第3次吉田内閣 (第1次改造)

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第3次吉田第1次改造内閣
内閣総理大臣 第49代 吉田茂
成立年月日 1950年(昭和25年)6月28日
終了年月日 1951年(昭和26年)7月4日
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第3次吉田第1次改造内閣(だいさんじよしだだいいちじかいぞうないかく)は、吉田茂が第49代内閣総理大臣に任命され、1950年(昭和25年)6月28日から1951年(昭和26年)7月4日まで続いた日本の内閣である。

前の第3次吉田内閣改造内閣である。第3次吉田改造内閣

概要[編集]

日本国憲法第68条でさだめられた内閣総理大臣の国務大臣任免権による初の内閣改造である(大日本帝国憲法では総理大臣に任免権がなく、第3次近衛内閣第2次近衛内閣の外務大臣松岡洋右を更迭するために総辞職→大命降下という手段を用いて成立した)。

1950年(昭和25年)6月17日アメリカ合衆国国務省顧問のジョン・フォスター・ダレスが、対日平和条約の交渉を行うため来日した。ダレスは、マッカーサー元帥と会談の後、対日講和を実現する時期の到来を確認し、次いで同年6月22日に吉田茂首相との会談を皮切りに、民主党苫米地義三最高委員長、日本社会党浅沼稲次郎書記長らと会談し、日本側も講和条約締結の気運が上昇していく。

一方、同年6月25日には、北朝鮮軍が北緯38度線に侵入し、朝鮮戦争が勃発する。

吉田首相は講和条約締結と朝鮮戦争に対処するため、第3次吉田内閣の強化を図る必要があった。また、与党の民主自由党(民自党)内では、広川弘禅幹事長に対して大野伴睦派の攻撃が激しくなり、広川幹事長を更迭した。さらに、山崎首班工作事件以来、冷遇されていた山崎猛元幹事長などの民自党長老の吉田に対する反発を和らげ、党内融和を図る必要もあった。本改造内閣はこれらの背景をもとに発足した。

閣僚[編集]

政務次官[編集]

  • 外務政務次官
川村松助: - 1950年7月12日 /草葉隆圓:1950年7月12日 -
  • 大蔵政務次官
水田三喜男: - 1950年7月12日 /西川甚五郎:1950年7月12日 -
  • 法務政務次官
牧野寛索: - 1950年7月12日 /高木松吉:1950年7月12日 -
  • 文部政務次官
平島良一: - 1950年7月12日 /水谷昇:1950年7月12日 -
  • 厚生政務次官
矢野酉雄: - 1950年7月12日 /平沢長吉:1950年7月12日 -
  • 農林政務次官
坂本実: - 1950年7月12日 /島村軍次:1950年7月12日 -
  • 通商産業政務次官
宮幡靖: - 1950年7月12日 /首藤新八:1950年7月12日 -
  • 運輸政務次官
原健三郎: - 1950年7月12日 /関谷勝利:1950年7月12日 -
  • 郵政政務次官
坪川信三: - 1950年7月12日 /山本猛夫:1950年7月12日 -
  • 電気通信政務次官
加藤隆太郎: 1950年7月12日 -
  • 労働政務次官
新谷寅三郎: - 1950年7月12日 /山村新治郎: 1950年7月12日 -
  • 建設政務次官
鈴木仙八: - 1950年7月12日 /渡邊良夫: 1950年7月12日 -
  • 経済安定政務次官
西村久之: - 1950年7月12日 /小峯柳多: 1950年7月12日 -
  • 物価政務次官
坂田英一: - 1950年7月12日 /郡祐一:1950年7月12日 -
  • 行政管理政務次官
一松政二: - 1950年7月12日 /城義臣: 1950年7月12日 -
  • 賠償政務次官
小西寅松
  • 地方自治政務次官
小野哲

参考文献[編集]

外部リンク[編集]