人権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

人権(じんけん、human rights)とは、人間としての権利のこと。人権思想において人間が人間として生まれながらに持っていると考えられている社会的権利のこと[1]

概説[編集]

広辞苑では、実定法上の権利のように剥奪されたり制限されたりしない[1]、と記述されている。

各国に人権を保障する成文規定があり、その多くはその国の憲法の一部を構成している。日本国憲法にも人権についての記述・規定が存在する。#日本における人権

法的には(実定法を越えた)自然権としての性格が強調されて用いられている場合と、憲法が保証する権利の同義語として理解される場合がある、ということである[2]。また、もっぱら <国家権力からの自由> について言う場合と、参政権社会権やさまざまな新しい人権を含めて用いられることもある[2][3]

人権に関わる要求や宣言の歴史を見てみると、イギリスでは、1215年にマグナ・カルタ、1628年に権利請願、1679年に人身保護法、1689年に権利章典があり、これらは封建領主が自分たちの要求を国王に対して認めさせたものであったり、イギリス人の伝統的な権利や自由の尊重を求めたものである。絶対主義的で暴力的な権力から自分たちを護るため、個人の権利を護るためにこれらの要求が行われたわけである。これが近代的な人権思想誕生へとつながり、18世紀に市民革命が起き、1776年に米国でバージニア権利章典1789年には(フランス革命でフランスの暴力的な絶対王政を倒しつつ)『人間と市民の権利の宣言』が成立した。

人権を尊重すべきである、という理念はおおむね共有されてはいるが[要出典]、現実の世界で実際にその理念どおりの状態を実現するということは、決してたやすいことではない。歴史を見ても分かるように、人権を侵害しようとする暴力的な者たちは絶えず現れ、そうした者たちと絶えず闘うことによって、ようやく実現するものなのである[要出典]。また、いかなるものが人権を意味するかについて多様な考えがあり、その実現を難しくしている。そのため、現代でも人権が護られず悲惨な目にあっている人々が多数いる。今でも世界には、人々に暴力を振るったり虐殺してしまうなど、人々を苦しめるような政権・政府が多数存在しているのである。また細やかに見れば、先進諸国においても人権が守られず苦しんでいる人々はまだまだ多数存在する。より現代的に人権を考えるには、社会的かつ人的関係における実体的自己実現性の平等への視点が重要であり、形式的かつ数量的な平準化では人権は実現できないという事実を歴史的にも理解することである。近時は、国内において参政権に関して議論されることは多いが、これは、人権に胚胎する平準化を社会性においてどのように考えるべきかの契機ともなっている。例えば、産業や社会的分業は平準化は不可能であり、これらが地域特性の基盤となって現実的社会を構成している場合に、単なる数量的な平準化による形式的人権観が本来的な基本的人権を確保し得るかという疑問である。

近年では、国際連合の主催によりウィーンで1993年6月に世界人権会議が開かれ、その成果は「ウィーン宣言及び行動計画」としてまとめられた。

人権思想の歴史[編集]

ホッブズの最初に唱えた社会契約説によれば、聖書に記述されている楽園(原始社会)においても(自然に)存在した権利である生命権と自由権が自然権とされる。このような平和な無国家状態も人口の拡大とともに紛争が必然となる。この混乱を避けるために、個人は国家主権(国王)に対して自然権を完全に放棄し、絶対王政の国家を確立すべきであると主張された。これに反発したロックの社会契約説によれば、個人は人権を守るために人権を国家に委託するのであって、国家が人権を侵害する正当性は、それに属する個人の人権や私権を保護するために存在するとされた。よって、人権を不必要に侵害する暴政に対して人民は革命の権利を有すると主張された。ちなみに、ロックは原始社会にも個人所有が存在したと主張し、財産権を生命権と自由権に次ぐ自然権とした。これが、彼が経済自由主義の始祖とされる理由である。ホッブズが最初に提起した自然権と社会契約説がその後の欧米政治思想の基本となったため、人権は現時点での法哲学の論争の淵源であるといえる。

