にはヴィエンチャン王国ルアンパバーン王国チャンパーサック王国の3国に分裂し、それぞれタイやカンボジアの影響下に置かれ、両国の争いに巻き込まれる形で戦乱が続いた。

フランス植民地支配[編集]

19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、ラオスの3国はタイの支配下にあったが、ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、1893年仏泰戦争英語版の結果、フランスの保護国となり仏領インドシナ連邦に編入された。

第二次世界大戦中は日本ヴィシー政権との協定により占領した。フランス領インドシナ日本軍明号作戦によって解体されたため、1945年4月8日に日本の協力を受けて独立宣言したものの、戦後フランスが再び仏領インドシナ連邦を復活させようとしたことが原因で、1946年第一次インドシナ戦争が勃発。1949年フランス連合内のラオス王国として名目上独立。

独立と内戦[編集]

1953年10月22日、フランス・ラオス条約により完全独立を達成した。独立後、ラオスでは右派、中立派、左派(パテート・ラーオ)によるラオス内戦が長期にわたり続いた。1973年、アメリカがベトナムから撤退、1974年三派連合によるラオス民族連合政府が成立したが、1975年南ベトナムサイゴンが陥落すると、12月連合政府が王政の廃止を宣言、ラオス人民民主共和国を樹立した。

1977年12月、在ラオス日本大使館杉江清一書記官夫妻殺害事件が発生。反政府派による政治的犯行を示唆する発表がラオス国営放送から成された[6]

1980年タイと国境紛争。 1979年中国共産党と関係断絶。 1986年、新経済政策(チンタナカンマイ)を導入。 1987年、タイと国境紛争(タイ空軍機1機が撃墜される)。 1988年、タイとの関係正常化。 1989年のカイソーン首相の中国公式訪問、1990年の李鵬首相のラオス公式訪問で、対中関係の改善。 1991年、憲法制定。ラオス人民革命党の一党独裁体制維持を確認。 1992年2月、タイと友好協力条約を締結。7月、ベトナムとともに東南アジア諸国連合(ASEAN)にオブザーバーとして参加。11月21日カイソーン・ポムウィハーン国家主席(ラオス人民民主共和国の初代最高指導者)死去。 1997年7月23日、東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟。

2006年4月30日投票の第6期国民議会(一院制、任期5年)選挙の結果選出された国会議員115人のうち114人はラオス人民革命党の党員で、非党員は1人。同年6月に招集された第6期国民議会第1回会議において、ラオス人民革命党書記長で軍出身のチュンマリー・サイニャソーンが国家主席に、ラオス人民革命党政治局員のブアソーン・ブッパーヴァンが首相に選出された。

2007年6月、アメリカに亡命したミャオ族の元王国軍将軍とアメリカ軍退役少佐によるクーデター計画が発覚。関係者はアメリカ司法当局により局外中立違反で逮捕された。

2010年12月23日の第6期国民議会第10回会議の閉会式において、ブアソーン首相は任期途中で辞任し、国民議会議長のトーンシン・タムマヴォンが新首相に就任した。

政治[編集]

憲法の前文で「人民民主主義」を謳い、第3条では「ラオス人民革命党を主軸とする政治制度」と規定されているなど[7]マルクス・レーニン主義を掲げるラオス人民革命党による社会主義国型の一党独裁制一党制)が敷かれている。政府の政策決定は、9人で構成される党の政治局と、49人で構成される党の中央委員会において決定される。特に重要な政策に関しては、さらに大臣の会議で審議される。

元首[編集]

国家主席元首とする社会主義共和制国家であり、国家主席は国民議会で選出され、任期は5年。職務の補佐・代行のために国家副主席がいる。

行政[編集]

行政府の長は首相である。国家主席に指名され、国民議会で承認を受ける。任期は5年。副首相が、3人。各省大臣、省と同格の機関の長により構成される。首相は、副大臣、県副知事、中央直轄市副市長、郡長を任免する権限を持つ。2006年7月、首相と政府を補佐し、閣議を準備し、政府に資料を提供する機関として、政府書記局が設けられた。

