第3次吉田内閣 (第2次改造)

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第3次吉田第2次改造内閣
内閣総理大臣 第49代 吉田茂
成立年月日 1951年(昭和26年)7月4日
終了年月日 同年12月26日
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第3次吉田第2次改造内閣(だいさんじよしだだいにじかいぞうないかく)は、吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命され、1951年(昭和26年)7月4日から同年12月26日まで続いた日本の内閣である。

前の第3次吉田第1次改造内閣改造内閣である。第3次吉田再改造内閣

概要[編集]

サンフランシスコ講和条約締結に向けて、吉田茂首相は広く日本国民の支持を得て講和条約締結に臨むべく、与党の民主自由党(民自党)に加え、各党の支持を獲得したいところであった。そのため民自党は、民主党との保守提携に動いた。しかし、この時期、民主党保守提携派は、林屋亀次郎などの閣外協力を志向する一派と、西田隆男らの閣内協力にまで踏み込む一派とがあり、これに民自党の増田甲子七幹事長と広川弘禅総務会長(この二人は、吉田後継をめぐるライバルでもあった)とが、それぞれに接触、工作を繰り広げ、1951年(昭和26年)6月下旬から7月上旬にかけて、保守提携の交渉は暗礁に乗り上げる形となった。

結局、同年7月3日に吉田内閣は単独で内閣改造を行い、閣僚の大部分が留任、前の党三役であった佐藤栄作益谷秀次根本龍太郎らが、入閣した。

閣僚[編集]

政務次官[編集]

  • 外務政務次官
草葉隆圓: - 1951年12月12日 /石原幹市郎:1951年12月12日 -
  • 大蔵政務次官
西川甚五郎: - 1951年12月12日 /西村直己:1951年12月12日 -
  • 法務政務次官
高木松吉: - 1951年12月12日 /龍野喜一郎:1951年12月12日 -
  • 文部政務次官
水谷昇: - 1951年12月12日 /今村忠助:1951年12月12日 -
  • 厚生政務次官
平沢長吉: - 1951年12月12日 /松野頼三:1951年12月12日 -
  • 農林政務次官
島村軍次: - 1951年12月12日 /野原正勝:1951年12月12日 -
  • 通商産業政務次官
首藤新八: - 1951年12月12日 /本間俊一:1951年12月12日 -
  • 運輸政務次官
関谷勝利: - 1951年12月12日 /佐々木秀世:1951年12月12日 -
  • 郵政政務次官
山本猛夫: - 1951年12月12日 /寺本斎:1951年12月12日 -
  • 電気通信政務次官
加藤隆太郎: - 1951年12月12日 /平井太郎:1951年12月12日 -
  • 労働政務次官
山村新治郎: - 1951年12月12日 /溝口三郎: 1951年12月12日 -
  • 建設政務次官
渡邊良夫: - 1951年12月12日 /塚原俊郎: 1951年12月12日 -
  • 経済安定政務次官
小峯柳多: - 1951年12月11日 /福田篤泰: 1951年12月12日 -
  • 物価政務次官
郡祐一: - 1951年12月12日 /上原正吉:1951年12月12日 -
  • 行政管理政務次官
城義臣: - 1951年12月12日 /山口六郎次: 1951年12月12日 -
  • 賠償政務次官
小西寅松: - 1951年12月2日 /入交太蔵: 1951年12月2日 -
  • 地方自治政務次官
小野哲: - 1951年12月12日 /藤野繁雄: 1951年12月12日 -

参考文献[編集]

外部リンク[編集]