人権の観念の成立後も国家によって人権が侵害されたことは歴史的事実であるが、国家による人権の侵害がどの程度において許容されるかはいまだ解決されていない論争である。多くの人権侵害、場合によっては大量虐殺が国家の維持あるいは全国民の名のもとに行われたのは事実である。日本国憲法においては人権の維持に不断の努力を要するとする。しかし、人権は法律上「生来」のものとされているが、「絶対」のものとはされていない。ロックなどの自由主義が最初に主張されたときから、権利を守るための権利の侵害は正当化されており、ロックやミルあるいはカントなどの代表的な自由主義者・人権論者が、死刑あるいは戦争を条件付で肯定した理由がそれである。日本国憲法においても人権侵害は公共の福祉の元に正当化されており、この場合の境界は司法の判断に任されている。

かつては、人権の根拠は自然法つまり神(宗教的権威性)に求められていた。しかし、世俗主義の民主主義国家において、特に、日本においては、人権そのものが、根拠・命題と自然法論で主張される(トートロジー)。これが日本においては個人の尊厳に求められる。日本国憲法第13条の「個人の尊厳」はこの意味に解される。この場合、人権の観念は憲法も含めた法律の上に位置付けられるという法学者が多い。一方で、法実証論においては、人権の根拠は単純に法律(ほとんどの国では憲法)にあるとされる。

また、自然法および社会契約説は虚構であるとして、人権概念を否定し、公民権概念をもってこれにおきかえる主張もある。

サウジアラビアやイランなどイスラム教国ではキリスト教に根拠を置く人権思想を異教の思想として受け入れられないとする考えも根強いが、現代ではイスラム教国であっても人権思想を否定することは出来ないため血の神聖さなどの教義を中心としたイスラム法(シャリーア)における人権という考え方を持って欧米との整合性を取ろうとしている。しかし、イスラム法における人権は制限が厳しく、欧米からは人権侵害であると非難されている。 イスラム法における人権を明記した憲法にはサウジアラビアの実質的憲法である基本統治法などがある。

人権の性質[編集]

ウィーン宣言及び行動計画は第1部第5節において人権の性質について以下のように規定した。

  • 人権の固有性
  • 人権の不可侵性
  • 人権の普遍性
  • 人権の不可分性
  • 人権の相互依存性

人権の国際化[編集]

世界人権宣言[編集]

1948年12月10日国際連合世界人権宣言を採択して宣言した。これは国際社会における人権の基本原則である。 外務省の「世界人権宣言」(仮訳文)より

国際人権規約[編集]

1966年12月16日に、前項の世界人権宣言に法的拘束力を与えるため、国際連合は国際人権規約経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約及び市民的及び政治的権利に関する国際規約)を採択した。批准国に対し、「勧告」を発する形で強制ができる。

国際人権法[編集]

世界人権宣言の具体的な実現のため、国際連合は国際人権規約以外に人権に関する諸条約を制定している。また欧州評議会は「人権と基本的自由の保護のための条約」を、米州機構は「米州人権条約」を、アフリカ連合は「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」を制定し、人権の国際法上の保障のためそれぞれ人権裁判所を設置している。

日本における人権[編集]

日本国憲法は、国民主権(主権在民)、平和主義とならび、基本的人権の尊重を三大原則としている。

基本的人権とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して侵してはならないとされる人権のことである。すべての人間が生まれながらにして持つ。

基本的人権は、生命財産名誉の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。このため、体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。

人権に関する法律の整備の基本的な部分は、主に内閣府法務省が担当しており、法務省の人権擁護局がその中心となっているほか、必要に応じて担当する省庁が法律を整備している。

基本的人権の内容[編集]

分類方法は法学者により異なる。

註:ここにある人権は単一のカテゴリに入れる事は不適当であり、自由権の中でも社会権的なもの、またその逆もある。また時代によって人権の意味が変わってくるため、その権利を固定的な意味で捉えるのは適当ではない(人権の相対性)。

新しい人権[編集]

包括的基本権(日本国憲法第13条)より導き出されるとされる。

日本国憲法第21条より導き出されるとされる。

人権の権利性[編集]

制度的保障[編集]

人権享有主体性[編集]