立法[編集]

立法府一院制国民議会。109議席で、民選、任期5年。休会期間中は国民議会常務委員会が国政監視などの権限を代行する。議席数は、1992年選挙では85、1997年選挙では99、2002年選挙では109と増やされてきた。

司法[編集]

軍事[編集]

国防の中心はラオス人民軍が担う。他には民兵組織がある。2006年の国防予算は1,330万ドル。徴兵制で陸軍25,600人、空軍3,500人から成る。車輌・航空機等の装備は旧ソ連製のものを多く保有している[8]。歴史的にベトナム人民軍と関係が深いが、近年は中国人民解放軍との交流が活発化してきている。

地方行政区分[編集]

地方に議会を設置しないで、県知事は国家主席が、郡長は首相が、それぞれを任命するという中央集権的地方行政制度をとっている。

首都ヴィエンチャン市を含む、広域ヴィエンチャン行政区であるヴィエンチャン都(ナコーンルアン・ヴィエンチャン/Prefecture)と16県(クウェーン/Province)から構成される。更に、以前はサイソムブーン特別区(ケートピセート・サイソムブーン、現在のロンサーン郡とホム郡)が治安上の理由から首相府の直轄下に設けられていたが、現在は廃止されている。

ヴィエンチャン都と県の下には100前後の村(バーン)から成る郡(ムアン)がある。ムアンにはラオス語で「郡」の他に「街」という意味もあり、日本の市町村に相当するものだと考えられる。ヴィエンチャン都を除き、全ての県には県庁所在地となる郡があり、そこが県都とされている。

県都とされる郡の名称は「ポンサーリー郡」や「ルアンナムター郡」のように県の名前と合致する場合、「サイ郡」や「サマッキーサイ郡」のように県の名前とは全く異なる場合があるが、ラオス人の多くは他県のことであれば県の名称=県都(チャンパーサック県など一部例外はあるものの)であり、一般人で県都の名称を全て正確に覚えている人は少ない。

ラオスの行政区分

北部[編集]

  1. ウドムサイ県 - (サイ郡)
  2. サイニャブーリー県 - (サイニャブーリー郡英語版)
  3. シエンクワーン県 - (ポーンサワン郡) - (軍事基地:ロン・チェン英語版)
  4. フアパン県 - (サムヌア郡)
  5. ボーケーオ県 - (フアイサーイ郡)
  6. ポンサーリー県 - (ポンサーリー郡英語版)
  7. ルアンナムター県 - (ルアンナムター郡)
  8. ルアンパバーン県 - (ルアンパバーン郡)

中部[編集]

  1. ヴィエンチャン県 - (ヴィエンカム郡ベトナム語版)(ヴィエンチャン県はヴィエンカム県に改称する決定がラオス国民議会で決議された)
  2. ヴィエンチャン都 - (首都:ヴィエンチャン)
  3. カムムアン県 - (ターケーク郡)
  4. サワンナケート県 - (サワンナケート, 旧称:カンタブーリー郡) ラオス第二の街
  5. サイソムブーン特別区(現在では特別区は廃止され、旧特別区の郡はそれぞれ近隣の県に吸収合併されている)
  6. ボーリカムサイ県 - (パークサン郡英語版)

南部[編集]

  1. アッタプー県 - (アッタプー郡英語版) (ホーチミン・ルート
  2. サーラワン県 - (サーラワン英語版)
  3. セーコーン県 - (ラマーム郡英語版)
  4. チャンパーサック県 - (パークセー郡) ラオス第二の街(ボーラウェン高原シーパンドン

主要都市[編集]

ラオスの首都はヴィエンチャンで、主要都市にルアンパバーンサワンナケートパークセー(パクセー)などがある。

地理[編集]

