内閣官房長官
| 内閣官房長官 | |
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内閣官房庁舎
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| 任命者 | 内閣総理大臣 |
| 初代 | 林讓治 |
| 創設 | 1947年(昭和22年)5月3日 |
| ウェブサイト | 内閣官房 |
内閣官房長官(ないかくかんぼうちょうかん)は、内閣法に基づき内閣に置かれる内閣官房の長。
国務大臣をもって充てることとされ、内閣を構成する閣僚の一員でもある。
目次 |
[編集] 職務
内閣官房長官は、内閣官房の事務を統轄し、所部の職員の服務につき、これを統督する(内閣法13条)。ただし、内閣官房の内閣法上の主任の大臣は内閣総理大臣である(内閣法23条)。
内閣官房の事務は行政のほとんどすべての領域に及びうる為、それを統括する官房長官の職務も極めて広範に渡りうる。ただ、今日の官房長官が果たしている特に重要な機能として、以下のようなものが挙げられる。
- 内閣の諸案件について行政各部の調整役。
- 同じく諸案件について、国会各会派(特に与党)との調整役。
- 政府(内閣)の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割。
執務室は総理大臣官邸5階にあり、特別職の国家公務員である国務大臣秘書官1人[1]が割り当てられている。閣議では進行係を務める。その権限は強く、他の国務大臣の管轄の内容についても調整という形で関与することができる。
このほか、内閣府(大臣委員会及び特命担当大臣の所掌部署を除く)の事務の総括整理も担当することとされており(内閣府設置法8条)、具体的には大臣官房の人事関連業務、賞勲局、迎賓館、官民人材交流センター、再就職等監視委員会、国際平和協力本部などを所管する。
総理大臣官邸の敷地内に官房長官公邸があるが、現在は常住としては使われていない。
[編集] 概要
マスコミ報道等では内閣総理大臣と並んで国民に対する露出度(認知度)が高い重要ポストであり、実務的にも、中央省庁の再編や、その後逐次進んでいった官邸機能の強化によって、権限がその都度強まっている。重大な懸案の解決に当たっては官房長官の調整能力が成否を分けるとされ、内閣の要といわれる。将来の首相候補者の登龍門的なポストとして若手の有望株を充てることもあれば、政策調整能力を重視してベテランの大物政治家が就任することもある。いずれにせよ、首相と近い政治家が就任するのが通例で、首相の懐刀あるいは女房役ともいわれる。自由民主党政権時代は総裁派閥(首相の出身派閥)から任命される事例が多かった。首相と官房長官の組み合わせには様々なものがあり、例えば師匠-弟子型(佐藤栄作-竹下登)や一般的な盟友の組み合わせ(野田佳彦-藤村修)などのほか、ライバル型(細川護煕-武村正義)や後見人型(中曽根康弘-後藤田正晴や橋本龍太郎-梶山静六など)などもある。菅直人は仙谷由人を官房長官に起用したときに、中曽根内閣の後藤田長官を引き合いに出したことから菅直人-仙谷由人も後見人型に分類される。ライバル型は珍しいが、そのようなときは官房長官が必ずしも首相の補佐役に徹しきれずと首相と異なった私的見解を述べ、首相との間に亀裂が入ることもありうる(過去の例としては、細川-武村)。盟友型が多いのは官房長官は首相の女房役だから当然であるが、軽量級の盟友型の場合は、官邸が与党から孤立することもありえる(過去の例としては安倍晋三-塩崎恭久)。したがって、盟友型の時でもある程度重量級の政治家が起用されるのが通例である。鳩山由紀夫-平野博文なども盟友型に入るが官房長官就任者がその時点で必ずしも知名度の高い政治家であるとも限らない。
報道において、「政府首脳」という言葉は慣例的に内閣官房長官を指す。これは取材記者との懇談など公式ではない発言(オフレコ)などについて用いられる表現である。また、国政の運営上必要な場合、内閣官房報償費を内閣官房長官の判断で支出できる。
2000年4月以降は原則として内閣総理大臣臨時代理予定者第1位に指定されている(別に副総理が置かれる場合を除く)。危機管理を担当するため、常に官邸にすぐに駆け付けることができる体制が望ましいとされており[2][3][4]、海外訪問がほとんどできないポストとされている[5]。また、内閣官房長官が東京から離れる場合には、行政府の最高責任者である内閣総理大臣が東京にいることが望ましいとされる。
[編集] 補佐職
内閣官房長官を補佐する職として次のような官職が置かれている。
[編集] 沿革