外国人の人権
原則として、日本国憲法の人権規定は外国人に対しても適用される。ただし、参政権、公務就任権、社会権、入国の自由などに対しては制限があると考えられている。
外国人の人権に制限を認めた判例として、マクリーン事件森川キャサリーン事件などがある。
皇族の人権
皇族自由権平等権社会権参政権請求権が制限されている可能性が指摘されている。皇族が日本国憲法第10条で言う「日本国民」に該当するかは学説上争いがある。判例によると皇室典範21条の類推により訴追を受けないと解されている。ただしこれによっては天皇の側から訴追する権利は失われない。また、皇族は上記の特別な法律関係における人権に該当するという説もある(天皇制廃止論を参照)。

基本的人権の限界[編集]

公共の福祉[編集]

憲法で現在及び将来の世代に永久に保障(日本国憲法第11条日本国憲法第97条)されてはいても「濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定されており、実定法によって制限され得るので維持し続ける必要がある(日本国憲法第12条)。

特別な法律関係[編集]

法人・公務員・在監者・国立大学学生・皇族に対しては一部の人権が制限されるとの見解もあった(特別権力関係論)。

私人間効力[編集]

人権規定の私人間効力・第三者効力については争いがある。

  • 直接適用(効力)説
憲法に定める人権の効力は公私の別を問わず該当するから、私人間にも憲法の適用を直接できるという説。
  • 間接適用(効力)説
憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であるが、私法上の解釈において憲法の人権保障の趣旨を汲むことにより私人間における人権保障を図ろうとする説。通説であり、判例もこの立場と解されてきた。
問題となった事件として、三菱樹脂事件昭和女子大事件などがある。
具体例として、民間企業の男女別定年制は日本国憲法第14条違反ではなく、b:民法第90条違反として無効であるとされた(日産自動車事件)。
  • 無適用(効力)説
憲法が直接適用されるのは一部の例外を除いて公権力と私人の関係であり,憲法の人権規定は私人間の関係に全く効力を及ぼさないとする説。もっとも、近時の見解は、私法もまた憲法と共通の価値秩序を前提とするはずであるから、私法の解釈においてもその価値は考慮されるはずであるとする。判例はこのような立場であるとも解することが可能である。

人権に関する諸問題[編集]

公権力による人権侵害[編集]

冤罪刑務所拘置所などの職員による被収容者への虐待、劣悪な収容環境など。公権力による人権侵害は裁判所も公権力を構成するだけに公正な判決を期し難い場合もある。このため、欧州評議会加盟国では欧州人権裁判所を設置して市民が加盟国政府に対する訴訟を提起できる制度をとっているが、日本では最高裁判所を超越する国際的司法機関への提訴の道は開かれていない。

外部から隔離された刑務所などの刑事施設の処遇をみればその国の人権意識のレベルがわかるといわれている[5]

日本においては、国際人権規約の下で設置された国連人権委員会において代用監獄の問題を指摘された。人権委員会は1998年の第4回日本政府報告の審査において代用監獄の廃止を勧告している。

マスメディアにおける人権問題[編集]

執拗な報道による業務妨害、精神的苦痛プライバシー問題の解決のひとつに法務局相談室がある

犯罪被害者の人権問題[編集]

日本国憲法では加害者の人権が手厚く保護されており、被害者の人権保証に不備がある。基本的人権も公共の福祉の観点から制約されるのであり、加害者ばかりが守られている現状は不公平であり、不当である旨の批判がある[6]

皇族に関する人権問題[編集]

2004年皇太子徳仁親王が記者会見で皇太子妃雅子に関して述べたいわゆる人格否定発言に関して議論が起きた際、評論家の西尾幹二らは皇族に一般に言われる人権はないとする論陣をはった。その論旨は 天皇および皇族は「一般国民」ではなく[7]、その日常生活にはすべて公的な意味があり、プライバシーや自由が制限されるのは当然とするものである。また、「人権」という言葉は「抑圧されている側が求める概念の革命用語」であり、天皇や皇族が「抑圧」されているのはあってはならない(ありえない)とする[8]。これについて自然権としての人権ということが理解されていないという批判があるが、西尾は人権そのものを否定したのではなく、その適用の対象または範囲に限定して論じたと応答している[8]。この論については竹田恒泰が「人格否定発言について、『皇太子殿下の強い抗議は、ヨーロッパの王族の自由度の広い生活を比較、視野に入れてのことであろう』というが、これも一体どのような取材をした結果だというのか」などと反論し、雑誌記事にコメントする立場にない皇族に対して妄想のいりまじった、無根拠な非難は「卑怯」とした[9]