ラオスの地図

ラオスは、海と接しない内陸国であり、国土の多くが山岳で占められており、隣国に比べて比較的森林資源が多く残っていた地域であるが[9][10]、近年急激な森林破壊が問題となっている。国土面積の61%は二次林(2006年)[11][10]。そして、この森林地帯でも多くの人々が生活している。原生林は、国土面積の6%である。[10]

プー・ビア山(標高2817メートル)が最高峰である。

メコン川[編集]

メコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川はラオスを貫いて流れており、ミャンマーとタイとの国境をなしている。そのうちタイとの国境線の3分の2がメコン川で、東はアンナン山脈の分水嶺が国境となっている。また、国境として隔てるだけでなく、人や物が行き来する水運にも利用されている。1866年、フランスは、雲南サイゴンを結ぶ通商路としてメコン川を利用しようと探検隊を派遣した。探検隊は中国まで到達はしたが、カンボジアとラオスとの国境にあるコーンパペンの滝が越えがたかったので、通商路としての可能性は否定された。それでも、今日(2000年代)、ビエンチャンと雲南・景洪(中国ラオスとの国境にある)との間で物産を満載した船が行き来し、大切な交通路となっている[12]

メコン川の乾季と雨季の水位の差は、ビエンチャンで10メートルを超えることもある。乾季のおわりの4月ごろには最低の水位になり、小さな支流では水がほとんどなくなってしまい、メコン川本流でも驚くほど水位が下がってしまう。しかし、5月の雨季とともに水量が増し、8~9月には自然堤防を越えるほどの水量になり、低地を水で覆うほどになる。[13]

メコン川は、栄養塩類が少ないが、雨季に洪水となる後背地・氾濫原の底土からの栄養塩類を受けられる。そのため藻類やプランクトンなどが多く発生し、草食性・プランクトン食性の魚の藻場になっている。このようなことから魚類が多く、周囲の人たちの漁場になっている[14]

気候[編集]

ラオスの気候はモンスーンの影響で明瞭な雨期乾期があり、大まかに言って5月から11月にかけては雨期、乾期がその後4月まで続く。

交通[編集]

道路[編集]

都市部以外の幹線道路の多くが舗装されていない。

鉄道[編集]

空運[編集]

ラオス国営航空ヴィエンチャンワットタイ国際空港を拠点に国際線と国内線を運航している。ラオ・セントラル航空はラオス初の民間航空会社であり、2010年10月に設立された。

経済[編集]

主要産業は農業であり、人口の78%が従事しGDPの41%を占める。

IMFによると、2013年のラオスのGDPは100億ドル。一人当たりのGDPは1,475ドルであり、世界平均の15%に満たない水準である。[2] 国際連合による基準に基づき、後発開発途上国と位置づけられている[15]2011年アジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の60%を超える412万人と推定されている[16]

1975年12月にラオス人民民主共和国が樹立され、急速な社会主義化を行ったものの、タイからの国境封鎖や、1975年1976年の旱魃などにより、激しいインフレと農産物・日用品の不足を引き起こし、1979年には社会主義建設のスピードが緩和された。

1983年に再び社会主義化を目指すが、ソ連ペレストロイカの動きと呼応して1986年には市場原理の導入、対外経済開放を基本とする新経済メカニズムが導入された。

この間、ソ連やベトナムを中心とする東側諸国からの多大な援助に依存する経済構造であった。そのため、1989年から1991年にかけて東欧諸国で起こった共産政権の瓦解は、ラオスにとっても危機であった。この時期に価格の自由化を行ったことによって、激しいインフレと通貨キープが大幅に下落するなど経済は混乱した。

政府はIMFのアドバイスのもと、経済引き締め政策を実施した。また、西側先進国との関係を改善し、国際機関や西側先進国からの援助が増大した結果、1992年には経済が安定した。

1997年7月に隣国タイで始まったアジア通貨危機はラオスにも大きな影響を与え、キープは対ドルだけでなく、対バーツでも大幅に減価した。

国内ではタイバーツが自国通貨のキープと同じように流通し、バーツ経済圏に取り込まれている。米ドルも通用するので、ホテルやレストランから市場や街の雑貨屋まで、この3つのどの通貨でも支払いができる。中国国境近くでは、人民元も通用する。