- 1879年(明治12年)3月12日 - 太政官の「内閣」に内閣官房長官の前身である内閣書記官長が初めて設置され、下僚として大書記官・少書記官が置かれる。
- 1885年(明治18年)12月22日 - 内閣制度の発足とともに正式の常設職となる。
- 1890年(明治23年)6月30日 - 内閣所属職員官制の公布により、内閣所属の勅任官とされ、職掌が定められる。当時の職掌は「命ヲ内閣総理大臣ニ承ケ機密ノ文書ヲ管掌シ閣内ノ庶務ヲ統理シ及属以下ノ任免ヲ専行ス(内閣総理大臣の命令により機密文書を管理し、内閣の事務を監督し、内閣所属の判任以下の職員の人事権を執行する)」ものとされた。
- 1898年(明治31年)10月22日 - 内閣所属各局の局長に対する書記官長の指揮権が命令権に改められる。
- 1924年(大正13年)12月20日 - 内閣所属職員官制が全面改正され、書記官長直属の部局が内閣官房に改組。また、職掌に「内閣総理大臣ヲ佐ケ」が加わり、内閣総理大臣の補佐が明文化される。
- 1947年(昭和22年)5月3日 - 日本国憲法の施行に伴い、それまでの内閣書記官長を廃し、後継の職として、行政官庁法に基づく内閣官房長官が設置される。国務大臣の補職ではなかったため、国務大臣である者を内閣官房長官とする場合は「内閣官房長官に兼ねて任命する」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合の辞令は「内閣官房長官に任命する」。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 行政官庁法の失効に伴い、内閣法に基づく職となる。国務大臣をもって充てることができる旨が同法に明記されたため、その場合は「内閣官房長官を命ずる」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合は以前と同様「内閣官房長官に任命する」。
- 1963年(昭和38年)6月11日 - 内閣法の一部改正により、条件付きの認証官となる。国務大臣である者が内閣官房長官となる場合は国務大臣としての認証を受け、国務大臣でない者が内閣官房長官となる場合は内閣官房長官としての認証を受ける。
- 1966年(昭和41年)6月28日 - 内閣法の一部改正により、内閣官房長官は国務大臣をもって充てることとなる(単独の認証官ではなくなった)。
- 1984年(昭和59年)7月1日 - 総務庁の設置に伴い、内閣官房に加えて総理府(大臣庁等を除く)の総括整理をも担当することとなる。
- 2000年(平成12年)4月5日 - 複数の発令方法があり不備が指摘されていた内閣総理大臣臨時代理予定者の指定が、組閣時に第5順位まであらかじめ発令する方式に改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣がその第1順位に指定されることとなる。
- 2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編に伴い、総理府に引き続き内閣府(大臣庁等を除く)の総括整理を担当することとなる。
[編集] 内閣官房長官の一覧
- 歴代の内閣官房長官を参照。
[編集] 内閣官房長官表彰
内閣官房長官は内閣官房の所管する業務に対する国民の功労に対して「内閣官房長官表彰」((内閣官房長官賞・内閣官房長官感謝状を含む))を行っている。これは「内閣総理大臣表彰」に準ずるもので男女共同参画や青少年健全育成に関する功労者などに授与されている。また、交通安全協会の標語やコンテストなどで内閣官房が共催・後援しているものについては内閣官房長官賞を授与している。また、これ以外に世界で活躍したオリンピック選手などに「内閣官房長官感謝状」を贈呈するなどの例もある。
[編集] 記録
[編集] 脚注
- ^ このほか、各省庁からの出向者が秘書官事務取扱として複数名割り当てられる。
- ^ 「全大臣からの挨拶・後編」、『鳩山内閣メールマガジン』第2号、首相官邸、2009年10月、2010年6月10日閲覧。
- ^ “官房長官、一時東京離れる? 本人は「コメントしない」”. 朝日新聞. (2010年2月16日) 2010年6月9日閲覧。
- ^ “東日本大震災:枝野長官、福島で陳謝 避難の理解求めて”. 毎日jp(毎日新聞). (2011年4月17日) 2011年4月17日閲覧。
- ^ 内閣官房長官の外遊の例としては野坂浩賢の1995年9月の外遊や福田康夫の2003年9月の外遊がある
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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