企業の人権問題[編集]

病院・施設の人権問題[編集]

地域社会における人権侵害[編集]

人間の義務と責任[編集]

世界人権宣言の第29条は民主主義的社会での義務と道徳について、同30条は宣言に定められた権利を破壊する権利を禁じている。国際人権規約の自由権規約の第19条は表現の自由について『格別の義務と責任』を持って行使されることを明記し、同第20条は差別や暴力を唆す国民的、人種的、宗教的憎悪の提唱を法律で禁止することを規定している。このように権利には義務と責任が不可分であり、乱用は許されず、他人の人権の保護と促進が重要であるという観点から、国際連合教育科学文化機関は1998年に世界人権宣言採択50周年を記念して『人間の義務と責任に関する宣言[』(en:Declaration of Human Duties and Responsibilities)を採択した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 広辞苑 第五版
  2. ^ a b 『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 樋口陽一 執筆「人権」
  3. ^ 「かように <人権> の理解は一様ではないが、西洋近代の個人主義思想を多かれ少なかれ基本に置いている点では共通性がある」と樋口陽一は説明した。人権を尊重しない政権や、アラブやアフリカ、アジアなどでは、文化の相違などとして反発することがある。だが、一般的に言えば文化の多元性を尊重しつつも、人権価値の普遍性を擁護するという立場が欧米ではコンセンサスを得つつある。(『岩波 哲学思想事典』岩波書店 1998年 p.813 樋口陽一 執筆「人権」)
  4. ^ 昭和40(オ)1425 (PDF)”. 最高裁判所 (1970年9月16日). 2013年6月25日閲覧。
  5. ^ 荒井彰 「僕の学校は監獄だった!」『実録!ムショの本…パクられた私たちの刑務所体験』 宝島社別冊宝島〉(原著1992年8月24日)、初版、p. 66。ISBN 97847966916112009年11月27日閲覧。
  6. ^ 板倉宏『「人権」を問う』音羽出版 1999年
  7. ^ 神道信者である事が義務付けられ、皇室典範により結婚・独立には皇室会議の同意が必要で家制度家長制度が存在する。選挙権ももちろんない
  8. ^ a b 西尾『皇太子さまへのご忠言』ワック 2008年(ISBN 4898311245)、「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」『WiLL』2008年5月-8月号
  9. ^ WiLL』2008年7月号

関連項目[編集]

 


参考文献[編集]

  • 「アムネスティ・レポート 世界の人権」編集部編『世界の人権2010 アムネスティ・レポート』現代人文社、2010年
  • 高木八尺、末延三次、宮沢俊義編『人権宣言集』岩波書店、1957年
  • Donnelly, J. 1985. The concept of human rights. New York: St Martin's Press.
  • Downing, T. and Kushner, G., eds. 1988. Human rights and anthropology. Cambridge, Mass.: Cultural Survival.
  • Dworkin, R. 1977. Taking rights seriously. Cambridge, Mass.: Harvard Univ. Press.
    • ロナルド・ドウォーキン著、木下毅、小林公、野坂泰司訳『権利論 1-2』木鐸社、1986年-2001年・増補版2003年
  • Falk, R. 1981. Human rights and state sovereignty. New York: Holmes & Meier.
  • Galtung, J. 1977. Human needs as the focus of the social sciences. Oslo: Univ. of Oslo Press.
  • Gonchavuk, M., ed. 1979. Socialism and human rights. Moscow: USSR Academy of Sciences.
  • Gutierrez, G. 1973. A theology of liberation. Maryknoll, N.Y.: Orbis Books.
  • Pollis, A. and Schwab, P., eds. 1979. Human rights: Cultural and ideological perspectives. New York: Praeger.
  • Rawls, J. 1971. 1971. Theory of justice. Cambridge, Mass.: Harvard Univ. Press.
    • ジョン・ロールズ著、矢島鈞次訳『正義論』紀伊國屋書店、1979年
  • Shue, H. 1980. Basic right: Subsistence, affluence and US foreign policy. Princeton: Princeton Univ. Press.

外部リンク[編集]

参考サイト