1997年ルアン・パバンの町が、2001年にはチャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群がそれぞれ世界遺産に公式登録されたほか、政府が1999年から2000年にかけてをラオス観光年として観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。

観光のほか、国土の約半分を占める森林から得られる木材、ナムグム・ダムを始めとする水力発電の隣国タイへの売電、対外援助などが主な外貨源となっている。この中でも特に水力発電によってラオスは東南アジアのバッテリーと呼ばれている。

21世紀に入り、外国企業の投資促進のため、国内に経済特別区が設けられ、2012年には10個所となった。中国やタイなどの賃金水準が上昇する中、安い労働力を求める企業の注目を集めている。海外からの援助や投資により、2008年には7.8%の経済成長を実現している。

とりわけ、隣の大国である中国の進出は目覚ましく、官民挙げて中国から業者や労働者がラオスに流入している。2007年には、ビエンチャンに中国系の店舗が集まるショッピングモールが出来た。また、首都には中国が建設した公園が完成し、ダム工事など主に日本が行ってきたインフラ整備にも進出している。 他にも、ラオスが主催する東南アジア・スポーツ大会のメインスタジアムも、中国政府系金融機関の約72億円の援助により着工・完成するなど、ラオス国民の間には中国に対する好感度が広がっている[17]

ラオスに中国が進出する理由は、メコン川地域に豊富に眠っているとされるボーキサイトカリウムといった資源を獲得するためだと言われている。

2012年の世界貿易機関(WTO)加盟により、関税引き下げの動きが進んでおり、また、2015年にはASEAN経済共同体のメンバーとして域内の貿易が自由化することで、物流リンクの拠点としての位置づけを高める政策がとられている。

農業[編集]

少ない人口がまんべんなく分散して暮らすラオスでは、大部分の人は稲作を基盤とする農業を営んでいる。まず、自給米を確保し余剰分を販売し現金収入とする。ラオス人の主食はもち米である。自給農業を基盤とした分散型社会である。[18]。 ラオスでは、毎年約220 - 250万トンのコメが生産されている。雨季は稲作、乾季は野菜等の栽培を行っている農家が多い。生産高は、2005年コメ57万トン、野菜類77.5万トンである[19]。労働人口の約8割が農業に従事しており、GDPは低いが食料は豊富で、飢餓に陥ったり、物乞いが増えるといった状況にはない。「貧しい国の豊かさ」と言われるゆえんである。

稲作は、平野部で行われる水田水稲作と山地の斜面を利用した焼畑陸稲作とに大きく分けられる。水田は、小規模な井堰で灌漑し、親から子へと相続し、人々はそこに定着している。焼畑は太陽エネルギーと水循環がもたらす森林植生回復力に依存した農業であるため、土地への執着は少なく、集落内外での移住を人々はいとわない[18]。近年は、現金収入を得やすいパラゴムノキの栽培をする地域が現れている。

メコン川流域は降雨量に恵まれ、土壌が肥沃なため葉菜類の栽培も多い。パクセー市郊外のボロベン高原は良質なコーヒーキャベツジャガイモの産地であり、コーヒーはラオス最大の輸出農作物。また、近年まで農薬や肥料の使用がされてこなかったことから、無農薬栽培の作物を育てて輸出する動きもある。

鉱業[編集]

ラオスの鉱業資源は未開発な段階にある。例えば、肥料の原料などに利用できるカリ岩塩の大規模な鉱床が発見されており、面積は30km2に及ぶ。スズ鉱床の埋蔵量は100億トンに及ぶと見積もられている。アンチモンイオウタングステンマグネシウムマンガンの鉱床も発見されている。

しかしながら、険しい山脈が縦横に広がる国土、未整備な交通インフラなどのため、2003年時点では、石炭(29万トン)、スズ(300トン)、塩(5000トン)に留まっている。唯一開発が進んでいるのは宝石であり、1991年にはサファイアの生産量が3万5000カラットに達した。

製造業[編集]

内陸国であり外洋に面した港を持っていない。メコン川は大型船も航行できる川幅はあるが、ラオス南部にコーンパペンの滝群があるため、外海から遡上できない。以上の条件により、原料の輸入や製品の輸出にはコストがかかり、安価な労働力を生かして工場を誘致するという、東南アジア各国が行ってきた手法をとることは難しい。そのため、近代的な設備を備えた大きな工場は、ビール清涼飲料水などを生産する国営のメーカー「ビア・ラオ」が目立つ程度である。ラオスの酒といえば、米を原料とする焼酎ラオ・ラーオがあるが、生産は家内制手工業レベルにとどまる。伝統的な織物も名高いが、多くは農家の女性たちの副業として手作業により作られている。市場に並ぶ工業製品の大半はタイ製か中国製である。

観光業[編集]

首都ビエンチャンのワットタイ国際空港

1986年のソ連ペレストロイカの影響を受け、ラオスでもチンタナカーン・マイ(新思考)と呼ばれる市場経済導入が図られた。これは、中国の改革開放ベトナムドイモイ(刷新)と同様の、社会主義体制の中に資本主義のシステムを取り入れようという試みである。共産主義政権樹立以降ほぼ鎖国状態にあったラオスであったが、チンタナカーン・マイ以降自由化と開放が進み、上記の経済の項目にある通り、政府がラオス観光年を設定しプロモーションを行って観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。ルアン・パバンの町ワット・プーなどの2つの世界文化遺産や、ジャール平原、多くの仏教寺院などが年間300万人を超える外国観光客を呼び、外貨獲得の大きな産業となっている。プロモーションのため、日本では2007年9月23日-24日、東京・代々木公園でラオスの魅力を紹介する第1回ラオスフェスティバル2007が開催された。[20]

国民[編集]

ラオスにおける人口統計の推移

2011年人口は656万人であり、2000年以降は、年10万人ペースで右肩上がりに着実に増加している[21]。 人口密度は、1 km2辺り24人[22]。ちなみに、ベトナムは256人、タイは132人、中国・雲南省は114人、カンボジアは82人、ミャンマーは74人であり、ラオスは人口が少ないことが分かる。ラオスには、大きい人口を抱える広大な地域がない。たとえばベトナムの紅河デルタ、メコンデルタ、タイのチャオオプタデルタ、ミャンマーのイワラジデルタのような政治・経済の中心地になる地域がない。[18]。最大の人口を抱える首都ビエンチャン市でも人口71万人[22]で、国内に人口100万人以上の大都市は存在しない。

民族[編集]

一番多いのはラーオ族であり、それに少数民族が続く。しかしラオス政府はラオス国籍を持つ者を一様にラオス人として定義しているため、公式には少数民族は存在しない。

1950年以降、次のように大きく三つに分けている。三者の人口比率は60対25対15である[10]。 その区分の有効性は疑わしい。しかし、この区分が国民の間に広まっている[18]。 ラオス政府の定義するラオス人は住む地域の高度によって、低地ラーオ族(ラーオルム、国民の約7割、ラオス北部の山間盆地)、丘陵地ラーオ族(ラーオトゥン、国民の約2割、山麓部に居住、水田水稲作と焼き畑の両者を組み合せ)、高地ラーオ族(ラーオスーン、国民の約1割、山深くに居住、陸稲・トウモロコシを焼き畑で栽培)に分けられる。

  • 低地ラーオ族 - 川の流域の平野、平地に住む人々、国勢調査((2005年)8民族。タイ族系民族。ラオスの先住民ではない。メコン河沿いのルアンパバーン、サワンナケート、チャムパーサックの平野、シェンクワンやカムムアンの高原などに居住し、人口を増やしていった。水田水稲作、高床住居、天秤棒で運搬、母系、上座仏教信仰[23]
  • 丘陵地ラーオ族 - 産地の中腹、丘陵地に住む人々、モン(Mon)・クメール系民族。ラオスの先住民。北から南の山の中腹(300~800メートルくらい)にラオス中に広く居住。特に南部に多い。山の斜面で焼畑、狩りに長じる森の民族。国勢調査((2005年)32民族。最多がクム族の61万人、最少はクリー族が500人未満(1995年統計よりさらに減少)。存亡が危惧される民族も多い。南部の世界遺産ワット・プー、その他のクメール遺跡を残す[23]
  • 高地ラーオ族 - 山の高地、頂上近くに住む人々、モン(Hmong)・ミエン(Mien、メオ・ヤオ)系民族、チベット・ビルマ系民族。ラオスで一番新しい住民たちで、18世紀から19世紀にかけて、中国の雲南省四川省などから移住してきた人々である。中国清朝時代の少数民族に対する圧政に耐えかねて逃れてきた人々も多い。中国・ベトナム・タイ・ミャンマーなどの国境の山岳地帯にまたがって、広がって住んでいる民族である。これらの民族は、焼畑でうるち米やトウモロコシを作って生活している。文字を持っていない。[23]

実際には、フアパン県カム族タイデン族タイダム族モン族青モン族黒モン族ヤオ族が、ウドムサイ県にはモン族が、 ポンサーリー県にはアカ族タイダム族が、ルアンナムター県にはランテン族黒タイ族タイルー族タイダム族アカ族イゴー族ヤオ族モン族が住んでいる。

このような標高による住み分け分布ができたのは、紀元前からモン・クメール系の人々がこの地域に暮らしていたが、9世紀ごろからタイ系の人々が南下してきた。その後、清代末期の19世紀後半からモン・ミエン系やチベット・ビルマ系の人々が中国南部から移住してきた。漢人の支配・干渉を嫌い移住してきたと言われている[24]

言語[編集]

言語はラオ語が公用語である。その他、各民族語が使われている。英語は、ホテルなどで通じる[25]ラオ語タイ語は同一言語に属する個別の地域変種の関係(平たく言えば、ラオ語とタイ語はそれそれが互いに方言関係)にあるが[26]、ラオスではタイからの影響力を遮断するため、ラオス語の独立性を強調する傾向にある。

宗教[編集]

タート・ルアンはラオスを代表する仏塔の一つである。ラオスのシンボルであり、国章にもタート・ルアンが描かれている。

宗教は上座部仏教が60%、アニミズムやその他の宗教が40%であるが、しばしば仏教とアニミズムが混同されて信仰されていることがある。その他ラオス南部ではキリスト教も信仰されている。

文化[編集]

食文化[編集]

世界遺産[編集]

ラオス国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。詳細は、ラオスの世界遺産を参照。

祝祭日[編集]

祝日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 新年
1月20日 国軍記念日 ラオス人民革命軍設立記念日
2月9日 マーカブーサー 仏陀が死後のあり方を予言した日
3月8日 女性の日 3月8日、国際女性の日
4月14~16日 ピーマイラーオ(ラオス正月)
5月1日 労働日 メーデー
5月8日 ビサーカブーサー 釈迦の誕生日
6月1日 子供の日 国際子どもの日、植樹の日
7月7日 カオパンサー 「雨安居入り」の儀式
8月15日 憲法記念日
8月20日 お盆
9月4日 ブン・カオサラック 先祖供養
10月4日 オークパンサー 「雨安居明け」の儀式
10月5日 ボート祭り
10月7日 教師の日 国際教師の日は10月5日
10月12日 独立宣言記念日
11月2日 タートルアン祭り 「タート」は「塔」、「ルアン」は「大きい」の意味で、
首都ビエンチャンにある黄金の仏塔のこと。
12月2日 建国記念日 ナショナルデーとして国民の休日
12月13日 カイソーン・ボムウィバーン誕生日 ラオス人民民主共和国成立の功労者

メディア[編集]

ラオスの新聞は、英語新聞『ヴィエンチャン・タイムズ』(Vientiane Times)及びフランス語新聞『ル・レノヴァテュール』(Le Rénovateur)を含め全て政府機関発行である。更に、公認通信社カオサン・パテート・ラオ(Khaosan Pathet Lao, Lao News Agency)が同名の英仏語版新聞を発行している。主なラーオ語新聞としては『パサション』(Pasaxon)、『ヴィエンチャン・マイ』(Vientiane Mai Newspaper)がある。

ラオスではラオス国営ラジオ(Lao National Radio, LNR)の放送が中波短波FMにて行われている。テレビはラオス国営テレビ(Lao National Television, LNTV)が2つのチャンネルで放送されている。またタイからのテレビ放送を視聴している人も多い。

一方で、「国境無き記者団」が発表している世界報道自由ランキングの2009年版では、中華人民共和国に次いで低い169位に選ばれている。

脚注[編集]

  1. ^ 日本国外務省ホームページの表記による。
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, April 2014” (英語). IMF (2014年4月). 2014年10月4日閲覧。
  3. ^ 新村出編、『広辞苑』第4版(岩波書店、1991年)。
  4. ^ 中華民國國立編譯館編、『外國地名譯名』、台灣商務印書館、1997年、台北、ISBN:9570511850
  5. ^ ナショナルジオグラフィックス世界の国 ラオス(ほるぷ出版 2010年6月25日)
  6. ^ http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/085/0020/08510130020001c.html
  7. ^ ラオス人民民主共和国憲法(日本語訳)(PDF 法務省 ICD NEWS 第13号)
  8. ^ International Institute for Strategic Studies(IISS),The Military Balance 2008
  9. ^ 国土面積に占める森林面積の割合「森林率」は69%(2005年の時点)、ブータン68%、マレーシア64%、カンボジア59%。
  10. ^ a b c d 竹田晋也、「森の国ラオス」『ラオスを知るための60章』、pp31-34、2010年、東京、明石書店
  11. ^ 二次林とは、原生林が伐採によって荒廃し、災害によって被災した後、自然に再生、人為的に植林などされた森林をいう
  12. ^ 阿部健一、「母なる川、メコン」『ラオスを知るための60章』、40-41ページ、2010年、東京、明石書店
  13. ^ 阿部健一、「母なる河、メコン」『ラオスを知るための60章』、42ページ、2010年、東京、明石書店
  14. ^ 阿部健一、「母なる河、メコン」『ラオスを知るための60章』、40-43ページ、2010年、東京、明石書店
  15. ^ 外務省 後発開発途上国
  16. ^ アジア開発銀行 Poverty in Asia and the Pacific: An Update
  17. ^ NHK-BS1 2009年11月10日放送 『きょうの世界』より
  18. ^ a b c d 河野泰之、「人はどこに住む?」『ラオスを知るための60章』、14-15ページ、2010年、東京、明石書店
  19. ^ ラオス統計局 http://www.nsc.gov.la/ [1]
  20. ^ ラオスフェスティバル 公式サイト
  21. ^ ラオスの人口・雇用・失業率の推移 世界の経済ネタ帳
  22. ^ a b ラオス国家統計センター、2006年
  23. ^ a b c 安井清子、「居住地の高度による民族分類」『ラオスを知るための60章』、21-22ページ、2010年、東京、明石書店
  24. ^ 富田晋介、「村の成り立ち」『ラオスを知るための60章』、52-53ページ、2010年、東京、明石書店
  25. ^ 地球の歩き方 ラオスの現地情報
  26. ^ タイ(Tai)系言語にラオス語、黒タイ語、タイヌア語、ルー語、ブータイ語、セーク語などがある。

参考文献[編集]

  • 菊池陽子・鈴木玲子・阿部健一編著、『ラオスを知るための60章』、2010年、東京、明石書店 ISBN 978-4-7503-3309-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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